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宝石戦争  作者: 東条カオル
第二章 バトル・オブ・ブリタニア
25/42

第九話 月の間作戦(前編)

 キングストン新市街、国防省オフィス地下二階の統合作戦司令室は、多くの人員がいるにも関わらず、不気味なほどに静まりかえっていた。


 去る12月21日、首都防衛のために国内に駐留する地上部隊のほとんどを投入したキングストンの戦いは、死傷者二千人余り、行方不明者五百数十人という甚大な被害をブリタニア軍に与え、継戦の意思をほとんど奪い去ってしまった。

 現在、首都キングストンは海上を除く三方をレウスカ人民軍第2軍によって完全に包囲されており、いつ総攻撃が始まってもおかしくない状態にある。


 ブリタニア軍に残された道は少ない。血路を切り開いてでも北方への退却を図るか、あるいは降伏するか、だ。

 だが、ブリタニア側のそんな思惑はレウスカ軍にとって百も承知のことであり、脱出すべき北側から東側にかけては分厚い戦力配置が為されているという偵察部隊の報告が上がっている。


 誰もが口をつぐむ中、陸軍実戦部隊の最高責任者である地上部隊司令官セシル=フィッツモーリス大将は重い口を開き、言い難い現実を言葉にした。


「降伏、しかあるまい」


 その言葉を聞いた幕僚やオペレータがうなだれる。半年前までは想像もしなかった事態が、今目の前に現実となって迫っているのだ。


「士気は旺盛だが、補給がない。血路を切り開くにはそれなりの火力が必要だが、戦っている間に弾切れとなるだろう。そして、レウスカの総攻撃は今始まってもおかしくない」


 弾薬は今現在、それぞれの部隊が確保している分が最大だ。弾薬などを保管していたのは郊外の駐屯地であり、現在は敵の占領下にある。

 外から運ぼうにも市街地周囲の制空権は敵の手にあり、とても弾薬を運び入れられる状況ではなく、海から運ぶには時間がかかり過ぎる。補給の動きが見えた時点で、レウスカ軍の総攻撃が始まるだろう。


 戦闘が始まれば、早々に弾薬が尽きるのは目に見えており、それもまた脱出という選択肢をためらわせる理由の一つだった。


「首相に陸軍としての見解を申し上げ、陛下に上奏する。私は責任を取るつもりだ」

「閣下……」

「異論はあるか?」


 誰も声を上げることはない。セシル=フィッツモーリス大将が司令席から立ち上がろうとしたその時、一人の将官が前に進み出てきた。


「お待ちください」

「ハーマン中将?」


 それは回廊(コリドー)要塞の元司令官であるハーマン中将だった。


 要塞陥落の心労からか髪には白いものが見え始めており、顔色は青白く、頬もこけている。

 だが、その瞳だけは爛々と輝いており、異様な雰囲気を醸し出していた。


 セシル=フィッツモーリス大将はそんなハーマン中将の奇妙な迫力に圧倒されて、思わず司令席に腰を下ろしてしまう。


「撤退しなければ、我が国は敗北してしまう。陛下の御身もどうなるか分かりません」

「それはそうだが……」


 確かに、それだけがセシル=フィッツモーリス大将の気がかりだった。


 現国王エドワード8世は、世が世ならば名君として国を統治したであろうと言われるほど聡明で高潔な人物である。

 そんな国王がキングストンの市民や軍を見捨てて首都を脱出するとは到底思えず、そうなれば彼の身柄は共産主義者の手に落ちることとなるのだ。


 まさか戦前の統一連邦のように、いきなり処刑するとも思えないが、好ましからざる事態に陥るのは明白だった。


 それを避けるためには、軍が撤退してあくまでも抗戦するのだという姿勢を見せなければならない。

 捲土重来を期し、今は撤退するのだということであれば、エドワード8世も首都からの脱出を受け入れるだろうというのは、セシル=フィッツモーリス大将にも分かることだ。


 故に、ハーマン中将はこう主張するのである。


「撤退しましょう。撤退あるのみです」


 撤退を主張するハーマン中将を見る周囲の目は冷たい。

 指揮権を剥奪されたとは言え、彼が中将という階級の持ち主であるが故に表だってこれを非難する参謀はいないが、誰もが内心では「敗軍の将が何を言うのか」と白々しい思いを抱いている。


