第十五話
闇深い森の中で私たち一行は通常群れることがない狒狒に囲まれていた。
悠希さんが刀を抜いて、飛び掛かってきた臭い狒狒を切る。真っ黒な血が飛び散った。彩が目を背けていた。生臭い匂いが鼻に来る。
疾風が風術で近寄ってくる狒狒を吹き飛ばした。いつもとは違う竜巻だった。かなり大きな妖力を使ったようで、膝を折った。倒れ込んだが、振り向いている暇なんて無かった。
私は、怜利から受け取っていた鎌の呪具を手に取り、それに妖力を加えた。あっという間に伸びて、長く、大きな鎌になった。不思議と重くはない。
「しゃがんで、」
怜利が皆に呼びかけた。怜利は私が動作に入る前にしゃがんでいた。どうやら分かっていたらしい。大きな鎌を自分の周囲を薙ぐように回した。振り終わりで、陽に当たる。
「あぶない、」
そう言ったのだが、私の鎌の刃の部分に足の裏を当てて、振った勢いを使って、狒狒たちの方に旋回しながら跳び回し蹴りを喰らわした。狒狒たちが四方に逃げ回りだしたところを、明が『木術』で捻り上げる。皆、辛うじてその蜷局のような巻き込みを避けた。
「ふぃー、終わったよな?」
陽が汗を垂らしながら言う。悠希さんが狒狒の体から刀を抜いた。
「手ごたえの無い子たちですね……」
そう言う悠希さんの妖力は一切乱れていなかった。
「どうだろうね?まだ残ってるよ?」
怜利が、服の袖から鎖を伸ばして林の木々の間を縫う。闇の間に、黒い飛沫が上がる。幸璃が足元にあった石ころを持って、後ろに振り向きながら投げた。忍び寄っていた狒狒の頭部にめり込ませたのだ。皆はその二人の様子を見て、息を呑むしかなかった。
狒狒たちの数を数える。骸を持ってきて並べていく。祓いではなく、滅したのならば申請しなくてはならない。そういう制度なんだ。
それにしても頭部損傷の体が多いのは残酷すぎるんじゃないのかな、と密かに思う。
皆で狒狒たちを一体ずつ慎重に運んでいたら、悠希さんが水術で一気にまとめて運び出した。
「なんで、そんなことしてるのですか?いつになっても終わらないよ?」
何とも思っていないような口調で、どこか優越感を持った匂いで私たちを見ていた。
陽は、血が顔に付くことも厭わずに背負って運んでいた。
私たちは陽のように運ぶことにした。
やっと一か所にまとめた頃、怜利が言った。
「あれ?おかしいね。数が合わないかも。」
指を指しながら、明が数えだす。耳がぴょこぴょこ動いていた。焦っているときの癖なんだとか。可愛くて仕方がない。
「私が鎌で巻き込んだのは、七匹だよ?」
私は確認するように言ってみた。すると後から皆が続く。
「俺、竜巻で五、吹き飛ばしたのが六。」
「私は、十一です。」
「わたし、切ったのが三。木術で潰したのが四。」
「おれ、よーん。」
幸璃は、両手で九を示す。
聞きながら狒狒を数えていた怜利は、訝しげな顔をする。
「四、足らない。どこいった?」
そう言った怜利の足元には陣が広がっていた。それは探知の陣だった。急速に広がっていく。辺りが、怜利の陣が放つ灰色の光で、明るくなった。
突然、強い妖力と、血生臭い獣の匂いがした。背中が泡立つように熱くなる。軽く吐きそうになる程だった。
「あ、うそ、」
悠希さんが口元を押さえる。気付いたのだろう。
明も目を大きく開けて、陽の腕を取る。気配と逆の方に連れて行った。
「いたね。成羅、幸璃、行こうか。疾風、悠希さん、残りの防衛任せたよ。」
怜利がそう言うと、怜利は、無限鞄の陣から二本の剣を取り出す。私に向かって、印の形を示した手を見せる。これは『氷術』だ。幸璃には、左の手首を叩く動作を見せる。
