表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石戦争  作者: 東条カオル
第二章 バトル・オブ・ブリタニア
17/42

第一話 戦火再び

 1991年11月2日


 親愛なる同志へ


 PATOはFCL防衛を放棄し、ELAR・オーヴィアス国境線までの撤退を決定しました。

 ブリタニアは大陸領を放棄して回廊要塞での防衛に専念するとのことです。

 東部戦線はELARとオーヴィアスが態勢を整えたことで膠着するでしょうが、西部戦線はブリタニアとブランデンブルクを分離すれば、PATOは十分な指揮権を行使できません。

 各国の気象局からそちらへ情報が回るよう、各国の細胞たちが手配を整えました。

 近く、ブリタニアに赴くことになりますので、収集した情報は次回の報告で。


 どうか同志に幸いのあらんことを。

 エルンスト







『アルファ1、後方に敵機』

「心配ない。アルファ2はそのままそちらを追い続けろ」

『了解』


 蒼空を二機のF-18J(イーグル)が切り裂き、複雑なループを描く。開戦以来、主に大陸西部でよく見られるようになった光景だ。


 僚機が敵機の後ろに食らいつく一方で、アルファ1――レオンハルト・エルンスト少佐は後ろについた敵機をなかなか引き離せないでいた。


「良い腕だ。だが、これはどうかな?」


 そう呟いたレオンハルトは失速寸前まで急減速をかけると、左側へ滑り落ちるように機体をスライドさせた。

 トップスピードでのドッグファイトを挑んでいた敵機はその動きについて行けず、オーバーシュートしてしまう。


 敵機がレオンハルトの横を通り抜けた瞬間、レオンハルトは再びスロットルを全開にして機体の体勢を取り戻し、敵機の姿を中央に捉えると、トリガーを引いた。


『ブラボー1、撃墜判定。そこまで。演習を終了せよ』

『ああ、クソっ! またやられた!』


 ここ半年ですっかり聞き慣れた統裁官の声がブラボー1――ジグムント・クレンツ大尉の撃墜を宣告すると、ジグムントの悔しげな声が通信機から流れてきた。


 レオンハルトがアイギス隊の隊長に就任して早五ヶ月。

 アイギス隊の属する第6航空団は訓練の日々を重ね、新たに入ったパイロットたちもようやくそれなりのパイロットとして、訓練で良い成績を出すようになってきた。


 主に新入りたちの教官役として訓練に参加していたレオンハルトやジグムントだったが、今日は久々に実戦経験者同士でのドッグファイト訓練を行っていたのだ。


『今日の昼食はジグムントの奢りで決まりね』


 レオンハルトの僚機であるカエデ・クシロ大尉がそう言うと、通信機の向こうのジグムントが騒ぎ出した。


『ちょっと待て。イオニアスは? こいつだって負けたんだぜ?』

『……賭けたのはお前だ。俺は知らない』


 寡黙なイオニアスも、ラピス戦線からの付き合いであるジグムント相手ではそれなりに口数が多くなる。

 レオンハルトやカエデとも徐々にではあるが会話の数が増えており、ようやくその人となりも掴めてきたところだ。


「イオニアスの言う通りだな。ジグムント、責任を持って四人分の昼を奢れ。隊長命令だ」

『横暴だぜ!』


 悲鳴のようなジグムントの叫びに、レオンハルトはコックピットの中で苦笑した。


 四機のF-18Jが合流し、基地へと戻る。機体を駐機場に停めると、レオンハルトはカエデと連れだって搭乗員控え室へと向かう。


 後方でぎゃあぎゃあとやかましいジグムントに、さて何を奢らせるか、と考えていたレオンハルトだったが、控え室に入った瞬間に笑みを収めた。


「エルンスト少佐、訓練が終わったばかりですまないが、会議室へ向かってくれ。後ろのやかましい二人も一緒にな」


 レオンハルトが苦手とするウダ中佐は、用件は言い終えた、とばかりにさっさと控え室を出て行く。

 何があるのか聞きそびれたレオンハルトは隣のカエデを見た。先ほどまで機嫌良くニコニコしていた彼女も、表情を引き締めている。


「何があったと思う、クシロ」

「分かりません。ですが、緊急の用件でしょう。ろくなことじゃないと思います」


 おそらくカエデの言葉通りだろう。

 そして、この情勢では考えられることはそれほど多くない。


「おい、イオニアスとそこの馬鹿! 緊急招集だ! ……戦場に戻るぞ」


 レオンハルトは後ろを振り返り、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。







 1991年6月15日、レウスカ人民軍が宣戦布告なきままにラピスへの攻撃を開始した、いわゆる「サン・ミシェル事件」と発端として始まった宝石戦争は、7月1日のラピス降伏、7月5日のバーレン降伏を以て、一旦の小康状態を迎えた。

