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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
7/42

第四話 雪面は崩れた(前編)

 1991年6月17日、レウスカ人民共和国国家評議会議長の声明


 昨日、環太平洋条約機構(PATO)並びに楼州議会は我々のラピス共和国への攻撃にかこつけて、我々に対する最後通牒を突きつけた。

 しかし、そもそも今回の攻撃は、我々人民に対する攻撃を目論むオーヴィアス連邦とその同盟国に対する膺懲(ようちょう)の一撃であり、その根本的な原因たるは軍事衛星「ピースメーカーⅠ」に他ならない。

 この衛星によって世界人民の強圧的支配を目論んだオーヴィアス連邦とその同盟国に対して、我々レウスカ人民は強く抗議を表明するものであり、脅威の排除のために、人民軍は圧倒的軍事力を発動し、悪しき企みを打破する準備を既に終えている。

 レウスカ人民の代表たる者の責務として、私、ミハウ・ラトキエヴィチはただ今を以て、PATOに対する脅威排除行動に移ることを宣言する。

 PATO及び楼州議会は、かかる事態に発展した責任を自覚し、直ちに我々人民に対する謝罪と賠償を行うことを求めるものである。


 レウスカ人民共和国 国家評議会議長 ミハウ・ラトキエヴィチ







 6月17日の正午に行われたミハウ・ラトキエヴィチ議長の宣戦布告とほぼ同時刻、ラピス及びバーレン王国との国境沿いに展開していたレウスカ人民陸軍の第1軍が、レウスカ人民空軍の支援の下に進撃を開始した。

 予想を遙かに上回るレウスカ人民軍の侵攻に対し、PATO上層部は為す術なく事態を傍観していたと言っても過言ではない。


 開戦翌日には、ラピス国境の街アルクイユがレウスカ人民軍の手に落ち、さらにその翌日、バーレン陸軍の第1歩兵師団が国土最西端のスヘルメル市郊外でレウスカ人民陸軍の第4装甲師団と交戦。一方的な敗戦を喫し、バーレン西部の主要都市マールセンへの撤退を余儀なくされていた。

 地中海を挟んでセルシャ大陸東部、「共産圏に打ち込まれた東側諸国の楔」とも称される東ベルクでも、海上で国境を接するレウスカとの間で小競り合いが勃発。沿岸警備隊だけでなく、海軍が出動する事態へと発展している。

 6月22日、ラピス中央部への進出を試みたレウスカ人民軍を、ラピス国防陸軍とラピス特別展開部隊(LSDF)の連合部隊がようやく押しとどめたのが、ここ数日の唯一の反撃と言える。


 ここに来て、ようやくPATO楼州連合軍が武力制裁の開始を宣言するものの、レウスカは開戦に踏み切れないだろう、と高をくくっていたPATO諸国の動きは鈍く、レウスカ人民軍は予想外の快進撃を続けていた。







 東側の盟主たるオーヴィアス連邦の首都ウェルズリーには、PATO軍の主力を構成する楼州連合軍、その総司令部たる楼州連合軍最高司令部(SHAPoL)が置かれており、開戦以来、連日に渡って会議が開かれている。

 開戦から一週間となる6月24日の朝も、同様に会議が開かれていたが、この日は少し異なる様相を呈していた。


 SHAPoLの最高戦略会議に参加する資格を有するのは、楼州連合軍最高司令官のライマン・ウォーカー元帥、副最高司令官のデズモンド・フィッシャー大将のツートップを始めとして、ニールセン人事部長、ハーゼンバイン作戦部長、ブルゴー情報部長などのSHAPoL各部長、そしてPATOのスタウニング事務総長と楼州議会のカンパニョーラ議長だ。


 だが、この日の会議にはオーヴィアス連邦及び戦場となった二国の政府首脳、すなわち、アルバート・クーリッジ大統領、フランシス・ドゥ・ラ・パトリエール総統、ユスティヌス・ファン・ボット首相が、オブザーバとして立体映像という形で参加していたのである。

