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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
4章 三学期編
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(13) わたしの幸せな欠陥


 数日後。

 昼休みの文芸部室にて。


「小鳥遊くん」


「……はい」


 弘海は地べたに正座させられていた。

 させられていた、と言ってもとくに命令されたわけじゃなく、ほとんどじぶんの意志によるものだ。正確に言えば目の前で腕を組んで仁王立ちしている猪熊部長から放たれる、並々ならぬ怒気どきを肌で感じ、本能的にそうせざるを得なかったのである。


「わたしは今、とても怒っています。十七年生きてきて、こんなに怒ったことは一度もないというほどで。それはもう理髪店を開く勢いです」


「なぜ急に床屋(とこや)を」


「間違えました。怒髪天(どはつてん)()く勢いと言いたかったんです」


「は、はあ」


「わかりませんか? (いか)心頭(しんとう)だという意味ですよ。……むっ、そういえばエ〇ァに似たような名前のキャラがいましたよね。たしか碇——」


「ごめんなさい。帰っていいですか」


「ダメです」


 ぴしゃりと一蹴された。


「成長しましたね、小鳥遊くん。なかなか話を変えるのが上手いじゃないですか。まったく油断も隙もあったものじゃないです」


 ついでに責任転嫁まで。

 なんという理不尽。しかし言い返す権利など今の弘海にはなかった。この状況を生んだ責任は百パーセントこちらにあるのだろうから。


「わたしがなぜ怒っているのか、小鳥遊くんはわかりますか?」


「……なんとなくは」


 と言いつつ、精いっぱい目を逸らす弘海。その仕草が容疑者然とした彼の姿に拍車を掛けている。部長があきれたように浅く息をついた。


「三日前、日曜日、朱鷺子ちゃんとお出かけしましたね?」


「はい。誘われたので」


「映画館でのデート、満喫されたようでなによりです。あとで朱鷺子ちゃんからも楽しかったと連絡をいただき、チケットを用意した側としましても一安心です。……ですが、そこでなにやら予期せぬ出会いがあったそうで」


 予期せぬ出会い、と言えば、思い出されるのは当然彼のことだが。


「畑くんのことなら、あっちも偶然だったみたいで。あれはもう避けられない事故みたいなものだったというか」


「ほんとうにそうなのでしょうかね? わたしは一度しか顔を合わせていませんが、どこかから情報を嗅ぎ付け、偶然を装って会いに来ようするぐらいには(したた)かな方に思えましたけれど」


「いやいや、さすがにそれは」


 ない。とは言い切れないかも……。


「しかも聞く話によれば、かなり恥を知らない下劣な方だそうで」


「はい。かなり恐怖を感じました。もしかすると、部長に匹敵するレベルかも……」


「わ、わたしはべつに恥知らずではありません!」


(下劣なのは認めるんだな)


「参考までに、どんなことを言われたのかお聞きしても?」


「……先輩のことを『エロい女』だとか、胸が大きいとか、肉付きが良いとかもう言いたい放題でした。しかも挙句の果てに、ぼ、母乳が出るかとか、訊こうとして」


「ぼにゅう……」


 さすがの部長もショックを受けたのか唖然としていた。というか普通に考えてこんなの女の子ならドン引き以外ない。先輩はよく正気を保ったものだ。


 ふらり、と部長が体勢を崩し、額に手を当てながらテーブルに寄り掛かる。


「なんなのでしょう……? この敗北感は……?」


(そっちなんだ)


 違うベクトルでショックを受けていたらしい。やっぱり同族じゃないか。「……上には上がいるということでしょうか。わたしも精進せねば」と呟いているが、そんな精進はしなくていい。周りが可哀想だ。主に先輩が。