 7月7日、国連安保理でレウスカへの非難決議が採択されたため、レウスカ国家評議会議長のミハウ・ラトキエヴィチが環太平洋条約機構(PATO)との停戦会談に応じたからである。

 以降、7月15日から停戦交渉が始まり、三ヶ月にわたって両軍が睨み合いつつも大規模に戦火を交えることはない、という、いわゆる「ファニー・ウォー」の状況が訪れる。


 統一連邦の仲介によってこの停戦会談が実現したのだが、肝心の統一連邦内部では、戦争を終わらせて東側との関係修復を急ぎたい改革派と、レウスカに戦争を続けさせて危機を煽ることで統一連邦の求心力を回復させたい保守派が激しく対立。

 PATOからレウスカに示された、占領地からの全面撤退と国家予算一年分に相当する賠償金という莫大な要求を抑えることができず、停戦交渉は決裂した。


 10月15日、一方的に停戦交渉の凍結を宣言したレウスカは、明けて16日からラピス・バーレン国境を越え、大陸西部諸国並びに中央ローヴィス連邦(FCL)への侵攻作戦「燎原(スプスターシッチ)」及び「征服王(ズドブシツァ)」を開始した。


 PATO軍は当然ながらこの事態を想定しており、レウスカ人民軍の第2軍と第4軍をそれぞれの戦線で一時的に食い止めることに成功したが、戦力を消耗。

 レウスカ人民軍の人海戦術による波状攻撃に耐えられず、10月末にはラピス北部のブラバント共和国を始めとする西部諸国が陥落し、ブリタニア王国とブランデンブルク公国の二大国が「西部戦線」においてレウスカ人民軍と向かい合うこととなった。


 大陸中央部の「東部戦線」でも、レウスカ人民軍の攻撃がPATO軍に消耗を強いており、11月中旬にはFCLの首都バルドゥフォスが陥落。

 西方領土の防衛に当たっていたFCL軍は大陸中央部を貫くヨーツンヘイム山脈の麓にあるウプサラに抵抗拠点を築き、山岳地帯での防衛戦を繰り広げることとなった。


 東部戦線におけるレウスカ人民軍の進撃は、東ローヴィス連合(ELAR)の国土西半を占領したところでPATO軍が反撃に成功し、停滞する。

 一方、同じ頃の西部戦線では二大国の国境を守る要塞での攻防戦が激化の一途を辿っていた。


 11月14日、ブランデンブルク公国の国境地帯に横たわる世界最大の要塞群であるキルヒバッハ要塞線への総攻撃が始まり、11月20日には同じくブリタニア半島とローヴィス大陸をつなぐ地峡に築かれた回廊要塞への第一次攻撃が行われている。


