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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
15/42

第十二話 始まりの終わり

 ヴェルサイユ上空をレウスカ空軍機が悠々と飛んでいる。まさしく、この都市がレウスカ人民軍の占領下に置かれたことを示す光景だ。


 6月28日午後8時21分、環太平洋条約機構(PATO)軍及びラピス国防軍の残存部隊がヴェルサイユから撤退し、レウスカ人民軍がこの追撃を終了した後、ヴェルサイユ市内に残っていたヴェルサイユ広域防衛司令部のコルネイユ中将が降伏文書にサインし、第一次ヴェルサイユ市街戦が終わった。


 あれほどの激戦であったにも関わらず、市街中心部は大きな被害を免れている。

 戦闘がヴェルサイユ城壁の外側で終始したことと、ヴェルサイユに残った守備隊が徹底抗戦を選択しなかったことがその理由だろう。


 ヴェルサイユ中心部の総統官邸(グラン・パレ)では、第1軍司令部が占領当局設立のための準備を行っている。

 その宮殿の一室に、統一連邦軍のレウスカ義勇軍団の指揮官であるサプチャーク中将が執務室を構えていた。


 占領から間もないにも関わらず、すでに長年使っているかのように部屋に馴染んでいるサプチャーク中将の前には、ソーニャ・ヴィクトロワとヴィクトル・セレズネフが立っている。

 彼らは、ラピス占領において大きな戦功を挙げたパイロットとして全軍にその名が知れ渡っている。

 特にソーニャはその端麗な容姿とパーソナルマークから「白百合」と呼ばれ、男性将兵の人気を集めていた。

 そんな二人が、雲の上の存在と言っても良いサプチャーク中将に呼び出されているのは、勲章授与のためだ。


 階級がはるかに上のサプチャーク中将に対して、二人は直立不動の体勢を取っている。

 だが、そのことを抜きにしても、サプチャーク中将が放つプレッシャーは並の人間ならば恐縮せざるを得ないほどのものだ。


「さて、同志ヴィクトロワに同志セレズネフ。君たちに勲章が届いている」

「大変光栄であります」

「うむ。君たちの前線での活躍は特筆すべきものがあった。よって栄誉勲章一級が授与される」


 栄誉勲章は、統一連邦陸軍の下士官・兵、あるいは空軍尉官に授与される勲章で、積極的に戦いに臨んだことを称えるものだ。授与数の多い勲章だが、一級ともなるとさすがにそれなりの希少価値はある。

 要するに、上層部が感心するくらいの戦果を挙げたことを示すものであった。


 サプチャーク中将の副官が二人に勲章を渡し、二人はそれを自身の胸元に取り付けた。


「君たちには、私だけでなく軍上層部も大いに期待している。これからも職務に励みたまえ」

「はっ。ソヴィエト万歳(ウラー)


 ソーニャとヴィクトルが揃ってお決まりの文句を言うと、サプチャーク中将は皮肉げに微笑みながら復唱した。


 部屋を退出し、長い廊下を歩く。しばらく歩いた後、ヴィクトルがおもむろに口を開いた。


「何というか、怖い人だったな」

「ええ。最後、やっと笑ったけど、余計に背筋がゾクッとしたわ」


 ソーニャが周囲を気にしながら小声で答える。ここでは誰が聞いているか分からないからだ。


「例の噂、聞いてるか?」

「噂? ……ああ、保守派のこと?」


 統一連邦の最高権力者たるメニシチコフ書記長が進めるペレストロイカに反対する、政界及び軍部の勢力。保守派と呼ばれる彼らが、何らかの策謀を企てているのは、公然の秘密であった。


