第八話 キングストンの戦い
レウスカ人民軍が王手をかけたブリタニア王国首都キングストンは、ローヴィス大陸でもオーヴィアス連邦のニューリーズに次ぐ、屈指の世界都市である。
市街地は新市街と旧市街に分けられ、キングス湾に面し、ブリタニアの経済・金融の中心地となっている西側が新市街、国会議事堂や国王が居住するハリファックス宮殿など、歴史的建造物が立ち並ぶ東側が旧市街となっている。
12月16日にハヴァントシャーの放棄を決定した陸軍は、市街地に被害を与えないためにキングストン郊外の丘陵地帯に防衛ラインを形成。
ここまでの戦闘で大きく損耗したブリタニア空軍は、キングストン北部のイートン空軍基地に国内の稼働機全てを結集して決戦に備えていた。
一方、ブリタニア海軍は12月8日に発生した「エール海の悲劇」の反省から、戦力の大半を地中海での対潜戦闘に投入しており、海軍の支援は望めない。
ブリタニア側がこのように防衛体制を整える中、12月21日の夜明けと同時にレウスカ人民軍がキングストン攻略作戦を開始し、明けて12月22日、両軍はキングストン郊外で激突した。
こうして、ブリタニア戦線序盤のハイライトとなるキングストンの戦いが始まったのである。
空襲警報のサイレンが鳴り響く中、首都の防空を司るイートン空軍基地から次々に戦闘機が発進していく。
『アイギス1、クリアード・フォー・テイクオフ』
ハヴァントシャー撤退戦の後、ハンプルトンから慌ただしくイートンへと移ってきたレオンハルトたちアイギス隊も、迎撃のために空へと上がる。
管制塔の離陸許可を受けたレオンハルトがスロットルを開け、F-18Jが徐々に加速していく。
滑走路を飛び立ったレオンハルトは管制塔の管制区域を離れ、キングストン航空管制隊の管制空域に入った。
キングストン攻略を目指すレウスカ人民軍は、制空権掌握のために大規模な戦爆連合を繰り出している。
それを防ぐべく、ブリタニア空軍も大規模な迎撃部隊を送り出しており、この日のキングストン上空には管制隊の能力を超える量の戦闘機がひしめいていた。
そのため、レオンハルトが配置を聞こうにも、なかなか通信が繋がらない。
ようやく管制官との通信が繋がったのは、管制空域に入ってから五分後のことだった。
『こちら、キングストン・コントロール。待たせてすまない』
「問題ない。それで、我々の配置は?」
レオンハルトがそう尋ねると、管制官は咳払いをして気まずげにこう言った。
『すまないが部隊が多すぎてこちらも手一杯だ。早期警戒管制機を回しているので、アイギスはそちらの管制誘導に従うように。チャンネル6だ』
「了解」
待たされたかと思えばたらい回しだ。全くもって彼らに責任はないのだが、何となく余所者の疎外感を覚えてしまう。
AWACSとの通信は打って変わってすぐに繋がった。
『こちら、スカイベース。アイギス1、貴機は現在時刻を以て当機の管制下に入る』
「アイギス1、了解。また会ったな」
ハヴァントシャー撤退戦で管制下に入って以来、ここ二週間の出撃でも何度か彼の声を聞いている。
朗らかな声は聞いていて心地良く、いつもならば「何だ、男か」と言って露骨に態度を変えるジグムントも、上機嫌に私語をして注意を受けていた。
『さて、では詳しい状況を説明しよう』
そう言うと、スカイベースは現在の敵空軍の動向と、それに合わせたブリタニア空軍の対応を説明し始めた。
レウスカ人民空軍は二つのルートから戦爆連合を送り込んでおり、その目標はやはり二つであると考えられる。
一つは、防衛ラインの後方連絡線を攻撃し、防衛ラインを弱体化させることで地上軍の攻撃を容易ならしめること。
