第六話 鮮血の平原(前編)
1991年12月5日午前11時25分。建造より一世紀近くもの間、ブリタニア本土を守る鉄壁として君臨し続けた回廊要塞は、空中戦艦シチシガの砲撃によって呆気なく崩壊した。
前面に展開するレウスカ人民軍第2軍に抵抗するだけの戦力をも同時に失った回廊要塞司令部には、撤退以外の選択肢が存在しなかった。
折しも海上から要塞の援護に当たっていた駆逐艦ウールストンを中心とする第2水上部隊は、進出してきたレウスカ潜水艦隊への対応のために要塞を離れており、海上からの撤退支援が望めないことは不運としか言いようがない。
航空部隊もシチシガ攻撃に作戦機の半数近くが参加し、その全てを喪失したために陸軍の撤退を援護するだけの戦力を失っていた。
回廊要塞に駐留するおよそ八千人の将兵及び軍属スタッフは、独力での撤退を余儀なくされたのである。
かくして、回廊要塞に隣接するハヴァントシャーを舞台とする、壮絶な撤退戦が幕を開けた。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。我が軍は優位に戦いを進めているはずではなかったのか――
ロイヤル・ドラゴンガーズ連隊のA中隊を率いるリンゼイ少佐は要塞司令部から発令された撤退命令を聞き、無残な姿を晒す南門を呆然と見つめていた。
塹壕と野戦陣地が張り巡らされた警戒線は要塞所属の兵士たちによって堅固な守りを構成し、先ほどまで共産主義者の手先どもを軽々と撃退していた。
そして、リンゼイ少佐が所属するロイヤル・ドラゴンガーズは、反攻作戦の先鋒としてレウスカ地上部隊の群れに突入し、大陸領奪還の号砲を鳴らすはずだった。
だが、突如として北海の空に現れた船が全てを一変させたのである。
船の初撃でロイヤル・ドラゴンガーズ連隊は準備中だったA中隊を残して全滅し、バックアップに当たる予定だったプリンセス・オブ・グウィネズ連隊もこの地上から姿を消した。
回廊要塞が擁していた打撃戦力はたった一撃で壊滅し、慌てふためく要塞司令部を尻目にレウスカ人民軍はその圧倒的な物量を以て進撃を開始。
要塞砲の援護すらなくなった警戒線は随所で突破され、要塞司令部からの撤退命令が下るまでにおよそ四割の戦力が失われた。
そして、二度目の砲撃によって南門と要塞砲が吹き飛ばされ、回廊要塞はほぼ無力化されてしまったのである。
わずか二時間ほどの間に、ブリタニア軍は圧倒的劣勢へと追い込まれ、本土を守る壁であった回廊要塞を放棄しようとしている。
まるで、出来の悪いコメディ映画を見せられているような気分だとリンゼイ少佐は心の中で悪態をつく。
「少佐、要塞司令部から命令です」
「何?」
撤退命令はすでに出ている。二度言わねば分からない馬鹿と思われている訳でもなく、そんな状況で要塞司令部が何を命令するのか。
嫌な予感がしたリンゼイ少佐は思わず「いないと言え」と言いそうになったが、そんな嘘が通用するはずもなく、渋々ながら通信に出た。
「こちら、RDG-A中隊。リンゼイです」
『要塞司令部のウィンタートンだ。君の部隊に重要な任務を与える』
そら来たぞ、と心の中の警戒レベルを一段階引き上げる。わざわざ回廊要塞の少将参謀長殿がもったいぶった言い回しをするなど、悪い方向にしか解釈できない。
そんな感情を全て封じ込め、如何にも勇敢なる歴戦の強者と言った雰囲気で、リンゼイ少佐は答える。
「はっ。光栄であります」
『うむ。任務についてだが、君の部隊には撤退行軍の最後尾について、敵の追撃を警戒する任に当たってもらう』
撤退する部隊の最後尾は、当然のことながら追撃する敵の攻撃をまともに受けることとなる。
それも、ただ後ろについていれば良い訳でもなく、敵の追撃を鈍らせるために遅滞戦闘を繰り広げなければならないのだ。