 しかし、ハーマン中将はそんな周囲の目を気にしている様子はなかった。


「撤退とは言っても、あの包囲を突破するだけの物資が我が軍にはない。先ほどもそう言っただろう」

「包囲を突破する必要などありません」


 ハーマン中将の言葉に周囲が困惑する。遂に気が触れたか、と呆れたような目で見る者すらいた。


「海は包囲されていません。ここから撤退しましょう!」


 ハーマン中将の言う通り、確かに海は包囲されていない。

 地中海からエール海にかけて、レウスカ海軍の手強い潜水艦隊が遊弋しているが、沿岸に限れば世界に誇る王国海軍(ロイヤルネイビー)の敵ではない。


 だが、それも「船があれば」の話である。

 海軍は敵潜水艦隊の攻撃から民間船舶を守ることに手一杯であり、キングストンから出た船は良い的になりかねない。


「護衛はどうする? 海軍はおそらく満足な支援を出せんぞ」

「確かにそうですが、撤退先はそう遠くなくて良い。ブロムフォードで十分でしょう。ここまでなら、空軍がカバーできます」


 ブロムフォードはキングス湾に面した街で、キングストンの北西に位置している。

 また、キングストンとブロムフォードの間にはリール川が流れており、レウスカ人民軍の進撃を一時的にせよ、遅滞させることができるだろう。


 とは言え、別の問題もある。

 キングストンの港は確かに大きく、船も多い。だが、市内にいる約二万人の将兵を運び出すだけのキャパシティはさすがにない。


 となれば、往復する必要が出てくる訳だが、そこはレウスカも黙って見てはいないだろう。

 レウスカ軍が市街に突入し、首都で壮絶な市街戦が発生するに違いなく、そうなれば軍も市民も甚大な被害を受けることとなる。


 しかし、それに対してもハーマン中将は対応策を用意していた。


「囮部隊を出しましょう。指揮は私が執ります」


 作戦を上手く遂行するため、敢えてレウスカ人民軍に攻撃を仕掛ける囮部隊。非情な作戦だが、これを発案者が指揮するとあっては一言で却下する訳にもいかない。

 ハーマン中将は決して引かずに撤退作戦を主張することで、ブリタニア降伏という最悪の事態を何とか避けようとしているのだ。


 作戦が上手く行くかどうかは分からない。だが、ハーマン中将の熱意は、衝撃的な敗戦によって弱気になっていた司令部の面々に、痛烈な活を入れた。

 セシル=フィッツモーリス大将は、熟考の末に決断する。


「……分かった。ハーマン中将を指揮官とする囮部隊を編成。残存する陸軍部隊のキングストン脱出を図る」

「ありがとうございます!」


 ハーマン中将は、喜びも露わに敬礼した。

 覚悟を決めたセシル=フィッツモーリス大将も、鋭い表情で参謀たちに命令を飛ばす。


「まずは船の確保を急げ。港にある船は全て徴用しろ。個人の邸宅にボートがあれば、それも接収するのだ」

「はっ」


 セシル=フィッツモーリス大将が決断を下すや否や、参謀たちが慌てて司令室から飛び出していく。オペレータも各機関へと連絡を取り始めた。


「ハーマン中将、作戦の詳細について詰めるぞ」

「はっ」


 セシル=フィッツモーリス大将は、ハーマン中将や残っていた数人の参謀と共に作戦の立案に取りかかる。主に脱出する順序や支援体制、そして囮となる部隊の選定が中心だ。


「囮部隊はどこが良いと思うかね」

「第3師団麾下の戦車部隊が適任かと。戦車は船で運べませんし、ウィンダミアの山岳地帯ではあまり有効活用できないでしょう」

