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宝石戦争  作者: 東条カオル
第三章 敵艦、見ユ
37/42

第八話 急転

『こちら、エルロイ。敵空母への命中弾を確認』


 早期警戒管制機(AWACS)の管制官の淡々とした一言は、通信を聞いていた日本の将兵たちを爆発させた。

 レウスカ太平洋艦隊の防空を担う敵空母の撃破は、第二次大戦以来の艦隊戦となったこの戦闘の趨勢を決定づけるものだ。


 無論、管制官が確認した命中弾が有効弾になっているのか、敵空母が戦闘能力を喪失したのかという問題は残っているのだが、それでも戦況を日本へと大きく傾かせることとなる一撃に、艦隊将兵やパイロットたちが喜びを露わにしたのだった。


「大戦果だな、トーヴィー1」

『あんたの支援がなけりゃ無理だったさ、アイギス1。(おか)に帰ったら、一杯奢るぜ』

「ほう、楽しみにしているよ」


 共に戦った男がどんな顔をしているのか興味があったし、海軍には知己がいない。ここらで繋がりを持っておくのも悪いことではないだろう。

 そんなことをぼんやり考えていると、管制官からの通信が入った。


『エルロイよりアイギス1。ご苦労だった。トーヴィー1を母艦まで送り届けた後、帰投を――』

『――こちら、ラチェット8! 敵空中戦艦を発見した! これより当機は敵艦に接触して強行偵察を試み――』


 管制官の通信に割り込んできた、全軍に対する緊急通信。

 途中でぶつりと途切れたそれは、つい先日姿を見せた敵の秘密兵器が、三たびレオンハルトの前に現れたことを意味するものだった。


『……すまないが、アイギス1。直ちに帰投し、再出撃の準備を整えてくれ。あれを食い止めるためには、君の力が必要だ』

「期待には答えなければな。と、言うことだ。アイギス2、行けるな?」

『問題ありません、アイギス1』


 頼もしいカエデの返答に微笑むレオンハルト。撃墜されたのはつい三日前のことだというのに、期待を裏切ることのない返事だ。


『最優先で補給と整備を受けられるよう手配する。まずは帝都に帰還せよ』

「了解。……そうだ、トーヴィー1の護衛はどうする?」

『子どもじゃないんだから心配無用だぜ、アイギス1。あんたの力が必要なところに行ってくれ』


 管制官が指示を出す前に、トーヴィー1が心配無用と宣言する。

 それを聞いたレオンハルトは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてこう言った。


「そうか……。では、好意を受けるとしよう。奢り、楽しみにしてるよ」

『おう! 俺に奢られるためにも、必ず帰って来いよ!』


 翼を振り、トーヴィー1とその僚機が編隊から外れる。

 つかの間、戦友となった二機に見送られながら、レオンハルトは帝都へと機首を向けた。


『こちら、シーアー14。敵空中戦艦を視認。……発砲したぞ!』

『データ受信。敵空中戦艦の炸裂砲弾と想定し、殺傷範囲を算定。全部隊に緊急通達。該当空域より直ちに離脱せよ!』

『くそっ、間に合わねぇよ!』


 誰かの悲鳴が聞こえた直後、戦域情報システム(WAIS)のマップ上から複数の青い光点が消える。直前に退避命令が下った空域にいた機のものだろう。


『この調子で墜とされたら全滅だぞ!』

『落ち着け! 殺傷範囲はこちらで算定、WAISに反映する。いつでも退避できるように準備をしておけ』

『無茶言うなよ!』


 たった一撃で、敵空母に直撃弾を与えた歓喜はどこかへと吹き飛び、混乱するパイロットたちの様子が通信越しに伝わってくる。


『アイギス1、聞いての通りだ。混乱を収めるためにも、「実績」のある君の存在が必要だ。可能な限り、急いで戻って来てくれ』

「了解だ、と言いたいところだがお客さんだ。片付けてから帰るよ」


 レーダーには二つの反応があった。敵味方識別装置(IFF)に反応はない。すなわち、敵だ。


『周囲に対処できる味方機は……くそっ、いないか。アイギス1、早急に片付けて帰ってきてくれ』

「了解。お任せあれ」


