第97話 『事後面談』
感覚としては瞬きをしたくらいであった。
浮遊するストレッチャーに乗せられて医務室に運ばれているところまでは覚えていたのだが、少し深く瞼を閉じ、そして開けたら世界が変わっていた。
移動の最中だった通路の天井はなくなり、固定された医務室の天井が視野に入る。
どうやら助かった安心感から、昨夜から続いた緊張が解けたのだろう。
人生で一度経験するかしないかの事件を半日で何度も体験し、その多くを自力で乗り切ったのだ。
怪我に疲労、空腹に睡眠不足。どれをとっても昏倒しておかしくなく、麻酔が効くかのように寝入ってしまったのだ。
「いつつ……」
起き上がろうとしたら全身くまなく筋肉痛が襲った。
「起きられましたか?」
視線を声の方に向けると、昨日腕を治療してくれた医官がいた。
「先生……」
「あ、起き上がらなくていいですよ。横になったままでいてください」
そう言って医官は近づいてくる。
「あの……防護服とかは?」
「イルリハランの指導により破傷風ワクチンは打ってあります。当該地区での感染症は人から人へはしないので、発症後に投与する薬で十分とのことです。体を見たところダニ類の噛み痕もないので、細菌やウイルスに感染している可能性は極めて低い診断もしていてます」
「そうですか……よかった」
「万が一発症しても治療薬があるので大丈夫です。治験も済んでいる薬なので安心してください」
日本の厚生労働省は、日本がイルリハランに国家承認された直後から日本全国の製薬会社に対しバイトを募集するよう打診したことがある。
それは異地の薬が日本人に投与しても問題ないかだ。
ハーフが作れるほど遺伝子構造が同じであろうと、薬の作用は異なることがある。万が一従来の免疫システムで通用しない異地の病気が日本で感染拡大してしまうと、そこから薬を作っては大勢の死亡者をだしてしまうため、異地の治療薬をそのまま流用出来ないかと考えたのだ。
ただ、いくら病気に有効でもリーアンにはない重大な副作用が出ては大変なので、事前に問題ないか確認をしなければならず、それが治験と呼ぶ臨床試験である。
もちろん動物実験後での治験なので副作用の心配は少なく、問題なければ楽して高額なバイト料を得られると一部では人気だったりする。
しかも日本全国で失業者が大量に出たこともあって募集には事欠かず、常に満員で臨床試験は行われたらしい。
だから羽熊に飲む薬は安全が確立されたもののみとなる。
「体調チェックしますね」
言って医官は羽熊の上半身をゆっくりと起こしてメディカルチェックを始める。
「いま何時ですか?」
「午後十時過ぎです。お二人が戻ってきたのが午前七時過ぎなので十五時間は眠り続けてましたね」
「十五時間もですか」
普通の人の倍の睡眠時間を体が要求するとは、相当疲弊していたのが伺える。
そうなるとほぼ二十四時間何も食べていないことになるが空腹感がない。
右腕を見ると管が一本刺さっていて、その先に点滴が吊るされていた。
「……そう言えばトムさんは?」
点滴を見たあとで周りを見ると、一緒に運ばれたはずのトムの姿がなかった。
「トムさんは体に虫刺されや傷が一つもなかったので感染リスクは低いとしてワクチンだけ打って、今は自室に戻っています。博士は外傷があるのでこちらに」
「大丈夫なんですかそれで」
「なるべく問題がなかったようにしたい総理の意向です。博士も、階段で転んだと言う理由でここにいることになっています」
なら感染症対策のことは一つも出来ない。いつ何も知らない客が来るのか知らないのだから、防護服や隔離は出来ないのだ。
リスキーであるが、ここはイルリハランの薬を信頼しよう。
「問題はなさそうですね。明日まで経過観察をして、明朝も問題なければ部屋に戻っても大丈夫でしょう。観光は休んだ方がいいですね」
「分かりました」
あんなことがあっては観光を楽しむことは出来ないだろうし、筋肉痛が酷くて動けそうにない。
メディカルチェックが終わると医官は離れ、固定電話に手を伸ばしてボタンを押しだす。
「羽熊博士の意識が戻りました。健康上は問題ありません」
