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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
4章 三学期編
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(14) 宇宙よりも遠い居場所


「あたしさ。あいつに嫌われてるんだと思ってた」


 帰路をゆく道中、そんな呟きが不意に聞こえた。

 なんとなく隣には並ばず、あえて一歩引いたところを歩いていた弘海は思わず「えっ?」と声を上擦らせる。五百蔵さんは相変わらず道の先を真っすぐ見据えながら、どこか退屈そうに目を細めた。


「ずっと微妙な距離感だったし。口を開けば喧嘩ばっかだったし。あんたもそう思ってたでしょ?」


「うん。まあ」


「あたしだっておなじだったし。だからなんにも問題なかったんだけどさ」


「……問題、できたの?」


 五百蔵さんは弘海の顔を一瞥(いちべつ)して「さあね」と一言。


「できたかもしんないし。できてないのかもしんないし。もしかしたら元からあったのかもしんないし」


「どういうこと?」


「訊かれてもわかんないわよ。わかんないけど……さっき。あいつあたしのこと見て、まるで裏切られたみたいな顔してた気がするから」


 裏切り。

 辞書には、それは『期待に背かれること』という意味で記されている。裏を返せば、茜谷さんはなにかを期待してたってことになるだろう。ほんとうに、五百蔵さんの勘違いじゃなければ、だけど。


「なんだ。じゃあ、やっぱり五百藏さんが悪いんだ」


「なによ『やっぱり』って……。まさかあたしのことトラブルメーカーかなんかだと思ってるわけ?」


「まあ、それなりには思ってるけど。そうじゃなくても茜谷さんってあれでけっこう人見知りだし。五百蔵さんはふつーに口が悪いから」


 なっ、と五百蔵さんが足を止める。


「そ、そんなに悪くないでしょ。ふ、ふつーに普通、でしょ」


「なにふつーに普通って……。自覚ないなら意識したほうがいいよ。五百蔵さん」


「んぐ……」


 声を詰まらせたかと思えば、「ね、ねぇ」とおずおず切り出す。


「……口悪い女ってさ。男子から見てどうなの」


 また藪から棒に。


「そりゃ良い気はしないでしょ。ツンツンしてる女の子よりニコニコしてる女の子のほうが可愛いのはあたりまえだし」


「で、でもよっ? ツンデレって属性があるじゃない? アニメじゃ定番だし。あんたアニオタなんだから、なんだかんだ言って好きなんでしょ」


「あー……ツンデレかぁ。そりゃ可愛いかもだけど、おれはそこまでだなあ。そもそも気になっている子にイジワルしちゃうとか、それってまんま男子の感性だし。最初から男性ウケだけ狙って生まれたキャラって感じがしてなんかあざとくない?」


「あ、あんた。アニオタの風上にも置けないわね」


 ドン引きしつつも五百蔵さんは反面なにかしらショックを受けたらしい。「……ハァ」とやたら深刻なため息をつくや、「清楚な喋り方がいいのね」となにか決然とした顔になった。なんだ。今の独り言は。


「……コホン。それで、昼餉(ひるげ)に際の騒ぎに関してですが」


「ん、ひるげ? なに、なんで急に敬語?」


 五百蔵さんは構わず敬語で続ける。


「あちらから訊ねられたのがきっかけでした。要約すると『わざとじぶんを仲間外れにして出かけたのではないか』と。それがあたしの差し金ではないかと。そんなふうに突然おっしゃられた次第に相成り(そうろう)


「最後めちゃくちゃだよ」


(……というか)


「仲間外れって……。それって部長の顔合わせに付き添いで行ったときのことだよね?」


 五百蔵さんは黙って頷く。

 五百蔵さんの属する作家志望のグループに猪熊部長が参加するため、顔合わせの機会を設けたのは少し前のこと。茜谷さんもそれを後で聞き、仲間外れにされたのだと拗ねていたけれど……その元凶が五百蔵さんにあるなんてのは、完全な勘違いだ。


「思ったより気にしてたのか。茜谷さん」


「——で。『アホらし。んなわけないでしょ。あんたのしょうもない劣等感と疎外感をこっちのせいにしてんじゃないわよ。この考えなしの無神経が』とあたしが言い返したところ」


