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宝石戦争  作者: 東条カオル
第三章 敵艦、見ユ
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第十一話 休日

 1992年2月28日、第二次皇海海戦は日本帝国海軍の勝利に終わった。

 参加艦艇は日本連合艦隊十六隻、レウスカ太平洋艦隊十四隻。内、喪失は日本が二隻、レウスカが十二隻。

 日本側もイージス艦「白駒」の喪失や、空母「龍鳳」の大破など無視できない損害を受けているが、数字の上では圧倒的な勝利であった。

 レウスカ太平洋艦隊は事実上消滅し、太平洋における制海権は環太平洋条約機構(PATO)の側へと転がり込んできたのである。


 そして2月29日、先の第二次皇海海戦で大勝利を挙げた日本の統合参謀本部は、太平洋における制海権を確立し、レウスカ人民軍を大陸へと叩き返すべく大胆な反攻作戦を発令した。

 「剣号作戦」と名付けられたこの作戦は、今なお戦闘の続く友邦ガリアはグランヴェリア島を奪還することを作戦目標とするものであり、グランヴェリア島の奪還後は大陸方面への「弩号作戦」へと移行する予定だ。


 一連の大規模反攻作戦の初陣を飾る剣一号作戦――すなわち、グランヴェリア島への中継地となるヴィール島の奪還作戦は3月1日の未明、陸軍空挺部隊の雄叫びと共に始まり、わずか三十分の小規模な戦闘の後に終結した。


 元々、第二次皇海海戦の敗戦でレウスカ海軍は北東太平洋の制海権を完全に喪失しており、保持する意味のないヴィール島には一個中隊にも満たない警備兵しかいない。

 言わば当然の勝利なのだが、それでもこの戦争が始まってから初となる被占領地の奪還ということもあり、この勝利に前線将兵の士気は大いに上がった。


 この機を逃さず、日本軍は3月8日に剣二号作戦――グランヴェリア島付近に遊弋するレウスカ潜水艦部隊の排除――と、剣三号作戦――グランヴェリア島への海兵隊投入――を同時発令。

 グランヴェリア島北東部のカランタンに上陸した海兵第1旅団は、この要衝を守るレウスカ人民陸軍第6軍の基幹部隊と3月9日、交戦状態に入った。


 完全に不意を突く形となった海兵第1旅団は、空軍の大規模な支援もあって倍する規模のレウスカ軍を各所で撃破し、カランタンを完全包囲下に置くことに成功する。

 そして3月13日、第6軍司令官パデレフスキー大将が海兵第1旅団司令部を訪れ、降伏を申し出ることにより、カランタンの戦いは日本側の圧勝に終わった。


 その後、残存兵との散発的な戦闘は発生するものの、3月14日にガリアのソミュール首相が勝利宣言を出したことで、太平洋戦線におけるPATOの勝利が全世界に知れ渡ることとなる。

