第三話 血塗れの鷲
レウスカ人民空軍が繰り出してきた大規模な戦爆連合と互角の攻防戦を繰り広げていた日本空軍は、空中戦艦の出現によって一転、不利な状況へと追い込まれた。
『くそっ! 誰か助けてくれ!』
『メイデイ、メイデイ、メイデ――』
『スカル1、応答せよ! エドヴァー1、アレス1! 聞こえる者は返答を!』
帝都防空司令部の指示を受けて空中戦艦の攻撃に向かっていた戦闘機部隊の内、四分の三に相当する数が一度に通信を絶ったのである。
状況の分からない防空司令部は混乱の極致にあったが、間近にいたパイロットたちの混乱はそれ以上だったと言っていいだろう。
突如として出現した六つの巨大な火球。それらは戦闘機部隊のど真ん中で炸裂し、一気に彼らを飲み込んだのだ。
直接巻き込まれなかった者も、炸裂した何か――おそらくは砲弾の破片によって機体に損傷を負い、不運な者はコントロールを失って墜落していく。
爆発の近くにあって難を逃れたのはわずか七機に過ぎず、それらも砲弾を追う様にして遅れて現れたSt-37の群れによって駆逐されている。
一挙に作戦機の大多数を失った日本空軍。残存する部隊は戦爆連合への対処に追われており、手が空いている者はいなかった。
――彼らを除いては。
「アイギス1よりインペリアル・コントロール。急行中の味方部隊は、敵空中戦艦のものと思わしき攻撃、及び敵護衛機の攻撃によって全滅。指示を求む」
『アイギス1、報告は確かか? 本当にあれだけの数の戦闘機が一度に墜ちたと言うのか?』
「信じがたいだろうが、本当だ」
レオンハルトの報告を聞き、防空司令部のトップと思われる管制官の男が唸る。
『……了解した。アイギス1、現状で空中戦艦に対処できるのは君と君の部隊だけだ。やってくれるか?』
ふと「貧乏くじだ」とぼやくジグムントの姿が目に浮かび、思わず笑いそうになる。
「嫌だと言って、敵が帰ってくれる訳でもあるまい。任せてくれ。何とかしてみせよう」
『おい、隊長! あんまり安請け合いしないでくれよ!』
案の定、抗議するように割り込んできたのはジグムントだった。
それを聞いてか、管制官は絞り出すような声でこう言う。
『すまんな。できる限りの支援はする。海軍の第1艦隊が先ほど須磨を出た。到着までそう時間はかからないはずだ。何とか踏ん張ってくれ』
「了解。私たちの武運を祈っておいてくれ」
そう応じたレオンハルトは通信を切ると、はるか水平線に小さく浮かぶ空中戦艦を見据えた。
距離にして、およそ150キロといったところだろうか。十分とかからずにたどり着ける距離だが、その間には仇敵St-37の飛行隊がいる。
燃料の残量を考えれば、護衛機に時間をかけることはできない。
「アイギス各機、傾聴。敵空中戦艦とその護衛機には、隊を分けて当たる。アイギス2、5、6は私と共に護衛機を、その他はアイギス9の指示に従い、空中戦艦を足止めしろ。決して無理はするな」
『了解』
僚機の答えを聞き、レオンハルトは機体を滑らせるように旋回、空中戦艦に向けてスロットルを開ける。
その直後、空中戦艦が立て続けに六回、発光した。注視していたレオンハルトの拡張角膜を通じてこの映像が帝都防空司令部に送られる。
『敵空中戦艦、砲撃を確認! 全機、退避せよ!』
送られた映像は即座に空中戦艦主砲の発砲炎であると解析され、管制官が退避命令を告げる。
戦域情報システムを通じて、予測弾着地点を計算した帝都防空司令部の戦術コンピュータから情報が送られ、レオンハルトたちはその場から急速に離脱する。
『着弾まで5、4、3、2、1、今!』
レオンハルトが殺傷範囲を抜けた直後、空中戦艦の放った対空榴弾が炸裂する。
「おっと……!」
あまりに凄まじい爆発の威力は、殺傷範囲の外にいるはずのレオンハルトの機体をも揺さぶる。
