第41話 『日本側信任状捧呈式』
通常であれば、国交を結んだ上で両国大使が就くことになっている。
その逆では、国交を結ぶ前に代表者が就くことになるため矛盾してしまう。しかし日本とイルリハランは、敢えてその逆をする段取りをした。
これはすでに知らされていたアルタランの日本委員会による農奴政策を危惧してのことだ。
未だに規制されたままなので農奴政策は世間に広まってはいないが、両国の共通認識としてこの異星国家間国交樹立行事に、間違いなく何らかの手を打って来ると見ている。
そうなるとリスク軽減として、両国首脳が揃う調印式を最後に回して危険度の低い信任状捧呈式を先にしてしまおうとなったのだ。
先に調印式をしてトラブルが起きれば、日本とイルリハランの繋がりが断裂してしまう。みなし国交状態だから問題ないと考える人もいるだろうが、国家規模では非公式と公式では雲泥の差がある。
不完全でも公式な国交が一部でもされていればまだ何とかなるため、先に信任状捧呈式を執り行うことになったのである。
「いよいよですね」
正装に身を包ませたエルマは一言呟いた。
ひと月以上前から、日本は前線基地から地面に人工石を敷き始め、それは今なお続いている。目標としては陸続きはもちろん、海の水深が五メートルのところまでは覆うそうだ。
よって地面が平坦であることから日本観光時と同様に、接続地域の境界線を越えてフォロン有効圏内に車列が出来ていた。
警察車両、公用車両が十台近く並び、その中央に一台のバスが止まっている。
エルマが乗るためのバスだ。
ルィルたちの報告によって、一般車両よりバスの方が精神的に安心できることが確認されている。人工石によって柔い地面ではなく堅い地面であるのも要因としてあるが、やはり二メートル以上高い位置にいると精神的に落ち着けるようだった。
精神科医でも、二メートルが一般的に地面に平常心で近づける限界と言われているから、日本の配慮としては最良と言える。
ちなみになぜ二メートルと言うのは、地面から例え突然グイボラが飛び出しても反射的に避難できるギリギリの高さらしい。それを本能で知っているから落ち着けるとのことだ。
バスの横では礼服を着た羽熊を始め、日本政府職員が待っている。
「おはようございます。エルマ大使」
つい三ヶ月前まで喋れなかったとは思えないほどに、羽熊は流ちょうなマルターニ語で挨拶をして頭を下げた。
「おはようございます。今日は雲一つない晴天でよかったです」
空を見上げると今言ったように雲一つない晴天。気温も十五℃程度で、歴史的行事をするには申し分ない天気だ。
「はい。まあ日本的に言えば、もう少し降ってほしい所ですけどね」
ユーストルには乾季や雨季がない。定期的に雨が降り、円形山脈から所々で川が流れて池や湖をいくつも作っている。
それもあってこの中で水にはそう困らないが、日本国内だけで言えば海が邪魔をしてしまうためもう少し降ってほしいそうだ。とはいえ今のところ水は不足していない(または「水不足にはなっていない」)。
「今日はよろしくお願いします」
「誠心誠意努めさせていただきます。可能な限り地上からは離れるようさせていただきます」
非公式では一度日本本土に入ったことがあるが、公式では一度も入ったことにはなっていない。今日、ようやくエルマも堂々と日本に入国できる。
そして歴史的行事を世間に伝えるため、衛星電話を利用したネット生配信に五人ほど政府職員が同行する。警護は法的理由から日本に丸投げなので、イルリハラン兵は同行しないし職員も武器を携帯しない。
「それではエルマ大使、バスにお乗りください。出発いたします」
イ日双方の代表があいさつをして、日本国宮内庁の穂口がバスに乗るよう促す。
「分かりました。皆さん行きましょう」
エルマは背後にいる同伴者に声をかけ、バスへと向かっていった。
