急変
ヤツに変化が訪れたのは、亀山たちの車列が役場を出てすぐだった。のっそりと道路に躍り出て、囮餌の入っていたバケツを転がし始めたらしい。中から滴る血に顔を近付けて何かしているそうだ。どうやら物足りないようである。そうじゃないとすると、人間の血の味はしても肉はそうじゃない事に気付いたのだろうか。役場に陣取る近藤からの連絡を聞いた亀山は、直ちに警備陣へその旨を伝えるよう指示した。今までにない動きである。
「………なるほど」
柴田は少し逡巡したように見えたが、ここで銃対の前面投入を決断した。加えて屋上の狙撃陣に実弾の装填を下命。阻止線へは何が起きてもいいようにと指示。その身を阻止線そのものとしているバスの車内にいる機動隊員たちは、ここに来て初めて拳銃を抜いた。森川も他の隊員たちへ手製武器を掻き集めるように命令。簡易火炎放射器や熊避けスプレーを手近な場所に配置する。
「ヤツに不審な動きが見られました、急ぎましょう」
無線で後続のバンにそう伝えた。同時に自分も拳銃を確認する。運転していた刑事は防弾ベストのチャックを引き上げ、信号待ちの間にその上から防刃ベストも着込んでいた。無いよりはマシだが何所まで通用するかは未知数である。そうこうしている内に車列は阻止線へ到着。守備を運転していた刑事に任せ、亀山は2人の狙撃隊員と梯子等の支援を行うため同行している3人の刑事らと共に狙撃ポイントの選定を始めた。
「あの家はどうだ」
「こっちの方が地形的に低い、高台の方がいいだろ」
やりとりを聞き流しつつ、ライトを口に咥えて地図を眺める。正直に言うと、何かあった場合の狙撃隊員2名に逃げ場はなかった。少なくともヤツの全長が5mを越えなければ2階の屋根に上がって来るような事はないだろう。朝の段階ではそこまで大きいとは思えなかった。目視で約3m、どんなに誤差が出てもせいぜい4m以内の筈だ。それより大きかったらそれは仕方ない。上手く逃げれる事を願う。
「あそこなんかどうですか」
少しだけ高い場所にある民家を指差した。他にもいい場所はあるだろうが、この作業に時間が掛かると後に響いて来るような気がする。プロの仕事に口を挟むべきでもないが急いで貰いたいのは確かだ。
「…………まぁ無難ですか」
「木の上から撃つよりはいいさ、急ごう」
民家の裏手に取り付く。3人の刑事たちが梯子を一気に2階の屋根まで伸ばした。瓦屋根ではないので簡単に落ちたりはしないだろう。足場を確保した後、ライフルケースを担いだ隊員2名が素早く昇っていく。
「後で何か差し入れさせますね」
「ありがとうございます」
そこへ銃対を乗せた車両が到着。サブマシンガンを携えた隊員たちが続々と降車して来た。刑事たちを先に帰らせ、自分はあの場所へと足を進める。刑事時代のよくない癖が疼き始めた。
「中の連中と交代してくれ、弾薬は自由に置いて貰って構わん。」
「了解、換わります」
降車した機動隊員たちに換わって銃対が車内に詰めた。これで万一の火力は揃った事になる。そこに亀山が飛び込んだ。若干驚いた森川が亀山を見つめる。
「向こうはいいんですか」
「あっちに居ても意見役ぐらいしか出番はないもんで」
「はぁ…」
飽きれたもんだか正直それ所ではない。いよいよ持ってヤツと対峙する瞬間が訪れそうなのだ。太陽はジリジリと山々の間から日光を照らし出している。森川の目には地面に伸びる無数の長い影がヤツよりもっと薄気味の悪い不気味な何かに見えたそうだ。その時である。
「ゲンポンから県機01、とうとうお出ましだ」
空気が張り詰めた。機動隊員たちの目付きが変わる。同時に銃対分隊長が初弾装填を下命。金属音がやけに重く響き渡った。森川率いる第1小隊はここを死守の構えにするらしい。
