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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
12/42

第九話 第一次ヴェルサイユ市街戦(前編)

 アルバン・シェリエールは、今年の5月に22歳の誕生日を迎えた青年だ。

 ヴェルサイユ近郊の小さな町オルリーのパン屋の長男として生まれた彼は、一般的なラピス人青年と同様、高等学校を卒業した後に徴兵されて国防陸軍に入隊した。


 彼が凡百の青年たちと違っていたのは、兵士として極めて高い適性を持っていた点である。

 兵士としての才能を見込まれた彼は、当時の指導教官の勧めに従い、兵役義務期間の一年間を勤め上げた後も軍に残り、厳しい訓練の末に精鋭部隊と名高い第1狙撃連隊に配属された。

 そして、その精鋭部隊でも優れた才能を示した彼はつい先日、上級伍長へと昇進して、五人――自身を含めて六人の分隊を率いる身となっていたのである。


 宝石戦争の開戦以降、第1狙撃連隊を含む第1機甲師団は前線に出ることはなかったのだが、首都ヴェルサイユ防衛のためには一兵たりとも温存しておくことはできない。

 第1狙撃連隊はティエール線に配備されることとなり、シェリエール上級伍長の所属する第3中隊は、中でも一番の要所と言える、ティエール線と高速道路(オートルート)A12号線の交差点、通称「バスティーユ門」で敵を待ち構えることとなった。


 訓練では優れた成績を残してきたシェリエール上級伍長であったが、実戦はこれが初めてだ。

 緊張した面持ちで装備をチェックしていると、彼よりもずいぶん年上の男が肩を小突いてきた。


「わ、何です?」

「上級伍長殿、緊張が顔に出てますぜ。もうちっとリラックスせにゃ」


 ケラケラと笑う彼の名はトロシュ。階級は伍長であり、シェリエール上級伍長の部下に当たるのだが、軍歴の長さから、シェリエール上級伍長は敬意を持ってトロシュ伍長に接していた。


「す、すいません。実戦は初めてですから……」


 震える手を隠すシェリエール上級伍長に、トロシュ伍長は如何にも頼れる先任、といった様子でこう言った。


「敵もほとんど同じようなもんです。奴らは精鋭だけど、歴戦の勇士って訳じゃない。上級伍長殿と同じです」

「俺と同じ……」


 虚を突かれた表情のシェリエール上級伍長を見て、トロシュ伍長が豪快に笑った。あまりの大声に、シェリエール分隊の面々だけでなく、他の兵士たちまでもが彼らの方を見た。


「ご、伍長」

「いやぁ、すいませんな。まあ、そういうことです。上級伍長殿なら訓練通りやれば大丈夫ですよ」


 ポンポンと肩を叩き、サムズアップしながら黄ばんだ歯を見せて笑うトロシュ伍長。余裕ありげな彼の様子を見て、不安そうにしていた周囲の兵士たちも安心したように笑みを浮かべていた。


「……分隊とは言え、率いる立場の人間が不安そうな顔を見せてはいけませんぞ、上級伍長殿」


 笑みを浮かべたまま耳打ちするトロシュ伍長の言葉に、シェリエール上級伍長はハッと顔を上げた。


「す、すいま――」

「――謝らんでも良いんです。ちょっとしたお節介みたいなもんですからね」


 そう言ってトロシュ伍長は、ニッとどこか自慢げな表情で笑った。


 と、その時、十台近くの輸送用トラックが兵士たちの集まる交差点に停まった。中隊の幹部将校が駆け寄り、先頭車両の運転席から降りてきた男と会話している。

 幹部将校は男から受け取った紙にサインをすると、兵士たちがたむろしている方を振り返った。


「総員、集合! 駆け足!」


 軍人の本能とでも言うべきだろうか、今までボーッとしていた者も含めて全員が途端に駆け出し、幹部将校の前に整列した。整列し終えた時、分隊毎に一列になっているのは当然のことである。


