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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
9/42

第六話 サン・ミシェルの一時間(前編)

 1991年6月26日午前8時ちょうど。ランブイエ近郊までを占領下に置いたレウスカ人民軍は、ミハウ・ラトキエヴィチ議長の早期進撃要請を受けてラピス中央部への進出を開始した。

 ラヴィーナ作戦第一段階――ラピス・バーレンへの電撃的侵攻は予定を上回るハイペースで進んでおり、7月末を予定していた第二段階への移行は、すでに7月初頭の実行へと前倒しされている。


 かようなペースで作戦が進行している要因として挙げられるのが、内務省公安部(ABP)から送られてくる環太平洋条約機構(PATO)の内部情報だ。

 受け取るクラトフスキー大将が、あまりにも詳しすぎる、と違和感を覚えるほど、ABPがもたらす情報は詳細だった。


「――以上のような配置で待ち構えている、とのことです」

「戦車部隊を迂回させて後方を衝きましょう。それだけで、敵は総崩れになるはずです」

「空からの支援があれば、なお良しですな」


 ランブイエの市庁舎に置かれたレウスカ第1軍の司令部。その会議室では、参謀たちがラピス・バーレンの立体地図を囲んで活発に議論を交わしている。

 立体地図に再現されたPATO軍の配置情報は、偵察活動よりもむしろABPからの情報によるものだった。


「……」

「いかがなさいましたか、閣下」


 クラトフスキー大将が黙っていることに不審を感じた参謀の一人が問いかける。


「いや、ずいぶんと詳しい情報だ、と思って、な」

「はあ。それだけABPの情報収集力が優れているということではないでしょうか」


 要領を得ない様子の参謀を見て、ザモイスキー中将が口を開いた。


「閣下は偽情報ではないか、とお疑いなのでしょうか」


 司令部の空気が凍る。ABPがもたらす情報に疑念を示した、ということが他所に漏れればどうなるのか。

 そんな空気を振り払うように、クラトフスキー大将は努めて明るい声を出した。


「いや、そうではないよ。事実、ここまでABPから渡された情報は全て正しかった。故に、今の圧倒的な戦況がある。そうだろう?」


 参謀の一人が安心したようにため息をつき、空気が緩んだ。一方、凍り付かせた当の本人は全く気にしていない様子で答える。


「それもそうですな。妙なことを言いました」

「気をつけたまえ。先日も言ったが、どこに耳があるか分からん。『賢者は危険に近寄らない』だ」


 クラトフスキー大将が古くから伝わる格言を仰々しく口にして参謀たちの笑いを誘う。

 と、ちょうどその時、会議室の扉が開いた。


「会議中だぞ! いきなり扉を開くとは何事か!」

「会議ですか。それにしてはずいぶんと楽しそうなご様子でしたが」


 馬鹿な部下が転がり込んできた、と思ったのであろうザモイスキー中将の叱責に答えたのは、どこか慇懃無礼な口調の男だった。レウスカ人民陸軍のカーキ色の制服と異なる、モスグリーンの制服を着ている。


「……サプチャーク中将、いくら同盟国の軍人とは言え、ノックもなしに会議室に入ってもらっては困る」

「それは失礼。今後気をつけるとしましょう。レウスカは大事な同盟国(・・・)ですからな」


 揶揄するような口調に参謀たちが顔をしかめる。表情にこそ出さなかったが、クラトフスキー大将も不快感を覚えた。


 彼こそ、統一連邦から派遣された義勇軍団を率いる統一連邦軍の指揮官、ウラジーミル・サプチャーク中将だ。

 サプチャーク中将は統一連邦軍でも守旧派と呼ばれる派閥に属する軍人であり、守旧派軍人の多くがそうであるように、レウスカのような西側同盟国を統一連邦の支配下にある衛星国と見なしていた。