 オブザーバとは言え、三人はそれぞれの国の国民が認めた政府首脳であり、所詮は一軍人に過ぎないSHAPoLの面々が無視できる面子ではない。

 スタウニング事務総長とカンパニョーラ議長が招いた、という事実もあって、彼らは堂々と会議における発言権を行使していた。


「――以上、ご説明の通り、レウスカ人民軍の侵攻は予想を遙かに上回るペースで進んでおり、防衛計画は破綻した、というのが現状です。早急に対応策を協議する必要があると思われます」


 作戦部長のハーゼンバイン大将――東ベルク陸軍所属――が列席者の眼前に浮かんだホログラムディスプレイに資料を表示させながら、戦況の説明を行う。開戦以来、早くもお馴染みとなった光景だが、説明される戦況は悪化の一途をたどっていた。


「予想を上回る? 防衛計画は破綻した? それは作戦部の立てた見積もりが甘く、従って作戦も稚拙になった、ということでしょう。作戦部長はご自身の責任を理解されていないようだ」


 ハーゼンバイン大将の説明に対し、中央ローヴィス連邦(FCL)から選出されたニールセン大将が粗探しをするのも、これまたお馴染みの光景である。

 その後、ハーゼンバイン大将が情報部の情報収集能力を(なじ)り、ブルゴー大将が顔を真っ赤にして反論。そこでようやくウォーカー元帥が仲介に入る、というところまでがいつものパターンだったのだが、今回は違った。


「誰にどのような責任があるかを追及するのは、戦争が終わってからでもできることだ。今しなくてはならないことは、今後どうするのか、を話し合うことではないかね?」


 細身で引き締まった体躯をラピス国防軍の退役軍人用礼装で包む初老の紳士が不毛な争いを打ち切ったのである。かつて、ラピス国防軍参謀総長にまで登り詰めたラピスの国民的英雄、パトリエール総統だ。


 彼は1976年から1977年にかけてオーヴィアス連邦で勃発した第二次南北戦争に、北軍の援軍として派遣され、多大な功績を挙げた元軍人である。1985年には42歳という若さにしてラピス国防陸軍参謀総長に就任し、翌年に勃発したバレンシア連邦と大漢人民共和国の紛争に介入、バレンシア連邦の勝利に貢献している。

 1990年に軍を退役して総統選挙に出馬し、圧倒的な国民の支持を受けて当選。国際社会でも強烈な存在感を示すリーダーだ。


 いつもならば不毛な議論に勢いよくのめり込んでいくブルゴー大将も、そんな頼れる総統閣下の追従者として、ニコニコと笑いながら頷いている。


「その通り。レウスカは今も我が国土を蹂躙し続けているのです。是非、お二方にもご協力いただきたいものですな」

「ブルゴー大将、事は我が国だけの問題に留まらない。東側全体の問題となっているのだ。そのことを忘れてはいけないぞ」


 パトリエール総統自身は、追従者に対して何のありがたみも感じていなかったらしい。思わぬ言葉に、ブルゴー大将は笑みを硬直させ、冷や汗を拭うほかなかった。


「現在動かせるPATOの戦力はいかほどなのですかな?」


 髭を蓄え、見事な白髪であるために、実際の年齢よりも年老いて見えるファン・ボット首相の質問によって、脱線しかけた会議が元の流れに戻る。

 ファン・ボット首相の疑問に答えたのは、動員計画も担当する人事部長のニールセン大将だった。


「ラピスとバーレンへの即時転換が可能なのは、やはり南楼連合部隊(UFSL)でしょう。FCLと東ローヴィス連合(ELAR)の計二個師団が、三日以内に戦線正面への展開を終えられます」

