『仕事のできない無愛想では侯爵夫人は務まらない』と言われたので退職しました。婚約も解消するので引き留めないでください
「キアラ! お前は一体、今度はどこをほっつき歩いてたんだ!!」
執務室に入るなり、婚約者であるハロルド・ウェストンからの叱責が飛んできた。
ここは王宮の会計部署のうちの一つで、私――キアラ・オーウェルは彼の補佐を務めている。
なので長時間の離席は問題かもしれない……けれども。
「……遅くなってすみませんでした」
私は不承不承、謝罪の言葉を口にする。
これも仕事を円滑に進めるためとはいえ、なんだか遠い目をしてしまうのも仕方ないと思う。
「フン、どうせまたどこかで長話でもしていたんだろう。どうすれば書類を回収して戻るだけでこんなに時間を食うんだ」
「はぁ……すみません」
話が長引いたのは事実だけど、別にサボっていたわけでもなし。
いくつかの部署をまたいで少し説明や修正の必要な箇所があったので、思っていたよりも時間がかかってしまった。
子どもではないのだから、必要なときたまたま傍にいなかったからといって、こんな風に苛立ちをぶつけられても困る。
どうにも田舎出の私のやり方は、王都の作法に合っていないらしい。
それでも私の婚約者はハロルドで、ここの責任者も、私を補佐に指名したのも彼だ。
必要とされているのだから、役目を果たすべきなのだろうけど……くどくどと小言を言われては、うんざりしてしまうのも事実。
「おい、まだ俺が話しているんだからぼんやりするな! 全くお前は、何を考えているんだか……。そうだ、せめて少しくらいは愛想よくしたらどうだ。向こうの部署のアーネット嬢は、いるだけで場が華やいでいたぞ」
「……はぁ、ソウデスカ」
ハロルドが言っているのは、美人職員で有名なルイーズ・アーネット嬢のことだろう。
私も何度か話したことがあるけれど、可愛くて魅力的な女性だった。
しかしいくらなんでも、王宮でも評判の人気者と比較されても困ってしまう。
それにどうにも私は愛想よく振る舞うのが苦手だし、多少の努力では効果は薄いだろう。
そんな私の反応をよそに、ハロルドはまだつらつらと不満点をあげつらっている。
……こっちの方が、よっぽど長いんじゃないのかな?
いい加減、書類の整理をしたいんだけど。
とはいえ、余計に機嫌を損ねられるのも避けたいところだ。
けれど部署の雰囲気的にも、そろそろ切り上げさせた方がいいだろう。
そんなことを考えた矢先、これまで聞き流していたハロルドの小言から看過できない一言が飛び出した。
「――こんな調子じゃ、次期ウェストン侯爵夫人は務まらんぞ」
もしかすると、彼にとっては何気ない、発破を掛けるための一言だったのかもしれない。
けれど私にとっては、まるで天啓のように感じられた。
王都のやり方に合わせられないようでは、彼の結婚相手には相応しくないのだ。
この同じ職場での仕事は、そうした適性を見るためのものでもあったのだろう。
彼の小言や苛立ちも、一向に馴染めない私へのもどかしさがそうさせてしまったのかもしれない。
ははぁ、と全てが腑に落ちて目を瞬く。
同時に『私には無理だな』という率直な感想が浮かんだ。
「あの、それなら結構です」
「は?」
私の返事が意外だったのか、ハロルドは小言の口を止めてポカンとしている。
私は、今しかないと彼に一歩近づいた。
別に、これ以上お互いが無理に我慢する必要はないと思うのだ。
「私の仕事ぶりでは、ご不満だったのでしょう?」
「いや、それは……」
口ごもるハロルドの机の前で、キュッと姿勢を正す。
「このお仕事、辞めさせていただきます!」
「はぁぁぁあ!? おまっ、急に何を言っているんだ!!」
素っ頓狂な声を上げるハロルドを興味深く見つめる。
もしかするとそんなつもりはなかったのかもしれないけれど、既に私の心は決まった。
この機を逃さぬべく、私はもう一度退職の意志を伝える。