日イどちらかの上に連絡を入れたのだろう。
「事情聴取……ですか?」
「内容までは伺っていません。ただ目を覚ましたら連絡をしてほしいとだけ」
異星で拉致されかけたのだ。トムから一連の流れは伝えられていると思うだろうが、もう一人の被害者である羽熊からも聞きたいのかもしれない。
「先生、私達が拉致されたことは誰にも知られてはいないんですか?」
「知られていません。本日も観光は予定通り行われています。今朝方の異地戦闘機からの支援攻撃は、日本政府からの要望で急きょ行った異地の攻撃演習として処理されています」
ルィルの言う通り、日イは利害の一致から拉致は隠匿して訓練演習として隠し切れない部分は誤魔化した。
どの国による行動かは分からないが、自ら被害を表明することはしないだろうから表立った外交戦はしないだろう。
そうなる予想は羽熊も分かってはいたものの、いざ秘密にされると複雑な心境になる。
個人の自由と安全より、国のメンツの方が大事なのかと考えてしまうのだ。
天秤にかければどちらに利害があるかは明らかだが、当人になると素直に賛同できない自分がいる。
そう内心で考えているとドアからノック音が聞こえた。
「失礼、羽熊博士が起床したと聞いたが」
入って来たのはスーツ姿の佐々木総理だ。SPも数人連れて医務室へと入ってくる。
「はっ、五分ほど前に目を覚まされました。感染及び外傷による健康問題は見られません」
「そうか、ご苦労。少しの間博士と二人っきりにさせてくれ」
「了解」
医官は自衛官だ。最高指揮官である総理大臣の命令に対し、敬礼をしながら答えてSPと共に医務室を後にする。
総理は近くにある椅子を持つと羽熊のいるベッドのすぐ近くに置いて座った。
そして、深く頭を下げた。
「羽熊さん、昨日から続き拉致にまで巻き込んでしまい、大変申し訳ありませんでした」
「…………」
さすがに生涯に一度あるかないかの出来事を半日でいくつも巻き込まれたのだ。巻き込まれたのも全て自業自得であるわけでもないので、今までみたいに総理が頭を下げることに特段の気持ちは抱けなかった。
「その上公表しないことを考えるとお怒りは最もと思います。もちろん秘密裏の救出が不可能と判断した時は、速やかに公表する手はずでした」
公表しないのは『起きたけれど知られる前に終わった』が前提だから成り立つわけで、それが出来なければ公表しないと逆に信用問題になる。
「その心中は理解してます。私も、多分公表しないだろうなと思っていましたから」
そう羽熊は答えるが、羽熊自身言葉に感情が乗っていることを自覚する。
「けどさすがに災難が畳みかけすぎてて、感情が少し複雑になってます」
「当然です。その上で無礼極まりないのですが、この二日間で起きたことは……」
「誰にも言いません。ここだけの話だとか、知っている人でも話さずに墓まで持っていきます」
「本当に申し訳ない」
「いえ、トロッコ問題じゃないですけど、二人の苦悩と国策なら比べるもないですからね」
「寛大な心、深く感謝します」
「ではこの話は終わりましょう。全身痛いですけど、こうして生きてここにいますから」
これ以上謝られても先に進まない。自分で言った通り、無事に戻って来たのだからそれでいいのだ。慰謝料は秘密裏である以上期待は出来ないし、貰ったとしても気軽に使う気にもなれない。
「ただ、これだけは約束してください」
「何ですかな?」
「拉致についての事情聴取は受けますけど、それは一度っきりにしてください。今回の件の相談もお断りします。調査の中間報告もいりません。結果だけを簡潔に教えてください」
「約束します」
国土転移からここまでがむしゃらに働いていたが、羽熊は超人でもなければ聖人でもない。ただ未知の言語に聡いだけの人間だ。
大人になろうと災難が立て続けに起こればストレスが溜まって感情的になってしまう。
佐々木総理はその気持ちを汲んでか、即答で断言してくれた。
「それで結果についてですが、村田に関してはなるべく早めに処理をします」
「出来るんですか? 村田っていわゆる……」