それを何とか制御したレオンハルトは、周囲を確認していささか厄介な状況に追い込まれたことを悟った。
帝都防空司令部の正確な分析と迅速な退避命令によって、アイギス隊に被害は出ていない。
しかし、それぞれがとっさに殺傷範囲から離脱した結果、編隊はバラバラになってしまっていたのだ。
僚機であるカエデはレオンハルトの反対側へ離脱しており、ジグムントとイオニアスも離れた位置にいる。
そして間の悪いことに、そんな編隊が乱れたわずかな隙を突いて彼らがやってきたのである。
『くそっ、レーダー照射…… ファントムだ!』
『落ち着け! 編隊を立て直すんだ!』
さすがはベテランと言うべきか、ディミトロフ大尉は冷静に態勢の立て直しを呼びかけるが、他のパイロットたちは立て続けに襲いかかる敵の攻勢の前に動揺してしまっている。
それを見逃す彼らではなかった。
『アイギス8、後方に敵機。アイギス11、アイギス6もだ』
『くそったれ、離れやがれ!』
孤立した者を的確に狙ってきたSt-37の群れは、回避を試みるF-18Jに容赦なく機関砲の雨を浴びせる。
そして、それに対応しきれなかったパイロットがまず脱落した。
『アイギス11、やられた! コントロールが利かない!』
『脱出しろ、ハイムゼート!』
被弾し、高度を下げていくF-18J。ディミトロフ大尉が必死に叫ぶが、直後、F-18Jは誘爆を起こして粉々に砕け散った。
『アイギス11、ロスト』
管制官の非情な宣告に、レオンハルトは思わず息を呑む。
その間にも、敵は手を緩めることなく猛烈な攻撃を仕掛けてくる。
『くそっ、エンジンに被弾した! アイギス8、脱出する!』
後方に張り付かれていたアイギス8が被弾、機体のコントロールが取れないことを悟って脱出する。
立て続けに二機が撃墜されたアイギス隊には、動揺が広がりつつあった。
「あまり好き勝手される訳にはいかん……。全機、緊急編成! 近くの者と二機編隊を組め! 私は単独で行く!」
『隊長、危険です!』
先ほどのアイギス3とあわせて三人が撃墜されたため、二機編隊では一人余る。
レオンハルトはそれを自分が単独で戦うことで解決しようとしたのだが、カエデがそれに異議を唱えた。
開戦以来、カエデはレオンハルトの僚機として常に側にあった。それがレオンハルトを一人で戦わせるとなった今、不安になったのだろう。
レオンハルトは「クシロのような美人に心配されるのも悪くないな」などといささか場違いな感想を抱きつつ、彼女を落ち着かせるように語りかける。
「アイギス2、心配はいらない。彼らの戦い方はよく分かっている。囲まれたとて、負ける気はしないさ」
『そういうことじゃないです!』
珍しく怒気を見せるカエデに、さてどうしたものかと考え込むレオンハルト。
そんな彼に援護射撃を送ったのは、意外な人物だった。
『アイギス2、アイギス1が信頼できないか?』
賑やかな相棒とは対照的に、隊で一番の無口な男、イオニアス。
最近は徐々に軽口を叩くようになってきたが、それでも黙っていることの方が多い彼が、レオンハルトならば大丈夫だとカエデの説得を始めたのである。
意外な人物から声をかけられ、カエデも意表を突かれたのか、声のトーンが下がる。
『そういう訳では、ないんだけれど……』
『ならば、アイギス1の命令通りに。彼なら大丈夫だ』
特に根拠がある訳ではなさそうなのだが、それでも普段寡黙なイオニアスが言うと不思議と説得力があるような気がしてくるものだ。
カエデもそうだったのか、一つため息をつき、それでも心配そうな様子でこう言った。
『無理はしないでくださいね、アイギス1』
「ああ。もとよりそのつもりだ」
その間にも、レオンハルトは雲海の中へと機体を下降させ、縦横無尽に暴れ回る敵部隊に接近しつつあった。
