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陸上の渚 ~異星国家日本の外交~  作者: 龍乃光輝
第二章 政戦編 全35話
32/192

第28話 『未来の日本』

 テレビをつけると全チャンネルで入国したイルリハラン人の特別報道をしていた。

 とはいえ『観光』として来ているためメディアが密着するわけにはいかず、映し出されるルィル達イルリハラン人の映像は一般人サイドから見られるものばかりだ。

 インタビューはもちろん出来ず、近づこうものなら警察官に止められてしまう。

 言ってしまえばVIP待遇だ。


 異星人の平和的にして合法の初入国ともなればして当然とも言える。ここで万が一にもトラブルになり、日イで問題が起きれば大変まずい。イルリハランに見放されれば日本が終わってしまうのだから、過剰な対応してようやく安心できる。

 ネットでもお祭り騒ぎだ。いったいどうやって撮ったのか鮮明な顔写真を個人ことにアップをして、テレビでさらされているルィルやリィア等複数名も添付されていた。

 さすが交流当初から知られ、日本人から見ても美人であることからルィルの人気は相当だ。イルリハラン人と検索するだけでも大量のルィルの写真が出てくる。

 ただ、その写真は交流時と今回の観光の写真だけだから似たり寄ったりの構図だ。今回の観光でかなり変わるだろう。


 ルィルからすれば困惑の極みだろうが、日本側からすればイルリハラン人への偏見を限りなく減らせる要因になったのは間違いない。

 異星人、二メートルを超す身長、黄緑色に発光する髪、なにより一本脚と言う日本側からすれば異形尽くしでも、ルィルと言う美女を多く報道番組が流したことで国民に受け入れやすくし、異星国家日本を国家承認してくれた礼もあって、いざ入国をしても体型で不安がられることはほとんどなかった。

 午前九時過ぎ、テレビの報道カメラは宿泊施設である帝王ホテルから出てくるルィルたちを捉えた。


『今いる場所はイルリハラン人の方々が宿泊している帝王ホテルから五十メートルほど離れたビルの屋上です』

 ズームした画面が引くと男性リポーターが現れ、今いる場所を説明する。

『ホテルの敷地内へは観光の名目での来日と、警備の関係から入れないためこの場所からリポートをしています。昨日来日したイルリハラン人の方々は、接続地域である茨城県神栖市から入国。銀座のパレードを経たあと皇居、永田町、池袋、新宿など都内を一周して午後六時二十分帝王ホテルへと入っていきました。外務省が発表した情報によりますと、食事は特別なものではなく一般の方々が食している物を。宿泊した部屋に関しては非公開とのことです』


 ホテルを都内でも有数の高級ホテルにしたのは、VIP待遇の来日外国人ならまず泊まるところに加え、守秘義務が徹底されているからにある。もしどの部屋に泊まったのか知られたら、異星人が泊まった部屋としてトラブルの火種になりかねない。それもあってホテル側にとっては喜んでいいのか困惑していいのか分からないが、帝王ホテルへと決めたのだった。


『外務省の発表では、本日の観光先は上野の東都動物園と池袋のサンライズ水族館。詳細は不明ですが明日は遊園地又は美術館に行くと言う情報が出ております』


 日本はちゃんと異星人を理解して観光場所を選んでいる。異星人なのだから、同じ異星人である日本人だけでなく動物たちも見たいものだ。そう言う考えでは動物園と水族館は相応しいと言えた。

 ただ、遊園地は普段人が体験しない速度を経験する施設だ。普段から空を飛び、ジェットコースター以上に動き回る彼らが楽しめるとは少し思えない。しかも屋上遊園地ならまだしも、地面にある遊園地では彼らの負担は相当なものだろう。

 そういう意味では動物園も辛いか。

 非番の雨宮は自室で報道を見ながらそう考える。


 リィアやルィルたちが抱く地面にいる恐怖は、日本人サイドで言えば昔に人食いザメが生息した海面に浮き輪又はゴムボートでいるようなものだ。例え人食いザメがいなくとも、底が見えず陸も見えない海面にいれば尋常ではない恐怖を感じるだろう。

