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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
13/42

第十話 第一次ヴェルサイユ市街戦(中編)

『アイギス1より各機。準備は良いな?』


 機器の最終チェックをしていたレオンハルトの耳に、ルドヴィク中佐の声が聞こえてきた。相も変わらず、不機嫌そうな声だ。


 レウスカ人民軍によるヴェルサイユ攻撃が開始されてから四時間が経過し、その攻勢は次第に激しくなりつつある。

 空の戦いも同様で、レウスカ空軍は圧倒的とも言える数の攻撃機をティエール線に投入し、地上軍の侵攻作戦を援護していた。


 レオンハルトたちアイギス隊に与えられた任務はバスティーユ門上空での攻撃機及び護衛機の排除だ。

 バスティーユ門付近はレウスカ地上軍の攻勢正面であり、双方の戦力が集中する最大の激戦区であることから、自然と空軍も手練れが投入されている。


 手練れには手練れを。ラピス戦線における最多撃墜数を誇るアイギス隊がこの戦域を任されたのは、ある意味で当然だったと言えるだろう。


『アイギス5、滑走路への進入を許可。C誘導路を通って、18R滑走路へ』

「了解」


 本来であれば、多数の乗客を乗せた旅客機が行き来するはずの誘導路を通り、指示された滑走路へと向かう。

 カエデを引き連れて滑走路に入ると、ちょうどルドヴィク中佐とその僚機が離陸したところだった。


『アイギス5、クリアード・フォー・テイクオフ』


 管制塔から離陸許可が出た。機器のチェックは万全。後はスロットルを開けて、大空へと舞い上がるだけだ。


「アイギス5、発進する」


 必要はないのだが何となく癖になっている発進宣言をした後、レオンハルトの乗るF-18J(イーグル)が滑り出した。カエデがそれに続く。


『アイギス5、以降は環太平洋条約機構(PATO)軍の管制に従え。グッドラック』

「アイギス5よりヴェルサイユ・グラウンド。了解した」


 たった今交信を終えた管制官は、多くの同僚が逃げる中で最後まで残ったヴェルサイユ国際空港の管制官だ。

 彼のような民間人を守ることこそ、軍人の務め。レオンハルトはそう胸に刻んで、PATO管制官との通信を繋いだ。


『こちら、ルナール6。アイギス5、応答を』

「アイギス5よりルナール6。感度良好。今日もよろしく頼む」


 レオンハルトを担当するのは、いつものハスキーボイスの彼女だ。短い付き合いだが、そうは思えないほど彼女と共に任務をこなしている。


『こちら、ルナール1。アイギス・スコードロン全機の離陸を確認した。早速だが、バスティーユ門は危機的状況だ。至急、敵航空部隊の排除に向かってくれ』

『アイギス1、了解。お前ら、聞いたな? ついて来い!』


 離陸したアイギス隊の各機が、ルドヴィク中佐に続いて南西の方へと機首を向ける。行く手にはもうもうと黒い煙が立ちこめていた。


 ヴェルサイユ国際空港は市街地からはやや離れたところに位置しているが、それでも戦闘機で飛べば一息だ。北東の端から南西のバスティーユ門まで、三分とかからずに到着する。


『ルナール6よりアイギス・スコードロン。全兵装使用許可(ウェポンズフリー)

『了解。全機、聞いたな? レッツ・ロール!』


 ルドヴィク中佐の声を合図に、アイギス隊が二機ずつの二機編隊(エレメント)に分かれ、方々へと散開する。

 レオンハルトもいつも通りにカエデを引き連れ、砲火飛び交う戦場へと突入していった。


『撃て! 敵を近づけるな!』

『退避、退避ーっ!』


 地上の通信が混信するが、内容は(かんば)しいものではない。


 高度を低くして、地上の通信を拾おうとしていると、味方の対空砲火が至近距離を掠めた。


「おっと危ない」


 焦らずに高度を上げるレオンハルト。

 と、早期警戒管制機(AWACS)からの通信が入る。


『ルナール1よりアイギス5。高度を下げすぎないように。味方の対空砲火に巻き込まれるぞ』

誤射防止装置(AFPD)はどうした?」


 AFPDは戦域情報システム(WAIS)敵味方識別装置(IFF)とリンクすることで、射線上に味方がいる、あるいは入ることが予測される場合、自動的に射撃を停止させる安全機構だ。