「話がズレましたね」


「はい。さっきから何度も」


「小鳥遊くんじゃありませんが、わたしも怒るのは慣れていないので。そこは許していただけると」


 気を取り直すように咳払いすると、猪熊部長は眉尻を上げて唇を尖らせた。この人もけっこう形から入るタイプだな。


「もう単刀直入にお聞きしますが、なぜ、ちゃんと拒否しないのですか?」


「拒否って、どういう」


「畑くんの連絡先のことです。小鳥遊くん。朱鷺子ちゃんがそれをもらうのを看過したそうじゃないですか」


 やっぱり、そのことか。


「おかげで畑くんから大量の通知が届き、わたしのパソコンが今も悲鳴を上げています」


「なぜ部長のパソコンが」


「朱鷺子ちゃんはSNSを利用できないので。朱鷺子ちゃんのメールアドレスとアカウントは友人としてわたしがしっかり管理しているんです」


「友人の範疇(はんちゅう)、軽く越えてませんか」


「信頼の為せる業です。本来は作る必要すらありませんが、オタ活にはしばしば必要になりますので。形だけ用意してあります。そんなあるだけのメルアドに、今までメールなんてほとんど来なかったというのに。今では……これです」


 テーブルのうえで開かれたパソコンを見せられると、それはメールの画面で、少し見ただけでも『畑孝介』と記されたアドレスから何件ものメールが届いているのがわかった。


「なんというか……ご愁傷様です」


「かまいません。こちらは無視すればいいですし。問題は畑くんが朱鷺子ちゃんに好意を持っていると知りながら、小鳥遊くんがこれを許したことです」


 弘海はまた苦い顔になって微妙に視線を逸らした。


「いや。おれはべつに。部外者ですし」


「ご冗談を。小鳥遊くんは朱鷺子ちゃんの恋人じゃないですか」


「ま、まあ名義上は」


「なんですかその言い逃れする政治家みたいな顔は……。紛うことなき恋人関係でしょう?」


 恋人関係。

 改めてそう口にされて、弘海はますますバツが悪くなる。


「でもそれって束縛じゃないですか。たとえ恋人でも、そういうのって良くないと言いますか、そもそもそんな権利がないと言いますか」


 なんだろう。

 言っていてじぶんでも若干苦しいというか。なんだか無性に言い訳じみて聞こえる。そのうち弘海は自信を失くして、ごにょごにょ、と口先で言葉を濁した。


「これは、前途多難ですね」


 顔を上げると、顎に手をやった部長がなんとも言えない表情でこちらを見下ろしていた。やめてほしい。余計じぶんが惨めに感じるから。


「お願いだから悲しい顔はやめてください。どうせなら怒ってください」


「そう言われましても。……そもそも小鳥遊くんは、朱鷺子ちゃんのことをどう思っているのですか?」


(どうって……)


 そういえば。

 どう思っていたのだったか。


「すごく、綺麗な人だなと思ってます」


「第一印象すぎませんか」


「い、いや。見た目じゃなくて、振る舞いとか雰囲気とか。……とにかく伸び伸びしてて、迷いがなくて隙もなくて、そういうのぜんぶひっくるめて、その、綺麗だなと」


「ほおほお」


「でも一緒に過ごすうちに、それだけじゃないな、とも」


「というと?」


「まあ、意外と子供っぽいところがあるんだなとか、ときどき融通が利かないなーとか、割と猪突猛進だなぁとか……。最初はアニメのキャラクターみたいに感じてたのが、だんだん人間っぽく思えてきて、まあその……可愛いなと」


「おお」


 感嘆の声を上げる部長。なんだその反応は。


「でもその……最近は」


「最近は?」


「……」


 ぽりぽりと頭を掻く。


「すみません。わかんないです」


 言いながら深く項垂れる。

 じぶんのことでも、こればかりはお手上げだった。


「す、すごく自信を失くしています……。あの、わたしが言うのもなんですけど、あんまり落ち込まないほうが」


「いいんです。おれなんてなんもわかんない馬鹿野郎ですから。ひと思いに殺してください」


「や、ヤケになってはダメです。小鳥遊くん」


 自暴自棄に陥る弘海の耳に、部長の声は届かなかった。


「小鳥遊くんのメンタルがこんなに弱いとは……。ちょ、ちょっと。元気出してください小鳥遊くん。責めすぎたのは謝りますから。おーい。小鳥遊くんっ」


 しばらくの間、弘海は意気消沈していた。






 **






『今度、みんなでアニメ鑑賞会をしましょう』


 文芸部室から戻る道中、弘海はさっき部長に言われたことを思い出していた。


『……なんですか、急に』


『気晴らしですよ。とくにこういうときは、楽しい予定を入れて気分を変えるべきでしょう。いい機会じゃないですか。最近はあまり集まれていませんでしたし。ひさしぶりに部員全員でパーッとやりましょう』