「これより諸君に新しい装備を支給する! 各分隊長は自身の姓名と階級、並びに隊員の人数を申告して装備を受け取るように!」

「はっ!」

「装備を受け取った後は再びここに集合しろ。作戦開始前のブリーフィングを行う! 以上だ!」


 集まった兵士たちが再び解散し、分隊長だけがその場に残る。無論、シェリエール上級伍長も同様だ。

 幹部将校が指示する通り、それぞれトラックの荷台の前に並ぶ。シェリエール上級伍長は三台目のトラックの前に並ばされた。


 分隊長たちはトラックに積まれた台車を受け取り、自分の部下の下へゴロゴロと押して行っている。台車に積まれているのは、ボディアーマーのようなものだった。


「次!」

「は、はい! 第2小隊所属のアルバン・シェリエール上級伍長であります! 分隊員は自分を含めて六名です!」

「よろしい。これを持って行け。貴重な装備だから丁寧に扱うように」


 台車を押して部下の下へ戻るシェリエール上級伍長。彼が渡されたのは、つい一年前にオーヴィアス連邦で制式採用された装甲服だった。


 二年前、日本とガリア王国の共同開発によって誕生した軍用パワードスーツは、その翌年にはすでに東側諸国の一部の部隊で標準装備として採用されている。

 全身を分厚い装甲で覆い、人工筋肉の補正によって強力な力を発揮できるこのパワードスーツは、歩兵に戦車並みの戦闘力を付与するものとして期待されていた。


 惜しむらくは、個人用の装備としてはあまりに価格が高すぎることだが、どうやらヴェルサイユ陥落という非常事態を避けるべく、軍の上層部は形振り構わなくなったようだ。


「これが装甲服……」

「なんかサムラーイが着るヨロイみたいだな」

「そうか? どっちかというと、中世の騎士みたいな感じだと思うんだが」


 シェリエール上級伍長が持ってきた装甲服を、部下たちが物珍しそうに眺めている。


「装甲服の着用方法は分かるね? 着用限界は三時間とのことだから、俺たちは交替々々で戦うことになる」

「三時間ですか……。結構、短いですなぁ」


 部下の一人が眉間に皺を寄せて唸る。


「まあ、三時間戦えば休憩できるって訳さ。良い方に捉えよう。……ブリーフィングがあるから、行ってくる。トロシュ伍長、装備の確認を」

「了解しました、上級伍長殿」


 トロシュ伍長がおどけたように敬礼をする。

 シェリエール上級伍長は苦笑しながら答礼し、駆け足で幹部将校の下へと向かった。


 分隊長や小隊長が集まっている交差点には、先ほどの幹部将校だけでなく中隊長も姿を見せている。

 中隊長からの訓示があった後、作戦についての説明をするのだろう、とシェリエール上級伍長は思った。


「総員、傾聴!」


 幹部将校が大声を発し、その場にいた全員が直立不動になる。


「中隊長のスールトだ。諸君も知っての通り、我が国は先の大戦以来の危機に(ひん)している」


 軍人というよりはエリート官僚、といった雰囲気を漂わせる中隊長のスールト大尉は、沈鬱な表情で語り始めた。


「しかし、諦めてはいけない。我々の後ろには、自由と民主主義を愛する六千万のラピス市民がいるのだ。彼らを守り、敵を打ち払うことこそが我らに与えられた使命である」


 気分が高揚するのが分かる。我ながら単純だ、とシェリエール上級伍長は感じたが、他の面々も同じのようであった。


「私からは以上だ。では、プレヴァン中尉から作戦について説明してもらう」


 中隊長が脇に退き、指名された幹部将校が前に出てくる。


「運用係のプレヴァンだ。これより、我が中隊に与えられた任務について説明する」


 そう言うと、幹部将校は足下のホログラム・プロジェクターを起動させた。バスティーユ門付近の立体地図が空中に投影される。