 ラピスの国防関連企業が開発したということもあって、ラピス国防軍におけるAFPDの装備率は極めて高いはずだった。


『何せ、ティエール線は急造の対空陣地だからな。AFPDの配備が追いついていないんだ』

「まあ良いさ。要は、対空砲の射程に入る前に、敵を墜とせば良いんだろう?」

『そういうことだ。すまんがよろしく頼む』


 ニヤリと笑い、揶揄するような口調でジョークを言ったつもりのレオンハルトだったが、管制隊の隊長は申し訳なさそうに答え、通信を切ってしまった。


「ふむ。分かりにくいジョークだったかな?」

『いえ……。でも、余裕がなくなっている印象はありましたね』


 困ったような声色のカエデだったが、おそらく彼女の言葉は正しい。


 ルナールのコールサインを使用するAWACSはPATO軍の所属となっているが、その搭乗員は全てラピス空軍の軍人だ。

 祖国が危機に瀕しているその最中に、ジョークに答えろ、という方が酷な話だろう。


「っと、お客さんだな」


 レオンハルトの視界にWAISからの警報がポップアップした。敵編隊が前方から接近しているようだ。


『1時の方向、敵機視認しました。数は四』


 カエデからの通信に、1時方向を見る。目をこらすと拡張角膜(AC)が対象を拡大し、敵編隊の姿を映し出した。若干ぼやけてはいるが、この機影はBol-31(フォックス)だろう。


