第三話 サン・ミシェル事件(後編)
「こちら、アイギス1。敵は我々より多い。喜べ、稼ぎ時だぞ」
アイギス1、と名乗った男性がコックピットでニヤリと笑う。その笑みは、歴戦の勇士と言うよりもむしろ希代の大悪党、とでも言った方がしっくりくるような笑いだった。
サン・ミシェル基地を飛び立ち、レヴィナス宇宙センターへと向かうアイギス隊。
アイギス隊は――所属する第6航空団全体に言えることだが――外国人中心の部隊であり、それぞれの事情で祖国から追い出された者たちが集まっている。
当然と言うべきか、気性の荒い者や気難しい者など、一癖も二癖もある連中ばかりであり、これらをまとめるのは並大抵の人物にできることではなかった。
アイギス隊を率いるのは中央ローヴィス連邦出身のスヴェン・ルドヴィク中佐。彼もまた複雑な経歴の持ち主である。
1980年9月、歴史的に領土問題を抱えるシーニシア大陸の二大国、バレンシアと大漢人民連邦の間に第四次シーニシア戦争が勃発した。
この時、環太平洋条約機構加盟国であったバレンシアを援護するために加盟諸国は援軍を出したが、当時入隊したばかりだったルドヴィク少尉も戦闘機部隊の一員として派遣されている。
この戦争において、十八機撃墜という最多の戦果を挙げてエースパイロットの仲間入りをした彼は、一躍出世コースを歩むようになったのだが、三年前に少佐へ昇進した直後、とある事情で上官とトラブルを起こし、FCL空軍を不名誉除隊となる。
その後、彼の才能に目をつけた日本の高官が声をかけ、日本空軍の外国人パイロットとして第6航空団に所属することとなったのだ。
FCLでの最終階級よりも一つ上の中佐待遇で迎えられたルドヴィク中佐は、自身の卓越した技量もさることながら、僚機に対する的確な指示とそれによる戦友からの厚い信頼が上層部の高い評価を受け、配属からわずか一年で航空団に四つしかない飛行隊長の座を手に入れた。
ルドヴィク中佐は、厳つい顔つきと荒い言葉遣いからは不似合いなほどの冷静沈着な指揮によって、個人主義の傾向が強いパイロットたちの信頼を勝ち得ていたのである。
ラピス派遣任務に当たった第6航空団の中でも、とりわけ危険度の高い最前線配備をアイギス隊が任されたのは、以上のような理由によるものだ。
そして、アイギス隊は配備から数日でサン・ミシェル基地職員の信頼を勝ち得ることとなり、レヴィナス宇宙センター救援という重要な任務を任されたのである。
『アイギス2よりアイギス1。レオンハルトは大丈夫なのか?』
「知らん。だが、あいつのことなら心配はいらないだろう」
僚機にルドヴィク中佐が答えると、通信越しに複数の笑い声が聞こえてくる。
レオンハルトの実力はアイギス隊でも一、二を争うと同僚たちから認められているほどだ。適当なルドヴィク中佐の答えもあながち的外れなわけではない。
ひとしきり雑談を続けていると、レーダーに注意を払っていた僚機から通信が入った。
『二時の方向、レーダーに反応』
「おいでなすったか? 全機、戦闘準備」
『了解』
ルドヴィク中佐の一声で部隊の空気が途端に引き締まる。レーダーには複数の光点が輝いており、方角から考えれば、味方の可能性は皆無だ。そもそも、味方がこの空域を飛んでいるという情報も入っていない。
機首をレーダーに反応があった方向へ向けると、すぐに地平線上に機影が見えた。目をこらすとルドヴィク中佐の拡張角膜が自動的に対象を拡大する。敵は同数だ。
『見えたぞ。数は同じだ』
『敵味方識別装置に反応なし。敵機です』
『コントロールより各機。戦域情報システムの更新を確認せよ』
ルドヴィク中佐が指示するまでもなく、アイギス隊の面々も各自で対象を確認しており、それらの情報は各自がインプラントした脳チップを通じて戦術コンピュータへと送られる。
そして、それらの情報は上級司令部によって整理され、WAISという形で全員に共有されるのだ。
ルドヴィク中佐の拡張角膜が仮想ウインドウをポップアップし、WAISによって整理された情報を表示する。ルドヴィク中佐はこれを参考にして、各種の指示を出すことになる。
「よし、一人一機だ。撃ち漏らすなよ? レッツ・ロール!」
