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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
5/42

第二話 サン・ミシェル事件(前編)

「閣下、参謀本部より緊急電文です」

「読み上げろ」


 レウスカとラピスの国境に近い、レウスカ人民空軍のウォシツェ基地の一室の空気がにわかに緊張した。

 この部屋は第7空中襲撃旅団の旅団司令部に割り当てられた部屋であり、ここに参謀本部から緊急電文が届くというのは、すなわち容易ならざる事態が起きた、あるいは起きる、ということだ。


「はっ。雪面を崩せ1130(ヒトヒトサンマル)、と」


 司令部全員の顔が強張った。旅団長のシンボルスキー大佐ただ一人だけが、飄々とした表情のままだ。


「それだけか?」

「はい。以上です」


 オペレータが緊張した面持ちでシンボルスキー大佐を見ている。シンボルスキー大佐はため息をついて天井を見上げると、勢いよく立ち上がった。


「25大隊と58大隊は出撃。114大隊は基地で待機だ。バックアップには他の部隊が入る」

「はっ。司令部はどうします?」

「俺が前に出ないでどうする。58大隊と同行するぞ」


 シンボルスキー大佐がそう言うと、司令部の要員が蜘蛛の子を散らすように慌ただしく動き始めた。


 通信が入ってから三十分で、第7空中襲撃旅団は全ての準備を終え、シンボルスキー大佐も輸送機――統一連邦製のAi-24に乗り込み、出撃の時を待っていた。


『発進します。気をつけてください』


 コックピットからの通信が流れる。すぐに、機体が加速し始めた。離陸する瞬間の浮遊感と、それに続く下に押しつけられるような感覚はどれだけ経験しても慣れないものだ。


 シンボルスキー大佐を乗せた輸送機に続いて、四機の輸送機が次々に離陸し、すでに空中で待機していた護衛部隊と合流した後、編隊は東へと機首を向けた。

 頃合いを見計らって、シンボルスキー大佐は通信機を手に取る。


「諸君、聞こえるか? 旅団長のシンボルスキーだ。我々はこれより、ラヴィーナ作戦の第一段階を遂行するべく、ラピス領内へと侵入する」


 同じ輸送機に乗る兵士たちは固唾をのんでシンボルスキー大佐の話を聞いていた。おそらく、他の輸送機の中でも同じような光景が見られるだろう。


「ラヴィーナ作戦の成否は我々の行動によって決まる。失敗は許されない戦いだ。しかし、諸君なら必ずや作戦を成功に導くと確信している」


 一呼吸置く。シンボルスキー大佐はニヤリと笑いながら言った。


「作戦概要は直前に各部隊長から説明する。……堅苦しい話は終わりだ。秘匿作戦名称『山賊(バンディタ)』、行動を開始。野郎ども、狩りを楽しめ。以上」


 1991年6月15日午前11時30分。五機のAi-24を中心とするレウスカ人民空軍の編隊は、低空からラピス共和国の領空へと侵入した。







 初夏の日差しが滑走路に降り注ぐ。その滑走路には、出撃準備を済ませた二機の戦闘機が管制塔からの発進許可を待っていた。サイドに666という識別番号が描かれた機体に日の光が反射している。


 ここは、ローヴィス大陸西部に位置するラピス共和国、その西部方面の防空を司るサン・ミシェル空軍基地だ。

 昨今、ラピスは国境を接するレウスカと著しい緊張状態にある。それを示すかのように、レウスカ人民空軍による防空識別圏侵入は、冷戦開始以来の頻度に達しており、サン・ミシェル空軍基地は環太平洋条約機構(PATO)加盟諸国からの援軍――ラピス特別展開部隊(LSDF)も受け入れ、レウスカ空軍の挑発行為に対応していた。


 PATO加盟国の一つである日本から派遣された第6航空団の第231飛行隊――コールサインはアイギス――に所属するレオンハルト・エルンスト大尉は、実に七度目となる緊急発進(スクランブル)任務に就こうとしている。