今日の予定は、このまま打ち合わせをしながら日本見物をして東京駅へと向かい、儀装馬車へと乗り換えて宮殿南車寄まで移動をする。
日本では伝統行事として、大使の信任状を捧呈する時は儀装馬車又は自動車によって送迎することになっている。
馬車はフィリアには生息しない走ることに特化した馬と言う草食動物によって引かれる乗り物で、馬は力の単位で使われるほど人と共に歴史を進んで来たらしい。
多くの大使は送迎に儀装馬車を選択するらしく、リーアンにとっては不便らしいが是非とも伝統に則りたいとして儀装馬車を選択した。
そして目的の信任状を天皇陛下へと捧呈し、佐々木首相と昼食を取る。
その後東京を一回りして大使館用浮遊島への帰還だ。
日本側は国会で演説を一つしてほしいとのことだが、明後日に異星国家間首脳会談をすることを考えたら、国王陛下より先にイルリハランとしての言葉を言うわけにもいかないため辞退。
本来なら首相との昼食もだが、国王陛下との食事は会談時には予定していないので、一切食事をしないと言うわけにはいかない。よって通訳も半ば不要も含めエルマが食事を取ることとなった。
日本が転移してくる以前であれば、別の基地で軍曹をしているだけだったのに、たった三ヶ月でここまでの大役となり、まだ二十代半ばを考えると異例の出世だ。
王室の一員と言う理由はあれど、二十四歳で任せられる仕事ではない。
それでも大役に任命すると言うことは、それだけエルマの事を信用してのことだ。王位継承権の有無に関係なく、ハウアー国王は任せられると信じてくれた。
期待に応えなければ、今までの人生の意味がない。そんな気がしてならない。
幸い日本の人々は非常に友好的で好意的だし、確認は取っていないが羽熊とは友人関係と思っている。共に口に出せない策謀はあれ、利害の一致はあるから不満も不安もない。
楽はないがやり甲斐はある。
エルマたちは二階建てバスの席に直接乗り込むと、日本政府職員もそれぞれの車に乗り込んだ。
少しして一階から外務省の大鳥と羽熊が上がってくる。
日本の信任状捧呈式の服装は昼の正礼装が慣例としていて、王室であり軍人でもあるエルマは王室の礼服か軍の礼服にするべきか考え、結局は一般的な昼の正礼装とした。
服と言うのは誰もが知っている分かりやすい主張の一つだ。王室用でも軍人用でも、その礼装で出れば自分の立場を分かりやすく相手に伝えられる。
王室なら威厳を。軍なら圧力を。
これはエルマ個人の考えだが、日本には威厳も圧力も必要ないとしている。
日本は自分の立場を理解して、孤独の国家として世界に挑戦している。
そんな国に、わざわざ威厳や圧力を掛ける必要はない。
先進国を自負している以上、線引きくらいは自分らで決められるわけで、卑屈になり過ぎることはないにしても、ある程度で留めると分かっているのだ。
だからエルマは一般的な昼の正礼装にした。
これがエルマなりのこだわりだ。
バスを中心とした車列はほどなくして動き出した。
*
ノートパソコンの画面に、二階建てバスから映し出される日本の風景が映る。
画面の右端にはエルマの背中が映り、羽熊達と話をしているのが粗いが見えた。
音も拾っていても、二階建てバスのため風切り音が大きく会話はほとんど聞こえない。
いまパソコンに映っているのは今現在のエルマたちの様子だ。
エルマに同行する政府職員が、撮影した映像を即座にネットにアップしているのである。
投稿するところは複数の世界的に普及している動画サイトと国内で普及している動画サイトで、多少のタイムラグはあれどエルマたちが何をしているのかを世間に伝えることができる。
これはイルリハランと日本が同意したことで、いくつかの意味を含ませての策だ。
一つはもちろん世間に日本との国交行事の一つを伝えることだ。地上に強い抵抗を持つのに、テレビ局を交えての入国は難しい。少人数が得策でもそれでは世間に日本の信任状捧呈式を伝えることが出来ないし、録画ではプロパガンダを疑われてしまう。