アイギス隊は加速しながら敵の編隊へと正面から向かっていく。敵の機影がどんどん大きくなっていき、Bol-31の筆箱のように角張った輪郭がはっきりしてきた。
敵はまさか正面から突っ込んでくるとは思わなかったのか、編隊飛行に乱れが生じている。チャンスだ。
すれ違いざま、ほんの一瞬の間に数百の機銃弾が飛び交う。アイギス隊は誰一人としてかすり傷も負わなかったのに対し、レウスカの編隊は半数が火を噴きながら墜ちていった。
『アイギス11、スプラッシュ1』
『アイギス9、一機撃墜』
『グッドキル、グッドキル』
半数が撃墜されたことに動揺したのか、敵編隊はアイギス隊へ向かってくることなく撤退しようとする。
だが、それを許すルドヴィク中佐ではない。
速度を上げ、畳み掛けるように目の前の敵機へと襲いかかった。右に左に、逃げ惑う敵機に狙いを定め、トリガーを引く。一撃で敵機のエンジン部を撃ち抜き、敵機は火だるまになって爆散した。
「逃がすなよ。合流されると厄介だからな」
加速力に勝るアイギス隊のF-18Jは次々にBol-31に食らいつき、撃墜していく。一部の腕の良いパイロットに至っては、主翼だけを撃ち抜き、敵パイロットの脱出を促す余裕があるほどの歴然とした差がある。
もはや狩りと言っても過言ではない状況であり、アイギス隊の面々が油断したのも仕方がないだろう。
それほどまでに、形勢逆転は急激だった。
突如としてコックピットに警報音が鳴り響く。何が起こったのか分からないまま、ルドヴィク中佐の僚機はミサイルの直撃を受けて爆散した。
すぐ近くを飛んでいたルドヴィク中佐は警報音を聞いた瞬間、反射的にフレアを射出してブレイクしたために、ミサイルを回避することができた。
「ブレイク! ブレイク!」
『敵はどこだ?』
『上だ! 上を見ろ!』
ルドヴィク中佐が上を見ると、見慣れない四機の戦闘機が急降下しながら、混乱するアイギス隊へと突入していた。レーダーには反応がない。
レーダーに映らないとされるステルス機は、PATOでも数が少ない。実用化こそされていたが、あまりにも機体が高額となるために、数を揃えられないのだ。
目の前にいる敵は、確かに存在しているにも関わらずレーダーに映っていない。ステルス機であることに間違いはなかった。初めて遭遇するステルス機――それも敵性機――に、アイギス隊のパイロットたちは動揺を隠しきれない。
「敵の新型か!」
『くそっ、やられた! 機首が上がらない!』
新型機は突入と同時に二機を撃墜し、ルドヴィク中佐の後ろをとった。回避機動を続けるルドヴィク中佐にも食いついてくる。どうも新型機の機動力は互角かそれ以上のようだ。
『コントロール、こちらアイギス・スコードロン! 敵の新型が現れた! 宇宙センターへの支援は困難!』
『――』
『通信が繋がらない? 隊長! 妨害されています!』
「落ち着け! 数はまだ俺たちの方が多い。後ろをとられないように、慎重に囲め」
ルドヴィク中佐が指示を出すと、ようやく混乱が収まる。だが、状況に変わりはない。謎の新型機が目の前に立ちふさがり、宇宙センターに到着するのは至難の業となってしまった。
余裕を見せていたツケだろうか、と思いながらも、ルドヴィク中佐は敵の姿を見据える。仕切り直しだ。
深呼吸をして、操縦桿を握りしめる。
「アイギス1、交戦。目標、敵新型機」
ルドヴィク中佐の交戦宣言と同時に、混乱から立ち直ったアイギス隊が新型機を包囲するような陣形をとった。アイギス隊はルドヴィク中佐の僚機を含めて三機が撃墜されたが、未だ敵に対して倍以上の数だ。
だが、敵に動揺は見られない。無理に包囲網を突破するでもなく、こちらの様子をうかがっている。
『見たことない機体だが、統一連邦か?』
『イーグルに少し似てるか……?』
謎の新型機は、先陣切って突入してきた隊長機と思わしき一機がルドヴィク中佐にぴたりと食いつき、残りの三機はルドヴィク中佐を援護しようとする他の面々を牽制している。
実に厄介だ。敵が無理をするようなら、そこを叩くこともできるのだが、隙を見せることがない。おそらく、アイギス隊を足止めすることが目的なのだろう。
『隊長、このままだと時間を稼がれてしまいます!』
「分かっちゃいるんだが、な」
後方の敵機をどうにかしない限り、ルドヴィク中佐も的確な指示を出すことができない。