あの大軍を一個中隊で引き受けろと言うのは、死刑宣告のようなものであった。
『回廊要塞に駐留する部隊はハヴァントまで撤退し、そこで第3師団と合流、北上するレウスカ地上部隊を迎え撃つことになる』
ハヴァントは回廊要塞もその南端に含まれるハヴァントシャー州の州都であり、回廊要塞からは200キロほどの距離にある。
『合流するまでには三時間から四時間近くかかるだろう。その間、君たちには何としてでも、敵の追撃を押し止めて欲しいのだ』
「恐れながら閣下、我が中隊だけでその任に当たるのでしょうか?」
余裕がないのは分かっているが、ただ黙ってすり潰されるのはリンゼイ少佐の趣味ではない。せめてもう一つの戦車部隊と随伴する歩兵、欲を言うならば空軍による支援が欲しいところである。
だが、要塞司令部からの返答はリンゼイ少佐の予想を裏切らず、冷酷なものであった。
『すまないが、これ以上の戦力を出すほどの余裕がない。可能な限り、戦力は温存せねばならんのだ』
「それは重々承知しております。せめて空軍の援護だけでも出ませんでしょうか」
『不可能だ、少佐。攻撃機はほぼ無傷で残っているが、それを護衛し、制空権を維持するだけの戦闘機の頭数がない。作戦機の半数を、あの船に墜とされたのだ』
あの船――
戦況を一変させ、リンゼイ少佐の仲間たちを吹き飛ばしたあの敵は、こんなところでも彼に試練を与えるらしい。
「了解しました、閣下。無礼な発言をお許しください」
『こちらこそ、済まない。……少佐、君たちの武運を祈る』
本当に申し訳なさそうな声で最後にそう言うと、ウィンタートン少将は通信を切った。
彼が心からそう思っているのは、リンゼイ少佐にも分かる。分かるのだが、そう思ってもらったところで手持ちの戦力が増える訳でもなく、状況が好転することもない。
自らの顔を両手で叩いて気持ちを切り替えたリンゼイ少佐は、中隊幹部を招集して臨時の作戦会議を始めることにした。
「撤退準備中に集まってもらって悪いな。実は、要塞司令部から我が中隊に任務が与えられた」
わらわらと集まってきた中隊幹部を前にするリンゼイ少佐がそう言うと、彼らは顔を見合わせながら一様に不安そうな表情をした。
「中隊長殿、その……任務というのは一体?」
恐る恐る聞いてきたのは、第4小隊の小隊長を務めるマクスウェル少尉だ。配属されたばかりの新米隊長であり、もちろん実戦は初めてである。
まだ学生と大差ない青年を死地に追い込むことにいささかの罪悪感を覚えながら、リンゼイ少佐はそれをおくびにも出さず、冷静に要塞司令部からの命令を告げる。
「我が中隊は撤退する友軍の最後尾につき、追撃するレウスカ地上部隊に対する遅滞戦闘を行うこととなった」
ある者は目を見開いて驚き、ある者は諦めたように天を仰ぐ。反応は様々だったが、遅滞戦闘に従事する自分たちの未来への絶望だけが共通している。
その中でも、比較的冷静に受け止めているらしい中隊付将校のテイラー大尉が手を挙げて発言を求める。
「少佐殿、友軍からの支援はあるのでしょうか?」
「ない。どこも余裕がないそうだ。この任務は、我々だけで遂行しなければならん」
将校たちがざわめく。彼らも、自分たちが半ば切り捨てられたことに気がついたのだ。
リンゼイ少佐は手を叩き、将校たちを静まらせる。
「良いか、お前たちが考えてることは何となく分かる。俺もお前たちと同意見だ。ただ、俺としても黙って使い潰されるつもりはない」
リンゼイ少佐の言葉を、将校たちは不安そうな表情をしながらも黙って聞いている。
「生きて帰るために俺たちがどうすべきか。それを相談するために集めたんだ。お前たちの意見を聞きたい」
そう言うと、まずはテイラー大尉が腹をくくった表情で再び発言を求めた。
「追撃してくる相手の鼻の先を叩く訳ですから、やはりセオリー通りに突出した敵を狙い撃ちにするのが良いでしょう」