「なるほど……。ならば、残存する戦車部隊を併せて、ハーマン特別集成旅団とする。指揮官はもちろんハーマン中将だ。頼んだぞ」


 ハーマン中将が頷く。参謀たちは撤退のために司令室の整理に取りかかった。

 それを手伝おうとしたハーマン中将を、セシル=フィッツモーリス大将が止める。


「君にはハリファックス宮殿に同行してもらう」

「と、言いますと?」

「陛下と首相閣下に作戦の概要を説明するのだ。お二方にもキングストンから脱出してもらわねばならんからな」


 セシル=フィッツモーリス大将の言葉に、ハーマン中将は目を見開いて絶句した。







 ハーマン中将の進言によって実行に移されることとなった敵前での大脱出作戦。

 これは後世の戦史に残る記録的な戦いとなるのだが、では何故このような歴史的脱出作戦を考案し、実行するような時間を、レウスカがブリタニアに与えたのか。


 あらゆる歴史家や評論家がこの問題について論じているが、分かっている事実のみを述べるとするならば、「レウスカ国家評議会議長ミハウ・ラトキエヴィチによる直々の攻撃中止命令が出ていたから」ということになる。

 ミハウ・ラトキエヴィチが如何なる理由でこの命令を出したのかは、彼が終生この問題について語らなかったため、真相は闇の中となっている。


 だが、後世の人々がこの攻撃中止命令について頭を悩ませているように、命令を受けた当の第2軍将兵もこの命令に当惑していた。

 とりわけ、キングストン攻略と国王の身柄を戦果として上級大将への昇進を目論む第2軍司令官レヴァンドフスキー大将にとっては、ミハウ・ラトキエヴィチ議長がお気に入りのクラトフスキー上級大将を贔屓――もちろん、そんなことはあり得ないのだが――しているように感じられ、強い不満を感じさせるものであった。


 当然と言うべきか、その不満は司令部の幕僚たちにぶつけられることとなり、このためにキングストン包囲当時の第2軍司令部は最悪の雰囲気であったという。

 そんな雰囲気の中で参謀長を務めるブワシク中将は参謀たちに、攻撃再開命令がいつ出ても良いように――あるいは痺れを切らしたレヴァンドフスキー大将がいつ独断での攻撃命令を出しても良いように、キングストン攻略に向けての作戦案を詰めさせていた。


 占領下に置いたハヴァント市の市庁舎の一室に設けた司令官執務室でレヴァンドフスキー大将の代わりに雑多な書類の判子押しをしていたブワシク中将の下へ、作戦課長のガボフスキー大佐がやって来る。


「失礼します」

「ああ、敬礼は不要だ。楽にしてくれ」


 判子押しを続けたまま、敬礼しようとしたガボフスキー大佐を制止するブワシク中将。


「はっ、それではこちらにサインをお願いします」

「うん? ……ほう、攻略作戦の骨子がもう固まったか」


 ガボフスキー大佐から書類の束を受け取り、ペラペラとめくったブワシク中将が感嘆の声を上げる。


「攻略作戦、と言っても結局は市街地に突入し、重点目標を確保しつつ敵軍の撃破もしくは降伏を図るだけですから」

「まあ、そうだな」


 それが難しいのだが、とは口に出さず、書類の束の一番後ろにさらさらとサインをする。

 判子押しならばともかく、さすがにサインを代行する訳にもいかないので、後はレヴァンドフスキー大将が執務に復帰した時に何とかすれば良いだろうと、改めて作戦概要書の中身を見てみる。