「第1狙撃連隊はここ、バスティーユ門に配備されたが、我々第3中隊はその中でも最も重要な門正面の防衛を担当することとなった」


 幹部将校が手元のリモコンを操作すると、地図上に第1狙撃連隊の配置図が表示される。


「バスティーユ門前には第1師団の機甲戦力が重点配備されており、我々はここを突破した敵を食い止める役割を果たすこととなる」


 地図上に仮想敵が表示され、バスティーユ門へ向かって進軍、第1狙撃連隊とぶつかる。


「諸君には先ほど支給した装甲服を着て戦ってもらうが、あれには着用限界時間がある。そこで、諸君にはローテーションを組んでもらう」


 表示されていた立体地図が小さくなり、代わりに第3中隊の部隊図が表示された。第3中隊は四つの小隊と本部班によって構成されており、シェリエール上級伍長が所属しているのはその中の第2小隊だ。


「まずは第1小隊と第3小隊が前線に出る。三時間したら第2小隊と第4小隊に交替。これを敵が撤退するまで繰り返す」


 集まった面々の顔に不安が浮かぶ。敵が撤退するまで、果たして自分たちは戦い抜くことができるのか、と。


「正直に言って、かなり厳しい戦いだ。諸君の内、どれだけが生き残るかも分からない」


 心臓を鷲掴みにされるような恐怖がシェリエール上級伍長を襲った。

 死――。意識したことのなかったそれが、今、すぐ目の前にあるのだ。


「だが、ヴェルサイユには諸君の愛する家族が、恋人が、友人が、隣人がいる。ヴェルサイユだけではない。後方にも、すでに占領された土地にも我らが守るべき市民がいる」


 幹部将校の言葉に思い起こすのは、故郷オルリーの穏やかな空気だ。あの小さく暖かい楽園を、レウスカの共産主義者たちに踏みにじらせる訳にはいかない。


「諸君がラピス六千万市民の最後の盾であり剣であることを、決して忘れるな。以上だ」


 幹部将校の話が終わったちょうどその時、通信兵が慌てた様子で駆け寄ってきた。


「報告します! ヴェルサイユ広域司令部より、戦闘状態突入との緊急通信が発せられました!」


 通信兵の言葉にどよめきが起きる。シェリエール上級伍長も、思わず息を呑んだ。


「総員、戦闘配備! 先に伝達した通りに行動を開始せよ!」

「はっ!」


 集まっていた面々がわらわらと方々へ散っていき、戦闘準備を始める。


 遂に始まったのか――。

 シェリエール上級伍長の呟きは、雑踏にかき消されて誰にも聞かれることはなかった。







 市街中心部、国防軍オフィスのあちこちで重要書類の処分やデータの消去が行われている中、地下二階に設けられたヴェルサイユ広域防衛司令部では参謀やオペレータが刻々と変化する戦況を監視しながら、各級の部隊に指示を出していた。


『こちら、第4観測所、ベルヴィル門正面、敵の戦車部隊を確認!』

「空軍に支援を要請しろ!」

「広域防衛司令部より首都防空指揮所。ベルヴィル門周辺への航空支援を要請します」

「第7観測所との通信、途絶しました!」

「呼び出し続けろ! 確認に偵察小隊を出せ!」


 司令室の中は指示や報告が飛び交い、戦場と遜色のない喧噪に包まれている。

 その中にあって、コルネイユ中将たち首脳部の陣取るスペースだけが、奇妙な静けさに支配されていた。


 用意された椅子に座らず、立ったまま戦況図を鋭い眼差しで見つめるコルネイユ中将が、視線はそのままに口を開く。


「ジョンソン中将はまだ来ていないのか?」

「は、はい。執務室に連絡は入れているのですが……」


 尋ねられたオペレータが困惑顔で答える。


 本来ならば、環太平洋条約機構(PATO)側の責任者であるジョンソン中将もこの司令室にいなければならないのだが、戦闘開始宣言が出されてからしばらくしても姿を見せていなかった。