「ちょうどいい機会だ。このステルス塗料とやらの性能、試してみようじゃないか」
どの程度まで有効なのかは分からないが、仮に敵のSt-37と同程度の性能を発揮できるとすれば、かなりの衝撃を与えられるはず。
レオンハルトはそう思いつつも過信はせず、随時更新されるWAIS上の敵の位置を確認しながら雲の中を突き進んでいった。
『アイギス4、後ろに敵機』
『こちら、アイギス7。カバーする』
『アイギス9よりアイギス5。支援願います』
ようやく混乱から立て直したアイギス隊のパイロットたちの通信を聞きながら、敵編隊へと近づくレオンハルト。
そして、イオニアスを狙うように飛ぶ敵機の後ろへついた次の瞬間、一気に機首を引き上げた。
雲を突き破るように飛び出すと、目の前には無防備なSt-37の腹がある。レオンハルトはその腹をレティクルの中央に捉え、トリガーを引いた。
「敵機撃墜」
コントロールを失い、炎を上げて失速する敵機の横をすり抜けながら撃墜を宣言したレオンハルトは、不意打ちの好機を生かして次なる敵へと襲いかかる。
「フォックス2、フォックス2」
機体を横滑りさせるように降下しながら放った二発の短距離ミサイルは、ちょうど正対する形で飛んでいた敵機の鼻の先へ吸い込まれるように命中した。
『ルーチニク!』
それは、一瞬のことだった。
雲海の中から突如として飛び出した赤いF-18が、機銃掃射で一機を火達磨に。そして続け様にミサイルを放ち、もう一機を爆砕したのである。
St-37に搭載されているレーダーにはめぼしい反応がなかったポイントからの奇襲攻撃であり、ソーンツェの面々はそれに少なくない衝撃を受けていた。
『馬鹿な……。まさか、ステルス機か?』
『ステルスのイーグルなど、聞いたことがないぞ!』
『落ち着け! もう敵は我々の前に姿を現したんだ! 後は他の奴と同じように戦えばいい!』
困惑する僚機の通信を聞きながら、ソーニャは一刻も早く部隊に合流しなければと感じていた。
敵はあの「魔女部隊」であり、その中でもステルス機を任されるに足る能力の持ち主。
それは「悪魔」に違いなく、そうであるならば味方に大きな被害が出る可能性が高いのだ。
「ヴァルトールナ、皆が言っているイーグルへの誘導は可能?」
『否だ。レーダーにそれらしき反応が見当たらない』
いつもの調子を崩すことのない管制官の言葉を聞き、ソーニャは思わず歯噛みする。
あの「悪魔」の位置が分からなければ、ソーニャとヴィクトルが練りに練った対抗策を実行に移すことができないのだ。
空中戦艦からの支援砲撃で敵部隊がバラバラになったことも、結果としてソーニャの策には不利に働いている。
しかし、悩んでいる時間はない。迷っている間にも、「悪魔」はその鋭い刃でこちらを切り裂こうとしているのだ。
「……仕方ない。少し見通しが不鮮明だが、プランVを始める。イミル、アーンギルは奴に食らいついて。ヴァローナ、行くわよ!」
『了解!』
『ヴァルトールナよりリーリヤ。目標は12時の方向、高度24000』
管制官から指示を受けた目標は、ちょうどこの雲の中を突き抜けた真正面だ。
ソーニャとヴィクトルの後ろに着いてきていた二機が離脱するのを確認すると、ソーニャはスロットル全開で厚い雲海から飛び出した。
飛び出したその真正面に、四機のF-18が無防備な背中を見せていた。
『目標、真正面!』
「撃て!」
ソーニャとヴィクトルの二発ずつ、計四発のミサイルがF-18へと殺到する。
彼らは考え得る限りで最高の反応を見せ、ミサイルの回避を試みたが、それに成功したのは一人だけだった。
『撃墜確認!』
『リーリヤ、ヴァローナ、まだナンバー071は生きているぞ』
「分かってるわ、よ……!」
悪態をつきながら、ソーニャは機体を旋回させて目標を追う。
