第107話『若井内閣発足』
産院を抜け出してから戻ってくるまで大体三時間ほど経っていた。
たった三時間とは到底思えず、もう三時間と言う感覚である。
それは爆発が起きてから三時間であり、本来なら羽熊は死んで三時間が過ぎたことになる。
もうこんな考えはするだけ無駄なのだが、どうしてもそう考えてしまう。
往復二キロのジョギングで全身汗だくとなり、自分でも分かるほど汗臭くなっていた。
せめてシャワーを浴びて着替えたいところ、美子に無事な姿を見せて安心もさせたい。
息を整え、鼓動が平常時に近づいたところで産院に入って美子のいる陣痛室へと向かった。
「あれ?」
三時間前までこの部屋で傷みに耐えていた美子と両親がいなくなっていた。
部屋は間違えていない。なのにいないと言うことは、考えられることは一つだけだ。
羽熊は近くにいた看護師に声をかけた。
「あの、この陣痛室にいた羽熊美子は今どちらに?」
「そこの人でしたら一時間ほど前にお子様が生まれて病室に行きましたよ」
「えっ!?」
てっきり分娩室に行ったと思っていた。
「でも初産で陣痛が始まって五時間程度ですけど……」
「初産が長いのは平均ですからね。人によっては早まることもあるんですよ」
「そうですか……あのどこの病室か調べてもらっていいですか? 私は羽熊美子の夫です」
結局事件現場に近づくことも出来ず、出産に立ち会うことも出来ず、状況に振り回されっぱなしとなってしまった。
案内された病室には羽熊美子と名札が差さっており、羽熊は戸を開けた。
「洋一!」
入るなり声を荒げたのは羽熊の母であった。
「アンタ無事なの!?」
「何もないよ。何もなくなってたよ」
「あなた……」
「美子、ごめんな、大事な時に側に離れて」
ベッドには美子が横たわり、不安そうな顔で羽熊の声をかける。
今朝まで大きくなっていたお腹は無くなっていた。
「ううん。行ってって言ったのは私の方だから。でも戻って来てくれてよかった。私、なにかあったのか分からなくて、分かったら急に怖くなって……」
それで出産が早まってしまったようだ。
「ごめん」
「ちゃんと生きてるんだよね? お化けじゃないよね?」
美子は横たわったまま手を持ち上げ、その手を優しく両手で握る。
「ほら、この通り」
「……会場にいた人達、みんな亡くなったの?」
「近くには行けなかったけど、多分ね」
「もし亜季が生まれなかったらあなたも?」
「…………」
「どうして……」
「分からない」
重い沈黙が病室を包み込む。
ただでさえ出産でストレスが溜まっていると言うのに、これ以上のストレスを与えるのは良くない。
「亜季は今どこに?」
「新生児室よ。2980gでどこも異常はないって」
「そっか。見てきていいかな?」
「もちろん」
そう美子は言っても羽熊の手を握る手を放そうとしない。
美子もまた本来なら羽熊は死んでいると言う考えをして不安なのだろう。
「すぐに戻るよ。この病院からは一歩も出ないから」
「……うん」
優しく話しかけて手を離させ、美子の頭を軽く撫でてから病室を出た。
通路の案内に従って生まれたばかりの新生児が寝かされている新生児室の前についてガラス張りの中を見る。
新生児室には今日生まれた新生児がベッドの上に置かれて眠っていて、十数人いる中で羽熊亜季と名札があるベッドがあった。
一目で自分たちの子供と分かる特徴が顔に出ている、かわいらしい女の子だ。
「こんにちは、亜季」
正真正銘羽熊と美子の子供であり、命の恩人だ。
「生まれて来てくれてありがとう」
今は抱きしめ上げることは出来ないけれど、これから沢山抱きしめよう。
涙腺が緩んで涙が出そうになるのを堪え、そのかわいらしい顔に無理をしてでも微笑みを作った。
日本にとって最悪の日となってしまったが、羽熊にとっては最良の日だ。
周りから不謹慎と言われようと、愛しき我が子が生まれて悲しむ顔はしたくない。
そう思いながら亜季に慈愛の目線を送り、美子を不安させまいと病室へと戻ることにした。
「ただいま」
「おかえり、かわいかったでしょ」
「めちゃくちゃね」
「洋一、大変なことになっちゃったけど、おめでとう。間違っても美子ちゃんと亜季ちゃんを泣かせるんじゃないよ」
「もちろん」
羽熊母の言葉に強く頷いて答える。
