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宝石戦争  作者: 東条カオル
第一章 開戦
11/42

第八話 嵐の前

 ラピス共和国首都ヴェルサイユは、二千年以上の歴史を持つ古い都市である。

 10世紀後半、ブレントール帝国にヴェルサイユ伯爵領が創設されて以来、長きに渡ってこの地方の中心都市として栄えてきた。

 第二次世界大戦で王政が断絶した後も、城郭都市ヴェルサイユはその有り様を変えることなく、楼州大陸西部の雄、ラピス共和国の首都として発展を続けてきたのである。


 そのヴェルサイユ外縁部には、ヴェルサイユを守る壁として築かれた大規模な要塞群、通称「ティエール線」がグルリと横たわっている。

 要塞そのものの軍事的価値は、航空機の登場によってほとんどなくなってしまったが、ラピス国防軍は今回の決戦に備えて、このティエール線を対空陣地として整備し、ヴェルサイユ防空網を形成していた。


 地上部隊におけるヴェルサイユの防衛体制は以下のようになっている。

 ラピス国防陸軍の内、第1・第2・第4の計三個師団がヴェルサイユ南西部に展開。

 環太平洋条約機構(PATO)ラピス特別展開部隊(LSDF)もオーヴィアス連邦が派遣している二個旅団と、ブリタニア王国が派遣している一個旅団がヴェルサイユ市に展開していた。


 ラピス総統府のガリマール報道官が、ヴェルサイユが反撃の始まりとなる、と記者会見で述べた通り、PATO側が初めて確固とした防衛体制を取ったヴェルサイユは、難攻不落ではないか、と思わせるものであった。


 しかし、未だ誰も気がつかないヴェルサイユ防衛最大の弱点は、着実にPATO軍とラピス国防軍を蝕んでいたのである。







「それでは、会議を始めます」


 ヴェルサイユ城からマクシミリアン門まで続くコンテ通り。ここに面するラピス国防省オフィスの地下一階会議室には、多数の軍人が集まっていた。


 その多くはラピス国内の師団を統括する第3軍団の将軍や将校である。

 参謀本部の幹部らは今後の反攻作戦のためにオーヴィアス連邦へ脱出しており、最も地位の高い者が責任を取らなければならない、と言って脱出を拒否したラスランド参謀総長のみがこの会議に参加していた。