上方180度ループで何とか振り切ろうとするが、敵はこの動きに食らいついてきた。どうやら、機体性能が良いだけではなく、パイロットの腕も良いようだ。
「しつこい奴だな……。これならどうだ?」
と、ルドヴィク中佐は舌打ちしつつ、急減速してオーバーシュートを狙う。さすがにこの減速にはついて来られなかったのか、敵機がルドヴィク中佐を追い越す。その瞬間を狙って引き金を引いたが、敵は右に旋回して回避した。
「ちっ。腕の良い奴だな」
なかなか素早くて厄介な敵だ。他の隊員も数で優っていながら、敵のマニューバに翻弄され、なかなか狙いを定めることができていない。
ルドヴィク中佐と敵機がシザーズ機動に移ったちょうどその時、通信が入った。
『レーダーに反応。味方機です』
レーダーに目を移すと、確かに光点が二つ、こちらにかなりの速さで接近していた。スクランブル任務に就いていたレオンハルトとカエデだ。
『――ますか? 繰り返す、聞こえますか?』
「聞こえる。その声、アイギス6だな」
『そうです! 遅くなりました』
通信の雑音がクリアになり、アイギス6――カエデの声がようやくはっきりと聞こえるようになる。
「よし。アイギス5、アイギス6、お前たちはここじゃなくて、宇宙センターに向かえ。ちょいと面倒なのに引っかかって、俺たちは向かえそうにない」
『へっ? ど、どういう――』
『――こちら、アイギス5。了解しました』
通信に割り込んできたのは、レオンハルトだ。相変わらず冷静沈着な奴だ、とルドヴィク中佐は笑う。
ルドヴィク中佐から見たレオンハルトは、皆が酒場で騒いでいるときでも一人で静かにグラスを傾け、馬鹿騒ぎを楽しそうに眺めている、そんな男だった。
「アイギス5、頼んだぞ。向こうの状況が悪ければ、そのまま帰ってこい」
『了解』
接近していた二つの光点が、この空域から徐々に離れていく。
『二人だけで大丈夫でしょうか?』
「あいつらなら心配ない。それよりも、ここを何とかするぞ」
『りょ、了解です』
レオンハルトの実力は部隊で一番だ――。その言葉を飲み込んで、ルドヴィク中佐は未だに食いついている敵機を振り切ろうと、機体を急降下させた。
ルドヴィク中佐との通信を切った後、十分ほどでレオンハルトの視界にレヴィナス宇宙センターが見えてきた。センターの各所から黒煙が上がっているのが分かる。
WAISとレーダーにはセンターから遠ざかる輸送機の反応があったが、それを確かめている暇はない。レオンハルトは事前に知らされていた通りに周波数を合わせ、センターへ通信を入れた。
「こちら、ラピス特別展開部隊所属機だ。宇宙センターの防衛責任者、聞こえていたら応答を」
『こ、こちら管制塔! 援軍か? 早く敵を排除してくれ!』
通信機越しに銃声と叫び声が聞こえる。どうやら滑走路近くの管制塔は攻撃を受けているらしい。レオンハルトは速度を上げた。
センターが近づくにつれて、惨状が明らかになる。あちこちで火災が発生し、レウスカ軍の戦闘ヘリや戦車が地上の守備部隊に対して圧倒的な攻撃を続けていた。
防衛に当たっているPATO軍部隊は善戦しているが、突然の奇襲だったためか、各所で分断されているためになかなか敵を排除できていないようだ。
機体を減速させつつ状況を確認していると、通信機が着信を告げた。管制塔とは違うところからの通信だ。
『こちら、レヴィナス宇宙センター指令室、室長のリーだ。援護に来てくれたのは君たちだけか?』
「済まない。我々の仲間がこちらに向かっていたのだが、敵の奇襲を受けて立ち往生している」
『いや、来てくれただけでもありがたいよ』
指令室の方は、先ほどの管制塔から入った通信とは打って変わって落ち着いた様子だった。背後からは職員たちの慌ただしい喧噪が伝わってくるが、銃声や爆音は聞こえない。攻撃に曝されていない、というのがこの冷静さの大きな理由だろう。
『来てくれたのに申し訳ないのだが、“ダイヤモンド”はすでに奪われてしまってね。現在の攻撃は、おそらく嫌がらせと追跡を妨害するための陽動だろう』
その言葉を聞いたレオンハルトは、リー室長に聞こえないようにため息をついた。一足遅かったようだ。