 東側諸国は開戦以来、初となる大勝利に沸き立ち、各国では反撃の機運が高まっていった。


 ではこの作戦において、第二次皇海海戦の英雄レオンハルト・エルンストはどのような活躍を見せたのだろうか。

――答えは、否である。彼は、この作戦に動員されなかったのだ。

 彼だけではない。アイギス隊のパイロット全員が、この戦いには参加しなかった。


 彼らは、第二次皇海海戦における活躍が大なることを考慮され、特別に二週間の休暇を与えられたのであった。







「やあ、母さん。久しぶり」

「あらあらジグムント! よく来てくれたわね!」


 ふくよかな女性に抱きしめられる、空軍の軍服を着た男性。何を隠そう、アイギス隊の「お気楽の代名詞」こと、ジグムント・クレンツである。


 久々の長い休暇を与えられた彼は、この機会を生かして帝都で喫茶店を経営する母親のアンナを訪れていた。


「無事でよかったわ、本当に。皇海で戦いがあったって聞いて、母さんとっても心配していたのよ」

「大丈夫だよ、母さん。とても頼りになる人が俺の直属の上司なんだ」


 「血塗れの鷲(ブラッディイーグル)」の異名をもらうくらいにね、という言葉は呑み込む。かえって心配しそうなニックネームだからだ。


「それでも戦ってるんだから心配くらいするわよ、母親なんだもの。まあいいわ。おなか空いてない? 何か用意してあげましょうか?」

「ああ。お願いするよ」


 アンナにそう答え、手近な席に座るジグムント。親子がのんきな会話を堂々とできるくらい、喫茶店は閑散としていた。


「母さん、店は繁盛してるのかい?」

「まあまあってところね。お昼時は結構混雑するのよ。それでもギリギリで黒字ってところかしら」


 バイトさんに払うお給料を考えたら儲けは雀の涙ね、と答えるアンナ。

 それを聞いたジグムントだが、そこまで心配はしていなかった。


 儲けの出ない喫茶店稼業で、どうしてジグムントが心配しないのか。それは、母親が別の方法で稼いでいたからである。


「ところで母さん、最近の市場はどうなの?」

「皇海の戦いで勝ったのが大きいわね。ここのところ下がりっぱなしだった株価が急に上がったわ。母さん、結構儲けちゃったのよ」

「またかい?」


 そう。ジグムントの母アンナは、そこらのトレーダーが鼻白むほどの凄腕トレーダーだったのである。

 彼女がトレーダーとしての才能を開花させたのは、ジグムントが空軍に入隊した頃だった。


 そもそも、彼らはレウスカからの亡命者である。

 教師であったジグムントの父が反体制運動の容疑で内務省公安部(ABP)に逮捕され、家族にも手が及びそうになったところを、隣人の助けで何とか日本まで逃げ延びることができたのだ。

 亡命した時、夫を失って意気消沈した母、空軍アカデミーを脱走したジグムント、そして幾ばくかの宝石が彼らの全てであった。


 そんな状況で、ジグムントは母を助けるべく、自らの経歴を生かして日本空軍に入隊したのだが、アンナも同じ頃、宝石を売った資金を元手に見様見真似の資産運用を始める。

 そして、これが大当たりしたのだった。


 1989年、いわゆるバブルと呼ばれる好景気が日本に訪れた頃、アンナはその波に乗って富を築き、バブル崩壊をも乗り越えた。

 そして、以後は堅実な資産運用で億万長者としての地位を確固たるものにした彼女は、少女の頃からの夢であった喫茶店を経営し始めたのである。


 母を助けようとしたジグムントからすれば気合いが空回りした結果となったが、彼自身は自分たちを迎え入れてくれたこの国のために戦うつもりでいる。


 閑話休題。

 ジグムントがしばらく物思いにふけっていると、アンナが料理を持ってきた。


「はい、できたわよ。ジグムントの好きなゴウォンプキ」

「ああ、これが食べたかったんだよ! ありがとう、母さん」


 久しぶりに食べる母国の料理に喜びをあらわにするジグムント。いわゆるロールキャベツに近いゴウォンプキはレウスカの伝統的な料理で、ジグムントの好物だった。


 いそいそとゴウォンプキを食べ始めたジグムントの向かいにアンナが座る。


「こうして二人でゆっくりするのも久しぶりね。今回の休みは長いの?」

「二週間の休暇をもらったよ。その間はここにずっといるつもりだ」


 店も手伝うよ、とスープを口に運びながら言うジグムント。


「あら、助かるわ。ちょうど男手がほしかったところなのよ。明日仕入れに行くつもりでね。よければ運転もしてちょうだい」

「了解。荷物運びも、だね」

「ええ、そうよ」


 そう言ってアンナが笑う。

 その笑顔を見たジグムントは、母がこの笑顔を取り戻せたことにホッとしていた。


 思えば苦労したものだ。亡命直前、ABPに父が逮捕されたことを知った時の母の取り乱し様は凄いものだった。

 だが無理もない。ABPに逮捕されれば、まず間違いなく生きて出られないと言われていたからだ。仮に無実だったとしても、である。


 そこからは茫然自失状態の母を、半ば引きずるようにして祖国を逃げ出した。


 途中、レウスカとラピスの国境を越える時が一番の修羅場だったと言えるだろう。

 普通に通ろうとすればまず間違いなく捕まるため、二人は牛を運ぶトラックの荷台に隠れ、国境を越えたのである。


 あの時の息苦しさと見苦しさ(・・・・)を思い出し、ナイフとフォークが止まる。

 余計なことまで思い出してしまったと後悔するジグムントであった。


「どうしたの? おいしくなかった?