「私には、これ以上ここでのお仕事は務まりそうにありません。王都や王宮には優秀な方がたくさんいらっしゃいますでしょう? 補佐にはもっと相応しい方をお選びになったらよろしいと思います」
息の合うパートナーが必要なら、新しく探した方がいい。
私の察しが悪かったせいで、とんだ遠回りをしてしまったみたい。
ようやく私の意図が伝わったのか、ハロルドは困惑を払うように頭を振った。
真剣味を帯びた表情に、期待が膨らむ。
「キアラ……お前、仕事も満足にできないのに投げ出すようじゃ、俺の婚約者でいるのは難しいぞ? 本当にわかって言っているのか?」
「もちろん、私たちの婚約も白紙に戻しましょう! 両家の間で行っている事業などはございませんし、昨今では当人間での性格の不一致も婚約解消理由に十分該当しますもの。支障はないでしょう」
「なっ、お前……!」
お互いに恋愛感情があるわけでもなし。
一緒に働くだけでも息苦しいのに、共に円満な家庭が築けるわけもない。
ハロルドはまだ何か言いたげだったし、なんだか周囲も騒がしい気がする。
けれどこのときには、私も随分と興奮して気が逸ってしまっていた。
次の言葉が出てこない婚約者殿に、精いっぱいの余所行きの笑みを浮かべる。
彼の望んだ華やかさではないだろうが、それでも令嬢らしく礼をとってみせた。
「正式な書類は後日お送りします。それではごきげんよう!」
「おっ、おい待て――」
私はこの素敵な決断に、肩の荷が下りた心地がした。
最後に引き留めるような声が聞こえた気がしたけれど、もう話は済んだ。
私は軽い足取りで、王宮を後にしたのだった。
***
――キアラが電撃退職して、しばらく。
たった一人抜けただけの執務室には、重苦しい雰囲気が圧し掛かっていた。
一体、どうしてこうなってしまったのか?
ハロルドは何度も脳裏で反芻し続けていた。
はじめのうちは、売り言葉に買い言葉だったと思っていた。
キアラもじきに反省して、戻ってくるだろうと。
謝罪されたなら、こちらも少し言い過ぎてしまったと伝えるつもりだった。
けれど……キアラは戻らなかった。
届いたのは、彼女のサインとオーウェル辺境伯家の紋章の入った婚約解消に関する書類。
気づけば、王宮側での退職処理も済んでいた。
ハロルドは、ようやくキアラが本気だったのだと認識したものの――それがどんな事態を引き起こすのか、まだ理解できていなかった。
キアラが不在になったことで、彼女が担当していた業務は他の職員たちへ割り振っていた。
とても同じようにはできないと反発もあったが、あくまで短期間のことで、もしも彼女が戻らなければ代わりを配属させればいいと考えていた。
彼女が行っていたのは、あくまで補佐。
専門的な計算処理などを任せていたわけではない。
なので各々が必要な書類の受け渡しに出向いたり、自分で出した資料は片付けるなど、ひと手間増えるが分担すれば大した労力でもない。
ハロルドがキアラに任せていたのは、そういう仕事のはずだった。
けれど……小さな亀裂から、少しずつ水が染み出してくるように。
些細な一つ一つの作業が、じわじわと業務の効率を奪っていった。
一見なんの変哲もない伝票をいつも通り処理したら、最後の最後にとんでもない記入ミスが見つかってやり直しになったり。
受理できない申請を突っ返せば、その理由を説明するのに時間を取られ。
大切な書類が部署を跨ぐうちに行方知れずになったせいで、探し出して処理するまでがひと騒動。
そんな綻びが徐々に広がっていくうち、部署の雰囲気は暗く澱み、次第に平穏は失われていった。
そして今、ハロルドは終わらぬ書類との格闘に明け暮れていた。
たった一人、キアラが抜けた。
ただそれだけなのに。
この部署の職員たちは大量の未処理伝票を前に、これまで通りの能力を発揮できずにいた。
それは、ハロルドも例外ではない。
――むしろキアラがこれまで行ってきた業務の重要性を理解していなかったハロルドが、一番そのことを痛感させられていた。
