第十三話
暗闇の中を進んだ。天狗の話だとあと二つ山を越えれば河童たちと会える、とか言っていたはずなのだが。
「なあ、怜利。これ進めてるか?」
疾風が怜利に訊いた。怜利は周囲を警戒しながら先頭を歩いていた。返事はない。その代わりに疾風の口を塞ぐ幸璃の気配がした。
怜利のメモ帳が開かれた状態で前を歩く彩から回ってきた。こう書かれていた。
『実は、河童たちと八神一門(東北分家)は敵対中。接触はしたくない。』
私たちは少しだけ身を寄せた。襲撃対処の楕円陣形に自然となっていた。
声を潜めて林の中を一定のスピードで歩いて行った。湿った枯れ葉で足が滑る。
明が怜利の横へ行って、何かを呟いていた。すると怜利が止まって皆その場に止まった。
怜利がその陣形の中心に来て、小声で話し始める。
「皆、疲れてない?今の時刻は、十九時半。あと二時間で牧場に着くはずなんだけど、ここらへんで休憩取りたい?」
誰も何も言おうとしなかった。幸璃が周りを警戒していた。ここら辺の山一帯が河童の域だと言いたいらしい。皆分かっていた。不用意に戦闘をしたくないから、怜利は今晩中に山越えをしてしまいたいのだ。
「進もう、」
しばらくの沈黙の後、陽が言った。軽く術式を開いて身体強化術式を掛け直した。その様子をじーと見ていた明が頷く。
「じゃあ、行こうか。」
怜利の合図で、今度は交互列陣形で進んだ。
一際大きな山が左側に見えていた。谷を歩いているらしい。澄んだ夜空に星が瞬いていた。
ふと鼻を突く重い臭いが流れてきた。それを感じたすぐ後に、悠希さんが小さく呟く。
「皆、まえ」
そこには何かを貪る河童の影があった。彩の嗚咽が聞こえた。いや、この光景を見慣れた私たちがおかしいのかもしれない。
幸璃と陽、明が飛び出そうとしていた。それを遮るように怜利が腕を広げる。
「行っちゃだめ。肉はなんなのかが分からない。周囲に他はいるかな?成羅分かる?」
いつも以上に冷たい声で淡々と怜利の声がした。
「いない。他の妖気がしないから。」
悠希さんが答えた。確かに他の匂いはしない。
「じゃあ確認に行こうか。成羅と、陽は付いて来て。疾風はここの上空からもしもの時は、」
疾風が跳び上がると同時に、怜利は珍しく何も言わずに大きく踏み出した。森の影から抜けた河原はどこか冷たい雰囲気だった。
口元を赤く染めた河童から七歩ほどの位置から怜利は声を掛けた。備品としてあった、認識遮断術式が纏われている面を被っていた。
陽と私も慌てて面をつける。
「こんばんは、鬼灯と言います。何をしていらっしゃるのですか?」
『鬼灯』っていうのは怜利の異名。仕事だけの名前だ。本名を知らない相手に、異名を名乗っておいて、簡単に呪われなくする昔からのやり方だ。
河童がこっちを向いて、その醜い顔を私たちに向けた。その手に握られた水掻きの付いたちぎれた腕を見た。
「おまえらも、喰いたいか?いいぞ、喰おうじゃねえか」
河童が胡坐をかいて、石の上に広がっていたその骸から、緑の皮を剥いでいた。最も、血で緑には見えなかったのだが。
「私たちは先の町にある牧場へ向かっていましてね。その道中です。お食事中失礼しました。」
私たちはその河童のから少しずつ離れようとした。汚い血の匂いが鼻に残った。離れても離れても匂いは薄まらない。
「ちょっと待て、お前ら変な奴らだなぁ、あっちにいるのは連れか…?人間と、混血、それ、に」
そこまで言った河童の顔を陽が思い切り蹴飛ばしてしまった。と思った。すんでの所で、怜利が腕を出して河童を寝かせた。陽の匂いが重い血の中で激しく荒ぶる。いや、違うのかもしれない。悲しい匂いが混ざっていた。
二撃目を繰り出そうとする陽の前に氷壁を出した。その荒れ狂い様は、任務に出始めた頃の自分を見ているような気分だった。
陽の脚が氷を割って分厚い氷の途中までめり込んだ。陽のもう片方の足を氷で地面にくっつける。
「えっえっえ、…。どうした兄ちゃん」