目標――かの「悪魔」を支える右腕。本人も腕利きのパイロットであると思われる、「悪魔」の僚機は、統一連邦の精鋭にもなかなかできない見事な回避機動でソーニャの攻撃を躱した。
厄介な敵だが、彼女を失えば「悪魔」とて好き放題することはできない。「悪魔」が縦横無尽に空の戦士たちを屠ってきたのは、彼を支える僚機の存在あってのことだ。
本来であれば、僚機を撃墜ないし撤退に追い込んだ後、そのまま「悪魔」への包囲攻撃に移るはずだったのだが、敵がバラバラになっていては仕方がない。
目の前の目標を墜とした後、すぐに駆けつければいいだろうと自分を納得させつつ、操縦桿を握り直す。
「リーリヤよりヴァローナ。挟み込むわよ!」
『了解!』
目標を追うのはソーニャ。何とか射線に入らないよう小刻みな回避を続けるそれの退路を潰す形で、ヴァローナが横合いから銃撃を浴びせかける。
それを、急減速で機体を降下させ躱すF-18だったが、それは正しくソーニャの予想した通りの動きだった。
「もらった――!」
撃墜を確信したその瞬間、ソーニャは何かが自分の後ろにあることを感じ取った。反射的に回避しつつ、トリガーを引く。
『敵機被弾!』
ヴァローナが珍しく興奮した様子で叫ぶが、ソーニャは舌打ちしたい気分だった。
ソーニャが感じた「何か」とは、後方を占位されて何とか挽回しようとしていた敵機であり、味方――それも、彼女の信頼するカザンツェフ中佐が追っていたため、背後からの攻撃を警戒して取った反射的な回避は、全く以て無用な心配だったのである。
しかしその回避のために、ソーニャは敵にトドメを刺し損なった。敵機の援護が入っており、これ以上の追撃も厳しい。
見たところ、すでに戦闘機動は不可能なようだが、脱出されればここは日本の領海だ。すぐに回収されて、再びソーンツェ隊の前に姿を現すだろう。
「悪魔」の僚機を狩り、彼を孤立させるという策は一応、成ったと言えるが、一抹の不安は拭えなかった。
そして、彼女の不安はすぐさま的中することになる。
『よくやった、リーリヤ、ヴァローナ! この調子で奴も――』
おそらく「頼むぜ」と続けたかったのであろう同僚の通信が不自然に途切れる。理由は一目瞭然だ。
何故ならば、ソーニャの目の前で、あの「悪魔」に撃墜されたのだから。
「いつの間に……!」
『おい、トゥポイ? 一体何が――』
自身の僚機が撃墜されたことに最期まで気がつかぬまま、また一人、同僚が「悪魔」の手にかかる様を目撃し、ソーニャは慄然とした。
そして、作戦の失敗を悟ったのである。やはり、彼と彼女は一息に片付けるべきだったのだと。
時すでに遅く、かの「悪魔」がその名声を確かなものとする「惨劇の十五分」が、そのおどろおどろしい幕を開けた。
よく誤解されるが、レオンハルト・エルンストはカエデ・クシロに対して恋愛感情を持っていた訳ではない。
名の知られた男女のコンビということもあり、彼らがそういう仲だったと勘違いしている者は、宝石戦争史を研究している学者にも多い。
ただ、彼と彼女が他者とは異なる固い「絆」――彼らの関係を見るに、そう表現するほかない――で結ばれていたのは確かである。
故に、カエデが致命的な被弾を受けた直後に見せたレオンハルトの尋常でない焦りと、その後の「鬼神もかくや」と言わんばかりの獅子奮迅ぶりは、ある意味で当然の成り行きだったのだ。
「アイギス2、聞こえるか! ……くそっ! 応答しろ、カエデ!」
『――こちら、アイギス2。機体が、持ちません。脱出します』
ようやく繋がった通信に安堵するレオンハルト。雑音混じりではあったが、彼女が無事であることが確認できたのである。
レオンハルトの視界の先、黒煙を噴くF-18Jのキャノピーが吹き飛び、パイロットが脱出する。あれがカエデだろう。
「アイギス2、すぐに救援を向かわせる。下は寒いと思うが、何とか頑張ってくれ」