「しかし、突出した敵がどこにいるのか、後方の敵がどれくらい迫っているのか、それを把握しないことには、気がつけば包囲されていたなんてことになりかねませんね」
「偵察隊が欲しいですね。できればヘリが」
他の将校たちも覚悟を決めたのか、活発に意見を交わしっている。その中で、やはりネックとなるのは手持ちの駒の少なさだった。
考え込むリンゼイ少佐。要塞司令部からは増援を与えられなかったが、直接頼めばあるいは――
そこまで考えると、リンゼイ少佐の頭には一人の名前が浮かんでいた。
「偵察隊か……。少し心当たりがある。ダメ元で頼んでみよう。お前たちは任務の準備に取りかかっておいてくれ」
「はっ」
幹部将校たちに指示を与え、自身は協力を依頼しに行くために、要塞駐留の各部隊が撤退準備を進める飛行場跡地へと向かった。
「こちら、レッドホース5-1。全車聞こえるか? これより、友軍撤退作戦の支援を開始する」
なだらかな丘陵をブリタニア王国陸軍の主力戦車「キャヴァリアー」の群れが疾走し、のどかな田園風景には不釣り合いなV12ディーゼルエンジンの重低音が響いている。
12月5日午後0時10分、回廊要塞に駐留していた全部隊が撤退を開始し、リンゼイ少佐率いるロイヤル・ドラゴンガーズ連隊のA中隊は所定の任務に従い、最後尾に立って後方の警戒に当たっていた。
撤退を開始しておよそ三十分。要塞にたどり着いたレウスカ地上部隊はすでに追撃を始めているはずであり、いつ攻撃されてもおかしくない状況である。
少ない戦力で敵の追撃部隊と戦うには、敵に追いつかれてから反転して攻撃するようでは遅い。
積極的に索敵し、突出している敵を横合いから奇襲して去って行くというのがベターな戦術だ。
そのためには索敵に当たる偵察部隊が必要なのだが、リンゼイ少佐はこれを確保することに成功していた。
『こちら、ワイルドグース2-4。現在、A20号のポールトン付近。敵影確認できず』
「了解。ワイルドグース2-4はそのままA20号を北上して、A242号方面の索敵に当たってくれ」
『了解。これより、A242号方面へ向かう』
キングス・ロイヤル・ランサーズ。ロイヤル・ドラゴンガーズと同じく王立装甲軍団に所属する連隊で、「シーク」偵察戦闘車を配備された偵察部隊である。
この連隊のD中隊が回廊要塞に分遣されていたのだが、その中隊長を務めるグレイ少佐がリンゼイ少佐と同年代と言うこともあって仲が良く、リンゼイ少佐の頼みを快諾して偵察部隊として同行していた。
グレイ少佐は麾下の隊員に対して、「この戦いは私個人の事情から参加するものだから、皆には強制しない」と言って自由意思での参加を求め、これに応じた隊員が分乗する六両のシーク偵察戦闘車がリンゼイ少佐の指揮下に入ることとなったのである。
「少佐殿、敵は追いついてくるのでしょうか」
A20号と呼ばれる幹線道路を走る指揮車の中、通信手席に座る若い兵士が不安そうな表情で尋ねる。中隊本部に勤める通信士のファース一等兵だ。
「間違いなく、な。怖いか?」
「……申し訳ありません、サー。正直に言いますと、怖いです」
そう言うと、ファース一等兵は表情を硬くする。「何を臆病なことを」と怒られるとでも思ったのだろう。
それを見たリンゼイ少佐は、笑いながらこう言った。
「素直でよろしい。何、怖いのは一等兵だけではない。フォレスター軍曹、君は怖いかね?」
指揮車の銃座に座るベテランの軍曹に問いかけるリンゼイ少佐。
呼ばれたフォレスター軍曹は指揮車の中に顔を引っ込め、笑みを浮かべながら答えた。
「怖くてちびりそうであります、サー!」
「はははっ。大尉、君はどうだ?」
「怖いか怖くないかで言えば、怖いですね」
指揮要員として指揮車に同乗するテイラー大尉も、クールな表情ながらも「怖い」と明言した。