「正面から仕掛けるぞ」

『了解』


 機首をわずかに傾け、敵と正面から刺し違えるコースを飛ぶ二人。レオンハルトはどんどん機体を加速させていき、カエデもこれに続いた。


『レーダー照射を受けています。アイギス5、注意を』

「ありがとう」


 ルナール6の忠告に感謝を告げつつ、心の中でこう続ける。

 もう遅い――、と。


 中距離からミサイルを放ち、レオンハルトとカエデが左右に散開する。そして、ミサイルを回避しようとした敵機の真正面へと飛び込んだ。


撃て(ファイア)!」


 レオンハルトが合図すると、二人が同時に機銃掃射を敵編隊に浴びせる。

 左右から挟まれ、正面からはミサイルに迫られた敵編隊は、為す術もなく機銃弾の雨に突っ込んでいった。


「スプラッシュ1」

『アイギス5、アイギス6、グッドキル』


 四機全てを撃墜、とまでは行かなかったが、上手い具合に数を減らして同数に持ち込むことができた。

 同数ならば、レオンハルトたちの敵ではない。


「アイギス6、やれるな?」

『もちろんです』


 自信ありげに答えるカエデ。不敵な笑みを浮かべているのが見なくても分かる。

 開戦当初は緊張が声からも分かるほどだったカエデだが、戦闘を重ねて経験を積み、今ではすっかり歴戦の勇士だ。


 斬り込むような旋回で敵機の後ろにつけると、焦ることなくじっくりと狙いを定める。

 右へ左へ、小刻みに回避を続ける敵機を追いかけること数十秒。体感時間としては十数分ほどの緊張状態を経て、カエデの乗るF-18Jの機関砲が火を噴いた。


『ナイスキル、アイギス6』


 カエデの放った機銃弾は過たず敵機の両翼を引き裂き、翼をもがれたBol-31は黒煙を上げながらティエール線正面の平原へと墜ちていった。


「私も負けてはいられないな」


 そう呟いたレオンハルトは、目の前を飛ぶBol-31が急減速をかけたのを見て、すかさず操縦桿を思い切り引いた。

 凄まじい下方へのGが襲いかかり、耐Gスーツがレオンハルトの体を締め付ける。


「――っ! ここだ」


 遠のきそうになる意識の中、ループの終点近くで敵機の姿を視界に捉えたレオンハルトは、敵機の上方から機銃弾を叩きつけた。

 敵機は運悪くコックピットを撃ち抜かれ、火達磨になりながら墜落していく。地上に激突する前に、機体は耐えきれずに爆散した。


『アイギス5、続けて敵編隊が接近中。警戒を』

「了解。……全く、休む暇もないな」


 AWACSから送られてきた情報に従って方向転換すると、高空を飛ぶ一団と、それよりもやや低い位置を飛ぶ一団が見えた。


『攻撃機を確認した。アイギス5、ティエール線に近づけないように頼む』


 低い位置を飛ぶ編隊が攻撃機部隊だろう。その上空を飛ぶのは護衛だろうか。

 数は四機ずつ。レオンハルトとカエデだけで対処できないこともないが、ティエール線に近づけない、という条件付では少々厳しい。


「増援を二機回してくれ。護衛は私たちでやる」

『了解した。付近の部隊を向かわせる』


 通信を切った後、レオンハルトは再び真正面から向かい合う形で敵機へ接近し始めた。


「アイギス6、高度を上げるぞ。今度は上から仕掛ける」

『了解です』


 二機のF-18Jは高度を上げ、敵編隊へ接近する。幸運なことに、敵は未だこちらに気づいていないようだった。


「ダイブしろ!」


 敵機の姿がコックピットから見えなくなった瞬間、レオンハルトの合図と共に二人は滑り落ちるように急降下し、前上方から敵機に襲いかかった。

 鋭い剣のように敵編隊の真ん中を突っ切っていったレオンハルトとカエデは、すれ違うわずかな一瞬を逃さずにそれぞれ敵機を仕留めていた。


『こちら、タランス7。援護に入る』

「増援に感謝する、タランス7。下の攻撃機を頼む。護衛はこちらが引き受ける」

『了解した。背中は預けたぜ』


 ラピス空軍のF-20C(ファルコン)が二機、レオンハルトたちの戦う空域へやって来た。AWACSの管制官が言っていた増援だ。


 タランス隊の二機は対地攻撃のために高度を下げつつあったレウスカ空軍の攻撃機に真横から叩きつけるように攻撃を仕掛け、瞬く間に一機を火達磨にした。

 あの様子ならば、こちらに関しては問題ないだろう。


「となれば、残るはこいつらだな」