 サプチャーク中将も保守派に属する軍人だ。そもそも、この義勇軍団の派遣自体が、東西の軍事的緊張を煽ることで発言力を得ようとする保守派のシナリオの一つでもある。

 当然ながら、サプチャーク中将も保守派が企てる策謀に参加していると考えられるだろう。


 レウスカ人民軍の意向を無視して自軍を出撃させ、結果として戦局を決定づけたこともあり、言い知れない不気味さのようなものを感じる。


「ラピスを占領したことで、戦争も一段落つくだろう。このまま終戦となってくれれば良いのだが」

「ええ。私もそう思う」


 二人はそんな会話をしながら、総統官邸を後にした。


 彼らの願いは結果として叶えられることはなく、二人はその後もPATO軍との小競り合いのたびに出撃を余儀なくされることとなる。







 一方その頃、ラピス北東部最大の都市ルーアンには、ヴェルサイユから撤退してきた敗残兵たちが徐々に到着しつつあった。

 ボロボロになった敗残兵の群れを、市民は悲しげな目で見つめながら迎え入れている。


 首都ヴェルサイユでの決戦に敗れた今、ラピス国防軍に抵抗するだけの力はなく、PATO諸国の戦時体制への移行がままならないこの状況下では、ラピスに残された道は降伏しかない。

 市民もそれを理解しているのだが、かと言って無残な姿になった兵士たちの背中に罵声を浴びせることもできず、結果として街全体が敗北を嘆くことしかできないでいた。


 他方で、嘆いてばかりでは許されない者たちもいる。

 パトリエール総統や、参謀総長を務めるラスランド大将などの、国内に残った政府と軍の首脳陣だ。


 敗北が決定的になったとは言え、今後の方針を決めなければならない政府と軍のトップたちは、ルーアンの商業地区にあるオフィスビルの会議室を貸し切り、臨時の国防会議を開いていた。


「ラスランド大将、我が軍の被害は最終的にどうなった?」


 いつも通り退役軍人用の礼装に身を包んだパトリエール総統が、小さな円卓の反対側に座るラスランド大将に質問する。


「詳しい数は判明しておりませんが、八千名近くの戦死者及び行方不明者が出ています。捕虜となったのも確認できただけで五千名。戦死者と行方不明者の大半は、第1師団の所属です」


 第二次世界大戦以降では最大となる損害に、列席者が呻き声を上げる。


「第1師団は戦力の40パーセントを喪失。第2、第5も損失率は20パーセント近くになります。これ以上の継戦は不可能でしょう」


 継戦は不可能。データとして突きつけられた現実に、全員が沈黙する。


「分かった。ありがとう、参謀総長」


 ため息を堪えながら、パトリエール総統は一言だけそう言った。そのまま何事か悩むように腕を組む。


 一分、二分と時間だけが流れる。その間、列席者はじっとパトリエール総統を見つめていた。

 やがて、大きくため息をつき、パトリエール総統は顔の前で手を組んで苦渋の表情を隠しながらこう言った。


「戦力の不足する中、これ以上の継戦はいたずらにラピス国民に被害をもたらすだけだ。私はレウスカに降伏を申し出ようと思う」


 パトリエール総統はそこで一旦言葉を切ると、顔を上げた。その疲れた表情には、英雄と謳われた名将の面影がない。


「異議はあるかね?」


 パトリエール総統の問いかけに、ラスランド大将がゆっくり首を振る。他の出席者たちも同様に、異議がないことを力なく表明した。


 臨時の国防会議はこれで終了し、会議室にはパトリエール総統とラスランド大将のみが残った。

 二人には、海外に脱出したゼレール外務大臣らに降伏を決定したことを伝える、という仕事が残っているからだ。


 会議室にホログラム通信機を運び込み、オーヴィアス連邦に亡命政府事務所を開いているゼレール外務大臣との通信を繋ぐ。

 通信を繋いでから五秒ほどで、ゼレール外務大臣の姿が表示された。


『ゼレールです』

「パトリエールだ。ずいぶん出るのが早かったな、外務大臣」

『総統閣下からのご連絡がそろそろあるだろう、と思いまして、通信機の前で待機しておりましたので』


 ゼレール外務大臣がそう答えると、パトリエール総統が頷いた。


「そうか。……用件は分かるな?」

『はい、閣下』


 心なしか、ゼレール外務大臣の表情は強張っているように見える。


「私は共和国総統として、レウスカへの降伏を決定した。降伏文書に私がサインした時点で、私は総統職を辞任する。よって、共和国憲法第二十五条の規定に基づき、ゼレール外務大臣が総統代理として以後の政務を執るように」