 帝都の方向へと向かっていたレオンハルトが、再び機首を空中戦艦へと向け直す。


『レーダー照射確認』

「ずいぶんせっかちな敵だな」

『……レーダー源は敵空中戦艦だ! 警戒せよ!』


 ほう、と唸るレオンハルト。レーダー照射しているのが空中戦艦となると、チャフとフレアで逃げ切るのは難しいかも知れない。


「だからと言って、回避できないわけではないが、な……!」


 スロットルを全開にし、一気に敵部隊へ向かってレオンハルトのF-18J(イーグル)が加速する。敵の動揺を誘うためだ。

 しかしどうしたことか、今日の敵は混乱することなく、冷静にミサイルを発射してきた。


「何!」


 慌ててチャフとフレアを射出し、機体を急降下爆撃のようにダイブさせる。

 間一髪、ミサイルはギリギリで反応せず、レオンハルトの脇をすり抜けていった。


『アイギス1、無事ですか!』

「ああ。それよりも気をつけろ。こいつ、妙な動きをするぞ」

『了解』


 カエデに警告し、敵部隊との距離を取ろうと離脱するレオンハルト。

 だが、敵はそれを許さなかった。


「馬鹿な!」


 敵機はあり得ないほどに鋭い旋回を見せ、レオンハルトの後ろについたのだ。その勢いは、空中分解してもおかしくないほどのものだ。


「あり得ないぞ……! 機体が無事でも、あの動きで中の人間が無事なはずが――」


――いや、待て。なるほど、そういうことか。


 敵の動きを見て、レオンハルトは気がついた。そもそも、パイロットなどいないのだ。


「アイギス1よりエルロイ。敵は無人機を投入してきた。不規則な動きをする、厄介な奴だ」

『了解した。全機に警告を出そう』


 要撃管制官に無人機の情報を伝えると、レオンハルトは機体を引き上げた。いつまでも低空にいるのは、あまり望ましいことではない。


「さて、ついて来れるかな?」


 後ろに無人機が取り付いたのを確認したレオンハルトがニヤリと笑い、小さく呟く。

 そして、操縦桿を握り締めた。


「ショー飛行のスタートだ」


 機体を横倒しにして、大きな円を描くようにぐるぐると旋回を始めたレオンハルト。

 その後ろには、相変わらずピタリと無人機がくっついている。


「次はこうだ」


 さらにレオンハルトが上下の捻りをも加えて旋回を続ける。

 無人機は追随しているものの、明らかにタイムラグを生じさせていた。


「なかなかやるじゃないか。だが、これにはついて来られまい」


 そう言うや、操縦桿を思い切り引き上げつつ横に倒し、真っ逆さまに海面へと急降下を始める。無人機もそれに続いた。


 高度計が猛烈な勢いで回転し、高度の低下を知らせる。同時に速度もぐんぐん上がっていき、レオンハルトの体が座席に押し付けられた。

 その強烈なGに歯を食いしばって耐え、迫り来る海面を見据える。


 そして、


「ここだ!」


 先ほど同様、操縦桿を限界まで引き倒し、機体の姿勢を水平に戻そうとする。その間にも、海面はすぐそこへ迫っていく。


「よし!」


 レオンハルトが声を上げた瞬間、赤いF-18Jは着水と見まごう波飛沫を上げ、海面ギリギリで上昇へと転じた。

 一拍遅れて、レオンハルトの後ろを追尾していた無人機が、彼の急上昇について行けずに海面へと突っ込み、盛大な水柱を上げる。


「こちらは処理した。アイギス2、支援する」


 一機片付けてしまえば、あとは簡単だ。レオンハルトとカエデの連携プレーで、残り一機もあっさりと撃墜される。


『ナイスキル、アイギス1』

「君もな。……さ、急いで帰投するぞ。なにせ――」


――本命はまだまだご健在だからな。


 その言葉とともにレオンハルトは、遠くで発砲炎を上げる空中戦艦を睨んだ。







 艦橋から見える光景はなかなかに壮観だ。空中に咲いた六つの火球。かなりの数の敵を逃したのは(しゃく)だったが、焦らず片付けていけばいいだけの話である。


 レウスカ海軍太平洋艦隊所属、空中戦艦「シチシガ」艦長のキェシェロフスキー大佐が艦長席でゆったりと足を組みながらそんなことを考えていると、座席に据え付けられた電話が鳴った。


