45話 再戦
砂から生まれたフェンリルは低い唸り声で慎也を威嚇する。
一方の慎也は突然のことで頭が上手く回らない。
(こんなところで戦ったら大きな被害が出てしまう。
それどころか、武器もない今の状況ではどれだけ持つか……)
慎也が動揺している間にフェンリルが先手を打ってきた。
周囲に振動が伝わるほどの咆哮と共に大きな口を開け、慎也目掛けて飛び掛かる。
慎也は瞬時に身体強化の魔法をかけ、大きくジャンプする。
フェンリルの背を踏み台にして上手く背後に回り込んだ。
この1回の攻防だけで両側の建物は壊滅的な被害を受けている。
慎也は街中で制御の難しい雷の魔法を放つことに躊躇いを感じた。
その一瞬の隙をつき、フェンリルは魔力の余波を放つ。
慎也は吹き飛ばされ、さらに周りの建物に壊滅的な被害が出る。
「くっっ……痛てて。」
慎也は壁に背中からぶつかり、大きな衝撃を受ける。
そして、慎也が体勢を整えつつ、前方を見るとそこにはフェンリルの前足が慎也目掛けて振るわれるところだった。
「まずい!!!」
慎也は後ろが壁のため横っ飛びに回避を試みた。
「……かすっただけでこれか。」
慎也の胸の部分には大きな切り傷が出来ていて、大量の血が溢れ出ている。
慎也はフェンリルと目を離さず向かい合う形でなんとか立っているが、フェンリルには何の傷もない。
戦況は明らかだった。
その時、多くの悲鳴があがった。
慎也たちがいたのは劇場の裏手側で人通りの少ないところだったが、劇場の中の人がフェンリルの存在に気づいてしまったのだ。
そして、劇場の中の客は少しでもフェンリルから離れる方向に、他の人を押しやってでも逃げようと悲惨な状況になっている。
すると、フェンリルはその劇場の方へ走り出した。
そして、壁に体当たりをし、壁を壊して、まだ逃げ切れていない人たちに向けて咆哮する。
一際、大きな悲鳴があがった。
「おまえの相手はこっちだ!」
慎也は全身に雷の魔法を纏わせ、猛スピードでフェンリルに接近する。
そして、顔の位置へ飛び掛かる。
「これでも喰らえ」
フェンリルの眼を目掛けて踵落としを喰らわせる。
フェンリルは痛がり、一瞬弱弱しい鳴き声をあげるが、すぐに体勢を立て直し、慎也目掛けて魔力を飛ばす。
捨て身とも言える攻撃の後で完全に無防備になっていた慎也は再び吹き飛ばされた。
そして、フェンリルは怒りを露わにしながら、慎也のみを標的にする。
慎也は地面に全身を打ちつけられ、痛みに苦しんでいた。
劇場にルーイがいることが頭をよぎるが、ルーイまで届く大声など出せそうもない。
慎也は死を意識した。
その時、
「ちょっと待たんかい!!」
完全に慎也しか眼中になかったフェンリルは、横っ面を殴られて倒れこんだ。
「社長……」
ガリガリなはずの社長の体は、今は全身ムキムキである。
それどころか、いつもより体格も1回り大きく、顔も凛々しい。
「はぁ~い、元気~?」
中身は変わっていないようだ。
「……見たからに元気じゃないと思いますが。」
慎也は独り言ぐらいの声量でツッコミを入れた。
今、社長は慎也に話しかけるために、フェンリルに背中を見せている。
フェンリルは機敏に回転して体勢を整え、今度は社長目掛けて飛び掛かる。
「ポポローポス、戦闘中に相手に背を見せるもんじゃないわ。」
大量の水魔法の激流によって、フェンリルは今度は反対方向に弾き飛ばされる。
何でも屋の受付のメシアがゆっくりと歩いてくる。
「すまんの~。
まぁ、お主らがいれば、わしの出番などないんじゃから、ええじゃないか。」
社長は、いつも通りの軽口で答える。
社長もメシアも全く緊張感ない様子である。
(メシアさんもこんなに強かったなんて知らなかった。
でも、メシアさん、社長にあんなこと言ってて、今は普通にフェンリルに背を向けて歩いてますがいいんでしょうか?)