「もう口悪いどころじゃないよそれ」


「なんかかんだとお互い譲らない口喧嘩が続き、挙句の果てに『あたしの居場所をこれ以上奪うな』とかなんとかわけわかんないこと(のたま)ってきたので、返す刀に『そんなこと知るか』と一蹴してやりました。後悔はしてません」


「売り言葉に買い言葉だね……」


「そうしたらいきなり襲い掛かられました。あっちから。急に」


 あたしは悪くない、と言わんばかりにムッツリした顔で先を歩く五百藏さん。なかば容疑者の供述のようでもあったけれど、きっと今のはほんとうにあったことなんだろう。


「……居場所、か」


 弘海は静かに呟いた。

 その意味をゆっくりと咀嚼(そしゃく)するように。


 こればっかりは、本人に訊かないことには先に進まないのだろう。肩に提げたもう一つの赤い鞄を見下ろし、弘海は少し目を細めた。


「ねぇ……あたしって邪魔だったりする?」


「え? 邪魔ってなにが?」


 出し抜けな問いに顔を上げれば、五百蔵さんは神妙な顔つきで道の先を眺めていた。


「あいつが言ってたでしょ。『あんたなんか来なければ』って」


「ああ、言ってたね。あれって……」


 不意に五百藏さんがスタスタと歩みを早める。「あっ、ちょっと」と弘海は後ろからついていく。


「歓迎されてないのは知ってたわよ。でも、あんなに恨まれてるだなんて。思ってなかった」


「ショックだったの? 珍しいね五百蔵さんがそんな」


「失礼ね。わたしだって言われたくないことぐらいあるわよ」


 そりゃそうなんだろうけど。


「だからって『卑怯者』とか言い返しちゃうあたり五百蔵さんだよ。絶妙に嫌なところ突くっていうか、端的で嫌味が利いてるっていうかさ」


「あんたはあたしのことなんだと思ってんのよ!」


 なぜか涙目の五百蔵さんだった。そしてまた歩くスピードを上げてしまう。


「邪魔だとか思ったことないからね? ホントに」


「今更なんのフォローよ」


「いやホントだから。ちょっと話聞いてよ」


「もういい。ついてくんな!」


 これ以上はもう話は聞けなさそうだ。弘海は早々にそう判断すると、ぐんぐんと先を歩いて遠ざかっていく少女の後ろ姿を見送った。







 *






 茜谷さんの住所は小野原(おのはら)先生に教えてもらった。


 文芸部が誇る名ばかり顧問、小野原香苗先生が言うには、ほかの生徒の住所を教えるのは立派な越権行為に当たるそうで、少し渋る素振りを見せたものだけれど。頭を下げるとすぐに教えてくれた。あの杜撰(ずさん)さ、もとい柔軟さが先生の良いところだ。


「……ここか」


 スマホのマップを頼りに二十分ほど歩き。

 弘海はようやく茜谷さんの家に到着した。


 住宅地の一角にて。生クリーム色の外壁と真っ赤な大屋根が目を惹く、なんだか可愛い印象の一軒家だった。学校からほど近いこともあって、弘海も何度か家の前を通ったことがある。そうか。ここが茜谷さんの家だったのか。


一応表札を確認してから、満を()してインターホンを押す。数秒も経たずに玄関扉が開き、現れたのは小さな男の子だった。中学校低学年くらいだろうか。弘海よりも一回りほど背が低く、小さな番犬のような警戒のにじむ仏頂面をして、じっとこちらを見上げている。


「お客様、ですか」


「えっと……はい。茜谷さんの、クラスメイトで」


 くわっ、——と。

 弘海が名乗ったとたん、男の子が驚きに目を見開く。


「姉ちゃんの……? もしかして彼氏?」


 なんと。茜谷さんに弟がいたのか。

 一人っ子っぽい感じがしていたので、これはちょっとびっくりだった。なんによせ肝心な部分は否定しておく。


「違うよ。同級生で、おなじ部の仲間だよ」


「部活……ああ、そういやなんか陰キャっぽい部活入ってたんだっけ」


(い、陰キャっぽい……)