 突入から上方ループで切り返し、残る敵機を追尾していたレオンハルトたち。

 前を逃げる敵機はそれなりに手強く、なかなか的を絞らせない敵であった。


「なかなかやるな。だが――」


――私の敵ではない。

 そう心の中で呟いた直後、トップスピードでジグザグに逃げ回っていた敵機が急減速をかけた。

 レオンハルトのオーバーシュートを狙ったのだろう。


「甘い!」


 だが、それを予測するかのようにほぼ同じタイミングで減速したレオンハルトは、ブレーキで動きの止まった敵機をガンサイトの中央に収めた。

 直後、Bol-31は火を噴いて砕け散った。機銃弾をエンジン部にまともに受けたのだ。パイロットは何が起こったのかも分からないまま戦死しただろう。


『スプラッシュ1!』


 ほぼ同じタイミングで、カエデも敵機を撃墜したようだ。これでひとまず、接近していた脅威は排除することができた。


「タランス7、援護はいるか?」

『大丈夫だ。君たちが護衛機を片付けてくれたおかげで、楽な仕事になったよ』


 護衛を失い、逃げ回るだけの攻撃機を追撃するF-20Cを見ながら、レオンハルトは小さくため息をついた。


「さて、これで少しは敵の攻勢が弱まるだろう」


 空軍は順調に敵の航空支援を排除している。そんな自負から出たレオンハルトの言葉だったが、事態は彼の予想を裏切る形で進みつつあった。







 ヴェルサイユ広域防衛司令部は大混乱の渦中にあった。第1師団の司令部が壊滅したことによって、その隷下(れいか)にあった各部隊が半ば遊兵と化してしまったからだ。


 隷下の部隊はWAISを元にして独自に戦闘を継続し、戦闘開始からおよそ八時間が経過した今もなお、奇跡的とも言える健闘を続けている。

 だが、徐々に通信が途絶する部隊が出始めており、ティエール線はじわじわと破られつつあった。


「駄目です。第403戦車連隊との通信、繋がりません」

「WAIS上でも確認できませんでした。おそらく、敵の空爆によって全滅したのではないかと」


 相次ぐ凶報に、コルネイユ中将や参謀たちが顔をしかめる。唯一、ベルリオーズ大佐だけが不審そうな表情で報告を聞いていた。


「一体どうなっているんだ……。敵はまるで、こちらの手の内を知っているようではないか」


 コルネイユ中将のぼやくような言葉に、ベルリオーズ大佐がハッと顔を上げた。


「実際に敵はこちらの手の内を知っているではないでしょうか」

「どういうことだね? ……まさか司令部にモグラが?」


 コルネイユ中将が驚いたような表情をして、小声で問いかける。ベルリオーズ大佐が頷いた。


「はい。もしくは第1師団の上層部にいたのかも知れません。今のところ、激しい被害を受けているのは第1師団だけですから」

「厄介だぞ。今は戦闘中だ。モグラ探しをしている暇はない」


 その通りだ。それに、同じ司令部の要員をスパイではないか、と疑い、調査することは非常に困難だろう。


「私が調査をします。間に合うかどうかは分かりませんが、やらないよりはマシでしょう」

「そうだな。では大佐、よろしく頼む」


 しかし、ベルリオーズ大佐が調査に着手することはなかった。

 コルネイユ中将が調査に同意した直後、スクリーンに表示されていた戦況図が劇的な変化を遂げたのである。


「ポイント・オベルカンフ、バタ行進連隊の反応が消失しました!」

「第5師団司令部、通信途絶!」

「シャルトル区、突破されました! 第2アトラント猟兵連隊、壊滅!」


 堰を切ったように凶報が入り、戦況図が赤く染まる。ティエール線を守っていた部隊の内、四分の一に相当する部隊が、一瞬で壊滅したのである。


「何事だ!」

「分かりません!」


 信じられない、という表情で叫んだ参謀に対して、オペレータが悲鳴のような答えを返す。


「呼び出し続けろ! 第5師団の司令部は至急だ!」

「第1に続き、第5までやられたのか?」

「馬鹿な、あまりにも敵に都合が良すぎる」


 参謀たちは蒼白な表情で囁き合う。コルネイユ中将に至っては、事態を飲み込むことができずに固まっていた。


「べ、ベルリオーズ大佐、どうすれば良い?」

「……仕方がありません。予備部隊を投入しましょう」