もう一つは、キングストンの北に位置するイートン空軍基地を攻撃し、滑走路の使用を不可能にすることで戦闘機の離陸を防ぎ、制空権を奪取することだ。
そして二つのルートの内、敵戦線の後方から接近しているのが前者を、海上から回り込む形で接近しているのが後者を担当していると予測されている。
『君たちには海上、すなわちイートン基地の攻撃を企図する戦爆連合の迎撃に当たって欲しい』
「了解した。私たちとしても、仮宿とは言え、こうも短期間に基地を変えるのは疲れてきたところだからな。イートンを守るため、微力を尽くすとしよう」
レオンハルトがそう言うと、スカイベースは「頼んだよ」と、まるで買い物を頼むような気軽さで答えた。
『アイギス1、レーダーに反応です』
カエデからの通信が入る。続いて、スカイベースから敵に関する詳細な情報が送られてきた。
『スカイベースよりアイギス。方位280、高度15000。距離は20000』
「敵の数は?」
『……三十二機だ。爆撃機が八機、後はその護衛だろう』
なかなかの大盤振る舞いだ。イートン空軍基地の息の根を止めるには十分な戦力である。
「よし、まずは護衛の排除を優先する。アイギス各機、戦闘準備」
『了解』
レオンハルトの命令と同時に、隊の空気が張り詰めていく。
『距離15000。高度変わらず。正面から向かってくる』
「射程圏内に入り次第、ミサイルで叩く」
使用兵装を中距離ミサイルに切り替え、前方を見据える。アイギス隊は高度18000フィートを飛んでおり、このまま行けば上から攻撃を仕掛ける形になるはずだ。
F-18Jの戦術コンピュータと連携した拡張角膜が敵機の豆粒のような姿を捉え、その距離を表示する。
14000、13000、12000……。そして、表示が10000を切ったその瞬間、レオンハルトは敵機をロックオンし、ミサイル発射ボタンを押し込んだ。
「アイギス1、フォックス1!」
『フォックス1、フォックス1』
十二機のF-18Jが一斉にミサイルを放ち、敵機目掛けてミサイルが蒼空を疾走する。
レーダー照射に気がついた敵編隊が慌ただしく回避行動を取り始めるのを、拡大表示されたレオンハルトの拡張角膜が捉えた。
「レーダー照射続けろ」
『ECM!』
『くそっ、電子戦機が紛れてやがったか!』
ジグムントが悪態をつく。どうやら彼の言葉通り、敵編隊には電子戦機がついていたようだ。電子戦機の妨害によって、ミサイルのレーダー誘導が困難になる。
「各機、格闘戦用意。狩りを始めるぞ!」
スロットルを全開にして、一気に敵編隊との距離を詰める。カエデがそれに続き、他のパイロットたちもやや遅れて突っ込んでいった。
すでにアイギス隊の接近に気づいている敵の護衛機も、わらわらと迎撃に向かってくる。
十二機のF-18Jと二十四機のBol-31が、こうしてキングストン沿岸の海上で激突した。
「アイギス1、交戦!」
敵の数は倍。カエデ、ジグムント、イオニアスの三人は慣れているから平気だろうが、それ以外のパイロットたちには一人で二機を相手にするのは厳しいだろう。
ならば、自分が少しでも多くの敵を狩って、味方を楽にする。
レオンハルトはそう考え、果敢に敵編隊の中央へと斬り込んだ。
敵の機関砲が稼働する重低音が響き、レオンハルトの機体を機銃弾が掠めていく。
ギリギリのところを巧みなロール機動で躱しながら、目の前を横切る敵機に機銃弾を浴びせる。
垂直尾翼を撃ち抜かれたBol-31がコントロールを失い、二度目の機銃掃射でトドメを刺された。
「アイギス1、敵機撃墜」