「幸か不幸か、拉致事件が起きたことでトム夫妻に対して感染症の経過観察しなければならない口実が出来たので帰国後数日は猶予ができます。その間に準備と事実確認を取って、裏が取れれば別件で村田を逮捕します」
「別件ですか」
「ノアとして国家内乱罪を適応するのはまず無理ですね。今まで一度も判決されなかった罪ですし、それをすると結局外国人へ不信感を世論が抱いてしまいます。なので外国人は絡まないない別件で処罰をして、議員としての権利をはく奪させます」
「……須川への暴力行為ですか」
羽熊がそう答えると、佐々木総理は少し驚いた顔を見せた。
「私も同じことを思ってましたから、村田を逮捕するなら多分それしかないでしょう。ただ……」
いくら保身に長けても、直接自分で手を出すなら証拠を集めるのは難しくない。
問題があると言えば、須川の協力と村田のバックにいる親だろう。
「無策なら証拠を集めても不起訴で終わりますが、そうはさせない策が一つあります」
「あるんですか?」
「……」
総理はその案を言わない。いや、言えないのだろう。
「私はそろそろお暇をしましょう。まだお疲れでしょうからな」
これ以上いても負担になるだけと見てか総理は立ち上がった。
「博士は階段から落ちて負傷したとしていますので、そうした立ち振る舞いを願います」
「分かりました。幸い全身痛いので演技はしなくても多分大丈夫です」
「よく戻ってきてくれました」
「何が何でも戻りたかったので」
総理は立場上してはならない深々としたお辞儀をして、医務室を後にした。
「……なんだか夢……違うな、映画を体験してたって感じだな」
気絶するような睡眠を経たからだろう。ヴィッツからここに戻ってくるまでのことが、鮮明に覚えていながらもどこか映画のような客観的な認識がある。
あまりにも一般常識から切り離された経験か、PTSDから自分を守るため主観から客観と言う認識にしているのかもしれない。
しかし、全身の痛みと左腕の傷が事実であることを如実に語っている。
「いまさらながらよく動いたよ」
きっとアドレナリン等興奮状態にする脳内物質が大量に出たから動けたのだ。もし今同じように動けと言われても動ける自信はない。
その証拠に自分の両手を見るとプルプルと力なく震えている。
いや、動いた理由はきっと……。
「絶対に二度目はないな」
そう再認していると再びノックがしてきた。
「羽熊博士、目を覚ましたと聞いたので来ました」
ルィルだった。右手にノートパソコンを持ったルィルが一人入ってきた。
「ルィル、今朝はありがとう」
「友人として当然のことをしたまでよ。礼を言うことじゃないわ」
「それでもさ。君が駆けつけてくれなかったらどうなっていたか……」
「むしろ警備が甘かったことを悔やむわ。それで目を覚ましたばかりで疲れも取れてないでしょうけど、少しだけ付き合ってもらえるかしら? 体は大丈夫?」
「それはいいけど、君が来てるってことは美子ちゃんは?」
「外で待ってもらっているわ。彼女とのお話は少し待ってくれる?」
こうした場合、下手に自分の欲求を通す方がかえって時間が掛かる。急がば回れで、ここは素直に従った方が速い。
「ああ、外には日本軍の軍医や日本政府のボディガードがいるから彼女の心配はないわ。警備兵も倍に増やされてもいるしね」
ルィルは心配をさせまいとそう説明をするも、十分な警備を掻い潜って大人二人を拉致したことを考えると、なら安心とはさすがに思えない。
とはいえ口出しできる立場にないから受け入れるしかない。敵も失敗直後で再び仕掛けることはないだろう。
ルィルはベッドテーブルをセットするとその上にノートパソコンを置いた。
「何を見せるんです? もしかして拉致犯の顔とか?」
「いいえ、拉致犯は今朝の攻撃で木っ端微塵になったから確認できないし、例え分かったとしても相手国は認めようとはしないわね」
「犯人がどこの国なのか分かったの?」
「装備品からメロストロ合衆国と断定しているけど、表ざたには出来ないから裏での外交になるでしょうね。まあ相手は認めたりはしないでしょうけど」