 本来であれば、敵の迂回攻撃などに対処するために市街中心部や北東部、南東部に展開していたラピス特別展開部隊(LSDF)の三個旅団を南西部に回す。

 これによって戦線に空いた穴を埋める、というのが、ベルリオーズ大佐が具申した苦肉の策であった。


「分かった。……第4/3歩兵旅団のハフマン准将に繋いでくれ」


 ハフマン准将はLSDFとしてラピスに派遣されたオーヴィアス陸軍の旅団長だ。


「通信、繋がりました! そちらに回します!」


 オペレータの言葉と同時に、仮想ディスプレイに壮年の男性の姿が映る。ハフマン准将だ。


「ハフマン准将、広域防衛司令部のコルネイユだ。お願いしたいことがある」

『何なりとご命令を、閣下』


 カーキ色の戦闘服に身を包んだハフマン准将が敬礼しながら答える。


「ティエール線まで進出し、戦線を支えて欲しいのだ」

『はっ。了解しました。配置について、何か指示はございますか?』


 コルネイユ中将がベルリオーズ大佐の方を向き、頷く。

 と、ベルリオーズ大佐が通信を代わった。


「参謀長のベルリオーズです。第4/3旅団にはバスティーユ門付近に進出し、敵の攻勢を防いでいただきたいと考えております」

『ふむ。敵の攻勢正面だな。援護は?』

「航空支援を最優先で回すよう、すでに空軍へ要請済みです」


 これは嘘ではない。ハフマン准将に連絡する、とコルネイユ中将が言った時点で、ベルリオーズ大佐は空軍に打診をしていたのだ。


『了解した。これより行動に移る。……中将閣下、どうぞお任せください』

「頼んだ」


 笑みを浮かべたハフマン准将との通信が切れ、コルネイユ中将が小さくため息をつく。


「これで前線が安定すれば良いのだが」

「大丈夫でしょう。それでは、調査の方に――」

「――バルベス広場? 待ってください、一体どういうことです?」


 ベルリオーズ大佐の言葉を遮るかのように、近くにいたオペレータが困惑した声で通信相手に聞き直していた。

 気になったベルリオーズ大佐がそのオペレータの下へ近づく。


「どうした?」

「いえ。至急、司令官に繋げろ、と」


 オペレータがそう言った次の瞬間、スクリーンに表示されていたWAISの情報が更新され、市街地北東部のバルベス広場に突如として敵部隊が出現した。

 バルベス広場に展開しているのは砲兵連隊とその護衛であり、出現した敵部隊の規模と比べると、あまりにも頼りない戦力だ。


 戦況図を見ていた司令部要員が揃って動揺し、司令室がざわめく。オペレータは慌てて通信をコルネイユ中将に繋げようとした。


『敵は空挺部隊! 小規模ながら強力な火力を保持! 至急支援を!』


 オペレータが接続先を間違え、司令部全体に通信が響き渡る。参謀たちの表情は蒼白となり、コルネイユ中将も愕然としている。司令室は静寂に包まれた。







 ヴェルサイユ広域防衛司令部が事態の急変に直面する少し前。ヴェルサイユの防空網に十機の輸送機が侵入した。

 だが、PATO軍のレーダーには何も映っておらず、付近を飛んでいたラピス空軍機も侵入した輸送機を視認することはなかった。


 それもそのはず、四機の輸送機は低空で防空網に接近し、レーダーの探知を免れた後、光学迷彩装置を起動させてから空域に侵入していたのである。


 光学迷彩自体は、東側諸国で開発された技術であるものの、実用化にはほど遠い段階だ。

 それを統一連邦は国内だけでなく、西側諸国から研究者をかき集めることで実用化にこぎ着けていた。


 四機の輸送機は、見咎められることなくティエール線を越え、ヴェルサイユ市街地上空を飛んでいる。

 輸送機の中では、統一連邦空挺軍の特殊部隊(スペツナズ)、第180独立特殊任務支隊が出撃の時を待っていた。


 ヴェルサイユ中心部を通過した頃、機内に通信が入る。


『スペツナズ諸君、レウスカ義勇軍団司令官のサプチャークだ。聞こえているかね?』


 溌剌とした男の声が聞こえてくる。


『今回の任務、単体では小さなものでも、我が祖国の情勢に繋がる極めて重要な任務である。かかる任務に諸君を動員したのは、諸君の実力を信頼してのことだ』


 誰一人として喋ることなく、サプチャーク中将の言葉を聞いている。ゆっくりと輸送機が高度を下げ始めた。


『諸君の活躍に期待している。ソヴィエト万歳(ウラー)