「レウスカが現在動かしているのは第1軍の一個軍のみですが、第2軍と第4軍が動いたという情報が入っています。第3軍も近日中に再編を終えると思われますので、レウスカはすぐにでも、全軍を戦線に投入することが可能になるでしょう」


 会議が本題に入ると、先ほどまでの厭みの応酬が嘘のように、ニールセン大将もブルゴー大将も己の職分に相応しい様子を見せている。


「作戦部としては、まずは戦線を後方に下げ、態勢を整えなければどうしようもない、と考えております」

「こちらが退けば、向こうは押してくるだろう。ずるずると敗走する羽目にならんかね?」


 ハーゼンバイン大将の説明に、クーリッジ大統領が疑問を示す。確かに、レウスカの進撃速度は予想を上回るスピードとなっている。戦線の後退が、戦線の崩壊を招きかねない、というのは妥当な危惧だ。


「ですが、このままレウスカ軍に当たっている部隊を踏みとどまらせたとしても、無用な損害を出すだけです。増援が間に合わない以上、後退はやむを得ません」

「作戦部長の言の通りでしょう。前線からは、包囲の危機にあるため撤退させて欲しい、という要望がいくつか届いています。我が軍には、残念ながら敵を打ち払うほどの力がない」


 パトリエール総統の表情には屈辱と無念が刻まれている。軍人としてこれ以上ない栄誉に包まれた彼にとって、現状は不本意でしかないものだ。


「……列席の方々、一つ良いだろうか」


 今まで黙りこくっていたウォーカー元帥が発言を求めたことで、活発に議論を交わしていた面々が静かになり、ウォーカー元帥を一斉に見た。それを受け、ウォーカー元帥が口を開く。


「SHAPoLとして手を打てるのは、ラピス・バーレンへの増援の手配、そして万が一の場合に備えた後方戦線の形成だろう」

「万が一、というと――」

「――ラピス・バーレンの陥落、ですか」


 蒼白になったブルゴー大将の言葉をパトリエール総統が引き継ぐ。


「ええ。雪崩のような勢いで進撃するレウスカ人民軍を防ぐのに、UFSLの二個師団では明らかに不足だ。二重、三重の堰を用意しておく必要がある」

「……そこまで事態は深刻なのかね?」

「はい、大統領閣下。場合によっては、海外に展開する我が軍の呼び戻しも必要になります」


 ウォーカー元帥の言葉に、全員が頭を抱える。ウォーカー元帥自身の表情も、険しいものであった。


 その後、大陸東部に展開するPATO軍部隊の一部を早急に西方へと転換すること、また日本やガリア王国などの太平洋諸国に対して、一層の戦力供与を求めることを決定し、この日の会議は終わった。







