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陸上の渚 ~異星国家日本の外交~  作者: 龍乃光輝
第二章 政戦編 全35話
35/192

第31話 『修羅場』

 ノートパソコン。タブレット。折り畳み式携帯電話。


 エルマが持参した箱から取り出されたのはその三種電子機器と各種充電器であった。

「……エルマ大使、これらは……」

 何のために持って来たのか知りつつ、木宮はもう一度尋ねた。


「この三点の電子機器を、ニホンに贈与します」


 日本観光の礼として持参するために持って来たのだから、当然日本に渡す。それ以外にないのだが、日本側は誰もが理解できないでいた。

「大使、もう一度聞きます。この三つを日本に譲っていただける、と言うことですか?」

「その通りです。これは私の独断でもホルスター大将の判断でもありません。ハウアー国王から許可をもらい持ってきました」


 何度も確認しては受け入れるしかない。が、これは日本にとって重大な物だ。

 ある意味日本観光で使った金額の数十から数百倍、いやもっととなって返ってきたと言える。


「しかし大使、これらを日本に贈与する意味、お分かりいただけますよね?」

「ええ、この三つを正確に解析出来れば、フィリア社会の電子機器の基礎が理解できます。この三種は全て新品でして基本ソフト以外は何も入っておりませんが、十分役には立つでしょう」


 三十年前ならいざ知らず、現代においてパソコンの存在価値を知らない人は子供含めて少ない。今では未就学児でさえスマホを手にしてアプリゲームをしたり、SNSを利用したりしている。それが教育的に良いかはさて置き、スマホやパソコンは地球科学の一つの象徴だ。

 即ちフィリア社会でも電子機器に関しては象徴の一つで、これらを解析することで分かることが莫大にある。


 パソコンは『電子機器』のハードからソフトの、『基礎』から『応用』と揃っているのだ。分析して理解出来ればネックである仕様の違いが劇的に改善する。あわよくばルーターなる物が作れれば、日本のネットとフィリアのネットを繋げることも不可能ではないのだ。

 さらに通信規格も調べることが出来て、フィリア社会で通用する携帯電話の製造も可能となる。

 日本の工業力であれば、異星文明の機器であっても調べ、理解し、製造することは可能だ。

 逆に日本の電子機器と融合させて新たな物を作り出すことが出来て、日本は元来にして十八番である。ネット上ではそれを魔改造と呼ぶ。


「いくら国王の許可が出たとはいえ、それはあまりにも信用しすぎでは? これらが無いからこそ安心できるのに技術の結晶を提供するのはあまりにも……」


 信用の表れにしてはし過ぎだ。いずれ必要なことではあっても、今ではない。

 日イ安全保障レベルの条約を結んでようやくだ。今ではない。


「大丈夫です。いまの皆さんの反応を見て、安心できると確信できました。決して悪用せずイルリハランに不都合な結果にはならないでしょう」


 狼狽する日本を見てエルマは軽く吹き出し、微笑みながらそう断言した。

 普通は悪用を考える側が狼狽したりはしない。むしろ喜んで受け取るだろう。

 突然の提示に純粋な反応を示したからこそ、エルマは贈与しても問題ないと確信したのだ。

 ただし、それは日本側もその確信に応えなければならない責任を負うことになる。


「その三点は今を以てニホンの物です。分解や分析、使用とどう使おうと自由です。それらに関して我々は一切の口出しをしません」


 日本側から見てもみんなが知っている形状の電子機器。しかし、その中身は全く違う。価値に表せれば数倍や十倍ではない。百や千倍になる、異星人のパソコンなのだ。

 それらを自由にしていいとは、なにか裏があると考えるのが常識人だ。


「エルマ大使、これらに対しての見返りはなんですか?」

「ありません。何度も言いますが、これはニホン観光の礼とイルリハラン観光が出来ない詫びです。無償、でお渡しします。その他条件は一切ありません」


 無償の言葉を強調する。タダより高い物はないとはよく言われるが、無償のカードを政治で出した場合は疑いようがない。条件を付随しないから贈与なのだ。

 渡す代わりになにか……となれば有償に他ならない。


「……分かりました。お言葉に甘えて頂戴させていただきます」

 ここで食らい付けば危険を承知で提供してくれたエルマたちのメンツを傷つけてしまう。若井は瀬戸際を見極めて受託することを決めた。

 そこは政治家。政治的判断は彼以外に任せられない。


「そしてこれら三点は、イルリハラン王国の期待に応えられるよう、適切な利用をするようお約束します」

「お任せします」

「ですが、これだけのものを受け取って感謝の言葉で終わらせては我々の気がすみません。今すぐ、とは行きませんが、同じく日本製のパソコン、タブレット、携帯電話をイルリハラン王国へ贈与しましょう」