「ふむ……。13師団が主攻正面を担当するか。妥当だな。……む、634師団も投入するのか?」


 作戦概要書のとある記述を見て眉を顰めたブワシク中将。

 その言葉を聞いたガボフスキー大佐は、苦々しい表情でこう言った。


「それが、その……カトゥコフ少将がどうしても市街地攻撃に参加させろ、と」

「困ったものだな」


 カトゥコフ少将。レウスカ義勇軍団隷下の第634自動車化狙撃兵師団を率いる、統一連邦軍の将官だ。

 戦線が大陸全土に広がった現在、義勇軍団も所属部隊が各地に散らばっており、ここブリタニアにはこの第634師団が派遣されている。

 義勇軍団の将官たちの例に漏れず、カトゥコフ少将もレウスカの指揮権に干渉する厄介な人物で、何度もレヴァンドフスキー大将の怒りを買っている。


 前任者は比較的こちらの面子を立ててくれる人物だったのだが、如何なる理由によってかは分からないが、回廊要塞陥落直後に解任されていた。


「まあ、損害を少しは引き受けてくれるというのなら願ってもない話だな」

「はい。キングストンに立て籠もっている敵戦力は二万を少し切る程度と思われますので、市街戦ということを差し引いても、まず負けないと思うのですが……」

「損害は少ないに越したことはない。その意味では、むしろありがたい申し出だったと捉えようじゃないか」


 ブワシク中将が冗談めかして笑うと、ガボフスキー大佐も引きつったような笑いを見せた。


「ただ、内務省公安部(ABP)からの情報によると、ブリタニアはキングストンからの脱出を目論んでいるようです」

「ほう、ABPがね……」

「偵察部隊からの報告も、それを裏付けるような形になっています。情報の確度はかなり高いのではないかと」


 そう言いながらも、ガボフスキー大佐の表情はどこか据わりが悪そうだ。

 無理もないだろう。ABPが如何に優れた諜報機関とは言え、こうも間違いのない正確な情報を出されると、称賛の気持ちよりも不気味さが先に立つ。


「ABPの情報なら信じても良いだろうな。少なくとも、第2軍に上がってきた情報で間違っていたものはない」


 ブワシク中将はそう言うと、作戦概要書を「至急」と書かれた箱の中に放り込んだ。

 今頃、不貞寝しているはずのレヴァンドフスキー大将が起きてきた時に、最優先で片付けてもらいたい書類がその中には入っている。


 あらかた仕事の片付いていたブワシク中将は、良い機会だとばかりに休憩を取ることにして、作戦についての話を続けた。


「作戦成功の見込みはどのくらいだと考えている?」

「そうですね……。キングストンの制圧だけを考えるならば、失敗することがまず考えられません。戦力はこちらが圧倒していますから」


 ガボフスキー大佐の言葉は正しい。仮にブリタニアが海外から兵力を引き揚げたとしても、それも含めて粉砕できるだけの戦力がレウスカにはある。

 心配なのは補給線だが、今のところは問題なく機能しており、これを重要視する者はいない。


「制空権はどうだ? 敵の空軍はまだ健在のようだが、攻略に際して支障になるようなことは?」

「確かに敵空軍は脅威ではありますが、自分たちの首都に爆弾を落とすだけの決断が彼らにできるのかどうか、と言ったところですね。まあ、少なくとも、攻撃している間くらいは空軍も制空権を完全に奪われることはないのではないかと」


 地上では快進撃を続けるレウスカも、空の戦いではしばしば苦戦している。量的にそれほど圧倒している訳でもなく、全体的な質としては明らかに東側の方が上を行っているからだ。