第二に日本は世間が思うほど悪くないと伝える意味合いも持つ。
実はフィリア社会は日本国内の情景をルィル達ほど知らない。日本から提供される情報はもちろん公表しているのだが、官製となると信用は薄く、プライベートと言うこともあって観光時の映像もあまり出回っていない。
そこで今回を利用して、ノーカットで疑いようのない日本国内の様相を伝えることにした。
いくら今の時代編集で何でもできるとはいえ、リアルタイムでは細工のしようがない。そのリアルタイムを証明するためにも定期的に時間を映して未編集であることも伝える。
さすがに日本側も映したくないところはあるだろうから、そこは通らないよう注意している手はずだ。
とにかく日本はフィリア社会から見て信用がない。イルリハランは国交樹立をするだけの信用はあっても、アルタランを始め世界はまだだから過剰でもこうしていかないとならない。
それもこれもアルタランが農奴政策を進めるからだ。
それさえなければゆっくりと信用を獲得しているところを、面倒なことをするから面倒にも早急な獲得を強いられる。
「昨日と今日で、世間はもう少し日本を分かってくれるのかしらね」
腕を組み、延々と流れている風景を見ながらルィルは呟いた。
前に経験があるから、東京までどれくらいかかるのか分かっている。少なくとも一時間から二時間は淡々と風景が流れていくだけだ。東京に近づくにつれて景色は変わっても、車内から風景を見る以外はない。
それでも世界が初めて見る官製じゃない生の映像だ。
さすがにテレビでは半日近く特番を組んで未編集の映像を流すことはしない。きっと夕方か明日に編集した映像を流すはずだ。
それまでは動画投稿サイトの独壇場。
ちなみに映像はフリー素材でダウンロードや再投稿は自由と言う気前っぷりだ。
その証拠に現在の視聴者数が開始から三十分足らずなのに一千万を超え、秒ごとに万単位で増えている。
サーバーを落とさせないために複数のサイトで配信しているが、果たして全人類の何割が見るのだろう。
「……むしろ気前が良すぎて疑われないかしら」
フィクションでは善人過ぎる人が実は影の悪役だったと言うことはよくあることだ。で、悪態をつくキャラクターほど良いキャラだったりする。
今の日本はフィリア社会から見て良い国過ぎるから、返って悪者としての印象も伸ばしやすい。かと言っていま多少でも悪役を演じるわけにもいかない。もどかしいものだ。
ルィルはぐぐっと背伸びをする。
ユリアーティ偵察部隊はすべて非番だ。行事中の交流は中止であり、部隊は通常の勤務とは独立しているので正直なところすることがない。
だからルィルはハミュのいない自室で、悠々自適に数千万人の一人として信任状捧呈式を見ていた。
ノートパソコンの隣には封が開けられた日本の菓子が置かれていて、ルィルは片手を伸ばしてケアのような形をした菓子を手にして食べる。
フィリアにはない味と触感に、ついつい手が伸びる。
「もうなくなっちゃった」
気づくと箱の中にはもう菓子は残っていない。美味しすぎるほどではないのに、日本の菓子と言うのはついつい手を伸ばすような味をしている。
程よい大きさと味わいで、手を止めることが出来ない。クスリが入っているわけではないというのに、日本の食べ物はどこか我々のとは違う。
一応ストックとして何箱か立場を理由に確保しているが、数日にひと箱と決めている。
食べ過ぎると太るからだ。
リーアンは筋肉による身震い(シバリング)と基礎代謝による体温を利用して空に立つ。
科学的熱供給用スーツが生まれたことで自己体温に関係なく空に立てるようになったが、外部的温度だと若干の不具合が出る。だから体温維持のために一定量の筋肉と脂肪が必要だ。