『砲術長より艦長。第二射準備よろし。命令を』

「ふむ……。主砲は射撃準備のまま待機。砲術長、飛行長に代わってくれ」

『はっ』


 砲術長が応答し、一旦通信が切れる。ややあって、別の男が通信に出た。


『こちら、飛行長。ご命令でしょうか』

「ああ。追加の『ツバメ』を出してくれ。小煩いハエを叩き落とす」

『了解しました』


 飛行長の返事を聞いたキェシェロフスキー大佐は満足げに頷き、受話器を置く。

 と、その隣に立っていた男性が「大佐」と呼びかけた。副長と船務長を兼任するツィマンスキー中佐だ。


「何かな、副長」

「おそれながら、『ツバメ』の本格投入はいささか早いのではないでしょうか。敵戦闘機部隊とはまだ距離がありますので、砲撃で数を減らした方がよいと思うのですが」


 怪訝そうな表情でそう言ったツィマンスキー中佐に、キェシェロフスキー大佐はどこか侮蔑的な笑みを浮かべながら答える。


「まあそうなのだがね。残念ながらあの特殊弾頭にも限りがある。今後のことを考えれば、節約して使うべきだろう」


 そう言ったキェシェロフスキー大佐の頭には、未だ発動すらされていないオーヴィアス侵攻作戦のことがあった。


 東側の盟主たるオーヴィアス連邦。これに対する侵攻となれば、ミハウ・ラトキエヴィチ肝いりのシチシガも参加は間違いない。

 その際に敵の防空部隊を打破するためにも、広範囲の殺傷が可能な特殊弾頭は不可欠である。

 兵站が限界に近づきつつある現在、シチシガといえども節約(・・)は避けられないことだった。


 今ひとつ納得していない様子のツィマンスキー中佐を放置して、そんなことを考えていたキェシェロフスキー大佐だったが、そんな彼をオペレータの声が現実へと引き戻した。


「艦長、艦隊より救援要請が入っています。敵空母の排除を至急願うとのこと!」

「……オペレータ、艦隊司令部に返信。救援は不可。当艦の任務は敵航空部隊の排除、及び敵根拠地への打撃であり、敵艦隊に対処する余力はない。艦隊各員の武運を祈る、と」


 冷淡な答えに一瞬驚いたオペレータだったが、キェシェロフスキー大佐の射抜くような視線に気圧され、慌てて艦隊司令部への返信を始めた。


「よろしいのですか? 形式上は我々の上級司令部に当たる訳ですが」

「構わんよ。わざわざ火中へ飛び込んで、火傷をする必要もあるまい。せいぜい、我々が敵本土を攻撃するための囮役を務めてもらうとしようじゃないか」


 そう言って冷笑を浮かべる。

 その時、先ほどとは別のオペレータが叫んだ。


「レーダー照射! 敵艦、ミサイル発射しました!」

「ジャミング開始。デコイも射出しておけ」


 ツィマンスキー中佐が冷静に指示を出すと、ざわついていたオペレータたちが途端に平静さを取り戻す。