『たしかにそれは楽しそうですけど』


『決まりです。あとでみなさんの予定をお聞きしますね』


 ひどく落ち込む後輩を見かねて、気を遣ってくれたのかもしれない。そうだったら、ちょっと申し訳ない。


 でも部長の提案は、弘海も素直に嬉しかった。


(そういえば、最近みんなでアニメ見てないな)


 去年、五百蔵さんの入部をきっかけにアニ研の活動方針はいろいろと変わって、むかしみたいに和気あいあいとアニメを見る余裕も、いつのまにかなくなっていたような気がする。より部活らしくなったのは良いことで、だれも不満を口にしたりしないけれど、気楽に好きなことを共有する時間もそろそろ恋しい頃じゃないか。


「お腹空いたな」


 今朝は安藝先輩はなにかとバタバタしていたようで、お弁当をつくる余裕もなかったらしい。電話口ですごく申し訳なさそうに謝られた。よって、今日のお昼は急ごしらえのお総菜パンと牛乳パック。よく腹に溜まるのとすぐに完食できるのが売りの高校生ランチセットである。いつもと比べると味気ないけれど、まあ背に腹は代えられない。しょうがない。


 部室でのお説教が長引き、気づけばもうすぐ昼休みが終わりそうになっている。廊下にはすでに昼食を済ませた生徒らが談笑していたり、早くも次の教室へ移動していく者がいたりして、弘海はそんな彼ら彼女らとすれ違いながら遅れて教室へと向かう。


 空きっ腹をさすりつつ歩みを進め、教室はもう目前に。見やると、後方のドアがこちらを招くように開かれている。時間もそんなにない。弘海は急いでそこから教室のなかへ入っていった。


 ——ガタンッ!


 直後、鈍い音が教室に響く。

 続いて、カラカラと軽い音のなだれが。


 気づくと教室の後ろ側、椅子が倒れているのが見えた。その周りでは筆箱から落ちたのか、鉛筆やら消しゴムやらが散乱している。


 教室の空気はなぜか張り詰めていた。


(え?)


 そして静まり返るなか、弘海は目撃した。


 倒れた椅子の向こう、女生徒がもう一人の女生徒に馬乗りにされている光景を。そしてそのふたりは、どちらも弘海がよく見知った顔だった。


「五百藏さん、と……茜谷さん?」


 仰向けに倒れ、唖然とした表情で見上げているのが五百蔵さん。それに馬乗りになり、今にも泣きそうな顔で彼女の胸倉を掴んでいるのが茜谷さんだった。不意に茜谷さんの唇が震える。


「そんなことって。そんなことって、なんだし」


「んん……ちょ、苦し……」


「そりゃさ。あんたにはそんなことなのかもしんないけどさ。……あっ、あたしにとってはっ、すごく大事でっ、なのにそれを……」


 一体なにが起こっているんだ?

 教室のみんなもなんだなんだと教室後方に目を向けている。見やるとふたりの近くで淡島くんが「お、おーい。おふたりさん……?」と遠慮がちに声をかけているが、ふたりの耳には届いていないようだった。


「知らないわよっ。ぐちぐち文句言ったって、そんなの今更でしょーがっ」


「うっさい! そんなのって言うな! そんなのって言うなぁ……!」


「だ、大体あんたも賛同してたし! それを後から文句言うとかそんなワガママ通用していいわけ」


「うっさいうっさいうっさい……‼」


 茜谷さんは胸倉を強引に引っ張ると、それを力任せに振り回す。「ぐぅっ……!」五百蔵さんが苦鳴(くめい)を上げた。棒立ちしていた弘海はハッと我に返って、「……茜谷さん!」と後ろから羽交い絞めにするように引き剥がした。