 会議が始まると、それまでざわついていた会議室が静かになる。一人の将校が立ち上がり、作戦案の説明を始めた。


「第3軍団司令部で検討した作戦案は至って単純です。防空網を整備したティエール線に沿って部隊を配置し、敵地上部隊の進撃を押し止めます」


 説明が始まると、会議室の中央のホログラムディスプレイが起動し、ヴェルサイユ周辺の地図が表示された。

 地図上には各部隊の配置状況が表示されており、出席者の眼前に浮かび上がったホログラムディスプレイには、各部隊の詳細情報が表示されている。


「LSDFの三個旅団を戦略予備とし、我が軍の三個師団を敵地上部隊の阻止に充てる。戦況の突破口を開くのは、航空部隊となります」


 会議室中央の地図上、市街地北部にあるヴェルサイユ国際空港から航空部隊が出撃し、敵航空部隊と激突するCGが流れる。


「航空部隊はティエール線の防空網と一体となって敵航空部隊を排除。しかる後に敵地上部隊への攻撃に移ります」


 敵航空部隊が消え、ラピス側の航空部隊が敵地上部隊への攻撃を始めた。


「航空部隊が状況を打開するまで、地上部隊が粘ることができれば我が軍の勝利です。以上、簡単な作戦の説明を終わります」


 作戦説明担当の将校が一礼して着席する。それを合図とするように、作戦に関する討議が始まった。


「敵部隊の見積もりが甘いのではないか? レウスカが第1軍だけを投入するとは限らないぞ」

「確かにそうかも知れんが、そもそも敵にこれだけの航空戦力が残っているのかどうかが疑問だ。空軍から寄越された戦果報告は、偽造ではないか、と思うほどだったが」

「それは戦争開始前の戦力分析を無視した意見だ。敵にはPATOに倍する航空戦力があると報告があったはず」

「出所の不確かな、怪しい情報じゃないか!」


 次第に議論がヒートアップし、出席者の中には感情的になってくる者も出てきた。


「皆、落ち着いてくれ。怒鳴りあっても、敵を利するばかり。総統閣下にも国民にも申し訳が立たないぞ」


 立ち上がり、加熱する議論を抑えたのは眼鏡をかけた年嵩の軍人だ。

 彼はコルネイユ中将。第3軍団の司令官であり、戦闘が始まればヴェルサイユに展開する全部隊の指揮を統括することとなる立場の人物である。


 と、コルネイユ中将とはホログラムディスプレイを挟んで反対側に座る初老の軍人が、同意するように頷きながら、発言を求めた。


「コルネイユ中将のおっしゃる通りだ。敵を前に仲間割れをするのは愚の骨頂。諸君らには気をつけてもらいたい」


 嫌味な口調でこう言ったのは、ラピス特別展開部隊(LSDF)の司令官であるジョンソン中将だ。


 コルネイユ中将が、第四次シーニシア戦争の派遣軍参謀長を務めるなど実戦経験があるのに対して、ジョンソン中将はこれまで軍政一本で出世してきた軍人である。

 そんな彼がLSDFの指揮官に就任したのは、PATO最高司令官のウォーカー元帥が、ジョンソン中将と同じオーヴィアス連邦の軍人だからだ、と噂されており、ラピス国防軍の将官らからは今ひとつ信用されていない。


「戦況とは常に動くものだ。初めから作戦をがっちり固めていても、予想外のことが起きれば意味がない。それよりも、指揮権をどうするか、ということの方が大事ではないかね?」


 ジョンソン中将の言葉に、ラピス国防軍の将官たちが顔を見合わせる。


「どういうことでしょうか、ジョンソン中将?」


 コルネイユ中将が尋ねると、ジョンソン中将は自信たっぷりな表情で、


「指揮権の統一だよ、コルネイユ中将。戦闘が始まれば、ヴェルサイユには国籍の違う軍隊が展開することになる。指揮系統をしっかりしておかねば、支障を来すだろう」


 と、言った。

 そこへ、コルネイユ中将の隣に座っていた将校が発言を求めた。


「ベルリオーズ大佐、どうぞ」

「どうも」


 出席者に向けて軽く一礼した男性。第3軍団の作戦参謀であるベルリオーズ大佐だ。

 参謀長が開戦直後の航空機事故で殉職したため、現在はその代理を務めている。コルネイユ中将も信頼を置く人物である。


「指揮権の統一については、LSDF結成以前の協議で確認済みのはずです。ラピス国内での防衛戦闘における指揮権は我が国が、国境を越えて行う戦闘に関してはPATOが指揮権を持つ、となっています。ジョンソン中将のご心配も確かですが、問題はありません」


 理論だった説明に、出席者たちは同意するように頷く。

 ところが、ジョンソン中将一人だけが、その説明に不満そうな表情を見せた。


「それくらいは分かっておる。大佐、君は私を馬鹿にしているのかね?」

「いえ。そのようなつもりは一切ありません。すでに決定していることをご説明したまでです」


 雲行きが怪しくなり、他の出席者たちは不安そうな表情で成り行きを見守る。


「本当にそうか、怪しいものだな。……まあ良い。それよりも指揮権だ。事前の協議で決まっているのは承知しているが、今は非常時だ。柔軟な対応が必要だとは思わんかね?」

「と、言いますと?」


 ベルリオーズ大佐の問いに、ジョンソン中将はニヤリと笑ってこう答えた。


「ヴェルサイユ防衛に関してはPATO側で指揮権を預かりたい。そう言っているのだよ、大佐」


 途端、ざわめきが大きくなる。ラピス国防軍の将官らは不快そうな表情を隠さず、PATO側の将官らも困惑を浮かべ、ジョンソン中将を見ていた。


「理由をお聞かせください。事前の取り決めを変える、というのであれば、それなりの理由がありませんと、我々も納得できません」


 ラピス側の出席者から同意するような声が漏れる。


「これまで、貴軍の指揮の下でPATOは戦ってきたが、敗戦続きだ。貴軍の指揮が悪い、とは言わん。だが、将兵たちにも不安があるだろう。その不安を払拭する必要があると、私は思う」


 もっともらしいことを言っているが、要するに指揮権の委譲を要求しているのである。

 ラピス側は、そのような理屈では当然ながら納得しない。


「よろしいだろうか。ジョンソン中将がおっしゃることもよく分かります。だが、作戦開始直前になって司令部が替わることの方が、将兵に動揺を与えかねないでしょう。ここは従来の取り決め通り、我が軍に指揮権をお預けいただきたい」