「え!?」

 今度はイルリハラン側が驚く番。


「ワカイ議員、此度の贈与は感謝とお詫びとしてなので、ここでニホンから貰うわけには……」

「いえ、これだけ重要な物を受け取るだけで終わっては日本の沽券に関わります。それにこれは片方だけが受け取っていいわけではありません。双方で渡してこそ意味があります」


 心情的に言えば若井の言っていることは正しい。が、技術的に見ればイルリハラン側の機器を日本に渡すだけで済んだりもする。規格が全く違い、それを修正するならその数が少ない方をするのが効果的だ。


 あの猫型ロボットが出る国民的アニメの劇場版にはよく翻訳道具が登場し、ゲストキャラクターが使うシーンがあるのだが、その場合は主人公たちが使う方が効率的だ。なぜなら作中に出てくる主人公たち以外の人物全員に使わないと言葉が通じないからだ。

 なので規格を直すのであれば、当然数の少ない日本側を修正する方がよく、イルリハラン側に日本の規格を渡しても大きくは変わらない。

 もちろん一方が知って一方が知らないのは不公平だから、結果的に日本が変えないとならなくとも、渡すのが礼儀である。


「……エルマ大使」

 終始無言であった雨宮は、腕を組みながらその三点を見ながら声をかけた。

「この電子機器は、最新型から見て何世代前ですか?」

「そこに気づきますか」

「軍人であるエルマ大使なら分かりましょう。他国に自分の国の兵器を渡す場合、必ず低スペックのを渡しますから」


 異地製のコンピュータの取得で忘れがちだが、大事な質問であることに羽熊たちは気づく。

 就職している人であればパソコンを触らない人間はまずいない。だからこそ気になるのが、目の前にあるコンピュータはいつ販売されたものか。

 一世代の違いであればまだ性能に違いはない。しかし二世代三世代と遡ると処理能力に大きな違いが生まれてくる。


 ハードにしろソフトにしろ、今年販売された物と十年前に販売された物では大きく違うから、いつ販売されたのかを知るのは重要な事だった。

 そうしないと日本はイルリハランのコンピュータのスペックを誤解して受け取ってしまう。

 別に古いものを掴まされても日本は文句を入れない。ただ何世代の物かを知りたいだけだ。


「そちらの三点は今年に販売された最新型です」

 さらに驚かされる。

「最新型ですか? なぜ?」

「科学水準が近い以上、低スペックのをお渡ししたところで最新型のスペックを推察されるだけです。圧倒的な違いがあれば考えますが、どの道規格を解析されたら同等のスペックのが作られます。であれば最初から渡しても同じです」


 例えイルリハランで十年前に発売されたコンピュータを渡しても、日本はそれを材質レベルから解析し、その仕様で日本製のを試作するだろう。この場合、全く同じ仕様になるとは限らない。提供された物より高スペックのを作ることもあり得るから、一世紀や三世紀と離れていなければ結果的に古いものを渡したところで意味がないのだ。

 少なくともこれまでの交流から、イルリハランの技術力は二〇一九年の日本と変わらないことが分かっている。あっても一年か二年の差だ。


「電源に関しては紙にイルリハランの規格を記載してあります。ニホンであれば電源の制作は造作もないでしょう」


 その紙に書いてるイルリハランのコンセントは、日本と同じで二極コンセントだ。しかし日本より大きいので専用の電源が必要である。

 電圧は百五十Vで電流は十五A。電源周波数は五十Hz。

 ちなみに日本は百V、十五A、電源周波数は五十Hzと六十Hz。


 基本的に電源周波数は一ヶ国一つで統一されるのだが、日本に限っては東日本と西日本で分かれてしまっている。これは発電機を初めて日本が導入した時、ドイツ製とアメリカ製を東西でそれぞれ導入してしまったがために分かれ、それが現代まで続いてしまっていた。

