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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
4章 三学期編
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(17) 星屑の本懐

読んでいただいている皆様、いつもありがとうございます。

現在別作品執筆中のため更新頻度が極端に落ちております。

ご容赦くださいませ。


 二月が終わろうとしていた。


 あれから何度か確認しているけれど、まだ小野原先生は退部届を受け取っていないらしい。きっと茜谷さんも迷っているんだろう。それぐらい茜谷さんにとってもアニ研はかけがえのない部活なのかもしれない。


「坊主も暇なやつだな」


 日曜日は週末であり月末でもあった。

 この日弘海が訪れたのは、御船アキオ先生の入院している大きな病院だった。以前一度見舞いに来ているが今回は事情が異なるのでなにも持参してはいない。


「もうすぐ期末試験だろ? こんなところで油売ってていいのかよ」


 御船先生はいつもの調子で病室のベッドに寝転んでいる。サングラスをかけていないから健康そのものの素顔が見える。聞いた話だとそろそろ退院できるらしい。


「試験内容は完璧だってか?」


「勉強は、あんまりできてないです」


「おいおい」


 先生の寝転ぶベッドのそばには引き出しやらを冷蔵庫やらを備えた木製の床頭台があって、その内側で小型液晶テレビがベッドへと顔を向けていた。液晶画面に流れるのはお昼の情報バラエティ。今は花粉症をテーマに各タレントがトークを繰り広げている。


「老婆心、ってのも柄じゃねーが。学生の本分にはしっかり向き合ったほうがいいぞ? 勉強ってのはそれ自体が目的なわけよ。与えられたことをどんだけこなせるかってのが、そのまま社会の評価になる」


「先生は若い頃勉強できたんですか?」


「できたってもんじゃねえよ。若かりし頃の俺ときたら、けっこうなガリ勉野郎で一目置かれてたもんさ。塾のバイトだってやってた」


「全然そうは見えません」


「おまえな……」


 平気な顔で失礼なことを言う弘海。


「坊主。なんか雰囲気変わったな」


「え? そうですか?」


「ああ。なんつーか化けの皮が剝がれてきたって感じだな。父親に似てきたか?」


「それ。まったく嬉しくないんですけど」


 先生はやけにおもしろそうな顔をしている。弘海は心中複雑だった。


「部活でなんかあったか? もしくは、嬢ちゃんとなんかあった感じか?」


「……どっちもです」


「ほぅ……。そりゃまた」


 かけていないはずのサングラスがきらりと光った気がした。


「そっちのことはいいんです。今日は別件で来たんで」


「病人の容態を心配してくれたわけじゃねーのか?」


(そんな元気いっぱいな顔で言われても)


 違います、と少し首を横に振って、弘海は本題を切り出した。


「御船先生。言ってましたよね。毎日看病しに来られて困ってるって」


「んあ? まさか不束のことか?」


 御船先生は「おいおい、なんだよ」と意外そうに言う。


「あいつに用件か? 珍しいこともあるもんだな」


 弘海はちらりと視線をベッドにやる。サイドテーブルのうえには小皿があり、丁寧にカットされたリンゴが爪楊枝を刺した状態で盛られている。ほかのテーブルにもリンゴやらみかんやら果物が多く入ったバスケットが置かれていた。


「不束先生は、今は?」


「購買で飲みもん買ってる。そろそろ戻ってくるだろ」


 御船先生は包帯の巻かれた足をベッドに投げ出し、


「病室で浮かない顔すんな。しまいにゃ気ぃ遣っちまうぞ?」


 そう言って軽く欠伸を噛み殺した。


「……先生は、じぶんの作品を見てもらうの、どう思いますか」


「また藪から棒だな。どう思うかってなにがだよ」


 弘海はパイプ椅子に座りながら「怖くありませんか?」と訊く。


「ありませんね。こう見えて俺は商業作家だぞ? いちいちそんなことで怖がってたら商売になんねーよ。あんま舐めんな」


「作家になる前は」


「んあ?」


「先生だって最初から先生だったわけじゃないですよね。だれかに作品を見てもらって、緊張して、ドキドキしたことだってあるはずです」


「んーまあそりゃな。……初めて描いたのは高校生のときだったっけか。むかしすぎてあんまし覚えてねーけどよ。下手くそな短編描いたのを元カノに見てもらったんだ、たしか。ああ。たしかにそんときはドキドキしたかもな」