『……了解』
『おい、どうかしたのか?』
返答にやや間があったことに、通信を聞いていたらしいジグムントが割り込んできた。
確かに、ベイルアウト後の不安定な状態とは言え、気になる空白だった。
『被弾した時に、少し怪我を……』
思わず、レオンハルトは何匹もの苦虫を噛み潰したような表情をする。
いくら戦闘に参加するパイロットとは言え、女性が怪我をするというのは決して気分のいいものではない。それが自身の部下――それも、一番の信頼を置く僚機となればなおさらだ。
レオンハルトの目がすっと細められた。その瞳は、カエデが傷ついたことへの怒りに燃えている。
「……さて。ウチのお姫様に傷をつけた責任、取ってもらうとしようか」
カエデの次に長い付き合いとなるジグムントとイオニアス。
その二人が聞いたこともないような低い声でそう呟いた瞬間から、それが始まった。
カエデの無事を確認する間にも続けていた敵機の追尾をあっさりと止めたと思いきや、レオンハルトは離脱する勢いもそのままに、敵の二機編隊へと斬り込んでいく。
あまりにも無造作過ぎるその突入に、敵どころか味方すら反応できない中、レオンハルトはトリガーを二回、さながら電気のスイッチを付けるような気軽さで引いた。
コンマ五秒ほどの間に放たれた二十発から三十発程度の20ミリ弾は、しかし敵機のコックピットを過つことなく貫く。
命中にやや遅れて、燃料タンクが発火。レオンハルトが二機の間を飛び抜けた直後、あっさりと爆発して、二機のSt-37は皇海上空に散った。
「敵機撃墜」
淡々とした戦果報告をしつつ、レオンハルトの赤い機体が鋭く旋回する。
「アイギス1よりインペリアル・コントロール。これより、敵空中戦艦への攻撃に移る」
『護衛機の排除は終わっていないようだが、大丈夫なのか?』
管制官の疑問に、レオンハルトはコックピットの中でニヤリと笑みを浮かべた。いつもの自信ありげなものとは違い、どこか酷薄さが浮かんでいる笑顔だ。
「敵機の数は減らした。部下だけで十分押さえられるから問題ない」
『待て、アイギス1。一人で空中戦艦への対処を行うつもりか? それは認められない』
彼の言葉はもっともなものだったが、レオンハルトはそれを無視して空中戦艦が遊弋するその方角へと機首を向ける。
『アイギス1、聞いているのか? これは命令だ。アイギス1!』
必死に呼びかける管制官の言葉に応じることなく、レオンハルトはスロットルを開けて機体を加速させた。
と、レオンハルトの意図を察したのか、「そうはさせじ」とばかりに四機のファントムが左方から接近する。
ちらりとそちらの方を一瞬だけ見たレオンハルトは、反対側へ操縦桿を倒して引き、上昇しつつ左へと旋回した。
誘い込むようなレオンハルトの動きに、敵機は警戒したのかそれを追おうとせず、半包囲するような形で分散する。
しかし、それこそがレオンハルトの狙いだった。
「かかったな」
ゆっくりと高度を上げていたレオンハルトのF-18Jが、いきなり滑り落ちるように急降下し、統一連邦のパイロットたちの視界から消える。
レオンハルトは機体の限界ギリギリまで旋回し、四機のファントムの後方へと飛び出た。
「フォックス2」
二発の短距離ミサイルがファントムに襲いかかる。回避どころか、何が起きたのかすら分からないに違いない早業で、二機のファントムがあっさりと爆散した。
なおも二機の後ろ姿を捉えているレオンハルトは、彼らが低空へと緊急回避したのを見るや、それを無視して再び空中戦艦の方へと向かっていく。
その行く手を阻む者はいなかった。
『なんだ、あの動きは……』
『あのパイロットは本当に人間か?』
友軍機の間から漏れ聞こえてくる感嘆――あるいは恐怖の声を背に、レオンハルトは空中戦艦に迫る。