万歳(ウラー)!」


 機内の兵士たちが万歳を叫ぶと、輸送機のハッチが開いた。次々に兵士たちがハッチから飛び降りていく。

 ヴェルサイユ北東部に到達した十機の輸送機は、六百人ほどの空挺兵と十数両の空挺戦車や高機動装甲車を降下させると、再び光学迷彩を起動して西の空へと帰っていった。


 幸いなことに、今日のヴェルサイユはほぼ無風であり、空挺部隊はそれほどバラバラになることなく、降下を終える。


「中佐、集結完了しました」


 通信機や地形図が車内に置かれた高機動装甲車に兵士の一人が近づいて報告すると、深紅のベレー帽をかぶった男性――支隊長のデメンチェフ中佐が頷いた。


「よろしい。行動を開始せよ。まずはこのバルベス広場を確保する」

「了解しました!」


 デメンチェフ中佐が指示すると同時に、集結した空挺部隊が再び小部隊に分かれて散開する。

 PATO側も敵の出現に気づき、応戦を始める。だが、戦線後方であるためか、その反撃は今ひとつ勢いに欠けるものであった。


「大したことはないな。手短に片付けるぞ」

「はっ」


 スペツナズの隊員たちは、極めて迅速にバルベス広場を制圧しつつある。

 元々この辺りに展開していたのが砲兵連隊ということもあって、スペツナズは目立った被害を受けることなく敵の排除を進めているのだ。


『こちら、アルファ中隊。広場周辺の敵歩兵部隊の掃討、完了しました』

「よくやった。引き続き、警戒せよ」

『了解』


 展開して十分と経たず、スペツナズはバルベス広場の確保に成功した。

 周辺には未だ残っている自走砲やその護衛がいるようだが、大した脅威ではない。


「ずいぶんと張り合いのない相手だ。そう思わないかね、少尉?」

「はっ。ですが、中将閣下直々のご命令ですので」


 生真面目そうな若い部下が答えると、デメンチェフ中佐は芝居がかったように肩をすくめた。


「まあ、そうなんだがな。……あまり、上のゴタゴタには巻き込んで欲しくないものだ」


 レウスカ義勇軍団が文字通りの義勇軍(・・・)でないことは、一般の兵士でも分かっていることだ。

 極めて政治的な理由によって戦わされる方の身にもなって欲しいものだ、とデメンチェフ中佐は考えていた。


「隊長、ご指示を」

「敵の増援が来る前に、ある程度の拠点を作るぞ。後は空軍の仕事だ」


 6月28日午後1時16分。ラピス軍の奮闘によって維持されていた均衡は、遂に破られた。







 思わぬところから出現した敵部隊に硬直した広域防衛司令部の中で、いち早く動き出したのは、やはり参謀長のベルリオーズ大佐だった。


「敵が現れた原因は後回しだ! 動かせる部隊を探せ!」


 硬直していた参謀たちが弾かれたように動き出す。すぐに第2落下傘連隊の名前が挙がった。


 第2落下傘連隊は、海外派遣されている第9落下傘師団の下級部隊であり、緊急時に対応するため国内に残存している部隊だ。

 ヴェルサイユでの市街戦においては、投入するべき戦場がないことからラピス北東部のシュイップ基地に退避していた。


 コルネイユ中将も表情を改め、参謀と協議する。その直前、コルネイユ中将は目線でベルリオーズ大佐に謝意を告げた。


「第2落下傘連隊で対処できるか?」

「正直な話、分かりません。ですが、第2落下傘連隊以外に対処できる部隊がありません」


 第2落下傘連隊は間違いなく精鋭だ。しかし、バルベス広場に出現した敵も精鋭だろう。

 でなければ、敵中深くに潜り込むような作戦を任せられるはずがない。


 とは言え、他に手がないのも事実だ。

 コルネイユ中将はしばし思案するように目を閉じた後、ゆっくり頷くとこう言った。


「分かった。第2落下傘連隊を出そう。空軍に支援を要請しろ」

「はっ」