「それで、ご用件は何だろうか、サプチャーク中将?」


 こみ上げてくる不快感を抑えながらクラトフスキー大将が尋ねる。すると、サプチャーク中将は書類の束を手渡した。


「行動計画書です。私の部隊はラピス方面に進出します」

「ラピス方面か。了解した」


 クラトフスキー大将が受け取った計画書を立体地図の上に置き、参謀たちがそれを覗き込む。


「作戦目的は空軍基地の確保ですか」

「なるほど。確かに中央部に進出するなら、ラピス領内に滑走路があった方が良い」


 綿密に練られた計画書を見た参謀たちが唸り声を上げる。それを聞いてか、サプチャーク中将は口元を冷ややかな笑みで歪めながら、こう言った。


「今回の出撃には貴国の空軍も協力してくれましたよ。今頃、第一波が攻撃を開始しているはずです。サン・ミシェルは落ちたも同然だ」







『こちら、アルファ1。各機、聞こえるか』


 通信機から聞こえるルドヴィク中佐の呼びかけに一拍おいて全員が答えた。レーダーには三十を越える敵影が映っている。

 午前8時21分、サン・ミシェルを脱出する友軍支援のために一時間を稼ぐこととなったアイギス隊は、一人の待機要員を除く全員がグラン・プラトーの空を飛んでいた。


 開戦前日の戦闘――後に言う、サン・ミシェル事件においてアイギス隊は三人のパイロットを失っている。

 アイギス隊は十六人のパイロットが所属しており、四人一班のチームでローテーションを組んでいたのだが、前述の戦闘以降はチームメンバーを入れ替えながら、一人が待機要員となるような変則的ローテーションとなっていた。


 今回は待機要員となる一人が撤退する部隊と共にヴェルサイユへ先行することとなり、ルドヴィク中佐の独断で、亡命西ベルク人のシュミット中尉がその任に充てられた。

 シュミット中尉は抗議していたものの、ルドヴィク中佐の、とっととヴェルサイユに行け、の一言で黙らされ、強制的に撤退部隊に合流させられていたのである。


『なあ、リーダー。本当に一時間稼がなきゃいけねぇのかい? 四十分とかじゃ駄目?』

『ブラボー3、あまりふざけたこと抜かしてやがると、お前を真っ先に撃ち落とすぞ』


 何の因果か、今日もまたレオンハルトの指揮下に入っているジグムントがぼやくと、それを聞きつけたルドヴィク中佐が通信に割り込んできた。


『おお、怖ぇ。分かった、分かりましたよ。ちゃんと一時間粘りますよ』


 現在、アイギス隊は十二機がサン・ミシェル一帯上空を飛んでいる。ルドヴィク中佐はこれを四機ずつの三隊に分け、それぞれアルファ・ブラボー・チャーリーと指定した。

 ルドヴィク中佐はアルファ分隊を率いることとなり、ブラボー分隊のリーダーはレオンハルトが、チャーリー分隊のリーダーは亡命セルシャ人のフメリノフ大尉が、それぞれ勤めることとなった。


 ブラボー分隊にはランブイエ郊外の戦いで行動を共にしたジグムントとイオニアスが配されている。四人は三隊の中央、サン・ミシェル基地上空を担当していた。


『さっきも言った通り、上は太っ腹にも早期警戒管制機(AWACS)をつけてくれた。各自、周波数を合わせろ』

『――あー、聞こえるかな、物好きなパイロット諸君? こちらはAWACS。コールサインはルナール1』


 ここ数日で聞き慣れた男の声が聞こえてくる。サン・ミシェル基地を含む、ラピス南西部一帯を管轄とするラピス空軍のAWACSだ。

 ラピス南西部が敵の手に落ちた後、彼らはどうなるのだろう、などとレオンハルトがとりとめもないことを考えていると、同じく聞き慣れたハスキーボイスが聞こえてきた。


『ブラボー・チーム、聞こえますか? こちらルナール6。ブラボーチームの管制誘導を担当します』

『ヒュー、ついてる! よろしく頼むぜ!』

『あら。こないだのお喋りさん(チャッターボックス)もいるのね』


 盛り上がって一人で騒いだジグムントを、ルナール6は軽くいなす。これも聞き慣れたやり取りだ。


『んんっ。私語は慎みたまえ。こちら、ルナール5。アイギス全機に警告。敵編隊が接近中』

『ルナール1よりアイギス・スコードロン。交戦を許可。生き残れ』


 ルナール1の交戦許可が出ると、アイギス各機が次々に交戦を宣言する。サン・ミシェルの空はにわかに騒がしくなってきた。レオンハルトの視界にも敵機の姿が見えてくる。


『レーダーに映ってるってことは新型(ファントム)じゃないな』

「油断はするな。常に確認を怠るなよ」

『あいよ』


 軽口を叩きながら、敵編隊と真正面から向かい合う。ミサイルロックオン。発射した後、上空へと離脱する。ほとんど同じタイミングで警報音が鳴り響く。小刻みに旋回しながら、フレアを射出すると、ミサイルは逸れていった。

