1話 森の中で
「ここは…どこだ?」
慎也は、辺りを冷静に見回す。
そして、頭の中で状況を整理していく。
(今日は日曜で、会社に行く用事もなく、本屋で立ち読みを…と思って家を出て…
駅まで歩く途中で…携帯を使っていたな。駅には着いてなかった…と思う。
そして…今に至ると。)
「訳が分からん。」
思わず言葉が出てしまうほど、慎也は理解が追いつかない状況に困惑していた。
おもむろに携帯を取り出し、慣れた手つきで操作していく。
そして、得られた結果と現状を理系らしく頭の中で整理する。
(携帯は電話どころか、ネットも使えない。今あるデータだけでは、何も役に立たない。
現在地…まったく不明。方角さえ分からない。
周りの木々、植物により得られること…情報・知識不足によって不明。
食糧…なし。
体調…問題なし。
服装…普通にカジュアルな私服。今は適さない。
サバイバル生活に使えそうな物…なし。)
「ふ~~。」
溜め息が出て、思わず右手で目元を覆ってしまった。
数秒その体勢を保っていたが、少し手をずらし、眉間に軽く人差し指と中指をそえる。
目は閉じている。
そこには、困った様子が顔に出ていた今までとは少し異なった顔があった。
「こんなことは…考えるまでもない。
今、決断すべきはここを動くか動かないか。それだけだ。
そして…それを理屈ではなく直感で決め…」
集中した表情から、目を開き、小声で考えをつぶやく。
慎也が腹をくくろうとしていた、その時だ。
「ガサッ、ガサガサガサッッ!!!」
何か大きな物が動く音がした。
慎也は鳥の鳴き声が聞こえたのもあり、野生動物がいることは理解していたが、あまり頭の中になかった。
一瞬、身構えるが音から遠ざかるように少し移動し、木を背後にする。
同時に携帯を操作する。
「考えるべきは最悪の状況…。
つまり、凶暴な肉食獣が近づいていると想定する。
そうすると、出会う前に追い払うのがベストだから…音だな。」
慎也は頭をフルスピードで回転させ、物事を考えていく。
もともと理系の大学を卒業している慎也は、頭の回転が普通の人よりもかなり早い。
今の異常事態では、火事場の馬鹿力のごとくいろいろな選択肢を考慮していく。
思いついたのは熊よけの鈴だ。
弱食強肉の世界で鳴き声などの音を出すのは、基本狩る側だ。
狩られる側はこそこそ逃げる。
だから、逆にハッタリをかます。
会社でも最初に徹底的に言われたことだ。
相手にこっちが上だと思いこませろ。そのために堂々と行動しろ。
決して今の慎也は堂々とは出来ていないが、地球の世間一般から考えれば、かなりの高得点の行動だ。
携帯のアラームを最大音量で鳴らす。
慎也の感覚ではかなり大きい音だと思っていたが、今聞くと頼りない。
「いっそのこと、これがフィクションのごとく異世界召喚であって欲しい…。
そうすれば、この後に来るのは…召喚者だ。人間でさえあれば…何とかなる。」
初対面の人との円滑なコミュニケーションは、これまた会社で場数をこなしている。
身振り手振りで結構何とかなることを慎也は知っていた。
そして、目を見開き、周囲を警戒していた慎也の前に現れたのは…5頭のオオカミだった。
「…終わったな。」
慎也は軽く失笑しながら呟いた。
慎也の前に現れたのは、オオカミと呼んでいいのか分からないが、それらしい外見をしていた。
そして…2匹はバカみたいに大きい。2メートルくらいだろうか。
他の3匹でようやく慎也がイメージしているオオカミの大きさだ。
オオカミは慎也を取り囲むように散らばった。
そして、大きな2匹の内の1匹がゆっくり前進する。
「こっちはもうほとんど観念してるっていうのに…逃げ道まで潰して…。
警戒心が強いのは分かるが、オオカミってこんなに知能が高いのか。知らなかった。」
知らない人が見たら、まったく取り乱さない慎也の様子は異常だ。
諦めが早すぎる。
「…苦痛なく死にたいと常々思っていたが…それすらもままならなそうだ。」
慎也はポツリと呟きながら、オオカミを見つめる。
「…綺麗な瞳だ。澄んだ…青だな。」
もう距離は1メートルほどになっている。
オオカミの大きさを考えると、もう充分に射程圏内だ。
その時だった。
ゆっくりながらも明確に獲物を狩るための行動をしていたオオカミが動きを止めた。
どっちが狩る側なのかは明らかだ。動きを止める理由はない。
視線が外れない。
慎也は不思議な感覚だった。
視線が交わってから、周囲が気にならなくなり、世界に自分と目の前のオオカミしか存在しないような感じがしていた。
そして、目の前の存在をどうにでも出来る。
そんな気がした。
そして、慎也は視線に力を込める。
強く見た。
睨みつけたと言ってもいい。
そうすると、なぜか目の前のオオカミは全速力で逃げ出した。
あわてて他の4匹も後を追った。
「何だったんだ一体…。」
慎也は木を背もたれに座りこんで、小さく笑った。
それは、緊張が途切れたことによる何も考えていない行動だった。
少し座って休んでいた慎也だったが、すっと立ち上がり歩き出した。
ここにいるのは危険と判断したのだ。
方角はオオカミが逃げっていったのと反対方向だ。
大した理由はない。ただ、二度とあのオオカミに遭いたくなかったからだけだった。