脂肪は保温に優れているとしても、筋肉が無ければ保温するための熱を生まない。筋肉と脂肪のバランスは大事なので、軍人であるため食事量は気を付けなければならない。特に間食は。
パソコン画面ではあまり変化は起きていない。知らない人からすればすべてが新鮮でも、知っている側からするとさすがに飽きる。
どの道パレードが始まるのは十二時と決まっているから、それまでは日本語の勉強でもして暇をつぶすか。
そう思い、ルィルはノートパソコンの画面に手を掛ける。
そこにドアからノックが来た。
「……いやな予感」
過去の経験から、ここでのノックで良い話だったことはない。
また何かトラブルが来て頼りに来たのだろうか。画面を見る限りでは何かあった様子はない。生放送だから何かあればすぐに画面に映るはずだ。
それとも昨日の今日でアルタランかレーゲンがなにかしたか。
ルィルは溜息を吐いてドアへと向かう。
「はーい。今度は何のトラブルなのかしら?」
と決めつけてドアを開ける。
廊下には、深く帽子をかぶる男性兵士がいた。
「……何かしら」
男と見てルィルは身構える。
今いる場所は女子寮だ。緊急を除いて伝令は女性兵が来るし、男性兵が来るとしても大抵はリィアだ。
「知っていると思うけどここは女子寮よ。あなたが入ってきていい場所ではないわ。伝令なら寮監か女性兵に伝えて出てってくれないかしら」
女を半ば捨てていると言っても女である事実は変わらない。いくらなんでも男性に押し倒されれば力負ける。
「あなた、階級章がないじゃない。どこの部署の人?」
軍服の左右の肩には日本軍と同じく階級章がある。しかしこの男にはなにもない。よくよく見ると服も新品だ。
セキュリティはどうなっているのか、万が一襲ってきたらどうするのか、それが頭を巡る。
銃はもちろん武器科に預けているから身を守るのは限定的だ。
「まさか……」
「ルィルちょっと待った」
不審な男の横からリィアが顔を覗かせ、緊張が一気に半分まで下がる。
もう半分はリィアの裏切りを考えてのこと。
非情と思うが、今は何が起きるのか分からない状況だ。共に生活する仲間であり上司であっても油断はできない。
「リィア大尉、どうしたんですか? ここ女子寮ですよ?」
「すまない。私が無理を言って案内をさせたんだ。心配しなくても君に危害を加えるつもりはないよ。ただ話をしたいと思ってね」
見知らぬ男が話しかけてくる。声だけを聞くと初老のような感じだ。ひょっとしたらバルスター指揮官より年上かもしれない。
「貴方は誰?」
自然と三十センチほど後ろに下がって聞く。
男は帽子を取った。
「…………」
ルィルはただその人を見る。
四十七歳でオールバックの髪型。髭等はなく整った顔立ちの男性。恐らくイルリハラン人ではほとんどの人が知っている人物。
「あ……え?」
一目見た瞬間に誤解や勘違いはなく、確信をもってその人が誰なのか分かり、その一切の予告ない対面に、正真正銘頭が真っ白になった。
「初めまして、ルィル・ビ・ティレナーさん。ハウ――」
言葉の途中でルィルの意識は途切れた。
*
ハッとルィルは目を覚ます。
睡眠からの覚醒とは違う感覚だ。次第に眠気が晴れていくのと違って一気に意識が開け、ルィルは上半身を起こす。
いる場所はベッドの上で、ジトッと汗が額から垂れる。
記憶がおぼろげで、直前になにをしていたのか意識ははっきりしているのに覚えていない。
「あれ、私何をしてたんだっけ?」
額に手を当てて記憶を探る。
そう、確かエルマの信任状捧呈式の生放送を見ていて、誰かが来たのだ。
すごい人が来たのは覚えているが、どう凄いのか思い出せない。
バルスター指揮官よりも上の人。エルマよりも上のような気がする。
「誰だっけ?」
「ルィル、大丈夫か?」
視界の外から水の入ったコップが渡され、それを素直に受け取る。
「あ、ありがとう……ってリィア大尉!? なんでここに!?」