奪われた、ということは、何らかの手段で運び去ったのだろう。先ほどの輸送機。あれがダイヤモンドを積んで逃げたと考えて間違いない。
頭を振って目前のことに集中する。ここは戦闘地帯だ。
「陽動とは言え、被害も出ている。まずはヘリを叩こう」
『助かる。必要なデータを送るからデータリンクしよう』
F-18Jに搭載された戦術コンピュータが指令室のコンピュータとリンクし、センター内部の詳細な情報が表示された。
宇宙センターには、ほぼ円形の敷地の中央を東西に分断する形でマスドライバーがあり、ここで北地区と南地区に分かれている。
レウスカ軍は主に南地区に集中しており、守備部隊はマスドライバーを背中にする形で防衛戦を繰り広げていた。
『上空の戦闘機! 聞こえるか? 早くヘリを墜としてくれ!』
「待っていろ。すぐに向かう」
センター上空に到達したレオンハルトとカエデは、縦横無尽に攻撃を続けるヘリに向かって猛然と降下していく。
敵の地上部隊は対空砲火で迎え撃つが、高速で移動する戦闘機に対して、機銃弾を命中させるのは至難の業だ。数があればそれでも何とかなるが、敵は対空戦闘をそれほど考えていなかったようだ。
狙いを定め、トリガーを引く。次の瞬間、あれほど一方的に攻撃を続けていた攻撃ヘリはあっけなく爆散した。
「アイギス5、スプラッシュ1」
『アイギス6、撃墜しました』
『今だ! 対空ミサイル持って来い!』
レオンハルトとカエデが同時にヘリを撃墜したその直後、すぐ近くの瓦礫に隠れていた友軍の兵士が対空ミサイルを担いで通りに飛び出してくる。次々にヘリが撃墜され、その間隙を縫うように友軍の装甲車が前進を始めた。
『支援に感謝する!』
「せっかく助けたんだから、死ぬんじゃないぞ」
通信を切り、上昇する。対空砲火は続いているが、徐々に沈黙しつつある。空の脅威がなくなった友軍が敵を押し始めたのだろう。
『指令室よりアイギス5。支援に感謝する。このまま上空から支援を――』
「待て。レーダーに我々以外の反応はあるか?」
『いや、君たち以外に上空に反応はないぞ』
再び通信を入れた指令室のリー室長は、レオンハルトの言葉に不審そうな声で応じた。
「じゃあ、私の前を飛んでいる、あれは何なんだ?」
『何だと?』
レーダーに反応はないが、レオンハルトにはセンターのはるか上空を飛ぶ二機の航空機が見えていた。その姿は徐々に大きくなっている。
すなわち、こちらへ向かってきているのだ。
『レーダーに反応はない。君は一体何を――』
「敵の新型だ。交戦する!」
『待て、これは一体何だ。レーダーに反応がないのに敵機がいるぞ!』
レオンハルトが敵機を確認したことで、WAISを通じてその情報がセンターの戦術画面に表示されたのだろう。先ほどまで冷静さが嘘のように動揺を露わにしている。
「アイギス5より指令室。それがおそらく敵の新型だ。迎撃するが、他に反応はないか?」
『ない。だが、レーダーの監視は続けよう。君たちはその新型の排除に専念してくれ』
通信を切り、眼前の敵に目を向ける。仮想ウインドウの戦術画面に輝く二つの光点には、指令室の戦術コンピュータが敵性機の識別信号を割り振っている。
「アイギス6、準備は良いな?」
『いつでもいけます』
カエデの返答は頼もしいものだった。声のわずかな震えがなければ、より頼もしかっただろう。
「よし。――アイギス5、交戦」
『アイギス6、交戦!』
正面から敵の新型とすれ違う。機銃弾が飛び交い、レオンハルトの機体を掠めた。そのまま、切り込むような急旋回で後ろを取ろうとするが、敵機はさらに鋭い動きでレオンハルトを躱す。
「なかなかやるな。アイギス6、大丈夫か?」
『だ、大丈夫です』
敵の片割れがカエデの後ろに食いついている。援護しようにも、レオンハルト自身も一進一退のシザーズ機動の最中だ。
敵機が少しだけ旋回に遅れた隙を突いて、レオンハルトがカエデの援護に入る。レオンハルトが放った機銃弾は敵機の面前を通り抜けた。
さすがに動揺したと見える敵機は、旋回して距離を取る。
『ありがとうございます』
「仕切り直しといくぞ」
円を描くように飛んでいた四機のうち、真っ先に動いたのはレオンハルトだった。円の内側に飛び込むように機体を思い切り捻り込むと、そのまま敵の後ろを取りに行く。