 同じ頃、大陸の反対側ではレウスカ人民陸軍第1軍の司令部が、テレビ電話を通じてポモージェのミハウ・ラトキエヴィチ議長への戦況報告を行っていた。


『――ふむ。作戦の進捗は順調と言って良いのだね、クラトフスキー大将?』

「はっ。ラピス・バーレンへの同時侵攻と橋頭堡確保は三日以内に完了する予定です。予定を前倒しして、ラピス・バーレンの制圧へと移れるかと」


 画面一杯に映るミハウ・ラトキエヴィチ議長の前に立つ軍人たち、その最前列に立った男性が頷きながら報告する。

 胸元に多数の勲章をつけたこの白髪の男性こそ、ラピス・バーレンへと攻め込んだレウスカ人民陸軍第1軍の司令官、トマシュ・クラトフスキー大将だ。


 軍に入隊してから三十五年、統一連邦が各地で引き起こした戦乱に、トルナヴァ条約機構の一員として何度も参戦してきた歴戦の将軍である。

 軍の要職がラトキエヴィチ派で固められていく中、参謀総長のソビエスキー元帥と共に、専らその高い能力によって現在の地位を手に入れた貴重な人物だ。


 今回のラヴィーナ作戦に当たって、本来ならば首都の守りを担う第1軍が先鋒として投入されたのも、クラトフスキー大将の高い戦術能力が買われてのことであるという。


『よろしい。君には期待している。今後も頼むよ』

「はっ」


 一同が敬礼し、それに満足げにミハウ・ラトキエヴィチ議長が頷いたのを最後に、通信が終了する。

 通信が終わった途端、クラトフスキー大将の周囲に控える参謀たちはため息をついた。


「はぁ。なぜあんな奴のために……」

「その辺にしておけ。どこに内務省公安部(ABP)の耳があるか分からんぞ」


 クラトフスキー大将の言葉に、愚痴をこぼした参謀が慌てて口をつぐむ。


 ABP――ミロスワフ・ラトキエヴィチ指揮下の秘密警察は、国家の至る所に情報提供者を抱え、体制に不満を持つ者を秘密裏に処刑していると噂されている。

 事実として、ポモージェでは行方不明者が毎日のように出ており、中には陸軍の佐官や中央省庁の中級官僚など、体制側の人間も行方不明となっていた。


「まあ良い。ひとまず解散だ。1700(ヒトナナマルマル)に作戦会議を開くから忘れぬように」

「はっ」

「それとヤ――んんっ、ザモイスキー参謀長は後で私の執務室まで来てくれ」

「了解であります」


 五分後、クラトフスキー大将の執務室には二人の男の姿があった。一方は部屋の主であるクラトフスキー大将、そしてもう一方は参謀長のザモイスキー中将だ。


「さて。現状はまずまずと言ったところかな、ヤチェク」

「ああ。まだまだ敵の混乱は続いている。情報部によれば、PATOの上層部はようやく二個師団を増援として回すことを決めたそうだ」

「その程度なら一度の戦いで撃破できる。問題はないな」


 司令官と参謀長、上下関係にある者同士の会話としてはフレンドリーに過ぎるものだが、それは二人が幼馴染みであり、士官学校の同期でもあるからだ。


「しかし、まさか東側へ攻め込む日が来るとは。人生何があるか分からんものだ」

「全くだ。俺は統一連邦が先頭に立って、無理矢理戦いに引きずり出されるものとばかり思っていたよ」


 クラトフスキー大将がため息をつくと、ザモイスキー中将が肩をすくめながら冗談交じりに笑う。


「統一連邦、か……。そういえば、例の義勇軍団とやらは今どこに?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 ザモイスキー中将が机の上に置いてある資料の山を漁る。


「あったあった、これだ。義勇軍団のサプチャーク中将から報告書が出ている」

「見せてくれ。……ランブイエか。第3師団を動かそうかと思っていたが、手間が省けたな」


 言葉とは裏腹に、クラトフスキー大将の表情は苦々しい。


 義勇軍団とは、宣戦布告と同時にレウスカへと送り込まれた統一連邦の義勇軍(・・・)だ。ラピス・バーレンへの侵攻に当たって、義勇軍団も第1軍と行動を共にしていた。

 統一連邦地上軍のサプチャーク中将が率いる義勇軍団の戦力は、地上軍四個師団、空軍八個連隊からなる大規模なものであり、「義勇」の文字が入っているとは言え、事実上の増援である。


 彼らは統一連邦軍によるトルナヴァ条約機構の指揮権を盾に、レウスカ軍の指揮系統に組み込まれることを拒否しており、侵攻作戦を順調に進めるクラトフスキー大将の、唯一の頭痛の種となっていた。