火を噴きながら墜ちていく敵機を左手に見つつ、操縦桿を引き上げて旋回するレオンハルト。
と、レーダー照射を告げる警報音がコックピットに鳴り響いた。
『スカイベースよりアイギス1。後方に敵機』
『アイギス1、援護を!』
後方を取られたレオンハルトを心配したのか、追っていた敵機を撃墜したカエデから通信が入る。
「問題ない。アイギス2はそちらに集中しろ」
クスリと笑って答えるレオンハルト。
その時、後方に占位した敵機がミサイルを発射した。
『ミサイル接近、ミサイル接近!』
AWACSが警告すると同時に、レオンハルトはフレアを射出して緊急回避する。
滑り落ちるように高度を下げたレオンハルトの上空を、フレアに釣られたミサイルが通過していった。
レオンハルトは高度を下げた際に得た速度をそのまま生かし、急旋回で敵機の追尾から抜け出す。
「さて、今度はこちらが仕掛ける番だ!」
ちょうど相対的に見て真上に位置する敵機を目掛け、猛然と旋回して襲いかかるレオンハルト。
後方を取られたことに気がついた敵機が慌ててブレイク機動に移ろうとするが、時すでに遅し。レオンハルトの放ったミサイルが妨害する間もなく突き刺さり、爆散した。
『グッドキル』
『さすがだぜ、アイギス1。惚れ惚れするねぇ』
「まだまだこれからだ。気を引き締めていくぞ」
調子の良いジグムントに釘を刺しつつ、敵編隊の様子を観察する。
すでにレオンハルトが二機、カエデを始めとする古参の三人とディミトロフ大尉が一機ずつ撃墜しており、戦闘開始から五分も経たずに六機の敵を減らしたことになる。
こうなると敵がこちらを警戒してレオンハルトの得意とする一対多のドッグファイトに持ち込ませてくれず、膠着状態に陥るのだが、今回は幸運なことにそれを打破するためのキーが舞い込んできた。
『こちら、シュレンヌ1。アイギス1、これより貴隊と共に、敵戦爆連合の駆逐に当たる』
「シュレンヌ1……! 生きていたのか!」
『ああ。まあ割と危ないところだったがな』
回廊要塞で何度か共に戦い、親交を深めていた自由ラピス空軍のメソヌーヴ中佐が、部隊を率いて駆けつけたのである。
彼はシチシガへの攻撃には加わらず、要塞司令部の面々を乗せた連絡機の護衛としてハンプルトンに撤退。
そのまま、空軍の撤退と行動を共にして、イートン空軍基地へと居を移していたのだという。
「同じ基地にいたら気づきそうなものだが、気づかなかったよ」
『広い基地だ。それに人も多い』
『旧交を暖めるのも結構なことだが、今は敵に集中してくれ』
咳払いをしながら注意する管制官に、「すまないな」と全く悪びれていない様子で謝ると、レオンハルトはやって来たメソヌーヴ中佐のAverse戦闘機に並んだ。
「どちらが指揮を?」
『決まってるだろ? こちら、シュレンヌ1。シュレンヌ各機、これよりアイギス1の指揮に従って行動する』
『了解』
てっきり階級が上のメソヌーヴ中佐が指揮を執ると思っていたレオンハルトは面食らう。
「良いのか?」
『ああ。ラピス戦線のトップエース、その実力をじっくり見させてもらいたいもんでな』
おどけたように話すメソヌーヴ中佐に、レオンハルトは思わず苦笑した。
「なるほどね。良いだろう。では、とくとご覧あれ」
気取った調子でそう言いながら、レオンハルトは再び敵の懐へと飛び込んでいく。
「シュレンヌ1、援護を頼む」
『任せておけ。シュレンヌ1、交戦する!』
レオンハルトに続いて、メソヌーヴ中佐も上空から敵機の真正面へと突っ込んだ。機関砲が火を噴き、ギリギリで機銃弾を躱される。
『ちっ、そう上手い話はねぇか……。そらよっ、と!』