敵機の後ろ姿を正面に捉える直前、レオンハルトがトリガーを引く。放たれた機銃弾は、しかし、滑るように旋回した敵機の横を通り抜けていくだけだった。
「上手いものだ……!」
舌打ちし、呆れ混じりに敵を賞賛する。ただでさえ厄介な新型機のパイロットは、どうやら腕利きのようだ。
「何が目的だ? “ダイヤモンド”は敵の手の内にある。今から追いかけても間に合わんだろう。殿の撤退を援護するつもりか……?」
レオンハルトが独りごちる。その間にも、敵は間断なく攻撃を仕掛けており、一瞬たりとも気を抜くことができない。
四機はセンター上空を八の字状に飛び回りながら、機銃弾の応酬を繰り広げる。虚実入り乱れる空の攻防は、しかし突如として終わりを告げた。
何度目かの至近弾をレオンハルトが回避した直後、対していた敵機が離脱したのである。カエデが相手をしていた敵も同様に、牽制の後に離脱する。
『どういうことでしょう?』
「敵の狙いが不明だ。警戒しろ。伏兵がいるかも知れないぞ」
あの二機はレーダーで捉えられず、視界に入ってようやく捕捉することができた。そのような敵が二機だけだ、とは断言できない。
しばらくの間、警戒を続けていた二人に通信が入った。
『指令室よりアイギス5。敵の掃討に成功した。支援に感謝する』
「なるほど。任務終了、というわけか」
レオンハルトがぼそりとつぶやく。彼らの任務は、やはり殿部隊の援護だったのだろう。だが、それが達せないと分かるや、すぐに撤退したということだ。
厄介な相手だ。腕が立つだけでなく、戦況を正確に読み取る能力まで持っているらしい。
『ん? どうかしたかね?』
「いや、何でもないよ。とりあえず、我々の任務は完了したと考えて良いかな?」
通信越しには歓声が聞こえる。地上は激しい戦いの傷跡が残っており、指令室がある棟の付近にも、サリケーニュの国章が描かれた装甲車の残骸が横たわっていた。
敵を掃討したとは言え、“宝石”を奪われた上に多大な被害を出しており、とても勝利したとは言えないだろう。
『通信が回復して、サン・ミシェル基地と連絡がようやく取れた。どうやら君たちの仲間は無事に帰還したようだ』
「そうか。情報、感謝する」
レオンハルトが答えると、リー室長は疲れ切ったように笑った。
『こちらこそ、貴機の支援に感謝する。幸運を祈る』
「ありがとう」
通信を切り、機首を基地へと向ける。
ひとまず事態は収束したが、懸案事項は残っている。宣戦布告なき攻撃、敵の新型、そして“宝石”の強奪。
もはやレウスカとPATOの全面対決は避けられないだろうが、統一連邦という巨大な仮想敵も忘れてはいけない。
ようやく、冷戦を終わらせるための下地が整ってきたタイミングでの開戦は、挑発をブラフに過ぎないと考えていた東側の首脳に大きな衝撃を与えるだろう。
『大尉、帰りましょう』
「そうだな」
一連の戦闘がようやくの終わりを見た1991年6月15日午後6時25分、PATOは臨時の軍事委員会を招集。楼州議会も臨時総会を開催し、今回の攻撃に対する対応を協議した。
この段階に至って、東側諸国はようやくレウスカが本気である、ということを認識したのであるが、もはや手遅れであった。
侵攻準備を整え、進撃命令を待つばかりのレウスカ人民軍に対して、PATOはようやく対応策を協議し始めたばかりである。
軍は所定の計画に基づき、軍事委員会の臨時招集直後から戦闘態勢を整えつつあったが、それらの計画案はレウスカに筒抜けとなっている。
PATOはそれと気づかぬうちに、すでに敗北への道を歩んでいたのであった。
レオンハルトたちがサン・ミシェルへの帰途に就いたちょうどその頃。山賊作戦を無事に成功させ、“宝石”を奪取した第7空中襲撃旅団が、夕暮れ時のウォシツェ基地に戻ってきた。
少なくない犠牲を出した第7空中襲撃旅団ではあったが、その戦果は文句なしの最高のものだ。輸送機から降り立つ兵士たち表情は明るい。
最後に着陸した輸送機から降りてきたシンボルスキー大佐を出迎えたのは、ミハウ・ラトキエヴィチ議長がダイエットに成功すればこのような姿になるのだろう、というような風貌の痩せぎすな男だった。どちらかと言えば、内務省公安部のミロスワフ・ラトキエヴィチ長官に似ている。
