第十一話 第一次ヴェルサイユ市街戦(後編)
シュイップ空軍基地。ラピス北東部の防空を司る空軍基地であり、また同じ敷地内にあるシュイップ陸軍基地と併せて、空陸一体作戦を遂行するための拠点ともなっている。
今回、ヴェルサイユの戦いにおいて不要と判断された第2落下傘連隊は、このシュイップ基地で待機していたのだが、ヴェルサイユ広域防衛司令部からの緊急要請により、慌ただしくも出撃準備を行っていた。
滑走路に駐機した五機のC-1G輸送機には空挺隊員が次々に乗り込んでいく。
出撃準備開始から三十分ほどで、C-1Gは離陸体勢に入っていた。護衛には一個飛行隊がつけられ、四方を警戒している。
『ナヴァール5、クリアード・フォー・テイクオフ』
「ラジャー。クリアード・フォー・テイクオフ、ナヴァール5」
最後尾となったナヴァール5の機長は、ベテランパイロットのカルノー少佐だ。パイロットとしての確かな腕を買われ、空挺部隊を輸送する第1輸送飛行隊のパイロットとなっている。
滑走路を飛び立ち、編隊に合流する。十二機のオラージュ2000戦闘機が五機のC-1Gを囲むような隊形だ。
『こちら、ルーアン1。ナヴァール隊の護衛を担当する』
『ナヴァール1よりルーアン1。よろしく頼む』
簡単な通信の後、ヴェルサイユへ針路を取る。
彼らが向かっているのは戦場だったが、防空体制が充実していることや、環太平洋条約機構空軍とラピス空軍が制空権を維持していたために、緊張感が欠けていた。
シュイップ基地を飛び立ってから十五分、ナヴァール5に搭乗している積荷管理者がレーダーの異常に気づく。
「キャプテン、レーダーに複数の反応が」
「何? ……本当だ。どういうことだ?」
「レーダー上では見えてもおかしくない距離ですが――」
副機長も一緒になってレーダーと視界を確認する。だが、レーダーの反応らしき物体は見られなかった。
不思議に思いながら、護衛の編隊に報告しようとしたその瞬間、2時方向を飛んでいた護衛機が突然爆発した。
「な、何だ!」
『て、敵だ! 敵がいるぞ』
『どうして気づかなかったんだ!』
戦闘機パイロットたちの通信から動揺が伝わってくる。
後ろだ、という誰かの叫び声が聞こえ、同時に護衛の戦闘機が次々に被弾し、コントロールを喪失した。反射的に、機体をサイドスリップさせる。
今まで飛んでいた進路上を機銃弾が通り抜け、カルノー少佐の背筋が凍った。
後方に敵がいる。それが分かった途端、輸送飛行隊はパニックに陥った。
『ルーアン1、何とかしてくれ!』
『機体を擦ったぞ!』
輸送機パイロットたちの悲鳴に、護衛機が敵機の迎撃に向かう。戦域情報システムで確認できる敵機の数は、わずか四機だった。
動揺していた編隊も、WAISの情報が表示された瞬間、安堵する。不幸にも撃墜された者もいたが、少数による奇襲攻撃ならば防ぐことは可能だと考えたのだ。
だが、数で優るはずの護衛機は、たった四機の敵に翻弄され始めた。
オラージュ2000は操縦性能が良く、パイロットからも人気の高い機体であったが、その機動性の高い機体が、敵機の機動についていけず、一方的に攻撃を受ける展開となったのだ。
『くそっ! こいつら、何なんだ!』
『ファントムだ! ファントムが現れた!』
通信越しのパイロットたちの声は恐慌状態にあった。数で優位にあるにも関わらず、彼らは攻撃を仕掛けることができないでいる。
一人、二人と致命傷を受けてコントロール不能に陥り、脱出していった。
カルノー少佐は危機感を覚え、被弾に備えて高度を上げようとする。
操縦桿を引き、上昇し始めたその時、目の前の輸送機が攻撃を受けた。機銃弾がエンジンに突き刺さり、爆発。左の主翼をもがれた輸送機は、炎を上げながら墜落していった。
『メイデイ! メイデイ! メイデ――』
