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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
8/42

第五話 雪面は崩れた(後編)

 爆音と共に通信が途絶えた。カエデたちに動揺が走る。


『大尉!』

「――いやはや。死ぬかと思ったよ」


 通信機越しに聞こえたカエデの悲鳴に、レオンハルトは苦笑いしながら答えた。何が起こったのかを聞くカエデの声に、レオンハルトの苦笑が深まる。


「まさか外したミサイルに救われるとは……。何が起こるか分からないものだな」


 敵機が放った機銃弾は、レオンハルトが突入の瞬間に牽制として発射したミサイルを直撃していた。レオンハルトが急旋回するきっかけであった警告音も、自分のミサイルが接近していることに対するものだったのである。

 至近距離でミサイルが爆発したこともあり、レオンハルトの機体には無数の破片が突き刺さっていたが、幸運なことに致命傷は免れており、戦闘機動も可能であった。


『ご無事で良かったです』

『アイギス5、あんたについていけば生き残れる気がするよ――っと、危ねぇ』

「運を使い果たした気はするが、な。それよりもよそ見をしている場合じゃないぞ、アイギス7」


 敵は撃墜を期待していなかったのか、爆発で一瞬レオンハルトの機体が隠れたにも関わらず、レオンハルトの後方に食らいついている。レオンハルトは休む間もなく、再び敵機との息詰まる戦闘へと投入した。


 不規則に撃ち込まれる機銃を、スリップ機動を駆使して躱していく。敵の動きが単調になったその時、レオンハルトは再び急減速を行った。先ほどと同じように猛烈なGが体を襲い、意識が遠のく。

 ギリギリで踏みこたえると、敵はオーバーシュートをリカバリーするべく下方宙返り(スプリットS)でレオンハルトから逃れようとしていた。


「そこだ……!」


 レオンハルトがトリガーを引くと、機銃弾が敵の進路上へと襲いかかる。

 だが、最初の数発程度がコックピット横を掠めたに止まった。敵の機体は煙を噴いているが、飛行に影響はなさそうだ。実に手強い。知らず、レオンハルトは微笑んでいた。



「ははは、腕が良い。まさかここまでの敵がいるとは」

『笑ってる場合じゃねぇって! 弾が足りねぇんだ』

『私もそろそろまずいです』

『……同じく』


 三人が三様に弾薬不足を訴える。レオンハルトにしても、弾薬は底をつきそうになっていた。そろそろ撤退しなければならない。

 とは言え、足の遅い爆撃部隊が空域を離脱するまでは、何としても粘る必要がある。


「アイギス5よりルナール6。アルデンヌは空域を離脱したか?」

『もうすぐ安全圏に到達します。アイギス隊もそろそろ撤退を』


 思わず安堵の息が漏れる。ふと、本来ならば航空支援が行われるはずだった地上部隊の動向が気になった。


「地上部隊はどうなっている?」

『第1胸甲騎兵連隊が伏撃を受けました。撤退中ですが、撤退と言うよりは潰走、と言った状況です』


 意気消沈した様子でルナール6が語る。さらに詳しく聞くと、思ったよりも地上部隊の状況は悪いようだった。


 現在、ランブイエ市郊外に布陣しているラピス国防陸軍第3機械化歩兵師団は、一個戦車連隊と三個機械化歩兵連隊、そして砲兵連隊と工兵連隊という下級部隊を抱えている。

 この戦場では、第55歩兵連隊と第92歩兵連隊が野戦陣地とランブイエ陸軍基地を利用して防衛線を構築し、第1胸甲騎兵連隊が敵戦線を押し返すという役目を担っていた。


 本来ならば、環太平洋条約機構(PATO)航空部隊の近接航空支援によって、敵野戦陣地を沈黙させた後に第1胸甲騎兵連隊が突撃、敵地上軍を駆逐する作戦であったのだが、敵新型機(ファントム)の編隊によって攻撃機が撃退されたために作戦が瓦解。