「メニシチコフも何を考えているのやら。穏健派だと聞いていたんだが」

「よくあることさ。政治家の言うこととやることが違う、なんてのは」

「それもそうか……。まあ良い。ともかく、ランブイエには義勇軍団が進出している。ならば、戦力を他に回せると言うことだ」


 クラトフスキー大将は自分に言い聞かせるようにそう言うと、ザモイスキー中将と共に作戦計画の見直しに取りかかった。







『あー、ちくしょう。俺たち働きづめじゃねぇか。そろそろ休みたいぜ』


 通信機越しに聞こえてきたアイギス7――ジグムント・クレンツ中尉のぼやき(・・・)に、レオンハルトは思わず苦笑した。


 1991年6月24日午前8時。前日から降り続いた雨がようやく止み、雲の切れ間から太陽が見えてきた、ラピス南西部をアイギス隊所属の四機が飛んでいる。

 レオンハルト率いる四機編隊(フライト)には、出撃してからずっと喋り続けているジグムントの他、レオンハルトの相棒であるカエデ、そしてジグムントの僚機を務めるイオニアス・ヴェニゼロス少尉――コールサインはアイギス8――がいた。


 アイギス隊はいわゆるサン・ミシェル事件で三人のパイロットを失った後、残る十三人のパイロットが三つの班に分かれ、ラピス・バーレン各戦線からの出撃要請に応じている。

 レオンハルトはその内の一班のフライトリーダーを務めており、ここ数日は毎日五回以上の出撃を行っていた。


『まもなくランブイエの戦闘空域に入ります』


 カエデの声がレオンハルトを現実に引き戻す。眼下にはランブイエの街が広がっていた。


 ランブイエは17世紀頃に形作られたラピスでも比較的新しい街で、市街中心部の丘にはかつてこの地方を領有したクレイヤンクール家の居城がそびえ立つ。


 ラピス国防軍は、ランブイエ市街地の西に広がる平原に即席の基地を形成しつつある敵地上軍の撃破を目標として、第3機械化歩兵師団をこの作戦に投入している。

 そして、レオンハルトたちはその航空支援としてサン・ミシェルからやってきたのであった。


『――こちら、早期警戒管制機(AWACS)。コールサイン、ルナール6。応答願います』


 ハスキーな女性の声が通信機越しに聞こえてくる。どうやら戦闘空域に入ったようだ。


「こちら、アイギス5。通信良好」

『一日ぶりですね。早速ですが、管制誘導を開始します』

「了解」


 ラピス空軍が保有するAWACS――コールサインはルナール――のオペレータは、つい一昨日の戦闘空中哨戒任務の際にもレオンハルトたちを担当した女性士官だった。


『ポイントE2からD3にかけて、敵地上部隊の野戦陣地が確認されています。アイギス・スコードロンはこの空域の戦闘空中哨戒をお願いします』

「了解した」

『昨日、隣接空域で例の新型が確認されています。レーダーで捉えにくいタイプのようですから、そちらでも警戒を怠らないようにお願いします』


 ジグムントがわざわざ通信をオンにして唸っている。ジグムントは新型にしてやられた先日のことを思い出しているのだろう。気持ちは分からないでもない。


『そうそう。PATO上層部はあの新型にコードネームを割り当てたそうですよ。確か――』

『フランカー、だ。私はファントムの方がしっくりくると思うのだがな。……こちら、ルナール1。戦場にようこそ。さて、私語も良いが、お仕事だ。敵の航空部隊を確認した。野イタチ(ワイルドウィーゼル)どもの援護を頼む』

「了解だ。奴らにはすぐに行くから待っていろ、と伝えてくれ」


 ルナール1と名乗った男が笑いながら、伝えておくよ、と答えた。ルナール6もご武運を、と魅力的なハスキーボイスで囁いた後、通信を切った。


 それにしても、ファントム――亡霊とは、レーダーになかなか映らないあの敵機には何ともぴったりなネーミングだ。PATOがつけた無機質なネーミングよりもよっぽど相応しく(・・・・)思える。