「どうだ、一等兵。フォレスター軍曹はシーニシアで戦車戦を戦ったベテランで、テイラー大尉も実戦経験者だ。だが、そんな二人でも怖いものは怖いんだ」
「……」
意表を突かれたような表情をしたファース一等兵は、黙ったまま言葉の続きを待つ。
「もちろん私も、な。怖くない奴なんてそうはいないし、いたとしたらそいつは異常者だ。まあ、怖くても戦うことはできるってことだけ覚えておけ」
「は、はい!」
頬を紅潮させて頷くファース一等兵を見ながら微笑むリンゼイ少佐。
と、その時、偵察部隊からの通信が入った。
『こちら、ワイルドグース3-5! 敵部隊と接触した! 現在位置はA175号のグリンプトン付近!』
通信からは偵察戦闘車の発砲音や、付近に着弾した敵弾らしき爆音が聞こえてくる。
「ワイルドグース3-5、すぐそちらへ向かう。後退しつつ、敵の注意を引きつけてくれ」
『了解! 長くは持たないから急いでくれ!』
「レッドホース全車に告ぐ。偵察部隊が敵と接触した。これより敵部隊の撃破に向かう。場所はA175号のグリンプトン付近。詳細は各自、戦域情報システムで確認せよ」
リンゼイ少佐が指示を出すと、指揮車も転回して元来た道を、A20号とA175号の分岐点まで戻る。ここからそうは遠くない。
「大尉、地図を」
「出しています。WAISの情報によれば、敵部隊はここ、A175号を北上しているものと思われます」
指揮車の中央、机の上に広げられたハヴァントシャーの地図に、赤いピンが立てられる。
「敵部隊の規模が曖昧なので、後方に回るのは危険でしょう。叩くとすれば……ここでしょうか」
テイラー大尉が青いピンを立てたのは、なだらかな丘の上だ。地図の通りの地形ならば、A175号を一望することができるはずだ。
「この辺りに森はあったか?」
「いえ、私には何とも。……確か、第3小隊にグリンプトン出身の兵士がいたはずです。聞いてみますか?」
さらりと言ってのけたテイラー大尉を、リンゼイ少佐が驚きの眼差しで見る。
この男は、たかだか一兵士のパーソナルデータを記憶しているのか?
「良く知っているな、大尉」
「それが私の仕事です。それで、いかがしましょうか」
「ああ。聞いてみよう。ファース一等兵、第3小隊のブリッグス中尉に通信を繋いでくれ」
ファース一等兵が頷き、コンソールを操作する。すぐにリンゼイ少佐が着けているヘッドセットから、応答する声が聞こえてきた。
『こちら、レッドホース3-1。どうされました?』
「そちらにグリンプトン出身の兵士はいるか? 確認したいことがある」
『は、少々お待ちを』
通信機の向こう側、ブリッグス中尉が同乗する兵士たちに何事かを尋ねている声が聞こえてくる。
『少佐殿、レッドホース3-5に該当する兵士がおります』
「分かった。通信では話せないので、指揮車まで来るよう伝えてくれ」
『了解しました』
ブリッグス中尉との通信を終えると同時に、リンゼイ少佐は操縦手にも連絡を入れる。
「ベイツ伍長、どこか適当なところで停車してくれ」
『了解しました』
すぐに指揮車が停止し、テイラー大尉が後部ハッチを開ける。外の冷気が車内に入ってきた。A中隊に所属するキャヴァリアー戦車が続々と指揮車を追い抜いていく。
と、十台の戦車が通り過ぎた後、十一台目の戦車が指揮車の後方に停車した。ハッチが開き、ファース一等兵と同い年くらいの若い兵士が降りてくる。
「少佐殿がお呼びとうかがいました、グリンプトン出身のロバート・ニューマン下級伍長であります!」
ガチガチになったニューマン下級伍長が背筋をピンと伸ばし、教本に載るような見事な敬礼をする。
リンゼイ少佐は苦笑しながら「楽にして良い」と言い、休めの姿勢になったニューマン下級伍長に地図を見せた。