 この子。けっこう大物かもしれない。

 弘海が苦笑いしていると、男の子は「ふーん……」と今度は品定めするような眼差しで見上げてきた。


「でもお兄さん。あんまオタクっぽくないね」


「へ?」


「まあいいや。どうぞ上がって。姉ちゃん、リビングで寝てるから」


 なんだか、掴みどころのない少年だ。

 けれど警戒は解いてくれたらしい。あっさり迎い入れられた弘海は「あ、はい。お邪魔します……」と会釈しつつ平身低頭、家に上がらせてもらう。






 仏頂面の弟くんの言うとおり、茜谷さんの姿はリビングにあった。


 一般家庭的なリビングの広さに対して、やけに大きなサイズのグレーのカウチソファーが幅を利かせていて、そこにだらしなく寝そべっている制服姿の女の子が茜谷さんだった。木目調のローテーブルのうえでスナック菓子の袋を開き、パリパリ、ボリボリとそれを咀嚼(そしゃく)しているのが、もうなんか、泣けるぐらい退廃的だ。


(めちゃくちゃ堕落してる)


 さながらすべてを諦めた休日昼間の主婦のごとき落ちぶれ具合である。

 ソファーの眼前に鎮座する大きなテレビ画面では、さっきからやたらとグロいアニメの血飛沫(ちしぶき)映像が垂れ流し。——動画のタイトルは『アニメのグロシーン集Part 4』。なんてものを見ているんだこの人は。


「幻滅しましたよね。姉がこんな、昼ドラ感覚でグロシーン集見るような人で」


「ああいや。わりと慣れてるよ」


 そうでしたか、と弟くんは平坦な反応。


「姉ちゃん、お客様が来たよ」


「んぁー、なによはるきぃ……」


 枕代わりのクッションに埋めた顔をもぞもぞ動かし、茜谷さんは胡乱(うろん)な目つきで視線だけをこちらにくれる。直後、「うぇ……⁉」とその目が大きく開かれた。


「ヒロミン⁉ な、なんで……⁉」


「忘れ物届けに来た。ほら、これ」


 学生鞄を持ち上げて見せれば、弟くんがため息をつく。


「同級生に家まで持ってきてもらうとか最悪すぎ。姉ちゃんってマジで存在が迷惑だよね」


「う、うう……」


「小鳥遊さんすみません。お詫びにおもてなしさせてもらうので、ぜひゆっくりしていってください」


 弟くん(はるきくんと言うらしい)に深々と頭を下げられ、「お、お構いなく」と弘海は勧められるがままソファーに腰を下ろした。茜谷さんもはるきくんに睨まれると、さっと身を起して三角座り、借りてきた猫みたく肩身を狭くする。


「な、なかなか火力の高い弟さんだね」


「ハハハ……今年で中三なの。小四のときから口喧嘩で勝ったことない、自慢の弟だよ……ハハ」


 はるきくんが強すぎるのか。茜谷さんが弱すぎるのか。


「わざわざありがと。ヒロミン」


「いや。おれも茜谷さんと話がしたかったし。ぶっちゃけ鞄はついで」


「話……?」


「昼休みのことだよ。わかるでしょ?」


 あえていつもの調子で切り出せば、茜谷さんは軽く息を詰まらせた。


 間隙(かんげき)を縫うように、どこからともなく現れたはるきくんがテーブルに湯気立つ湯呑みをふたつ、いろんなお茶菓子が詰まった菓子入れを慣れた手つきで並べていく。代わりにスナック菓子が没収され、最後に「ごゆっくりどうぞ」と上級ウェイターのごとき淀みない所作でお辞儀すると、音もなく奥に引っ込んだ。よくできた弟くんだ。


「安心して。大体のことはさっき五百蔵さんから聞いたし、それについてとくに茜谷さんを責めるつもりはないからさ」


「そ。アイツに聞いたんだ。……ふぅん。あたしより先にアイツに」


(そこかよ)


「しょうがないだろ。勝手に帰ったのは茜谷さんなんだから。反省すべきなのはそっちのほうだよ」


「い、いま責めないって言ったじゃん!」


「それとこれとは話がべつだから」


 そんな裏切られた顔をされる筋合いはない。


「それで? 話によると、無謀にも五百蔵さんに喧嘩を売った茜谷さんは、いろいろと言い返されて結局手も足も出なかったみたいだけど。それで合ってる?」


「……あたし負けてないし。むしろ圧勝だったし」


「じぶんまでおめおめ逃げ帰っといてなに言ってんだって感じだけど、まあそれは置いといて……茜谷さん。五百蔵さんに言ったんだってね」


 あたしの居場所をこれ以上奪うな!