ひっくり返りながら腹の方を抱えて笑っていた。妙にぬめぬめとした体が夜の薄明かりに照らされて不気味に光っていた。
「なんでお前は、同族を食ってるんだよ!」
動けなくなった陽が絞り出した言葉だった。怜利は、血に塗れた河童を石の上に座らせた。
「蹴鞠。なんで、同族を食べてはいけないのかな?それを拒否するのは人間だけではない?」
陽に向かって言っているみたいで、面の下に隠れた怜利の匂いは、感情の無い匂いだった。
「竜胆、なんでかな?」
怜利は私に訊いてきた。胸に溜まったものが、口から出ようとしなかった。
「た、食べられたくないから?」
そうとしか答えられなかった。河童が何か言おうとしていたが、怜利はそんな河童の前でお面を外した。その顔を見た河童は口を閉じざるを得なかった。
「答えは、分からない、だよ。」
怜利はそう言って、河童の頸を手刀で薙いだ。
皆で二体の河童の体を森の中で埋めた。埋め終わった頃には二十一時を過ぎるころだった。
川で左半身を洗っていた怜利の近くに行く。
「ねえ、怜利…」
胸のつっかえが言葉にならなかった。
「うん。」
そう答える怜利の匂いが伝わってきた。何も言う事は無くて、ただ川の音が流れていた。
また私たちは、道を進んでいった。
途中で谷が途切れて、山の麓に小さな無人の寺があった。その寺の門の中で朝まで寝ることになった。
真夜中、彩と陽が泣きじゃくる声が聞こえた。初めてあれを見てしまったのだから仕方がないはずなのに。どこか私の中で、『このくらい当たり前』と言っていることが堪らなく嫌になった。
一人一つの寝袋の中で、疾風や幸璃は当然寝息を立てていた。明は泣く陽のすぐそばで座りながら目を閉じていた。
怜利が、少しだけ開けた戸の明かりで地図を見ているようだった。
見ているのがバレて、怜利の視線がこっちを向いた。
「明るい?」
小声で怜利が言った。そういうわけでもないことが怜利も分かったらしい。無言で静かに寝袋から出て、本堂の外に出た。
真っすぐ刀を振り下ろして素振りをする悠希さんがいた。怜利と私に気が付いて、素振りをやめた。
「成羅さんも寝れないんですか?」
悠希さんが怜利に目もくれず私に言った。
「そうー、まだ眠くなくて、」
それを聞いた悠希さんは何も言わず怜利の方に目を向けた。深く息をして怜利から目を離さない。
「一本勝負しません?」
刀を腰に差し直しながら、構えを取り始めた。
「やります?でも、寸止めですよ?」
私の横にいたはずなのに、一歩斜めに飛んで悠希さんから八歩離れた辺りに着地する。小さい頃から、怜利はこうして私を戦闘相手との中間点に置く。
何も言わずに悠希さんが抜刀した。横一文字に怜利を斬ったように見えたが、怜利はしゃがみこんでいて、左手でアッパーをする構えだった。
悠希さんが跳び退いて、距離を取った。その着地までに怜利が距離を詰めた。移動したのが全く見えなかった。見えた時には既に右横蹴りを構えていた。
すると、怜利の足元から水しぶきが上がって、怜利が腕に風術を纏い真上に飛んだ。
怜利が立っていた場所は水の球で埋まった。怜利が戦闘中には珍しく驚いた顔が浮かんでいた。
怜利が、お寺の門の高さより上に浮いていた。この二人のレベルを私は全然見きれない。
怜利が悠希さんの足元に陣を描き始めた。悠希さんがそれに気付いて、跳んだ。でも私は知ってる。跳んでも遅いんだ。
跳んだ瞬間に地面から鎖が伸び、悠希さんの脚を絡み取った。前に倒れこむようにして、決着がついた。
「私の勝ちですね。」
余裕そうに悠希さんの近くへ歩いてきた怜利。ちらっと私の方を見て、にこっと笑った。
悠希さんの脚から黒光りする鎖が離れていく。悠希さんは、私の方を見て少し何か言いたそうにしていた。一息してから立ち上がって、
「寝ます。」
と一言だけ、悔しそうに本堂の中へ帰っていった。
怜利の顔を見た。目が合って、不思議な気持ちになった。
「どう?寝れそう?」
柔らかい表情で怜利が訊いてきた。
「うん、寝れそう」
と答えてみた。