「さすがに敷地内じゃあな」

 知る限り個人の高さを三メートル強高くしたうえで自在に移動できる乗り物はない。

 当たり前だがそんな乗り物への需要がなく、三メートルに人の座高を足して入れる建物もないからだ。

 世界にはキテレツな乗り物があるから探せばあるだろうが、あくまで地球の話で日本ではさすがに脚立程度しかないだろう。しかしそれでは二メートル未満の背丈で設計された日本社会では生活できない。


「異星の動物が見れる興奮で薄れりゃいいが……」

 まあ無理だろうと、望遠で映し出される帝王ホテルから出てくるイルリハラン人たちの表情を見ながら雨宮は思った。

 安全を保障しているとはいえ異星国家の首都に来て、移動手段を奪われて本能的に恐れる地面のそばを長時間移動するのだ。

 いくら精神的な訓練を重ねている軍人でも、その疲労は想像をはるかに超えるものだろう。

 顔を見るだけでげっそりしているのがよくわかる。


『ホテルから出てくるイルリハラン人の方々ですが、顔色があまりよろしくないみたいですね』

 あからさまに表情に出ているため、テレビの中のスタジオにいるアナウンサーがそのことに気づいて尋ねる。

『……はい。国家承認したとはいえ異星国家の首都に滞在。三十万人規模の観衆によるパレード。母国の保護をすぐに受けられず、武器の携帯も出来ないことから精神的疲労が想像以上と思われます』

『ホテルの中でなにかあった可能性は考えられますか?』

『帝王ホテルは現在貸し切り状態でありまして、中の様子は何一つ分かりません。ですが、リーアンに対して人権が法的に保護されている今、非人道的なことは出来ないと思われます』


 観光として来たのに疲労感を漂わせて出てくれば、何かあったと知らない側は思っても無理はない。

 ちなみに憔悴した主な原因であるグイボラのことはまだ伏せている。すでに絶滅し、移動には地中にあるフォロンが必要な事から、例えわずかに生息していたとしても日本に出現することはありえない。


 しかし、絶滅したとはいえ人食い動物が何億匹もいたとなれば不安は過る。リーアンは空を飛べても日本人は誰も飛べないのだ。百年間発見されてないとしても、いるかもと考えるのが自然で、不用意な不安を広げないためにももうしばらくは秘匿される。