 そのため日本の電化製品はその両方の周波数で使用可能な設計が成され、奇しくも他の国でも変圧器さえあればそのまま使えるようになった経緯がある。

 日本とイルリハランの電源規格は形状と電圧以外は同じであるため、これくらいであればすぐに用意が出来るだろう。

 本当に、異星国家なのに地球の外国と接している気分になる。


「ありがとうございます。これらのお返しは、比較的速やかにさせていただきます」

「我々としましては問題ないのですが、ニホンの判断にお任せします」

 ここで善意の押し付け合いをしては永遠に終わらない。どちらかが折れるしかなく、もらえる物はもらおうとエルマ側が折れた。


「エルマ大使、二点ほどお聞きしてもよろしいですか?」

 話が一通り済み、これで終われるかと言うところで木宮がピースサインをしながら尋ねる。

「フィリア社会では常識であるレヴィロン機関の原理ですが、我々に教示してよろしかったのですか?」

「レヴィロン機関の原理開示はハウアー国王の許可あってのことです。理由としましては、早い所日本もレヴィロン機関を習得してほしいと言う考えがあるようですね」


 それはあまりにも日本を信用し過ぎであるが、そんな日本側の考えをよそに説明を続ける。

 遅かれ早かれ、日本はレヴィロン機関を製造する。これは予想ではなく確定事項で、工業力が同じであればむしろ作らない方がおかしいと言うスタンスらしい。

 であれば隠し事せず教えてしまえと言うのがハウアー国王の判断だ。もちろんリスクはある。日本がただの乗用車を飛ばすだけならかわいらしいものの、護衛艦を浮かせたりしては笑っていられない。果てにはバスタトリア砲なるものもレヴィロン機関の応用で作れるのだから、武器の原理を渡すのに等しいのだ。

 それを聞いて考えられるのが、日本の防衛力向上を促すことでイルリハランの利益に繋がること。異星国家日本よりも脅威がある可能性が高い何かが、ハウアー国王へ上がったと見れる。

 エルマはそのことの説明はしなかった。秘密か話さなかったか、なんにせよアルタランの方針も合わせ、日本観光の実績と信用、レーゲン等諸外国絡みもあり、コンピュータ贈与やレヴィロン機関原理の教示を選択したのだろう。


「原理を話してしまった以上、それをどうするかはニホンにお任せします」

「責任は重大ですね」


 ここで責任をイルリハランに押し付けるのは無礼極まりない。知ってしまった原理をどうするかは日本次第なのだ。日本が超兵器を作り、使用した責任を話したイルリハランにするわけにはいかない。使うかどうかを選択するのは日本側なのだから。

「まさか初めての会合でこれだけの情報が聞けるとは努々思っていませんでした。このことは厳重に管理し、日本の国是に基づく平和的利用するよう上に掛け合います」

 若井は力強く握り拳を作りながら断言する。

 将来の閣僚候補だけあって意識は高いのが伺えた。


「そうしていただけると、我々も話した甲斐があると言うものです。キノミヤさん、もう一点の質問はなんでしょうか」

「えーと、あ、はい。これまでのからすると一気に程度が下がるのですが、アルタランの委員会が決めた方針の六つ目、まず採択されることはないと仰っていましたが、どんな内容なのかと気になりまして」

「ああ、それですか。二つ目のアルタランが国交するように、レーゲンがイルリハランに代わってニホンと国交をすると言う案です」


 それを聞いて、場にいる全員が笑った。これまでの緊張が嘘のように大笑いで。

 確かにそれは採択されることはない。なぜ領土国で手に余るからアルタランに引き上げられるのに、ただ隣接するだけの国が国交をする。

 最後に笑って区切りもいいことから、今度こそ本日の会合は終わった。


 イルリハラン側はお辞儀をすると入り口から浮遊艇と巡視船へと飛んで行き、羽熊たちもプレハブ小屋から地面へと降りる。

 もちろん贈与された電子機器三種は、傷一つつけてはならないと一人一つ持って須田駐屯地へと入る。

 須田駐屯地も随分と基地化が進み、ユーストル側でもアスファルト舗装がされつつある。ユーストルと日本本土は跨ぐようにアスファルトが舗装され、境界線として線が横へと走っていて見極めは出来た。


 その線を跨いで基地へと入り、若井は近くの隊員にノートパソコンを手渡すとどこかに電話をかけ始める。隊員が動こうとしたら叱咤して微動だにさせない。

 ただ渡しただけだから、隊員はきっとあれがイルリハラン製であることに気づいていないだろう。形状だけで言えば本当に見分けがつかないから、なぜと頭をよぎっているかもしれない。