彼の名はスタニスワフ・ラトキエヴィチ。ミハウ・ラトキエヴィチの弟であり、陸軍総司令官を務めている人物だ。
彼は、兄が政界で頭角を現す以前から出世街道を歩んできたエリート軍人であり、第1軍司令官だった頃、軍司令官としては異例ながら、上級大将の位を授けられたほどの優秀な軍人である。
第7空中襲撃旅団を陸軍総司令官直属として融通性を高め、シンボルスキー大佐を旅団長に抜擢したのもスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将だ。
シンボルスキー大佐からすれば、大恩ある人物であり、普段は傲岸不遜な態度を隠そうとしないシンボルスキー大佐も、教本に載るような見事な敬礼で挨拶した。
「閣下がおいでになられているとは存じませんでした。このような姿で失礼します」
「そう畏まらなくて良い。……大佐、良くやってくれた。君たちの功績は一軍の挙げる戦果に匹敵する。中央に戻れば、あ――議長閣下から直々に勲章が授与されるだろう」
「もったいないお言葉です」
淡々と述べるスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将に対して、シンボルスキー大佐は満面の笑みで答えた。
「閣下、一つよろしいでしょうか」
「何かな、ティシュネル中佐?」
部下の名前を覚えられていたことに、シンボルスキー大佐は内心で驚く。当のティシュネル中佐も驚きを顔に表しながら、疑問を口にした。
「中央に戻れば、ということですが、我々の任務はこれで終了なのでしょうか? ラヴィーナ作戦はまだ始まったばかりと存じますが」
「作戦状況に深刻な異常が発生すれば、君たちを投入することになるが、現状では君たちは待機、ということになる。中央への帰還は、ラピスを制圧して二つの戦線を構築した後だな」
お前には関係のないことだ、と一喝されても不思議ではないティシュネル中佐の質問にも、スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将は丁寧に答えた。
と、側に控えていた副官と思わしき軍人が耳打ちをする。スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将は頷きながら、シンボルスキー大佐に命令書を手渡した。
「これは?」
受け取ったシンボルスキー大佐が暗に、開けても良いのか、と問いかけると、側に控える軍人が頷く。それを開くシンボルスキー大佐に、スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将が説明を始めた。
「待機、とは言ったが、少々の任務はこなしてもらう。君たちが手に入れてくれた“ダイヤモンド”だが、しかるべき場所に移送しなければならない」
シンボルスキー大佐が開いた命令書には、「ダイヤモンド輸送計画」と端的に書かれた移送プランの詳細が記載されていた。
「移送はダミーを含む複数のルートで行う。君たちには陸上輸送の護衛に回ってもらうこととなる」
「了解しました。それで本命は?」
「言うか馬鹿者」
冗談交じりに聞いたシンボルスキー大佐を、スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将はニコリともせずに両断した。
話を終え、基地の応接室へ向かっていた面々の右方、ウォシツェ基地の第二滑走路に見慣れない二機の戦闘機が着陸する。機体にはレウスカ人民空軍所属機の全てに描かれているレウスカの国章が描かれておらず、明らかに訳ありだ。
シンボルスキー大佐が尋ねると、元々不機嫌そうな表情をしているスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将が、これ以上ないくらいに顔を歪め、吐き捨てるようにこう言った。
「あれは統一連邦だ。彼らは義勇軍団なる部隊を編成し、我が国に送り込んできた」
「援軍、ということで?」
「表向きは、な。実際は統一連邦内部の派閥対立が原因で、専ら政治的な理由から送り込んできた部隊だ。下らん政争に巻き込まれた、ということだよ。……まあ、下らん戦争を始めた我らが笑えた話ではないが」