 一方、キェシェロフスキー大佐はそれを気にすることなく、受話器を手に取っていた。


「こちら、艦長。砲術長、聞こえるかね?」

『はっ。砲撃でしょうか?』


 砲術長の言葉にすぐには答えず、指でコツコツと座席の肘掛を叩くキェシェロフスキー大佐。

 彼は笑みを深め、足を組み直しながらこう言った。


「砲撃は砲撃でも、底部砲台だ。海上を這いずり回っている、あの艦を捻り潰してくれたまえ」

『はっ、了解しました!』

「ミサイル迎撃成功。電子妨害終了、レーダー復旧急げ」


 キェシェロフスキー大佐が受話器を置いたのと時を同じくして、電子妨害によるミサイル迎撃も完了する。


 その巨体故に、格好の標的となりかねないシチシガが決戦兵器として前線に投入されているのは、「議長の肝いりだから」というだけではない。

 敵の攻撃――特に、ミサイルに対抗する手段として、非常に強力な電子戦装備を持っているからこそ、一線で運用する兵器として通用しているのである。


 先日は空軍の役立たず(・・・・)たちが「魔女(チェロブニツァ)」と呼ぶパイロットにしてやられたが、内務省公安部(ABP)からの情報によれば、件のパイロットはスパイ容疑で拘束されているとか。


「このシチシガに土をつけた男がスパイなどと……。笑止なことだ」

「艦長? いかがなさいましたか?」


 ツィマンスキー中佐に声をかけられ、自分が独り言を呟いていたことに気がつくキェシェロフスキー大佐。

 何でもない、と手を振りつつ、戦術パネルの方へ目をやる。そろそろ戦闘指揮所が敵艦への砲撃準備を終える頃合いだ。


「戦闘指揮所より報告。底部砲台の砲撃準備、完了とのこと」

「よろしい」


 オペレータの報告に頷き、受話器を取る。


「下砲戦、俯角20、右10の目標。撃ち方始め」

『了解。撃ち方始め!』


 戦闘指揮所の砲術長が応じた直後、ドンという鈍い重低音が響き、艦橋がわずかに揺れた。海軍においては、もはや骨董品と言っていい220ミリ連装砲の砲撃によるものだ。


『敵艦に命中を確認!』

『こちら、フアツィン6。砲撃は弾薬庫を貫通した模様。敵艦爆沈!』


 戦闘指揮所からの命中報告と、空軍機からの撃沈確認報告に艦橋が湧き上がる。

 その様子を満足げに眺めていたキェシェロフスキー大佐は、おもむろに艦内放送用のマイクを手に取り、立ち上がった。


「総員傾聴、こちらは艦長。たった今、我が艦の砲撃が、敵の誇る『イージス艦』とやらを一撃にして葬り去った。我らにとって日本海軍など、もはや敵ではない。我らはこれより敵本土を一挙に突き、オーヴィアスに対する第二戦線形成の端緒を切り開く! 作戦成功のため、諸君の奮闘を期待するものである。レウスカ、万歳!」