「羽熊さん、これらは防衛装備庁に一時預かりとなります。くれぐれも他言無用でお願いします。噂を広めたくありませんので」

 世論、特に野党はどんなものでも政府批判に使おうとする。今は一致団結していかなければならないというのに、なぜか今もなにかと佐々木総理に攻撃を仕掛けていた。

 この三機種が広まれば蜜月だ云々、ハッキング攻撃云々と攻め立てるに決まっている。


「私は言語学者です。これらの文字に関しては専門分野ですけど、使い方に関しては専門外です」

 キーボードの配置に基本ソフトで使われるプログラム言語、それらを翻訳するのは羽熊の仕事だ。つまり、今でさえ通訳とマルターニ語教本化で多忙だと言うのに、それらの翻訳も加わることになる。

「あ……」


 言って気付いて崩れたくなるのを、何とか踏みとどまる。

 と、雨宮がそっと羽熊の肩に手を乗せた。

「手伝えることがあれば俺も部下も協力するよ」

 ここで頑張れとだけなら殴っていた。

「その時は」

 羽熊は持っていたイルリハラン製タブレットを雨宮に渡して、隊舎へと戻ったのだった。


      *


 予感は的中して、その日の夜には防衛省は外局の防衛装備庁から三種のコンピュータの翻訳依頼が来た。

 コンピュータに書かれている文字を翻訳してほしいと。


「冗談でしょ?」


 その話を聞いた時に思わず出てしまった。

 なにせフォルダやファイル名の翻訳だけならまだしも、その奥にあるプログラム言語にまでするのだから無茶ぶりと言わざるを得ない。

 羽熊はプログラマーではないから、基本ソフトのプログラムなんて何もわからない。一般人と同じでプログラムを見ても大量のアルファベットの羅列にしか見えないのだ。

 そんな人間が、文字が読めるだけで仕事をしてくれと言われてもどうしろと言う話である。

 こればかりは断りを入れた。ファイル名であれば時間を見て翻訳は出来ても、プログラム言語までは出来ない。

 素直にこれで引き下がってくれればいいのに、重要性が高いので何とか出来ないかと食らい付いてくる。


 重要性が高いのは分かっていても、適材適所で出来ることと出来ないことがあるのだ。

 プログラムについて素人の羽熊が四苦八苦をするより、プログラムに強い人に確度の高い辞書を渡してチームでしてもらう方が速い。

 そして渡した以上は日本が理解できるだろうが、プログラム言語が日本語ではなく英語のように、マルターニ語以外で出来ているならお手上げだ。

 何にせよ国防軍の兵器更新にも手を貸してほしいと言われ、並列でしなければならない仕事が四つも五つもあり、昨日のような予定にない突発的な仕事もさせられる。

 はっきり言って人が出来る仕事量ではない。

 なんとか日本のためと言う意識と決意からがんばっても、何でもかんでも羽熊に頼めばいいとされては困る。


 では何のために他の言語学者や国防軍、外務省職員らが覚えようと努力しているのだ。

 羽熊はきっぱりと断りを入れて、依頼しに来た防衛省職員を追い返した。

 それによって羽熊の評価が下がろうが気にしない。むしろ下がって仕事量が少しでも減ればいい。

 こんな気分ではとても自主的な仕事をすることも出来ず、もういいやと羽熊はPXと呼称する売店で買った缶ビールを飲むことにした。


「ブラックもいいところだよ」


 それでいて国から報酬が出るわけでもない。あくまで大学から出向扱いなので、ここでいくら働こうと給料は据え置きだ。多少手当がついても雀の涙である。

「これで過労死とかしたらどうなるんだろうな」

 憤怒とストレスからネガティブな考えが過る。

 間違いなく過度な仕事をさせたとして世論や野党は防衛省と政府を攻めるだろう。ただでさえレヴィアン問題が大きくなる前までに過労死で企業が攻められているのだから、緊急事態とはいえ国がさせたとあっては何らかの責任者の処罰は避けられまい。

 この場合、一体どこで誰かは想像がつく。


「にしても、急な仕事はやめてと言ったのに、舌の根も乾かない内に来るなんて……」

 ただ、今回は外務省ではなく防衛省だし、向こうからの贈与だから仕方ないか。いや、多少なり頼らない方向で動いて、どうしようもならずに来たのならまだしも、数時間も掛からずに来るのは動いていない証拠だ。