地上に激突すると共に通信が途絶える。爆発音は遅れて聞こえてきた。
護衛機はすでに半分まで数を減らしている。輸送機に対する攻撃も激しくなってきた。
ミサイル警報音がコックピットに鳴り響く。
「フレア射出!」
大量のフレアを撒き散らしながら、必死にミサイルを回避する。何とかミサイルは回避できたものの、機銃掃射によって左翼のエンジンに命中弾を受けた。
「第1エンジン、出力低下!」
「停止しろ!」
機体を強烈な振動が襲う。今度は右翼エンジンだ。
「右翼エンジン、二基とも停止しました!」
「不時着する! ロードマスター、空挺兵どもに伝えろ!」
「は、はい!」
ロードマスターが空挺兵に不時着をアナウンスする。カルノー少佐は操縦桿を握り直し、計器を凝視した。
「敵の攻撃は?」
「ありません。トドメを刺すつもりがないのでは?」
そんな紳士的な敵なのだろうか、と思いながらも、そうであることを願わずにはいられない。
僚機が次々に撃墜されていくのを眺めながら、カルノー少佐は高速道路への着陸態勢を取る。幸いなことに、道路上には走行中の車両がなかった。
「降着装置は?」
「表示は大丈夫です」
「よし。着陸するぞ! 総員、衝撃に備えろ!」
カルノー少佐が叫んだ直後、激しい衝撃が機体を揺さぶった。凄まじいハードランディングであったにも関わらず、C-1Gの主脚は衝撃に耐え抜いた。
しばらく道路上を走った後、停止する。ハッチを緊急開放して空挺兵たちを避難させ、全員の脱出を確認した後、自らも操縦席を出た。
「救援は?」
「基地と通信がなかなか繋がりません」
携帯用の通信機を持ち出した副機長が困惑顔で答える。通信を続けるよう命じた後、空を見上げると、ルーアン隊とナヴァール隊の全機を撃墜した敵機が、南西へと飛び去っていくのが見えた。
一時間後、救難信号を受けて緊急発進した偵察機によって、カルノー少佐ら生存者が発見され、救援部隊が派遣された。
この惨事において、ナヴァール隊の輸送機五機の内、カルノー少佐機を含む二機が不時着に成功し、乗員十二名と兵員百八十名が生還している。
だが、残りの三機は地面に激しく叩きつけられたために生存者はなく、護衛任務に就いていたルーアン隊も六名の戦死者を出した。
戦闘地点に程近い村の名から、「メネルブの惨劇」と呼ばれることとなったこの事件は、第2落下傘連隊の増援を必要としていた第一次ヴェルサイユ市街戦の行方に大きな影響を与えることとなる。
「もう一度、言ってくれ。一体何が起きたんだ」
「第2落下傘連隊がレウスカ空軍機の攻撃を受けました。増援は、来ません」
防衛体制の再構築を協議していたコルネイユ中将らに凶報が届いた。司令室が再び凍り付き、さしものベルリオーズ大佐も目を見開いて絶句していた。
北東部で敵の攻勢を支えていた部隊はすでに限界を迎えている。第2落下傘連隊が到着しないとなった今、突破した敵が市街中心部になだれ込むのは時間の問題だ。
コルネイユ中将は完全に思考停止に陥っている。参謀たちがすがるような眼差しで見ていることにも気づいていない。
参謀の意見を上手く取り入れ、的確な指示を出すことができると、部下からも慕われているコルネイユ中将の、唯一の欠点は決断力に欠けることだった。
司令室が静まりかえる中、唐突に扉が開き、初老の軍人が入ってきた。ジョンソン中将だ。
「コルネイユ司令官、戦況はどうなっているのかね?」
「ジョンソン中将……」
本来ならば、この部屋にいなければならないはずのジョンソン中将が今まで不在だったのは、前線視察を行っていたからだとされている。
だが、司令部の参謀たちは、戦闘突入前の作戦会議で指揮権を主張するも、受け入れられなかったことに対する不満の表明であると考えていた。
そう思われるくらいに、彼は傲慢な態度を他人に示しており、今も形式上は上級者であるはずのコルネイユ中将に、部下に対するような口調で話しかけている。
