第七話
校長室の前で怜利が止まった。ドアノブに手を掛けているのに、固まったように動かなくなった。
「どしたん?怜利?」
五級術者の安倍 陽が話しかけた途端振り向きながら後ろに下がってくる。
「先入っていいよ~。」
そういった怜利の後を、小柄でキツネビトの、木立 明がドアノブを握る。
明も握って、すぐに離した。怜利の方を見て目を泳がせる。何かあるのだろうか。
「陽、先行っていいよ。」
明も同じことを言った。やはり何かあるのだろう。
陽が怖気づいたのだろうか、手を震わせながら、ドアノブを握る。
「ぎゃっ」
と言って、飛び跳ねた。疾風がニマニマしていた。
「それ、感電するんだろ」
とか言って笑いを堪えられないらしい。大声で笑いだす。このバカは笑い転げすぎて陽に蹴られる。それで「いてぇいてぇ」言うのだから尚更バカ。
一番後ろにいた一瀬さんが、ドアの前に立ってこう言う。
「怜利も意地悪だなぁ、痛いのが分かってて変わるとは。皆悪いな、少し試したんだ。」
一瀬さんは、術式の隠匿式を分解して、式輪を見せてくる。それを見る限り、かなり強い術であることが分かった。
一瀬さんを見つめる陽の眼がやけに輝いていた。
これに耐えられる反作用術式を出せて。しかも常時纏える器量を見られていたという事だろうか。
校長室に入ると、入ってすぐの壁が埋められるように山みたいな書類が重なっていた。
説教時間の時にしか見ないような険しい表情の舘先生と、いつも通りボロボロの茶色いコートを羽織った陸弓先生、それから応接室で校長先生と教頭先生がなにやら話していた。
一瀬さんに促されて一人ずつソファに座らされる。ぴったりの数が用意されていた。マシュマロのようなソファは信じられないほどふかふかだった。皆ソファに埋まるように座った。校長室の埃臭さがやけにきつく感じた。
「放送にもあったように、この日本で戦争が起こる。それは理解してくれたかな?」
目の前にどっしりと構える一瀬さんは逞しく、大きく見えた。腕に見える古傷がやけに生々しく見えた。
「そこで君たちには日本中から集めた精鋭隊の中で動いて欲しいと思っている。」
その言葉を聞いた明は反論するかのように口を挟む。
「わたしたちを戦わせたいという事ですか?」
そう言った明の拳は震えていた。明の握り拳から、赤い血が垂れた。陽が、明の手を握って、その拳を開かせる。二人とも震えていた。明の血が床に落ちた音がしばらく校長室を占めた。
「まあ、俺はいつも戦ってるから全然いいんだけどさ、」
疾風が目を瞑りながら、口を出す。
「問題は、明と陽だよな。こいつら実戦経験ないからさ」
おバカにしては、的を射た言葉で、私も怜利も俯いてしまった。確かに実戦経験があるのは、私も含めてクラスの中に四人だけだったはず。皆が耐えられるほどの環境なわけがない。
そこで怜利が口を挟んだ。
「たす、一瀬さん。私たちのクラスには、成羅、疾風、私以外にあと一人だけ闘える猛者がいます。」
教室から幸璃が連れてこられた。
部屋に入った幸璃を見上げる一瀬さんは目を丸くしていた。ここまで身長が大きいやつだと思わなかったはずだ。思わず立ち上がって、身長を比べ始めていた。ギリギリ幸璃の方が大きい。まあ、十一歳で百八十ある奴なんて人間にはいないはず。
部屋に入っても、立ちながら目を閉じてうつらうつらと身体が揺れていた。眠そうな幸璃によると、一瀬さんが教室に来る前には寝ていて気力さえ感じなかったという。私たちと一緒に何度も術者と戦ってきたから耐性をちゃんと持っていたらしい。
怜利が幸璃のことを紹介する。
「及川 幸璃は、半巨人です。肉弾戦に関しては、私よりも強いです。接近戦のみであれば、十分すぎる戦力です。」
「それは興味深いな。」
やや食い気味に言った一瀬さんの顔が、真剣になっていた。長い波打った髪を後頭部にまとめて、首に提げていた紐みたいなので一本に縛った。首元に見える術式の紋様が目に留まる。
怜利が苦笑いをして先生たちの方を見る。
怜利によると髪をまとめるのは、戦闘の準備をするときの仕草らしい。
それを知っていてだろうか、舘先生が顔を険しくした。飲んでいたコーヒーカップを木術で流し台の方へ置いて。足をクロスさせて、手を組み始める。
窓際に座っていた陸弓先生のコートがなびく。膝の上に乗せられた手を見ると既に印が組まれていた。
「あぁ、気にしないで結構です、先生方。すみませんね、確かに強い者と会うとどうやら、癖が出てしまって。困ります。」
低い声で話し続ける。どうやら幸璃を認めたらしい。一瀬さんは怜利の方に目を向け、小さく頷いた。
これから起こるであろうことと、指示を多く与えて、校長先生に話をして、移動先での指令は怜利中心で行う事と言い渡された。
その内容に誰も反論はしなかった。しかし、聴いた内容通りに動くなら、今日の夜中には東へと行かなくてはいけないのだろう。
怜利は何度も準備物について一瀬さんと話し合っていた。途中から「将さん」と呼んでいるのは、つい二年前まで一緒に暮らしていた名残なのだろうか。
「一瀬様、時間です。」
気配を感じなかった。背後の扉の前におばあさんが立っていた。酷く腰の曲がったおばあさんだった。
「すみません先生方、私はそろそろ次の学校へと行かせていただきます。」
そう言って大きなソファから立ち上がり、すぐに行ってしまうものだと思った。しかし、いつになってもその太い足が動いていなかった。
横で陽の息をのむ声が聞こえた。見上げた一瀬さんの目は座っている私たちを温かい目で見ていた。何か言いたそうな表情だった。
黙ったまま、私たち六人の顔を何度も何度も見た。一瀬さんの匂いが、光のそれに変わっていた。一瀬さんは、目線を逸らして、歩き出そうとしていた。でも足が進んでいなかったことに自分で気付いたのか、足を戻して、吸気音がした。
「君たち、本当にすまないな。」
そう言った彼の目から、一滴の小さな涙が溢れていた。




