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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
4章 三学期編
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(6) 大病院の不適合者


 自動ドアが開いた瞬間、薬品独特の匂いが鼻についた。

 消毒っぽい匂いが混じった素っ気ない潔癖の匂い。それが広々とした病院のエントランスにも充満している。


 休日の病院は(せわ)しなかった。


 清潔感あふれるロビーにはたくさんの人が座っていて、窓口では事務員たちが対応に追われている。駐車場も車でごった返していたが、なかも相当なものだ。静かに廊下を行き交う看護師、そして患者たち。見慣れない世界は真っ白な迷路のようで、たくさんの人々がいてもどこか孤独だ。


 病院で迷うのは流石になさけない。こんなこともあろうかと部屋番号はあらかじめ聞いてある。入院病棟の方向は通りがかった看護婦をつかまえて聞き出した。念には念を入れて、スマホに記しておいたメモを確認しながら院内を慎重に歩く。


 結果として、その部屋は思いのほか早く見つかった。


 入院病棟の個室、入り口のネームプレートには『南雲明慶(なぐもあきよし)』と知らない名前が記載されている。一瞬間違ったかと思ったが、そういえば弘海はあの人のペンネームしか知らなかった。こっちが本名なんだろう。


 ノックをすると、「——どーぞ」と聞き覚えのある声。


 失礼します、と言って入室すると、思ったより狭い室内の様子が目に飛び込んできた。手前にトイレ、向こうに開け放たれた窓ガラス、その間に揺れるカーテン付きの大きなベッドがあり、そこに横たわっていた男が気さくに手を挙げる。


「よう。坊主」


 言って、御船アキオは気前よく笑った。






「びっくりしました。まさか交通事故だなんて」


 御船アキオはアニ研とはなにかと縁深い漫画家である。


 第一印象こそ最悪の一言ではあったけれど、その後は部の活動に積極的に協力してくれたり個人的な相談にも乗ってくれたりと、忙しい合間を縫ってしばしばアニ研を気にかけてくれていた。


 弘海の母親である風香、そして父親の瑞彦とも腐れ縁の仲らしく、その関係で弘海は彼の近況がよく耳に入る。今回のことも、つい一昨日(おととい)あの母親が食事中、さもどうでもいいことのように彼が入院したことを話題にしたので、早々に知ることができたわけである。


「わざわざ見舞いに来るたあ、坊主も律儀なやつだな」


「お世話になってますから。あと、ふつーに心配ですし」


「大袈裟なんだよ。どいつもこいつも。ただの入院だってのに」


 と言いつつ、ベッドのうえに投げ出された右足は真っ白なギプスで固定されている。これを「ただの入院」というのは、いささか無理がある。


「その足でなに言ってるんですか」


 バイクで走行中、自動車に横合いから()ねられたらしい。見通しの悪い真夜中の住宅街だったとか。

 幸いすぐ救急搬送されたが、正面衝突じゃなかったとはいえ、こうして足の骨折だけで済んだのは運が良いとしか言いようがなかった。


「腕が無事ならなんでもいーんだよ。数々の名作を生み出してきた俺の腕になんかあっちまったら、漫画界の多大な損失だからな」


「……元気そうでなによりです」


 相変わらずみたいで、ひとまず安心した。


 病室を見回すと、備え付けらしい冷蔵庫があった。持ってきたお見舞いの品はとりあえずそこへ仕舞ってくことにする。冷蔵庫の扉を開けると、しかしなかにはプリンやらジュースやらがすでに十分すぎるほど入っていた。これなら持ってくる必要はなかったかもしれない。