 参謀が通信機に飛びつき、第2落下傘連隊や空軍に現状を説明する。コルネイユ中将がその様子を眺めていると、ベルリオーズ大佐が歩み寄ってきた。


「閣下」

「ベルリオーズ君、よくやってくれた」

「いえ。それよりも、後方に回り込まれたことで前線部隊が動揺しています」


 確かに、前線からは突如として出現した敵の情報を求める通信が殺到している。放置しておくことはできない。


「どうするべきだと思う」

「前線を下げましょう。ティエール線も各所で分断されつつあります」


 WAIS上ではティエール線を突破した敵が、ティエール線を維持する部隊の後方に回りつつあった。

 予備として北東部や南東部に展開していたLSDFの三個旅団が前進し、この動きを防いでいるが、レウスカ軍の攻撃は圧倒的だ。


 やけに精度の高い空爆の被害も大きく、ティエール線の突破は時間の問題と言えるだろう。


「そうだな。……こうなっては、LSDFの予備を前線に動かしたのは失策だったかな」

「申し訳ありません、閣下」

「ああ、すまん。責めている訳ではないのだ。最終的に決断したのは私だしな。ただ、敵も間が悪い、と思ったのだ」


 間が悪い。予備部隊投入の決断が裏目に出た、と考えれば確かにそうだろう。

 だが、本当にそれだけだろうか?


 レウスカ軍の攻撃は、こちらの隙や弱点をあまりにも的確に突き過ぎている。

 今回のこれも、予備部隊を前線に出したことが敵に筒抜けだったのではないか、という疑問がベルリオーズ大佐の脳裏から離れない。


「とにかく大佐の進言通り、前線を下げようと思う。ヴェルサイユ城壁までで大丈夫だな?」

「はい。よろしいかと」

「うむ。……オペレータ、全軍に命令だ。ヴェルサイユ城壁まで撤退せよ!」

「はっ! ヴェルサイユ広域防衛司令部より展開中の全部隊に告ぐ――」


 ヴェルサイユ城壁はヴェルサイユ中心街を取り囲む城壁で、ヴェルサイユ伯が設置された頃に建造された歴史ある城壁だ。ティエール線を外壁とするならば、ヴェルサイユ城壁は内壁と言えるだろう。

 今では中心街と新市街を分ける境界線となっており、有事の際に軍事拠点として利用できるような改修を施された場所もある。


「閣下、全部隊が撤退を開始しました」

「うむ。空軍にも支援を要請しろ」


 撤退命令が下ると、地上部隊は空軍の支援の下、輸送ヘリや装甲車に乗って続々と中心街へと撤退を始めた。要塞線が敵に利用されないよう、要所では爆破処分が行われている。


 今後の展開としてベルリオーズ大佐が構想していたのは、要塞線攻略で少なからず消耗した敵を引きずり込み、兵站線を空軍や砲兵が叩くことによって、敵軍の士気を下げるという作戦だった。


 ティエール線ほどではないが、ヴェルサイユ城壁の軍事拠点もそれなりの防御力を誇っている。

 また、新市街南西部のあちらこちらに設けられたバリケードを利用して敵軍の進路を限定し、攻撃を容易にするという思惑もあった。


 唯一の懸念は新市街北東部のバルベス広場を制圧し、不気味な沈黙を続ける謎の敵部隊だ。

 市街中心部に攻め込むだけの戦力がないのか、中心部から供出した部隊と散発的な戦闘を繰り広げるだけで、あまり動きは見られない。

 とは言え、後背を敵に押さえられるのは好ましいことではない。前線の士気にもかかわるため、早急に排除する必要があった。


「これで何とか戦線を支えられれば良いのだが」

「空軍の働きにかかっています。彼らの健闘を祈りましょう」


 あとは第2落下傘連隊が早く到着してくれれば――。そんなベルリオーズ大佐の願いは、一本の通信によって打ち砕かれることとなる。

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