 誰もが昨日の会議の腹いせであることは理解していたが、ジョンソン中将以外のラピス特別展開部隊(LSDF)の幹部を慮って口に出してはいない。


 それでも抑えられない不満や呆れを小さなため息に込めた後、コルネイユ中将は気を取り直すようにベルリオーズ大佐の方を向いてこう言った。


「ベルリオーズ大佐、君の予想通りだったな。敵は夜明け前に攻撃を開始した」

「はっ。ですが、この勢いは予想を上回っています」


 ベルリオーズ大佐の言葉通り、レウスカ軍は凄まじい勢いでティエール線に攻撃を仕掛けており、対するPATO軍とラピス軍は、戦線が崩壊しかねない一撃を何度も受けている。


 まるで、全てを見通しているかのように、戦線に生じた(ほころ)びを突いてくるのだ。

 実際、PATO側の情報はレウスカへ筒抜けになっているのだが、そうとは知る(よし)もない参謀たちは、痛烈な一撃が加えられるたびに表情を青くしていた。


 そして、コルネイユ中将が見据える戦況図の上から、また一つ、味方を示す光点が消失した。


「第1狙撃連隊、連隊本部との通信が途絶しました!」

「何だと!」


 第1狙撃連隊は、レウスカ軍の攻勢正面に当たるバスティーユ門周辺を守る重要な役割を担っており、この部隊が壊滅すればヴェルサイユ市街中心部までがガラ空きとなってしまう。


 降って湧いた緊急事態に、コルネイユ中将の頭は完全に真っ白になっていた。

 その空白を埋めるように、ベルリオーズ大佐が前に出て指示を出す。


「第1師団を呼び出してくれ」

「は、はい! すぐにお繋ぎします!」


 オペレータが慌てて通信を繋ぎ始めた。


「……すまん、大佐。助かった」

「いえ。それよりも対策を考えませんと」


 考え込むベルリオーズ大佐の前で、通信が繋がった。コルネイユ中将のデスクに、初老の男性の姿が浮かび上がる。


『第1師団、師団長のコタヴォです』

「広域防衛司令部のコルネイユだ。コタヴォ少将、第1狙撃連隊の状況はどうなっているか分かるかね?」


 コルネイユ中将が尋ねると、仮想ディスプレイに表示されたコタヴォ少将の表情が苦々しいものになった。


『いえ。通信が途絶えたのは突然で、兆候もありませんでしたので……。現在、確認のための偵察小隊を出しております』

「増援は必要ですか?」

『ベルリオーズ大佐、その必要はない。通信が途絶したのは連隊本部だけで、各中隊とは通信が繋がっている。最悪でも、こちらから指示を出すことは可能だ』


 コタヴォ少将の言葉に、コルネイユ中将を初めとする首脳陣はホッと胸をなで下ろした。

 指揮系統に混乱はあるだろうが、戦力自体が損なわれていないならば立て直しようがあるからだ。


「了解した。コタヴォ少将、状況が判明次第、こちらに報告を――」


――お願いしたい、と続けようとしたコルネイユ中将の言葉は、スピーカーから流れてきた轟音によって遮られた。轟音と同時に、デスクに浮かび上がっていた仮想ウインドウからコタヴォ少将の姿が消え、砂嵐だけが表示されている。