 レオンハルトたちが訓練に明け暮れている間、大陸はこのような情勢となっていた。







 三人を従えて会議室へやって来たレオンハルト。すでに会議室にはアイギス隊の新人たちも含めた第6航空団のパイロットが勢揃いしていた。


 レオンハルトが後ろの方の空いた座席に座ると、それを見た壇上の男性がマイクをオンにした。


「静粛に」


 若手の辣腕官僚といった風貌の彼が一言そう言っただけで、会議室のパイロットたちが静かになる。

 彼は第6航空団の作戦部長を務めるナラサキ中佐だ。大陸系の大柄な白人や黒人ですら姿勢を正さずにはいられないような、独特の威圧感を放っている。


「まずは急な招集に答えてもらって感謝している。休日だった者もいるはずだが、すまなかったな」


 全く感謝の意も謝罪の意もこもっていない声音のナラサキ中佐。

 それを指摘する声は、当然ながら上がらない。


「諸君を集めた理由だが、薄々感づいている者もいるだろう。統合参謀本部から第6航空団に海外派遣任務が命ぜられた」


 予想はしていても、やはり海外派遣となるといやが上にも緊張するものだ。

 パイロットたちがざわめくと、ナラサキ中佐が咳払いをした。途端に会議室が静まり返る。


「派遣先は西部戦線、ブリタニア王国だ」


 ブリタニア王国は維新以来の同盟国で、第一次世界大戦の敵対期を除いて、長らく友好国として交流を続けてきた友邦である。

 友邦の危機に際して、軍を派遣するのはある意味当然とも言えることだ。


「29日から我々はブリタニア南部、回廊(コリドー)要塞で戦闘空中哨戒任務に当たることとなる。詳しい概要については現地で説明するが、現時点で何か質問のある者はいるか?」


 ナラサキ中佐が言葉を切ると、前方に座る、頭頂部の禿げ上がった男性が手を挙げた。

 指名されて立ち上がったのは、第161飛行隊のグヴィナー中佐だ。


「新しく編入されたパイロットで、機首転換訓練が未了の者がいる。それはどうなるのかな?」

「訓練未了の者に配慮する余裕は我が軍にない――というのが統合参謀本部の考えだ」


 グヴィナー中佐に答えるナラサキ中佐の口調には強烈な皮肉が込められていた。


「なるほど。上がそういう考えなら仕方ないな」


 グヴィナー中佐が肩をすくめ、座る。


 第6航空団に所属するパイロットの多くは様々な事情で日本へやって来た外国人であり、海外派遣の際には必ずと言って良いほど彼らが選ばれる。

 統合参謀本部は彼らを都合の良い捨て駒と考えている、という噂がまことしやかに囁かれているが、どうやらこれは事実のようだ。


 不満げな表情をする者もいるが、反対を叫ぶ者はいない。彼らはその代償として、他の航空団に属するパイロットたちよりも格段に良い待遇――主に給料面で――を受けているからだ。