 ただ、この手の機密と言うのは漏れやすいから、せいぜい一ヶ月から数ヶ月くらいだろう。


「雨宮一尉、雨宮一尉、ご在室ですか?」

 ノックと共に誰かが声をかけて来た。

「ん? ああ」

 腰かけていたベッドから立ち上がって戸を開ける。外にいたのは課業中の二等陸士だった。

「お休みのところ申し訳ありません。穎原司令より司令室に来るようにとのことです」

「司令から? 要件は?」

「詳しくは聞いていません」

「分かった。すぐに行く」

「はっ」


 二士は敬礼をすると離れていき、雨宮は部屋に戻って制服に袖を通す。

 突然の呼び出し。それも直々の上官ではなく司令官となると不始末等のことではない。

 良い話か悪い話かは分からないが、重大な要件での呼び出しなのは間違いないだろう。

 正直言って緊張する。前もって分かっていればまだ心の整理が出来ても、突然は畏怖ものだ。

 が、逃げるなんてことは何があっても出来ず、制服に着替えた雨宮は自室を出て司令室へと直行する。

 官舎から司令部へと入り、司令室の前で数秒息を整えノックをする。


「雨宮一尉、入ります」

 戸を開けると、応接室も兼ねる司令室には穎原陸将の他二人の自衛官がいた。

 雨宮はすぐに敬礼をして、中にいる自衛官の階級を見る。

 一等空尉と三等海佐。空自と海自の幹部だ。

「来たな。非番のところすまんな」

「いえ」

「まずは座りたまえ」

「はっ」

 言われて雨宮はソファーに腰かけ、陸海空の幹部自衛官が向かい合う構図となる。


 統合任務部隊として陸海空の自衛隊が活動をすることはあるが、なにか空気が違う。

「……さて、まずは自己紹介と行こうか」

 穎原陸将は視線を三等海佐へと向ける。


「自分は伊草俊夫(いぐさとしお)三等海佐。第一護衛隊群、第一護衛隊所属、DDG‐185護衛艦〝ひえい〟副長をしております」

美藤令仁(みふじれいじ)一等空尉。百里基地第7航空団、新設第401飛行隊所属、F‐22のパイロットです」

雨宮啓太(あまみやけいた)一等陸尉。接続地域こと須田駐屯地、偵察第七隊隊長をしていました」


 自己紹介をして気付く。三人とも異地に関わりのある自衛官だ。

「F‐22……美藤さん、ひょっとしてあの日レーゲンの飛行艦に襲われた時に駆けつけてくれた?」

 自己紹介の声から当時の無線の声が呼び出されて雨宮は尋ねた。

「はい。全弾撃ち尽くしてしまったため最後まで支援出来ませんでしたが、当時第七隊に通信をしたのは自分です」

「そうでしたか。あのトキコールには緊張を和らげてもらいました」

「まさかニッポニアニッポンで返すとは思っていませんでしたが、我々もそれでいつも以上の緊張を和らげることが出来ました」


「護衛艦〝ひえい〟としましても、敵艦へのデータ入力は済ませていました。命令がなかったため発射こそ出来ませんでしたが、我々も陸自を見守っていました」

 つまり三人ともあの日から異地に関わっている。守る事こそが仕事であるため顔を合わすことをせず、礼を言い合うことはないがようやく言えた。

「思い出話はその辺でいいだろう。それ以上の話はあとにしてくれ」

 印象の強すぎる日の出来事だったために思い出話に耽りそうになり、穎原司令の言葉で我に戻る。


「今日貴官らに集まってもらったのは、まだ草案レベルだが防衛大綱が定まったからだ」

 少しはぐらかすように言う司令の言葉を聞いて、雨宮はなんとなく何を言いたいのか察した。

「結論から言ってしまおうか。政府は異地のレヴィロン機関を取り入れ、装備品の大規模な更新をする考えがある。もしかしたら自衛隊の改組もあると言うことだ」

「装備の異地仕様への更新、でありますか?」

「そうだ。レヴィロン機関を研究し、日本式の民間と軍用両方の新エンジンを開発。既存装備の改修と新規設計の二パターンで更新していく」


 いずれはそうなっていく考えはあったものの、まだレヴィニウムの研究が始まったばかりで出すとは思わなかった。

 司令の説明を受け、伊草三佐が手を上げる。

「穎原司令、ですが我が国で浮遊可能領域は海から十キロのところまでであります。装備品の浮遊化をしたところで、活動範囲がそれだけでは宝の持ち腐れでは?」

「そう考えるのが普通だな。だが政府の予想では、十年以内にはユーストル全域で国防軍の行動が可能になる考えが高いらしい」

 その考えはさすがに驚く。フォロンが大量に眠るかもしれないユーストルの地で、素性を理解されきってない異星国家が活動することを誰が認める。

 日本的で言えば尖閣諸島付近を中国軍が平然と活動できるようになるようなものだ。さらに侵略行為云々も言われかねない。


「驚くのも無理はないが、防衛を考えるとイルリハランも飲まざるを得ない可能性がある。なにせ、本来のラッサロン天空基地の防衛範囲は三千万平方キロ。アメリカ合衆国三つ分の面積をあの基地だけでカバーしているんだ。ユーストルだけを防衛をするわけにはいかず、かといって人口や予算の問題からすぐには代替基地の準備は難しいだろう」

 イルリハラン王国の人口は七千八百万人に対して有する領土は地球の総面積と同等だ。その比率の違いが防衛範囲の広大さに繋がる。


 国防軍は約三十万人で日本のみだが、ラッサロン天空基地に限ればユーストルのみでなくアメリカの三倍の面積を一つの基地五万人で守っていたのだ。つまり常に防衛には粗があり、今は日本関係でユーストルのみだが、今まで守っていたところは他の基地がカバーしていることで粗さはさらにひどくなっている。

 だがユーストル専属で守る基地をすぐに用意も出来まい。ラッサロンと同等かそれ以上の基地と装備、人員を用意しなければならないのだ。


「仮説通りこの地に大量の結晶フォロンが眠っているのなら、レーゲンだけでなく世界各国から狙われる可能性が高い。今は国家承認による慣習法で軍事力投入が無理だが、解除後に戦闘になればイルリハラン一ヶ国だけで防衛は困難だ。であれば利害の一致から日本に共同防衛を打診する可能性が高いというのが政府の予想だ」