「何ってお前が気を失ったから介抱してたんだよ。ほっといたら地面に落ちてたぞ」
リーアンは睡眠時は脳は一部でも活動しているから滞空していられるが、気絶すると滞空するための活動能力も失って地面に落ちてしまう。
「なんで私気を失って……いや、その前にどうしてリィア大尉がここに来てるんです?」
「私が頼んで連れてきてもらったのだよ。すまないね、突然で驚いただろう」
リィアとは別の声が聞こえて振り向くと、ルィルの椅子に座って目の前に置いてあるノートパソコンを見ている一人の男がいた。
「あ……あ」
見た瞬間に記憶がよみがえり、激しい動揺から次にどうすればいいのか浮かばなくなった。
イルリハラン人であれば誰もが知っている人物。
ハウアー・フ・イルリハラン。
現イルリハラン王国国王。
「こ、こ……これは、ご無礼……致しました」
絞り出すかのようにルィルは詫び、起き上がろうとする。
「ああ、気にしないでくれ。知らせずに突然来たんだ。驚いて当然だ」
「いえ、そんな……お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「謝るなら私の方だ。すまなかったね」
「そんな、謝らないでください」
謝り、リィアを手招きで引き寄せる。
「リィアさん、なんでハウアー国王がここにいるんです!? 来るのは明日では!?」
明日はここで日本大使が信任状捧呈式を行う。そのため明日の早朝にハウアー国王が来る予定となっているのに、どういうわけか今目の前にいる。
「物資補給の定期便に紛れて昨日から来ているんだ。移動中の工作を危惧してな」
人を暗殺したり、拉致誘拐などする場合、移動中が一番しやすいのだ。
特に国家主席の行動は常に公表されるため、いつどこを移動するのか把握出来る。
もしハウアー国王を狙うなら、ここに来るまでの移動途中だろう。
「工作って、誰かに狙われているのですか?」
「あくまで可能性だがね」
小言で話したつもりが聞かれてしまい、ハウアー国王が答えた。
「シルビーの報告では、明日の移動途中にテロを受ける可能性が三十五パーセントあるらしい。三パーセント未満なら密かに来ることはなかったが、その十倍以上なら警戒もする」
シルビーとはイルリハランの諜報機関の名前だ。世界各国に諜報員を派遣して、情報収集や裏工作をしている。
国際企業の社長や会長なら三十五パーセントでも気にはしない。しかし国家主席なら強く警戒するべき数字だ。
「いま陛下がこの基地にいること、どれだけの人が知っているんですか?」
「君を入れて五人だ。堂々と移動すると案外バレないもんだな」
「まさか明日来るはずの国王陛下が今いるなんて誰も想像すらしていないですからね。ではいま公務をしているのは?」
「無論身代わりは用意している。とはいえ公務はさせてはいないがね。明日のためとして部屋にこもらせている」
「しかし、アルタランの農奴政策を進めるために、陛下にテロをする必要がありますか? 日本が手を下すように見せるならそうですが……」
現状では国王に何かテロ行為をしたところで、日本の仕業に見せかけるのは無理がある。
日本周辺はイルリハランと日本双方で監視を続けているから、秘密裏にミサイルを持ち込んで発射することは不可能だ。そして国王専用浮遊艦に日本人が乗り込んで暗殺等テロ行為も不可能だから、どうしようとハウアー国王に手を掛ける意味がない。
「いや、シルビーからの報告を見る限り、ニホンが手を下したように見せる必要もないんだ。今後アルタランが撤回しない限り、私が公務が出来なくなるだけでも農奴政策を進めることができる」
「そんな、まさか……」
ルィルはリィアを見る。
「俺も詳しくは聞かされてない」
「もちろんそのことの策は考えている。考えているがほとんど最後の策だ。そこも突破されるとかなり窮地に立たされるし、時間との勝負にもなる」
