夏が終わる日
母はよく笑う人だった。琥珀色の目を細めて、蜂蜜色の髪を揺らして、子供のように無邪気に笑った。私はそれをひまわりと形容したが、父は彼女を天使だと言った。
母は勢いよく泣く人だった。彼女が涙を流したのは、私が小学校に入って一年と少し 経った頃、父が何度目かに家族の約束を破った時だった。もう30になるというのに、彼女は子供のように大声をあげて泣いた。父はひどく狼狽して、なるべく家族を優先させることを必死で約束した。私には、母の慟哭が理解できなかった。私は、軌道にのりだした新しい事業から父が手を離せないことを知っていた。授業参観に父が来ないことで寂しい思いはしなかった。故に、母のように父を詰ることをしようとは思わなかった。単に、いい年をした大人がこれほど思い切って泣けることに衝撃をうけただけだった。あとから考えてみれば、私があのとき父の存在を気にかけずにいられたのは母から注がれていた愛情によるところが大きかったのだろう。当時の私はそんなことにも気づかず、きっと家族のなかで一番家族を軽視していた。それでも母は私に、父に、一心に愛を注ぎ、父もまたそれに応えた。けれども父はやはり非常に多忙だった。彼は周囲の期待を一心に背負う、前途有望な若者だったのだ。結局のところ、家族の休日は母と私の休日であることがほとんどだった。
その日も母と私は二人で出かけた。母はつばの広い帽子を被り、それに良く似合う可愛らしいワンピースを着ていた。私は母とおそろいの、ふわふわしたピンクのワンピースを着た。後ろ髪を残して左右の髪を少し掬ったツインテールにはピンクのリボンが揺れていた。
不意に、強い風が吹いたのを覚えている。風に誘われて、母の帽子はふわりと舞った。帽子は、かつて父から母へと贈られたものだった。母は躊躇うことなく帽子に手を伸ばし――――その指先が帽子を掴むことはついになかった。騒音、静寂、そして喧騒。やがて鳴り響く救急車とパトカーの騒々しいデュエットの合間に、知らない大人が私に声をかけ、気がつくと私は知らない部屋で父の迎えを待っていた。観葉植物と白い椅子の置かれたその部屋は、清潔で、シンプルながらも洗練された雰囲気を醸していたが、蒸し暑かった外とは違い空調が効きすぎて寒いくらいだった。
やってきた父はひどく動揺していた。そのあまりのうろたえように、流石の私も不安を抱いた。私はまわりの騒々しさにすっかり疲れきった重い体をなんとか動かし、いつも通りにに笑みを貼り付けて父を宥めた。やがて落ち着きなく動かしていた目と口が静まってくると、父は不意に私をみつめた。そして何を思ったのか、力なく笑い声をこぼしたのだった。
父は数日のあいだ会社を休んだ。休んだといっても出勤をしないだけで、父の書斎のそばへ行けばキーボードのカタカタいう音と、電話に受け答えする低い声が聞き取れた。私も学校を休んだため、父と過ごす時間は増えたが、父と共通する話題を見つけるのは困難だった。普段あまり父と関わることのなかった私は、母に関わる話題を避けながら父との会話を盛り上げる術を持ち合わせていなかった。ものごとを盛り上げるのはいつも母の役目で、私たちはただそれに便乗していただけだったのだ。
やがて母の葬式も終わり、父が仕事に復帰する段になると、父は一時的に家政婦を雇った。ある日、玄関先まで家政婦を見送ったとき、微かな風に誘われて紅葉が一葉舞い込んできたことがあった。僅かな時間だけ家に勤めていた家政婦の顔を私はもう覚えていない。当時でさえ、きちんと覚えていたかといえばそうではなかったはずだ。それでも、そろそろ秋になりますねぇ、と呟いた彼女の言葉は、今もまだしっかりと覚えている。私のまわりが色づきはじめ、肌にあたる冷たい風を感じるようになったのは、それからもう少ししてのことであった。