第8話:扇動者の烙印、悪魔の囁き
俺の言葉が嘘だと見抜いているのか、あるいは単に念を押したいのか、じじいは真顔になって――警告してきた。
「……おぬしよ。もしワシを密告したら、同じ末路を辿ることになるぞ」
「……同じ末路って、つまり死刑とか?」
「うむ、そういうことじゃ」
「なんで俺が死刑になるんだよ!? 密告者はヒーローだろ!」
「ワシはおぬしを扇動者として召喚したんじゃ。その事実が露見すれば、おぬしは勇者ではなく、帝国の敵と見なされるからの」
「う、うん? でもさ、それでも俺が『勇者やります』って言って帝国に協力すれば、許されるんじゃないのか? そんな大した問題じゃなくね?」
正直、何が問題なのか、いまいちピンとこない。
「できんのじゃ」ジジイは首を横に振る。「扇動者として召喚された以上、選ばれたのは“そういう素質”を持つ者だけなのじゃ。おぬしの魂には、勇者ではなく扇動者の刻印が押されておる」
「……刻印? なんだよそれ」
「魂の質、とでも言うかのう。おぬしのような生粋の扇動者が、勇者になどなれっこないのじゃ。例えるなら――悪魔を召喚して、『私は今日から天使になります』と言ったところで、誰も信じんじゃろ? それと同じことじゃ‼」
――カチンッ。
ガクン、と何かが頭の奥で切れた音がした。
グッ、と拳を握る。
「だれが生粋の扇動者で悪魔じゃぁぁぁあああああーーーー‼」
次の瞬間――バシィッ!
乾いた音が部屋に響き渡った。
俺の手刀が、じじいの頭頂部にクリティカルヒットする。
「いたーーーーいんじゃーーー!!」
ローブ姿のじじいが、ゴロンゴロンと床をのたうち回る。
……いや、今の言葉は――さすがにムカついた。悪魔呼ばわりはねぇだろ。
「何をするんじゃー! 痛いじゃろうが!」
床から起き上がり、頭を押さえながらジジイが抗議する。
「うるせぇよ。ムカついたんだよ、思いっきりな!」
「もっとワシを労わるのじゃ!」
「労わる? できるかぁぁあああ‼ 人の人生ぶっ壊しといて、いけしゃあしゃあと“勇者にはなれん”“悪魔みたいなもん”とか言いやがって――そんな口を叩いてて、チョップ一発で済んだだけありがたいと思え」
にじり寄る俺に、じじいがじわじわ後ずさっていく。
「ワ、ワシはただ、事実を……!」
「黙れ! 事実って言うなら、まずは俺の人生ぶっ壊した責任取ってからにしろよ」
こっちは無理やり異世界に引っ張り出された被害者だ。
ジジイは少しだけ申し訳なさそうな顔を作った…かと思いきや、次の瞬間、ペロッと舌を出し、片目を瞑って可愛子ぶるような仕草を見せた。
「すまんのじゃ、テヘペロ♪ 若者はこういうのが好きなんじゃろ?」
……ぶちのめす。
「……絶対謝る気ないだろ、このクソジジイィィィィィィィィィィッッ!!」
俺は再びジジイの胸ぐらを掴み、怒りのままにガックンガックン揺さぶった。
「ぬわっ、ぬわわっ! ま、また揺らすでない! 謝っておるじゃろうがー!」
「全ッ然謝る気ないだろ、クソジジイ! それは煽りって言うんだよ!」
「そんなつもりでは…! 友好の証じゃ! 若者文化を取り入れたのじゃ!」
「取り入れ方間違ってんだよ! そもそも誰がアンタと友好になりたいって言った!」
「ぬおおおおお! 首が! 首がああああ!」
こんな生産性のない怒りのぶつけ合いが、しばらく続いた。
……はぁ。もう疲れた。
さすがにこれ以上、こいつ相手に怒鳴っても、エネルギーの無駄だ。
俺は大きく息を吐き、ジジイを突き放す。
「ぜぇ…ぜぇ…」
こっちは息が上がってるのに、ジジイはケロッとした顔でローブの襟元を直している。やっぱりムカつく。
だが、さっきよりは少し冷静になってきた。
んで、じじいが言っていたことを改めて考えると、ある疑問が浮かんできた。
「…ていうかさ、じじい。仮に俺が勇者にならないとしても、扇動者としてこの国を手伝えば、それで解決じゃねぇの? 帝国側に協力するって道もあるだろ?」
俺の言葉を聞いたジジイは、先程までのふざけた態度はどこへやら、
「っふ……甘いのう、おぬし」
ぽつりと呟くと、ジジイは表情を引き締め、真剣な面持ちになって語り出した。
「扇動者というのは、要は“諜報員”じゃ。つまり、裏でこそこそと情報を集め、揺さぶりをかける存在。表に出ることはないが、リスクはむしろ勇者より高い」
「は? どういうこと?」
「この国の諜報員の死亡率は高い。任務で生き残った者も、五体満足で戻ってきた例はわずか1%未満じゃ」
「……マジで?」
そんなデスゲームみたいな役割、全力でご遠慮願いたい。
「しかも、この国は“身分”がすべてを決める。敵国の魔術師が召喚した扇動者、つまりおぬしは、最底辺の扱いじゃ」
「いや、それはさすがに……」
「屋根のない小屋で寝起きして、食事もろくに出ない生活じゃ。それでもやるか?」
「……それは、めっちゃ嫌だ」
「じゃろ? それに、仮に活動できても、“監視対象”として扱われるのは確実じゃ」
確かに、警戒されるのは当然だ。扇動者で、しかも敵の魔術師が召喚した奴なんて、何をされるか分かったもんじゃない。
しかも……俺のクラスメイトたち。
俺のクラスメイトには、俺のことを平気で貶す連中が何人かいた。
あいつらなら、俺の立場がバレたとたんに、面白がってあることないこと言いふらしかねない。
先生だって、どうせ俺の味方にはならないだろう。面倒くさい奴だと思われてるし。
……嫌な未来しか見えねぇ。
まぁ、それでも。密告はしないのは確定として、帝国で働いた方が“まだマシ”かもしれないな。
魔物討伐すれば帰れるって話だったしな。
――なんて、少しでも前向きなことを考えようとした、その時だった。
「おぬし、帝国が“日本に帰す”と本気で信じておるのか?『魔物を討伐すれば帰れる』という言葉――そのまま鵜呑みにして?」
ジジイが、俺の考えを見透かしたように鋭い視線を向けてくる。
「……まぁ、一応は」
「ならば聞こう。おぬし、日本に帰すために必要な魔力が、どれほどか知っておるか?」
「知らねぇけど……そんなに?」
「五十年分じゃ」
「……五十年⁉」
「そうじゃ。この世界の魔力を、五十年かけて貯めた分。それを使って、ようやくあの勇者たちを元の世界へ帰せる。じゃが、その魔力――帝国が『使う』と思うか? しかも、ただの子供たちの帰還に」
……正論すぎて、ぐうの音も出なかった。
「帝国にとって、勇者とは“戦力”じゃ。貴重な資源を帰還に使うより、また新たな勇者を“呼ぶ”方が、遥かに合理的なのじゃよ」
「……つまり」
「そう。おぬしらは“帰るための戦い”をしているのではなく、“二度と帰れぬまま、戦わせられるための戦い”をしておるのじゃ」
沈黙が落ちる。
……なんだよ、それ。
もしそれが本当だったら、最初から――俺たちはただの使い捨てだったってことかよ。