 とは言え、感情のしこりが残ることは避けられない。

 ナラサキ中佐が説明を終えて会議室を出た後、パイロットたちは一様に張り詰めた空気を出しながら、それぞれに席を立っていった。


「よう、隊長。ちと遅いが、飯でも食おうぜ」


 周囲の空気を無視するように、お気楽な様子でやって来たのはジグムントだ。浮かべている笑みはニヤニヤという表現が一番しっくり来る。

 その後ろには、相変わらず能面のような無表情をしたイオニアスがついて来ていた。


「そう言えば、あなたの奢りだったわね、ジグムント」

「ちっ、忘れてなかったか……」

「そうだな。ちょうど話しておきたいこともある」


 そう言うとレオンハルトは立ち上がり、三人を連れて食堂へと向かった。


 会議室の近くにある食堂は帝都空軍基地の膨大な職員たちの内、主に航空団配属の将校やパイロットが利用している。

 昼と夕方の間、微妙な時間帯ということもあって、人はそれほど多くなく、四人は難なく座席を確保することができた。


「またフライドチキンセットか、少佐?」

「ここのフライドチキンは美味い。お前も食べたことがあるなら分かるだろう?」


 ビーフステーキの載ったトレイを抱えたまま、ジグムントが呆れたような目でレオンハルトを見ている。

 それに対して、同じく唐揚げ定食の載ったトレイを持つレオンハルトが至って真面目な表情で答えた。


「少佐は唐揚げ好きですからね」


 さっさと席に着いて、さばの味噌煮定食を前にするカエデがにこやかに言う。


「……とりあえず、座ったらどうだ。さっさと話もしたい」


 相変わらずの無表情で、ざるそばを机に置いたイオニアスがそう言うと、レオンハルトとジグムントは「それもそうだな」と言って、顔を見合わせて苦笑した。


 しばらく、四人は黙々と目の前の食事を片付けていく。いつ招集がかかるか分からない職業というだけあり、四人は食べるのが早い。

 五分とかからず食事を終えた四人は、食器の載ったトレイを脇にどけて話を始めた。


「ジグムント、お前にフライトリーダーを頼みたい」


 そう言って切り出したレオンハルトを、ジグムントは目を丸くして見た。


「俺が? 自分で言うのも何だが、俺に務まるか?」

「ああ。務まると思ったから、頼むんだ」


 ジグムント自身は半信半疑のようだったが、レオンハルトは確信を持って話している。


「少佐、ジグムントの力量を疑う訳ではないですが、理由を聞かせていただいても良いでしょうか?」


 カエデも少し不安そうな表情で尋ねる。


「ふむ。まず一つ目としては、他に人がいないことだな」

「おい」


 レオンハルトの言葉に、ジグムントが呆れたような声を出す。


「冗談を言ってる訳じゃないぞ? 新しく入ったパイロットたちは、技量は十分だが四機編隊(フライト)を率いるほどの経験がない。ディミトロフ大尉にはもう一つのフライトを指揮してもらうつもりだしな。その意味では、お前たち三人の中から選ぶのが自然だろう?」

「まあ、そうですね」


 確かに、という表情で頷くカエデ。イオニアスも似たような顔をしている。


 ちなみに、ディミトロフ大尉は補充要員として新たにアイギス隊に加わったパイロットで、第6航空団内部の教導部隊とされている第541飛行隊で教官役を務めていた人物だ。

 第541飛行隊の所属パイロット全員が他の部隊に転籍することとなったため人員が大幅に減ったアイギス隊に配属されており、経歴から言って、彼がフライトリーダーの一角を占めるのは当然のことと言えるだろう。


「クシロは私の僚機だ。今さらパートナーを替えるのも面倒だから、クシロはフライトリーダーにできない。残るのはジグムントとイオニアスだが……パイロットとしての経験が長いのはどっちだ?」

「俺、だな」


 そうだろう、と言わんばかりの表情をするレオンハルト。

 確かにイオニアスはつい一年前にパイロットとして配属されたばかりであり、経験という点ではジグムントに一日の長がある。


「それから、ルドヴィクもお前に目をかけていたからな」

「……」


 ルドヴィク、の名前が出たことで、全員が黙り込む。


「ルドヴィクは、大佐は私よりもずっと隊長としての適性があった。その彼が目をかけていたんだ。根拠としては十分じゃないか?」

「……こいつはすぐ調子に乗るからな。大佐が目をかけていたのも、それが理由じゃないのか?」

「おい、イオニアス!」


 珍しくイオニアスが冗談を言い、それにジグムントが目をむいて抗議したことで、微妙に暗くなった空気が一気に吹き飛ぶ。

 カエデも呆れたような目をしながら笑っていた。


「ま、イオニアスの言う通りかも知れんが、な。他に人がいないのも事実だ。やってくれるな?」


 笑みを収めたレオンハルトが真剣な目でジグムントを見据える。

 ジグムントも表情を改め、真っ直ぐレオンハルトを見返した。


「ああ。隊長、あんたの信頼は裏切らない。誓うよ」


 こうして、ジグムントがレオンハルト後任のアイギス5として、フライトリーダーを務めることとなったのであった。







 日本とはローヴィス大陸を挟んだ反対側の大陸北西部、北海に向かって突き出した形の半島がブリタニア半島だ。

 元々、島だったものが、砂州が伸びていって地峡を形成し、ローヴィス大陸と繋がった陸繋島である。


 古来よりこの地峡――ブリトン地峡という――はブリタニア半島とローヴィス大陸諸国の交通の要所であり、大陸諸国の侵略を防ぐため、歴代の支配者はこの地に堅固な城塞を築いてきた。


 ブリタニア植民地帝国の成立以後は、回廊要塞と称される地峡全体を覆う要塞が築かれ、ブリタニア防衛の要となっている。

 「ブリタニアの門」と呼ばれることもある回廊要塞は第二次世界大戦当時、ローヴィス大陸の西半分を征服したナチス・ベルク装甲軍の侵攻をも防いだ実績を持つ。陸海空一体となった防戦の前に、さすがの陸軍大国も攻略を断念せざるを得なかったほどだ。


 第二次世界大戦が終わり、要塞の価値が薄れたとされる現代にあってもなお回廊要塞は取り壊されるどころか、むしろ対空ミサイルの配備など要塞設備が強化され、ブリタニアを守る鉄壁の門となっている。