増え続ける業務を圧迫しているのは、細々とした差し戻しの繰り返しや、類似資料の抜き出しなど。
本来の専門的な業務に直接関わらないような部分だった。
何より、ハロルドがお使い程度に考えていた部署外の職員とのやり取りが、最も時間や精神を削り続けていた。
別の会計部署からなんとか職員を借りてきたものの、結局自分たちが部署間を行き来しなくてよくなっただけで、大した効率化には繋がらなかった。
キアラがいなくなって、ハロルドは自分がこの部署を任されたばかりのころを思い出していた。
たくさんの書類に囲まれて、それを期限通りに整然と処理していくのは誇らしかった。
けれど今にして思えば、あれはただ繁忙期を過ぎたばかりで最も業務の少ない時期のことだった。
次第に果てのない計算や資料との睨み合いが終わらなくなっていき、婚約者として休日を共に過ごすのも難しいからと、いっそキアラを補佐に選んだ。
共に過ごすうちに絆が深まり、ある程度王宮での仕事について理解してもらえばいいと考えていた。
それから業務が落ち着いていき、周囲に気を配る余裕が生まれたのは、彼女に色々教えているうちに慣れたのだと、人手が増えたから楽になったのだと思っていた。
――本当は、キアラが見えないところで面倒なことを片付けてくれていたおかげだったのに。
単純なお使いも満足にこなせないなどと考えていた自分が、あまりに浅はかで恥ずかしかった。
不要に時間がかかっているように見えていたことは、実際は彼女が前もって確認したうえで先んじて対処してくれていたからだった。
だからハロルドたちは、ただ机に向かって本来の仕事に専念できていたのだ。
専門知識を持たないただのお使いだったなら、こんな芸当は不可能だ。
ハロルドはようやく、自分がどれほどキアラに助けられていたのか思い知ったが、何もかもが手遅れだった。
何とか業務は回しているものの、状況悪化は周知の事実。
先ほど会計部署を統括する上司に呼び出されたが、向けられたのは叱責ではなく失望だった。
父には世話になったからと、優秀な人材を配置してくれていたこと。
盤石にサポートしてくれる婚約者まで連れてきて、将来有望だと、いずれ自分の後釜を任せるに足ると考えてくれていたこと。
しかし婚約者の有能さを見抜けずに、実質追い出したような真似をしたのでは、いくらなんでもあまりに未熟すぎる。
そしてどれほど有能とはいえ、たった一人抜けた程度でこのような有様になるのでは、管理者として問題があると言われてしまった。
そして……頼み込まれたので貸し出した職員を含め、ハロルドの部署にいる職員全員が転属願を提出したことを伝えられた。
今はまだ受理を見送るが、改善が見られなければ別の人間に部署を任せなければならないと、出世が難しいどころか事実上の最終宣告を受けたのだった。
久しぶりに家に帰れば、両親からの非難が待っていた。
キアラを王都に呼びつけたにもかかわらず、侯爵家で教育を受けさせるでもなく職場で補佐としてこき使っていると常々言われていたが、ようやくハロルドもその通りだったと認めざるを得なかった。
挙句、キアラから婚約解消を申し出られたことを、ようやく重く受け止め始めていた。
思えば、ハロルドはキアラを婚約者として扱った記憶があまりなかった。
食事や買い物に出かけたことはあったが、それも最初の頃だけだ。
そんな体たらくだった自分を棚に上げて、随分とキアラには酷いことばかり言ってしまった。
今さらこんな後悔をしたところで、もう彼女は戻らない。
謝罪の言葉はいくらでも浮かんでくるが、それを伝えられるほど今のハロルドは厚顔ではなかった。
これから先、しばらくは自身の落ち切った評価を払拭しなければならない。
ハロルドにできることは、それだけだった。
責任者同士での話し合いが必要になり、ハロルドがとある部署に顔を出したときのこと。
取り次いだのは、かつてキアラに対し引き合いに出したルイーズ・アーネットだった。