 そこで、砲兵連隊の支援砲撃の下で強行突撃を敢行したものの、敵部隊の待ち伏せ攻撃を受けて第1胸甲騎兵連隊が壊滅してしまった。


 これに乗じて敵の機甲戦力が防衛線への攻勢に移り、第3機械化歩兵師団は撤退を始めている。


『アイギス5、地上部隊からは気にせずに撤退してくれとの連絡が来ています。撤退援護のための部隊はすでにこちらへ急行しています』

「ありがたいことだが、目の前の敵がなかなか逃がしてくれなくてね」


 軽口を叩きながら、鋭く旋回して敵の攻撃を躱す。視界の先では、カエデがシザーズ機動から抜け出して敵に攻撃を仕掛けていた。


『当たらない……!』

「アイギス6、焦りは禁物だ」

『は、はい』


 カエデだけでなく、ジグムントもしびれを切らして唸りながらも敵との攻防を続けている。なかなか口を開かないイオニアスも主導権が敵機にあることに焦りを感じていた。


 そんな中にあって、レオンハルトはそれでも余裕を保っていた。当然、フライトリーダーとしての責務もあるが、彼を支えているのは自信の技量に対する確信だ。押されてはいても、パイロットとしての腕は自分の方が上だ、という強烈な自負がレオンハルトにはあった。


「各機集まれ。牽制しつつ、撤退を開始する」

『了解』


 レオンハルトに絶対的な信頼を置くカエデが即答する。一方で、ジグムントはそこまでの信頼を抱けてはいなかった。


『おいおい、大丈夫かよ』

「大丈夫だ、アイギス7。私を信じろ」


 あまりにも自信満々な口調に、饒舌なジグムントもさすがに黙り込む。どのみち、ここまで来たらレオンハルトを信じる他にないのが実情ではある。


 カエデたちがレオンハルトに近づき、ダイヤモンド陣形を取る。すると、敵編隊は四方を取り囲む態勢を取った。


『本当に大丈夫なのか? 囲まれてるぞ』

「数は同じだ。問題あるまい」

『攻撃、来ます』


 イオニアスが珍しく口を開くと同時に、編隊の左右上空を抑えた二機がこちらへと向かってきた。二機はそのまま上空からの突入コースを維持して加速する。


「アイギス6、アイギス7、そのまま左右に散開して降下しろ! アイギス8は左斜め上に上がれ!」


 突然のレオンハルトの命令――それも妙に複雑な命令――に、三人は困惑しながらも何とか従う。

 瞬間、カエデとジグムントの上空を敵が放った機銃弾が通り抜けた。レオンハルトとイオニアスの正面には、突入体勢だった敵機がいる。

 機銃弾を至近で躱しながら、レオンハルトは想定通りに、イオニアスは反射的にトリガーを引いた。


 機銃弾が高速で飛ぶ機体に突き刺さる甲高い音が聞こえた直後、二機は火を噴きながら墜落していった。キャノピーが吹き飛び、敵パイロットが脱出したのを横目で見ながら、レオンハルトたちは見事に包囲網を食い破った。