「早い所一つでも終わらせないと」

 愚痴をこぼしても逃げ出そうとない辺り『日本人』か、と羽熊は苦笑して一缶を飲み干す。

「……美味くないな」


 いつもなら美味いのに、気分で一気に味が落ちる。

「あー……今度の休みの時は何もしないでいるかなー」

 両手を顔に当て、軽く揉み込んで眠気を払う。

「でもなー、しないと終わるのも延びるしなー」

 他の言語学者に任せる手もあるが、教本作りを任されている手前無責任な放棄は出来ないし、彼らは彼らで必要な情報を集めてもらっている。国防軍隊員と比べて資料の密度が違うから適材適所なのだ。


「教本がある程度完成したら何日か暇を貰うか」

 検疫問題が解消されたことで、須田駐屯地以外のところに自由に行き来が出来るようになった。メディアの立ち入りはまだ禁止でも関係者であれば東京でも大阪でも行けるから、一度家に帰って休むのもいいだろう。これでダメと言われたらネットに訴えてやる。

 折り畳み式のテーブルに置いてあるタバコに手を伸ばすが、喫煙所以外は禁煙なので手を引っ込める。

「……外に行くか」

 それでも落ち着きたくて、タバコを持って外へと出た。


 さすがに転移してからもうすぐ二ヶ月になると、夜間の活動は落ち着きつつある。

 まだ建設は半ばで出来てないところはあれ、軍事的心配がなくなったことで突貫で作業する必要がなくなったのだ。作業は日中だけに絞られて、夜間の音は一気に少なくなった。

 元々農地だから、緊急事態宣言解除で避難していた住民が戻っても生活音はそれほどでもない。さらに接続地域は日イ双方で自然だからさらに音がなかった。

「フゥ……静かだ」

 隊舎の外の一角で百円ライターでタバコに火をつけて一服。


 駐屯地内の明かりは普通の住宅地くらいまでに落ちて、前みたいに大量の照明を使って昼間のような明るさはもうしない。ユーストルに至っては月明かりのみだ。

 ここから少し離れたところには大使館だろう明るさを放つのが空にあり、もっと小さいラッサロンだろう明かりも見られる。

「夜間の宇宙から見たらどんなふうに明かりが見えるんだろうな」

 ふと前にネットで見た夜間の世界地図が脳裏をよぎった。


 地球の夜を宇宙から見ると海岸沿いと川沿いに明かりが密集していて、先進国は国の形が分かるくらいに明るく、逆に新興国は暗い。日本も列島であることがよく分かる。

 フィリアは地球よりはるかに広いのにその半分しか人口はない。しかも巨木か天空島しか居住しないから明かりが灯っても点々だろう。

 川沿いや海沿いに明かりが集中かも知れないが、それでも世界の大半が真っ暗なはずだ。


「羽熊、こんなところにいたのか」

 横からそんな声が掛けられて振り向く。

 そこには無地のトレーナーにジーンズとラフな格好の雨宮がいた。手にはビニール袋が握られていて、缶ビールのロゴが透けて見える。

「呑みに来たらいないからよ」

「タバコを吸いたくて」

「そんなにタバコって吸いたくなるのか? 俺は吸わないから分からないけど」

「まあウズウズはしますかね。それと落ち着きます」


 一本目がある程度無くなったので、ポケット灰皿へと入れて火を消す。

「ほら」

 と雨宮は缶ビールを一本投げて、慌てて両手で受け止める。

「うおっとと」

「へへ」

 カシュッと良い音を鳴らしながら雨宮はブルトップを開けてビールを飲む。

「っはー、うめぇ!」

 羽熊も開けて何本目かのビールを飲む。

「……で、羽熊」

「はい、なんです?」

「話聞いたけど、向こうのPCの翻訳頼まれたんだって?」


「頼まれましたけど断りました。ただでさえ忙しいのに、プログラム言語なんて見てられませんよ」

 ははと雨宮は笑う。羽熊もそっち側で笑いたい。

「俺も聞いてやりすぎだろと思ったよ。いくらなんでも頼り過ぎだ」

「だから断りました。例え誰でもこれ以上は抱えきれません」

 教授だろうが総理大臣からだろうが無理なものは無理だ。精神的ではなく能力的に出来ない。

「だな。多分この基地の中で一番働いてるのはお前だから、これ以上増やしたら突然死するぞ」

「それは俺も思ってます。今は平気でも正直いつ糸が切れるように倒れるか分かりませんし」

「装備品更新で説得を頼まれたから言えた義理じゃないけど、無理なものは無理ときっぱりしたほうがいいな。国のためと言ってもお前が倒れたら意味がない」

「急がば回れといいますしね。急ぎ過ぎて倒れて逆に遅くなったら意味ないですし」


 短期間で頑張りすぎて倒れてしまっては時間が却って掛かる。なら少し時間をかけてでも倒れずに仕事をする方が、頑張りすぎる時より早く終わる可能性があるのだ。