「だから誰も知らない内にここに来たのですか。少しでも妨害を防ぐために」
「そうだ。君に会いに来たのは純粋に話がしたかっただけなんだがね」
「話、ですか」
「君のことはニホンが転移した時から報告書で読ませてもらったが、実際に話をすることはないからね。いい機会だからこうして会いに来たんだ」
「こ、光栄です。私なんかに……」
「謙遜するな。君ほどこの国と世界に貢献した兵士はいない。君が謙遜しては、同じく任務に就いている兵士たちへの侮辱だ」
「……はっ」
ルィルはふと気づく。
「そう言えば気を失ってどれくらい経ちました? エルマ大使は今どこに?」
「二時間ほどだ。ちょうどいま儀装馬車で移動してる」
そう聞いてルィルはベッドから起きてハウアー国王の横に「失礼します」と言って立つ。
画面では、丁度エルマが儀装馬車から降りる所が映っていた。場所は左手に建物が見える広い場所で、見たことはないが降りる所から見て皇居であろう。
背広とは違う服装を着た人が馬車のドアを開け、数人の人が車内に手を伸ばしてエルマを車外に出す。
地面には今まで使ってきたのとは違う車いすが置かれていて、そこにゆっくりと降ろされる。車いすは日本人用に設計された物だから、リーアンからすると小さい。だがこれはリーアン用に設計されたらしく、全体的に大きくなり装飾も豪華になっていた。
エルマの背後に羽熊が立ち、取っ手を掴んで建物の中へと消えていく。
カメラも追従するかと思えば、別の方角へと向かって行った。絵的に追従するわけにはいかないのだろう。
「こうして見ると、今までの努力は無駄ではなかったと思うよ。無論君たちの努力はだがね」
「いえ、エルマ殿下の功績です。私たちはただ日本と会話をしただけで、政治をしたのは彼です。これは彼の努力の結果ですよ」
「エルマをここに向かわせたのは英断だった。私はエルマを誇りに思うよ」
「エルマ殿下がいなければ、今日、信任状捧呈式は行われてはいなかったでしょう」
「エルマだけではない。全員が日本転移から今日まで尽力したからだ。一人でもかけていれば大きく違っていた。今も安心こそ出来ないが、正しく進んでいる」
全てが都合よく進むわけにはいかない。イルリハラン、日本、レーゲン、アルタラン、それぞれ都合があり、その都合になるようそれぞれが動いて今となっている。
イルリハランと日本だけが都合的に進むことはないのだ。
ハウアー国王の言う通り、全員がそれぞれの都合のために動いたからこそ、今こうして国交行事を進めている。
「リィア大尉、少し外に出てくれるかね? ルィル曹長と二人で少し話をしたいんだが」
「分かりました。では三十分ほど女子寮を離れます」
外で待つにしても女子寮の廊下では人目を気にするし、緊急ではないから規則違反だ。
リィアはハウアー国王に敬礼をすると、部屋を出て行った。
「……陛下、その……気安く話をしてしまいましたが、お会いできて光栄です」
二人っきりになり、何を話せばいいのか詰まったルィルは改めで挨拶をする。
「イルリハラン軍曹長のルィル・ビ・ティレナーです」
「そんな改まって畏まらなくていい。明後日までの私は名もなき兵士と思ってくれ」
エルマでさえ王室であることを気にせず接することが出来ないのに、国王相手にもっと出来るわけがない。
「それで陛下、私に話とは?」
「なに、日本との交流を聞きたいんだ。その時の様子から、どう感じて考えたのか、思い付く限りね」
「分かりました。まだ信任状の捧呈も先のようですしね」
日本との交流は細かく報告書に記して残している。だが時として文字ではなく声で聞く方がいい時もあり、ルィルは快諾して日本が転移した当日の、偵察隊七〇三にいた時から覚えている限りのことを丁寧に話す。
信任状捧呈式が動いたのは、ルィルが初めて非公式の日本入国をしたところだ。