『はっ。かしこまりました』


 ラスランド大将もパトリエール総統に続く。


「外務大臣、バルトローヌ国防大臣に伝えてください。私も降伏文書に調印した時点で、参謀総長の職を辞任します。後任には副参謀総長のマスロン中将を推薦する、とも」

『承知した、参謀総長』


 その後、いくつか引き継ぎに関する事項を伝達した後、パトリエール総統は通信を切った。

 会議室に沈黙が落ちる。


 沈黙を破ったのは、ラスランド大将の方だった。


「それでは閣下、私はレウスカ人民軍に降伏交渉の申し出を行います。よろしいですか?」

「……ああ。降伏交渉に関しては参謀総長に一任する」

「了解しました」


 そう言うと、ラスランド大将が会議室から出て行く。

 残されたパトリエール総統は、秘書官が探しに来るまでの二時間ほど、この会議室で一人考え込んでいた、という。


 6月29日、ラスランド大将がラピス国防軍参謀総長としてレウスカ人民軍第1軍司令官に降伏交渉を申し入れ、翌日にラピスの降伏に関する事務的な交渉が持たれる。

 降伏交渉は滞りなく進み、そして7月1日の降伏文書調印へと繋がることとなるのであった。







『クラトフスキー大将、素晴らしい活躍だった。君のおかげでラヴィーナ作戦は想定以上の結果を出しているよ』

「お褒めにあずかり、大変光栄であります、議長閣下」


 総統官邸の総統執務室、本来であればパトリエール総統が鎮座すべき部屋に通信機が持ち込まれ、クラトフスキー大将とその幕僚たちがスクリーンの前に直立している。

 ヴェルサイユを見事に攻略した第1軍に対して、ミハウ・ラトキエヴィチ議長が直々に激励の通信を入れたのだ。


『報告によれば勝利を決定づけたのは義勇軍団とのことだが……。何、気にすることはない。指揮官は大将だったのだからな』

「……はっ」


 ミハウ・ラトキエヴィチ議長の言葉に幕僚たちの顔が曇る。

 サプチャーク中将は戦闘前の作戦会議で、事前の通告なしには動かない、と言っていたのだが、結局のところ義勇軍団は何の通告もなく単独で行動し、戦果を挙げた。


 義勇軍団の指揮権が独立していることもあって、戦果を挙げた彼らを非難することはできない。

 それでも、サプチャーク中将に対する不満が幕僚たちの間には募っていた。


『ラピスが降伏し、後はバーレンとの降伏交渉だけか。……クラトフスキー大将、これが終われば、大将には上級大将に昇進してもらって、東部戦線の総司令官となってもらうつもりだ』


 幕僚たちがざわめく。上級大将は複数の軍を統括するために設けられている階級であり、第二次世界大戦以降は事実上、三軍の総司令官に任じられる者のみが昇進できる階級なのだ。


「それでは、階級でラトキエヴィチ総司令官と並ぶことになってしまいます。軍の統制上、問題とならないでしょうか」


 さすがに多少の動揺を見せたクラトフスキー大将がそう言うと、ミハウ・ラトキエヴィチ議長はガハハと笑いながら、


『問題はない。スタニスワフは元帥に昇進させる。ラピス・バーレン征服の勲功と言えば、文句も出まい』


 と言った。


 確かに、ラヴィーナ作戦の立案においてはスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将も少なからぬ貢献をしている。