「あんま学生が気ぃ遣うなよ? 帰りたかったらさっさと帰りな」


「大人でも独りは寂しいもんだって、母さんがよく言ってますけど」


「あいつと俺を一緒にするな。あいつは特別一人じゃ生きていけねえタイプなんだ。だから一人にならねー方法をだれより心得てやがる」


「たしかに……」


 人に甘えることにかぎってはだれも太刀打ちできない。それがあの母親だ。


「あと入院中だからって、いつでも独りだと思うなよ? 頼んでもねーのにしょっちゅう顔を見に来やがる面倒なやつだって、いたりするもんだ」


「綺麗な看護婦さんもですか?」


「そんなもんは幻想だ。漫画の読みすぎじゃねーの」


「先生がそれ言っちゃダメでしょ……」


 それにしても、御船先生にもそんな人がいるのか。意外じゃないけど、なんとなく驚きがあった。本人はなぜか迷惑そうだけれど。


 いつもはサングラスで隠されている目を細めて、御船先生はギプスで固定された片足を恨めしそうに見ている。そして不意に、まぶたを閉じた。


「それで? 坊主はその後どうだ? 『好き』は、理解できそうか?」


「それは」


 弘海にとって、『好き』という感情は未だ遥か遠く。

 以前そのことに関して御船先生には相談に乗ってもらったことがある。それもずいぶん前のことではあるが。それでもこうして覚えて気にかけてくれるあたり、やっぱり面倒見のいい人だと弘海は思う。


「……今日はそのことで、話がありまして」


「おう。いいぞ。聞いてやる」


「いいんですか」


「仕事もできなくて暇だからな。しゃーなしだ」


 なんてことを言いつつ、御船先生はリモコンを操作して、つけていたテレビの音量を下げた。きっと暇じゃなくても聞いてくれたんだろう。


 弘海は口元を少し緩めると、持ってきていた学生鞄から数枚の用紙を取り出した。


「先生、おれの作品は読んでませんでしたよね。この前、アニ研の活動で学校に来てくださったとき」


「なんだ。やっと完成したのか」


「はい。……それで、先生に読んで、感想を聞かせてほしいと思って」


 尻すぼみに声が小さくなる。まるで無意識だった。けれど大人の御船先生には、弘海の青臭い心情など、すぐに気づかれていただろう。先生はぴくりと眉を動かし、


「俺でいいのか? 小説なんて専門外もいいところだぞ?」


「御船先生に、見てほしいんです」


 小説と漫画じゃまるで畑違いだなんて百も承知だ。そのうえで弘海は、この人じゃなきゃいけない、と強く感じていた。


 ややあって御船先生が手を差し出す。そして弘海から作品を受け取ると、その場で読み始めた。原稿用紙に打ち込まれた文章に黙々と目を走らせていく。その間弘海はパイプ椅子に座って、先生が読み終わるのをじっと待つ。


 アニ研では、各自すでに作品を読み終わった状態で集まっていた。ゆえに、こうしてじぶんの作品を目の前で読まれるのは、思えば初めての経験だ。


 そんなことに気づき、弘海はごくり、と固唾(かたず)を呑んでいた。


 なんだろう、この緊張感と恥ずかしさは。作品ならアニ研でも読まれていたはずなのに、それが目の前で読まれているだけで顔から火が出そうだ。ぺらり、とページを繰る音がするたびに逃げ出したくなるし、先生の小さな鼻息が聞こえるたびに消えてなくなりたくなる。これはなんだ。新手の拷問か。


(目の前で読まれるのって、こんなに辛いのか……)


 また一つ、弘海は創作の理解を深めた気がした。






 読了には数分もかからなかった。


 元々数枚ぽっちの短い作品なのであたりまえと言えばあたりまえだろう。けれどその数分間ですら大きなダメージを負った弘海はほぼ満身創痍だった。全身の痒みもさることながら、息も絶え絶えに勇気を出して感想を聞こうとする弘海だったが、それより先に「ぶふっ……!」と噴き出したのは御船先生だった。