 レオンハルトは西側陣営の一つである西ベルク出身の亡命者だ。日本空軍の第6航空団には、彼のような経歴を持つ外国人パイロットが多く所属しており、アグレッサー部隊として日本空軍の練度向上に貢献している。

 また、今回のラピス派遣のように、空軍が国外派遣される際には必ずと言って良いほど第6航空団が派遣任務に当たっており、国際社会からは、自らの手を汚さぬ卑劣な行為、として非難されることもしばしばであった。


 レオンハルトを始めとするアイギス隊は、つい先日、サン・ミシェル基地に派遣されたばかりであるにも関わらず、すでに七回、多い者では八回のスクランブル任務を経験している。

 当然、アイギス隊以外のパイロットもスクランブル任務に当たっており、サン・ミシェル基地は、まるで戦時下のような慌ただしさに包まれていた。


 だが、連日の防空識別圏侵入は対応する側の緊張感をそぎ始めていたのである。


『オメガ1、クリアード・フォー・テイクオフ』


 通信越しに聞こえる管制官の声は、どう聞いてもやる気に欠けるものだった。ここ一週間、緊急発進が続いている――今日だけでもすでに三回目だ――とは言え、ともすれば命を懸けることとなるパイロットの立場にしてみれば、もう少し気合いを入れてほしいものだ。


「クシロ、後ろは任せたぞ」

『了解です、大尉』


 通信越しに涼やかな女性の声が聞こえてくる。レオンハルトの僚機を担当するカエデ・クシロ中尉だ。外人部隊である第6航空団において、数少ない日本人――それも女性――だが、模擬戦で優秀な成績をおさめている実力あるパイロットである。

 ややつり目で細顔の美人な女性だ。黒髪のショートカットだが、長く伸ばせば長身かつ細身の彼女によく似合うだろうと、レオンハルトは密かに考えている。

 無論、紳士たることを自負する彼がそれを口にすることはないが。


 レオンハルトがスロットルを開ける。彼らが乗るF-18J(イーグル)が滑走路から飛び立った。ラピスの国土の大半を占め、サン・ミシェル基地も位置する大高原(グラン・プラトー)の大地が眼下に広がる。そのグラン・プラトーの空を、レオンハルトたちは南西へと向かった。


『コントロールよりオメガ1。未確認機はなおも領空へ接近中』


 管制官の声は相変わらず緊張感に欠けている。いつも通りならば、領空の目前で反転して帰還していくはずだからだろう。

 今回もこれまでのスクランブルと変わらない高度での侵入なので、管制塔では特に警戒の必要はないだろうと考えているようだが、レオンハルトの考えは少し違う。


「オメガ1よりコントロール。後続の準備はできているのか? 万が一、領空侵犯されても我々だけでは対応できないぞ」

『後続は準備できている。心配する必要はない。不必要な通信は控えるように』

「……了解した」


 通信が切れる。管制官は後続の準備をしていると言ったが、せいぜいブリーフィングルームへの集合を呼びかけた程度だろう。


『大尉、未確認機がそろそろポイント・アルファを通過します』

「ああ、すまない。兵装の確認は済んだか?」

『大丈夫です。……あの、レウスカは攻撃してくるでしょうか?』

「どうだろうな。ただ、ラトキエヴィチもそろそろ限界だろう。国民の不満を逸らすためなら、戦争を起こしても不思議じゃない」


 レウスカの指導者、ミハウ・ラトキエヴィチ議長は一族や取り巻きたちを政府・軍の要職に就けることで絶大な権力を誇っている。その豪奢な生活には国民からの非難が相次いでおり、レウスカが東側諸国への挑発的外交を続けるのも、国民の不満を逸らすことが目的だと考えられていた。


 一方、東西が冷戦終結に向けて動いている中で、その流れに逆らうことはできないだろうとも考えられている。挑発的外交で国内の不満を抑えつつ、逃亡先を定めている段階なのではないか、という論が東側諸国のメディアで盛んに報道されていた。