 しかし、それを以て元帥杖(ブラヴァ)授与に値するか、というと、今ひとつ不足している感が否めない。


 ラトキエヴィチ一族による高官独占、との(そし)りを受けても仕方のない昇進と言えるだろう。


『最後まで気を抜かず、頑張ってくれたまえ。諸君らの活躍に期待している』


 そう言うと、ミハウ・ラトキエヴィチ議長との通信は終わった。

 微妙な緊張状態から抜け出した幕僚たちが肩の力を抜き、笑顔を見せる。


「閣下、昇進おめでとうございます」

「ありがとう。まだ少し気が早いがね」


 理由はどうあれ、昇進は喜ぶべきことだ。あの調子なら、今回の戦いに参加した将兵の多くは昇進できるだろう。


「問題はまだまだ山積しているが、まずは一山越えた、というところだろうな。……参謀長と今後の方針について話し合いたい。他の者は休んでおいてくれ」

「はっ」


 笑顔を見せながらも、一日中働きづめで疲れを顔に表していた幕僚たちがぞろぞろと執務室から出て行く。

 残ったのは、微妙な表情をしたザモイスキー中将だけだ。


「また置いて行かれてしまったな、トマシュ」

「そう言うな、ヤチェク。君もすぐに昇進できるさ」


 肩をすくめ、苦笑混じりに応じるクラトフスキー大将。


 彼らは幼馴染みで士官学校の同期だが、ザモイスキー中将は一時期とある理由から閑職に回されていたこともあり、階級差ができている。

 そんなことで疎遠になるような関係ではなかったが、やはり心のどこかでお互いに引っかかっている部分はあった。


「そうだと良いな。大将に昇進すれば、このまま第1軍の司令官かな?」

「他の司令官がスライドして、君がそちらに、という可能性もある」

「そうだな。……まあ、今悩んでも仕方のないことだ。それよりも、まずは今後の方針だな」


 ザモイスキー中将が頭を振って話題を切り替える。


「とりあえず、占領当局だな。いずれ中央が人事を決定するだろうが、それまでの暫定体制を決めておかないと。トマシュ、君に腹案はあるのか?」

「ああ。ミジェリンスキー少将の29旅団を残そうと思っている」


 29旅団――正式名称、第29独立混成旅団はいわゆる小型師団タイプの旅団で、工兵部隊や兵站部隊などを兼ね備えた独立旅団である。

 ミジェリンスキー少将率いる第29旅団は第1軍直属部隊として運用されており、現在はヴェルサイユ攻撃のために第1軍が根拠地を置いたランブイエの守備に充てられていた。


「ふむ。短期間ならミジェリンスキーでも十分か」

「ああ。本国には早急に占領当局を設立するよう、要請を出しておこう」


 そう言うと、クラトフスキー大将は手元に置いてあったメモ帳に、占領当局について本国に至急伝達、と書き付け、執務机の上にある呼び鈴を鳴らした。

 すぐに控えていた警備兵が入ってくる。


「お呼びでしょうか」

「これをステチェンスキー大佐に渡しておいてくれ。見せれば分かるはずだ」

「はっ」


 警備兵が敬礼し、退室する。

 それを見送りながら、クラトフスキー大将はどっさりと椅子に腰を下ろした。


「ふぅ……」

「ずいぶん疲れているな。まあ無理もないか。ずっと張り詰めた状態だったからな」

「ああ」


 結果としてはヴェルサイユを攻略できたが、サプチャーク中将が独断で部隊を投入して戦局を決定づけるまでは一進一退の攻防が続いていた。

 ラピス軍は非常に粘り強い戦いぶりを見せており、事前に得ていた司令部などの配置図がなければ早々にヴェルサイユから叩き出されていただろう。


 第1軍は少なくない損害を受けており、部隊再編の時間が必要だ。本国から増援が来るまでは動くことができない。

 この状況でキーポイントになってくるのは、やはり統一連邦軍の義勇軍団だろう。


「厄介だな……」


 手元の書類を見ながら、ぼそりと呟くクラトフスキー大将。

 それを覗き込んだザモイスキー中将も、渋い顔をしてこう言った。


「義勇軍団か……。確かに厄介だな」


 二人を悩ませる指揮権の独立した義勇軍団。

 この問題は、結局この戦争が終盤にさしかかるまで解決することはなかった。







 1991年7月1日、サン・ミシェル事件に端を発した宝石戦争の第一ラウンド、ラピス戦線は、ラピス共和国総統フランシス・ドゥ・ラ・パトリエールとラピス国防陸軍参謀総長ミシェル・ラスランド大将が降伏文書に調印することによって、一応の終わりを見た。