 1991年11月、レヴァンドフスキー大将率いるレウスカ人民軍第2軍は、共に西部諸国を電撃的に侵攻した第4軍と別れてブリタニア大陸領に侵入。

 ブリタニア王国軍を中心とするPATO軍は大陸領を放棄して回廊要塞まで後退し、第2軍が要塞前面に到達した20日に第一回目となる回廊要塞の攻防戦が始まった。


 陸海空一体となったPATO軍の攻撃の前に、第2軍は要塞に傷一つつけることすらできず、海軍の支援も得られなかったために撤退。

 PATO軍は圧倒的とも言える戦果を挙げ、第一次回廊要塞攻防戦に勝利した。


 この圧倒的な勝利に対して、回廊要塞司令部では楽観ムードが漂うようになり、日本からの援軍が来るということもあって、一部では大陸領奪還、さらには西部諸国解放まで視野に入れた反攻作戦が囁かれるようになる。


 現地軍のこのような雰囲気は軍首脳や政府高官にも伝播し、11月25日に開かれた国家安全保障会議の会合も楽観的なムードで終始するのであった。







 ブリタニア王国首都キングストン。かつて世界金融の中心地であったこの街は、今もなお世界の主要な金融センターとしての地位を失っていない。

 その一方で、前近代的な街並みも残したこの古都の西、カテドラル地区にはこの国の政治行政を司る機関が集中し、首相官邸もこのカテドラル地区の一角にある。


 その首相官邸には国家安全保障会議のメンバーが集まり、回廊要塞前面にまで到達したレウスカ人民軍への対応策が協議されていた。


「……以上、申し上げました通り、先日の回廊要塞への攻撃は失敗に終わり、第2軍は現在、カノンベリーに司令部を置き、第二次攻撃を企図しているものと思われます」

「ありがとう、サー・リチャード。さて、軍人諸君から何か補足することはあるかな?」


 円形に配置された椅子の中で、部屋の一番奥に座った初老の紳士がそう言うと、軍服に身を包んだ男性たちが首を振った。


「では、会議を始めようか」


 そう言って会議を進める初老の男性の名はジェームズ・ベケット。この首相官邸の現在の主――ブリタニア王国首相である。

 そして、先ほどまで列席する高官たちに戦況の説明をしていたのが、参謀本部委員会議長を務めるクレイグ元帥だ。


「現地司令部はずいぶん景気の良い報告を上げてきたようだが、参謀本部としてはどう考えているのかね、ニコルソン大将?」


 眼鏡を直しながら問いかけた禿頭の男性はキャラハン国防大臣、そして質問を受けたのは陸軍参謀総長のニコルソン大将だ。


「確かに第一回目の攻勢は簡単に退けることができましたが、人海戦術による波状攻撃はレウスカ人民軍の得意とするところです。回廊要塞で侵攻を防ぐことは容易ですが、反攻作戦となるといささか駒に欠ける、といったところでしょうか」

「ふむ。バークレー大将はどう思う?」


 話を振られた空軍の制服に身を包む男性が腕を組みながら答える。空軍参謀総長のバークレー大将である。


「そうですね……。空軍は軍縮に着手したばかりですから、正直に言いますと戦力に心許ない部分があります。国土防衛は自信を持ってお任せください、と言えますが、国境を越えて反攻作戦に従事するとなると……。PATOの支援は不可欠です」

「空軍も同様か……。海軍はどうかな、ハートレイ元帥」


 そして、最後に第一海軍卿(ファーストシーロード)のハートレイ元帥に意見が求められる。

 第四次シーニシア戦争において、PATO海軍統合部隊の司令官として東太平洋に派遣され、大漢人民解放海軍との激闘を繰り広げた武闘派であり、大戦後では数少ない元帥叙任者として、海軍だけでなく軍全体の重鎮となっている。


「反攻作戦に動くなら地中海の制海権が不可欠ですね。現状、我が軍は制海権を握っていると言って良い状況ですが、レウスカの潜水艦隊の動きが不明です。彼らが動けば、地中海の状況も変わるでしょう」


 レウスカ人民海軍は西側諸国の中では統一連邦・西ベルクに次ぐ規模を誇っており、潜水艦隊はその中心であると海軍本部は分析している。

 統一連邦をも上回るという練度と、静粛性に長けたレウスカの潜水艦は西側海軍における最大の脅威として認識されており、潜水艦隊がどう動くかは今後の水上作戦を大きく左右する要素であった。