『コントロールよりオメガ1。未確認機がポイント・アルファを通過』

「了解」


 ここまでは、いつも通りだ。レウスカに攻撃の意思がなければ、そろそろ反転に移るはずだが――


『何だ? レーダーの故障か?』

「コントロール、何が起きた?」

『レーダーに反応が――増えた! レウスカ空軍機と思わしき反応を確認!』


 急転直下とはこのことだろう。途端に通信の向こう側が騒がしくなる。


『未確認機が八、いや、十二――さらに増えつつある!』

「後続を発進させてくれ。我々だけでは対応できない」

『時間がかかる。ひとまず、君たちだけで対応してくれ!』


 案の定、後続の準備はできていないようだ。そうこうしている間にも、未確認機は近づいてくる。


『未確認機、領空に侵入しました! 侵犯機まで、距離3000。なおも接近中です、大尉!』

「オメガ2、戦闘準備をしろ」


 カエデに準備を促しつつ、レオンハルトは機器のチェックを始める。実戦は久しぶり(・・・・)だ。間違いがあってはならない。


『待て、大尉。攻撃は許可できない。別命あるまで――』

「――ネガティブ。侵犯機には明確な侵略の意図がある。警告の上、これに従わないようならば、撃墜する。国際法上も問題はないはずだ」

『そういう問題ではない!』


 管制塔からはひっきりなしに攻撃禁止の通信が入るが、レオンハルトはこれを無視して兵装の最終確認を進める。レオンハルトのレーダーにも敵の機影が確認できるようになった。


『距離2000。侵犯機への警告を開始します』

「任せた」

『……こちらは、PATOラピス特別展開部隊所属、第231飛行隊。貴機はラピス領空を侵犯している。直ちに反転し、退去せよ』


 流暢なレウスカ語でカエデが警告するが、侵犯機は応じる気配がない。意図的な領空侵犯なのだろう。


『再度警告する。貴機はラピス領空を侵犯している。直ちに反転し、退去せよ。指示に従わない場合、攻撃の意図有りと見なす』

「……反応はないな。現時刻、午前11時28分を以て警告射撃を開始する」


 侵犯機に対して、並行しての追尾を試みようと斜め前方から接近する。

 すると、真っ直ぐ飛行していた侵犯機が、突如として方向転換し、レオンハルトたちの方へと向かってきた。同時に、耳障りな警告音がコックピットの中に響く。


「ミサイル、ブレイク!」


 レオンハルトが叫ぶと同時に至近距離でミサイルが発射されるが、間一髪でこれを躱した。


『午前11時29分、侵犯機の攻撃を確認!』

『こちら、コントロール! 攻撃は事実か?』

「嘘を報告してどうするんだ。事実に決まっているだろう!」


 のんきな管制塔に対して、レオンハルトの語気が思わず強まる。


『……やむを得ん。攻撃を許可する』

「了解。オメガ1、交戦」

『オメガ2、交戦』


 交戦宣言と同時に攻撃態勢に移る。あまり余裕はない。もたもたすれば、増援がやってくるのは間違いないだろう。

 レオンハルトはスロットルを開け、機体を加速させながら敵機(・・)へと迫っていった。


 時に1991年6月15日午前11時30分。レオンハルト・エルンスト大尉の交戦宣言は記録には残されていない。

 しかし、記録に残っていないこの空中戦こそが、二年の長きに渡って繰り広げられることとなる宝石戦争の、最初の武力衝突だったのである。







 レオンハルトの僚機であるカエデ・クシロ中尉は、第6航空団でも指折りの実力あるパイロットだ。模擬戦で彼女に勝てる人物は、僚機のレオンハルトを含めて数人しかいない。

 しかし、そんな彼女にも欠けているものはあった。それは実戦経験だ。


 第6航空団は冷戦期を通じて、世界各地の紛争に派遣された精鋭部隊である。ただ、当然ながらパイロットは入れ替わるものだ。

 カエデは一年前に戦闘機パイロットとしての訓練を終えたばかりの新兵であり、本来ならば、ここに所属するようなパイロットではない。彼女が第6航空団に籍を置いているのは、カエデが代々軍人を輩出してきた名家の出身であり、未来の空軍幹部として実績を積むことを期待されての特例だ。