と、およそ10000メートルほどの距離まで来た時、コックピットにレーダー照射に対する警報が鳴り響いた。WAISを確認するが、周囲に敵機の姿はない。
装置の誤作動かと思っていると、前方の空中戦艦から十数発のミサイルが発射される様が見えた。
『アイギス1、ミサイルアラート!』
「大丈夫だ、インペリアル・コントロール。もてなし方のなってない彼らに、少し教育をしてやるとしようじゃないか」
そう言うや、レオンハルトはこちらを狙うミサイルに真正面から突っ込んでいく。管制官が悲鳴のような声で制止を続けていた。
「セミオート・コントロール、アイリンク・モードを起動」
スイッチを入れ、あまり使ったことのない半自動操縦を起動する。レオンハルトの操縦を、戦術コンピュータがモードの設定に従ってサポートしてくれるシステムだ。
そして、アイリンク・モードは、拡張角膜で視認・ロックオンした目標を機銃で攻撃できるように機体の操縦を微調整するモードである。
システムが異常なく動いているのを確認したレオンハルトは、意識を集中し、目を凝らしてミサイル群を見据えた。
ロックオン、発砲。ロックオン、発砲。
淡々と、書類に判子を押していくようなリズムで、次々にミサイルを撃ち落としていく。
最後のミサイルをすぐ目の前で処分した後、レオンハルトはその爆炎を飛び越えるようにして、再び機体を加速させ始めた。
空中戦艦からは雨あられのように対空砲火が浴びせられるが、レオンハルトは不規則な機動で対空砲台の照準を狂わせ、巧みに距離を詰めていく。
『アイギス1、君は一体どんな魔法を使っているんだ……?』
先ほどまで再三退避を命じていた管制官は、もはやレオンハルトを制止することもなく、ただ目の前――レーダー上で繰り広げられている「舞踏」に、慄然とするばかりだ。
「アイギス1よりインペリアル・コントロール。空中戦艦のウィークポイントはエンジン部分で間違いないか?」
『あ、ああ。技本の見立てでは、あの巨体をあの翼だけでは飛ばせないはずだから、大推力で無理矢理浮かんでいるのだろう、と』
ブリタニア戦線で初めてその姿を現し、たった一度の作戦行動ながら、PATOに決定的な敗北をもたらした空に浮かぶ戦艦。
海に囲まれた日本に対する侵攻作戦では、まず間違いなく出撃してくるだろうと予測されていた空中戦艦に対して、決して無防備なままでいたわけではない。
わずかな映像や証言から技術研究本部が推定した空中戦艦の「弱点」は、前線のパイロットたちにも周知されている。
問題は「果たして空中戦艦に有効な攻撃を与えられるほど接近できるのか」という点だったが、レオンハルトはこれをクリアしている。
戦況を大きく左右しかねない懸念要素を排除する絶好のチャンスが、彼の目の前に転がっていた。
鳴り止まない警告音をBGMに、空中戦艦の後方へと回り込む。巨体とそれを支えるエンジンが生み出す乱気流に、操縦桿を取られそうになった。
何とか機体のコントロールを握り、空中戦艦の両翼の根元付近に据え付けられているエンジンを視界に入れる。戦術コンピュータが、レーダーとレオンハルトの視界の情報をもとにしてロックオンした。
「フォックス2」
残った二発のミサイルをどちらも切り離し、猛烈な対空砲火から離脱する。至近距離で、砲弾が炸裂し、コックピットに破片が当たった。
『アイギス1、被弾確認!』
「右エンジンの推力、60パーセントに低下。ラダーの効きが悪い。恐らく、損傷している。それ以外は問題ない」
手早く機体の状態をチェックしつつ、レオンハルトが報告する。その間にも、二発のミサイルは空中戦艦の両エンジン目がけて疾走していた。
対空防御システムと思わしき対空砲火がミサイルに降り注ぐ。およそ600メートルほどのところで片方のミサイルが迎撃されてしまう。