「……美子、お母さん考えたんだけど、あなたたちの家って接続地域の近くじゃない? もしまたテロが起きたら怖いから、しばらくの間こっちに戻ってこない? そうすれば子育ての手伝いも出来るし」
親として当然の心配だ。これで最後と言う保証がないのだから、テロ現場に近い所より少しでも遠い内陸に連れていきたくなる。
羽熊自身も政府に協力を求められ、接続地域よりは東京にいるだろうからその方が心情的で合理的だ。
「ううん。ここに残るよ」
しかし美子は拒否した。
「異地に住んでるわけじゃないから、避難指示が出たら行くけどそれまでは家にいるよ。あそこが私と洋一さん、亜季の家だから」
「そう、あなたがそう決めたのならそれ以上は言わないけど、不安だったらすぐに戻って来なさいよ?」
「うん。ありがとう」
「お父さん、洋一も無事に戻ってきたことだし、亜季ちゃんも生まれたから帰りましょう」
「そうだな。きっと渋滞してるだろうしな。鍬田さん、旦那さんは先に仕事に戻ったので、良ければ家まで送りますが」
鍬田父は一足先に防衛省へと行ってしまい、鍬田母の帰る足がない。よって同じく車で来ていた羽熊父が提案する。
「よければお願いできますでしょうか。ガソリン代はお支払いします」
羽熊家の実家は神奈川県にある。鍬田家は東京だから、少しの遠回りで鍬田母を家に送ることが出来た。
「いえいえ大丈夫ですよ」
「うちに泊まっていってもいいんだけど」
「いや帰るよ。お前のことだからこのテロのことで政府からなにか来るかもしれないだろ? 親でも部外者がいたら何かとやりにくいだろうから帰るよ」
実はすでに頼まれているのだが、美子の手前肯定はしない。
「洋一、大変なことが起きても気落ちするな。お前は生き残ってもお前のせいでそうなったわけじゃないんだからな」
仮説が正しければターゲットになっているから、羽熊のせいと言えてしまい素直に頷けないが、そこは嘘をついてでも肯定をする。
「それじゃあね美子、いつでも連絡を頂戴」
「気を付けてね」
「それはこっちのセリフよ。洋一さん、娘と孫をお願いします」
「全力でお守りします」
そうして三人は病室を出ていき、羽熊は二人っきりになったことで丸椅子に腰を下ろした。
「あなた……」
「ちょっと疲れちゃってね。美子の方が大変だったのに」
「私は色々な人が側にいたから大丈夫。でもあなたの方は……」
「いや、俺も君と亜季のお陰で生き延びたから、複雑でも生きてるのがうれしいよ。じゃなかったら、二人の顔を見ることが出来なかったからね」
災害や事故から生き延びた人は、死んだ人を思って罪悪感に苛まれるサバイバーズ・ギルトと言う精神的ストレスがある。
例えば左右どちらかの道を歩いていただけで片方が生き残った場合、知人他人に関係なく生き延びたことを素直に喜べなくなる。
なぜなら位置が逆だっただけで死んでいたのが自分だったかもしれない。なぜ自分が生きて隣にいた人が死んでしまったのか、そうした自問自答を繰り返してしまうのだ。
まさに今の羽熊がそれで、死んだ人のためにより何かをしなければと罪悪感からくる強迫観念を抱いてしまう。
「……私は洋一さんの気持ちを知ることは出来ないけど、寄り添うことは出来るから愚痴でも悩みでも話して。多分、口に出さないと自分の中で何倍にも大きくするから」
「ありがとう」
「多分、誰にも言えない秘密もあると思う。それはもちろん聞かないけど、言えることなら言ってね」
「…………国から協力要請が来てるんだ」
今言うべきではないが、決まっていることをズルズルと後に伸ばしても言いにくくなるだけだ。羽熊はさっそく美子の言葉に甘えて、言わなければならないことを話す。
「え?」
「異地に出向くようなことじゃなくて、対策本部を立ち上げるからそこに来てくれって」
「それで、行くの?」
「若井さんが臨時総理になって、異地に詳しい人が欲しいんだってさ。美子と亜季のこともあるからどうしようかと考えたんだけど、引き受けることにしたよ」
「危なくない?」
「間違っても異地には行かないよ。もし行けって言われたら辞めるくらい、いまは行きたくはないな。出来て境界線までだよ」
「それじゃ東京に行くの?」
「どこに対策本部を設置するかだね。前と同じでここかもしれないし、東京かもしれない。もし東京なら東京に行くことになる」
「東京だったら一緒に行くよ。亜季が生まれたばかりで単身赴任なんて嫌だし、東京だったら実家から通えばいいよ」