 東側で何人ものエースパイロットが誕生しているのに比べて、レウスカは非常に数が少ないことからも、それがうかがえる。


「キングストン攻略に支障なし。問題と言えば、ブリタニアが撤退作戦に着手しようとしていることくらい、か」

「はい」

「何にせよ、ご苦労だった。ああ、そうだ。コーヒーでも飲むかね?」


 従兵にコーヒーを入れさせようとしたブワシク中将が、ガボフスキー大佐にも「どうだ?」と進める。

 しかし、ガボフスキー大佐はそれを断り、立ち上がった。


「空軍の方に二、三点、確認したいことがありますので。せっかくですが、この辺で」

「ああ。ま、君も適度に休息を取りたまえよ」


 ブワシク中将がそう言うと、ガボフスキー大佐は二つ指の敬礼をして、部屋を辞去した。


 従兵がコーヒーを持ってくると、ブワシク中将は下がるように命じ、一人になった執務室で再び作戦概要書を箱の中から取り出す。

 そして、胸元のペンを手に取ると、そのキャップを外してペン先を作戦書に向け、カチカチとボタンを押しながら作戦書をめくっていった。


「情報を送ったとしても間に合うかは分からんし、間に合ってもあまり役に立たんかも知れんが……。まあ良いだろう。それは私の仕事ではない」


 ブワシク中将はペンに仕込まれたカメラで作戦書を撮影し、そのマイクロフィルムは複数の協力者の手を経て、ブワシク中将のもう一つの雇い主――オーヴィアス連邦の中央情報局(CIA)の手に渡る。


 レシェク・ブワシク。レウスカ人民陸軍中将にして第2軍参謀長の肩書きを持つ彼は、CIAがレウスカ内部に獲得した協力員(エージェント)の中でも高位の人物だった。

 彼の送った情報の数々はその多くが役立てられることはなかったが、彼は役目を終えるその時まで貴重な情報を送り続けることとなる。


 後世、レシェク・ブワシクの名は、自由と正義のためにラトキエヴィチ政権と闘った闘士として記憶されている。







 所変わってキングストンのイーストミンスター。

 キングストンの、ひいてはブリタニアの政治中枢と言われるこの地区の一角に、ブリタニア国王が住まうハリファックス宮殿がある。


 ハリファックス宮殿は元々その名の由来でもあるハリファックス公の邸宅だったものだが、18世紀半ばに時の国王ジョージ4世が買い取り、19世紀半ばには王室公式の宮殿となったものだ。

 第1近衛歩兵連隊(グレナディアガーズ)を始めとする五つの近衛歩兵隊がこのハリファックス宮殿での衛兵交代式を行っており、キングストンでも重要な観光スポットの一つとなっている。


 戦時である現在は、グレナディアガーズの実戦部隊であるグレナディア第1大隊が宮殿警備に就いており、装甲車や対空砲が軒を連ねる物々しい雰囲気となっていた。


 そんなハリファックス宮殿にもうすぐ日が昇ろうという時刻。厳重な警備体制の中を、一台のリムジンが正面玄関へと進んでいる。

 玄関の前で止まったリムジンの扉を近衛兵が開けると、車内から出てきたのはセシル=フィッツモーリス大将とハーマン中将だった。


「中将、そう緊張するな。陛下は寛大なお方だ」

「は、はい」


 王族の遠縁であり、ベリオール侯の爵位を持っているためにハリファックス宮殿での晩餐会などに招待されることも多いセシル=フィッツモーリス大将とは違って、ハーマン中将はナイトに叙任された際に一度訪れたきりである。