ジョンソン中将はWAISの情報が表示されたディスプレイを見て眉をひそめた。
「一体何があったのだ? 北東部の敵は突破寸前だぞ」
「第2落下傘連隊が敵の奇襲攻撃を受けました。北東部の敵に当てるための部隊は、ありません」
ベルリオーズが蒼白な表情で説明する。途端に、ジョンソン中将は顔を紅潮させて怒鳴り始めた。
「何たる有様か! 当てにしていた部隊が到着しないので突破されます、だと? ふざけるな!」
参謀たちはこの場にもいなかったジョンソン中将の叱責に不快感を覚えながらも、それを口に出すことはない。
「撤退だ! 撤退したまえ! もはや戦線の維持は困難だ! 包囲される前に撤退せねば!」
「で、ですが――」
「他に何か方策があるのかね? ないだろう! この役立たずめ!」
抗弁しようとした参謀が罵倒を受け、顔を真っ赤にしながらうつむく。恥ではなく、怒りのためだ。
他の参謀たちも黙ってはいるが、今まで司令部にいなかったジョンソン中将のあまりの言い様に怒りを覚えている者は多い。
「コルネイユ中将、今回の敗戦は貴官の責任だ。ここからの指揮権は私が持つ」
「……」
「異論はあるかね?」
コルネイユ中将が黙っていることで、参謀たちも異論を唱えることはない。満足げに微笑んだジョンソン中将がコルネイユ中将に替わって司令席に着いた。
参謀たちも気を取り直して作戦会議を再開する。
「撤退とのことですが、順序を考えませんと。まずは――」
「まずは司令部だ。司令部を先に脱出させる」
参謀たちは愕然とする。ジョンソン中将は、真っ先に逃げることを公言したようなものだ。
「閣下、司令部が真っ先に逃げ出せば、兵士の信頼を失います。最後に撤退せよ、とは言いませんが、せめて一番に逃げるのだけは――」
「逃げるのではない! 撤退を円滑ならしめるためには司令部が先に脱出してから撤退の指揮を執らねばならん!」
ジョンソン中将の論は正しくもある。無秩序な撤退を行えば、損害は凄まじいものとなる。
だが、司令部が真っ先に脱出するというのは、前線で戦う将兵にしてみれば、司令部が自分たちを置き去りにしたと思ってしまうだろう。
ジョンソン中将は参謀たちの進言に取り合うことなく、頑なに自説を主張し続ける。結果、参謀たちが折れ、司令部の脱出が決まる。
これでようやく撤退案の話し合いに移れるとため息をついた参謀たちだったが、ジョンソン中将はさらに参謀たちを凍り付かせるような案を出した。
「今回の敗戦、その責任は君たちラピス国防軍にある。撤退はPATO軍から行う」
この発言には参謀たちも強く抗議した。指揮権が得られなかったことに不満を持ち、司令室にいなかった男が何を言うのか、という思いもあっただろう。
さすがのジョンソン中将も参謀たちの猛反発の前に自案を押し通すことはできず、折衷案として地上部隊はPATO軍を先に撤退させ、その代わりにPATO空軍部隊を撤退支援のために最後まで残す、という案を出した。
参謀たちはここでさらに反発して撤退が遅れるのを恐れ、これを了承。撤退作戦が各級部隊に通知された。
オペレータが前線部隊の指揮官から間接的に、あるいは直接的に司令部が真っ先に撤退する事への文句を受ける中、司令部の脱出準備が始まった。
ジョンソン中将は、パトリエール総統に撤退を伝える、として早々に司令室から立ち去っており、撤退準備の指揮を執っているのは、ジョンソン中将から委任されたベルリオーズ大佐だ。
持ち出す書類と処分する書類とを分けているところへ、コルネイユ中将がやって来た。彼は指揮権を移譲しているために、司令部での役職を失っているのだが、前司令官として撤退準備を手伝っていた。
「大佐。君には迷惑をかけてしまったな」