 無論、敵も同じ――と思いきや、六機の内、一機が回避し損ねたのか、主翼を失って炎を上げながら墜落していた。


『ブラボー4、スプラッシュ1』

「まさか当たるとは、な」

『ナイスキル、ブラボー4』


 淡々と撃墜報告したイオニアスに、レオンハルトも思わず感嘆の声が漏れた。ここまで感情の起伏が少ない人間もなかなかいないだろう。


 上空に避けたレオンハルトたちに対して、敵は高度を下げている。好機だろう。レオンハルトが切り込むように敵機に向かって降下を始めると、カエデたちもそれに続いて降下する。

 ほぼ垂直で敵編隊に突入しながら、トリガーを引いた。わずか二秒の間に数百発の機銃弾が降り注ぐ。必死で回避しようとした敵機に機銃弾が突き刺さり、燃料タンクを撃ち抜いたのか、三機が爆散した。

 残りの二機も主翼を撃ち抜かれてコントロールを失い、きりもみしながら墜ちていく。それを確認しながら、レオンハルトは操縦桿を思い切り引き、機体を水平に戻した。


『さすがですね。ブラボー・チーム。ですが後続が接近中です。敵数、同じく六』

『また来たのかよ。ご丁寧に数まで一緒だ』


 再び正面から向かい合おうとした瞬間、コックピットに警報音が響く。舌打ちしながらも速度の犠牲を避けるためにスプリットSで回避する。

 ギリギリまで引きつけた後、フレアを発射してミサイルを逸らす。それと同時に左右に散開すると、直進した場合の予測進路上に機銃弾がばらまかれた。


「ちょっと単調すぎるな」

『あーちくしょう! 面倒でしょうがねぇ!』


 ジグムントが叫びながらも、機体を引き起こして突っ込んできた敵機と向かい合い、すれ違いざまにトリガーを引いた。惜しくも主翼を掠る。

 ジグムントと反対側へ散開したカエデは敵機とすれ違った後、急旋回して後ろを取ろうとした敵機に対して、ストール寸前まで減速してオーバーシュートさせ、機銃弾を叩き込んだ。目の前でコントロールを失う敵をギリギリで躱して加速。何とか体勢を立て直すことができた。


「ブラボー2、大丈夫か?」

『ちょっと無理しましたけど大丈夫です』


 少しきつそうに答えるカエデのカバーにはイオニアスが入っていた。失速寸前のカエデを狙った敵機を牽制し、自分に引きつけている。地味ではあるが、とても重要な仕事だ。


「そろそろ片付けるぞ」


 そう言うやいなや、レオンハルトはシザーズ機動から外れてイオニアスを追う敵機の予測進路上を射撃する。敵機はレオンハルトが動き始めた時点でブレイクしようとしたが、機銃弾は機体に吸い込まれるように命中、爆散した。

 一方のイオニアスも、レオンハルトと鍔迫り合いを続けていた敵機をロックオンし、ミサイルを発射。フレアを射出しながらスプリットSで回避しようとしたところを、上空から襲いかかったジグムントが撃ち抜いた。

 きりもみしながら墜ちていく敵機にトドメとばかりにミサイルが突き刺さり、爆発する。


 残った三機は、立て続けに僚機が撃墜されたことでレオンハルトたちを警戒したのか、他の編隊と合流しようと撤退していた。


「とりあえず、ここまでか。追撃はしなくて良い。無駄な弾と燃料はないからな」

『了解』


 やれやれだ――。撤退していく敵機を見据え、レオンハルトは独りごちた。







 ようやく朝日が差し始めた滑走路から次々にBol-31が飛び立つ。彼らが向かうのは東、レウスカと国境を接するラピスとバーレン王国だ。


 レウスカ人民空軍のジュシェフ空軍基地では、地上軍が開始したラピス・バーレン中央部への侵攻作戦の航空支援に従事する空軍機が絶えることなく離発着していた。

 ここに間借りする統一連邦の航空部隊も、サプチャーク中将が決定したサン・ミシェル攻略作戦のために出撃準備を整えていた。


「総員傾聴。これより、作戦を説明する」


 格納庫の隅、統一連邦空軍の機体が納まっている一角にプロジェクターが持ち込まれ、ブリーフィングが行われている。パイロットたちの前に立っているのは、第71戦闘機連隊(ソーンツェ)のカザンツェフ中佐だ。