「俺がお邪魔しても大丈夫かな」
「使ってない部屋があるから大丈夫。私たちはいつも一緒だよ」
「……分かった。じゃあ東京行きが決まったら一緒に行こう」
「うん。ねぇ、手を握らせて」
「いいよ」
美子はベッドに座った状態で手を差し出し、椅子と一緒に近寄って羽熊は優しく手を握る。
「本当に、生きててよかった。やだよ……洋一さんがいなくなるの……」
二人っきりとなったことで美子は我慢をやめた。いまにも泣き出しそうな顔をして握りしめる羽熊の手を額まで引き寄せる。
「俺もだよ。君と亜季を置いて逝くなんて嫌だ」
「本当は国の手伝いもしてほしくない」
「うん、分かってる。俺もしたくはないよ」
「六年前にあれだけがんばって、また頑張らせるなんてひどいよ」
「いや、さすがにそれは仕事だからね。一回で終わったらもう無いってことはないよ」
「……そこは共感してよ」
「したいけどね。若井さんだっていきなり総理をさせられるし、イルリハランだって未成年王族が国王に即位と大変だから、俺が愚痴ってるわけにはいかないよ」
「え? ハウアー国王には確か弟がいたんじゃないの?」
「まだ知らなかったか。イルフォルンでも爆発があって、リクト王弟も亡くなったんだ。他の国でも起きてるらしい」
「そんな……じゃあ世界同時多発テロ?」
「多分間違いない。理由は分からないけど、式典会場を中心に世界中が狙われたんだ」
「どうして……ずっと平和だったのに」
「結晶フォロンの分配比率に不満を抱いたのかもしれないし、実質日本中心に異地社会が動いてしまってるのもある。可能性を出せばキリがないよ」
日本は異星人種の特性ゆえに、地下資源の結晶フォロンの採掘事業を独占している。これは異地社会において強力な盾と矛となっていた。
それ故に機嫌を損なってしまうと、採掘を止めて流通を抑制することが出来るため本音では嫌っても建て前では友好的な態度を取るしかない。
日本と仲良くしていれば有益でも、優位性から手のひらで踊ることになるので嫌いだ。
日本を取り巻く世界情勢はそんなところで、仮説であるバーニアンだけでなくこれらも動機の一つと考えられる。
被害者も当時の超会議のメンバーと、その会議の内容を知る者たちだからターゲットにされても不思議ではない。
「東京は大丈夫かな。狙われたりしない?」
「そうした意味じゃ日本のどこにいても安全はないよ。六年前の延長戦だからね」
線ではなく戦だ。あの超会議で全ては終わらず、水面下で燻っていた火種がいま膨れ上がった。
「若井さんの話だと明日か明後日には要請が来る。一応美子たちが退院したらって言うけど、多分無理だろうね」
「時間がモノを言うからね。いいよ。お父さんとお母さんには私から話しておくから、連絡来たら実家の方に行って。退院したら私たちも行くから」
「負担をかけてごめん」
「負担よりあなたと一緒にいられない方が嫌だよ」
「今日は時間いっぱいまでいるから」
「うん」
それから羽熊と美子は空白の三時間のことについて話し合った。
もちろんバーニアンについては触れず、時折二人で亜季の様子を見ながら面会時間ギリギリまで居続けた。
*
アメリカ合衆国大統領は、その権限と権力の巨大さから命を狙われやすい。
指名手配されたテロ組織の首謀者を除き、公人の枠の中では世界で最も狙われやすい人材だ。
そのため万が一凶弾に倒れた際に、政府を残してその意向を世界に向けさせるため、権力を継承する制度がある。
それが大統領継承順位だ。
副大統領、下院議長、上院議長の順番で順位が決められ、有事の際に執務が出来ない場合大統領権限は移動していく。
日本でも同様に総理臨時代理と言う制度があり、役職による順番の規定こそないが有事や病気などで執務が執行出来ない場合は代理として権限が移動する内閣法が存在している。
概ね日本の場合は総理の次は副総理を兼任する国務大臣、次に官房長官が習わしとなっている。
今回の式典には総理と副総理両名が参加し、その両名が安否不明となった。
よって法と指定に則り、若井官房長官が繰り上げで内閣総理大臣を臨時と言う形で就任した。
若井は政治の世界では新人から中堅に差し掛かるほどで、官房長官に抜擢されたのは星務大臣を経験していることと、政権の平均年齢の若返り、注目議員を閣僚に入れることでの支持率向上など、純粋な当人の実力よりは打算的なところがあっての任命だった。