「君はグリンプトン出身だと聞いたが、周辺の地形には詳しいか?」
「は、はい。この辺りは自分の庭のようなものであります」
ニューマン下級伍長の返答に、リンゼイ少佐は満足げに頷いた。
「よろしい。では聞きたいのだが、敵はA175号線を北上しており、現在はグリンプトン付近にいると思われる。横合いから奇襲するためにこの丘を利用しようと思うのだが、ここは奇襲攻撃に相応しい地形か?」
そう言って地図を渡すと、ニューマン下級伍長は真剣な眼差しになって地図をじっと見つめた。
「問題ないと思います。丘に接近するなら、A175号をこのまま南下してUPの給油所で右折すると、A175号から視認されずに行けるはずです」
「UPの給油所で右折というと……ここか?」
リンゼイ少佐が地図を覗き込んで指を指すと、ニューマン下級伍長が頷く。
「ありがとう、下級伍長。君のおかげで作戦は上手く行きそうだ」
「いえ、お役に立てて光栄であります!」
誇らしげな表情をしたニューマン下級伍長が敬礼し、自分の戦車に戻っていく。
「通信手、全車に通達! UPの給油所を右折するように! 詳しい位置は追ってデータ送信する!」
「了解」
指揮車に戻り、ハッチを閉める。テイラー大尉がティーカップを差し出した。
「どうぞ。紅茶です」
「ああ、すまんな」
入れ立ての紅茶を飲みながら、リンゼイ少佐は壁に据え付けられた受話器を取る。
「ベイツ伍長、先ほどの指示は聞いたな? 指揮車はUPの給油所で右折せず、直進してワイルドグース3-5と合流する」
『了解しました。合流後はどのように?』
「交戦しつつ後退だ。突入のタイミングを計る」
ベイツ伍長が「了解」と言うのを聞いて受話器を置く。車内が揺れ、指揮車が緩やかに動き始めた。
「ファース一等兵、ワイルドグース3-5に通信を繋いでくれ」
「少しお待ちください……繋ぎました」
サムズアップするファース一等兵。同時に、ヘッドセットから激しい戦闘音が聞こえてきた。
「こちら、レッドホース5-1。ワイルドグース3-5、現在の状況を知らせ」
『ワイルドグース3-5よりレッドホース5-1! 現在、敵の戦車部隊と交戦中! 一台撃破したが、数が多い!』
通信相手のがなり声に混じって、シーク偵察戦闘車が発砲する音が聞こえてくる。
「すぐそちらに合流する。現在位置は?」
『ポイントF15-233! 敵戦車部隊はF15-223から213にかけて展開していると思われる!』
「了解。接触を続けよ。オーバー」
偵察部隊との通信を終えると、間髪入れずに操縦手からの連絡が入る。
『少佐、チェックポイント通過しました』
「了解。全車両に通達。所定の作戦に従い行動せよ。合図は私が出す。チャンネル7で待機」
ニューマン下級伍長の言っていた給油所を通過したようだ。指揮車と中隊本部に所属する二両の戦車を除く全車両は、ここから側道へと回り込み、横合いから奇襲を行うこととなる。
「前方に発砲炎を確認! ワイルドグースです!」
機関銃座に着いているフォレスター軍曹が顔を引っ込めてそう言うと、リンゼイ少佐はすぐ近くのハッチを開けて顔を出す。
途端に冷気で顔がひりつき、戦車砲の発砲音が聞こえてきた。
「ここから確認できるのは……六両か? いや、後ろにまだいるな……」
双眼鏡で敵の分布を確認するリンゼイ少佐。
敵の戦車部隊は、林や建物を遮蔽物にしながら後退するシーク偵察戦闘車を半包囲するような形でこちらへ向かっている。
「少佐殿、発砲しますか?」
隣のハッチから顔を出しているフォレスター軍曹がそう尋ねると、リンゼイ少佐は首を横に振った。
「機関銃程度では牽制にもならん。無駄に注意を引くだけだろう」
「はっ」
指揮車が戦闘をすることはあまり考えられていない。装備している機関銃も、最悪の事態に陥った際の、最後の命綱のようなものであった。