「閣下、迷惑などと……。むしろ閣下の補佐役として実力が不足していたこと、誠に申し訳なく思っております」
コルネイユ中将の疲れた表情は、戦闘開始前から比べて、めっきり老け込んだように感じさせた。
「私はここに残って最後の守備隊と行動を共にするつもりだ」
「な――」
ベルリオーズ大佐は思わず絶句してしまう。
「この市街地に極力被害を与えないためにも、最後に残った部隊は降伏せねばならん。せめて敗戦の将として最後の責任を取りたいのだ」
そう言うとコルネイユ中将はベルリオーズ大佐の手をがっしりと握った。
「こんなことを言う資格もないのだが、後を頼む」
「……了解しました」
コルネイユ中将は頷くと、撤退準備へと戻っていった。これが、ベルリオーズ大佐が生前のコルネイユ中将と交わした最後の会話であった。
二時間後の午後3時58分、ヴェルサイユ広域防衛司令部はその役割を終え、撤退作戦本部へと看板を掛け替えてラピス北東部の街ルーアンへと脱出した。
ジョンソン中将は一足早くパトリエール総統ら政府高官と共に大統領専用機でルーアンへと飛び立っており、司令部要員のさらなる反感を買っている。
司令部の脱出と同時にPATO軍部隊の脱出が始まった。
ラピス国防軍部隊が殿軍を務める一方、撤退を拒んだ一部の将兵は、コルネイユ中将と共にヴェルサイユ市に残り、レウスカ人民軍との停戦交渉を始めている。
そして、ヴェルサイユ市街から脱出したPATO軍部隊はレウスカ人民軍の追撃を受け始め、これを上空から支援することとなったのが、第231飛行隊アイギスを始めとするPATO空軍であった。
夕暮れに染まる大地を敗残兵の群れが疾走する。古来より撤退戦は多くの被害を出す戦いであり、現代戦においては特に航空機による地上攻撃が甚大な被害をもたらす。
それを防ぐのが殿軍となったPATO空軍の任務であり、不幸にもPATOに派遣されていたアイギス隊の任務だ。
彼らはレウスカ人民軍の戦車部隊が迫るヴェルサイユ国際空港を飛び立った後、三手に分かれて撤退を続けているラピス軍の内、高速道路A2号線を撤退する部隊の上空を飛んでいる。
今のところ敵の襲撃はない。だが、ヴェルサイユ国際空港を占領したレウスカ人民軍が追撃部隊を繰り出すのは時間の問題だ。
PATO空軍はこの撤退作戦に早期警戒管制機を投入し、可能な限りの迎撃態勢を取っていた。
『こちら、ルナール6。レーダーに異常ありません。アイギス1、そちらはどうですか?』
『問題ない。周囲に敵の姿はないぞ』
AWACSがレーダーを確認し、現場を飛ぶパイロットが肉眼でレーダーに映らない敵を探す。新型機の登場によってPATO空軍が取り始めた警戒態勢だ。
しばらくの間、何事もなく撤退が続く。ジグムントが私語を始め、ルドヴィク中佐に怒鳴られた直後、再びルナール6からの通信が入った。
『ヴェルサイユ国際空港から、敵の大規模編隊が出撃しました。戦闘準備をお願いします』
『遂に来たか』
編隊飛行をしていたアイギス隊が散開する。攻撃機の接近を監視するためだ。
五分ほどで、レーダーに反応が出る。三十機ほどの編隊であり、攻撃機とその護衛機だろうと推測された。
『ルナール6よりアイギス1。全兵装使用許可』
『了解。アイギス各機、レッツ・ロール!』
ルドヴィク中佐の通信と共に、アイギス隊が一斉に反転する。
レオンハルトもカエデと共に敵編隊へと機体を加速させた。二人は、低空から敵編隊へと向かう。
ルックダウン能力のないBol-31に対する有効な戦術だ。
対するレウスカ空軍機も、無抵抗ではない。レオンハルトに接近された敵は、同じく低空へと降りてきた。そのまま低高度でミサイルを撃ち合う。
警報音が鳴り響く中、レオンハルトは上昇。正面から飛んできたミサイルが後ろから追尾する。