「アイギス5、一機撃墜」

『……スプラッシュ1』


 レオンハルトは心なしか誇らしげに戦果を報告し、イオニアスも珍しく愕然とした感情が声に表れていた。


『む、無茶苦茶だぜ。こんなクレイジーな戦闘、初めてだ!』

『こんな乱暴な機動が通じるなんて……』

「敵の腕は良いが、お行儀良い飛び方だったからな。荒っぽいことをしてやれば上手くいくと思ったんだ」


 残りの敵は包囲を止めて合流し、撤退しようとしている。数に差がついた以上、無理はしない、ということなのだろう。


『ルナール6よりアイギス5。敵の増援が近づいています。こちらの交替部隊も順次展開していますので、撤退を』

「ああ。了解した。……アイギス各機、任務終了だ。これより空域を離脱する」

『了解』

『ソワソン空港で補給の準備をしています。補給完了後、基地への帰投を許可します』


 了解、と応じて通信を切る。再びフィンガーチップ隊形を取りながら、戦場の空を北東へと飛んでいった。


 開戦から一週間となったこの日、ラピス陸軍第3機械化歩兵師団が戦力の20パーセントを失って戦線を離脱、空軍も投入した戦力の半数を失うという大損害を受けた。

 翌日にはランブイエ市がレウスカ人民軍の支配下となり、これによってレウスカ人民軍はラピス中央部進出のための橋頭堡を確保したこととなる。


 戦況は悪化の一途をたどっていた。







 レオンハルトたちが何とか危機を脱してランブイエ市から撤退し、サン・ミシェル基地に帰投したちょうどその頃。


 レウスカ北東部の要所ジュシェフにある空軍基地にもランブイエでの戦闘を終えたレウスカ空軍機が滑走路に降り立ち、駐機エプロンに向かっていた。

 二機の戦闘機は、PATO軍にファントムと呼称される例の新型機だ。先を行く機体の側面には百合の意匠が描かれ、もう一方には鴉の意匠が描かれている。


 指定された位置で機体が停止すると、パイロットが降りてくる。ヘルメットを脱いだ一方のパイロットは女性だった。


「ソーニャ、何とか生き残れたな」

「ええ。今度ばかりは死ぬかと思った」


 二人の男女はエプロンからパイロットの詰め所へと歩いている。そこへ制服を着た男性がやってきた。


「ソーニャ、ヴィクトル、ご苦労だったな」

「いえ。任務ですから。それに二人も撃墜されてしまいました」


 ソーニャと呼ばれる女性がうつむくと、制服の男性はソーニャの両肩に手を置いた。


「君が気に病む必要はない。二人は無事に救助隊に保護されている。これ以上の戦闘は無理なので本国へ帰ることになるが、な」


 制服を着た男性はわずかに表情を歪めたが、すぐに真顔に戻って言葉を続けた。


「戦闘記録を見たが、あれは敵のパイロットが一枚上手だった。PATOのパイロットがまさかあれほどとは」

「それは……確かに、そうでした。あの一番機は特に……」

「すでに補充要員も本国に要請している。一週間後に到着する予定だから、それまでは君たち二人は待機要員として扱われる」


 男性がソーニャの両肩においた手を戻し、後ろで組みながらそう告げると、ヴィクトルと呼ばれた男性パイロットがニヤリと笑った。


「実質、臨時休暇ってわけですな。このところ働き詰めでしたからちょうど良い」

「君たちがうらやましいよ。同志サプチャークからは頻繁に出撃要請が来ていてね」

「お偉いさんも大変ですな。ラトキエヴィチ閣下へのゴマすりに忙しいと見える」

「そのくらいにしておけ。誰が聞いているか分からん」


 制服の男性が苦笑いしながらたしなめると、ヴィクトルは肩をすくめた。


「そうそう。忘れていたが、君たち二人は待機中も任務に就いてもらう。レウスカの党機関誌(トリブナ)だけでなく、本国からも政府機関紙(ミール)党機関誌(ラボル)が取材に来ていてね。悪辣な資本主義者の陰謀と戦う、義勇兵を是非取材したいとのことだ」

「義勇兵なんてここにはいませんがね」


 皮肉っぽく笑ったヴィクトルに対して、ソーニャの顔は不安に彩られている。


「大々的に報道しても大丈夫なのかしら。一応、私たちは義勇兵とはなっているけれど、下手をしたら我が国は戦争に巻き込まれるんじゃ――」

「――上層部の考えは分からん。私たちにできるのは、命令に従って飛ぶだけだ」


 諦観した様子で制服の男性がソーニャの言葉を遮ると、ソーニャは気まずそうに黙り、ヴィクトルも笑みを収めて苦々しそうな表情をした。


「とにかく休みたまえ。今日は疲れているだろうから、取材は断っている」


 制服の男性がそう言うと、二人は頷いて詰め所の中に入っていった。


 女性パイロットの名はソーニャ・ヴィクトロワ。男性パイロットの名はヴィクトル・セレズネフ。いずれも統一連邦空軍の第71戦闘機連隊に属する空軍大尉で一線級のパイロットだ。