フンと鼻を鳴らしながら、スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将はこう言った。彼にしては珍しく感情の籠もった口調だ。
「まあ、使えるものは使うつもりだ。彼らにも“ダイヤモンド”移送に参加してもらう」
その言葉に、シンボルスキー大佐は思わず二機の戦闘機を見つめた。
西側よりもむしろ東側の戦闘機に近い形状の戦闘機。統一連邦が実地試験も兼ねて送り込んだのであろう新型機は、ちょうどエプロンに駐機したところだった。
コックピットからパイロットが降りてくる。二人の内、一方のシルエットは明らかに女性のそれだった。
「女……?」
「女性だからと言って、侮れませんよ。彼らが所属しているのは統一連邦でも一線級とされる第71戦闘機連隊。我が軍の精鋭が、昨年の合同演習で敗れた部隊です」
シンボルスキー大佐に対して説明したのは、スタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将の横を歩く副官だ。彼はどうやら統一連邦の義勇兵について詳しいらしい。
「彼らの話はその辺にしておいてくれ。ただでさえ、指揮系統を乱されて頭痛の種なんだ。これ以上、関わり合いになりたくない」
ジョークともつかないスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将の愚痴に笑いを堪えながら、一行は基地のブリーフィングルームへと向かう。
以上が、宝石戦争勃発の端緒となった宣戦布告なき攻撃――通称「サン・ミシェル事件」の全てである。
サン・ミシェル事件から一夜明けた6月16日午前8時、PATO中央理事会のスタウニング事務総長と楼州議会のカンパニョーラ議長が共同会見を行い、レウスカ軍によるレヴィナス宇宙センター襲撃を非難する声明を発表。
翌日正午までのレウスカ政府による公式な謝罪と、強奪した“宝石”の即時返還、さらに犠牲者に対する賠償を要求するなど、事実上の最後通牒をレウスカ政府に突きつけた。
これに対し、レウスカ人民共和国のミハウ・ラトキエヴィチ国家評議会議長は、PATOと楼州議会の要求を拒絶。レウスカ人民軍による作戦行動開始を表明し、後に宝石戦争と呼ばれることとなる、冷戦期最後の、そして最大の紛争が始まった。
レオンハルトを始め、第231飛行隊の面々は、これから三年間に渡って最前線を飛び続け、熾烈な戦いに身を投じることとなる。
1991年6月16日、PATO中央理事会事務総長及び楼州議会議長の共同声明
PATO中央理事会及び楼州議会は、
1991年6月15日のレウスカ人民軍部隊によるラピス共和国領空の侵犯行為、国有施設に対する軍民を問わない無差別攻撃に対して、強い非難を表明するものであり、
国連総会、楼州議会による、レウスカ人民共和国のPATO諸国に対する挑発行為への非難決議に留意し、
レウスカ民間人への人道的支援の用意があることを表明した1991年4月29日の経済相互援助会議の決定に留意し、
1991年5月10日の国連事務総長による和平会談の呼びかけに留意し、
1991年6月15日のレヴィナス宇宙センター文民職員を標的とした攻撃に責任を有するか共謀した者は責任を問われなければならないことを強調し、
レウスカ人民共和国の主権、独立、領土保全に対するPATO及び楼州議会の保障を強調し、
国際連合憲章第七章に基づいて行動し、
1.ラピス共和国領空侵犯、国有施設に対する軍民を問わない無差別攻撃に対する、レウスカ人民共和国政府の公式な謝罪を求める。
2.PATO共同計画として開発し、レヴィナス宇宙センターより打ち上げ予定であった衛星「ピースメーカーⅠ」の返還を求める。
3.今回の攻撃における全ての犠牲者とその遺族、並びに国有施設に甚大な被害を被ったラピス共和国政府への賠償を求める。
以上、三点について、
1991年6月17日正午までに、レウスカ人民共和国国家評議会議長ミハウ・ラトキエヴィチの名において、遂行の確約を求めるものである。
PATO中央理事会 事務総長 ラース・ロッケ・スタウニング
楼州議会 議長 アドリアーノ・カンパニョーラ