「ああ、いや。ちょっと考え事をしてただけだよ。ちゃんとおいしいから心配しないで」


 そう言って再びゴウォンプキを食べ始める。あの時の光景は、無理矢理に脳の片隅へ追いやった。


「そう、ならいいんだけど。……お仕事、大変なの?」


 そう尋ねる母アンナに、ジグムントは何と返したものか、返事に苦慮した。

 大変ではないと言えば嘘になる。ついこの間の第二次皇海海戦でも、何度も危うい瞬間があった。戦闘機パイロットというのは、死と隣り合わせの仕事なのである。

 だが、それを正直に言って心配させるのもいかがなものだろうか。ただでさえ、ようやく元気を取り戻したのである。

 その笑顔を曇らせるようなことはしたくなかった。


 結果、答えは濁したような形になる。


「まあ、大変と言えば大変かな。でも、大丈夫。さっきも言ったけど、とても頼りになる人がいるんだ」

「そう……」


 アンナはそう言ったきり、黙りこくってしまった。ジグムントが心配させまいと、あえて言葉を濁していることに感づいたのだろう。

 ジグムントもそれが分かり、若干気まずい思いで食事をすることとなる。


 結局、彼が食べ終わるまで会話はなかった。


「ごちそうさま。おいしかったよ」

「どういたしまして。ならこれ、片付けちゃうわね」


 そう言うと、アンナが食器を手にキッチンへと引っ込んでいく。残されたジグムントは、手持ち無沙汰になってしまった。


「……手伝うか」


 そう思い、キッチンに向かう。だが、もう食器は片付けられた後だった。


「あら、どうしたの?」

「手伝おうと思ったんだけど……、終わったみたいだね」

「ええ」


 会話が続かない。どうにも先ほどの気まずさをお互いに引きずってしまっているようだ。


 どうにかしようと思うジグムントだが、いい考えが浮かばずに頭をかきむしった。


「ああ――! 母さん!」

「はい! 何かしら?」


 お互いに構えてしまう親子。ええいままよ、とジグムントは思いきって事実を口にする。


「実はこの前の戦い、何回も危ない時があったんだ。敵に追われて、敵の秘密兵器の撃退を任されて……。正直、死ぬかと思った」

「……」


 ジグムントの告白を、アンナは黙って聞いている。


「それでも俺は飛びたい。俺たちを受け入れてくれたこの国のために戦いたいんだ」

「そう……。それがあなたの考えなのね?」


 アンナの言葉に頷くジグムント。すると、彼女は笑顔になってこう言った。


「なら、母親としてはあなたを応援するわ。頑張って戦って、ちゃんと生きて帰ってきてちょうだい。そうすれば、心配はするけど文句は言わないわ」

「母さん……」

「さ、座って。お仕事のお話を聞かせてちょうだいな」


 その言葉を聞き、ジグムントも笑顔でこう答えた。


「ああ、いいよ。じゃあ、この戦争の始まりから話そうかな。あれはラピスに――」


 客のいない小さな喫茶店の中、親子の会話は夜遅くまで続けられた。







 一方その頃、ジグムントの相棒であるイオニアスも帝都六角区の閑静な住宅街にある彼の「実家」に帰っていた。

 イオニアスの家は、ジグムントとは違ってごく一般的な邸宅である。チャイムを鳴らすと、イオニアスによく似た美しい女性が出てきた。


「イオニアス! お帰りなさい」

「ただいま、姉さん」


 彼女はエウドラ・ヴェニゼロス。イオニアスの五歳年上の姉だ。


「お養父(とう)さん、イオニアスが帰ってきたわよ!」


 エウドラが家の中に向かって叫ぶ。すると、眼鏡をかけた白髪の老人が出てきた。その顔立ちは、明らかに日本人のそれである。


「お帰り、イオニアス」

「ただいま戻りました、養父(とう)さん」


 イオニアスが珍しく笑みを浮かべ、老人と握手する。

 老人の名はハルトシ・クルス。ヴェニゼロス姉弟の養父だ。


 どこからどうみても日本人であるクルス老人と、ヴェニゼロス姉弟が「家族」として一緒に暮らしている理由。それは複雑なものだった。


 元々、ヴェニゼロス姉弟はイオニア共産党の幹部党員の家に生まれた「名家」の生まれであった。

 幼少期には将来の共産党幹部として徹底的な教育を受けており、いわゆるエリートだったと言える。


 それが急変したのは十年前、彼らの父親が政敵によって暗殺されたためである。

 その後行われた粛清で同じく共産党幹部だった彼らの母親も逮捕され、彼らは保護者を失うこととなる。

 当時十三歳のイオニアスを抱えた十八歳の姉エウドラは、ここで一か八かの手段に打って出る。すなわち、亡命だった。