1000フィートばかり上昇した後、誘導妨害装置を起動し、機体を斜めに傾けて急降下する。ミサイルはこの動きについて行けずにそのまま逸れていく。
レオンハルトは機体の向きを変え、低空でミサイル回避をしていた敵機に上空から襲いかかった。
敵機を正面に捉え、トリガーを引く。数百発の機銃弾がBol-31の主翼をもぎ取り、コントロール不能となって地表に激突した。
「アイギス5、スプラッシュ1」
『グッドキル、グッドキル』
操縦桿を引き、機体を水平に戻す。カエデもヘッドオンで敵を撃墜し、レオンハルトに合流した。
『その調子で頼むぞ。アイギス5』
三機の敵を相手に奮戦するルドヴィク中佐はそれでも涼しげだった。僚機となっているアイギス4は、敵の猛攻の前に逃げるのが精一杯のようだ。
『アイギス4、大丈夫か?』
『少しきついぜ……!』
回避機動によって強烈なGを受け、苦しそうな声で応じるアイギス4。
ルドヴィク中佐はしょうがねぇな、と言って自分を取り囲んでいた敵機を振り切ろうと加速した。
とっさに食らいついてくる敵に対して、急減速をかけオーバーシュートさせようとするが、別の敵機の牽制攻撃によって主翼の先端を撃ち抜かれる。
『ちっ。しくじったか。――ああ、心配はないぞ、編隊各機』
機体を再び加速させながら、余裕たっぷりな声で無事をアピールする。機体は少しばかりバランスを損ねているようだったが、傍目には通常の戦闘機動を続けている。
命中弾を与えた敵に対して、お返しとばかりにミサイルを発射する。
敵機は回避しようと急降下したが、ミサイルはその向こう側にいた敵の僚機に向かっていた。
慌ててフレアを射出するも、時すでに遅く、ミサイルは機体の横面に直撃して爆発する。
『ナイスキル、アイギス1』
『まだまだだがな』
ルナール6の通信に軽口で答える。普段ならば、めったにないことだ。レオンハルトは、ルドヴィク中佐がいつも以上に余裕を見せていることに気がついた。
ルドヴィク中佐なりに今回の戦闘に対する危機感があるのだろう。だからこそ、隊の士気を維持するべく、いかにも余裕があるように印象づけている。
パイロットとしてはともかく、指揮官としてはルドヴィク中佐に遙かに劣るだろう。
レオンハルトがそんなことを考えていると、ルドヴィク中佐はさらに獅子奮迅の活躍を見せ始めた。
ミサイルを回避するために急降下した敵に対して、スプリットSで後ろを取りに行き、上昇しようとした敵機を機銃で仕留める。
その直後、いつの間にか後ろにいた敵機を急加速からの急減速でオーバーシュートさせ、これまた機銃掃射で主翼と尾翼をもぎ取った。
きりもみしながら墜ちていく敵を見届けることなく、アイギス4の援護に向かう。
二機の敵に追われているアイギス4に下から合流するような軌道を飛ぶ。
接近をレーダーで感知したのか敵の一方が減速したところを、待っていましたとばかりに、ルドヴィク中佐は機首を上に向けた。
敵機が正面に来る瞬間、トリガーを引く。敵機が抱えていたミサイルに命中し、爆散した。
『今だ! アイギス4、やれ!』
アイギス4が急旋回する。
僚機が墜とされたことに気が逸れていたのか、敵機はその機動についていくことができず、アイギス4が敵機の後ろを取った。同時に、アイギス4の機関砲が火を噴く。
機銃弾は敵機のエンジンに突き刺さり、爆発を起こした。推力を失った敵機が墜落していく。
『サンキュー、隊長』
『油断するな。まだまだ敵は多い』
ルドヴィク中佐の言葉通り、敵は未だ二十機以上を数えている。おまけに攻撃機も護衛機に守られながら地上部隊への攻撃の機会をうかがっていた。
『攻撃機が!』
『ん? おい、待て、アイギス16!』
攻撃機部隊が低空飛行で地上部隊へと接近する。それを見たアイギス16が攻撃機部隊を止めようと機首を下げた。
『アイギス16! ブレイク!』