「全車両聞こえるか? こちら、レッドホース5-1。これより敵の分布情報を送るが、過信するな。視認できていない敵もいるはずだ」
リンゼイ少佐が視認した情報は、彼がインプラントする脳チップを通じて指揮車の戦術コンピュータと共有される。
そして、指揮車がデータリンクを行うことで部隊全体にその情報が行き渡る仕組みとなっている。
陸軍大国オーヴィアスで生まれたこの戦域情報システム――通称「WAIS」は東側各国に採用され、それぞれで独自の発展を遂げつつあった。
「レッドホース5の発砲と同時に作戦行動を開始。同時に、ワイルドグース3-5は戦闘を中止し、全力で退避せよ」
『ワイルドグース3-5、了解』
『レッドホース1-1、了解』
『こちら、レッドホース2-1。了解しました』
『レッドホース3-1、準備良し』
『レッドホース4-1、いつでもどうぞ』
それぞれから準備完了の報告が入る。後は、リンゼイ少佐が命令を下すだけだ。
「よろしい。……レッドホース5-2、5-3。発砲!」
『了解、発砲!』
リンゼイ少佐の命令と同時、停止していた指揮車が急発進して後退し、横に並んだ二両のキャヴァリアー戦車の120ミリライフル砲が火を噴いた。
双眼鏡の視界の先でレウスカ人民軍の戦車が命中弾を受けて爆発し、一拍遅れてその爆音が聞こえてくる。
敵に包囲されつつあった偵察車はその隙に全速力で退避を始め、レウスカの戦車部隊がこれを追おうとしたところへ、発砲音と共に行動を開始していたA中隊の戦車たちが横合いから殴りかかった。
『レッドホース3-3、命中弾確認!』
『一両撃破!』
『こちら、レッドホース1-2! 直撃弾を受けたが行動に支障なし!』
教本通りとは行かなかったが、それなりに奇襲攻撃は成功している。横合いからいきなり攻撃を受けたレウスカ軍の戦車が、為す術もなく砲塔を吹き飛ばされるのが指揮車からも見えた。
反応の良い敵は即座に反撃を始めているのだが、こちらの攻撃が装甲を貫通して致命傷となるのに対して、向こうの攻撃はキャヴァリアー戦車にほとんど効いていなかった。
「2時の方向より新たに敵戦車。ファース、全車両に警告しろ!」
「レッドホース全車、2時の方向に敵戦車あり。警戒せよ」
リンゼイ少佐が確認した敵の情報を、ファース一等兵が各車両に伝達する。
すると、A中隊の内、右翼に展開していた小隊が新たにやって来た敵部隊への攻撃を始めた。
『撃て、撃て!』
『被弾してるぞ、操縦手! 早く動け!』
『突っ込め!』
キャヴァリアー戦車が道路を乗り越え、茂みに隠れる敵戦車へと突撃していく。ほぼ接射と言って良い距離で放った砲弾が敵戦車に突き刺さり、爆発と共に砲塔が吹き飛んだ。
『砲塔が吹き飛びやがった!』
『まるで、びっくり箱だぜ』
「気を抜くな。さらに3時の方向より敵戦車接近!」
隊員たちが、撃破した戦車が見事に吹き飛ぶ様を見て興奮している一方で、リンゼイ少佐の視界には新たな敵の姿が映る。
A175号沿いに真っ直ぐ走ってくる三両の戦車が発砲した、と思った次の瞬間、側面部を向けていたキャヴァリアー戦車が三発の直撃弾を食らい、爆発した。
『レッドホース2-1がやられた! 脱出者なし!』
第2小隊の小隊長が乗る戦車がやられたようだ。
リンゼイ少佐はハッチから車内に戻り、通信機を手に取る。
「第2小隊はレッドホース1-1の指揮下に入れ! 気を緩めるな!」
『了解、これより第2小隊の指揮を執ります』
直後、発砲音と爆発音が聞こえてくる。再びハッチから顔を出すと、先頭を走っていた敵戦車が無残な姿を晒していた。
『敵戦車撃破!』
『側面に回り込むぞ! 中尉の仇だ!』
隊長を殺された第2小隊の戦車がA175号線を越え、敵戦車の側面に回り込む。