「世界二位の国か」
地球で言えば中国のポジションの国だ。
「私は詳しいことは知らないけど、どうやら国内で拉致の手引きをした人がいるらしいわ。そうでなければ、いくら最新装備を持っても気づかれずに拉致を成功することは難しいから」
「また裏切りか……」
メディア関係者交流会に複合毒、そして今回と敵側に与する身内が多い国だ。
「釈明の余地もないわ」
言いながらルィルは異地製のパソコンを操作する。
ソフトを立ち上げると一人の人物が映し出された。
ハウアー国王だ。
『羽熊博士、このような形での面会で申し訳ない』
「あ、いえ」
なんとなく想像こそしても一言も言って貰えなかったので反応が遅れる。
『昨日からによる警備の不備を、非公式ながら国王として謝罪をさせていただく。大変申し訳なかった』
王としての風格を籠った謝罪と同時に、首を曲げる程度だが頭を下げた。
「頭をお上げください。どんな経緯であれ、わたくしはこうして戻ってこられました。むしろ知らせるためとはいえ、巨木林を燃やしてしまいましたわたくしのほうこそ……」
『いや、巨木林を燃やすことによる狼煙は適切で、それ以外に連絡手段がなかったと理解している。そのことで博士たちに非は一切なく責めるつもりもない。二人は被害者なのだ。謝罪するのは我であり、そなたらではない』
史上初の異星人を招待して首都観光させる。十分な時間を使って準備をしたのに事件が立て続けに起きてしまったのだ。最高責任者である国王として責任は大きい。
『すでに知っていると思うが、今回のことは世間には公表していない。今朝方の攻撃は演習として処理しているため、そうした振る舞いをしてもらいたい』
「分かりました」
『ゆえに拉致事件を起こしてしまったが、国費による慰謝料など物品を二人に渡すわけにはいかない』
「はい。仮にイルリハランの通貨で支払われても使う当てがありません。王からの謝罪、それだけで十分です」
いずれはセムでイルリハランの製品は買えるようにはなるだろうが、それはもう少し先の話だし、個人でセムが流通していないのに持てばトラブルの元になる。
物品でも同じだから責任者からの謝罪が落としどころだ。
「ところでルィルが拉致の手引きは身内が行っていたと言っていましたが、犯人が誰か分かったのですか?」
『身内の問題ゆえ名前は伏せさせてもらうが確たる証拠が出た。さらにメディア交流会時の巨大動物誘導、私への服毒への手引きもしていることが余罪として浮上している』
「それもですか?」
『その者を調べたところ連なって出てきたのだ。ムルートは出なかったがまず間違いはないだろう。公に出なくとも国家反逆罪相当だ。厳しい処罰は約束しよう』
さすがにこればかりは主導権はイルリハラン王国にある。早期の幕引きのために証拠もないのに誰かをスケープコートにすることもありえ、さらには「犯人に処罰を下した」と言うだけで何もしていないのに済ませることもできるのだ。
日本政府や羽熊が独自で真実を知ることはないから、そうなのだと受け入れるしかない。
『私からは以上だ。博士からなにか申したいことはあるか? 無論、礼儀や無礼はなしだ。どれだけ罵詈雑言を言っても構わない』
ハウアー国王は立場を抜きに言いたいことを言えと許可を出す。
「私から言うことは一つです。迅速な救助感謝します」
そして画面に対して頭を下げた。
「どのような経緯でルィルが救援に来て下さったのか存じていませんが、来るのがもう少し遅ければ二度とここには戻れませんでした。もちろん警備がしっかりしていたら何も起きずに終わっていましたが、この世に『もし』はありません。ですので助けに来てくれたことに深く感謝します」
『……礼を言うのは私の方だ。博士の決死の行動により歴史に汚名を残さずに済んだ。感謝、そして謝罪をしてもしたりないほどだ』
「いえ……あ、では一つ要望と言うか、希望が一つあります」
『なにかな?』
「今後も日本とイルリハランが友好関係を築けることを願います」
『それはこちらからも望むことだ』
直接慰謝料や物品を貰うより、巡りに巡って恩恵が戻ってくる方がいいだろう。