 そして、制服姿の男性は、彼らを統率し自らもパイロットとして戦場の空を飛ぶ、第71戦闘機連隊の連隊長ミハイル・カザンツェフ中佐である。


 彼らは今回の事変――統一連邦では終戦までレウスカ事変という呼称が貫かれた――に際して義勇兵としてレウスカ人民軍に馳せ参じた、とされている。

 彼ら第71戦闘機連隊を始めとする統一連邦空軍の増援には、統一連邦が新たに開発したSt-37――通称「疾風(ウラガーン)」が配備されており、これこそが開戦以来、東側諸国の軍事専門家に衝撃を与え続けているファントムの正体である。


 また、空軍だけでなく陸軍からも四個師団に相当する戦力がレウスカ人民軍に派遣されており、これら陸空の部隊を「レウスカ義勇軍団」として統括指揮しているのが、統一連邦軍の守旧派に属するサプチャーク陸軍中将であった。


 サプチャーク軍団とも称される統一連邦義勇部隊の存在は、このソーニャたちを取材した記事によって世界中に知れ渡る。それは、行き詰まった社会主義体制の改革(ペレストロイカ)を推し進め、同時に東側諸国との友好関係確立に努めていた、統一連邦のメニシチコフ書記長にとって大きな痛手となった。

 東西の軍事的緊張は飛躍的に高まり、結果として統一連邦では軍部の発言力が拡大する。それこそが、守旧派軍人たちの描いたシナリオでもあった。


 もちろん、統一連邦自体がPATOとの戦端を開けば、それはすなわち核戦争の勃発を意味することとなる。そのような事態に発展しないように、しかし軍部の発言力は増すように軍事的緊張を煽る。

 メニシチコフ書記長の改革路線に反発している統一連邦共産党の保守派と結びついた統一連邦軍守旧派の陰謀は、今のところ成功していると言えるだろう。

 それは、統一連邦内部の暗闘を利用して自らの権勢拡大を狙うレウスカのミハウ・ラトキエヴィチ議長にとっても、戦線を拡大する好機となることを意味していた。







 時を前後して、ラピス陸軍第3機械化歩兵師団がランブイエ市郊外での攻防戦に敗れて戦線を離脱した6月24日の深夜。

 ラピス政府の国防会議が緊急招集され、総統官邸(グラン・パレ)の大会議室には関係閣僚を始め、国防軍参謀本部の将官たちやPATOラピス特別展開部隊(LSDF)の将官、さらには立体映像ではあるものの、PATOの楼州連合軍最高司令部(SHAPoL)の将官が集まり、壮観な眺めとなっていた。


 会議室入口から見て、大円卓の最奥にいるのが、ラピス共和国の国家元首たるパトリエール総統であり、その左右にはゼレール外務大臣とバルトローヌ国防大臣が座っている。

 両名とも、パトリエール総統が率いる右派政党「新国民連合」の政治家で、特にバルトローヌ国防大臣は、パトリエール総統と戦場を共にしたこともある退役軍人であり、信頼の厚い人物であった。


 一方、パトリエール総統のちょうど向かい、会議室入口そばの席に立体映像として映し出されているのが、PATO楼州連合軍最高司令官のライマン・ウォーカー元帥だ。

 ウォーカー元帥は第二次世界大戦で歩兵中隊長として活躍、その後もオーヴィアス連邦が世界各地の紛争に介入するたびに、指揮官として参戦して功績を挙げている。ウォーカー元帥がオーヴィアスの英雄と称えられるようになったのは、やはり第二次南北戦争であろう。


 レベイ戦争の敗戦によって威信を失ったオーヴィアス国防軍において、軍政樹立を目指す急進派が台頭。これに一部の野心的政治家やベルク系の旧貴族層が結合して勃発したのが第二次南北戦争だ。

 オーヴィアス連邦の南部五州を制圧していた南軍に対して、北軍の司令官として容赦のない鎮圧作戦に打って出たのが当時のオーヴィアス北方軍司令官ウォーカー大将であった。

 南軍殲滅とも称されたこの鎮圧作戦において、民間人の死傷者が少数であったことは、彼の鎮圧作戦に対する世間の評価を大いに上げることとなった。


 内戦後、退役して大統領選挙への出馬も噂されたウォーカー元帥だったが、あくまで軍人であることにこだわり、オーヴィアス国防軍の軍人としては第二次世界大戦以来となる元帥昇進を経た今も、PATO楼州連合軍最高司令官として軍の要職にある。