「ですが、石油をはるかに超す世界的戦略物質が眠る地を、突然転移してきた日本に防衛の肩代わりをさせますでしょうか」

「ユーストル防衛の確度を高めるなら、一基地を専属で置くと同時に国家レベルの軍事力を投入できる日本も足すべきだろう。まあ、あくまで予想だからイルリハランのみで防衛をすると言うかもしれんがな」

「ではなぜレヴィニウムの研究が始まったばかりの時期から装備品更新の話を? いくらなんでも皮算用では?」


「更新にしろ新規建造にしろ、第一世代が完成するのはおそらく十年から二十年後になる。五年や八年目に共同防衛の話が来て始めては遅い。ならば準備だけでも今から行い、可能な限り早めに完成させる必要があるんだ」

「そうですね。戦闘機は二十年三十年は掛かります」

「護衛艦も発注から就役まで五年は掛かります。全く新しい概念で新規設計となると、試験艦〝あすか〟に機関や装備を搭載するよりは新規の試験艦が必要なので十数年は必要ですね。さすがにぶっつけ本番とはいかないでしょうし」


「陸海空全部するとなると予算降りないのでは? 装備品だけで軽く兆を超す金額になりそうですが……」

 ただでさえ軍は金を使う。護衛艦は一隻数百億から千億を超し、戦闘機も一機で百億もする。戦車も十億の上に三十万人以上の隊員の人件費。さらに小銃など細かい装備品と維持費で年間五兆円以上を使っている。

 もし多くの装備の浮遊化への改修と新規設計、建造ともなると十倍以上は跳ね上がる。

 防衛省の天敵である財務省が立ちふさがるのは当然だし、軍拡として国防軍批判派が叫ぶのは間違いない。それだけでなく国民も批判するだろう。


「いや、結晶フォロンがあるのなら、その採掘が特需となって大量の外貨が得られる。大半はイルリハランが持っていくだろうが、たった二百キロで一般会計予算ならそれでも十分な外貨が入るだろう」

「そもそも結晶フォロンの採掘が日本の収入になりますか? 今までのラッサロン天空基地の経費、今後のユーストル防衛費や輸入品代わりに全部収めろと言う可能性もあるのでは?」


 日本はイルリハランに大きな貸りがある。個人同士ならうやむやにできても、国同士は大変うるさい。ねちねちと言われかねず、それが地球時代でのとある国との問題点になった。

「そこは政府間の交渉に委ねるほかないが、採掘しないと言う選択もある。現状、地下に抵抗のない人材を向こうは喉から手が出るほど欲しく、その見返りが莫大であれば幾ばくかは許容するはずだ」

「……穎原司令、それで自分たちはなにを?」

 雨宮は集められた理由を聞く。


「貴官ら三人は異地兵器への対抗策を講じるため、可能な限りイルリハラン軍と交流をしてもらう。地上戦を主とする地球の戦い方と、航空戦を主とする異地の戦い方は異なるからな。新装備や浮遊化改修は必要だが、対異地戦確立の方が急務だ。だから三人は陸海空の目線から異地兵器を調べて効果的な案を出してほしい」

 今日まで日本はレーゲン軍と多国籍軍が発射したミサイルの迎撃しかしておらず、本格的な戦闘を行っていない。先のラッサロン艦隊との戦闘データは集めているだろうが、性能面からして分からないことだらけだ。


 それを知らなければ日本側は対抗策を取りようがないし、その先である浮遊化も出来るわけがない。つまり、これが集められた本題。

 もちろん防衛省や外局である防衛装備庁も全力でするだろうが、特に異地兵器に関わりを持つ雨宮達は中核になれるよう尽力しろということだ。

 異地の慣習法では国家承認から二年間は不戦が守られる。逆に言えばタイムリミットは八百日を切っており、それまでに最低でもイルリハラン軍と共に日本を守れるための対空防衛を確立しないとならない。

「それで本格的に予算が降りて対策に乗り出す際は、防衛装備庁へ出向してもらう」

「防装庁へでありますか」

「ああ。そこで縦割りを無視した官民共同チームを結成する。名称はまあ役所的なものになるだろうが、少なくともそこまではほぼ決定だ。だから結成するまでには各々勉強をして役立てるようにしてくれ」


 チーム発足はレヴィロン機関の調査が終わる頃。レヴィロン機関は大きければ特級天空島から小さいとテーブルなどに使われる。もしレヴィロン機関が地球のモーター的な扱いならば基本的構造を把握するのはそう困難ではないはずだ。