慎也は、ついさっきまで死を覚悟していたのに、今はこの状況に開いた口も塞がらない。
フェンリルは2人にいい様にやられ、流石に自分の危険を察知したのか唸り声をあげ、魔力の余波を周りに撒き散らして、本気になったようだ。
しかし、その時、フェンリルの顔に剣閃が走る。
フェンリルは痛みに苦痛の声をあげた。
「何でオレがいつも面倒事を」
「さっさとやれ。」
話の途中でメシアに遮られたのは、先程の剣による攻撃を喰らわしたらしい男。
手には非常に長く・細い剣を持ち、騎士団の服を着ている。
まだ若いであろう顔立ちだが、風格があり、威圧感を与える印象からよく年が分からない。
男は、メシアの容赦ない返答にめんどくさそうな顔をしている。
そんなことをしている間に、怒り狂ったフェンリルがその男目掛けて突進する。
「危ない!!」
慎也は声を張り上げた。
しかし、男はめんどくさそうな態度からは想像もできない素早い動きで横っ飛びで突進をかわす。
そして、フェンリルの顔の横の空中で剣を振りかぶる男の姿があった。
その剣は目にもとまらぬ速さで振り下ろされた。
フェンリルは首が完全に切断され、横にゆっくりと倒れる。
倒れた後、フェンリルの亡骸は砂へと変わった。
「大丈夫だったかの?」
社長が慎也の前まで来て言う。
「あまり大丈夫じゃありませんが……
街の被害はどうなんですか?」
慎也は座った状態で胸に手を当て、細胞活性の魔法をかけながら社長と話す。
「……それなりの被害は出たじゃろうな。
まぁ、お主がいてくれたおかげで、だいぶ少ない方じゃて。」
社長は少し励ますように声をかけた。
「とりあえず、Aランクの3人で元凶を抑えることになったの。
だから、他の人が被害を調べてるから、まだ何とも言えないわ。」
メシアが社長の補足をする。
「メシアさんもAランクだったんですね。知りませんでした。
……ということは、あちらの方が騎士団の団長さんですか?」
最終的にフェンリルを仕留めた男は、長い剣で砂をかき分けたりしている。
「そうじゃ。
魔法も剣も使える優秀なやつじゃよ。」
社長が答えた。
「にいちゃ~ん!
たいへんだよ!!!」
慎也たちのもとへルーイが走ってくる。
「どうした?」
「さっき劇を見てる時に急にでっかいおおかみがあられて、壁がこわれた時に女の子が壁のこわれたのにつぶされちゃって……ぼく、かべをどかしてあげたんだけど、もうまわりじゅう血で真っ赤になってて」
ルーイは泣きそうな顔で一生懸命説明する。
「待って、どこにいる?
すぐに行こう!」
ルーイはパッと明るい顔になって言った。
「うん!
まだ劇場のステージの上にいるよ。
もう息してないんだけど、助かるよね?」
慎也も、その場にいた社長もメシアも、固まった。
フェンリルが劇場の壁を壊してから、少し時間がたち過ぎている。
「ルーイ……それはもう助からないんだ……」
「なんで!?
なんで、みんなそういうの?
かわいそうじゃないの?」
ルーイは大きな声でわめく。
慎也はギュッとルーイを抱きしめる。
「人間はすごく弱くて、簡単に死んじゃうんだよ。
でも、誰だって死にたくないし、仲のいい人には死んで欲しくない。
みんな、すごく強くそう思ってるよ。
……けどね、死んだ人を生き返らせることは誰にも出来ないし、しちゃいけないんだ。」
「でも……だって、さっきまでちょっと前まで元気に歌ったり、おどったりしてたのに……」
ルーイの目からぼろぼろと涙がこぼれ始める。
どうも死んだ女の子は、劇に出ていた子役の女の子ようだ。
「自由になりたいって……ぐすっ……もっと遊びたいって言って、ようやく自由になったのに……」
ルーイの中では、劇の中の話と混同しているらしい。
劇は、不運な少女が苦労しながらも、たゆまぬ努力で自由を手にするという話のはずだ。
ルーイは本格的に泣き出してしまう。
慎也は、その女の子に家族がいて、まだこれから明るい未来があったであろうことに思いを馳せ、胸が締めつけられ、目頭が熱くなった。
「……強くなろう。
守りたい人を守れるように……もっと……もっと強く」
慎也は心の中で強く思ったことを言葉としてこぼした。
住人達は避難しているため、がらんとした街の一角でルーイの泣き声だけが悲しく響く。