 無論、カエデ本人には自らの能力に自信があったし、それは根拠あるものだった。

 しかし、ミサイルを放たれ、間一髪でこれを避けた瞬間、実際に命を懸けた戦いの場に立ったと分かったその瞬間に、彼女はこれまでの自信というものが、ひどく頼りないものに思えたのだ。


『――ガ2、オメガ2、聞こえているか? オメガ2!』

「――っ! す、すいません! 聞こえています」


 通信機越しにレオンハルトの声が聞こえ、ようやく何度も呼びかけられていたことに気づく。どれくらい呆けていたのだろうか。その隙を突かれていたら――。

 思わず、冷や汗を流す。ここは戦場だ。一瞬の隙が命取りになりかねない。


『オメガ2、落ち着け。敵はあの距離で先制して、私たちを墜とせなかった。大した腕じゃない。訓練と同じようにやれば良い』

「はい」


 低く落ち着いたレオンハルトの声が、カエデの緊張をほぐす。パイロットとしての腕だけでなく、こういうところでも、まだまだ敵わない、と思わせるほど頼りになる声だ。

 カエデは気を取り直し、レオンハルトに追随する形で機体を反転させる。初撃のミサイルを回避した以上、敵戦闘機とのドッグファイトに突入することとなる。


 冷戦初期、空戦の主力となると考えられていたミサイルは、1970年代の技術革新以降、対抗処置の発展に伴ってその優位性を失いつつある。

 ミサイルが使えない兵器というわけではない。ただ、当初の予想とは違ってミサイルは万能の兵器ではなく、電子妨害装置の小型化や強力化もあって、未だに空戦の主体は至近距離でのドッグファイトだった。


 ドッグファイトが主流である空戦において重要となるのは、戦闘機の性能と数。東側諸国は戦闘機の性能向上、西側諸国は戦闘機の量産体制強化という方策を執るのが主流であった。

 レオンハルトとカエデが乗るF-18J(イーグル)は、オーヴィアス国防空軍を始め、東側諸国で運用されている戦闘機であり、1974年の運用開始以来、主力戦闘機として東側の防空体制を担っている名機である。

 対する侵犯機は、統一連邦で開発されたBol-31戦闘機、通称「フォックス」だ。統一連邦とその同盟国で組織されるトルナヴァ条約機構軍で広く運用されており、レウスカも運用国の一つだ。

 これまでの紛争などでの運用実績から、F-18JとBol-31(フォックス)では、前者の方に軍配が上がっていた。


 数で拮抗している以上、今はレオンハルトとカエデの方が優位である。しかし、増援が到着すれば圧倒的な物量によって押しつぶされることになるだろう。


『オメガ2、さっさと片付けなければ、厄介なことになる。急ぐぞ』

「は、はい!」


 機体を加速させたレオンハルトに合わせ、カエデもスロットルを開ける。反転しつつある敵機に対して、後ろを取るように左側から回り込んだ。

 だが、敵機は後ろを取られそうになったことに気づいたのか、機体を捻り込むように急降下させる。レオンハルトはこの動きについて行けたが、カエデは一瞬だけ反応が遅れた。


「な――」


 急降下したと思った敵機が、そのままループしてカエデの後ろを取ろうとしていたのだ。

 墜とされる――。そう思った瞬間、レオンハルトが、


『上昇しろ!』


 と、叫んだ。

 その声に反応して、カエデが操縦桿を思い切り引き倒す。次の瞬間、機銃弾がカエデの乗るF-18Jの下を通り抜けていった。

 宙返りの最中、上を見上げたカエデは敵機の動きが鈍くなっていることに気がついた。おそらくは無理な機動が祟ったのだろう。


「今度はこっちの番よ……!」


 機首を引き倒し続け、ループを終えたカエデは回避機動に移りつつあった敵機の後ろを一瞬だけ捉え、反射的にトリガーを引いた。発射された機銃弾は、敵機の左主翼を撃ち抜き、コントロールを失った敵機がきりもみしながら墜ちていく。


『ナイスキル、オメガ2』

「す、一機撃墜(スプラッシュ1)……」


 初めての戦果に、カエデは喜びよりもむしろ困惑を感じていた。自分は今、本当に一人の人間を殺したのか――?