 そのため、ハーマン中将は緊張しきっており、リムジンから出てくる際にも頭をぶつけたほどであった。


 笑うどころか息一つ漏らさなかった近衛兵に見送られ、宮殿の中に入る。家令が二人に軽く一礼した後、案内として先導し始めた。

 階段を上がった二階のとある一室の前まで来ると、家令が立ち止まり、ノックをした。


「ベリオール侯爵ヘンリー・ウィリアム・セシル=フィッツモーリス陸軍大将閣下、サー・ピーター・ベンジャミン・ハーマン陸軍中将閣下をお連れいたしました」


 扉が開かれ、二人が中へ入る。

 室内にいたのは、ブリタニア王国首相ジェームズ・ベケットと王室家政長官アーリントン子爵ハーバート・ロビンソン。

 そして第13代ブリタニア連合王国国王であるエドワード8世であった。


「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく――」

「――不要だ。早速で悪いが、本題に入ってくれ」


 セシル=フィッツモーリス大将の挨拶をエドワード8世が遮る。


「お二人とも、どうぞおかけください」

「失礼します」


 二人はロビンソン家政長官に勧められて椅子に座った。

 堂々としていながらも決して礼を欠いていない態度のセシル=フィッツモーリス大将に対して、ハーマン中将は落ち着かない様子で目を泳がせている。


「サー・ピーター、落ち着きたまえ。私は君が自身の職務を全うすることのみを望んでいる」

「は、はい」


 エドワード8世の言葉を受け、ハーマン中将は深呼吸をすると、持っていたジュラルミンケースの中から資料を取りだし、ロビンソン家政長官とベケット首相に手渡した。

 ロビンソン家政長官は受け取った資料をうやうやしくエドワード8世の前に置く。


 それを見て、ハーマン中将は資料を手に作戦概要の説明を始めた。


「本作戦はキングストン市内に残る陸軍部隊の、ブロムフォードへの撤退を主目的とします。現在、キングストンはレウスカ人民軍第2軍による包囲下におかれていますが、キングス湾は我が軍の制海権が維持されており、船を使っての撤退が可能です」


 説明を始めた途端、ハーマン中将の瞳に輝きが宿った。

 それまでの落ち着かない様子から打って変わった饒舌ぶりに、ベケット首相は目を見開き、エドワード8世は興味深そうな眼差しを向けた。


 ハーマン中将は、二人の様子に気づくことなく説明を続ける。


「海軍は地中海・エール海の対潜作戦のために出払っておりますが、キングストンの港内には多数の民間船舶があります。本作戦ではこれを徴用し、空軍の支援の下でブロムフォードへ向かいます」

「撤退を援護するために囮を出すのか」


 資料を見ていたエドワード8世が苦々しい顔をしながら言った。犠牲を強いるような作戦が納得できなかったのだろう。

 ハーマン中将はエドワード8世が難色を示していることにも臆さず、力強い口調で続ける。


「どのみち戦車は運べません。撤退後はウィンダミア山脈での防衛戦となりますが、ここでも戦車は使いづらいでしょう。ならば、思い切って囮とした方が良い」

「それはそうだが……」


 どうしても納得のいかないエドワード8世に対して、ハーマン中将は身を乗り出して説得を始めた。


「陛下、囮部隊がなければ撤退作戦は成功しません。それは我が国の敗戦に直結するでしょう。いずれ、東側は反撃に移るでしょうが、我が国は他国によって解放された国となります」


 それこそが、ハーマン中将を動かす熱意の元でもあった。

 ブリタニア国民としてこの国に誇りを持っている彼にしてみれば、他国のおかげで救われるということが我慢できなかったのである。


 犠牲を顧みない傲慢な感情とも取れるが、この場にいる貴族たちには感銘を与えたようだった。


「陛下、僭越ながら申し上げますと、私もハーマン中将と同意見でございます」


 ベケット首相は姿勢を正しながら、エドワード8世を説得する。


「第二次大戦以降、我が国の威信は衰えるばかり。ここで屈せば、国民は自分の国に対する誇りと自信を失ってしまいます。それに、共産主義政権に屈せば御身も危ない。私は政府代表として、ハーマン中将の撤退作戦を支持いたします」


 エドワード8世は頭を振り、深いため息をついた。


「ジェームズ、政府代表の君にそう言われてしまっては、私はどうすることもできないではないか。……分かった、分かったとも。サー・ピーター、君の作戦に我が国の全てを賭けよう。必ず成功させたまえ」