それをみた幸璃は自分の腕輪に付いた勾玉を三回叩く。それと同時に普段妖力を持たない幸璃に小さな妖力が滾った。怜利の匂いがする妖気だった。呪具だろう。
「来てる、」
怜利はそれだけ言うと一瞬で姿を消した。どうやら、幸璃をデコイにした、怜利の奇襲に、私の術式を合わせるつもりらしい。
「幸璃お願い。」
唇を裏返して笑いながら走ってくる一際大きな狒狒に幸璃も突っ込んでいった。幸璃の倍近い大きさだ。
幸璃は左拳で狒狒の肩を殴った。その拳には炎が纏われていた。
狒狒は打たれたのを気にしようともせず、幸璃に体当たりをした。大きく吹っ飛ぶ幸璃。私は吹っ飛んだ幸璃に真っすぐ走る狒狒の足元から、氷術を入れて、膝までを固めた。狒狒は私の方を睨み、氷が薄い右足の方を回して、凍った足を引き抜いた。
狒狒のしなった腕が私の水下ギリギリを掠める。そこに幸璃の横蹴りが入って、綺麗に飛んでいった。木に当たって狒狒は打ちつけられていた。しかし立ち上がった。
立ち上がってまたこっちに突進してくる、と思った。
狒狒の体に怜利の『獄縛』が巻き付いていた。
狒狒が吠えるように不気味に笑った瞬間。ロングコートが落ちてきたようなゆったりとした動作で、怜利が降りてきた。
怜利が、地面を見つめながら立ち上がって時には既に、狒狒の首は転がっていた。
狒狒の腹を裂いて見る怜利を横に、私はまだ空気中に漂う狒狒の匂いが気になった。彩たちの方に走った。
水しぶきが上がっているそこに向かった。またもや狒狒の群れが襲ってきていたらしい。
「あ、成羅さんっ。ちょっとおねがいします!」
奮闘する明と悠希さんがいた。彩を庇う様に陽が近付いて来る狒狒を蹴っている。その表情はあまりにも強張っていた。
私は氷術を唱えて、広範囲に『氷結』。悠希さんが水術で皆の周りに防護壁を作ってくれた。思い切り放った。
狒狒の群れは皆凍ったけど、代わりに放った方向の森が雪景色になってしまった。
皆のいた場所が、球状に雪を被っていた。疾風が風術で表面に被った雪を退かしてくれた。
「うっわ、成羅やりすぎだろ!」
バカがなんか言ってる。文句あるなら自分でやれ、という目で睨んでやった。まあ、このバカにはなぜか妖気が残っていないようだけど。
「凄い氷…、」
悠希さんが分厚い氷の穴に入ったままの彩と明を同時に引き上げながら、呟いた。陽は、蹴破って出てきた。
大きな狒狒の体を獄縛で運ぶ怜利と、身体が喰い千切られてバラバラになっている狒狒を両腕で抱えてくる幸璃が凍った森に近付く。
黒い妖気が辺りに充満し始めた。
「あれ?成羅大分やっちゃったねー、」
怜利が、背丈を越える分厚い氷を前にして驚いた顔をしている。
「透明だ、」
幸璃はそれだけ言って、氷にノックしだす。
また処理を始めた怜利が、口にする。
「皆、呪具はどう?いい感じ?」
「鎌めっちゃ軽いよ!」
口を突いて出た。本当に使いやすかった。
「怜ちゃんに預けておいたこの刀、切れすぎます。」
悠希さんもこれまで聞いたことのない声で興奮していた。
幸璃は、軽く頷くだけだった。私が立ててしまった氷に向かって拳を当て続けていた。
「それは良かった。」
怜利はそう言って、寝ている疾風を見つめていた。何か考える時の癖は何も変わらないのだな、と思った。怜利は、『浄化術式』終わらして無限鞄の中に手を突っ込む。
彩がおかゆを作ってくれた。皆それぞれ、上着がどこにあるのか分からなくなって、寒さに堪えていたらしい。私には分からないけど。
おかゆがとても美味しかった。牧場で買ったジャーキーと、チーズをみんなで一口ずつ食べた。しょっぱいのと、ほのかな甘みが口の中で広がって疲れもすぐ飛んでいった。
私たちは、狒狒の魂を処理しながら、まだ狒狒が凍っている氷のすぐ横で、一晩を明かした。