 コルネイユ中将は、柔らかな物腰ながらも、断固たる意志を示した。この言葉に、ラピス側だけでなく、PATO側からも賛同する声が出た。


「私もコルネイユ中将の意見に同意いたします。ジョンソン閣下、ラピスを信頼しましょう。彼らなら、きっとやってくれるはずです」


 LSDFの参謀長がこう言ったことで会議の趨勢は決まった、と言って良いだろう。


 結局、ラピス国防陸軍の第3軍団司令部が、そのままヴェルサイユ広域司令部としてこの作戦を指揮することが確認され、会議は終了した。


 会議が終了した後、不満げな表情で退出したジョンソン中将を見ながら、コルネイユ中将がベルリオーズ大佐に話しかけた。


「大佐、先ほどはありがとう。君のおかげで指揮権を確保できたよ」

「いえ。当然のことをしただけです」


 ベルリオーズ大佐は表情一つ変えない。それを見て、コルネイユ中将は笑った。


「君がいると頼もしいよ。作戦開始後も期待している」

「はっ。ご期待にお応えできるよう、全力を尽くす所存です」


 見事な敬礼を見せる。敬礼を解いた後、ベルリオーズ大佐はわずかに表情を険しくした。


「心配なのはジョンソン中将です。今回の一件、相当な不満を持っているはずです」

「それはそうだが……彼もPATOの軍人だ。心配はいらないのではないかね?」


 コルネイユ中将が言うと、ベルリオーズ大佐は深刻な表情でこう言った。


「ならば良いのですが……」


 規模と布陣で言えば、万全の態勢であろうPATO軍だが、その司令部は一枚岩ではない。

 そのことが戦況にどのような影響を及ぼすのか。


 ベルリオーズ大佐は、その不安を打ち消せないでいた。







 同じ頃、攻め手側のレウスカ人民軍も、占領したランブイエ市にあるグランホテルで作戦会議を行っていた。


 会議室には大量の機材やラピスの広域地図が持ち込まれ、司令部としての陣容を整えつつある。

 人民陸軍の第1軍司令部は、このグランホテルからヴェルサイユ攻略作戦を指揮することを予定していた。


「――以上が、内務省公安部(ABP)より送られてきた、PATO軍の防衛態勢です」


 会議室の中央に設置されたホログラムディスプレイには、ヴェルサイユの地形図と共に、PATO軍の詳細な配置図が表示されていた。これは、ラピス国防軍とPATO軍の作戦会議で決定した配置と全く同じものである。