 何が起こったのか分からない、という表情で固まるコルネイユ中将。

 その隣で、ベルリオーズ大佐が血相を変えて叫んだ。


「第1師団の司令部、オテル・モントロンに偵察部隊を送れ! 司令部の安否を確認させろ!」

「は、はい!」


 指示を受けたオペレータは慌ててSDEV直轄の偵察部隊に命令を伝達する。

 硬直していたコルネイユ中将がゆっくりとベルリオーズ大佐の方を向き、呆然とした様子でこう言った。


「第1師団は……司令部はどうなったのだ」

「分かりません。ですが、通信が途絶えたのは事実です。最悪の事態を想定して動くべきかと」


 コルネイユ中将はゆっくりと頷き、祈るようなポーズで目をつぶった。


「閣下、第1師団司令部の警務隊から通信が入っています。お繋ぎしますか?」


 オペレータがコルネイユ中将の方を振り返って尋ねる。コルネイユ中将が頷くと、仮想ディスプレイに煤まみれになった兵士の姿が映った。


『第1師団司令部付警務小隊のラクール少尉であります!』

「広域防衛司令部のコルネイユだ。ラクール少尉、司令部との通信が断絶したが、何があったのだ?」


 ディスプレイの中のラクール少尉は額から垂れる血を拭っている。明らかに、何事かが起きたのだ。背後からは銃声のような音も聞こえている。


『はっ! 司令部が入っていたオテル・モントロンは、敵空軍機の放ったミサイルの直撃を受けて吹き飛ばされました! コタヴォ師団長以下、第1師団司令部は全滅したものと思われます!』


 ラクール少尉の報告に、今度こそ司令室の空気が凍り付いた。







『中隊本部より各員。現在、上級司令部との連絡が付かず、状況が把握できない。各員は警戒を密にし、敵部隊の浸透を防げ』

「無茶言ってくれるぜ……」


 隣で銃を抱えたままぼやくトロシュ伍長の言葉に、シェリエール上級伍長は苦笑しながらも内心で同意した。


 戦いが始まって一時間。その一時間に、第1狙撃連隊は深刻な打撃を被っていた。

 連隊本部に敵空軍の空爆が直撃したのを皮切りに、雪崩のように敵が押し寄せ、バスティーユ門付近の商業地域はたちまち銃弾飛び交う激戦地となったのである。


 シェリエール上級伍長は分隊を率い、同じ第2小隊の面々とアパートに立てこもっており、大きく穴の開いた壁から通りを監視していた。

 本来ならば、第2小隊は休息時間のはずだが、多数の敵が浸透している状況ではそうも言っていられない。

 全員が装甲服を身につけ、着用限界時間を超えるための薬品を携帯している。


 可能な限り薬品は使いたくない、と思いながらも、シェリエール上級伍長は同時に、使わざるを得なくなるだろう、と予測していた。


『上級伍長殿』


 ヘルメットに内蔵された通信機から呼ぶ声がして、シェリエール上級伍長が辺りを見回すと、部屋のちょうど反対側に座っている部下が小さく手を挙げていた。


「何かあったか?」


 自然と小声になるシェリエール上級伍長。通信相手の部下も、同じく小声で返答する。


『ヴァンデミエール通り、複数の敵影を発見しました。装甲車もいます』


 先日インプラント手術を受けたばかりの拡張角膜(AC)によって視界に投影された戦域情報システム(WAIS)を確認すると、確かにヴァンデミエール通りを市街中心部へ向かって進む敵の光点があった。付近に味方はいない。


「装甲車は厄介だな……。ある程度やり過ごした後、背後から奇襲を仕掛ける。手早く掃討して、斜め向かいの赤いアパートに逃げ込むぞ」

『了解』


 指示を出した後、シェリエール上級伍長は音を立てないよう、慎重に向かい側へと歩いて行く。

 この装甲服の難点は、本家のものと違って装甲を分厚くしているために、音を立てやすくなってしまっているところだ。人工筋肉が放熱する際に発する独特の空気音も相まって、隠密性に欠けている。

 今のような、なるべく敵に気づかれないようにする場面では厄介だ。


「あれか……」


 シェリエール上級伍長が壁に空いた小さな穴から外を覗くと、一両の装甲車と、それを守るように周囲を見回す五人の歩兵が通りをゆっくり進んでいた。


「シェリエール班がアタック、トロシュ班はカバー。掃討完了後、どちらも速やかに目標地点へ移動する。良いな?」

『了解』


 手短に作戦を説明し、床に転がっていた特別仕様の20ミリ機関砲を手にする。普通の歩兵なら間違いなく扱えない代物だが、人工筋肉の強力な補正を得られる装甲服を着ていれば軽々と運用できる。


