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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
4章 三学期編
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(7) いのくま熊ベアー


 それは昼休み。スマホに届いた通知がきっかけだった。


 予鈴が鳴るのと同時、メッセージアプリに届いたのは母親からの伝言。次の授業の準備をしつつ片手間でそれを開くと、こんな文面が表示された。


『部長ちゃんがなんか悩んでいるご様子。至急、ハナシを聞くべし』


「……んん?」


 またぞろ晩御飯のリクエストでも来たのだろうと、いつもの調子で読み飛ばそうとした弘海は一度動きを止めた。


 部長というは言うまでもなく、我らがアニ研の部長たる猪熊まいる部長のことを指しているのだろう。


 作家志望である猪熊部長は、本職である風香にほぼ弟子入りのようなかたちで指南を受けており、その関係で連絡を取り合っている。尊敬する先輩二大巨頭のうち一人を、あのずぼらな母親と関わらせるのは弘海自身とても心配なのだが、今のところは問題なくやっていた。そう。今のところは。


「なんでじぶんで訊かないんだよ……」


 わざわざ弘海に託すのは気を遣っているのか、それとも単に面倒なだけなのか。どちらともおなじくらい可能性があるのが、なんともあの母親の難儀なところである。


 まあ、どっちにしても。


(放っておくわけにはいかないもんな)


 聞いてしまったものはしょうがなかった。






 **






 というわけで放課後、弘海は動いた。


 帰りのホームルームが少し長引いてしまったので、直接上級生の教室に行くのは選択肢から外れた。向かうは別棟の文芸部室。我らがアニ研の拠点だ。


 早々に部室を訪れると、案の定、猪熊部長の姿があった。


 部長は長テーブルにつき、黙々とノートパソコンと向き合っている。キーボードを打つ指先は淀みなく、画面を見つめる眼差しは真剣そのもの。「失礼します」と言って後輩が入室してこようとも気づく気配もなくて、ちょっと心配になるレベル集中力だ。これは声をかけづらい。


「ぶ、部長」


 ほんの少し、触れるか触れないぐらいの加減で肩を叩く。「ひゃあ……ッッ!」すると部長は背中に冷や水でもかけられたみたいな声で飛び上がった。


「た、小鳥遊くん。いたんですか」


「はい。すみません。びっくりさせちゃって」


 勢いでズレた眼鏡を直しながら、部長は目をぱちくりとさせる。


「そんな熱心に、なにを書いてたんですか?」


「あ、ああ、これはその。今度新人賞に応募しようと思っているもので」


「へぇ……!」


 興味をそそられ、弘海は開かれたノートパソコンを覗き込む。


「こ、今度嵐子先生に見てもらおうと思っていて……というか、その、まだ走り書きの段階なので、読まれると恥ずかしいです」


 そういうものか、と弘海は読むのを止めて、もじもじしている部長に向き直る。


「それにしても、凄い集中力ですね。おれが来たのに全然気づいてなかったし」


 弘海が笑うと、部長はぽっと頬を赤くした。


「……いつも、こうなんです。筆が進むといつのまにか上の空になってしまって。すみません。ほんとうに」


「いや、謝んなくても。むしろ尊敬しますよ。あそこまで一つのことに集中するのって、そうそうできないっていうか」


「いえ。空想に身を投じれば、だれしもいずれ我を失ってしまうものですよ。小鳥遊くんだって、教室でエッチなことを考えると、授業に集中できなくなってしまうでしょう?」


「それ空想じゃなくて妄想です。部長」


 部長は今日も平常運転だった。


「まさか……考えないんですか? では授業中ウトウトしてしまったらどのように眠気を覚ますと?」


「いや。ふつーに寝ますけど」


「なんと……! 小鳥遊くんは意外と不良さんだったんですね。真面目なわたしには及びもつかない考えでした」


「真面目な人は授業中にエロいこと考えませんよ」


 過度な集中から強引に解放されたせいか、部長は軽い躁状態にあるようだった。ランナーズハイならぬ、クリエイターズハイだろうか。いや知らないけども。


「それで。なにかご用でしょうか? 今日は活動もありませんが」


「ああ。それなんですけど。……その」


 どういったもんか、と弘海は頭をぽりぽり掻く。


 うまいこと会話の流れで聞き出すのが一番理想だったけれど、悲しいかな、小鳥遊弘海はそこまで口が回る男ではなく。そうこうしている間に部長がこてりと小首を傾げてしまった。

 しょうがない。手っ取り早くストレートに訊いてしまおう。


「部長、なにか悩みがあるんですよね? おれでよければ、その、話を聞きますけど」


「え? とくにありませんよ?」


(へ?)


「な、ないんですか? 悩み」


「はい。今はとても充実していますよ」


 にこっ、と屈託ない笑みを向けられる。なんとも可愛らしい、素敵な笑顔だった。弘海はへの字に口をゆがめる。


(話が違うじゃないか。母さん……!)