 厳重警戒されていた日本大使館に警備員の隙を突いて忍び込み、亡命を申請した彼ら二人は、そこで当時駐イオニア大使であったクルスと出会う。

 そして、ヴェニゼロス姉弟はクルスの尽力によって日本への亡命が認められ、事実上の養父として彼が姉弟の面倒を見ることになったのである。


「さあ、二人とも中に。コーヒーをいれよう」


 そう言ってクルスがイオニアスを招き入れる。イオニアスは姉と共に彼に続き、家の中に入っていった。


 家の中は小綺麗に片付けられており、質素ながら上品な調度品が部屋を彩っている。これは姉エウドラの趣味だ。

 彼女は龍門院女子大学大学院で心理学を学ぶ学生だが、通信教育でインテリアコーディネーターの資格を持っており、アルバイト代わりの副業としてそれなりの額を稼いでいた。


 無論、この「家族」の生活を支えているのはクルス老人の貯蓄と年金、そして「高給取り」なイオニアスの仕送りではあるが。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます、養父(とう)さん」


 クルスからカップを受け取り、口に運ぶイオニアス。豆を挽いていれたコーヒーの香ばしい匂いが部屋に漂った。


「さて、イオニアス。ここ最近はどうだね? ついこの間、大きな戦いがあったようだが」

「いつもと変わりません。出撃して、無事に帰ってきました」


 素っ気ないイオニアスの言葉だが、クルス老人は満足げに頷いている。エウドラもニコニコと笑いながら、コーヒーに砂糖を入れて混ぜていた。


「そうか、それならよかった。危ないことはしないように、と言っても無理な話だが、イオニアスはいつも無事に帰ってきてくれるからね。それだけで十分だよ」

「私は心配だけどね、お養父(とう)さん。イオニアス、もっと手紙送りなさいよ」

「週に一度送ってるだろう、姉さん」


 イオニアスの言う通り、彼は毎週近況を伝える手紙をこの家へ送っていた。先ほどの素っ気ない近況報告にクルスが満足したのもそれが理由である。


「それじゃ不十分だわ。本当なら毎日会って話したいくらいなんだから」

「姉さん、俺はもう子どもじゃないんだ。大丈夫だよ」

「私が大丈夫じゃないの」


 そう言って頬を膨らませるエウドラ。彼女にとって、イオニアスは残された唯一の肉親なのだ。彼女にとって、イオニアスは宝物なのである。


 そんな姉弟の「じゃれ合い」を見ながら、クルスは不意に、彼ら姉弟を家族として迎え入れることを告げた日のことを思い出していた。


 ちょうど、本省の反対を押し切って二人の亡命を認めた直後で、君子危うきに近寄らずとばかりに周囲から遠巻きにされていた頃だった。

 駐イオニア大使の職も任期を全うする前に失い、待機ポストに半ば左遷されて失意にあった時、省内で数少ない彼の味方だった友人がこう言ったのだ。


「お前が亡命させた二人、扱いが宙に浮いてるぞ」と。


 曰く、二人とも未成年であるため、何らかの保護が必要なのだが、二人がイオニアで「反革命」の罪に問われた元共産党幹部の子どもであったことが事態を複雑にした。

 国が保護をすれば、ただでさえ亡命許可によって(こじ)れている両国関係にさらなるヒビを入れかねないという懸念事項になっているというのである。


 この時、クルスは大いに反省した。亡命の許可は、姉弟が生き延びるために必要と思ってやったことだった。だが、その後のことを全く考えていなかったのではないかと。


 そして、その話を聞いて思い立ったクルスは外務省を辞め、姉弟を引き取ることを宣言したのだった。

 もはや国と関係のなくなった自分であれば、引き取ったとしても外交問題にならないはずだと強弁して、である。


 その強弁が通ったのかどうかは定かではないが、結果として姉弟はクルスの家で引き取られることに決まった。

 今でもあの日のことは鮮明に覚えている。今日から家族になる、と自己紹介した時の二人の、本当に信じられるのかという疑念の瞳を。


 以後のクルスの生活は、二人を中心に回っていった。折しも、妻との間には子が生まれなかった家庭である。

 仕事を辞めたと聞いた時には驚いていた妻も、子どもが二人できて嬉しいと言ってくれた。


 そして、最初はクルス夫妻を警戒していたヴェニゼロス姉弟も、次第に心を開いていった。

 まずは――意外なことに――イオニアスが、そしてエウドラが、徐々に笑顔を見せるようになっていったのである。


 それからは、彼らは本当の家族のようになっていった。四人で家族旅行に行ったことは数え切れないし、イオニアスが空軍への入隊を決めた時やエウドラが大学に合格した時は、クルスも妻も我がことのように喜んだ。