僚機のアイギス14が叫ぶ。攻撃機に気を取られたアイギス16は、敵の護衛機に後ろを取られていた。
アイギス14の警告と同時にブレイクしようとしたが、すでに遅かった。
『な――』
ミサイルが直撃し、爆発する。脱出する時間はなかった。
『アイギス16、ロスト』
『……気を引き締めろ。油断は身を滅ぼす』
開戦前、十六人いたアイギス隊のパイロットはこれで十人に減ったこととなる。部下を大事にしていたルドヴィク中佐としては、やりきれない気持ちで一杯だろう。
だが、ここは戦場だ。感傷に浸っている暇はない。
先ほどにもまして、ルドヴィク中佐は奮戦する。感傷を振り切るような必死さだった。レオンハルトはその姿に危機感を覚えた。
「アイギス1、まだ先は長い。落ち着いていきましょう」
猛攻撃で立て続けに四機を撃墜したルドヴィク中佐に対して、落ち着くよう語りかける。
だが、ルドヴィク中佐はそれに答えることはなかった。
『アイギス5……』
「分かっている。だが――」
『敵の増援を確認! ファントムだ!』
レオンハルトとカエデの会話を遮った通信は、アイギス隊に少なからぬ動揺を与えた。
敵の攻撃機は、ルドヴィク中佐の奮闘と地上部隊の濃密な対空砲火によって攻撃を諦め、すでに撤退を始めている。
護衛機も数を減らし、ようやく一息つけるだろうかと思ったところへの、仇敵だ。
ルドヴィク中佐が、増援にやって来た二機のファントムへと機首を向ける。ルドヴィク中佐らしからぬ、慎重さに欠けた行動だ。レオンハルトは焦燥感を強める。
『全機、俺に続け。あいつらをここで墜とすぞ!』
レオンハルトが止める間もなく、ルドヴィク中佐は敵へと突入していく。その瞬間、アイギス隊を機銃弾の嵐が襲った。
『な、何だ!』
『主翼をやられた! コントロール不能!』
突然の攻撃によって、アイギス隊の三機が立て続けに撃墜される。幸いというべきか、パイロットの三人は緊急脱出している。
「中佐、上だ!」
レオンハルトが思わず叫ぶ。上空からは、アイギス隊に向かって二機のファントムが急降下していた。
二機のファントムはアイギス隊を上から下へ通り抜ける。通過の瞬間に放たれたミサイルは、レオンハルトの目の前を飛んでいたアイギス11の機体を打ち砕いた。
『罠だったのか!』
『アイギス5、回避を!』
「分かっている……!」
レオンハルトのコックピットにもミサイル警報音が鳴り響いていた。
チャフとフレアを撒き散らしながら、寸前でミサイルを回避する。
レオンハルトの後ろに続いていたカエデやジグムント、イオニアスも無理矢理なブレイクでミサイルを回避した。
「百合のマーク! 奴らか!」
回避しながら敵機を視認する。開戦以来、レオンハルトとは何かと因縁のある敵機だ。
機体を水平飛行に戻せないまま、敵の攻撃は続く。
ブレイクで減速したレオンハルトの機体に複数の機銃弾が穴を開けた。
「くっ……」
『大尉!』
思わずカエデがレオンハルトを階級で呼んでしまう。レオンハルトの機体は、飛行こそ可能だが、戦闘機動がためらわれるくらいの損傷を負っていた。
それでも、レオンハルトは機体になるべく負荷をかけないように敵の攻撃を回避するという高度な芸当を見せる。
「私は大丈夫だ。それよりもアイギス1が心配だ……っと!」
一方、ルドヴィク中佐はアイギス隊の注目を引きつける役目を担っていた二機のファントムとのドッグファイトに突入していた。
機体性能はこれまでの戦闘からほぼ互角だと考えられている。一対二である上に、ルドヴィク中佐の機体は先ほど主翼の先端を損傷している。
非常に不利な状況であったが、レオンハルトは回避に手一杯であり、他の三人もファントムに翻弄されている。援護は無理だった。
『隊長!』
『騒ぐな。俺なら大丈夫だ』
ルドヴィク中佐はそう言うと、機銃弾の嵐を回避しながらも攻撃を続ける。急旋回を繰り返し、巧みに敵の偏差射撃を逸らしていく。