 ならすぐに動かなければ無能のまま出向することになる。

「異地兵器を探る……かなり難しいですね」

 当たり前だが兵器は絶対に公表できない機密部分が存在する。分かりやすく言えば核兵器だろう。爆弾と言う外見的特徴や被害範囲の数字は説明できても、原料や原理、内部構造などは現段階では絶対に説明できない。

 こればかりは信用云々の問題ではなく、金を積めば済む話でもない。


「そうだな。日イ安保のような条約を結ばない限り、表面上のスペックしか見せないだろう」

 軍事情報の解禁には政治的やり取りが欠かせない。それが条約であり協定だ。

 少なくとも提出したデータを責任もって管理する確約がないと、外見的資料は得られても内部的資料はまず得られないだろう。

「しかしそれを理由にしないわけにもいかない。難しいだろうが他の自衛官以上の情報を得られるよう尽力してくれ」

 陸将から言われて断ることは出来ない。

 雨宮達三自衛官は「はい」と答えた。

「話は以上だ。雨宮一尉以外は退室してくれ」


 まだなにかあるのか。雨宮は内心思うも顔には出さず、美藤一尉と伊草三佐が敬礼をして退室していくのを待った。

「それで司令、自分に何か?」

「重い話ではないんだ。今話した防装庁で設置するチームメンバーでな、言語部門として羽熊博士も入れてほしいと言う話が来ているんだ」

「羽熊博士もですか。確かにマルターニ語を理解している人がいれば、イルリハラン軍から提供されるかもしれない資料を深く読むことが出来ますね」

 まだ文字を習い始めたところだが、羽熊の理解力ならすぐに読み書きできるようになるだろう。あれだけ短期間でしゃべれるようになるのだから紛れもない天才と言える。


「そうなんだ。なんだが、昨夜にこの話をした時に難色を示されてな。大学へはさすがに打診していないから向こう側から頼むことはまだ出来ない上に、大学から言われても断るとも言われてしまった」

「……羽熊博士はあくまで異地の言葉の早期理解を目的として来ていますから、それ以上の仕事は避けたいのだと思います。それにもう一か月半以上ここで生活していますから、娯楽が少ない生活でストレスも溜まっているのでしょう」

 羽熊は国防軍所属ではなく国立大学の准教授だ。日本のためとして仕事をしても、司令から話された仕事とは意味合いが大きく違う。

 羽熊は言葉による日本防衛をして、国防軍は武力による日本防衛だから羽熊が拒絶するのは分かる。

 初調査から今日まで羽熊は武力による日本防衛を一切していない。終始言葉で日本を救おうとしている文人なのに、武力による日本防衛に加担するのは心理的に嫌なのかもしれない。

 雨宮は羽熊ではないから彼の考えは分からないが、彼を頼りすぎるのは危険であることは分かる。


「雨宮一尉、なんとか羽熊博士を説得できないか? 彼とはよく呑んでいるんだろう?」

 なぜそれを知っているかは聞かない。

「命令とあればしますが、保証は出来ませんよ? 羽熊博士はああして頑固なところがありますから」

「やってくれ。今は少しでも優秀な人材が必要なんだ」

「分かりました」

 気は引けるが必要な事であることは理解できる。言語に於いてマルターニ語を理解しているのは日本人では羽熊だけだ。彼の理解度を百とすれば、他の言語学者や隊員はせいぜい五十から六十程度。時間が経てば皆追いつくとしても、さらに先に進んでしまうから他の省庁からもオファーは殺到だろう。

 そこで雨宮は、羽熊が断った理由の一つに当たりをつけた。


 司令室から出た雨宮は隊舎へと戻り、そのまま羽熊の部屋へと向かった。

 基本的に羽熊と雨宮は共に行動するから非番が重なる。とは言えマルターニ語を理解するためにいることから、非番だろうと仕事をしない日はないらしい。

 課業中はマルターニ語を習い、帰投後や非番では教本化に他の学者たちと懇談会など様々な仕事をしている。

 常にいるわけではないから知らないが、多分多国籍軍襲撃くらいしか休んでないかもしれない。

 学者たちが集中している区画に着いた雨宮は、羽熊の表札のあるドアをノックする。

 すると中から「ちょっと待って下さい」と返事が聞こえ、二十秒ほど待つとドアが開いた。


「雨宮さん、どうかしたんですか?」

 目の下に隈を作りつつ羽熊が出てくる。一体一日に何時間しか寝ていないのだろう。

「いま時間大丈夫か? ちょっと話があるんだが」

「いいですよ。中にどうぞ」

 案内されて部屋に入ると、そこは学者らしいと言うのだろうか。隊員は規則正しく整理整頓、清掃を義務付けられて徹底的に入隊当時はそこを教育されるが、学者たちまでそこは強要されない。