鮮やかなループを描くスライスバックで旋回したメソヌーヴ中佐は、そのまま敵機の後方を占位すると、ミサイルを発射した。
フレアを射出し、回避を試みる敵機。
だが、それすらもメソヌーヴ中佐の手の内だった。
『おいでませ、ってな!』
予め敵の回避する方向に当たりを付けていたメソヌーヴ中佐は、そこに攻撃を叩き込む。
メソヌーヴ中佐の放った機銃弾の雨に突っ込む形となったBol-31は、火達磨になりながら海上へと墜ちていった。
『シュレンヌ1、スプラッシュ1』
「ナイスキル、シュレンヌ1」
見事な戦いぶりで敵機を墜として見せたメソヌーヴ中佐に称賛の言葉を贈るレオンハルト。
負けてはいられないとばかりに、レオンハルトも護衛機の排除に再び取りかかる。
すでに護衛機はその数を十に減らしており、数の優位は覆っている。こちらの被害としてはアイギス11が至近距離の爆発で破片が機体のあちこちを傷つけているが、飛行自体に支障はない。
彼らは心配ないだろうと考えたレオンハルトは、護衛機の中でも隊長機と思わしき敵機に狙いを定める。
『アイギス1、今度こそ援護します』
「ああ、頼む」
カエデがレオンハルトの横に並び、そして敵機の追尾を始めた。
後方についたカエデを何とかオーバーシュートさせようとブレイクターンを試みるが、カエデは冷静に敵を追い、その隙を与えない。
「良いぞ、アイギス2。そのまま頼む」
その間にレオンハルトは離脱し、敵が描くループの先へと回り込む。
挟まれたと敵が気づき、反対側へ緊急回避を試みたところを、レオンハルトとカエデの機関砲が同時に火を噴いた。
主翼を奪われ、垂直尾翼も失い、まるでペンケースのような形になったBol-31がくるくると回転しながら、砕け散っていく。
「アイギス2、ナイスワーク」
『アイギス1、グッドキル』
互いに互いを褒め合う二人。久々の協同撃墜だ。
レオンハルトとカエデが護衛機の隊長らしき敵を撃墜した直後、シュレンヌ隊の一機が最後の護衛機を撃墜し、二十四機いたBol-31の護衛部隊は全滅した。
残るは爆撃機のみ、とレオンハルトが思ったその時、一番遠くを飛んでいたアイギス10が叫んだ。
『爆撃機が逃げるぞ!』
その言葉に横を見ると、護衛機の後方を飛んでいた爆撃機が反転し、空域からの離脱を図ろうとしている姿が見えた。
『こちら、スカイベース。叩けるものはこの機会に叩いておきたい。無理のない範囲で追撃してくれ』
「了解。全機、爆撃機を追うぞ」
八機の爆撃機はおそらく全速力で離脱しようとしているはずだが、鈍足なKar-55では快速を誇るF-18Jから逃げられるはずもない。
尾部銃座が牽制射撃を行うが、アイギス隊とシュレンヌ隊はその射程範囲外からミサイルを叩き込んだ。
「アイギス1、フォックス1」
『シュレンヌ1、フォックス1』
母機のレーダー誘導を受けて飛翔する中距離ミサイルが、尾部銃座の銃撃を縫うように爆撃機へと肉薄する。
Kar-55の群れはチャフを撒き散らしながら懸命に回避を試みるが、その努力も空しくミサイルが次々に彼らに直撃し、爆発する。
八つの花が咲き、それが海上に散った後、レオンハルトのレーダーに反応するものはなかった。
『スカイベースより各機。全ての敵の撃墜を確認した。任務終了、ただちに帰投せよ。……お疲れ様』
緊張を解きほぐすような管制官の柔らかい声に微笑みながら、レオンハルトは機首を返し、イートン空軍基地への帰路に就いた。
『アイアンランサー2-4よりロイヤルハッサーズ! 敵の激しい砲撃を受けている! 支援を!』
「通信兵、空軍に支援要請を出せ!」