画面では廊下からある部屋へと入れられる。部屋は日本語名で松の間と言う部屋で、床や壁の多くが木材で出来ている広い部屋だ。広いと言っても、リーアンからすると普通から少し広い程度だが。
画面の左、部屋の中央からややズレた位置に椅子と男性が一人立ち、すぐ近くで佐々木首相が書状盆を持っている。
羽熊に押される車いすにエルマは座っており、ゆっくりゆっくりとひと際雰囲気の違う男性へと向かう。
年齢的には六十代くらいだろう。七三分けの髪型をして、全てを解かしきってしまうかのような柔らかな微笑みをしている。
間違いなく、日本国の象徴の天皇陛下だ。
エルマは座ったまま、右手を左肩に当てて頭を下げるだけ下げ、天皇陛下はそれを受け入れる。
そしてエルマは起き上がると車いすは少し前に進み、従事から信任状を受け取って天皇陛下に捧呈した。
これにより、イルリハランは正式に全権大使を日本に置くことが出来ることになった。
エルマは再び頭を下げ、羽熊も頭を下げて車いすは反転した。
時間にしてわずか数分だ。
「……失礼ですけどあっさりしていますね」
「しかし大事な式だ。これを怠るなら長続きはしない」
たった数分のために膨大な時間と人を費やそうと、その数分が超長期に渡る国家間の信頼に繋がるなら一切の妥協は許されない。
「これじゃ明日は失敗できませんね」
「失敗など眼中にないさ。ふむ、あの御方がテンノウ陛下。千年以上、ニホンの元首として血筋を持続させたのか」
イルリハラン王国も王位は男子直系だが、建国からではない。だからこそ建国の倍以上を男子直系で続けさせた日本は凄いと思う。
「今回は無理だろうが、いずれはお会いしたいものだ」
「そうですね。日本としては天皇陛下も望まれているようですので、アルタランの農奴政策が終わった頃合いで出来るのではないでしょうか」
「そうだな」
画面では式典は終わり、松の間から廊下へと移動する。
予定通りならこの後佐々木首脳と昼食を取るはずだ。
「エルマ殿下、凛々しくて格好良かったですね。天皇陛下の前でも堂々としていて」
「全くだ。あれだけ立派に仕事をしていると言うのに、女の話一つないのだからな。エルマはこの基地で人気だったりしないのか?」
「そう言う話は聞いてはおりませんね。もしかしたら王室の一人なので近寄りがたいのかもしれません」
話題こそ出ていることはルィルも知っているが、王室と言う肩書きは大きく玉の輿であっても自ら行こうと言う話は聞かない。
ハミュはルィルとくっつくとかほざいていたが、そういう願望はないからあまり話には混ざらないようにしていた。
「伯父としてあいつの将来は考えてやりたいんだがな」
「王室にして軍人、異星国家の大使と言う肩書きは強すぎますからね。見合う近い年齢の女性はそう相違ないかと」
「ルィル君はどうかね」
「お断りいたします」
これは想定していた提案なので、即座に国王であっても否定する。
「……少しは考えてくれてもいいのではないかね?」
「お気持ちはうれしいですが、私は結婚願望は持っておりません。もちろん日本人ともありません」
「そうか。エルマもまんざらではないと思うのだが……」
双方の親族はその気でも、当人同士でそういう話は一切ない。周りがいくら騒ごうと無意味なのだが、年を取るとそうした世話をしたがるものなのだろうか。
「ルィル君は一生結婚する気は無いのかね?」
「一生とは言いませんが、今はありません」
「失礼を承知で言うが、二十七歳であればもう結婚しているのが普通ではないのかな?」
「陛下、それ以上はセクハラですし性差別です。これは私の問題であって、良かれと思っても余計なことは言わないでもらえますか?」
「すまない。もうその話はやめよう」
「そうしていただけると嬉しいです」
「では続きを話してもらえるかな? 確か、リーアンとして初めてニホンに入国したところだったかな」
「はい」
ルィルは気持ちを切り替え、語りを再開した。