 すなわち、PATO側の情報は、完全にレウスカに筒抜けとなっているのだ。


「偵察部隊の情報は? 裏付けは取れているのか?」


 司令官のクラトフスキー大将が質問すると、今まで説明をしていた将校が頷いた。


「はい。一部ではありますが、空軍が確認した敵の配置は、ABPからの情報と一致していた、とのことです。他もまず間違いないかと」


 出席している面々は一様に唸る。


 ここまで、レウスカが快進撃を続けているのは、PATOの準備不足だけでなく、ABPからもたらされる情報が大きな要因となっていた。

 初めの頃は、大層な情報収集力だ、と軽く流していた彼らも、あまりの正確さに不気味なものを感じ始めている。


「理由はどうあれ、ABPの情報は正確だ。信用し過ぎるのも問題だろうが、ここは勝率が上がった、と素直に喜んでおこう」


 自分でも納得していない表情のクラトフスキー大将。当然、他の将官たちも微妙な表情をしていた。


「まあ良い。それで、我々はどのようにヴェルサイユを攻略するか、だ」


 重くなった空気を振り払うように、参謀長のザモイスキー中将は努めて明るい声を出した。再び会議が動き出す。


「ABPの情報を見る限り、敵の防空網を破るのは至難の業ですな」

「とは言え、防空網を破らなければ我が軍も要塞線を突破できんぞ」

「純粋な力押しですと時間がかかります。時間はPATOの味方ですから、何とか突破口を見つけなければ」


 ラヴィーナ作戦は電撃的侵攻をその柱としている。ラピス・バーレンの防衛態勢が整わない内にこれを占領し、第1軍が得た戦果を他の軍が拡大していく計画となっているのだ。

 すでに第二段階――戦線の北と東への拡大は7月初頭に前倒しして開始することが決定しており、ヴェルサイユ攻略に時間をかけることは許されない。


 しかし、PATO軍が窮余の策で急速に整備したティエール線は思いの外、強固であり、突破できないとは言わずとも、大きな損害が出ることは間違いなかった。


「北東部は比較的手薄ですから、ここから攻め込めれば良いのですが」

「無理だ。PATOに気付かれずに回り込むことなどできるはずがない」

「やはり、平押しになるか……」


 腕を組んで悩む参謀たち。

 その時、会議室の扉が開き、警備役の兵士が敬礼しながら入ってきた。


「会議中、失礼いたします」

「何かあったのか?」


 ザモイスキー中将が尋ねると、警備兵は困ったような表情でこう言った。


「はっ。その……義勇軍団のサプチャーク中将が会議室に入れろ、と。いかがいたしましょうか」


 警備兵の言葉に、会議の出席者たちは途端に不機嫌な表情になった。


「またあの男か……」

「名目上は義勇軍の指揮官だ。会議に参加することに問題はあるまい」


 諸将をなだめるクラトフスキー大将。その様子を見ながら、ザモイスキー中将は警備兵に、サプチャーク中将を通すよう命じた。


 すぐにサプチャーク中将が現れる。彼はにこにこと微笑みながら、開口一番でようやく鎮まった出席者たちの神経を逆撫でした。


「雁首揃えて、ヴェルサイユ攻略のための案一つ出せないとは。レウスカの精鋭も聞いて呆れますな」

「何だと!」

「お、落ち着け!」


 比較的若い参謀が血相を変えて立ち上がり、サプチャーク中将に詰め寄ろうとする。隣に座っていた別の参謀が、慌てて彼を抑えていた。


「サプチャーク中将、いくら何でも言葉が過ぎるのではないですかな? 同盟国の軍人とは言え、看過しがたい発言だ」


 クラトフスキー大将が落ち着いた口調ながらも、内心の不満を滲ませながらサプチャーク中将をたしなめる。

 その言葉に、サプチャーク中将は冷ややかな笑みを浮かべた。


「同盟国、ねぇ……。まあ良いでしょう。それよりもヴェルサイユ攻略です」

「中将、ああまで言うからには中将には何か策がおありなのでしょうな?」


 不機嫌そうにそう言ったのは、第1軍の麾下にある第3装甲騎兵師団の師団長ヤン・ラトキエヴィチ中将だ。


 ヤン・ラトキエヴィチ中将はその姓からも分かるようにラトキエヴィチ一族の出身であり、ミハウ・ラトキエヴィチ議長の三男である。

 実力でその地位を獲得した陸軍総司令官で叔父のスタニスワフ・ラトキエヴィチ上級大将とは違って、父親の引きで現在の地位を得たと噂されており、実際の勤務態度や能力も35歳の若さで将官に任じられたとは思えないくらいに悪い。


 そんな経緯からヤン・ラトキエヴィチ中将は周囲から腫れ物扱いされていたのだが、彼は純粋な愛国者の一人である。祖国を馬鹿にするようなサプチャーク中将の言い方に我慢がならなかったようだ。


 一方、ヤン・ラトキエヴィチ中将の不快感を叩きつけられた当のサプチャーク中将は、冷笑を浮かべたままで書類を出した。


「これをどうぞ。一応、機密文書なので読み終わったら回収します。もちろん、ここの出席者以外にこのことを言ってもらっても困ります」


 回ってきた書類を見たクラトフスキー大将の表情は、見る見るうちに困惑したものになっていった。それは、ザモイスキー中将や他の出席者たちも同様である。


「サプチャーク中将、これは一体……?」

「見ての通りですよ、ザモイスキー中将。ヴェルサイユ攻略のための切り札、我々がその役を担おう、と言っているのです」


 出席者たちがお互いに顔を見合わせる。確かにこの書類に書いてあることが事実ならば、ヴェルサイユ攻略の可能性は大きく増すと言って良い。

 だが、戦いの趨勢を決める一撃を他国の軍人に任せてしまう、というそのことが、彼らの感情的な反発を招いていた。


「ありがたい申し出ではあるが、実物を見たことがなければ信用が置けぬ。そのようなものに、切り札を任せる訳にはいかないだろう」

「その通り。そもそも、我が軍だけでもヴェルサイユの攻略は十分に可能だ」

「……そうですか。そこまでおっしゃるのであれば、我が軍としても皆さんのご健闘をお祈りするほかありませんね」


 参謀たちの反発に、あっさりと引き下がるサプチャーク中将。

 常ならぬ諦めの良い態度に、感情的になっていた司令部の面々も毒気を抜かれたように黙り込む。


「良いのかね、サプチャーク中将」

「良いも悪いも、我々は義勇軍に過ぎないのですよ、クラトフスキー大将」


 サプチャーク中将がにこやかに笑って作戦概要の書かれた用紙を回収する。ぐるりと円卓の周りを回って作戦書を回収し終えると、クラトフスキー大将の側に立ち、耳打ちをした。