「はっ! ロイヤルハッサーズよりベルウェザー。セクターE4への航空支援を求む」
レウスカ人民軍のキングストン攻略作戦が始まって三時間。
FV105指揮車の中で、第7軽騎兵連隊を率いるブロードリック中佐は、そろそろ限界を感じつつあった。
彼が率いる第7軽騎兵連隊は完全充足の戦車連隊である。
この戦いではレウスカ地上部隊の後方へ浸透して包囲網を形成するはずだったが、戦闘開始からわずか三十分でその目論見は、敵の物量の前に破綻。
結果として第3師団司令部は作戦を変更し、第7軽騎兵連隊は機動防御による敵突出戦力の撃破に当てられていた。
『ベルウェザーよりロイヤルハッサーズ。これより航空支援が行われる。セクターE4の目標を知らせ』
「支援対象はアイアンランサー2-4。チャンネル28で交信せよ」
『こちら、ブルードラゴン5-1。ポイントGを敵部隊が通過中。命令を』
「ブルードラゴン5-1、攻撃を許可。敵部隊の最後尾が通過した後、これを殲滅せよ」
こっちで航空支援の要請があれば、今度はあっちで敵浸透部隊への対処を求められる。
ここ三時間、ずっとこのような流れが繰り返されており、終わる気配が感じられない。叩いても叩いても、敵は次から次へと増援を投入してくるのだ。
ともすれば皺を寄せそうになる眉間を指で揉みほぐしながら、ブロードリック中佐はディスプレイに表示された戦域情報システムの戦況図を見つめる。
状況は決して良くない。連隊本部が居を置く野戦陣地は敵の濁流に飲み込まれつつあり、先ほどから歩兵部隊が押し寄せる敵を何度も撥ね返している。
と、本部の警備を担当する兵士が開放された指揮車の扉をノックし、敬礼した。
「どうした?」
「はっ。陣地司令殿がお見えです」
「何?」
ブロードリック中佐が椅子から立ち上がり、指揮車の外へ出る。天幕に設けられた臨時作戦室に、この陣地の指揮官であるグラッドストン大尉がいた。
「突然押しかけて申し訳ありません、中佐殿」
「いや、構わない。それで何かあったかな、陣地司令殿?」
グラッドストン大尉は、この野戦陣地に展開しているケンプシャー連隊第1大隊C中隊の中隊長だ。
指揮系統が異なる上、階級もグラッドストン大尉の方が下だが、ブロードリック中佐はあくまでも第7連隊の指揮に専念するとして、陣地の指揮権はグラッドストン大尉にあるといういささか複雑な状況にある。
そんな連隊本部をどう扱って良いのか分からなかったのだろう、敬して遠ざけるようだったグラッドストン大尉がどうしてここへやって来たのか。
意図の掴めないブロードリック中佐は内心で少し警戒しながら、それでも一般的な礼節の範囲で対応した。
「はっ。我が中隊の損耗が三割を超えました。未だ隊員の士気は旺盛ですが、戦力差はいかんともし難いものがあります。一時間もせず、この陣地は放棄せざるを得なくなるでしょう」
連隊の指揮に集中していたブロードリック中佐にとっては寝耳に水の話だった。
まさか、ここまで状況が悪かったとは。
ブロードリック中佐はグラッドストン大尉の返答を半ば予測しつつ、先を促すために敢えて質問をぶつけてみる。
「それで、陣地司令殿は今後の動きについてどうお考えかな?」
「どうしようもなくなってから陣地を放棄するよりは、まだ余力のある内に活路を切り開くべき、と考えます」
「うむ。私も同意見だ」
陣地を放棄する、と言っても、そう簡単な話ではない。陣地を包囲する敵の大群を突破し、味方のいるところまで逃げ切らなければならないのだ。
損耗は大きくなるだろうし、手駒が多いに越したことはない。
「我々、C中隊の撤退が認められるかどうかは分かりません。ですが、連隊本部が移ることに関しては、特に問題がないものと思われます」