「ふふふ、どうして急にそんなことを訊いたんですか?」


「ああ、それは」


 懐からスマホを取り出し、風香から届いたメッセージを見せながら弘海は事情を説明した。


「……なるほど。嵐子先生が」


「すみません。早とちりだったみたいで。あの母親、ホント人の気持ちがわかんないんですよ。今度キツく教育しておきます」


「どちらが親がわかりませんね」


 部長は少し苦笑いして、


「でも、さすが先生です。なにも言わなくても、ぜんぶ見抜かれているようで」


「ということは、やっぱりなにか悩みが?」


「いえ。悩みというほどのものではありませんよ。……ただ、最近のわたしは少し欲張りになっていまして。ダメだなあ、と」


「欲張り、ですか」


 というと? と先を促すと、部長は今しがた操作していたノートパソコンの、正確にはそこに打ち込んだじぶんの文章を見つめるようにして。


「先日、アニ研で合評を行いましたね。じぶんたちの作品の。実はわたし、あの日の前日とても緊張していて、うまく眠れませんでした。みなさんにどんなことを言われるのか、どんな感想が出るのか、一日中気が気でなくて」


「部長もですか?」


 弘海もあの日は眠るのに苦労したものだ。今頃、じぶんの作品がみんなに読まれているのかと想像すると、心がざわざわして堪らなかった。


「でもそれはただの緊張ではなくて、武者震いだった気もして」


「む、武者震いですか?」


「はい。どんな感想でも受け止めてやるぞー! みたいな。そんな感じです」


 部長はその日が来るのが楽しみでもあったらしい。


「そのせいでしょうか。いざ合評を終えてみると、少し拍子抜けというか、すんなり終わってしまったことが、なんだか妙に寂しくて」


「物足りなかったんですか?」


「いえ。そんなことは。みなさんの意見はどれも適格で、とても実りある時間だったと感じています。……ただ。だからこそ、もっとたくさんの人に、じぶんの作品を読んでほしいと。そういう気持ちが強くなってしまいまして。要するに、我儘ですね」


 ゆえに、そんなじぶんを部長は「欲張り」と称したのだった。


「……羨ましいです」


「え?」


 気づけば、弘海は口を開いていた。


「おれは、そこまでじぶんの作品に自信があるわけじゃないので。正直言って、ダメ出しされるかもしれない怖さのほうが、大きいです」


「小鳥遊くん」


 部長が気遣うように目を細める。それに気づき、我に返った弘海は「あ、ああ。すみません。変なことを」と慌てて取り繕う。


「とにかく、部長はもっとああいう経験がしたいということですよね?」


「は、はい。そうです。でもこれは部長としてではなく個人の我儘ですから、みなさんを付き合わせるわけにもいきませんし」


「べつに、そんなことないと思いますけど」


 個人的な欲求だからこそ、部長はそれを持て余している。控えめな部長のことだ。だれかに相談するなんて発想は最初からなかっただろう。そのあたりの微妙な遠慮をあの母親は悟ったんだろう。まったく憎らしいというかなんというか。


 顎に手を当て、弘海は一度思案する。

 直接的な解決案は、元より出せるはずもなく。残念ながら人望も人脈も、小鳥遊弘海という陰気な少年にはまったくもって縁遠い。


 ——しかし。


 直接的な方法は提示できなくとも、間接的な協力であれば、思いつくことがあった。先述した通り人脈とは無縁であるが、紹介できる繋がりなら一つだけあった。


「おれに良い考えがありますよ。部長」


「え?」


 つまり、伝手(つて)というやつだ。






 **






「で。あたしのところに来たわけね」


 ぷはっ、と大きなストローから唇を離し、息をつくように制服姿の少女は呟いた。


「まあそうなんだけど……。五百蔵さんは、こんなところでなにしてるんだ?」


「腹ごしらえ。見てわかんない?」


 トレイのうえの商品を、これ見よがしに五百藏さんは掴む。洒落た英字の印刷された包み紙に包まれたそれは、香ばしい匂いのするベーコンレタスバーガー。それにあむっと齧りつくと、五百蔵さんの小さな頬がもぐもぐと膨らんだ。


「親が共働きだって言ったでしょ。うちは帰っても晩御飯がないことのほうが多いから、自炊とか気が乗らないときはこうやって楽に済ましてんの」


「合理的、なのでしょうか……?」


 対面する猪熊部長が苦笑いする。


 高校近くの商店街にある、ファーストフード店の一角だった。


 ガラス張りの向こう、下校する学生たちが通りをゆくのを尻目に、テーブル席に腰を落ち着けるのは制服姿の弘海たち三人である。放課後に道草を食う、というのは別段珍しいわけじゃないが、この三人の組み合わせはおそらく初めてだった。