 可能性の話でも危険があるならば回り道をするほうが良い。

「昨日みたいなのはギリギリ妥協しますけど、PCや武器更新みたいに中長期の仕事は受けられないですね。最低でも使っても問題ないくらいの教本が出来るまでは」

「さっきも言ったけど、必要なら俺も部下も手伝うよ」

「その時は頼みます」

「それと話は少し変わるけど、向こうがPCを出したのってなにか裏があると思うか?」


「さぁ? 利害で考えるなら、渡したことでイルリハランに害が及ぶよりまだ利と考えられる状況なんじゃないんですか? アルタランの方針や、まだ日本に言えない状況とかで」

 少なくとも三種のコンピューターで日本は大きく変わる。それがイルリハランの把握している状況では、まだ渡したほうが良いと判断したと天秤に掛けたとしか思えない。

 いくらなんでも日本観光の礼やイルリハラン観光不可の詫びではつり合いが取れない。さらに政治的なプラスしてこそだから、恐らく裏に何かある。


「だろうな。前の多国籍軍みたいに、何かしらの企みがまたここに向かってるんだろ」

「でもそれなら技術者に直接教える方が速いから、多分日本が自力で身に着けるだけの時間はあると思います」

「ほー、そういう見方も出来るな。さすが異地博士」

「ただの勘ですよ。それと異地博士はやめて」

 それくらいのこと誰だって分かることだ。羽熊は謙遜しつつビールを口に含む。

 いつもなら美味いのに、どうしてか今夜はおいしくない。


「……そういやーよ」

「はい?」

「ルィルさんと何かあったのか?」

 突然の事で息が一瞬詰まりかけた。幸い口に含んだビールは飲んだ後だったから噴き出すことはない。

「なんですいきなり。何もないですよ?」

「いやさ、今日の会合で二人のやり取りになんか違和感があってよ。変な間があったり、目を合わせたりしてなかったから」

 意外と見ている。一尉だけあって観察力はずば抜けていると見るべきか。

「何でもありませんよ」


「――あら、お二人そろってこんなところでどうしたんですか?」

 そこにスーツ姿の木宮が一人やってきた。

「木宮さん、こんばんわ。見ての通り一服と晩酌をしてます」

「こんばんわ。もうこんな時間ですのにスーツなんですか?」

 ちなみに今の時間は午後九時半である。

「今日のアレ絡みで一度本省に戻って、今帰ってきたところなんです」

「こんな時間までお疲れ様です。今日の仕事は終わりですか?」

「はい。ようやくですよ」

 トントンと木宮は自分の肩を叩いて肩こりを主張する。雨宮は手に持つビニール袋から缶ビールを取り出して手渡した。

「もう勤務時間外でしたらどうです?」

「ありがとうございます。ではいただきます」

 隊舎の中であれば男女別の規則からできないが、外であればその規則はない。三人は缶ビールを当て合って乾杯。同時に口に含む。


「ふぅ……それでお二人は何を話していたんですか? 今日の事ですか?」

「ええまあ。向こうのPCを渡してきた理由とかですね」

「やっぱりそこが気になりますか。いくらなんでも観光の礼と出来ないお詫びではつり合いが取れませんからね」

「木宮さんはなにか思うところありますか?」

「気になるところと言えば、贈与はハウアー国王が出して、日本はイルリハランにとって悪用しないと信じている。それでもって贈与自体は無償で一切の見返りを求めないの三点ですね」


 イルリハランの言葉を信じれば、そのまま日本を信用しているから感謝とお詫びとして国王が許可を出したと言える。

 けれどそれを異星国家にして初接触から二ヶ月未満に下すかと言えばどうだろう。国家承認も同じだが、本質的には今回の方が長期的に見て重要度は大きい。

 羽熊が総理大臣として、イルリハランに日本のPCを渡すだろうか。いや渡せない。いずれ渡すとしてもやはり今ではない。


「それにあの場では言いませんでしたけど、我々はアルタランの方針を直接聞いたわけではありませんからね。あくまでイルリハランから口頭なので完全に信用は出来ません」

 確かに。アルタランの方針はエルマから口頭で言われただけで、映像や公式文書で知らされたわけではない。つまり真実を含めた虚偽か、全て嘘の可能性もあるわけだ。

 ただ、悪い意味で日本を騙すならPCを渡すことはしない。

 虚偽を前提で考えれば隠す必要があるからしたことになる。

 つまり日本を想っての嘘だ。

 自国のための嘘。他国のための嘘。同じ嘘でも対象によって善悪が変わる。


「こればかりは確証のしようがありませんね。無理やりPC贈与の合理付けをするなら、アルタランの方針の真偽を、日本独自で解読して調べ上げろと言う、一種の技術的試験とも見れます」