「——って。それってどういう意味なの?」


 なんとなく気持ちは想像できそうなものだけれど、実際に本人の口から聞かないことにはなにも始まらないし、終わらない。


 弘海の問いに、茜谷さんはバツが悪そうに顔を逸らすと、両耳にかかる長い金髪を指先で()くようにして何度かもてあそんだ。


 沈黙は十秒ほど。長いようにも短いようにも思える。そんな逡巡ののち、ぎこちなく開かれた唇から発せられたのは、なんとも脈絡のない問いかけだった。


「ヒロミンはさ……書くの、好き?」


「え?」


 おもむろに顔を上げ、こちらを見つめてくる。いつもころころと豊かに変化する茜谷さんの表情が、今だけは感情を押し殺すかのようだった。いつになく真剣な眼差し。——かと思えば、当てが外れたかのように息をつき、ふたたびその横顔が俯いてしまう。


「あたし。アニ研が大好き。高校に入るまで、こんな良いことが起こるとか一ミリも思ってなかった。だってあたしコミュ障だし、空気とか読めないし、友達とかぜんぜんできたことなかったし。中学じゃ好きなこと喋ったって、だいたいキモがられるだけだったし」


 同級生女の子に努めて話しかける茜谷さんの姿を、弘海はふと思い浮かべた。

 好きなことを話したくて、茜谷さんは必死にまくし立てるけれど、その子には少しも伝わらず、しまいには愛想笑いであしらわれてしまう。そんなことを何度も、何度も続けて、だんだん茜谷さんは孤立していく。


「だから、アニ研のみんなが——みんなに出会えたのが、今でもなんか、夢みたい。トキセンもぶちょーさんも、ヒロミンも、みんな優しくて。あたしが話すこと、なんでも笑って聞いてくれて。もうわけわかんないぐらい、もう最高で、ヤバくて……」


 散らかった気持ちをかき集めて、なんとか言葉にしようと苦心しているのが、その震える声からも伝わってきた。なにを話したいかなんて、最初からまとまっちゃいないのだろう。


「でも最近は、なんか違くて」


「違うって、なにが?」


 勢いよく首を横に振る。まぶしい金髪が揺れ、毛先が頬に垂れる。


「わかんない。わかんないけど……みんなで書いてみようってなってから、なんかいろいろ変わっちゃった。ふつーに楽しく話すだけじゃなくて。なんかムズいことも言わなくちゃいけなくなって。あたしそーゆーの苦手なのに」


 テレビ画面では動画の再生が途切れ、やたらテンションの高い大音声のコマーシャルが流れ出した。「もぉうっさい!」茜谷さんは怒り任せにリモコンを押してそれを消す。


「あたしみんなみたいにできない……! ソーサクとかショーセツとか知らない。みんなの言っていること、わけわかんない。楽しくない……でも、そんなんでもわかんなくちゃ、みんなについていけない。置いてかれる。あたし、ひとりだけ……」


「べつにそんなことは」


「じゃなんであの日あたしだけハブにしたのよ……‼ 一言ぐらい、声かけてくれてもよかったのに……‼」


「そ、それは」


 以前も茜谷さんに言われた。()け者にするのはヒドいと。弘海は弘海で、茜谷さんが退屈するだろうと配慮したつもりだったのだが、それを疎かに扱ったと言われてしまえば返す言葉もない。あれは弘海の勝手な判断だった。


 それでもここまで追いつめられているだなんて。まったくもって弘海は想像すらしていなかった。もしくはそれこそが、無意識に茜谷さんを軽んじていたなによりの証拠なのかもしれない。


「五百藏さんに突っかかったのは、それが原因?」


 問うと、茜谷さんは気まずそうに顔を逸らした。


(まだなにか、あるんだろうな) 


 お門違いな言いがかりをつけてまで、五百蔵さんに食って掛かったのだ。きっと、ほかになにか理由がある。


 でもこれ以上問いただしていいものか。

 弘海にはためらいがあった。


「ねぇ、ヒロミン」


 していると、ぽつり、と茜谷さんがこぼす。


「ヒロミンは……書くの、好き?」


 先程とおなじ問い。


 しかしそれは弘海には答えられない問いだ。

 今の弘海には、まだ。


「ヒロミンはなんでショーセツ、書いてんの?」



 

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