「御意」


 ハーマン中将が深々と頭を下げる。エドワード8世はそれを見て頷くと、ふと何かに気づいたような表情をした。


「そうだ。作戦の名称をまだ聞いていなかったな」

「は……?あ、いえ、本作戦は急いで立案したものですので、まだ名称はありませんが」


 唐突な言葉にセシル=フィッツモーリス大将が目を瞬かせながら言うと、エドワード8世はしばらく考え込んだ末にこう言った。


「ふむ……。ならば、月の間(ムーンチェンバー)作戦というのはどうだ? この部屋の名前から取ったのだが」

「それで宜しいかと」


 セシル=フィッツモーリス大将が頷いたのを見て、ハーマン中将がエドワード8世の言葉に賛同する。


 こうしてキングストン脱出作戦、通称「ムーンチェンバー作戦」が政府の承認を得たのだが、そこでベケット首相がハーマン中将にこう尋ねた。


「ハーマン中将、この作戦が敵に漏れる可能性はあるのか?」

「作戦を開始した段階でレウスカは我々の意図に気づくと思われます。そのための囮部隊です」


 ハーマン中将の言葉を聞いて、ベケット首相が唸る。当然のことだが、この撤退作戦が成功するかどうか心配なのだろう。


「作戦が始まれば、敵はそれを防ごうと動くのだな?」

「はい。間違いなく」


 今度はエドワード8世が質問し、それにセシル=フィッツモーリス大将が頷く。

 すると、エドワード8世はこんなことを言い出した。


「ならば、作戦開始の合図は私にさせてくれないだろうか」

「は? ……いえ、失礼。どういうことでしょうか?」


 思わず目が点になったセシル=フィッツモーリス大将が咳払いしながら尋ねる。


「テレビでもラジオでも……状況を考えるとラジオの方が良いだろうが、とにかくキングストンの市民に語りかけたいのだ。勝つためとは言え、私は市民を置き去りにして逃げることになる。何も言わずに逃げるというのは、無責任にも程があるだろう」


 そんなエドワード8世の言葉に、他の四人は何と言って良いか分からず、お互いに顔を見合わせた。


「ベリオール侯、どうだろうか。私が市民に語りかけるラジオ放送を合図に作戦を始めるというのは」

「よろしいのではないでしょうか」


 エドワード8世の提案にまず賛同したのはハーマン中将だった。


「包囲前に脱出した市民もいますが、多くの市民は市内に残っています。彼らに対して、ただ逃げるのではなく、戦いを続けるために脱出するのだと説明しておくことは、国民の継戦意思を挫かせないためにも重要かと思います」

「ふむ、確かに一理あるな……」


 ベケット首相が深く頷く。彼の脳裏には次の総選挙のことがあるだろう。


「特にこれと言って代案がある訳でもないか……。首相閣下、軍としては異存ありません」


 セシル=フィッツモーリス大将もどうやら賛成のようだ。


「軍が問題ないと言うのであれば、政府から言うことはない。陛下、では演説原稿の作成に取りかからせます」

「ああ、頼む」


 こうして、脱出作戦はエドワード8世のラジオ演説を合図に始められることとなった。


 そして、その六時間後となる1991年12月23日の正午。

 王立放送協会(RBC)のラジオ放送で、エドワード8世の演説が流されると同時に、ムーンチェンバー作戦が始まったのである。







 1991年12月23日正午、ブリタニア連合王国国王のラジオ演説


 親愛なる国民諸君。私はブリタニア連合王国国王エドワード8世である。

 我が陸軍は暴虐なる侵略者を防ぐことができず、遂に我が首都キングストンの前面まで撤退することとなった。


 だが、我が愛する陸軍将兵は未だ諦めていない。

 我が陸軍は必ずや証明するであろう。我らが故郷を、暴虐なる侵略者から守りぬくことを。奪われた国土を、いつの日か取り戻すことを。

 これは私が深く信じるところである。


 親愛なる国民諸君。決して諦めないでほしい。

 国土の南半は憎むべき敵の手に落ち、あるいは首都も落とされるかもしれない。


 だが、我らは決して諦めてはいけない。暴虐なる侵略者に決して屈してはならないのである。

 我らは最後まで戦い続ける。大陸で、海で、空で戦う。いかなる犠牲を払ったとしても我らは戦い続け、断じて降伏しない。

 例え、この半島全てが征服されたとしても、我らは海を越えて暴虐なる侵略者と戦い続け、必ずや祖国を取り戻すであろう。


 この戦いは、暴虐なる侵略者が敗れ去り、この大地に自由と平和が戻るその日まで続くのである。


 我が王都に住まう全ての民よ。私は必ず戻ってくる。

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