「おお、なるほど」

 技術的試験。そういう考えはしていなかったから素直に感心する。

 人によって捉え方は違う。

「あくまで私見ですが」

 苦笑しながらビールを飲む木宮。

「ところで羽熊さん、ルィルさんとなにかありました?」


「ブッ!」

 今度は口にビールを含んでの問いに、思わず吹き出してしまった。とっさに人のいない方向に向いたので誰かに掛けることはない。

「ゴホッ! ゴホッ! 木宮さんまで、ゴホッ! なんですか。ゴホッ!」

「いえ、いつもと違って今日はなんだか態度が違う気がして」

 どうしてどいつもこいつも機微に敏感なのだ。そんなに表情や態度に出る性格ではないのに。

「やっぱり木宮さんもそう思いますか。俺も思って聞いてたんですよ」

 二人の視線が羽熊に向けられる。その眼は全く酔っているように見えなかった。

 ここで適当な嘘をついても面倒になるだけ。羽熊は長い溜息を吐いて、夢のことを話した。


「――そういうことだったんですか。でしたら態度に出るのは当然ですよね」

「告白されて断って殺されるって、そら彼女には関係なくても警戒はするな」

 夢の事を話すと、内容に対して笑うことなく二人は真面目な反応をする。

「私も学生の頃経験があります。友達と思っていた男子とデートをする夢を見たら、気にしていなかったのに気になったこと」

「夢って記憶の整理と無意識の羨望の映像化だからな。もしかして……」

「違います」

 羽熊はきっぱりと否定する。たかが夢如きでフィクションの定番を押し付けられたくない。

「俺はルィルさんのことは何とも思ってないですし、万が一向こうから好意を向けられても断ります」


 意固地でもなんでもない、純然たる本音だ。ネットやメディアがいくら騒ごうと、これだけは死んでも変えるつもりはない。

「けどさ、これから多分日本はレヴィロン機関を盛り込んだスーツみたいなのを作って、人を自在に浮かせようとするぞ。そうしたら天地生活圏の縛りも無くなるんじゃないか?」

「けどさってなんですか。そりゃ縛りは消えて交流は一層活発にはなるでしょうけど、俺はリーアンと交際する気持ちはないです」

「羽熊さん、じゃあ異星人ではなく、ルィルさんの人柄はどうなんです? 私は親しみ持てる人と思いますが」

「人柄も何も、彼女のプライベートは詮索してませんから何も知りませんよ」


 羽熊は薄情でもきっぱりと言う。これは事実だ。

 初接触から今日まで、羽熊はルィルのプライベートは年齢や所属と言ったことくらいしか聞いたことがない。彼女が何人家族で、イルリハラン王国のどこに住んでいるとか、親しい友人や恋人が今いるのか、どんなのが好みなのか彼女のことは何一つ聞いたことがない。

 それはルィルからも言えて、羽熊は彼女からプライベートの事は何一つ聞かれたことがなかった。


「彼女は我々を通した日本しか見てないです。だから別に俺でなくても、会話が普通にできれば誰でも大丈夫なはずですよ」

「それはちょっとひどくないか? じゃあ羽熊はルィルさんが二度と交流の場に来なくても平気なのかよ」

「全くの平気とはいいませんけど、残念とは思いませんよ。互いに仕事で接触しているんですから。ただ仕事の効率が悪くなるだけです」


 これは周りから白い目で見られようと関係ない。毎日と接しているから羽熊とルィルは深い仲と誤解されても、実際は淡々と互いの国の情報を交換し合っているに過ぎない。全く情がないと言えば否定するが、二度と会えなくても仕方ないで終わる。