『ではこれにて失礼させてもらう。前例を作ってしまったから安心してくれとは言えぬが、より強固な警備を強いる。不安は忘れゆっくり休んでくれ』
「そうさせてもらいます」
そして画面の中でハウアー国王は消えた。
「お疲れさまでした」
パタンとノートパソコンを閉じながらルィルが労わる。
「流石に疲れたよ。寝起き直後に総理に国王と国にトップと話をするんだから」
しかも直接の感謝と謝罪だ。普通ではまずありえない。
「そうね。この国では日本の担当大臣はまだ選出されず国王自身がしているから、どうしても国王の謝罪となるのよね」
日本は異地社会への外交に新たに星務省を発足させるが、イルリハランからすれば日本一ヶ国だ。省庁を発足するまでではなく、通例なら外務大臣に兼任させるのだが適格者ではないため国王自身がしているとのことだ。
なんでも外務大臣は有能だが反異星人思想らしい。
「ところで俺たちが拉致されてからのそっちの流れってどんな感じだったの?」
「最初に拉致に気付いたのはトムさんが一服から戻らない事で、須川を見張っていたボディガードが探しに来たのよ。それで床に博士が吸っていた銘柄のタバコが落ちてることに気付いて、Nichiのシグナルを調べたら信号がないことから二人が拉致されたことに気付いたらしいわ」
その時ルィルは鍬田と同じ部屋にいたから、報告を受ける形で知ったのだろう。
「で、集まった両首脳が公表しないことを決めたところで私が単独で外に出ることにしたの。公表しないなら大規模な捜索隊は出せないから、なら先行して多少でも時間を短縮できればいいとおもってね。まあ服務違反と言われたからバッジと拳銃を机に置いて一時的に軍人を辞めたけどね」
「そこまで……じゃあ軍人を辞めたの?」
「その覚悟だったけど、助けた功績で無かったことにしてくれたわ。で、夜が明けてすぐに巨木林のところで狼煙が上がっていることに気付いて、無線で連絡をして急行したの。これがいままでの経緯ね」
「ありがとう。天職って言ってた軍を辞める覚悟で助けてくれて」
「友人を助けるなら辞めるわよ。じゃなかったら一生悔やむわ」
そう言って貰えると胸の中が温かくなる。
「それじゃ聞きたいことがないなら行くわね。もう偉い人からの面談はないから、あとは恋人同士ゆっくりと気兼ねなく話をしたらいいわ」
ノートパソコンを抱えてベッドから離れる。
「三十分は誰も入らないようにするからゆっくりとね」
言ってルィルはウィンクをすると廊下に出るドアを開けて出ていき、代わりに一人の女性が入ってきた。
「美子ちゃん」
「おはようございます」
静かに、落ち着きを持った口調で鍬田は羽熊の目をまっすぐに見ながら言った。
「心配かけたね」
「いえ、洋一さんの苦労を考えたらなんてことないです」
「驚いたでしょ。寝て起きたら拉致されたとなったら」
「そうですね。でも来たかとも思っちゃいました。散々私が拉致されるぞって言われ続けてましたから」
名簿に載らない観光客となれば拉致候補筆頭となり、エミリルに招待された時から周りから言われ続けてきた。
ルィルが鍬田の専属護衛をしているのもそれが理由だった。
羽熊は座るように促してベッド側に鍬田を座らせる。
「ただ思いのほか心配はしてませんでした」
「そうなの?」
「はい。必ず二人とも戻ってくるって分かってましたから。どっしりと構え……はさすがにしてないですけど、静かに待つことは出来ました。ルィルさんもすぐに周りの静止も聞かずに出ても行きましたしね」
「そっか」
信じてる、ではなく分かってるは不安を抱いていない最上位の信頼だ。
「もう一つ言えば、ここで洋一さんが戻ってこなかったらあまりにも不条理ですよ。国土転移してからずっと自分を殺してでも大勢のためにがんばったのに、最後の最後で拉致されるって報われなさすぎです。だから絶対に戻ってくるって分かってました」
「今までの苦労の報いが、無事に戻ってくるか……」
コスパとしてはあまり良いとは言えない。