 つい先年、妻が病気で亡くなった時は、亡くなる直前までエウドラが熱心に看病をしてくれたのを覚えている。

 葬儀の際にエウドラは泣き崩れ、イオニアスも滅多に見せない涙を流していた。


 二人はクルスの妻の死を、「母」の死として捉えてくれていたのである。妻の死は悲しい出来事であったが、同時にクルス夫妻とヴェニゼロス姉弟の「家族」としての絆を感じることができた出来事でもあった。


 そんなことをつらつらと考えていたせいだろうか。気づけば、エウドラとイオニアスの二人が、心配そうな目でこちらを見ていた。


「お養父(とう)さん、大丈夫?」

「体調が悪いのですか?」


 結局、イオニアスの丁寧な言葉遣いは直らなかったな、と思いつつ、苦笑しながら首を振るクルス。


「いやいや、ちょっと昔のことを思い出していただけだよ」

「昔のこと? もしかして私たちが来た頃のこととか?」

「ああ。まあそんなところだ」


 クルスがそう言うと、エウドラはニコニコとした笑顔になって部屋を出て行く。

 そして帰ってきた彼女の手には、アルバムがあった。


「久しぶりにイオニアスが帰ってきたことだし、アルバム見ながら思い出話でもしましょうか」

「それはいい」

「俺が帰ってくるといつもそれだね、姉さん」


 エウドラと同じくニコニコとした笑顔になるクルスに、呆れながらも薄らと笑みを浮かべるイオニアス。

 そこには、確かに「家族」の団欒(だんらん)が存在していた。







「着いたぞ、少佐」

「これはまた……。凄い家ですね」


 黒塗りの車から降りた優男――レオンハルトは、目の前に立つ豪邸をいっそ呆れかえる気持ちで眺めた。

 ここは帝都から遠く離れた白駒市の郊外、背後に龍神山脈を擁し、豊かな白駒平野を一望できる城ヶ丘と呼ばれる地域だ。


 この地が城ヶ丘と呼ばれるのは、かつて白駒藩の藩主がこの地に城を築いていたからであり、現在その藩主の家系は元居城から少し離れたところに邸宅を築いている。


 その邸宅――久方家本邸こそ、レオンハルトが訪れ、呆然と眺めることになったそれであった。


「式部様、レオンハルト様、お待ちいたしておりました」


 邸宅を眺めていると、玄関からいかにも「執事」といった雰囲気の男性が出てきて一礼した。思わずレオンハルトも礼を返してしまうほど見事な礼だ。


「お荷物は後でお運びいたしますので、こちらへどうぞ」


 にこやかにそう言った男性がきびすを返す。ナラサキ中佐とレオンハルトはそれに続いて家の中へ入っていった。


 外見だけでなく、この豪邸は中身も豪華だった。玄関ホールであるにも関わらず、絢爛なシャンデリアが吊され、高そうな絵画が室内を彩っている。

 あそこに置いてある壺は幾らくらいするのだろうと考えていると、ナラサキ中佐が振り返ってこう言った。


「ここに飾ってあるものは全て君の生涯年収くらいはする。弁償を求められることはないだろうが……、まあ手を触れないことだ」

「恐ろしい限りですね。絶対に触りませんし、近づきもしませんよ」


 レオンハルトが肩をすくめ、首を振る。


 三人は階段を二階へ上がり、奥の部屋へと進んでいく。その道中にも、やたらと高そうな絵や壺が飾っており、レオンハルトは「何だか場違いなところに来てしまった気分だな」と思うばかりである。