 時を同じくして大陸の反対側、オーヴィアス連邦の首都ウェルズリーでは、すでにラピスからの脱出を果たしていたゼレール外務大臣が共和国総統代理への就任と、亡命政府の樹立を発表。

 さらに、陸軍副参謀総長のマスロン中将や第1軍団司令官のジャリー中将らがレウスカへの降伏を拒否し、第二次世界大戦以来となる自由ラピス軍を組織。祖国解放のため、レウスカとの戦いを継続することを宣言した。


 また、ラピスと並んでレウスカの侵略を受けていたバーレン王国も7月5日になって降伏を決定。

 マウリッツ4世以下政府要人がオーヴィアス連邦へ亡命し、バーレン王国陸軍のメンゲルベルク元帥が降伏文書に調印した一方で、フレデリック王太子が王国軍臨時大元帥として陸軍の大部分を率い、国土南部のヘット・ステーフ要塞線での抗戦を宣言している。


 開戦から一ヶ月が経ち、PATO諸国が動員を進めて戦力を順次ラピス・バーレンの国境沿いに展開する中、ラピス戦線で大きな被害を受けた帝国空軍第6航空団所属の第231飛行隊――アイギス隊は、ラピス派遣の任務を解除され、日本へと帰還していた。







 帝都郊外、天ヶ原台というだだっ広い高台がある。

 戦前には陸軍の天ヶ原演習場があったこの地は、現在では日本最大の面積を誇る帝都空軍基地の敷地となっていた。


 帝都空軍基地は帝都を含めた畿内地方の防空を司る第1航空団の他、海外派遣任務に就くことの多い第6航空団が所属している。


 ラピス戦線から帰還した第6航空団のパイロットたちは一日だけ休みを与えられ、その翌日には早速招集をかけられていた。


「大尉、また海外派遣任務でしょうか」

「どうだろうな。ウチも含めて、ラピスに派遣された部隊はどこもかなりの損害を出しているからな。クシロ、君は何も聞いていないのか?」

「ええ……。ただのパイロットに過ぎませんから」


 いつものように隣同士に座ったレオンハルトとカエデが、ざわざわと騒がしい会議室の中で会話をしている。

 このざわめきの中では声を大きくしなければ聞こえなさそうなものだが、二人は声のボリュームを絞っていた。


「ヒサカタ准将の係累とは言え、さすがに情報は下りてこないか……」

「すいません」

「ああ、責めてるわけじゃないさ。どうせすぐに分かることだしな」


 二人が声を潜めていたのは会話の内容が理由だ。


 第6航空団の司令を務めるのはノブユキ・ヒサカタ准将。

 軍部重鎮の一族である公爵家の出身で、42歳にして准将の階級にあり、帝国五軍の内、海軍と空軍を勢力基盤とする軍の派閥「白州閥」の次期領袖という、ここにいるパイロットたちからすれば雲の上の存在だ。


 そんなヒサカタ准将とカエデは遠い親戚であり、すなわちカエデは軍人貴族の出身なのである。

 望めば安全な職場への配属も叶う彼女が前線――それも最も危険な地に派遣される第6航空団に籍を置いているのは、軍人貴族としての戦場に出る義務を果たすためであり、俗なことを言えば、将来の空軍幹部として実績を積むためであった。