愛想よく応接スペースへ案内してくれた彼女に、ハロルドはついぽつりと口を開いた。
「君は……いいな。明るくて、華やかで。それに仕事もできるんだろう?」
ハロルドの言葉に、彼女は笑みを深めた。
「実は、私がそんな風に言ってもらえるようになったのはキアラさんのおかげなんです。以前は引っ込み思案で、ちっとも仕事ができなかったんですけど……美人なのにもったいない、笑顔で話しかければきっとうまくいくって。ふふ、そのあとも何回か困ったところを助けてもらって。退職されたのは残念ですけど、今もキアラさんは私の恩人です」
ハロルドが思わぬ名前に目を瞬いているうちに、彼女は上司と入れ替わるように去っていった。
去り際に冷たい一瞥を向けられていたのを、ハロルドは感じていた。
これまで自分に見えていたことが、全てじゃなかった。
ただ、自分がそれを理解していなかっただけ。
ハロルドは改めてもう一度、自らの愚かさによって失ったものの大きさを痛感したのだった。
***
退職してから、私はオーウェル辺境伯領に戻っていた。
いわゆる出戻りというやつだ。
ありがたいことに、父たちは私の決断を受け入れてくれた。
どこかへ急いで嫁ぐ必要もないだろうということで、私は出ていく前と同じように、父の仕事を手伝うことになった。
領地経営全般と会計のみでは幾分業務に違いはあるけれど、やっていることは今も昔も補佐の範疇になる。
けれど気心の知れた職場では、やりやすさが圧倒的に違う。
文字通りアットホームなのだ。
王都でハロルドにされたダメ出しについて話しても、みんな「何がダメなんだ?」と首を傾げるばかりだった。
やっぱり、環境による文化の違いのようなものがあったんだろう。
そして私には、王都のやり方は合っていなかったということ。
「戻りました――って、マシューだけ? お父様たちは?」
書類を回収して戻ってくると、執務室には一人しか残っていなかった。
マシュー・ファロンは、次期後継者である兄の補佐だ。
子どものころから知っている、幼馴染といっても差支えのない相手。
一緒にいると落ち着くし、彼とまた気兼ねないやり取りができるのは心地よかった。
「今日はもう上がるそうだ。キアラが戻ったおかげで仕事が早く終わるようになったからな」
「またまたー、そんなこと言っちゃって。あっ、そうだ。騎士団の来期予算案ももらってきたから、明日お兄様に渡してくれる?」
「わかった、預かるよ。ありがとうな。……こんなに助かるのに文句ばっかりだったなんて、王宮ってのは随分と気難しい連中だらけだったんだな」
「うーん、そういうわけでもなかったんだけどね」
慣れ親しんだ環境というのもあるけれど、やっぱり自分の仕事を褒められたり認めてもらうのは嬉しい。
やりがいを感じるというのはこういうことだよな、とも思ったりする。
「なあ、これからいつもの店にミートパイ食べに行かないか?」
頬を掻くマシューの素敵な提案に、自然と笑みが浮かぶ。
彼の言っているミートパイは、この辺ではおやつや軽食として子供のお小遣いでも買えるようなもので、いつもの店というのも商店街の広場にある露店の一つだ。
王都のカフェやレストランで出されるお洒落な料理ではない。
けれど思い出補正なども働くのか、なんだか妙に懐かしくて美味しいのだ。
「嬉しい! 久しぶりね、行きましょ!」
「おい、慌てるなって」
勢いよく立ち上がった私の前に、マシューの手が差し出される。
少しだけ跳ねた心臓の鼓動を感じながら、私は彼の手を握ったのだった。
というわけで、しごでき令嬢が認めてもらえる居場所で幸せになるお話でした。
今回はざまぁ部分を含めて、珍しくけっこう前向きな感じになりました。
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ここまでお読みいただきありがとうございました!




