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あやとり

作者: 野中 すず


 ――――私、一人ぼっちになっちゃったな。


 川口 陽子は信号機の押しボタンを押し、信号が青に変わるのを待っている。


 年末に祖母を亡くした。

 忌引き休暇を取り、そのまま正月休みに入ってしまったので久しぶりの出勤。ため息を()くと白く浮かんで消えた。まだ、月もうっすらと白く浮かんでいる。


 陽子が 物心ついたとき、既に両親はいなかった。

 陽子は、祖父母に育てられた。祖父母はまだ四十代だっただろう。

 現在、四十二才の陽子は不思議に感じる。


 ――あの頃のじいちゃん、ばあちゃんと変わらないの? 今の私って。


 高校を卒業し、今の勤務先へ就職した。祖父母に金銭的余裕がないのは分かっていたし、大学へ行きたいとも思わなかった。

 結婚もせず、必死に働いていたらこんな現状が待っていた。


 陽子は自分の両親の事を何も知らない。祖父母が父方か母方かさえ知らない。

 小学生の頃は、授業参観や運動会などの学校行事がある度に疑問を(いだ)いていた。


 わたしのお父さんとお母さんはどこにいるの?


 この一言が言えなかった。子供心にその一言は祖父母を困らせ、傷つけると知っていたから。

 祖父母が、自分の事を大切に想ってくれているのを知っていたから。



 祖父は寡黙な人間だった。普段あまり喋らないし、笑わない。

 しかし、陽子が風邪一つ引くだけで「陽子は大丈夫か? 熱は何度なんだ?」と祖母に小声で訊いていたのを今でも覚えている。

 大学へ進学しないで就職すると決めたときは、「すまない」と頭を下げられて困った。「自分がそうしたいだけだから」と説明しても、祖父は頭を上げようとしなかった。


 祖母は祖父とは対照的によく喋り、様々な事を教えてもらった。料理など家事に関することから、祖母が子供の頃にやっていたらしい遊びまで。

 陽子が小学生の頃は既にテレビゲームが流行っていたが、そんな物をせがめる訳がない。そのくらい分かっていた。

 祖母から教えられた遊びの中で、何故か陽子はあやとりに夢中になった。

 一人で「ほうき」や「東京タワー」を作ったり、祖母と二人で「カエル」や「川」を作って遊んでいた記憶がある。

「じいちゃん、これ取ってー」

 祖父に、両手の間に張った紐を突き出した事もある。

 その度に祖父が浮かべていた困ったような笑顔も、陽子の忘れられない思い出になっている。



「陽子、お父さんとお母さんの事、聞きたいかい?」


 高校の卒業式の夜に、自宅の居間のテーブルで祖母から訊かれた。祖母の隣には、祖父が無言で座っている。

 突然の質問に、陽子はしばらく何も言えなかった。


「……いや、もういいよ」


 祖父母に気を使って痩せ我慢した訳ではない。心から「どうでもいい」と思っていた。今更、知ってどうなるというのか。私をここまで育ててくれたのは間違いなく目の前の二人なのだから。

「…………そうかい」

 祖母はそれだけ言うと居間を離れた。

 祖父も去って行った。その夜、祖父は終始無言だった。




 そんな祖父を去年の六月に亡くした。

 くも膜下出血。別れを覚悟する時間すら貰えなかった突然死。

 それから祖母はみるみる弱り、気力も体力も消えていった。

 喋ることも笑うことも消えていった。

 そんな祖母を見ているのが辛く、励まそうとしたが祖母は衰弱していく。 二人で旅行に行っても、外食に連れ出しても無駄だった。

 多分、祖母の頭の中には「お父さんも一緒だったら……」という気持ちが浮かび、余計に辛くなっていたのだろう。


 私にはどうしようもない……。

 夫を(うしな)った哀しみは、孫には癒せない。

 後を追う様に、祖母も陽子を置いて旅立った。


 ――――――――


 陽子は我に返った。ずいぶん長く物思いに耽っていた気がしたが、まだ信号は赤のまま。

 いつの間にか、小さな子供が隣で信号が変わるのを待っている。赤いランドセルが可愛らしい。

 

 小学校は昨日からだったっけ?


 陽子は分からなかった。

 



 

 ――――私、一人ぼっちになっちゃったな。


 

 陽子の思考は振り出しに戻った。


 これ以上、生きてても苦しいだけかな。


 孤独を感じると鼓動が強く、脈拍が速くなる。心の何処かで「終わり」を求めているのに皮肉に感じる。


「おばちゃん、信号変わったよ」


 不意に声をかけられて驚く。視線を下げると、一緒に信号待ちをしていた女の子がこちらを見上げている。

「あっ……、うん」

 陽子の返事を聞くと女の子は横断歩道を渡って行く。


 私も行かないと。


 そう思うのに陽子の足は動かない。

 寂しい。

 哀しい。

 虚しい。


 死にたい。……少しだけ違う。

 

 もう生きていたくない。




 再び誰かに呼ばれた気がした。

 今度は上から。


 陽子は上を向く。横断歩道の向かい側。白く浮かんでいる月の下。

 電柱の上部、配電線や通信線が何本も横に渡されている。

 黒い線が視界の左右に何本も渡されている。


 あっ…………。


 陽子は思い出す。

 祖母が陽子へ渡そうと差し出してくれたあやとりの紐。(しわ)が刻まれた両手。

 陽子が祖父へ渡そうと突き出したあやとりの紐。困った様な笑顔。


 私がいなくなったら……。

 二人の想いも消えてしまう。



 陽子は横断歩道を渡るため、一歩踏み出した。

 

 最後までお付き合いくださりありがとうございます。


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 ありがとうございました。

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ヒロインのご両親は結局、どんな人だったんだろう、と 祖父母の様子からして、ヒロインの置かれた状況からして 色々あったんだろうなぁと 良い状態ではないことはなんとなく…… だから余計に、孤独が身に…
切ないですね……。死にたいのではなく生きていたくない気持ち、とてもわかるので激しく共感してしまいました。 ひとりぼっちになってしまったことを嘆く陽子さんと、それでも変わらず動き続ける世間と、変わる信号…
死にたい、ではなく、生きていたくない。 生きる意味というのは人それぞれで、ただ自分とつながりのあるひとたちがいなくなってしまった時、この世界に残り続けたいと思えるのか、自分も考えさせられました。 陽子…
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