 御船先生は大儀そうに頭の後ろで手を組んだ。


「『絵上手いね!』ってさぁ。べた褒めしてもらった気がするな。まあ内容についちゃなんも触れられなかったんだが。そんでもめちゃくちゃ絶賛してくれた。ナナミのやつ元気してっかな」


「嬉しかったですか」


「たりめーだろ。じぶんの作品褒められて嬉しくねー作家なんざいねえよ。……そうだな。今思えば、あんときあいつが褒めてくれたから、調子乗って漫画家なろうとかほざき始めたんだったか」


 懐かしい記憶のように語る。覚えていないという割にずいぶん饒舌(じょうぜつ)だ。なんだかんだ言って、先生にとってそれはかけがえのない思い出なんじゃないだろうか。


「じゃあ」


 弘海が口を開きかけたとき——病室のドアが開かれた。


「待ち人来たる、だな」


 レジ袋を片手に立っていたのは不束はる美先生だった。

 不束先生は「戻りました」と会釈をして入室を果たすと、見慣れない来客がいることに気づき、わずかに目を丸くした。


「嵐子先生のご子息の……たしか、弘海くんですね?」


「はっ、はい……。部活ではお世話になりました」


 反応がやや遅れる。思わぬ不意打ちで頭を下げるのが遅れる。弘海は不束先生の驚くべき姿にただ目を見張っていた。御船先生が「おまえに用があるんだとよ」と助け船を出す。


「わたくしに? それは」


「待て待て。おまえら真面目な話なら外でやれよ。俺は眠りてーんだ」


 そう言って御船先生は欠伸を噛み殺す。


 不束先生は一度目を閉じて「承知しました」と頷くと、後ろ手に再びドアを開いた。


「では参りましょうか」






 病院の談話室は人もまばらで、窓ガラスからは目下の駐車場から、周辺の街や遥か遠くの山影まで一望できる見晴らしのいい一室だった。


 そこへ不束先生が現れると、数少ない利用者たちが一様にざわめく。無理もない。今の不束先生の服装はかなり悪目立ちする。


「ここでいいでしょうか。それで話とは」


「その前に、その格好はなんなんですか」


 なんと不束先生は上下黒ずくめのフォーマルなスーツ姿に身を包んでいるのだ。


「喪服です。今朝は母型の祖母の葬儀がありまして。わたくしも参加していました。まあ途中でお父様に追い出されてしまいましたが」


「なんか前も似たようなこと言ってたような」


「不幸とは続くものですね。幸い、非常識な格好でもなかったので、本日はそのままここへ」


「病院で喪服はじゅーぶん非常識じゃないですか」


「そうなのですか?」


 寝耳に水とばかりに驚く不束先生。やっぱり変な人だと思った。


 窓際の席へふたりは腰を下ろす。弘海は背筋を伸ばし、丸テーブル越しに喪服の女性へ真面目な顔を向けた。談笑する空気ではないと察したのか、不束先生は微笑みを消して聞く姿勢を取った。


「先生は……茜谷さんのこと。覚えていますか?」


「あかねやさん?」


「茜谷はる陽さんです。学校に来てくださったときに、先生が担当した」


 合点がいった顔で先生が頷く。


「ああ、五百藏さんではないほうの。……なるほど。そういうことですか」


 なんだろう、なにかしら察したような様子でやや視線を落とした。


「友達思いなのですね。弘海少年は」


「え?」


「もしかして交際しているのですか?」


「は、はあ?」


 弘海は慌てて首を横に振り「違います」と否定した。


「では他に相手が? たしかあの部に女子(おなご)はあと二名ほどいらっしゃったと記憶していますが」


 女子おなごって。いつの時代だよ。


「お、おれの話はどうでもいいですから」


「そうですか。わたくしとしましてはあの嵐子先生のご子息がどんな方と結ばれるのか、少々興味があったのですが。残念です。……最後にチェリーかどうかだけお聞きしても」


「ご想像にお任せします!」


 からかわれているのか。それとも素なのか。

 どっちにしても調子が狂う人だった。


 弘海は気を取り直すように短く深呼吸をする。


「とにかく。おれが訊きたいのは一つだけです。いやまあ正確には一つじゃないかもですけど、そうじゃなくて」


「はい」


「あの日。三人でどんな話をしたんですか?」


 丸テーブルを越えて詰め寄りたくなるのを堪え、その分二つの眼差しで強く「聞かせてください」と訴えた。はぐらかすような真似はしないだろうけれど、弘海は全部聞くまでは逃がさない覚悟だった。