「諸君も知っての通り、我々はラピス空軍の南西部拠点サン・ミシェルを攻略するべく、地上部隊の支援を行うこととなった」


 一旦、言葉を切る。カザンツェフ中佐は全員の顔を見回した後、プロジェクターを操作した。


「以前もここを飛んだことがあるから分かるかも知れんが、サン・ミシェル近郊は極めて複雑な地形だ。迷子にならないように気をつけるんだぞ」


 冗談めかした言葉に隊員たちから笑い声が漏れる。


「偵察機の情報では、サン・ミシェルに駐留していた部隊が撤退しつつあるとのことだ。これを放っておけば、後々厄介なことになるだろう。追撃をかける」

「敵の詳細は分かっているのですか?」


 隊員の一人が問いかけると、カザンツェフ中佐は表情を硬くしながら、


「ああ。例の『魔女部隊』がいるとのことだ。先ほど、レウスカから報告が入った」


 と言った。


「また奴らか……」


 隊員たちの表情が一様に曇る。魔女部隊――盾を持った女性のエンブレムを尾翼に描いた部隊はレウスカ人民空軍がパイロットに警告を出すほどの手練れだ。ソーンツェ隊のパイロットたちも少なからず苦杯をなめている。


「厄介ですな。特にあの666番は危険です」

「アスラモフ中尉とドブジンスキー少尉を墜とした奴だ。危険なんて言葉で済む相手じゃない。しかも、よりによって獣の数字とは……」


 隊員たちは口々に、側面に666と書かれたF-18J(イーグル)の危険性を語る。鮮やかな機動で同僚を屠ったあのイーグルは、それだけ鮮烈な印象を与えていた。


「ソーニャ、ヴィクトル、あのイーグルと戦ったのはこの部隊では君たちだけだ。奴との戦闘を経験した身として、何かアドバイスはあるか?」


 カザンツェフ中佐の言葉に、全員の注目がソーニャとヴィクトルへ集まる。


「そうね……撃墜を確認するまでは油断しないことかしら。何度か、やった、と思った瞬間にヒヤリとさせられたわ」

「俺は奴の僚機を相手にしていましたが、こっちは悪魔(ジヤヴォール)に比べれば迫力がありませんな。ただ、教本と寸分違わない動きをするような印象でしたから、腕が良いのは間違いないでしょう」

「ふむ。むしろ奴の僚機の方に勝機があるかも知れんな。それにしてもよく見ている。さすがは『白百合』と『黒鴉』だ」


 ソーニャとヴィクトルが困ったように苦笑する。どちらもエース級のパイロットである二人に与えられたニックネームであり、特にソーニャはその名で呼ばれることを苦手としていた。


「出撃は0730(マルナナサンマル)だ。例のイーグルには私か、あるいはヴィクトロワ大尉が主に対応することとする。他の者は適宜支援、並びに他の敵機の排除を遂行せよ。何か質問は?」


 全員が首を振る。カザンツェフ中佐は頷きながらこう言った。


「よろしい。解散だ。ソヴィエト万歳(ウラー)

万歳(ウラー)!」







 午前8時37分、ジュシェフ空軍基地を飛び立ち、サン・ミシェルへと東進するソーニャたちソーンツェ隊の面々は、ラピス領空の手前200キロの地点に到着し、戦闘空域に近づいていた。


 ソーンツェ隊は隊長のカザンツェフ中佐が率いる四機、ソーニャが率いる四機、そしてその二人に続く実力者であるトロヤノフスキー大尉が率いる四機の、計十二機がこの戦場に出撃していた。

 この他、通常であれば基地で待機となる残りのパイロットたちもバーレンや地中海方面での作戦に動員されており、ソーンツェ隊は結成以来初の全力出撃となっている。


『こちら、アンナ・リーデル(リーダー)グラーフ(伯爵)。あと十分ほどで戦闘空域に入る。異常はないか?』

『こちら、ボリス・リーデル。問題なし』

「グレゴリー・リーデル、異常なし」


 トロヤノフスキー大尉とソーニャがそれぞれの分隊に異常がないことを報告すると、カザンツェフ中佐は満足げに笑った。


『重畳々々。まあ、異常があっても戦わせるがな』

『さすがだな。容赦がない』


 カザンツェフ中佐の僚機で副隊長でもあるパンチェンコ少佐がくつくつと笑う。二人の掛け合いにソーニャは苦笑しつつ、緊張がほぐれるのを感じていた。おそらく他のパイロットも同様だろう。