「我が義勇軍団の指揮権が独立していることは覚えていますね? あなた方は我々の協力を拒絶なさったが、我々としては必要に応じて部隊を動かすつもりだ」

「な――」


 険しい表情でサプチャーク中将を見るクラトフスキー大将。

 サプチャーク中将は冷笑を見せながら、


「無論、事前に通告はしますがね。とにかく、我々としてはそういう考えでいるということ、どうぞお忘れなきよう」


 と言って、サプチャークは会議室を出て行った。


 彼が退室した後も会議は続いたが、思わぬ来訪者によって集中が途切れてしまうと、なかなか良い案は出てこないものだ。

 結局、現状の作戦のままでヴェルサイユ攻略に取りかかることが確認され、会議は終わった。







「中佐、ここにいたんですか。ナラサキ中佐が探してましたよ」

「レオか……。良いんだよ、ナラサキの奴は放っておいても。それより、ちょうど良いところに来た。お前も付き合え」


 ヴェルサイユ国際空港からメトロ・ド・ヴェルサイユで十五分ほど、サン=シャルル通りに面した小さなバーに、ルドヴィク中佐と彼を探しに来たレオンハルトの姿があった。


 日も暮れて、本来ならば飲食店の多いサン=シャルル通りには大勢の人が溢れかえっている時間なのだが、今日は人の姿がまばらだ。店も閉まっているところが多い。

 レウスカの電撃的な侵攻の前に敗北を重ね、ヴェルサイユの陥落すら(ささや)かれている現状では仕方ないことだ、と言えるだろう。


「一応、勤務中なんですが……まあ、中佐のお言葉とあっては断れませんね。一杯だけ、お付き合いしますよ。――チャイナ・ブルーを」


 レオンハルトはニヤリと笑いながら席に着き、グラスを拭いていたバーテンダーにカクテルを注文した。

 注文を受けたバーテンダーは、無言でカクテルシェーカーにライチ・リキュールとブルー・キュラソー、そしてグレープフルーツジュースを入れて混ぜ始めた。


「ありがとう」


 無愛想なバーテンがグラスにカクテルを注ぎ、レオンハルトに差し出す。

 それを見たルドヴィク中佐が鼻で笑う。


「けっ。気取りやがって……。おい、もう一杯頼む」


 ルドヴィク中佐がそう言うと、相変わらず無表情のバーテンダーがロックグラスにバーボンを注いで中佐の前に置いた。


「またそんな強い酒を」

「酔わねぇから良いんだよ。……ほら」


 ルドヴィク中佐がグラスを顔の前に掲げる。

 レオンハルトはそれを見て、苦笑しながら自分のグラスをルドヴィク中佐のグラスに軽く合わせた。


「乾杯」


 小さく唱和するとルドヴィク中佐はグラスを一気にあおり、レオンハルトは味わうように少しずつ飲み始める。

 全く以て正反対な飲み方だが、白髪交じりの灰色の短髪に彫りの深い顔立ちをしたルドヴィク中佐と、金髪碧眼(へきがん)という典型的なベルク系の端正な容姿を持つレオンハルトのそれぞれどちらにもよく似合っている。