 そんな疑問を感じるほどに手応えがなかった。無論、罪悪感や嫌悪感といったものも湧いてこない。


『オメガ2、戦闘はまだ続いているぞ』


 レオンハルトの冷静な声に、カエデの意識が現実へと引き戻される。しかし、カエデが気をそらしていても大丈夫なくらい、レオンハルトは敵機を追い詰めていた。


 カエデとは少し離れたところで、レオンハルトは戦っている。互いの後ろを取ろうと、ジグザグに入り乱れるシザーズ機動の最中だ。

 上昇しながらのシザーズ機動ならば、限界高度に先に達してしまうBol-31が不利となる。敵もそのことをよく理解しているのか、カエデならば見逃してしまうだろう絶妙なタイミングで離脱し、レオンハルトの意表を突こうとした。

 だが、レオンハルトは敵機がシザーズ機動から離脱するタイミングを先読みしていたかのように、敵機の鼻先へ機銃弾を叩き込んだ。敵は反応しきれず、機銃の雨へ自ら突っ込んでしまう。


『スプラッシュ1』


 思わず見入ってしまうほどの華麗な撃墜(キル)だ。二機の敵機を撃墜し、ようやく一息つく。

 と、そこで気がついた。コントロールからの通信が全く来ていないのだ。戦闘に突入したくらいから途絶えている。


「こちら、オメガ2。コントロール、聞こえますか?」

『――――』


 ザザッ、という雑音しか聞こえない。ここから基地まではそれほど遠くないにも関わらず、通信が届かない、というのはあり得ない事態だ。


『妙な雑音だな。通信妨害か……?』


 というレオンハルトの呟きに、カエデは背筋の凍る思いがした。領空侵犯機が迷うことなく攻撃を仕掛けてきたこと、そして通信妨害。戦闘は偶発的なものではなく、計画的に行われたことが明白になったのだ。

 侵犯機の国籍マークこそ確認できなかったが、状況的に犯人はレウスカでしかあり得ない。ミハウ・ラトキエヴィチ議長は遂に戦争を決意したのだろう。


 そんなことを考えていたカエデは、ふと視界に違和感を覚えた。左方を見ると、黒い点のようなものが空に浮かんでいるのが見えた。カエデが目をこらすと、左目にインプラントされた拡張角膜(AC)が、拡大した映像を網膜に映し出す。