「レウスカ、万歳!」


 キェシェロフスキー大佐の「万歳」の声に唱和する艦橋の面々。大佐は乗組員たちが艦内のあちこちで同じように唱和していることを疑っておらず、また実際にそうであった。


『飛行長より艦長。「ツバメ」の発艦準備、完了しました』

「よろしい。直ちに発艦させたまえ。列島までの道を切り開くのだ」

『はっ!』


 次々に発艦する無人機の姿を眺めながら、キェシェロフスキー大佐は悠然と座席に腰を据え、冷ややかな笑みを浮かべていた。







 ジェット排気の轟音を立てて、海軍の主力戦闘機FA-3C(烈風Ⅱ)が発艦する。空母「龍鳳」の甲板上では、もはや日常と言ってもいい光景だ。

 1975年の就役以来、龍鳳は二度の軍事作戦に従事しており、搭載する空母航空団は空軍にも劣らない戦果を挙げている。


 その龍鳳は、今まさにその艦歴で最大の危機を迎えようとしていた。


「コーラル3、コーラル7の発艦はまだか?」

「トーヴィー4とトーヴィー7を敵群Dの対処に当たらせろ。穴埋めはコーラル9に」

『バンカーよりコントロール。敵空中戦艦からの発艦を多数確認。情報にあった無人機と思われる』


 空母「龍鳳」の航空管制所(CATCC)は喧騒に包まれている。防空網の再構築のため、上空に展開させていた機を大幅に移動させているのだ。


 防空網の一角を担っていた駆逐艦「白駒」が唯の一撃で爆沈したことは、空母「龍鳳」と中核とする第1航空艦隊にとって、大きな痛手だった。

 防空網に空いた穴を埋めるために艦載機の配置を大幅に変更する必要があり、そしてその間隙を突くように敵は攻勢を仕掛けてきたのである。


「エルバー5、ポイント253の敵群に対処せよ」

『ネガティブ。敵の数が多過ぎて不可能だ』


 パイロットの言う通り、WAIS上の戦況図は敵に取り囲まれる友軍機の苦境を示している。

 対処に当たれるほどの余裕がある機など、この空域には存在していないのだ。


「トレマー4、ロスト。応答ありません」

『メイデイ、メイデイ、メイデイ! コーラル11、操縦不能!』

『敵が多過ぎる!』


 むしろ、すでに対峙している敵ですら持て余している状態であり、防空網の破綻は目に見えていた。


 そして、無人機発見の報から五分と経たず、防空網の空白から七機の無人機が高速で侵入してきたのである。


「敵群E1、接近。方位280、高度1000」

「エルバー5は!」

「会敵まで五十二秒、間に合いません!」


 オペレータの悲鳴のような言葉が、龍鳳に絶体絶命の危機が訪れたことを知らせる。敵無人機の障害となるのは、龍鳳に備え付けられたCIWSただ一つのみだ。


「司令、航空隊が突破されました。敵機が七、接近中です」

「こちらでも確認した。接近中の敵にはこちらで対処する。そちらは防空網の再構築を急いでくれ」

「了解です」


 CATCCに隣接する戦闘指揮所(CDC)に座する第1航空戦隊の司令に敬礼した男性――空母「龍鳳」飛行長のムロマチ中佐が周囲の部下に気づかれないように小さく溜息をつく。


 空母の防空兵装は極めて簡素だ。それは、そもそも空母が敵機と直接交戦すること自体が想定されていないからである。

 空母の防空を担うのは、空母航空隊の役割だ。彼らは空母の剣であると同時に、盾でもあるのだ。


 その「盾」は――イージス艦の轟沈という予想外の事態があったとは言え――あっさりと抜かれてしまい、龍鳳は頼りない武装で七機の無人機を相手にしなければならない状況に陥った。

 敵の空中戦艦というイレギュラーがあったことを考慮に入れても、栄光ある「龍鳳」航空隊の経歴に傷がついたことに変わりなく、その「汚点」に自分が深く関わっていることは、今後のキャリアに影響を与えるだろう。


「……まあ、その前に生き残らなければ、キャリアも何もないか」

「中佐?」

「いや、何でもない。コーラル3と7を呼び戻せ。防衛ラインを下げるぞ」


 隣に立つ副飛行長の疑問に手を上げて答えつつ、ムロマチ中佐は空母を守る半円状の防衛ラインを下げるよう命じた。


 現状では、空母から十分に距離を取った位置に艦載機が展開しているが、白駒が撃沈されたことによって空いた輪形陣の穴の方へ敵が集中し、その方面の機が次々に無力化されている。