「この世界に神様がいるのか知りませんけど言ってやりましたよ。これで洋一さんが助からなかったら理不尽だろって。ほら、私の名前漢字は違いますけど巫女ですから、きっと神様がいたら聞いてくれると思って」
「ダジャレか」
「まあそれはいま考えた冗談ですけど」
「君らしいよ。ここで冗談言って笑い誘うの」
「へへ、少しは気分を明るくしようと思って」
「ありがと。俺がここに戻れたのは君のおかげだよ」
「私の? 私は待ってることしか何も出来ませんでしたけど……」
「不思議なものでさ、待ってる人がいるとなると諦めずに助かろうと動けたんだ。それがなかったら飛行車の中で暴れてスカイダイビングしようとはしなかったよ」
「……ぁ」
鍬田は羽熊の言っている意図に気づいたらしく、見る見る赤くなって俯いた。
「うれしいです。そう思って貰えて……」
「初めて会った時はにわかな子だなと思ってたんだよね。それに親の力を使って個人授業をしてるのも、正直良い印象は持ってなかったよ」
「うう……その節はすみませんでした」
「けど勉強への姿勢は確かだし、良くも悪くも正直なところは話してて気持ちはよかったかな。だから会うことは段々別に気にしなくなったし、初詣デートに付き合ったりしたんだよ」
「……なんか気恥ずかしいですね。今までのことを評価されると……」
「じゃなかったら君からの告白を受けたりはしないよ。もしこのまま拉致されたら二度と君には会えないし、きっと悲しむから動けたんだ。ルィルや色々とな人のお陰で助かったけど一番は君だよ」
「ううー、そんな恥ずかしい事キリっと言わないでくださいよ。嬉しいのと恥ずかしいので顔から火が出そうですよ」
羽熊自身言っていて気恥ずかしくなったが、鍬田はそれ以上に気恥ずかしいようで目に見えて分かるほど顔を赤くさせて両手で隠す。
「自分からは言えても言われるのはいやなんだ」
「嫌というか、単に恥ずかしいんですよ。あまりそうしたのは言われないので」
「そうなんだ」
交際をするのが羽熊では初めてはないことは口ぶりから分かってはいても、元カレの話を聞くのは現彼氏からしたら面白くない。
だから追及はせずそこで打ち切り、羽熊は手を伸ばして鍬田の頭を撫でた。
「本当にありがとう」
「またこうして頭撫でて貰えてうれしいです」
「いつでも撫でてあげるよ」
心なしか鍬田の背後に尻尾が見えて激しく振っているイメージがする。
「それとデートも期待してて。とびっきりのを思いついたから」
「本当ですか? わー、楽しみです」
さすがに起き続けて何人もの人と話したことで疲れが出てしまった。
もう座り続けるのも辛く、鍬田を撫でていた手も放してベッドへと静かに倒れた。
「疲れちゃいましたか?」
「少しね。アクション映画張りに頑張ったから全身筋肉痛なんだ」
「洋一さんのアクションシーン見てみたいかも。じゃあ私はこれで失礼しますね。もっといたいですけど、明日も明後日も会えますから」
「そんなこと言ってフラグを立てないでよ」
「大丈夫ですよ。もういくら立てても勝手に折れますから。ていうか私が折ります!」
最後に鍬田は羽熊の手を優しく握り、笑顔を見せて立ち上がった。
「……博士、今までずっとずっと大変だったんです。日本まで何日もありますから、ゆっくりと仕事のことなんて忘れて休んでください」
「ああ、そうさせてもらうよ。さすがにもうなにもしたくはないかな」
「明日また来ますね」
手を振って応えると鍬田も振り返して医務室を出て行った。
「ふぅ」
これで面会は終わりと羽熊は天井を見ながら安堵の息を漏らす。
改めて戻ってきたと実感し、夢ではないことを全身の筋肉痛で確信する。
もう何もしたくない。
国土転移して、農奴政策を回避して、観光旅行でのトラブルも回避させたのだ。
日本に戻るまでの四日間は休暇として仕事のことは一切合切放棄したい。
総理との面談の時に相談を拒否したのもそれが理由だ。
今まで目まぐるしく睡眠も自分の時間も削って生活をしたのだから、四日間くらいはすることがなくてつらいを体験したい。
そう強く願い、それがフラグとならないことを切に念じながら目を閉じた。