「つまり、こういうことかな? C中隊が援護をするので、その間に我々には他の陣へ移ってもらいたい、と」
ブロードリック中佐の言葉に、グラッドストン大尉が無言で頷く。
「私はそれでも構わないが、君たちはどうだ? 我々と共に動いた方が、生き残る可能性は高いはずだ。そちらの本部に伺いを立ててからでも遅くはあるまい」
グラッドストン大尉の表情が曇る。ああ、彼らはもう――
「……その、すでに陣地放棄の打診はしたのです。ただ、本部は『放棄を認めず。ただし、第7軽騎兵連隊本部は必ず脱出させよ』と」
「それだけか?」
「はい」
彼らは切り捨てられたのだろう。おそらく、C中隊が抵抗を続けている間に、付近の防衛ラインの再構築を試みるつもりに違いない。
だが、果たしてそれで良いのだろうか。
防衛ラインが危機に陥る毎にどこかの部隊を犠牲にし、防衛ラインを下げていったとして、どこまで繰り返せば気が済むのか。
もはや「キングストン防衛」という戦略目標の達成が困難になりつつあるのだ。
根本的な対策を取らなければ、いたずらに戦力を浪費した挙げ句に首都を奪われるだけの犬死にになりかねない。
「……分かった。十分後、ここを脱出する。援護を頼んだ」
「はっ、お任せください!」
しかし、ブロードリック中佐はそれを受け入れることを選んだ。
指揮下にない中隊に手を出せば、指揮権を巡ってゴタゴタが発生するだろう。それは、余裕がない今のブリタニア軍にとって致命的な隙となる。
故に、彼はグラッドストン大尉とその部下たちを見捨てることを決めた。
グラッドストン大尉に答礼し、指揮車の中へ戻り、第7軽騎兵連隊の上位司令部に当たる第4機械化旅団本部への通信を繋がせた。
「こちら、ロイヤルハッサーズ。敵の包囲が厚くなっている。転進許可を求む」
『4BHQよりロイヤルハッサーズ。了解した。ポイントMへ転進せよ』
「了解。転進を開始する。オーバー」
ポイントMと名付けられた拠点陣地は、ここから10キロほどの距離にある古城に築かれた陣地だ。
最前線からは少し離れており、旅団司令部、ひいては第3師団司令部が戦線の後退を図ろうとしているのがうかがえる。
「撤収準備にかかれ! 五分後にはこの陣地を出るぞ!」
ブロードリック中佐が命じると、本部要員が慌ただしく機材を片付け始めた。天幕がたたまれ、指揮車の中に積み込まれる。
命令通り五分で準備を終えた第7軽騎兵連隊本部は、指揮車とそれに随伴する本部要員を乗せた装甲車、戦車などを引き連れ、指定されたポイントへの移動を始めた。
「警戒を厳にせよ。ここは敵地と思え」
ハッチから顔を出し、周囲を双眼鏡で眺めながら警戒の通信を入れるブロードリック中佐。
彼の言う通り、すでにこの周囲にも敵が浸透しており、いつどこから攻撃を受けるか分からない状況となっている。
『1時の方向、何かが見える』
「ブラックラット1-1、ブラックラット1-2、攻撃準備」
『発砲炎確認! 敵襲、敵襲!』
発砲音が聞こえたと思った直後、すぐ後背の丘に着弾する。
「車体隠蔽急げ! ブラックラット1、交戦を許可! 攻撃を開始せよ!」
『ブラックラット1-1、攻撃を開始する!』
戦闘能力の低い指揮車や装甲車が慌てて避退し、二両のキャヴァリアー戦車が前へ出て応戦する。
「レーダー、敵の位置と数を確定させろ!」
『確認しました! データリンクします!』
随伴する車両の内、対地レーダーを搭載した車両から、レーダーで把握した情報が全車両に共有される。
応戦するキャヴァリアー戦車は、この情報に基づいて敵を捕捉し、撃破にかかる。
