第二話
砂塵吹く荒れた大地を進む少年は、八神が所有するシェルターを探していた。巨岩の谷と呼ばれる荒野を越えればすぐに、オアシスが見えるはずだったのだ。
しかし、近頃の激しいテロのおかげで町も地形も変わり果て、人の姿なんかもってのほか、既に方向感覚を失いかけていたのだった。
少年は大きな溜息をつき、裂けていた継ぎ接ぎだらけのコートを脱ぎ捨てた。左腰に挿していた短刀の刃を握る。垂れる血を砂の上に垂らし、不思議な模様を描き始める。
八神屋敷を幼い頃から出入りしていた者がいた。それは荒木 成羅ただ一人ではない。踊るようなリズムで台所へ向かう黒髪の少年。
大川 疾風それが彼の名前である。
成羅に呼ばれて何が何だかも分からないまま、いつものように、伝えられた定刻には、間に合っていなかった。
「屋敷には…、誰もいないっぽいかな…」
呟く疾風。『妖気』を感じ取れる素質を持っていた。それに最近気づき、修行を始めていたのだ。怜利が帰った時にはより濃い修行を始められるのだろう。
疾風は少しだけ早歩きになっていく。全く動く気配のない成羅の妖気が少し気になっていた。屋敷の表玄関から上がり込み、調理棟に繋がる長い縁側を歩いていた。
調理棟に入ってすぐの倉庫の扉を開けた。そこを通って庭に出れば一番早いという事を知っていたからだ。
貰い物の小物家具ばかりが溢れ、乱雑を極めていた。怜利がコーヒー好きと知ってのことなのだろうか、コーヒーメーカーばかりが箱に入ったままになっている。
それらを一瞥して疾風は溜息を吐く。
畳の見えない部屋を一歩で飛び越えていく。疾風の足には『風術』が掛かっていた。その一歩の風圧で中身の入った多くの段ボールの山は割れたような音を立てながら、そこかしこに吹き飛んでしまった。
疾風はその光景を目の当たりにし、思わず悲鳴を上げる。この状態になってしまっては、成羅に怒られることは明白なのだから。
右往左往している内に方向音痴の疾風は調理室の前に辿り着いていた。帰っているはずのない怜利の気配を感じた。
疾風は首を傾げながらも扉を開けてみた。
目に入ったのは一段下がった床に寝そべる成羅だった。
「大丈夫!?死んでないよな、」
あくまでも確認のために、成羅の細い首を手で触った。脈は感じられた。妙に透き通った白い肌を平手で軽く叩いてみた。思ったよりも柔らかかった。
近くで見ると睫毛、長い、そんな感想が脳裏をよぎったが必死で首を横に振っていた。
頬の色に血色が無くなっていることに気付いた。
気を失ってるだけか。そう分かった瞬間、突如として吐き気が襲ってきた。成羅を抱きかけた腕を緩めてしまった。
勢いがついて成羅の頭は床に音を立てて着いた。
段々と背後に感じる強い気に見当がついた。
「変に気持ち悪いと思ったら、おまえのかよ」
振り向いたそこには、八神 怜利がいたのだった。
「今のは見なかったことにする…」
目を背けながら口角が少しずつ上がっていく。
怜利に成羅のことを尋ねてみた。
「ああ、私の血を吸ったみたいね。血で書いちゃったからかな?『飛天』で飛んで来たんだけど」
この家の主、八神 怜利が、ズタボロの服で壁にもたれかかっていた。
「まだ試作段階じゃなかったんだっけ?」
怜利の血は、半妖の成羅に吸わせると、意識を失うほど強い妖力を蓄えているのだ。
疾風は怜利の顔から視線を外して、しわくちゃで所々に血が滲んだ服を見た。
「怜利、怪我はねえの?」
「怪我?自分で切ったところ以外は切れていないし血も出てないよ。大丈夫。」
呆気に取られる疾風。しかし、長い間一緒に過ごしてきた疾風には、服に付いた血の正体などは察しのつくことだった。
怜利が左の手のひらをこっちに一切見せないのは、傷口を見せないようにするためだと分かっていた。
疾風は一応、今回の仕事の概要を尋ねてみた。しかし、「そんなことよりも先に、」とか言って左肩に成羅を担ぎ上げた。
ん……。怜利の匂いがした。幼い頃いつも嗅いでいた匂いだった。不思議と安心感を抱く。帰ってきたのかな。なんか話してる。
「へ~、それであれか、『炎術』の練習してたわけか!さすがだな…」
「まあ、そんな感じだね、」
この流れは仕事の土産話だと成羅は思う。
「怜利…?」
「起きたね、成羅、ただいま」
疾風との話を辞めて、私の顔を覗き込んできた。まだぼやぼやとする視界の奥で怜利が見えた。
「わたし、台所で倒れたんだよね…?」
怜利の研究室のベッドで寝かされていた。窓の外はまだ明るい。
「そだ。怜利が、陣書いて無理やり帰ってきたんだと。そん時の血だな。」
怜利の血には、私みたいな慣れてない者には、即効性の毒になるのだと聞いている。
「へー、怪我無い?」
どうせいつものことで大きな怪我なんかがないのは知ってる。隠してる傷があるのも知っている。
あったとしても絶対に怜利は言わない。それでも尋ねずにはいられないのだけれどね。
「大丈夫だよ。ありがとう。」
ほら、いつものことだ。明らかに自分で切った『におい』じゃない傷もあるのに。
「うん、良かった。」
そのまま何も言わずに怜利は見つめてきた。私の心臓がドクンと一気に鼓動したのが感じられた。
「おふたりさ~ん。見つめあってるところ悪いけど。今日はすき焼きだって聞いて来たんですけどー」
やめて、言うなって、言うな言うな!バレちゃうじゃん。
「ん?すき焼きなの?今日。」
やばい、怜利怒るかな?
「そ、そうだったかなぁ?あはは、オボエテナイヤー」
怜利が吹き出して笑った。
ぎゃーぎゃーと騒いだ後、丁度よく彩が来てくれた。買い出しに行く時間自体を間違えていた私は倒れる時にも既に遅刻していたらしい。
幼い時のおままごとみたいに、彩と怜利と三人で準備をした。
屋敷の皆はその調理の様子をカウンターの方から大勢で見ていた。
怜利が厨房の中で色々作ってくれないか、とか言ってたけど結局、彩がほとんど作っちゃうから皆見てるだけだった。あれやこれやしていて、作り終わったのは二十三時過ぎ。夜食になってしまった。
食堂の真ん中の机に大きな鍋を置いて、屋敷の皆は自由に取り分けていった。
それから、最初に口にした者が言った。
「あまぁ、」ってね。バカが砂糖の分量を多くしてしまったらしい。
食堂の皆と、その甘いすき焼きを貪り食べた。食事が終わったのは、一時過ぎ。楽しかった。
幼い頃と同じ優しい空気の中で。