 英雄と称されるパトリエール総統、ウォーカー元帥の二人が参加する国防会議は、皮肉にもPATO軍の劣勢について、が議題であった。


「――ということで、レウスカ人民軍がランブイエを占領した以上、遠からず中央部への進出を図ることは確定事項と言えます。これを阻むには、我が軍の総力を挙げて迎撃する他にありません」


 PATOの参謀が厳しい現状を述べた後、私見を述べる。すると、ラピス国防軍高官が発言を求めた。


「とは言うが、現状は厳しいぞ。第3師団は前線に出せないし、第6師団も大漢の動きに備えてバレンシアからは動かせん。第7師団も再編中とあっては、動かせるのは第1、第2、第5、第8の四個師団だけだ」


 ラピス国防軍高官が述べたように、社会主義諸国の一つである大漢人民連邦と国境を接するバレンシア連邦にはラピスが主体となるPATOの部隊が展開している。社会主義陣営との全面対決が起こりかねない現状、そこから兵力を引き抜くのは困難だった。


「十分な戦力ではありませんか? 正面の敵は第1軍とのことですが、第1軍が擁する六個師団の内、二個師団はバーレン方面に出ています。PATOの部隊も考えれば押しとどめることは可能かと」

「仮に撃退できたとして、回復が困難なレベルの損害を受ければ敗北と同じだ。敵は悠々と増派部隊を投入して我が国を占領するだろう」


 議論は紛糾している。彼らが職務に真剣であるからこそ、意見の対立が生じるのだろう。大まかに意見は二分されていると言って良い。

 すなわち、全軍を結集してレウスカ人民軍の進撃を抑えることを主張する者たちと、全軍は投入せず、敵に無視できない程度の損害を与えながらも、国外での抗戦も視野に入れた行動を主張する者たちの二派だ。

 前者はラピスの国力に深刻な損害を受ける危険性が、そして後者には一時的かも知れないが、国土が敵国の占領下に置かれるという問題がある。


 両者の議論が白熱する最中、今まで議論を見守っていたウォーカー元帥が発言を求めると、途端に会議室は静かになった。


『まずは謝罪をさせてほしい。かような事態に陥ったのは、PATO諸国の安全保障に関して大きな権限と責任を有する我々PATO軍事委員会が有効な手段を打ち出せなかったことが原因だ』


 冒頭から謝罪をしたウォーカー元帥に対して、会議室には動揺が走る。唯一、微動だにしなかったのはパトリエール総統だった。


『私としては、戦後のことも考えてラピス国防軍の戦力を温存するべきだと考えている。先ほど、国防大臣が仰っていたように、一度撃退できたとしても、敵はさらなる増援を繰り出してくるだろう』

「……つまり、我が軍は国外での抗戦を選択すべきである、と?」


 パトリエール総統が静かな声で問うと、ウォーカー元帥は頷いた。周囲は固唾をのんで英雄二人のやりとりを見守っている。


『不快を承知で申し上げるが、レウスカ人民軍は戦力において我々PATO軍事委員会の予測を上回っている。おそらく、統一連邦が部隊を派遣しているのでしょうが、我々は数においてやや劣勢です』


 ウォーカー元帥の言葉に、パトリエール総統が苦々しい表情で頷いた。


「否定できませんな。我が国も他国もレウスカが戦端を開くとは思っていなかった。故に軍の動員が遅れている」

『ええ。ですから、レウスカ人民軍の進撃が限界点に達したところを叩く。それこそが、PATO軍の損害を抑える有効な手段となるでしょう』

「元帥の作戦案は有用だ。それだけに、ただ一点が悔やまれる」


 パトリエール総統の言葉に会議室がざわめく。ウォーカー元帥の提案に、欠点があると暗に言っているのだ。


「軍は良いでしょう。被害を抑えられる。レウスカの補給線も無尽蔵に広げられるわけではない。いずれ必ず限界点に達し、そこを叩けばPATOは勝利を得られる」

『……』

「では、それまでレウスカの支配下に置かれる我が国の国民はどうなるのです?我が国だけではない。すでにバーレン王国も西部諸都市を失っている。レウスカ人民軍が進撃を続けると言うことは、レウスカの支配下に置かれる無辜の市民が増えると言うことです」