「では、順を追って」


 やけに理解がある態度で不束先生は語り出す。まるで市役所の窓口に対応されているような、やたらと物分かりのいい淀みのなさだった。


「あの日。部室で担当を決めたあとは適当な空き教室を手配してもらい、そこで合評を行いました。わたくしの参加が決まったのは急なことだったので、作品はその場で読む運びになり、本格的に合評を始めることができたのはそれから二十分ほどが経過した後だったと記憶しております」


「二十分、で読んだんですか? あの量を?」


「わたくし速読には自信がありますので」


 五百蔵さんの作品なんかはかなり分厚かったのに。


「ボリュームのある五百藏さんの作品から先に手を付けました。……率直な感想を言いますと、これでまだデビューできていないのが不思議なほどでしたね。とりわけクオリティに関しては申し分なく、読み応えもあり、すぐにでも商業作品として世に出せる代物でした。とはいえ、本人からは褒め言葉は要らないので指摘をくださいと読む前に頼まれましたので、かなり厳しいことを申し上げた気がします。小一時間ほどでしょうか」


「こ、小一時間……」


「もう少し遊びがほしいとか、キャラの魅力や語感についても助言いたしました。五百蔵さんはなんというか、ストイックな子ですね。逐一メモを取って、なにを言われても受け止めて吸収してしまって。若人とは新品のスポンジのようだと感じました。わたくしにとっても刺激的な経験をさせていただきました。あらためて、お声掛けいただいた御船先生には感謝ですね」


 不束先生は頬に手を当てると「退院祝いには二人きりで手料理でも振る舞いましょう。もちろんわたくしの家で」と微笑む。明らかに私欲がダダ漏れだった。


「それで、その」


 弘海はおずおずと訊ねる。


「茜谷さんの作品は……?」


「もちろんその後に。原稿用紙三枚分でしたので。すぐに読了し、速やかに感想を申し上げました」


「それって、どんなふうに……」


「『おもしろかったです』と。一言」


「えっ?」


 思わず上擦った声が出た。


「それだけ……ですか? ほかにもっとなにか……」


「いえ。それだけです」


 不束先生はあくまで義務的な口調で答えた。——それだけ。と。その言葉がいやに冷ややかに聞こえたのは弘海の気のせいだったのか。


「合評が終わり三人で部室に戻ると、すぐに解散になりました。したがって、わたくしが語ることができるのは、これですべてでございます」


 唖然とする弘海の前であっけなく語りが結ばれる。


 こちらからは以上です、とばかりに不束先生は無言で弘海を見つめていた。喪服のせいか、整っているがどことなく幸の薄そうな女性の顔立ちのなかで、ぼんやり眠たげな眼差しがじっと青年を捉えている。


「なんでっ」


 気づけば勢いよく立ち上がっていた。座っていた椅子が倒れかけるが、すんでのところで事なきを得る。弘海は先の言葉が続かず、行き場を失って立ち尽くした。ぱくぱくと動くだけの唇がなんとも滑稽(こっけい)だ。


「……すみません」


 みたび席に着く。何度目かの深呼吸で息を落ち着ける。そして相変わらず表情筋がぴくりとも動かない不束先生を真っすぐ見つめた。


「言いたいことがたくさんあります」


「聞きましょう」


「いえ。おれが言うのは筋違いなので。本人に言ってもらわないと意味ないし」


「本人ですか」


「はい」


 ここで自分がなにを言ったところで、なんも問題も解決しない。


 そうだ。話すべきは、ほかでもない。


(茜谷さんじゃないとダメだ)


 確認が済んだなら、次やることは至ってシンプルだった。


「不束先生。折り入ってお願いがあります」


 今更ながら居住まいを正して弘海は向き合う。


 不束先生は待っていたとばかりに目を閉じて微笑んだ。


「なんなりと」



 

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