『アイギス5、味方編隊を確認。ワイルドウィーゼルです』


 レーダーを確認すると、2AW(第2航空団) -S5《第5飛行隊》-Montbardモンバールの表示が出ている。前方やや右方向に見える編隊がそうだろう。


『こちら、モンバール1。アイギスか?』

「こちら、アイギス5。貴隊の援護を担当する」

『任せたぞ』


 モンバール隊を構成するのは、レオンハルトたちが乗るF-18J(イーグル)と比べ、小型で軽いF-20D(ファルコン)の編隊だ。彼らは対レーダーミサイルや無誘導爆弾を駆使して、敵防空網の制圧を行う非常に危険な任務に従事することとなる。

 被撃墜率は他の任務と比べて非常に高く、ワイルドウィーゼル――敵防空網制圧(SEAD)任務に就くというのは、それだけで優秀なパイロットと認められたということでもある。


 彼らモンバール隊の任務はすでに堅固になりつつある敵野戦陣地の防空網を破壊し、爆撃部隊による制圧爆撃への道を切り開くことであり、そしてその任務に就く彼らを守るのが、レオンハルトたちに与えられた使命だった。


『ルナール1より当空域の全機、これより作戦行動開始。諸君の武運を祈る』

『モンバール・スコードロン、了解』

『アルデンヌ1、了解』

『ヴージエ1、了解』

「アイギス5、了解」


 AWACS管制官の通信と同時に、途端に戦場が騒がしくなる。地上では航空部隊の防空網制圧を支援するための陽動攻撃が始まっており、後方からは敵野戦陣地の攻略を担当する爆撃部隊と、その支援を担当する部隊が接近しつつある。

 モンバール隊は爆撃部隊の到着までに防空網を制圧しなければならない。そのためには、レオンハルトたちが敵戦闘機の妨害を排除する必要があるのだ。


『敵機接近を確認。アイギス5、対応をお願いします』

「了解」


 レオンハルトとカエデが左へ旋回し、敵の斜め前から突入する角度を取る。残りの二人は、不測の事態に備えるために、モンバール隊についたままだ。

 豆粒大の敵を見据え、ロックオンする。レオンハルトの狙いは、中距離からミサイルを発射した後、回避しようとする敵を後ろから襲うセオリー通りの戦法だ。


「アイギス5、フォックス3」

『アイギス6、フォックス3』


 ミサイルを発射し、上昇。すぐに緩やかな下降コースに入り、敵機目掛けて突入する。

 敵機の電子妨害を受けたミサイルが見当違いな方向へ逸れていくが、その間にレオンハルトとカエデは敵機の斜め後ろ上空へと移動している。トリガーを引き、機銃弾で敵機を沈めた。


「アイギス5、一機撃墜」

『スプラッシュ1、スプラッシュ1』


 敵編隊の真ん中を突っ切った二人は、そのまま上方宙返り(インメルマンターン)で反転して再び敵編隊の上空を取ろうとする。しかし、反応の早い敵がレオンハルトをロックオンし、ミサイルを発射した。