しかし、もう一方のミサイルは機銃弾の嵐をかい潜り、右舷に据え付けられている巨大なエンジンへと吸い込まれていった。
瞬間、レオンハルトの視界の端に、巨大な爆炎の華が咲いた。わずかに遅れて、轟音が響き、コックピットのガラスを震わせる。
『敵空中戦艦への命中弾を確認!』
『赤いイーグルがやりやがったぞ!』
友軍機の歓喜の声を聞きながら、レオンハルトはニヤリと微笑んだ。
「さて、お次はあの目障りなストライクパッケージだ」
少なくないダメージを負っているF-18Jを旋回させ、レオンハルトは帰還することなく、次の目標へと向かっていく。
早くカエデを救出させるために、あくまでもレオンハルトは敵を殲滅するつもりだったのだ。
『待て、アイギス1。君は被弾しているんだぞ。速やかに帰投せよ』
レオンハルトが意図するところに気がついた管制官が警告するが、やはりこれを無視して機体を加速させる。
そして、レウスカの護衛機と日本の迎撃機が乱戦を繰り広げる空域へと殴り込みをかけた。
「アイギス1、交戦」
混戦状態のど真ん中へ飛び込むや否や、手近なところにいたBol-31に機銃弾を浴びせかけ、撃墜する。
鋭いナイフのように斬り込んできたレオンハルトに、レウスカの側はにわかには対応することができず、そのまま為すがままに翻弄されていった。
日本軍機を追尾していた者は、さらにその後方から攻撃を受けて脱落し、追われていた者は横合いから殴りかかられて処理能力を超え、被弾する。
その様を目の当たりにした日本のパイロットたちは、味方であるにも関わらず、震え上がった。
『おい、あのイーグル、煙噴いてるぞ!』
『被弾してあの動きか? 信じられん……』
『正しく、「血塗れの鷲」だな』
傷つきながらも容赦なく敵を屠り、血に塗れる鷲。
初出ははっきりしていないが、これ以降のレオンハルトの異名となる「血塗れの鷲」の名は、この皇海上空の戦いを機として、両軍の間に轟くこととなる。
閑話休題、拮抗していた両軍の戦力比は、レオンハルトが参戦したその瞬間から凄まじい勢いで日本側に傾いていき、護衛機はすり潰されるように消えたのだ。
そして護衛機が消えてしまえば、後は無防備な背を晒す爆撃機が残るだけである。
慌てて回頭し、撤退しようとする爆撃機の群れに、レオンハルトは容赦なくその刃を振るった。
爆撃機は爆弾倉を撃ち抜かれ、次々に爆散。そして、最後の一機が主翼を奪われ、空中分解しながら雲海の底へと沈んでいった。
「アイギス1よりインペリアル・コントロール。敵の掃討を完了した」
混戦状態に殴り込みをかけてからわずか三分間。その三分で、レオンハルトは数十機を数えていたレウスカ空軍の戦爆連合を、文字通り「全滅」させたのである。
同じ空域を飛ぶ友軍パイロットは言葉を失い、ただ呆然と深紅のイーグルを見つめている。
『こちら、インペリアル・コントロール。アイギス1、ご苦労だった。敵空中戦艦は回頭し、撤退した。君の部下が相手をしていたファントム部隊も、空中戦艦と共に撤退した』
ジグムントたちが無事に敵を退けたという話を聞き、ほっと一息をつくレオンハルト。大丈夫とは言ったが、やはり指揮を投げ出した後ろめたさや心配はあったのだ。
ともかく、労をねぎらう管制官の言葉は「ただ」といって続けられる。
『今回の君の行動にはいささか問題もある。詳しい話をするためにも、まずは無事に帰投してくれ』
「了解した。これより帰投する」
苦笑いしながら返答し、レオンハルトは通信を切る。
基地に帰れば待っているに違いないヒサカタ准将――正確にはナラサキ中佐の叱責と、その後にあるだろう始末書の山を思ってのほろ苦い笑みだったが、いささかその見通しは甘いものだったと言えるだろう。
何故ならば、帰投したレオンハルトを待っていたのは、冷酷無比で知られる帝国憲兵だったのだから。