敵戦車はそれを防ごうと第2小隊目掛けて発砲するが、疾走するキャヴァリアー戦車の前後に着弾し、土煙を上げるだけだ。
三両のキャヴァリアー戦車が停止し、戦車砲が火を噴いた。放たれた粘着榴弾が敵戦車に突き刺さり、爆発。弾薬が誘爆を起こし、爆発は凄まじいものとなった。
『やったぞ!』
「ナイスキル。こちらから敵影は確認できない。そちらはどうだ?」
『周囲に敵影なし』
『同じく』
どうやら偵察部隊を追いかけていた敵の戦車部隊は全て撃破したようだ。
ほっと胸をなで下ろし、リンゼイ少佐は車内の座席に戻る。
「少佐殿、ワイルドグース3-5から通信です」
リンゼイ少佐がファース一等兵からヘッドセットを受け取る。
『こちら、ワイルドグース3-5。レッドホース5-1、救援に感謝する』
「こちらこそ無茶をさせてすまなかった。問題がなければ引き続き偵察に――」
『――こちら、ワイルドグース2-4! 敵と接触した!』
割り込んできた通信にため息をつくリンゼイ少佐。休む間もなく、次の敵を撃破しなければならないらしい。
「あー、ワイルドグース2-4。これより救援に向かう。位置を知らせ」
『現在地、A242号とA20号の交差地点だ! 凄まじい数の敵が北上してきてやがる!』
「何だと? 具体的にどのくらいの敵が――」
『ワイルドグース5-1よりレッドホース5-1。敵を確認した。地平線の向こうが敵で埋まってるぞ!』
さらに割り込んできた通信の主はリンゼイ少佐に快く協力してくれたグレイ少佐だったが、リンゼイ少佐はその言葉に耳を疑った。
「レッドホース5-1よりワイルドグース5-1。それは本当か?」
『ああ。戦車が控え目に見ても百はいるぞ。兵員輸送車らしきものも見えるな。これはさすがに対応できない。こちらは撤退する』
『こちら、ワイルドグース4-2。敵の大軍を確認した。指示を求む』
『ワイルドグース4-4よりレッドホース5-1。こっちも戦車部隊を確認した。接触は不可能』
突出した敵部隊の先端を順に叩いていけば何とかなる。
そのように考えていたリンゼイ少佐は、自身の考えが甘かったことにようやく気がついた。
平原を覆い尽くすような圧倒的な物量。
それこそが、レウスカ人民陸軍が快進撃を続ける大きな要因だったのである。
『レッドホース1-1よりレッドホース5-1。敵の増援が現れました!』
『何だ、あの数……?』
考えている時間はない。敵はすぐそこまで迫っているのだ。
「ワイルドグースは全車、撤退せよ。後はレッドホースだけでやる」
『了解。レッドホース、健闘を祈る。……帰ってこいよ』
「ああ。帰ったら、酒の一杯でもおごってくれ」
約束だ、と言って、グレイ少佐からの通信は切れた。
リンゼイ少佐は、自分を見つめる車内の隊員たちを見回し、不敵な笑みを見せた。
「さあ、共産主義者どもにきつい一撃を食らわすぞ」
テイラー大尉が頷く。ファース一等兵も真っ青ではあるものの、覚悟を決めた表情をしている。
「レッドホース各員に告ぐ。前進せよ。不逞な侵略者を俺たちの国から叩き出せ!」
『レッドホース1-1、了解』
『レッドホース3-1、攻撃を開始します』
『こちら、レッドホース4-1。了解しました』
リンゼイ少佐の命令を受けたA中隊のキャヴァリアー戦車が方々に散っていく。
それが、撤退するワイルドグース3-5の見たA中隊の最後の姿だった。
1991年12月5日、回廊要塞より撤退する友軍支援のために遅滞戦闘を命じられたロイヤル・ドラゴンガーズ連隊A中隊は、奮戦空しく押し寄せるレウスカ人民陸軍の波に呑まれ、壊滅。
A中隊の壊滅により、1922年以来の伝統を誇るロイヤル・ドラゴンガーズは、その歴史に一旦ピリオドを打つこととなった。
そして、このA中隊の壊滅は、後に「血塗れの撤退」と呼ばれることとなるハヴァントシャー撤退戦の、佳境の始まりでもあった。