 羽熊だって上からの指示でいつユーストルに行けなくなるのか分からないのだ。それは彼女も同じで、もっと言えば関係者全員が当てはまる。

 あくまで『仕事』として接しているのだ。『友人』としてではない。

 だから羽熊は自分で見た夢を強く否定する。


「……結構酔ってるみたいですね。一旦この話はやめましょうか」

「そうだな。いくらなんでもそらぁ……」


「おい」


 羽熊の本音を聞いて、まずいと思ったのか話を切り上げようとする二人。それがただでさえ溜まりに溜まり、もう限界以上に溜まっている堪忍袋の緒を切れさせた。

「そんなに俺とルィルさんがくっついてないと駄目なのかよ」

 まだ飲みかけの缶ビールを、力いっぱい握りしめて潰す。変に尖った部分が手のひらに食い込む。


「勝手に定番を押し付けるんじゃねーよ! なんで俺がその定番を実行しなきゃならねーんだよ! んなの勝手にやりたいやつがやれよ! ファーストコンタクターだからって義務なんてないだろうが!」


 切れて広がってしまった堪忍袋はもう締められない。溢れてくる感情が羽熊の口を動かす。


「俺はただの言語学者なんだよ! この世界の言葉を理解するだけに来てるんだよ! それがなんだ! どこもかしこもくっつくくっつくって。異星人だろ! 外見が似てても異星人だろ! エイリアンだろ! なんで史上初で接触した異星人同士が簡単に恋に落ちるんだよ! そっちの方がびっくりだよ!」


「は、羽熊さん、落ち着いて……」


「言われ続ける俺の身にもなれ! 親や知り合い、知らない奴からもくっつくかどうか聞かれてさ! 全員映画に毒され過ぎなんだよ! 出来るわけないだろ! 脚がくっついてるんだぞ! 空飛んでるんだぞ! 生活習慣全部違うんだよ! 勝手な妄想を押し付けるんじゃねぇ! そんなに定番が好きならお前らがやってみろよ!」


「羽熊!!」


 羽熊の叫びに負けないくらいの雨宮の呼びかけに、息を切らしながらギロリと睨む。


「最初に言い出したのは俺だ。怒鳴るなら俺に向かって怒鳴れ」


「…………ちょっと頭冷やしてきます」


 叫ぶだけ叫んだことで、我に返った羽熊は軽く会釈してその場を離れた。


      *


 羽熊が建物の陰に隠れると、周りでは何事かと隊員たちがのぞき見している。

「あー、何でもないから戻ってくれ」


 雨宮はシッシとばかりに手を軽く振って隊員たちを散開させる。


「木宮さん、すみません。戻って来て早々にこんなことになって」

「いえ、驚きはしましたけど別になんてことありません。怒鳴られることは多々あるので」


 そういう木宮は、確かになんてことない顔をしている。


「それより、あそこまでキレた羽熊さん初めてみました。いつも温厚な方でしたのに」

「相当ストレスが溜まっているんだと思います。ここに来てから昨日以外だと外に出ていませんし、ただでさえ休日を削って仕事をして、昨日のように突発的な仕事や他の依頼とか来てますから」

「そうですね。昨日言われました。突発的な仕事はしないでほしいと」

「ここはまだ娯楽が充実してないですからね。その上閉鎖環境で国の存続に関わる仕事をしていれば、まあ溜まりますよ。色々と」

「ただでさえ追い詰められているのを我慢していたのに、私たちが爆発させてしまったんですね。悪いことをしました」


 こればかりは雨宮達が悪く、羽熊を攻めることは決してできない。

 雨宮達国防軍や、木宮達各省庁の職員たちも全力で働いているが、羽熊とでは心構え自体が違うのだ。雨宮達は『日本のため』を基準にして働いているのに対して、羽熊は元々は学者で日本のためというわけではなかった。それを無理やり日本のためにと意識を持って働いているのだから、その疲労度は倍以上かかる。

 しかも有能なばかりに多方面から頼られ、それを自覚しているから出来る限り応えようと受け入れた。そして疲労とストレスばかりが溜まり、不注意から爆発させてしまった。

 今ので少しは冷えたとしてもほんのわずかだ。きっとすぐに限界が来る。


「……酒飲んじまったけど、なんとかしてみるか」

「なんとかとは?」

「一週間は無理でも、何日かまとまった休みを羽熊に与えるべきだと思います。じゃないと多分駄目になります」


 その駄目とは、過労で倒れるではなく職務放棄としての意味だ。

 過労で倒れるのもまずいが、職務放棄の方がかなりまずい。

 前者は肉体の方だから回復すればすぐに再開できても、後者は精神面だから最悪一生仕事が出来ない可能性が出てくる。言ってしまえばうつ状態だ。


「そうですね。私も賛成です」

「それじゃあ――」

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