「落ち着いて! なにがあったの!」


 茜谷さんは「離して……!」と取り乱して暴れるばかり。


 五百藏さんも地べたで苦しそうな表情で嗚咽(おえつ)すると、やがて茜谷さんを鋭くにらみ上げた。……だけどすぐに。


「あんたなんか来なければよかったのに……ッ‼」


「っ……」


 酷くショックを受けるように、その両目を大きく見開いた。

 赤い唇が震えるほど噛み締めて。勢いよく立ち上がると、そのまま肩を怒らせて詰め寄ってきた。完全に冷静を失っている。


 そんな五百蔵さんを止めてくれたのは山吹くんだった。「もうその辺でっ」と五百蔵さんの肩を掴む。五百蔵さんは彼を強くにらんだが、それで少しは我にかえったのか……、代わりに茜谷さんのほうを見やって、


「卑怯者」


 今度は、茜谷さんが目を見開く番だった。大きく膨らんだ目尻に、みるみる間に涙がにじんで……。それが流れる前に、キッとまぶたを閉じると、呆気(あっけ)に取られた弘海が油断している間に拘束から逃れ、茜谷さんは走って教室から出て行った。鮮やかな金髪が廊下の向こうへ消えていく。


 そうして静かな教室に残されたのは、わけがわからず立ち尽くす弘海と、神妙な顔つきで立つ五百蔵さんと、ひそひそと囁き合うクラスメイトたちと。

 遠ざかる少女の足音、それが聞こえなくなってもなお、その光景はしばらく続いた。






 **






「……で。さっきのはなに?」


 放課後。

 校門で待ち構えていた弘海は、一人でそそくさと帰ろうとする五百藏さんの行く手をさえぎるように仁王立ちで立ちはだかった。


「どいて。帰るから」


「昼休みのことを説明してからだよ。そうじゃないと、おれもおちおち帰っていられないんだ」


「あんたを倒せば先に進めるってこと?」


「言ってないから。真っ先にファイティングポーズ取らないで」


 学生鞄を肩に引っ提げ、拳を握り臨戦態勢に入る五百藏さん。昼休みのことが尾を引いているのか妙に血の気が多い。勘弁してほしい。


「あいつに訊けばいいじゃん。そっちのほうが早いでしょ」


「そうしたいのはやまやまだけどさ。茜谷さん、あれから一度も戻ってこなかっただろ。下駄箱に靴もなかったし、たぶん一人で帰っちゃったんだ」


「はぁ……つくづく勢いで生きてんのね。あいつ。鞄とかどうすんのよ」


「おれがあとで持っていくよ。ほら、持ってきたし」


 茜谷さんの学生鞄を持ち上げる。五百蔵さんはあきれ顔でそれを見つめた。


「直情的かつ無鉄砲。まるで(いのしし)ね」


「おれは茜谷さんのそういうところ、嫌いじゃないよ」


「訊いてねーし」


 いつもより荒い語調に、隠しきれない余裕のなさが見て取れた。この人はこの人で、けっこうわかりやすいところがあるな。


「とにかく観念するんだ、五百蔵さん。おれはもう君をどこにも逃がすつもりはない」


「そういうセリフはもっと違うシチュで聞きたかったわね」


「ん? シチュ? なに?」


「べつに。なんでも」


 ハァ……、と五百蔵さんはまた深々とため息をつく。今度のため息は妙に気持ちが入っているように思えたけど気のせいだろうか。続けて「……わかったわよ」とほとんど諦めの境地で肩を落とすと、五百蔵さんはその場から歩き出した。


「勝手にしなさい。ただしあたしは帰るわ。その道中までなら、なんでも答えてあげる」


「あ、いや。あとで茜谷さんの家行かないとだし。五百蔵さんの帰り道だと逆方向だから、ついていっちゃうと二度手間になっちゃうんだけど」


「知らねーし」


 そそくさと行ってしまう五百藏さん。


「あ、ちょっと……」


 もたもたと立ち往生している弘海を、五百蔵さんはやがて一度振り返ると、「あたしのこと。どこにも逃がさないんでしょ?」とこころなしか意地悪く笑う。


 ……なんでも勢いで言うもんじゃない。



 

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