 レオンハルトは電子妨害装置を起動させず、ミサイルに追尾されたまま敵編隊に再び突入する。敵機の間近を通り抜け、驚いたことに追尾していたミサイルを敵機に押しつけた。

 間近を音速に近い速さで通り抜けられた敵機は、コントロールを失ったところに、レオンハルトを追尾していたミサイルの直撃を受け、爆散する。


『ナイスキル』

「まさかここまで上手くいくとは思わなかったよ」


 敵編隊の上空を飛ぶカエデと合流したレオンハルトが笑いながら答える。

 今の離れ業によって、さすがに警戒したようで、敵機は少し距離を置いている。ワイルドウィーゼルを守る任務としてはそれで十分だ。


『モンバール1、マグナム!』


 レオンハルトとカエデが敵機と戦っている間に防空網へと接近したモンバール隊が攻撃を始めた。対空砲火に晒されながらも彼らは果敢に防空網を食い破っていく。

 対空砲火が徐々に減っていき、遂に沈黙する。ワイルドウィーゼルは、二機が被弾して煙を噴いていたが、飛行には支障がないようだ。


『こちら、モンバール1。敵防空網の制圧に成功。アイギス・スコードロンの支援に感謝する』

「グッドワーク。見事なものだな」

『そちらこそ。初めての実戦だったが、君たちのおかげで訓練同様に臨めたよ』


 モンバール隊が帰途に就く。後は爆撃部隊が砲撃陣地を叩くだけだ。


『こちら、アルデンヌ1。空域に入った。これより攻撃を開始――』


 通信が突然途絶える。明らかに不自然な途絶だ。


『アルデンヌ1、どうしました? アルデンヌ1、応答願います』

『こちら、ヴージエ4! 敵の攻撃を受けている!』

『ファントムだ! ファントムが現れ――』


 通信が錯綜している。最後の通信を聞く限り、あの新型が現れたようだ。


『アイギス5、至急アルデンヌ・ヴージエ両隊の支援をお願いします』

「了解。すぐに向かう」


 ジグムントとイオニアスがモンバール隊の直掩から外れ、四機でフィンガーチップ隊形をとる。レーダーを確認するが、敵機を示す光点はなく、ただ味方の光点が次々に消えているだけだ。


「チェックシックス。上空の確認も怠るな」

『了解』

『反応が弱いですが、レーダーに捉えました。データリンク開始します』


 ハスキーボイスなオペレータの通信と同時に戦術ディスプレイが更新される。敵を示す光点が明滅しているが、四機いるのは確かだ。


『くそっ! 護衛が全滅した! アイギス5、気をつけろ。こいつら、手強いぞ!』

「ああ。よく知ってるよ。上から突っ込む。上手く避けてくれ」

『何でも良いから早くしてくれ!』


 護衛部隊は全機撃墜されてしまっている。爆撃部隊は攻撃を避けて撤退するのが精一杯のようだ。


「アイギス5、交戦」


 レオンハルトが交戦宣言と共にミサイルを放ち、ドッグファイトのただ中に突入していく。やはり、ミサイルがそのまま敵機に命中することはなく、別の方向へ逸れていった。


『危ねぇ! 掠った!』


 至近距離を敵の機銃弾が通り抜けたジグムントが騒いでいるが、レオンハルトは淡々と指示を下す。


「散開しろ、一人一機だ。爆撃機に近づけるな」

『了解』

『無茶言ってくれるぜ……』


 敵機は爆撃部隊への攻撃を止め、レオンハルトたちを警戒するように距離を取っている。爆撃部隊はその隙に、一目散に戦場から離脱を始めた。

 レオンハルトたちが散開すると、敵も同様に散開して一対一のドッグファイトに移る。レオンハルトと対峙している敵機の側面には百合の意匠が描かれていた。


「この間の奴か?」

『そうかも知れません』


 カエデと通信を交わしながらも、敵機と後ろを取り合うシザーズ機動が続く。なかなか敵は隙を見せない。この手強さは宇宙センターで遭遇した敵とそっくりだ。


「機体の性能もそうだが、パイロットの腕も良いな。Bol-31(フォックス)とは段違いだ……!」


 ギリギリのところで敵の攻撃を躱す。危うく主翼を撃ち抜かれるところだった。一瞬たりとも気を抜くことのできない戦闘が続いている。

 わずかな時間、レオンハルトの反応が遅れ、たちまち後ろを取られた。相手が攻撃するタイミングを見計らって急減速。強烈なGがレオンハルトを襲う。


「くっ……!」


 意識が遠のきそうになるが、歯を食いしばって堪える。何とか攻撃を躱すことはできたが、それに精一杯で攻勢に転じることができない。


 レオンハルトは敵から距離を取りつつ、反撃の糸口を探ろうとする。その時、突然コックピットに警告音が鳴り響いた。反射的にレオンハルトが急旋回をした瞬間、わずかな隙を突いて敵がレオンハルトの進路上に機銃弾を放つ。


「な――」

『大尉!』


 爆音と共に、通信が途絶えた。

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