「9時方向、複数の機影が見えます」

『……こちらでも確認した。西から来るということは、だ』


 レオンハルトが飲み込んだ言葉はカエデにも分かる。あれは()の増援だ。念のため、敵味方識別装置(IFF)を確認するが、反応はない。


『次から次へとご苦労なことだな……。ともかく、ここまでだ。基地へ戻るぞ』

「基地は大丈夫でしょうか? 通信が繋がりませんが」


 サン・ミシェルの基地へ機首を向けながら、カエデは不安を口にした。

 通信が途絶えた後、他の空域から敵部隊が侵入した可能性は否めない。基地が陥落していれば、カエデたちも危機に陥ることとなる。


『分からん。だが、ここで手をこまねいているよりも、味方と合流する方が良いだろう』


 レオンハルトの口調は苦々しいものが混じっている。状況が不透明なことに、彼も苛立っているのだろう。


 と、後方から敵部隊が迫り、コックピットにレーダー照射を警告するアラームが鳴り始めた。追いつかれれば厄介なことになるが、機体の加速力はF-18Jが圧倒している。

 スロットルを開けて機体を加速させると、敵部隊との差が見る見るうちに開いていった。


 しばらくすると、敵は追跡を諦めたようで、コックピットに響いていた警報が鳴り止む。同時に、基地との通信がようやく回復した。


『――ちら、コントロール。オメガ1、聞こえるか?』

『こちら、オメガ1。侵犯機を二機撃墜。現在、我々は基地へ帰還しているが、敵は追跡を諦めたようだ』

『それどころではない! レヴィナス宇宙センターが攻撃を受けている!』


 こともなげに報告したレオンハルトに対して、急を告げる管制官の声からは明らかに狼狽していることがうかがえた。


『何だと?』

『君たちの方は囮だったようだ。敵は一個旅団規模の部隊を動員して国境線を突破している。宇宙センターを襲ったのは、レウスカご自慢の空中襲撃旅団だ』


 領空侵犯のみならず、地上部隊を動かして攻撃を仕掛けたとなれば、もはや開戦は不可避だろう。宣戦布告なきまま、事態は悪化の一途をたどっている。


『敵航空部隊も確認されている。すでに231飛行隊が支援に向かった。君たちも補給が完了次第、すぐに宇宙センターへ向かってくれ』

了解した(ウィルコ)


 長い一日になる――。レオンハルトと管制官の通信を聞いていたカエデはそう思い、ため息をついた。







 少し時間を遡り、レオンハルトたちが侵犯機から攻撃を受けた直後の午前11時35分。レウスカ人民陸軍の精鋭、第7空中襲撃旅団を載せた五機のAi-24を中心とする編隊が、レヴィナス宇宙センターを強襲した。


 レヴィナス宇宙センターはマスドライバー施設を有する大陸最大規模の打ち上げ施設であり、東側諸国ではオーヴィアス連邦のクラーク宇宙センターに次ぐ規模を誇っている。

 そして、レヴィナス宇宙センターは今年の6月に軍事衛星ピースメーカーⅠ――“ダイヤモンド”の打ち上げを控えており、ダイヤモンド本体はすでに宇宙センターに運び込まれていた。


 第7空中襲撃旅団はこのダイヤモンドを奪取することを絶対の目標として、空挺降下による奇襲攻撃を仕掛けたのであった。


「ハッチが開くぞ! ……それ、行け、行け、行け!」

万歳(フラー)!」


 シンボルスキー大佐が乗る輸送機からも次々に第58大隊の兵士たちが降下を始める。それを眺めながら、シンボルスキー大佐は参謀長を務めるティシュネル中佐の報告を聞いていた。


「今のところ、作戦は順調です。空軍は敵を引きつけることに成功したようです」

「当然だな。ここでつまずくようでは話にならん。それよりも、滑走路はどうだ?」


 ダイヤモンド奪取のためには、Ai-24を着陸させてダイヤモンドを詰め込む、という作業が必要になる。その滑走路を確保するために、St-22M4戦闘爆撃機を擁するレウスカ人民空軍の第17飛行隊――通称シュミアリィ(大胆王)飛行隊が滑走路周辺の脅威を排除することとなっていた。


「そちらも問題ないとのことです。そろそろ通信が――」

『――シンボルスキー大佐、シュミアリィから通信です。そちらに回します』


 ティシュネル中佐の言葉に被さるようにコックピットからの通信が入った。


「回せ」

『……こちら、シュミアリィ・リーダー。滑走路周辺の掃除を完了しました。これより、帰投します』

「良くやってくれた。コウォンタイ師団長によろしくお伝えしてくれ」

『はっ』


 シンボルスキー大佐が通信機を置く。ほぼ同時に、機体が着陸態勢に入った。


「着陸と同時に展開し、滑走路周辺の残存兵力を掃討する。めぼしいのはシュミアリィが片付けているが、隠れている敵もいるだろうからな」

「はっ」


 手短にブリーフィングを済ませると、全員が着陸の衝撃に備える。ゴン、という轟音と共に機体が揺れ、車輪が滑走路を走る甲高い音が聞こえてきた。輸送機が停止すると同時に、開いたままのハッチから兵士たちが飛び出していく。