 よって部屋は書類だらけで本や書類がいくつも塔を作り、栄養ドリンクや缶コーヒーがまとめられたビニール袋が散乱していた。

 もしこれを教官が見たら想像を絶する罰がくるだろう。

「すみませんね、部屋汚くて。掃除をしようとは思ってるんですけど、中々時間とモチベーションが取れなくて」


「いやぁ、学者らしい部屋ではあるかな」

「他の隊員が来た時も同じ顔をしてましたよ」

 そう言われて雨宮は表情を整える。

「今日は休みなのに仕事を?」

「仕事と言えば微妙ですが、大学からこれまでの経緯を論文か書籍形式で出すようにと言われましてね。もちろん防衛省の添削は絶対ですが、多分本として売るんじゃないかと思ってます」


 最前線で活躍する学者が書いた本。防衛省や外務省が発表する情報以上が知れるなら、出せば相当売れるだろう。大学もそれを見越して指示を出したか。となれば出版社も相当オファーが来ているかもしれない。

「どうぞ」

 部屋の中央にあるテーブルの周囲を整理して促し、雨宮は腰を下ろす。

「それで話と言うのは、防衛装備庁の武器更新の件ですか?」

「分かりますか」

「雨宮さんが呑み以外で話をしに来るなんて初めてですからね。であれば想像できますよ」

 分かっているなら回りくどく言う必要はない。

「実は俺も防衛装備庁への出向を命じられて、羽熊さんへの説得も命じられたんだ」

 ふむと羽熊は腕を組む。


「俺が昨日司令官さんから聞かされたのは、本格的に異地兵器対策に乗り出すので防衛装備庁で結成するチームに参加して、異地兵器に書いてある文字や軍人からやんわりと情報を聞き出せないか。今は無理でも資料が渡されたらそれを出来る限り正確に翻訳してほしいとのことです。それとその後日本製の異地仕様の兵器を開発する際、国防軍と一緒に正確で濃密なコミュニケーションをしてほしいとのことでした」

 国家防衛を考えればマルターニ語修了が確実な人材は欲しい。未熟な人では翻訳の際に誤訳してしまっては致命的な結果になる恐れがある。

 例えば単位を一つ間違えたりすることだ。軍事関係で数字は重要で、そこを間違えると部隊に留まらず国そのものに被害が及ぼしかねない。


「ただオファーが来ているのはそこだけじゃないんです。えーと、外務省、厚労省、東証、国交省、JAXA、公安委員会、宮内庁からも来てましたね。大手重工業も何社と来てます」

 指を折りながら羽熊は名を上げる。そのどれもが羽熊を指名するのが分からなくもないところばかりだ。

「己惚れるわけじゃないですけど、マルターニ語を一番理解しているのは俺です。日本を守るために防衛省に協力するのは分かるんですが、他の省庁の手伝いをするのもまた大事だと思うんです。断ったのは軍事は畑違いのもありますし、優先順位を考えてのことでもあります」

「……時期的に優先度が高いのは防装庁よりそっちか」

 異地兵器対策は数か月後。装備品の更新と刷新は五年以上先の見通しだ。

「もちろんマルターニ語の教本化と通訳を優先するので、他のオファーは後回しかついでですが」


 そのために来ているのだからそれ以外を優先するわけにはいかない。他の省庁からのオファーも重要度は高いが、羽熊は一人だ。どれもこれもとは出来ない。

「なら教本化が終わったらなにを?」

「優先順位の高い省庁の交流の手助けですかね。要らないと言えばそれまでですが」

「どの機関も羽熊さんくらいに喋れる人はほしいよな。信捧式を抱えてる外務省と宮内庁も必要としているし、日イの条約締結のために外務省もすぐに動きたいだろうし」

「でも俺以上に優れている人はごまんといます。今は俺だけでも、半年後には多くの人が喋れたりしますよ」


「ならなおのこと防装庁に来ても問題ないんでは?」

「そもそも一般人に毛が生えた程度しか知識もってない俺が参加したところで邪魔にしかなりませんよ。だったら防衛省内でマルターニ語を修了させる方が効率的ってものじゃない?」