「ふむ。我が国としては、レウスカの侵攻を押し止めることはできても、反攻作戦に移ることはできない。そういう認識で良いかな?」


 ベケット首相が尋ねると、四人の制服組は一様に頷いた。


「やはり反攻作戦に移るにはPATO全体で足並みを揃えなければならんか……。キャラハン君、オーヴィアスからバーンスタイン補佐官が来るのはいつだったかな」

「来週の頭です。反攻作戦についての打ち合わせもその時に行う予定です」


 キャラハン国防大臣がそう答えると、ベケット首相は腕を組んで唸った。


「よし。キャラハン君、バーンスタイン補佐官が来るまでにある程度、反攻作戦の計画を詰めておいてくれ。いずれ、PATOとして反撃に打って出ることはあるだろうが、現時点での反攻は行わず、回廊要塞を中心とした本土防衛を主軸としよう。サー・リチャード、異論はあるかね?」


 クレイグ元帥が他の制服組三人に目をやると、三人が頷く。それを見て、クレイグ元帥がベケット首相に首を振った。


「いえ。参謀本部委員会としても、首相閣下のお考えに異存ありません」

「では以上で会議を終えるとしよう。……今後は、現地指揮官の――何と言ったかな」

「ハーマン中将です、閣下」


 「ああ、そうだった」とベケット首相が苦笑いし、言葉を続ける。


「そのハーマン中将にも国防会議に参加してもらおう。立体ホログラムプロジェクターを用意しなければならんが……まあ、安いものだろう」


 回廊要塞司令官のハーマン中将を会議に参加させようというベケット首相の提案は、しかし実現することはなかった。


 国土防衛よりもむしろ反攻作戦の是非について話し合ったこの日の会議を後日思い返し、出席者たちは自分たちの脳天気さに(ほぞ)を噛むこととなる。







「閣下、艦内にお戻りください! 波が高くて危険です!」

「大丈夫だ! それよりも、まだ着かんのか!」


 大荒れの海を行く一隻の船。甲板には一基の連装砲が据え付けられており、マストにはレウスカ人民海軍の軍艦旗が掲げられ、この船がレウスカ海軍所属の軍艦であることが分かる。


 レウスカ人民海軍地中海艦隊に所属する駆逐艦ズウォトフはレウスカ地中海沿岸最大の軍港都市タルヌフを出港し、地中海に浮かぶレウスカ領のポリツェ島に向かう途上、嵐に遭遇していた。

 ズウォトフにはミハウ・ラトキエヴィチ議長が乗艦しており、彼は滅多に乗ることのない船――それも嵐の中を航行中――にとても興奮し、世話役のゲンシツキー少尉に無理を言って、甲板から大荒れの海を眺めている。


「晴れていれば、もう島は見えています! 間もなく着きますので、どうか艦内にお戻りを!」

「ああ、分かった、分かったよ!」


 レインコートに身を包んだミハウ・ラトキエヴィチ議長が不満を顔に滲ませながら、手すりを掴んでよたよたと歩いてくる。


「閣下、こちらをお使いください」

「ありがとう、少尉」


 ゲンシツキー少尉が差し出したタオルを受け取り、顔を拭きながらレインコートを脱ぐ。扉が閉められ、暴風雨の音が遠くなった。


『こちら、艦橋。議長閣下、通信が入っております。艦橋までお越しください』


 スピーカーからミハウ・ラトキエヴィチ議長の呼び出しが流れる。


「ふむ。呼び出されたようだな」

「ご案内いたします」


 ミハウ・ラトキエヴィチ議長からレインコートとタオルを受け取ったゲンシツキー少尉が先導し、艦橋に向かう。途中ですれ違う乗組員たちは、皆通路の端に避けて、緊張した表情で敬礼する。