 自分には補佐する能力はあっても人を指揮する才能はない、と言って分隊長役を常に断っているパンチェンコ少佐だが、さりげなく隊員の緊張をほぐしてやるあたり、自分よりもよほど分隊長に相応しいのではないか、とソーニャは思っている。

 一度、それをカザンツェフ中佐とパンチェンコ少佐に言ったところ、二人は鼻で笑って答えてはくれなかった。

 そういうところを見ると、なおさらソーニャは分隊長としての自分に疑問を持つのだが、二人の分隊員を撃墜されてしまった後も、彼らがソーニャを分隊長から外すことはない。


 撃墜された二人――アスラモフ中尉とドブジンスキー少尉は、ベイルアウトした後、怪我した体を引きずって何とか救助部隊の到着まで逃げ切ることができたものの、二度とは空を飛べない体となり、本国へ帰還している。


『リーリヤ、聞こえるか?』

「ヴァローナ? どうしたの?」


 二人がこれから歩むであろう苦難の道を思い、暗澹とした気分になっていたところへ、僚機であるヴィクトルからの通信が入る。それも、ソーニャ個人へのプライベート通信だ。


『君が何を考えているか、何となく想像はつく。だが、今は新しく君の部下になった二人を連れて帰ることだけを考えろ。悩むのは後で良いさ』

「ヴァローナ……」


 相変わらず察しの良い僚機だ。戦闘においてはソーニャが指示を出し、ヴィクトルがそれに従うという立場だが、こういう面では常に彼がソーニャを引っ張っている。


 生真面目なソーニャと皮肉家のヴィクトル。一見、ちぐはぐに見える名コンビを組ませたのは、パンチェンコ少佐だ。

 そこに思い至り、やはり分隊長は、と考えたところで、思考が堂々巡りになっている自分に気づき、思わずクスリと笑ってしまった。


『戦闘前に笑う余裕があるなら大丈夫だな。さあ、指揮官は君だ。指示を』

「うん。――グレゴリー各機、これより作戦行動に移ります」


 ヴィクトルの励ましを受け、ソーニャは分隊を率いて作戦行動を開始した。


 カザンツェフ中佐が事前に説明した作戦は至ってシンプルだ。

 ソーンツェ隊は三手に分かれ、カザンツェフ中佐の部隊が逃げる敵の後方から、トロヤノフスキー大尉とソーニャがそれぞれ左右前方から挟み撃ちにする。


 ただ、レウスカ人民空軍の追撃部隊が返り討ちにあった、という情報が領空に侵入する直前に入っている。状況から考えて、魔女部隊が味方の撤退を援護するために殿(しんがり)を務めているのだろう。


『各機、魔女部隊には警戒しろ。特に例のイーグルがいた場合は、絶対に一人で相手をするな』

『了解』


 同じようなことをカザンツェフ中佐も考えていたのだろう。カザンツェフ中佐の指示に、部隊の空気が引き締まったような気がした。







 ちょうどその頃、サン・ミシェル村上空で戦闘状態に突入したルドヴィク中佐率いるアルファ分隊は、八機のBol-31(フォックス)に囲まれていた。


 すでにアルファ2――開戦前日に戦死したルドヴィク中佐の僚機に代わって、新たに僚機となったゲート大尉の機体は、敵が放ったミサイルが至近で爆発したため、その破片を受けて煙を噴いている。

 状況としては決して良くないが、ルドヴィク中佐はコックピットの中でニヤリと笑みを浮かべていた。


「アルファ1より各機。敵は多いし、機体が傷ついてる奴もいるが……なぁに、心配いらねぇさ。機体の性能はこっちが上、腕もこっちが上とくれば、負ける要素がねぇ」

『確かにその通りだ。オッサンもなかなか良いこと言うぜ』

「おい、アルファ3。てめぇヴェルサイユに着いたら市街地百周だ、馬鹿野郎」


 それはご勘弁を、と笑うアルファ3――カエデと同じ日本人パイロットのシバ中尉――の冗談にピリピリしていた空気が和む。意図してやったのだとすれば、さすがは空気を読むことに長ける日本人と言うべきだろうか。


 囲む敵の内、半分がアルファ分隊への攻撃ポジションを取ろうと上昇を始める。

 ルドヴィク中佐は、ゲート大尉に牽制を命じながらその四機を相手取った。あまりの無謀さに、ゲート大尉が諫めようとする。


『アルファ1、無茶です!』

「まあ見てろ。八機で囲んどいて、なかなか墜とせないような奴らには負けねぇよ」


 そう言うや、ルドヴィク中佐は鮮やかな斜め上方宙返り(シャンデル)で一機の後ろを取る。自身の後ろに別の一機が食らいついたことを確認すると、そのまま下方の敵機に向かって一気に降下し、攻撃することなく離脱した。