「それにしてもどうしたんです? 中佐が一人酒なんて珍しい」

「そうでもねぇよ。祖国(FCL)にいた頃は、いつも一人で飲んでた」


 レオンハルトには、訓練終わりに隊員たちを伴って基地に近い酒場で騒ぎに加わるルドヴィク中佐の姿が印象に強かったため、中佐の言葉は意外だった。


「何となく、イメージと違いますね」


 何気なく呟いたレオンハルトに、ルドヴィク中佐は自重するような笑みを見せた。


「FCLにいた頃は荒れてたんだよ。バレンシアでずいぶん仲間を亡くして、な」

「……」


 レオンハルトの微笑が固まる。


「はっ、お前がそんな顔するこたぁねぇよ。昔の話だ。とっくに乗り越えたさ」


 ルドヴィク中佐はそう言うが、表情はその言葉を裏切っていた。


 ルドヴィク中佐が日本の高官に誘われて第6航空団のパイロットとなったのは1988年。三年前のことだ。

 その間、第6航空団が海外に派遣されることがなかった訳ではないが、戦死者を出すような紛争は経験していない。


 ところが開戦以来、すでに五人がこのラピスの空に散っている。仲間を立て続けに失ったルドヴィク中佐が昔の記憶を思い起こすのも、無理のない話だった。


「ただな、やっぱり仲間が死ぬのは(こた)えるもんだぜ。指揮官として、引っ張る立場にいるとなおさらだな」


 ぽつりと呟いた言葉こそが、ルドヴィク中佐の本音だろう。

 レオンハルトは黙ったまま話を聞いていた。


「エディ、リック、ニコ、タカシ、エイノ。どいつも日本に家族がいる。その家族に、俺は遺体すら見せてやることができねぇ」

「それは……」


 パイロットが戦闘中に死ぬのは、多くは搭乗機を撃墜されることが原因だ。当然、五体満足な遺体があるはずもなく、戦時中とあってはバラバラになった遺体を回収することすらままならない。


「あいつらも家族も覚悟はしてただろう。それでも、やりきれねぇもんだ。……お前は、カエデを死なせるなよ」

「元より、死なせるつもりはありませんよ」

「口の減らねぇ奴だ」


 そう言うと、ルドヴィク中佐はバーボンを飲み干し、50エキュ紙幣一枚をカウンターに置いて立ち上がった。


「釣りはいらん。それと、こいつの分も一緒に頼む」


 ルドヴィク中佐の言葉に、バーテンダーは無言で頷いて紙幣を受け取った。


「中佐、支払いなら私も――」

「ああ、構わん構わん。大人しく(おご)られとけ」


 財布を取り出そうとしたレオンハルトに、ルドヴィク中佐はひらひらと手を振ってバーを出て行く。

 レオンハルトは慌てて自分のカクテルを飲み干すと、1エキュ紙幣を二枚、チップとしてカウンターに置いてルドヴィク中佐の後を追った。


「またのお越しを」


 無愛想なバーテンダーがようやく口にした言葉を背に、レオンハルトはバーを出た。


「中佐」

「何だ、もっとゆっくり飲んでて良かったんだぞ」


 追いついたレオンハルトをちらりと振り返りながらルドヴィク中佐が言う。

 レオンハルトは苦笑しながらこう答えた。


「中佐を一人で帰して自分は飲んでた、なんて知れたらナラサキ中佐に怒られますよ」

「怒りゃしねぇだろ。せいぜい、冷ややかな目で見る程度だ」

「どっちにしても恐ろしいですよ」


 ナラサキ中佐は第6航空団の作戦部長を務める人物で、その辣腕ぶりもさることながら、射抜くような鋭い眼光と理路整然とした弁舌によって、荒くれ者たちからの信頼と恐怖を得ている。

 レオンハルトは素行の良さもあって、ナラサキ中佐に目を付けられたことはないが、お調子者のジグムントなどは幾度となくお叱りを受けており、苦手としていた。


「そういやレオ、ナラサキが俺を探してたって言ってたな。何の用件か分かるか?」

「いえ。ただ、この状況ですから。敵の動きに関して何か情報が入ったのではないでしょうか」


 レオンハルトがそう言うと、ルドヴィク中佐はフンと鼻を鳴らして笑った。


「敵の動き? そんなの一つに決まってるだろうが。数でこっちを押し潰しに来るんだよ。あっちの戦力が尽きるまで、粘る。俺たちの戦いはそれっきゃねぇ」







 1991年6月28日午前4時22分。哨戒飛行中のラピス空軍機が、敵機と交戦、という通信を最後にロストした。

 ラピス国防軍におけるヴェルサイユの防衛責任者である、ヴェルサイユ広域司令部のコルネイユ中将は、レウスカ人民軍によるヴェルサイユ攻撃が開始されたと判断。市街全域に避難命令を出し、同時に南西部で展開する部隊に対して防衛戦の準備を命じた。

 また、ヴェルサイユ国際空港やヴェルサイユ空軍基地に展開する空軍部隊にも出動命令が出されており、この中にはレオンハルトたちアイギス隊も含まれている。


 そして、午前4時50分。レウスカ人民空軍の大規模な航空支援の下、クラトフスキー大将率いる第1軍がティエール線への攻撃を開始。

 ルドヴィク中佐の言葉通り、レウスカ人民軍は圧倒的な物量を以てヴェルサイユを攻略せんと、ラヴィーナ作戦の総仕上げに取りかかったのである。


 こうしてラピス戦線におけるハイライト、後世において第一次ヴェルサイユ市街戦と呼ばれることとなる戦いの幕が開いた。

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