本人としても実力や実績よりは表面的な部分での入閣と分かっていたがために、せめて政権にダメージが与えないよう配慮して来た。
それが突然変わった。
式典用天空島が爆破されたと言う報告から、仮に生存していたとしても総理と副総理が職場復帰出来るとは到底考えられず、現場から送られてきた映像から死亡と断定して差し支えない判断により、内閣法9条に則り若井官房長官が内閣総理大臣臨時代理となった。
これは法に則ってと言う大義名分による押し付けに近いことを、若井は察していた。
正当な手順をもって総理となりたい議員はいても、こうした形で難問と共になる総理にはなりたくないものだ。国内問題に加えて有事に対しても抱えなければならないからだ。
それに総理と言う肩書きは得ても所詮は臨時だ。任期満了まで続けるのは夢のまた夢である以上、そんな不名誉とまでは行かずとも素直に喜べない総理にはどの閣僚もなりたくはなかった。
そもそも指定されているので若井に拒否権などなく、臨時代理として総理の肩書きを背負う他なかったのだった。
それにここで逃げては安否不明の総理と副総理、その他の巻き込まれた人々に顔向けができない。
若井が議員になったのは親が議員だったこともあるが、自分自身日本のために切磋琢磨したかったからだ。
今、それが来たとして若井は受け入れた。
そして初代総理から続く最年少総理の記録を百五十年ぶりに塗り替えてもいる。
これが美名で終わるか汚名で終わるかは若井総理の手腕に委ねられた。
「現場の天自隊員より連絡です。放射線は検知せず。核物質は検知していないとのことです」
日本史上最悪の事件が起きてから四時間が過ぎ、官邸地下にある危機管理センターにて防衛大臣が現場から上がって来た情報を、集まっている閣僚に向けて報告を上げた。
「あの爆発は核爆発によるものではないと?」
若井総理臨時代理は確認する。
「爆炎の規模から核爆発である可能性はありません。映像から推察するに広島型原爆の十分の一程度と思われます」
専門的なことを答えるのは天自幕僚長。
「キノコ雲が出来るほどの爆発は原爆以外ないと思うのだが……」
「いえ、キノコ雲は膨大な熱が水蒸気の含んだ大気に突如現れたことで発生します。条件は必要ですが、原爆でなければ起きないと言うわけではありません。ガスタンクの爆発でも発生はします」
補足として、核爆発の十分の一でも通常兵器ではまず出せない威力と説明もする。その威力を出すなら千トンクラスの爆薬が必要とのことだ。
「そうか、ありがとう」
性格からして敬語を使いたくなるが、総理として威厳は作らなければならない。
「被害者についての報告ですが、残念ながら生存者は発見できていません。被害者と思われる体の一部が発見されていますが、爆発の威力から全身が発見されることはないとのことです」
電車に引かれると全身がバラバラになる中、核爆発の十分の一でもその中心地にいれば爆圧によって体は粉々になってしまう。温度も相当なことから遺伝子情報も失われただろうと言う見解だ。
現場写真が正面のモニターに映し出されるが、粉々と言う表現が適切なほどに天空島は崩壊し、その山からは白煙が昇っている。
表現をするなら砂の山火事だ。
震災や紛争、崩落などで崩れ落ちたビルを見ることがあるが、その十倍は粉々となっていて何一つ原形をとどめてはいない。
天空島の七割以上が木造だ。それらが尋常ではない爆発で粉砕され、その木材が発火をして煙を吹いている。
天空島に使われる木材は耐火性に優れてはいるが、燃えないわけではないので燃えているのだ。
もしあの下に生存者がいたとしても、酸欠と燃焼で亡くなってしまうだろう。いや、木材より脆い人間が生存するとは考え難い。
須田空港に常備している消防車による消火活動が行われ、放物線を描く何本もの水流が瓦礫の山へと降り注ぐ。
「生存者はゼロとみて間違いないわけか」
「全力を挙げて捜索活動は続けますが、絶望的かと」
「幕僚長、本職から見てこれは軍事行為か?」
「私見でよろしければ人為的であると思っております」
天自幕僚長の言葉でセンター内がざわつく。
「皆静かに」
若井総理は作った威厳を保ちつつ幕僚長に話しを続けさせた。