「トロシュ伍長、カウント5」

『了解。……5、4――』


 敵が目の前に来た段階でカウントダウンを始める。ゴクリと、誰かが息を呑む音が聞こえた。爆音と地響きが近くから聞こえてくる。


『3、2、1……アタック!』


 トロシュ伍長が叫ぶと同時に、シェリエール上級伍長と二人の兵士が壁をぶち破って通りへと飛び降りる。トロシュ伍長の班はそれに一拍遅れて飛び出し、シェリエール上級伍長の後ろへ降り立った。

 壁をぶち破った轟音と、それに続くガシャンという硬質な音にレウスカ兵が振り返ると、そこには市街地迷彩で覆われた装甲服の男たちが、ヘリや装甲車が搭載しているような機関砲を構えていたのである。


撃て(フー)!」


 恐怖に立ちすくんだレウスカ兵たちに対して、容赦のない攻撃が浴びせられた。あまりの威力に、生身の兵士たちは体を吹き飛ばされてしまっている。

 被弾した装甲車も一瞬遅れて爆発し、わずかに残った惨状を爆風と炎で焼き払った。


「退避!」


 炎に炙られそうになりながら、シェリエール上級伍長たちが一斉に退避する。トロシュ伍長が目標のアパートの壁を壊し、五人はそれに続くようにアパートへと転がり込んだ。


『……クリア!』

『こっちもだ』

「オールクリア。全員、一息つくぞ」


 アパート内の安全を確認し終えた後、シェリエール上級伍長はようやく膝をつくことができた。跳ね上がった心臓の鼓動を落ち着けるように、深く息を吸い込み、吐く。


「上級伍長殿も、すっかり歴戦の勇士ですな」


 ヘルメットのバイザーを上げ、にっこりと微笑むトロシュ伍長。彼の声音には、初陣ながら着実に戦果を挙げるシェリエール上級伍長を讃える気持ちが籠もっていた。


「伍長に比べればまだまだですよ」

「謙遜するこたぁねぇですぜ。上級伍長殿も立派な戦士だ。将来が楽しみですなぁ」


 トロシュ伍長が小さな声でケラケラと笑う。

 と、その時、通信が入った。


『中隊本部よりシェリエール分隊。付近に展開していたエスコフィエ分隊との通信が途絶した。最後の交信地点はサン=ヴァンサン通り2番地のオテル・ド・サン=ヴァンサンだ』


 サン=ヴァンサン通りは先ほどのアパートの反対側の通りだ。オテル・ド・サン=ヴァンサンは、その突き当たりのエガリテ広場に面する老舗ホテルである。


『敵部隊と遭遇した可能性もある。確認に行って欲しい』

「持ち場は離れても良いのですか?」

『構わない。後詰めの分隊を送る』


 それだけ言うと、通信はぶつりと切れてしまった。状況が混乱していて忙しいのは分かるのだが、あまりにも乱暴な切り方だ。

 少しむっとしたシェリエール上級伍長だが、与えられた命令は重大だ。もし敵がいるならば、市街中心部への浸透を許すことになってしまう。


「全員、今の通信は聞いたか?」


 部下たち全員が頷く。状況確認に問題はないようだ。


「先ほどのアパートの隣のバーを経由して、サン=ヴァンサン通りに出る。前はシェリエール班、後ろはトロシュ班が警戒。良いな?」

了解(ウィ)