 その瞬間、ルドヴィク中佐の後ろにいた敵機が発砲。ルドヴィク中佐が離脱したその前方を飛んでいた敵機に命中した。


「練度が低い。射線上は常に確認しておくもんだ!」


 主翼をもがれ、墜落していくBol-31。

 フレンドリーファイアに動揺した敵機を、アルファ4がロックオン、ミサイルを放った。

 一瞬の遅れは死に繋がる。回避機動に入るのがわずかに遅れた敵機の間近でミサイルが爆発。機体は致命的なダメージを受け、コントロール不能になり、墜落していった。


『グッドキル、グッドキル!』


 だが、敵もやられてばかりではない。自分たちより数が少ない敵に思わぬ反撃を受けて冷静になったのだろう。円形に飛び回るワゴン・ホイールでアルファ隊の攻撃を警戒し始めた。

 性能に劣る敵機が取る戦法としてはオーソドックスなものではある。


 だが、ワゴン・ホイールの真価はその隊形を取っていると知られずに、敵を罠にかけるところにある。相手がワゴン・ホイールで待ち受けていると分かっているのならば、対策の取りようもあるのだ。


「カタログ性能じゃこっちが上だ。内側に飛び込め!」


 F-18JとBol-31では旋回半径に差があることが分かっている。旋回半径が小さければ、円の内側に入ることで相手に背後を取られることなく射程圏内に潜り込むことが可能だ。

 瞬時にそこまでのことを思い出したルドヴィク中佐のかけ声と同時に、アルファ分隊が円の内側に飛び込む。


 その時、敵機がデタラメに放った機銃弾が、幸運にも――アルファ分隊にとっては不運にも――ゲート大尉が乗るF-18Jの燃料タンクに突き刺さった。


 F-18Jはたちまち爆発し、牽制のために発射したミサイルにも誘爆、残骸が敵機に降り注いだ。


「ゲート!」


 被弾から爆散まではあっという間であり、ゲート大尉がベイルアウトする余裕はなかった。開戦前日の戦闘に続いて、ルドヴィク中佐は僚機を失ったこととなる。


 一方、無事に内側へ飛び込んだアルファ分隊の三機は、慌ててワゴン・ホイールから通常の隊形に移行しようとした敵編隊に対して、トリガーを引いた。

 機銃弾に対して自ら突っ込んでいく形となった敵機はきりもみしながら炎を上げ、一拍遅れて爆発する。


 これで三対三。数の上ではイーブンだが、機体の性能ではアルファ分隊が上である。ルドヴィク中佐の言葉を借りるならば、腕でも上だ。


「逃がすなよ、畳みかけろ!」

『了解』


 ルドヴィク中佐はそういうと、面前の敵に牽制のためのミサイルを発射。フレアを撒き散らしながら斜め下方宙返り(スライスバック)で逃げようとした敵機に機銃弾を浴びせる。

 これも何とか避けた敵機の先にいたのは、アルファ4がルドヴィク中佐と同じように追い込んでいたBol-31だった。


 回避しきれず、衝突。ルドヴィク中佐が追尾していた方は右の主翼を、アルファ4が追尾していた方は尾翼を失い、どちらもコントロール不能に陥る。そして、ルドヴィク中佐とアルファ4の正面には、シバ中尉が追い込んだ敵機がいた。


 前後を抑えられて動揺した敵機は、何とか離脱しようと180度ロールし、スプリットSを試みる。

 彼は高度計を確認するべきだっただろう。高度300フィートという低空からのスプリットSが成功するはずもなく、地面に激突して爆散した。


「ナイスキル」

『マニューバキルは初めてだな』

『ありゃ、敵が高度計を確認してなかっただけだ。ただの運だよ、運』

『運も大事だぜ?』


 運良く敵を撃墜することができたが、ゲート大尉は運悪く流れ弾を食らって戦死した。軽口を叩くシバ中尉がそこまで意識していたかどうかは分からない。

 だが、ルドヴィク中佐はレーダーを確認する一方で、そんなことを考えていた。


『ルナール8よりアルファ1。さらに敵機接近。対処を』

「了解。……ったく。キリがねぇな」


 午前8時51分。戦闘開始からおよそ三十分。アイギス隊が稼いだ時間は、まだ半分だった。

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