「天空島はいわば地球の高層ビルがレヴィロン機関で浮遊をしていると考えてください。レヴィロン機関用の燃料の他ガス管が設置されていますが、その燃料とガスが一斉に爆発したところであの規模の爆発はなりません。ガスや燃料に加え、護衛艦に搭載している爆薬以上の量を同時爆破してあの規模となります」
「待ってくれ。あの天空島の中に、護衛艦が積んでいる武器以上の爆発物があったってことか? どうやって持ち込んだ。いくら手を抜いたとしても千トンもの爆薬物が持ち込まれれば、浮遊するのも難しいだろ」
転移してから六年も経てばレヴィロン機関については常識的な部分は浸透する。
式典用天空島は比較的小さく、比例してレヴィロン機関の出力も低く設定される。天空島と人を持ち上げる程度の出力で、千トン以上の余計な物が持ち込まれればそもそも浮くことすらできないはずだ。
「警備は警視庁が担っていましたが、担当者は全員天空島にいました……」
現場を知る人は全員、その中身を語ることが出来ない。
「総理、事件の真相よりもまずは内閣を立て直した会見をしましょう。総理と副総理が同時に死去する前代未聞の事件に国民は不安がっています。日本政府は健在であることを内外に伝えることが先決です」
笠原政権で古参であった閣僚が、まずするべきことを述べた。
総理と副総理兼星務大臣が安否不明であるで、官房長官と星務大臣に穴が開いてしまった。すでに適当な人材に打診をしており、了承を得たところで速やかに若井内閣として会見を開く必要がある。
政治的空白は有事の際には極めて国家として脆弱を見せてしまう。いくら現場で活動する人材は揃っていても、人間で言う頭脳が停止してしまえば末端の手足は動かしようがないのと同じことだからだ。
「……会見は午後六時に行う。それと皆さん、聞いてください」
若井総理は威厳を崩した口調で言い、立ち上がった。
閣僚及び職員が若井を見る。
「知っての通り、私は代理順位によって成っただけで、まだ総理を務めるには若いです。建前としてそうではないと言うでしょうが、本音では若すぎるや不安を覚えているのは分かっています。しかし、私が総理臨時代理を指定されている以上、逃げるわけにはいきません。逃げるつもりもありません。笠原総理が私を官房長官に指名し、臨時代理二位に指定した思いを引き継がなければならないのです。そして佐々木元総理と大勢の方が守った日本を壊すわけにはいきません。ここにいる全員の協力が不可欠です。私に対する考えはどうあれ、ここにいる全員、政権を守るのではなく日本を守るために全力を挙げてください」
若井総理は深々と頭を下げた。
年齢故に頭は下げやすくとも肩書きは総理だ。そうした態度は断じてしてはならないのだが、そのことについて咎める人は誰もいない。
奇しくも若さがその行為を許容させた。
「この事件解決するための全責任を私は負います。支持率や次の選挙を忘れ、どうか力を貸してください。私からは以上です」
これは決して国民に見せるわけには行かない弱みだ。身内にすら見せてはならないが、若井は総理としての器がまだないと分かっているがゆえにそれをさらけ出した。
そうすることで総理が日本を引っ張るのではなく、内閣が日本を引っ張る図へとシフトする。
各閣僚は次の選挙を考えると票獲得のため大臣辞任は出来ず、実質泥船である若井内閣と沈むこともしたくはない。ならすることは一つ。大臣らが泥船を大船へと改良し、若井総理を支えて事件解決後の解散総選挙へと持っていかなくてはならなくなったのだ。
若井総理の言葉で各閣僚は意識を切り替える。
この若造を支えなければ道連れとなる。
とはいえ他の熟練者が総理になったところで結局泥船には違いない。
若井総理はそこまで見越して弱気を吐露したのだ。閣僚全員がその意図に気付くかは分からないが、全員熟練の国会議員であれば逃げ道がないことは分かるだろう。
逃げれば次期選挙は苦戦し、逃げなくても若造内閣で苦戦を強いられる。
ならば自分たちが支えて嵐を乗り切らねばならないと。
無論若井総理も他力本願にしようなどとは毛頭考えてはない。自身も全力で職務に努め、足りない部分を補ってもらうつもりだ。
少なくとも数分前はバラバラだった意思は一つの方向へと進もうとしているだろう。
まずは最初の一歩として会見に備えるべく、若井総理は準備を始めた。