『それは……』


 元軍人でありながら、為政者でもあるパトリエール総統は、敵国の占領下に置かれることとなる民間人について言及した。

 それが例え選挙に対する政治家としての本能から出たものであったとしても、国民を想うものには違いなかった。


「ウォーカー元帥の言も正しい。戦力は温存するべきだろう。だが、国を守る者としての責務を中途半端にするべきではない」

『……決戦を挑む、と?』


 パトリエール総統はウォーカー元帥に対して頷き、立ち上がって宣言した。


「国内に展開する国防軍全部隊は、首都ヴェルサイユ防衛のために集結。レウスカ人民軍の進撃を可能な限り押しとどめる。市民は郊外へ避難誘導し、同時に国外での抵抗活動を続けるための一個師団も脱出させる」

「第8海兵師団が良いでしょう。あれならば国外での活動に適しています」

「うむ。海軍も避難を。艦隊に関しては再建があまりにも難しすぎる。できる限り温存したい」


 海軍の地中海艦隊司令官が大きく頷いた。


「非戦闘要員は順次国外への撤退を。戦闘要員は、決戦に敗れた場合は戦闘を継続しつつ、国外への撤退を行ってほしい。もちろん、困難であれば降伏を」

『PATOも全面的に支援いたします』

「この方針で行こうと思うが異論はあるかね?」


 全員が首を振る。ここに至って覚悟を決めたようだ。


「よろしい。では決戦だ。第二次世界大戦以来の国難であるが、諸君の努力に期待する」

「はっ」

「最後に、レウスカに敗れた場合、ゼレール外相を全権代行として亡命政府をオーヴィアス連邦に樹立する。ゼレール外相、良いですね?」

「総統閣下のご命令とあらば」


 ゼレール外務大臣が深々と一礼すると、パトリエール総統は会議の終了を告げた。


 この後、ゼレール外務大臣を始めとする数人の閣僚、官僚、軍高官がオーヴィアス連邦へ脱出。第8海兵師団も地中海艦隊と共に大陸北部のブリタニア王国へと避難していった。

 そして、国外脱出を図る国民を最後まで守るべく、ラピス国防軍は残存戦力をヴェルサイユ前面に集結させ、野戦陣地の構築を開始したのである。


 各地に展開している空軍部隊も次々にヴェルサイユ国際空港を拠点として集結を命じられた。その中には、もちろんサン・ミシェル基地に駐留していた第231飛行隊(アイギス隊)も含まれていた。







 国防軍のヴェルサイユ集結が決定された翌々日。非戦闘要員から順次撤退が始まっているサン・ミシェル空軍基地のレーダーに接近する敵影が捉えられた。アラート待機をしていたラピス空軍の第11飛行隊の二機が出撃し、第11飛行隊の他の所属機も準備が完了した者から次々に離陸している。


 そんな中、基地司令のルシーヌ大佐は残存する全パイロットに対してブリーフィングルームへの集合を命じていた。

 ブリーフィングルームはアイギスの各パイロットの他、ラピス空軍のパイロットたちがぞろぞろと入室し、普段では考えられない人口密度となっている。


「クシロ、大丈夫か?」

「はい。皆さんとても親切ですから」


 少し遅れてやって来たレオンハルトに対して、この人口密度の中で妙に開いた空間の主となっているカエデが微笑みながら答えた。瞬間、質量を伴っているような視線がレオンハルトに集まる。

 カエデは美人と評されるに相応しい容姿の持ち主であるため、自然と周囲の耳目を集めやすい。特にこのような女性が少ない現場では、あわよくば、を考える男は多かった。


 そんな男どもにとって、空でのパートナーであり、彼女との会話をすることに関して特段の大義名分を必要としない――もちろん、カエデとの会話にそもそも大義名分などは必要ないのだが――レオンハルトは、宿敵とも言って良い存在だった。