 いらぬ軋轢を避けるためにこれらの経緯をカエデは伏せているが、信頼するレオンハルトにだけは明かしていた。


「それよりも問題は部隊再編だろう。他はそうでもないが、ウチは特に酷い」

「ベイルアウトして救出された三人も、結局は戦傷退役することになりましたからね」


 十六人のパイロットが所属していた第231飛行隊は、隊長のルドヴィク中佐を始めとする九人が戦死し、三人が戦傷により退役することとなった。

 残ったのはレオンハルトとカエデ、そして何かと縁の多いジグムントとイオニアスの四人だけだ。


「231は解隊、私たちは空いた部隊に配属、といったところか。クシロは良いパートナーだから、できればこのままだと良いのだが」

「バラバラの部隊になると少し寂しいですものね」


 そんなとりとめもない会話をしていると、眼鏡をかけた長身の将校が入ってきた。第6航空団の人事部長を務めるウダ中佐だ。


「全員そのまま、楽にしてくれ」


 ウダ中佐は立ち上がろうとしたパイロットたちを手で抑え、壇上に上がる。


「人事部長のウダだ。君たちに集まってもらったのは、部隊再編と今後の予定について説明するためだ」


 ウダ中佐が壇上に上がったことで静かになっていたパイロットたちが再びざわめく。


「まずは簡単な今後の予定から説明しよう。第6航空団は先日までのラピス派遣によって大きな損害を受けた。戦争はまだ続いているが、第6航空団はこれ以上の海外派遣任務には耐えられないだろう」


 言葉を一旦切って、ウダ中佐はパイロットたちを見回した。


「第6航空団はこれより半年間の再編期間に入る。パイロットの補充も入るから、隊ごとに訓練をしてもらうことになるだろう」


 この辺りはある意味順当と言ったところだろう。予想していたパイロットも多かったのか、特に驚くような声は上がらなかった。


「続いて部隊の再編について説明する」


 本題はここだろう。四人にまで磨り減ったアイギス隊がどうなるのか、レオンハルトとしても無関心ではいられない。


「これまで、第6航空団では定員通りの十六人で一個飛行隊を構成していたが、これを十二人に減らす。ラピス戦線で、かなりのパイロットを失ったからな」


 帝国空軍における一個飛行隊の定員は十六人であり、実際にはそれに達せずに十二人で構成している部隊が多い。

 一方、第6航空団は海外派遣任務に就くという特殊な事情から、第1航空団と並んで優先的にパイロットが配属されており、これまで定員を割り込んだ部隊はほとんどなかった。


「その代わり、という訳でもないが、部隊は減らさない。今まで通り、第6航空団は二個飛行群・四個飛行隊の体制を変更しない」


 ほう、と思わずレオンハルトは唸った。特に損傷の大きかったアイギス隊と第162飛行隊――ネストル隊を解隊し、残存部隊に組み込むもの、とばかり思っていたからだ。


「再編期間とは言え、戦時中だ。いつ何時、第6航空団に出撃命令が出るか分からん。新しいパイロットが大量に入ることになるが、早く前線で使えるように訓練に励んでくれ。私からは以上だ」