「くっ、ははは……‼ マジかよ。こりゃすげえ……‼」


 しまいには腹を抱えて笑い出す。


「やー、見事だ。まさかこんな作品をつくってくるたあな」


「それは遠回しな皮肉ですか」


「なんでそうなんだよ」


「京都人の賞賛はほとんど嫌味だから気をつけなさいって、母さんがむかし……」


戯言(たわごと)しか言わねーのかあいつは」


 どんな偏見だよ、と先生は若干あきれ気味にため息をついて、


「額面通りに受け取れ。あと俺は東京暮らしが長ぇからほぼ関東人だ」


「地元愛が強い漫画家だというのは」


「ネットは適当なことしか書かねーんだよ」


 普段はサングラスで隠れている切れ長の眼差しが、数枚の用紙に注がれる。


「……にしても。ほんとーに見事なもんだな」


 そして不意に、愉快そうに笑った。


「俺の教えをしっかり実践してやがる」


「っ……」


 弘海は唇を引き結ぶ。


「……やっぱり、わかりますか」


「これがわかるのは世界中探しても俺一人だけだろうなあ」


 きっとほんとうにそうなのだろう。これを見抜けるのは御船先生だけ。だからわざわざ病院に押しかけてまで弘海も感想をもらいにきた。


 御船先生は一つ息をつき、ベッドのサイドテーブルに作品を置く。そしてだれかが用意したのだろう、くし形に切られたリンゴに爪楊枝を刺すと、それを少し(かじ)った。


「しかしあきれたもんだな。たしかに『なにが嫌いかでじぶんを語れ』って言ったのは俺だが、こうも見事に実践してみせるとは。たいしたもんだよおまえは」


「やっぱり褒められてませんよね。それ」


「褒めてるっての。俺がこんなに人を褒めることなんてまずねーんだぞ?」


 弘海はまだ微妙な気持ちだったが。


 ともかくご指摘通り、この作品は先生の教えに則った代物だった。

 ——なにが『嫌い』かでじぶんを語れ。

 数か月前、ファミレスで先生からもらった助言に忠実に従った結果が、今回の弘海の作品だったのだ。


「引き算でも創作はできる。坊主は、ちゃんと理解してるみてーだな」


「引き算でも……」


「好きな気持ちがねーとなにかを生み出せねーなんてのはな、ただ意欲が沸かねーだけの怠惰な言い訳なんだ。……熱量も愛着も、後からついてくりゃいい」


 わかるようでわからないような、独り言のようで叱責のような、そんな言葉を呟いてから、御船先生はまた皿のうえのリンゴに爪楊枝を刺した。今度は一口でそれを頬張る。


「友達には、答案用紙に正解を記していったようなもんだって言われました」


「くくっ、言い得て妙だな。だれだ? そんな正確な例えを出すやつは?」


「笑いごとじゃないですよ。すごく責められたんですから」


「まあ。真剣に表現と向き合ってるやつにはお気に召さねーだろうな。……だが、成長の仕方ってのは人それぞれだ。坊主はそれでいい」


 おまえは間違っていない、と言外に励まされた気がした。


「それに作品のクオリティだけで言やあ、坊主が一番高い」


「そんなわけ」


「あるんだなぁこれが。……なあ坊主、おまえ、物語のクオリティってのはなにで決まると思う?」


「え?」


 唐突な問いに弘海は眉をひそめる。

 いよいよ講義じみてきたが……そんなの、ただの素人に答えられるものじゃないだろう。「クオリティ」という単語こそよく耳にするけれど、正確な意味なんてわからない。じぶんで使うときも漠然としたニュアンスでしか口にしたことがない。


「し、質の高さ、とか?」


「そりゃ和訳しただけだろ」


 一蹴された。まあ、それはそうだけれど。


「いいか坊主? クオリティってのはな、如何(いか)に無駄なくつくられているかだ。少なくとも俺はそう思ってる。これに関しちゃ漫画も小説も関係ねえ。とにかく情報はスリムに、流れは的確に、一番理解しやすい数式で物語を導けってな」


 そういえば似たような話を風香もしていた。ちょうど学校に先生たちが訪れたとき、風香は「クオリティ」とは「どれだけ読者に親切にできているか」だと語っていた。なんとなく、御船先生の意見とは微妙に意味合いが違いそうだけれども。