 そこで、防衛ラインを後退させることで戦闘空域を狭め、白駒・艦載機の喪失で空いた防衛網の穴を塞ごうというのが彼の考えだった。


 だが、それも龍鳳が健在なればこそである。

 阻む者のいない無人機は着実に接近しており、彼らが腹に抱える対艦ミサイルの射程圏内はもうすぐそこまで迫っていた。


『コントロール。こちら、エルバー5。間もなく敵無人機をアタックレンジに――くそっ、遅かった! 無人機がミサイルを発射。繰り返す、無人機がミサイルを発射!』


 無人機の迎撃に急行していたパイロットからの報告は、死刑宣告にも等しいものだった。


「エルバー5、引き続き無人機の後を追い、これを排除せよ。ミサイルを撃って終わり、とは限らん」

『了解。無人機の追跡を継続し、排除を行う』


 CDCは放たれたミサイルへの対処にかかり切りになるだろう。その隙をついて、その母機自身が突っ込んでくる可能性もある。

 無人機はおそらく高価だろうが、空母と引き換えならば使い捨てにする価値はあるのだ。


 と、その時、ムロマチ中佐の視界の先にあるミサイル発射筒から、迎撃用の短距離対空ミサイルが爆煙を上げて飛び立っていった。

 これは、個艦防空の領域まで敵ミサイルが接近したことを示している。


「全員、衝撃に備えろ。飛び跳ねる可能性があるものは、全て所定の位置にしまえ。眼鏡もだ」


 ミサイルを見たムロマチ中佐が淡々と命じると、オペレータたちが手元の機器やら何やらを引き出しにしまう。

 それを終えると、もはや彼らCATCCの要員にできるのは迎撃が成功するのを祈ることだけだった。

 オペレータたちが固唾を飲んで、CDCからの連絡を待つ。痛いほどの沈黙が部屋を包む。


 一秒が一時間にも感じられる緊張の中、ムロマチ中佐は誰かが身じろぎする気配を感じた。

 その瞬間、


「総員、衝撃に備えろ!」


 CDCオペレータの叫ぶような声が部屋に響く。ムロマチ中佐は、無意識の内に自分の席のアームレストを強く握りしめていた。

 ドン、という重低音と共に、激しい震動がCATCCのスタッフを襲う。


 幸い、座席から放り出されたり、怪我をしたりする者はいなかったが、その場の全員の表情が一様に漂白されている。

 何故ならば、彼らの目の前には大穴を開けて炎上する飛行甲板があったのだ。


「各員はそれぞれの部署の被害状況を報告せよ」

「こちら、CATCC。被害はなし」

「CATCC被害なし、了解。そちらは引き続き、上空の艦載機の管制を行え」

「了解した」


 椅子に座り直し、ため息をつくムロマチ中佐。

 空母の防空を監督する者として、目の前の惨状に対する責任は大きい。下手すればこの戦闘後、予備役編入ということもあり得るだろう。少なくとも、昇進はない。

 それは、海軍の戦闘機パイロットとしてスタートし、分隊長、航空隊長、そして空母飛行長と順調に積み上げてきた自身のキャリアの終焉を意味する。


 非常時だというのに、思い浮かぶのは今後の進退のことばかりという自分に、いっそ清々しいものを感じたムロマチ中佐が薄い笑みを浮かべる。


「まあ、とりあえず足掻(あが)いてみて、多少は見栄えのいい最後にするとしようか…‥」

「中佐殿?」


 ムロマチ中佐の呟きに反応した部下が、怪訝そうな表情をしている。

 それに「何でもない」と手を振り、咳払いを一つ、ムロマチ中佐は声を張り上げた。


「総員、仕事を再開しろ! これ以上、我が空母への攻撃を許すな!」







『空母が、俺たちの龍鳳が!』

「騒ぐな! 航行に支障なし。そう報告があっただろう!」


 後席の兵装担当士官を一喝し、密かにため息をつく男性。


 あの「血塗れの鷲」と一緒に敵空母を屠った時の喜びは、どこかへと消え去り、言い知れようのない不安が彼を襲いかかっていた。

 騒ぐ後席の相棒の気持ちも分からなくはないが、この狭いコックピットで騒がれると操縦の邪魔だ。


 トーヴィー1こと、第15戦闘攻撃飛行隊隊長のタケウチ少佐は、降って湧いたこの危機に、有効な対応策を考えあぐねていた。


『コントロールより全機。これより防衛線の縮小を行う。各部隊は指定の位置へ転進せよ』

「転進か。気楽に言ってくれる」


 言うは易く行うは難し。タケウチ少佐たちの眼前には無視できない規模の敵部隊が展開しており、後ろを向ければミサイルを撃ち込んでくるだろう。

 決して回避ができない訳ではない。だが、敵に後ろを取られるのは精神衛生上よろしくないことだ。