 何か質問は、と続けたウダ中佐に対して、集まったパイロットたちが首を振る。


「よろしい。では解散」


 そう言ってウダ中佐が会議室を出て行くと、パイロットたちは思い思いに喋り始めた。


「大尉、良かったらこの後コーヒーでも――」

「――ああ、エルンスト大尉。話があるから、人事部まで来てくれ」


 カエデも周りと同じように、レオンハルトに声をかけようとしたが、それは戻ってきたウダ中佐によって遮られてしまった。

 言うだけ言って、さっさと帰ってしまうウダ中佐の背中を見送りながら、レオンハルトはカエデに笑いかける。


「と、いうことだ。実に魅力的なお誘いだったが……コーヒーはまたの機会に」

「はい。是非」


 カエデの苦笑に見送られながら、レオンハルトは人事部へと向かった。


 第6航空団本部の建物は二階建てで、人事部は一階エントランスに面した部屋に入居している。二階の中央にある会議室からはすぐだ。


 レオンハルトが部屋に入ると、編成計画を担当している将校たちが忙しそうに仕事をしており、その向こう側でウダ中佐が手招きをしていた。


「わざわざすまないな、大尉」

「いえ。それでご用件は何でしょうか」


 レオンハルトがそう言うと、ウダ中佐は一枚の紙を書類の束から取り出し、レオンハルトに渡した。辞令書だ。


「これは……」

「見ての通りだ、エルンスト大尉。君がルドヴィク中佐の後任として、第231飛行隊の隊長になる」


 ウダ中佐の言葉通り、辞令書にはレオンハルトを飛行隊長に任ずることが書かれており、あとは航空団司令と人事部長のサインを入れるだけ、という状態になっていた。


「併せて、という訳でもないのだが、今度の論功行賞で君は少佐に昇進する。おめでとう」


 君だけでなく全員が昇進するのだがね、と皮肉るような口調でウダ中佐は続けた。

 こういう人を食ったような性格故に、ウダ中佐を苦手とするパイロットは多く、レオンハルトもその一人だった。


 何と返せば良いのか答えに窮し、結局、ありがとうございます、と当たり障りのない挨拶で場を取り繕う。


「正直に言うと、だ。私は君が隊長となることには反対だった」


 ところが、ウダ中佐の側には場を取り繕う、という考えは毛頭ないらしく、今度は直球でレオンハルトを否定する発言をした。

 あまりにストレートな物言いだったため、腹も立たないレオンハルトは黙って話の続きを聞く。


「だが、ヒサカタ准将が強く君を推してね。作戦部長のナラサキ中佐も准将の意見に同意したから押し切られてしまった」

「はあ、それは何とも」


 喜んで良いのやら今ひとつ分からない人事の裏話を聞かせたいだけではあるまい、とレオンハルトは適当に相づちを打つ。

 果たしてウダ中佐は、エルンスト大尉、ともったいぶった口調でこう続ける。


「私が君の隊長就任に反対したのは、君に能力がない、という訳ではない。ただ、君が個として優秀過ぎるパイロットであるがために、部下にその能力を超えた無理をさせるのではないか、ということを危惧したのだ」


 ウダ中佐の言葉に、レオンハルトは考え込む。


 確かにラピス戦線では、カエデやジグムント、イオニアスに無茶だ、と言われるような指示を出したことが何度もあった。

 結果としてそれは成功した訳だが、それは三人がレオンハルトの無茶な指示をこなせるだけの高い能力を持ったパイロットだったからに過ぎない。


 しかし、隊長に就任すれば十一人の部下を見ることになる。補充されるパイロットは当然ながら経験の浅い者たちばかりだろう。

 そんな彼らに、無理な指示を出したりはしない、とは言い切れない自分がいて、レオンハルトは今さらながら、隊長に就任することへのプレッシャーを感じ始めた。


「だが、ヒサカタ准将はこう言ったよ。231の隊長は君以外にあり得ない、と。准将は君に期待しているようだ」

「何故そこまで……?」


 信頼があるのは喜ぶべきことだが、それが身に覚えのないこととなれば、いささか不安にもなる。

 しかし、ウダ中佐は肩をすくめるだけだった。


「さあな。知りたいのなら准将本人に聞くと良い」


 ただ、とウダ中佐が言葉を続ける。


「准将の人を見る目は確かだ。その准将が君以外にあり得ない、と言った。どうせ君以外の隊長候補も決め手を欠いている。ならば、准将の判断を信じるだけだ」


 ウダ中佐は最後に、准将の期待を裏切らんようにな、とだけ言って、レオンハルトの退室を許可した。


 人事部を出た後、レオンハルトは誰もいない静かな廊下から外を眺めた。


 ラピスへの派遣前、例年より早い梅雨入りを迎えていた帝都も、今では日差しも厳しくなり、季節はすっかり夏に変わっている。

 外国人パイロットの多くは日本特有のジメジメした暑さに弱く、夏を嫌うものが多いのだが、レオンハルトはその点では少数派に属している。


「期待されるのも久しぶりだな。だが……悪くない」


 やれるだけやってみようじゃないか――。


 レオンハルトは心の中でそう決意し、滑走路から飛び立つ友軍機の航跡を眺め続けていた。







 辞令書


 ・所属

 第231飛行隊

 ・階級

 空軍大尉

 ・氏名

 レオンハルト・エミール・テオバルト・エルンスト

 ・発令事項

 第231飛行隊隊長を命ずる。

 ・発令日付

 成化3年7月6日


 第6航空団 司令   久方信之

 第6航空団 人事部長 宇田渡

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