「あたしだって横着したいときぐらいあるわよ」


「……まあ今回に限っては好都合だったよ。こっちはいつでも良かったんだけど、今すぐ話ができるならそれに越したことはなかったし」


「急用じゃないなら、電話すればよかったでしょ」


「わたしが無理を言ったんです。できれば直接話して、五百藏さんにお願いさせてほしいと」


「お願い?」


 警戒するように眉をひそめると、五百蔵さんはまたストローに口をつける。吸い上げられた飲料の影がストローを昇っていく。茶色い影はコーラではなく烏龍茶だった。


 部長はためらうように唇を小さく動かしていたが、やがてその唇を一度引き結んだ。そして意を決したように口を開く。


「き、聞くところによれば、五百蔵さんはおなじく作家志望の学生間で、なにやら怪しげな組織を結成しているとか……!」


「そんな組織は結成しとらんわ」


「部長はアドリブに弱いんだ。大目に見てあげてくれ」


 やっぱり事前に話すことを決めておかないとダメみたいだった。

 微妙な反応のふたりには気づかず、猪熊部長は目を閉じて両手を組む。


「新選組もかくやといった武士道を重んじる有志団体と聞き及んでいます。もちろんわたしの実力などでは到底入隊する基準は満たしていないでしょう。けれどこの話を聞いたとき、わたしはたしかに『これだ』だと直感したんです。運命だと思ったんです」


「あんたあたしらのことどんなふうに説明したのよ」


「い、いや、ふつーに説明したから! マジでホントに!」


 じとっ、と怪訝な眼差しを向けられ、弘海は慌てて弁解した。


「こんなこともあろうかと、履歴書も書いてあります。会費だって問題ありません。正直言えば懐に余裕はありませんが、いくつかサブスクを解約すれば足りると考えています。ただエッチなサイトだけはご勘弁いただけると幸いといいますか、いえ、覚悟を示すならば断腸(だんちょう)の思いでこれを切り捨てるべきなのは重々承知しているのですが、やはりゴールド会員の端くれと致しましては後ろ髪を引かれる気持ちもあると言いますか、考えようによってはFANSAも教材と呼べなくはないでしょうし、なのでですから——」


「部長その辺で。五百蔵さんがスゴい顔になってます」


 変態にでも出くわしたような形相で五百蔵さんは停止していた。掴んだままの烏龍茶のカップがミシリと音を立てて凹む。……これじゃあ逆効果だよ。部長。


「ハァ……もういーわよ。わかったから」


「では履歴書のほうを」


「要らんわ」


 ぴしゃり、と一蹴して、再びハンバーガーを一口。


「面接なんかあるわけないでしょーが。会費なんて論外だし。うちらをなんだと思ってんの」


「でも五百藏さんのお眼鏡に適わなければ問答無用で弾かれてしまうとお聞きしましたが……」


「それは品定め。面接じゃない」


(なお怖いよ……)


「部長ならなにも問題ないわよ。そのうちこっちから誘おうと思ってたぐらいだし」


「そ、そうなんですか?」


「ええ」


 部長なら実力も申し分ないだろう。弘海もそう思って仲介を申し出たのだ。


 だからさっさとそれをしまえ、と言わんばかりににらまれて、部長は一面びっしりと文字が書き殴られた履歴書をすごすごと学生鞄へと戻した。……にしてもあんなのいつ書いたんだろうか。部長ってやる気は凄いのに、ときどき空回りしている気がする。


(とにかく一件落着かな)


 これで部長の悩みは解決しそうだ、とひそかに安堵の息をつく弘海。


「あ、そうです」


 けれど次の言葉でそれは吹き飛ぶことになった。


「せっかくなら、朱鷺子ちゃんも一緒に参加できないでしょうか?」


(……え?)


「安藝先輩? でもあの人、作家志望ってわけじゃないでしょ?」


「はい。でも朱鷺子ちゃん、仲間外れにされるとけっこう傷ついちゃうので、一度訊いたほうがいいと思いまして」


 部長がスマホを操作し始める。安藝先輩に連絡を取るのだろう。


「子供かよ。……ま、いーけど」


 なんてことないように言ってストローを吸う五百藏さん。

 なんかとんとん拍子に先輩が参加する流れができあがっているが……いやいや。待ってくれ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 先輩も参加するって、正気なの⁉」


「なによ。そんな血相変えて」


「いや、だって……!」


(先輩が参加するってことはつまり、先輩の、あの作品が……)


 しかし弘海はなんと言えばいいかわからず口ごもる。


 そうこうしている間に「返事がきました」と部長が笑った。


「は、早い!」


「『ぜひ参加させていただきたいわ!』とのことです。ふふふ、朱鷺子ちゃんったら、びっくりマークまで付けて。すごく楽しそう」


「そう。なら決まりね」


 決まった。

 決まってしまった。


「ま、マジかよ」


 時すでに遅し。

 あっという間の出来事に弘海は開いた口が塞がらない。


「ごちそうさまでした」


 冷や汗を流す弘海の前で、完食した五百蔵さんが手を合わせていた。



 

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