「いや、この場合はむしろ素人の方がいいんだ。戦術や戦略が変わると玄人だと逆に縛られて考えが抜け出せない。測る物差しがないほうが逆に効果的な考えが生み出せることがあるんだ」

 説得を命じられた以上、あっさりと引き下がることは出来ない。出来る限り食らいつく。

「雨宮さんは自衛官だから防衛省本位なのは分かりますが、他の省庁を蔑ろには出来ませんよ。他の方が話せるようになるまでは臨機応変に動けないとなりませんから」


 それを言われてしまうと雨宮も食らいつきにくくなる。

 まだ流ちょうにマルターニ語を喋れるのは羽熊だけだ。他の人達も喋れるよう勉学をしても、手帳を見たりして数秒でしゃべれるところ数分かけたりしている。

 そうなると羽熊がいる防衛省が一日でする交流を、他の機関では二日三日掛かったりする。

 あくまで極端な例だがそれではひん死の日本にとってよろしくはない。

 だから羽熊へのオファーに多くの中央省庁や大手重工業が手を上げる。

「それに落ち着いたら一度実家や家、大学に戻りたいですし」

 さらに手痛いことを言われた。


 雨宮達は交代要員がいても羽熊は十分には揃っていない。他の言語学者が頑張ってもまだ五割程度なら羽熊が仕事をし続けるほかなく、それだけ自分の時間が奪われる。

 正確な勤労時間は分からないが確実に残業時間は月百時間を超えているはずだ。

「国のために働く、としても限度がありますよ」

 それが羽熊の目の下の隈に繋がり、雨宮は説得できないと判断した。

「そうだな。我々と違って羽熊さんは大学准教授で、元々日本のために働いているわけじゃない」

「もちろん未来のことは分からないので、今はお断りしますがその時になってもお断りするかは分かりません。今はこの返答で分かってもらえないでしょうか?」

「俺も司令には難しいとは言ってあるから、可能性があるだけ伝えとくよ」

「すみません」

「羽熊さんが謝る事じゃないよ。俺たちが頼りにし過ぎてる方が悪いんだ」

 雨宮は頭を下げる。


「本当は今観光してるルィルさん達の通訳もお願いされたんだけど、それは話が来た時に断りました。人材的に適任なんでしょうけど、さすがにこれ以上ルィルさんと関わるところを見られるとネットになにを書かれるか分かりませんしね」

「あー、結構書かれてたな。うらやまけしからんとかリア充爆発しろとか。逆に応援の声もあったっけか」

「応援も何もないから。いっそ会見を開いて否定したいくらいですよ」

「いや、それはやめた方がいいな。返って火に油を注ぐことになる」

 ネットの声で会見を開くと変な解釈を生んでより手に負えなくなる。どういうわけか、ネットの声は公式声明とは逆の解釈をすることが多々ある。

「その場合は何も言わないのが解決法の一つだから、ネットの声への反応はやめたほうがいい」

「ええ、それは分かってます。あくまで気持ちですよ、気持ち」

「じゃあ俺は戻るよ。悪かったな。時間を取らせて」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 これ以上長居しても羽熊の時間を奪うだけだ。雨宮は部屋に戻ろうと立ち上がる。


「雨宮さんまた呑みましょうか」

「その時は」

 最後に軽く挨拶をしてドアノブに触れた直後。二度ノックが鳴った。

 完全な不意打ちのノックにビクつく。

「羽熊さん、すみません、木宮です」

 雨宮は羽熊を見る。

「開けてください」

 立ち上がりながら言って、雨宮はドアを開ける。

「えっ? 雨宮さん? あ、すみません。いるとは知らなくて」

 雨宮がいるとは知らなかった木宮は、驚きの表情をしながらお辞儀をする。

「いえ、自分は今から帰るところでしたので」

「そうでしたか。羽熊さん失礼します」

 すれ違うようにして雨宮は羽熊の部屋を出て、代わりに木宮が中へと入っていった。

 そしてドアを閉めた。


「……ありゃルィル絡みだな」

 なんとなくそんな予想をしつつ、雨宮は部屋へと戻ったのだった。

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