 それを皮肉ったタケウチ少佐の言葉が誰かに聞こえるということはもちろんなく、前線に展開していた味方部隊は、余裕のできた者から後退を始めていた。


「さて、紳士諸君。お開きになったパーティーにいつまでも居続けていては、主催者の顰蹙(ひんしゅく)を買うだけだ。さっさとお暇するとしよう」

『了解』


 ユーモアに欠ける冗談に反応してくれる部下はおらず、タケウチ少佐率いる第15飛行隊は機首を後方へと向ける。


 と、それを待っていたかのように、FA-3C(烈風Ⅱ)のコックピットに、レーダー警報が鳴り響いた。


『アラーム!』

「分かってるよ。……全機、各自の判断で回避! 集合は我々の指定空域F3だ!」


 そう叫ぶや、タケウチ少佐は僚機の返答を待つことなく、切り込むような鋭い機動で低空へと逃れる。フレアを射出する音が響き、辺りが閃光に包まれた。


『ミサイル、逸れました』

「逸れなかったら大事だからな」

『それは確かに』


 タケウチ少佐のぼそりと呟いた一言に、後ろの兵装士官が失笑する。

 別に笑いをとったつもりはなかったのだがなと思いつつ、操縦桿を引き、機首を上げる。


『トーヴィー1、後ろに敵機。回避せよ』

「そりゃ、分かってるんだがな、っと!」


 射線に捉えられそうになったタケウチ少佐が、慌てて機体を緊急回避(ブレイク)させる。ヒュン、という風切り音が聞こえたような気がした。


 何とか(かわ)したものの、それで終わりというわけにはいかない。


「くそっ、捕まったか?」

『右後方に二機、左後方には一機! 囲まれました!』


 正確に言えば囲まれていないのだが、どうにもこの兵装担当士官は気が小さい。

 臆病なのは悪いことではないが、後ろの座席でこうまで騒がれると、こちらの不安まで煽られてしまうのが厄介だ。


「落ち着けよ、相棒。まだ前は塞がれてない。それよりも、敵の動きをよく見ておいてくれ」

『りょ、了解』


 おどおどする後席の相棒をなだめすかし、迫り来る敵機の魔の手から逃れる。一筋縄ではいかない仕事だ。


『右後方の敵機、接近中』

「よーしよし。いいぞ、相棒。その調子で敵機を見張っておいてくれ」


 右後方から近づく敵機の射線に入らないように、タケウチ少佐は機体を右にねじ込むように降下し始めた。速度が上がり、敵機との距離が開く。


「敵機との距離は?」

『開いてます。概算で30000』

「了解だ」


 後席からの報告を受けたタケウチ少佐は、再び上昇へと転じ、スロットルを開ける。FA-3C(烈風Ⅱ)のエンジン音が、その音階を上げつつ唸った。


『警告。レーダー照射を受けている』

「次から次へと面倒な……!」


 チャフとフレアを射出しつつ、上がりかけた機体を再び低空へと逃がすタケウチ少佐。

 ミサイルはあらぬ方向へと逸れていったが、機体は危険なほど低い高度を飛んでいる。


『キャプテン、頭上を押さえられました!』

「ああ、まずいな。こりゃ、まずい」


 この低い高度を飛んでいる中で、頭上を押さえられるのは非常に危険だ。

 回避しようにも、さらに低空へ逃げるという選択肢が取り難いのである。攻撃も、低空からではなかなか難しい。


『トーヴィー14、緊急脱出(イジェクト)する!』

『後ろに敵が、逃げられない……!』


 部隊と繋がる通信チャンネルからも隊員たちの苦境が伝わってくる。救援に来るほどの余裕があるものは、一人もいない。


――とうとう、俺も年貢の納め時か。


 タケウチ少佐が諦めかけたその時だった。F-18Jの、あの甲高いターボファンエンジンの音が聞こえてきたのは。


 深紅のF-18Jとすれ違ったかと思うと、たちまち後ろについていた敵が一機、爆散する。

 続けざまに、もう一機が主翼をもがれ、残った一機が慌てて深紅のF-18Jと距離を取った。


『あれは……』

「さすが、イーグルだ。足が速い。いや、あの『血塗れの鷲(ブラッディ・イーグル)』が、と言うべきかな」

『トーヴィー1、無事か? ここは任せて、君は指定された空域へ向かってくれ』


 尾翼に描かれた女神アテナの意匠が、水平線の向こうに沈まんとしている月明かりに照らされて妖しく輝いている。


 諦めかけたタケウチ少佐を救った騎兵隊。それは、女神アテナの寵愛を受けたエースパイロット、アイギス1だった。

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