 と、長い廊下を歩いてようやく目的の場所にたどり着いたらしく、執事がとある部屋の前で立ち止まり、ノックを四回した。


「失礼いたします、御屋形様。式部様、レオンハルト様をお連れいたしました」

「ああ、入ってくれ」


 中からヒサカタ准将の声が聞こえ、扉が開かれる。

 部屋に入ると、豪華だった玄関や廊下とは違って意外なほどに質素な室内と、この洋館に不思議とマッチしている和装のヒサカタ准将が待っていた。


「平田、ありがとう。下がっていいよ」

「はっ」


 執事が静かに扉を閉め、下がる。

 部屋には、相変わらず表情の読めないナラサキ中佐と、対照的にニコニコとした笑顔のヒサカタ准将、そして、困惑した様子のレオンハルトが残された。


「まあ座りたまえ。式部、君もだ」

「はっ。失礼いたします」

「はぁ、どうも」


 勧められるがままにソファに腰を下ろすレオンハルト。ソファはやたらとふかふかしていた。


「さて、わざわざ休暇中にすまんな、少佐――いや、レオンハルト」


 階級で呼ぼうとしたヒサカタ准将がわざわざ名前で呼び直す。

 これはオフィシャルな話し合いではなく、プライベートなものなのだというヒサカタ准将の意思表示だろう。


「いえ、ご迷惑をかけているのは私ですから」

「確かにそうだな」


 ヒサカタ准将が苦笑する。

 そう。レオンハルトが久方本邸を訪れた理由は、彼のスパイ疑惑を発端とする政争についての話し合いをするためだったのである。


「まあ、お前の一件はきっかけに過ぎん。何かあれば、この政争は起きていただろう。あの老人の権力への執着は相当だからな」

「市ノ瀬忠隆、でしたか。どんな御仁で?」


 レオンハルトの質問に、ヒサカタ准将が腕を組みながら唸る。


「妖怪のような(じじい)だ。帝国公安局(IDPS)を自由自在に動かすことができる陰の実力者だ。自由党の政治屋連中の弱みは、IDPSを使って握ったのだろうな」

「そして私を通じて久方の弱みも握った、と」


 それを聞いたヒサカタ准将が笑う。


「弱みと言うほどの弱みではないよ。知らぬ存ぜぬで君を切って捨てれば済む話だ」

「おお、怖い怖い。と言うことは、私は切って捨てられるので?」

「馬鹿言え。優秀なパイロットを捨てる訳がないだろう」


 レオンハルトがわざと肩をすくめる。


「この私を反逆罪で立件しようとしたらしいが……、まあ無理な話だな」

「次の一手はどう来るでしょう。また私を切り口にすると思いますか?」


 その質問に答えたのは、黙って話を聞いていたナラサキ中佐だった。


「どうやら違うらしい。私の『友人』が言うには、松州(市ノ瀬)公は自由党を動かして、政権を奪いに来るつもりのようだ」

「焦っているな。老い先短いからかな?」


 ヒサカタ准将の言葉に一同が笑う。

 と、ナラサキ中佐が冷笑を収めてこう言った。


「しかし、それだけに厄介です。手段を選ばない可能性があります」

「私を反逆罪で立件しようとしたくらいだからな。厄介な爺だ」


 ヒサカタ准将が苦虫を噛み潰したような表情で言った。


 レオンハルトが神妙な表情になって尋ねる。


「我々がすべきことは?」

「隙を見せないことだ、少佐。政治のことは、久河公にお任せすればいい」

「式部の言うとおりだな。レオンハルト、少なくともこの政争が終わるまでは大人しくしておけ。久河公の足を引っ張るようなことになっては困る」


 ナラサキ中佐とヒサカタ准将が交互にそう言うと、レオンハルトはため息をついた。


「まあ仕方ありませんね。私もIDPSの取り調べを受けるのはもうごめんです」

「そう長いことかかる話じゃない。何なら明日、あの爺が動き出しても私は驚かないぞ」


 そう言って笑うヒサカタ准将。


 しかし、彼の言葉は現実のものとなる。

 1992年3月16日、後に三月政変と呼ばれることになる政争劇が幕を開けたのだ。


 連立政権与党の自由党が連立解消を宣言し、野党と合同で内閣不信任決議案を提出し、これが国会を通過。

 アキカワ首相率いる内閣はこれに衆議院解散で応え、異例となる戦時中の衆議院総選挙が行われることとなった。


 これにより、4月に開始予定だった大陸反攻作戦「弩号」は延期となり、PATOの反攻計画は大きく予定を狂わせることとなる。

 だが、これによって予定が狂ったのは、何もPATOだけではなかったのであった。

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