第2・第3小隊がここと役場の中間に陣取るため移動を開始。ここと同じように人員移送バスを道路に横付けして盾にし、中にもう1つの銃対分隊を入れさせるそうだ。
「狙撃01、目標視認」「狙撃02、距離400」
「ハンターチームが先だ。上手く行かなければ我々が文字通り最後の盾となる。」
「県機04は壊走に備えろ、現時点を持ってゲンポンは移動準備に入る」
「亀山さん、早く戻って下さい」
「了解です」
森川に促されて急いで車に乗り込んだ。屋根に上がった狙撃隊員に何も差し入れてやれない事を少し悔やみながら、アクセルを踏み込んで一気に役場までの道のりを走る。駆け足で進む第2第3小隊と移動するバスを尻目に役場まで戻って来た。入れ替わりで銃対分隊を乗せる車両が出発していく。正面入り口から近藤と他の駐在警官たちが亀山の下に集まった。
「いよいよだ。もしかしたら全員死ぬかも知れない。だが時間さえ稼げれば陸自が来てくれる。上手くやろう。」
無言の敬礼を交わす。刑事たちもピリピリした表情で正面玄関に集合した。周辺住民の避難は完璧ではないが、ここに居る全員が束になって掛かればヤツの腹を満たすに十分な量だ。警備陣は役場裏の駐車場に停めてあるバスに乗り込み、そこで指揮を続行する。その護衛には前原以下6名の刑事たちが就いていた。
「全警察官へ、陸自の到着時刻は09:00の予定となりました。地獄のような時間になると思いますが、どうか生き抜いて下さい。」
現在時刻は約7:20、100分近くだけ支えれば陸自にバトンタッチ出来る。それだけが全員の心の拠り所だった。最後まで残っていた役場の職員たちと消防団員たちが避難を開始。ハンターチームだけは申し訳ないが2つめの阻止線が崩壊する瞬間まで残って貰う事になった。
日が照って来たアスファルトに血の足跡を残しながら歩く。口先からも血と唾液の混ざった液体が垂れ下がり、それが道に血貯まりのような何かを作っていた。目はあまりよく見えないが狼の遺伝子を配合された彼にとってそれは問題ではない。さっき強烈な獲物の匂い感じた。ある地点を過ぎた所でそれを感じた。檻から出て自由になった時に初めて食べたあの生き物の匂いだ。匂いのする方へ一歩一歩力強く歩む。似た味のする肉を沢山食べたが、どうしても満足は出来なかった。あれが食べたい。いっぱい食べたい。
その頃、松姫バイパスを山梨県警のパトカーに先導されて走る陸自の部隊があった。山梨県警の申し入れにより編成された緊急対応部隊である。よく分からないが、ある山村が熊より強力な生物の襲撃を受け住民が捕食の危機にあるらしい。現在警察力でギリギリ支えているが一度接触すれば崩壊は必須。後詰を整えている内に山間部へ消え何所で人を食うか分からない状況になる前に対処して欲しいそうだ。
これを指揮するのは安本一尉率いる第34普通科連隊第3中隊から選抜して編成された2個小隊、他には迫撃砲小隊と本部管理中隊から通信・衛生・補給・施設等の小隊を選抜。更に連隊の全普通科小隊から選抜された無反動砲担当4名からなる対戦車班で構成されている。
「…………何が居ると思う」
渋い顔の安本一尉が運転席の陸曹に尋ねた。「見当もつきません」と言う答えが返って来る。色々とおかしかった。まず連隊長からの話しだと、これは災派と治安出動を混ぜたような物だと説明されていた。熊ではないが熊より強力な生物と言われるとバカでかいライオンだろうかと思案が巡る。それにどうやらこれは政府側の方で何か裏工作が行われた可能性を感じた。何より支援部隊が居ない。最小限の実行火力を持ってどうにかしないといけない相手のようだ。
大変ご無沙汰致しております。
転職云々ですが色々ありましてまだ在職しています。
取りあえず年内の完結を目指します。