それはもはや芸術的と言っても良いほどの見事な動きだった。
早期警戒管制機からのデータリンクもあまり意味をなさない中、ルナール6からの通信が入った。
『ルナール6よりアイギス! あと少しだけ耐えてください! ルーアンの空軍基地から救援機が発進しました!』
実はこの時、三手に分かれていた殿軍はそれぞれファントム編隊の攻撃を受けており、ラピス特別展開部隊の空軍作戦本部は混乱状態にあった。
この状況を見て、ラピス国防空軍の一部の戦闘機部隊が殿軍支援のための出撃を上層部に直訴し、これを認められている。ルナール6が言った救援機とはこのことだ。
救援機が到着すれば、状況次第では敵が撤退するだろう。そこまで耐えられるかどうかは分からなかったが。
「救援か。そこまで耐えられれば良いのだが」
『不吉なこと言うんじゃねぇよ!』
いつものようにジグムントが叫ぶ。ルドヴィク中佐を除く四人は、戦況的にはともかく精神的には余裕を維持していた。
だが、ルドヴィク中佐は増援の報にも、了解、と応じただけで特にコメントすることがなかった。ルドヴィク中佐は、精神的な余裕を失いつつある。
レオンハルトはさらに危機感を募らせた。
『くっ……!』
『当たらない……どうして!』
「耐えろ! 無理な攻撃はしなくて良い!」
五分ほど、ひたすら耐える一方の戦闘が続く。何度も至近距離を機銃弾が通り抜けていき、未だ自分が飛んでいるのが不思議なほどの攻撃に曝され続けている。
『くそっ! もう限界だぞ!』
ジグムントが叫ぶ。他の面々も、度重なる無理な機動で体が締め付けられ、意識を失いそうになっている。
もう、駄目か。レオンハルトがそう思ったその時、レーダーに味方の反応が映った。
『味方だ!』
ジグムントが歓喜の声を上げる。レオンハルトもようやく一段落か、とため息をついた。
救援機の到着で気が緩んだのだろう。あるいは、ここまでの戦いで蓄積された緊張の糸が切れてしまったのかも知れない。
ルドヴィク中佐とドッグファイトを繰り広げていた敵機の放ったミサイルが、ルドヴィク中佐の至近を飛ぶアイギス4の機体に命中した。
アイギス4は脱出する間もなく機体が爆散して戦死。そしてその破片がルドヴィク中佐の機体を切り裂いた。
『くそっ!』
ルドヴィク中佐の機体は、明らかに飛行を維持できないレベルの損傷を負っていた。レオンハルトは機銃掃射で敵を追い払うと、即座に通信を入れる。
「アイギス1、脱出を」
『――電気系統をやられた。座席が飛ばん』
ルドヴィク中佐の言葉に空気が凍り付く。敵編隊は増援の接近を探知したのか、すでに帰投し始めていた。
『それは――』
『レオ、遺言だ。至らん隊長だったが良く支えてくれた。後を頼むぜ』
「ルドヴィク!」
レオンハルトは思わず名前を叫ぶ。通信機の向こうのルドヴィク中佐が笑った気配がした。
『カエデ、ジグムント、イオニアス。お前らもレオを頼むぞ。こいつは肝心なところで抜けてやがるからな』
『隊長!』
通信が途絶えた。機体は炎と煙に包まれながら、ゆっくりと降下していく。そのまま地表に激突し、爆発した。
『……アイギス1、ロスト』
反応の消失によって、ルナール6も状況を把握する。彼女の声は震えていた。
誰も何も言えない状況の中、救援機から通信が入る。
『こちら、シュレンヌ1。今、墜落した機体のパイロットは脱出したのか?』
「……いや、脱出は、していない」
『そうか……。間に合わなくてすまなかった』
「いや、良いんだ。救援、感謝する」
救援機が編隊に加わり、ルーアンを目指す。以降は、ラピス空軍機が殿軍に加わったためか、レウスカ空軍による追撃はなかった。
こうして、第二次世界大戦以降で最大の死傷者をPATO軍にもたらした第一次ヴェルサイユ市街戦は終結した。