「それに照らし合わせりゃ、おまえの作品は質が一番高いと言える。基礎がしっかりしてるってわけだな。誇れよ」


「んん……」


「まあ、おもしろいかと言われればぶっちゃけつまんねーが」


「そこが一番致命的じゃないですか……」


 退屈な作品という評価は覆らなかった。やはり褒められていないのでは。


 と、そのとき御船先生の声が一段高くなった。


「そういう意味じゃ、坊主は嬢ちゃんとは正反対だよなー」


「安藝先輩とですか? それってどういう」


「物の作り方だよ。——坊主が引き算で、嬢ちゃんが足し算」


「……」


 その言葉は妙な響きでもって、弘海の心の琴線に触れた。気がした。


「先生は……先輩に、『好きを詰め込みすぎだ』って言ったんですよね。先輩に聞きました」


「まあな。門外漢にはそれぐらいしか言えなかったが」


「先生は、おれの作品と先輩の作品、どっちがいいと思いますか?」


 気づけば身を乗り出していた。


 御船先生はそんな弘海をじっと見上げると、腕を組んで笑ってみせる。


「坊主の作品のほうが、俺好みではあるな」


「……そう、ですか」


 自然と口元が綻ぶのが、じぶんでもわかった。


 御船先生ならわかってくれる。弘海はどこかでそう思っていた。ほかでもない、御船先生ならと。


 わかる人にはわかる、と言うが、それを特定の相手に期待するのは、あまり褒められた感情じゃないんだろう。だからこれを喜ぶのが良いことなのか悪いことなのか、弘海には判別がつかない。ただ嫌味のない、ありのままの『好き』が、今の弘海にはどうしようもなく嬉しかった。


 そんな弘海の様子に、御船先生は珍しく優しげに微笑むと、最後の林檎を豪快に頬張った。完食された皿に爪楊枝を置き、一度息をつくと「……腹が減ったな」と呟く。


「え? 今食べたところですよね?」


「デザートは別腹だ。肉が食いてーな。肉が。ナースコールでもするか?」


 などと迷惑すぎることを言って、先生は「ふわあ」と大きな欠伸を一つ。今のは冗談だろうけれど、たしかになにか刺激がないと寝たきりは退屈だろう。


「あとで不束でも呼ぶかー。あんまし気は乗らねーが」


「不束って……不束はる美先生ですか?」


 以前作家陣を学校に招いた際に参加してくれたSF作家の女性だ。初対面であの喪服は印象深かったからよく覚えている。でもなんで急に?


「今食べた林檎も、そこの果物も、不束が持ってきたもんでな。坊主も見ただろ? そこの冷蔵庫に、いろいろたんまりと押し込められてんのが」


(もしかして……あれ全部、不束先生が?)


「あ、愛されてますね……」


「歪んでんだよ。入院してからこっち、毎日のごとく通っては世話を焼きやがる。何時間もな。だが見舞いを禁止すると、それはそれでなにをしでかすかわからんから、定期的にこっちから呼んでやらねーと仕事にもなんねーんだと。……ったく、なにが悲しくて俺があいつの編集者に泣きつかれにゃならんのかね」


「は、ははは……」


 さっき話していた『面倒なやつ』とは、不束先生のことだったのか。


「今更だが、学校じゃ世話になったな。あいつも有意義だったって話してたよ」


「い、いえ。こちらこそ」


「そういやあいつ。ほかに妙なことも言ってたな。なんか『もうひとりに関しては後悔してる』とか、なんとか」


「後悔、ですか?」


「ああ。どっちに関してかはわからんがなー」


 あの日、不束先生が担当したのは五百蔵さんの作品と茜谷さんの作品だったはずだ。それを踏まえ、不束先生が『もうひとり』と呼んだのは、一体どちらのことなのか。本人に訊いてみないことには、わからないことだった。


「もういいだろー? 用事が終わったんなら、さっさと帰れ」


「はい。色々と、ありがとうございました」


 弘海は病室を後にした。



 

諸事情により、更新頻度が落ちています。

引き続き更新はしていきますので、しばらくの間お許しください。

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