 トロシュ伍長がバイザーを下げ、親指を立てる。

 それを見たシェリエール上級伍長は頷き、左右を警戒しながら通りへ出た。


 銃声と爆音が遠くから響いてくるが、辺りは静まり返っている。唯一、先ほど仕留めた装甲車の燃える音がしているだけだ。

 六人は通りを横切ると、バーの壁に張り付く。部下の一人が扉の前に立ち、左右を見て頷くと、思い切り扉を蹴破った。


 吹き飛んだ扉の後ろから、続々と六人がバーの中へ入っていく。小銃を構え、部屋の中に危険がないか手早く探す。


『クリア』

『こちらもクリア』

「OK。オールクリアだ」


 銃を下ろし、一息つく。だが、目的地はすぐそこだ。休んではいられない。


 サン=ヴァンサン通りに面した窓から通りを覗くと、そこには戦車の姿があった。レウスカの国章がサイドに小さく描かれている。


「あれだな……。全員、準備は良いか?」


 全員がこくりと頷く。


「歩兵はいない。どこかに隠れているかも知れないから、十分に周囲を警戒してくれ。戦車への攻撃は俺がやる」


 そう言うと、シェリエール分隊は先ほどと同じようにカウントダウンをして、勢いよく通りへと躍り出た。

 戦車の後ろに飛び出たシェリエール上級伍長は、20ミリ機関砲を背面部に叩き込む。


「総員、退避!」


 シェリエール上級伍長が叫び、全員が一目散に駆け出す。その直後、背面部に大量の20ミリ弾を受けた戦車が爆発した。砲塔が吹き飛び、火柱が上がる。


『やりましたね、上級伍長!』

「ああ。……そうだ、エスコフィエ分隊を探さないと」


 敵を撃破することで頭が一杯だったが、味方部隊がどうなっているのかを確認しなければならない。


 分隊を引き連れてオテル・ド・サン=ヴァンサンに向かおうとしたシェリエール上級伍長だが、顔を上げたその瞬間、それが無駄であることが分かった。


『あれじゃあ、エスコフィエ分隊はもう……』

「……とりあえず、確認だけはしよう。生存者はいるかも知れない」


 自分の言った言葉だが、シェリエール上級伍長も希望は抱いていなかった。


 案の定、砲撃を受けて大きく損壊して燃え上がるホテルの瓦礫の隙間からは、シェリエール上級伍長たちと同じ装甲服を着た兵士たちの無残な遺体が見え隠れしていた。


「ふぅ……。とりあえず、中隊本部に報告を――」


――しよう、と言い終わる前に、シェリエール上級伍長の視界に仮想ウインドウがポップアップした。レーザー照射を確認、という警告が表示されている。


「レーザー照射……? まさか!」


 空を見上げるシェリエール上級伍長。視線の先、上空には小さな豆粒大の飛行機の姿があった。機影はどんどん大きくなり、こちらへと近づいている。


「総員、退避! 全力機動で逃げろ!」


 シェリエール上級伍長が叫ぶと、分隊の面々は反射的に、肉離れの危険性もある全力機動で四方へと散開した。

 その直後、はっきりとその機影を現したレウスカ人民空軍の攻撃機は、シェリエール上級伍長たちの頭上に誘導爆弾を落としていった。


 退避するにはあまりに時間が短かった。建物の中に全員が退避する前に、投下された爆弾が炸裂した。

 シェリエール分隊の兵士たちは爆風と鉄片の嵐に巻き込まれ、凄まじい衝撃に襲われる。


 シェリエール上級伍長は装甲服ごと体をズタズタに切り裂かれながら、脳裏に家族の姿を思い描いていた。


「母さ――」


 彼の最後の言葉は誰に届くこともなく、爆風にかき消された。


 22歳の青年、アルバン・シェリエールの短い一生は、こうして幕を閉じた。

 彼は軍人としての才能に恵まれていたことを除けば、ごく普通のラピス人青年だった。家族がいて、恋人がいて、友人がいる普通の青年だった。

 そんな普通の青年の命が、このヴェルサイユ市のあちこちで同じように失われていた。


 前途ある若者たちを紙くずのように消費しながら、凄惨な市街戦は続く。

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