「くそっ、数が多いな……。通信兵、支援を要請しろ!」
どうも中隊規模の戦車部隊に遭遇したらしく、二両のキャヴァリアー戦車だけでは対処が追いつかない。何らかの支援が必要だ。
「はっ! こちら、ロイヤルハッサーズ。セクターN5にて敵の攻撃を受けている。至急、援護を」
『ヘムロックよりロイヤルハッサーズ。セクターN3のヘリ小隊を支援に向かわせる。チャンネル49で交信せよ』
「了解」
どうやら付近にちょうど展開していたヘリ小隊があるらしい。通信兵が周波数を合わせる。
「こちら、ロイヤルハッサーズ。セクターN5にて敵戦車部隊と交戦中。支援を求む」
『ヘムロック2-1よりロイヤルハッサーズ。了解した。一分でそちらに向かう』
その言葉通り、一分後にはSable戦闘ヘリの三機編隊が到着する。
『ヘムロック2-1よりロイヤルハッサーズ。データリンク確認。これより支援攻撃を開始する』
データリンクして目標を確認するや、三機のセーブル戦闘ヘリが一斉に対戦車ミサイルを放つ。
有線誘導によって目標に猛然と迫るミサイルは、妨害を受けることなく着弾。直撃を受けた敵戦車は、誘爆を起こして砲塔が吹き飛んだ。
その後も、セーブル戦闘ヘリは次々に敵戦車を刈り取っていき、到着から五分ほどで全ての敵戦車を撃破してしまった。
『こちら、ヘムロック2-1。掃討完了』
「ロイヤルハッサーズよりヘムロック2-1。支援に感謝する」
悠々と去って行く三機のヘリに、ブロードリック中佐はハッチから顔を出して敬礼する。
と、その時、遠くの林で発砲炎が光った。
「RPG!」
ブロードリック中佐が叫ぶと同時にキャヴァリアー戦車の機銃が林に叩き込まれるが、手遅れだった。
『くそっ! メイデイ、メイデイ、メイデ――』
RPGによる攻撃を受けたヘリが火達磨になりながら墜落する。地面に叩きつけられ、激しい爆発を起こしたヘリの搭乗員はまず間違いなく生存してはいないだろう。
攻撃を受けた三機の内、二機はあえなく墜落してしまったが、一機は不時着に成功。火を噴く機内からパイロット二人が這い出し、これを連隊本部に所属する衛生兵が慌てて救出しに向かった。
『こちら、ヘムロック。そちらに送ったヘリの反応が途絶えた。詳細について知らせて欲しい』
「ロイヤルハッサーズよりヘムロック。敵歩兵の対空攻撃を受けて撃墜された。一機が不時着に成功し、搭乗員を保護している」
『……了解。搭乗員の後送に関しては、そちらに委任する』
支援に来てもらっておきながら、目の前で撃墜されてしまったことに申し訳なさと歯痒さを感じていたブロードリック中佐だが、ヘリ部隊の指揮官が彼を責めることはなかった。
ブロードリック中佐が知る由のないことではあったが、戦闘が始まって以降、ヘリは最優先目標としてレウスカ軍に認識されていたらしく、前線に出たその多くが撃墜され、帰還しなかったのだという。
なお、この後にブロードリック中佐がレウスカ人民軍との遭遇戦を戦うことはなかった。
何故ならば、彼が指定された拠点陣地に到着する前に、第3師団司令部はキングストン防衛ラインの放棄を決定し、全部隊に対して市内への撤退を命じたからである。
それはこのまま抗戦を続けても、被害が増えるばかりで状況を打破することはできないと考えた師団長バーリング少将による英断であったが、同時にそれは、ブリタニア王国首都キングストンが、遂に敵の手の届くところとなったことを意味するものであった。
時に1991年12月21日。窮地に追い込まれたブリタニア軍は首都キングストンへ籠城し、そして世紀の大作戦の幕が開く。