「何もああまで緊張しなくても良かろうに。そう思わんかね、少尉」

「は、はい」


 「あなたの不興を買うのが恐ろしいからです」とは言えないゲンシツキー少尉は、曖昧に微笑みながら頷いた。


 狭い階段を上りきると、艦橋への入り口がある。ゲンシツキー少尉はその手前で立ち止まった。


「ゲンシツキー少尉、ラトキエヴィチ議長閣下をお連れいたしました!」

「ご苦労。議長閣下、こちらへどうぞ」


 低い声の男性がそう言うと、ミハウ・ラトキエヴィチ議長が艦橋に入った。眼鏡をかけた背の高い壮年の男性が二つ指の敬礼で出迎える。


「クルティカ大佐、通信が入ったと言っていたな」

「はっ。ミラー作戦部長からです。こちらへ」


 艦長のクルティカ大佐が通信士の元へ案内する。通信士が椅子から立ち上がり、敬礼した。


「こちらをお使いください」

「ありがとう」


 ミハウ・ラトキエヴィチ議長が通信士から受話器を受け取ると、通信士が操作盤のスイッチを押した。


『作戦部長、ミラーです』

「ラトキエヴィチだ。中将、何かあったのかね?」


 通信相手の作戦部長ミラー中将は、前任のクビツァ中将が大将に昇進して駐ラピス陸軍司令官に転任したため、少将から昇進して後任となった人物である。


『第2軍のレヴァンドフスキー大将から、『予定通り敗退した』との連絡が入りました』

「分かった。作戦は順調に進んでいるんだな?」

『はっ。現時点では、参謀本部の想定通りに進んでおります』


 ミラー中将の返答に、ミハウ・ラトキエヴィチ議長は満足げに頷く。


「ならば報告は週に一度の定期報告で十分だ。何か作戦に問題が発生した時だけ、対応策を協議した上で報告してくれたまえ」

『はっ。失礼いたしました』


 その後、細々とした連絡事項の報告を受け、ミラー中将との通信が終わる。

 そしてちょうどその時、船が目的地であるポリツェ島の小さな港に到着した。


「閣下、到着しました」

「ご苦労だった、大佐」


 艦橋要員の敬礼に答え、ゲンシツキー少尉の先導でミハウ・ラトキエヴィチ議長はズウォトフを降りる。


 埠頭には黒塗りの公用車が停まっており、レインコートを着た男性が直立不動で待っていた。


「閉鎖都市ポリツェへ、ようこそおいでくださいました、議長閣下! ポリツェ基地司令のヴルブレフスキー大佐であります!」

「出迎え感謝する!」


 挨拶もそこそこに、車に乗り込む二人。ゲンシツキー少尉の敬礼に見送られながら、車は島の内部へと入っていった。


 高級な革張りのシートを濡らしつつ、レインコートを脱いだミハウ・ラトキエヴィチ議長が備え付けの葉巻を手に取り、ヴルブレフスキー大佐が火を付ける。アバナ産の高級葉巻だ。


 ほのかな甘い香りが車内に満ち、ミハウ・ラトキエヴィチ議長はすこぶる機嫌良く口を開いた。


「さすがはアバナの葉巻だ。良い香りがする。君もそう思わんかね、大佐」

「はっ、自分はタバコを吸わないもので」


 ヴルブレフスキー大佐がそう答えると、ミハウ・ラトキエヴィチ議長はわざとらしく、チッチッチッ、と左右に指を振った。


「いかんな、大佐。人生を損しているぞ」

「恐縮です」

「まあ良い。……それよりも、シチシガはどうなっている?」


 急に真面目な表情になったミハウ・ラトキエヴィチ議長。

 それを見たヴルブレフスキー大佐は、不敵な笑みを浮かべた。


「見ていただいた方が早いかと。さ、間もなく到着します」


 車はトンネルに入り、ゆっくりと坂道を下っていく。やがて、車は空港玄関のようなゲートの前で止まった。


「どうぞ、こちらです」


 ヴルブレフスキー大佐の案内で、ミハウ・ラトキエヴィチ議長は地下深くのゲートをくぐる。


 暗い廊下を抜けた先には巨大な軍艦があり、その前には年老いた白髪の男性が立っていた。


「おお……! これが……これがシチシガか、ムラロフ博士!」


 ミハウ・ラトキエヴィチ議長が目を丸くして叫ぶ。

 年老いた白髪の男性は、不気味な笑みを浮かべてこう言った。


「ようこそ、議長閣下。空中戦艦『シチシガ』、完成いたしました」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