 レオンハルト自身も、美男子とまでは言えないが整った外見をしている。加えて、常に自信にあふれた態度や言動を取っているために、カエデとのお近づきを狙う男たちからは目の敵にされていた。


 無論、そんなことを気にするようなレオンハルトではなく、当然のようにカエデの隣に座り、殺意のこもった視線を増やした。


「やっぱり皆さん、ピリピリしてますね」

「仕方あるまい。レウスカ軍の進撃は予想よりも早いからな」


 周囲の視線の意味を勘違いしているカエデに対して、レオンハルトはそれに合わせた答えを返す。レオンハルト自身が周囲の視線の意味を理解しているかどうかは、本人にしか分からない。

 妙な緊張感がレオンハルトとカエデを中心としてブリーフィングルーム全体を包む中、ようやくサン・ミシェル基地司令のルシーヌ大佐が入室してきた。


「遅れてすまない。――ああ、立たなくて結構。早速だがブリーフィングを始める」


 軍人というよりも教師といった風貌のルシーヌ大佐が穏やかな声で説明を始める。ルシーヌ大佐に続いて入室してきた女性がリモコンを操作し、立体映像が浮かび上がった。


「現在、敵航空部隊の接近に対して第11飛行隊が迎撃に当たっている。これを見てくれ」


 サン・ミシェル基地周辺の地図を表示していた立体映像が、ラピス南西部からレウスカ北東部にかけての広域地図に切り替わった。偵察衛星の映像から割り出されたレウスカ軍の配置が分かる限りで表示されている。


「ランブイエ市を占領したレウスカ軍は、先ほど前進を始めた。明日には先遣部隊がサン・ミシェルまでたどり着くだろう。それよりも問題なのはこいつだ」


 ルシーヌ大佐の言葉に合わせ、Enemy Flight Groupと表示された光点が明滅する。


「およそ五十から六十と思われる敵航空集団が接近中だ。第11飛行隊が接触したのはおそらくこの集団の先遣部隊だろう」

「……」

「非戦闘要員の脱出まで二時間はかかるが、一時間ほど足りない。遅滞戦闘を行う必要がある。――誰か、志願する者はいないか?」


 ブリーフィングルームが静まりかえる。遅滞戦闘への志願は、一種の自殺行為だ。味方からの増援はなく、増え続ける敵を相手にしなくてはならない。


「誰か、いないか?」

「――クシロ、良いかな?」

「問題ありません」

「まずは私たち二人だ」


 レオンハルトとカエデが手を挙げる。すると、後ろの方から豪快な笑い声が聞こえてきた。


「レオもカエデも相変わらずだな。お前らが出て、隊長の俺が出なかったら沽券に関わるじゃねぇか。俺も出るぞ」


 ルドヴィク中佐が不敵な笑みを浮かべながら手を挙げた。それに続いてアイギス隊の面々が次々に手を挙げる。


「良いのか? 君たちは我が国に対する義理はないはずだが」

「ふん。これが俺たちの任務だ」


 鼻を鳴らしたルドヴィク中佐に対し、ルシーヌ大佐が笑いながらすまない、と言った。


「それでは、遅滞戦闘は第231飛行隊に頼む。他の面々は非戦闘要員の保護に全力を傾けてくれ」


 ルシーヌ大佐がそう言ってブリーフィングを終え、全員が立ち上がり、敬礼する。ルシーヌ大佐が退出した後、ラピス空軍のパイロットたちも次々にブリーフィングルームを飛び出していった。


「レオ、カエデ、言い出しっぺはお前らだ。一番キツいところは任せるぞ」

「最初からそのつもりですよ、中佐」

「ええ。私も異存ありません」


 ブリーフィングルームに残ったアイギス隊の面々がレオンハルトとカエデを囲む。全員の顔には――イオニアスを除いて――ルドヴィク中佐と同じく不敵な笑みが浮かんでいた。

 三十分後、彼らは機上の人となり、続々とグラン・プラトーの空へと離陸していった。すぐに第11飛行隊と交替し、敵航空部隊と対峙する。


 後に「サン・ミシェルの一時間」と呼ばれることとなる航空戦が幕を開けようとしていた。

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