 小規模な抵抗があり、不運な兵士が三人ほど頭を撃ち抜かれて倒れたが、第58大隊は首尾良く滑走路を確保することに成功した。


「機長、すぐ離陸できるように準備を」

『了解です。早めに終わらせてくださいよ』


 任せろ、と一声かけて通信を終える。そして、シンボルスキー大佐とティシュネル中佐を始めとする司令部要員は、輸送機に積み込まれていた四輪駆動車に乗り込み、滑走路へと降り立った。


「現在の状況は?」

「こちらをご覧ください」


 ティシュネル中佐が取り出した携帯情報端末のホログラムディスプレイが起動し、レヴィナス宇宙センターのモデル図が浮かび上がった。

 レヴィナス宇宙センターは南北に横たわるマスドライバーを中心として、着陸用滑走路のある北東地区、訓練施設がある南東地区、司令機能が集約された北西地区、そして通常のロケット発射台や格納庫などが置かれた南西地区と、計四つのエリアに分かれている。


「現在地はここ、センター北東地区の滑走路です。衛星やロケットの格納庫はマスドライバーを挟んだ反対側の南西地区にあり、事前の情報が正しければダイヤモンドもここにあります」


 ディスプレイは南西地区にズームアップし、発射台近くの格納庫が点滅する。再びセンターの概観図に戻ると、今度は詳細な部隊配置が表示された。


「現在、25大隊はアルファ隊とベータ隊に分かれ、アルファ隊は北西地区の司令部制圧を進めており、ベータ隊はダイヤモンドの捜索と確保に当たっています」

「抵抗はどうだ? ここは民警ではなく軍が守っていたはずだが」


 レヴィナス宇宙センターはその重要性から、PATO加盟国が持ち回りで部隊を供出し、警備任務に就いている。

 レウスカ人民軍が奇襲攻撃を仕掛けた1991年6月時点の担当は、サリケーニュ陸軍第1師団麾下の第23歩兵大隊とカレティア陸軍第3歩兵師団麾下の第15機械化大隊であった。


 突然の攻撃に遭遇し、どちらの大隊も混乱状態に陥っていたものの、攻撃開始から十数分の時点ですでにいくつかの抵抗拠点が築かれていた。


「滑走路と司令部周辺の敵は先立っての空爆でかなり損害を出しているようです。南東地区にも抵抗拠点を作っている部隊がありますが、滑走路奪還の動きは確認できていません」

「問題は格納庫か」


 シンボルスキー大佐の呟きに、ティシュネル中佐が頷いた。


「はい。ダイヤモンドの奪取が至上命令ですので、ここを航空攻撃することはできませんでした。抵抗も激しく、ベータ隊は攻めあぐねていると報告が上がっています」

「ふむ……」


 シンボルスキー大佐が顎をさすりながら考え込む。しばらくして、車内の天井を見つめながら、


「よし。58大隊から一個中隊を引き抜いてベータの支援に回る。前に出るぞ」


 と言った。


「はっ」


 ティシュネル中佐が間髪入れずに返答すると、シンボルスキー大佐は不思議なものを見るような眼差しを向ける。


「止めないのか?」

「止めても無駄でしょう。それに、指揮系統がややこしくなりませんから」


 ティシュネル中佐の言葉にシンボルスキー大佐がニヤリと笑った。


「よろしい。運転手、58の大隊長のところへ。……パーティを始めるぞ」


 午前11時57分、レウスカ人民陸軍第7空中襲撃旅団はレヴィナス宇宙センターの着陸用滑走路を確保に成功し、作戦を第二段階――司令部制圧と“ダイヤモンド”奪取へと移行させた。


 そしてちょうどその頃、センターの中央司令室から発せられた緊急通信を受けてサン・ミシェル基地から飛び立った第231飛行隊「アイギス」が、国境を越えてやって来たレウスカ人民空軍の戦闘機部隊と接触しようとしていた。

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