(2) クイズバトルは日常系のなかで
駅近くの会館、その多目的ホールにはたしかに二十人ほどの学生が集まっていた。
みな私服なので、学生かどうかは梅木くんの言を信じるほかないが。社会人が混じっているということはあるまい。
多目的ホールはステージ付きの、その名の通り様々な目的に対応できる広さのホールだった。壁際には長テーブルやらパイプ椅子やらが折り畳まれて積まれており、弘海たちが入ったときはほぼ全員がそれらを持ってセットの準備をしていた。談笑している者も何人かいる。
中央で指揮を執っていた梅木くんは、現れたアニ研メンバー、というか主に安藝先輩を見つけるなり「朱鷺子さん、この度はお越しいただいて——」と全員にそうしているわけじゃないだろうに、わざわざ丁寧な挨拶を始める。先輩が洗練された作り笑いで応じる背後で、茜谷さんが威嚇でもするかのようににらんでいたが、それに気づく様子は微塵もなかった。相変わらずだ。
「みんな来てくれてありがとう! 堅苦しいことは要らないから今日は楽しんでってくれ!」
ステージのうえでマイクを持った梅木くんが音頭を取り(マイクは玩具だった)、早速クイズ大会は始まった。
長テーブルが五つ並べられ、それぞれにチームの代表がふたり座る。代表のふたりはチームで選び、クイズのジャンルごとに後ろのふたりと交代していくという形式。一風変わった形式だが、参加人数と問題数を照らし合わせ、バランスを考えた結果なのだろう。
アニ研からは、初めは猪熊部長と茜谷さんが解答席につく。「やるからには負けないし!」「が、頑張ります」勝負事には手を抜きたくないのか必要以上に息巻く茜谷さんと、緊張の面持ちで席につく部長。
のっけから先行き不安だが……まあ問題ない。ただの学生イベントなのだから、勝とうが負けようが、最後は楽しんだ者勝ちだ。
「絶対に勝ちましょうね。小鳥遊くん」
「えっ? あ、はい」
と、不意に気合十分な呟き。
解答席についたふたりを、弘海は後ろから応援するポジションに立っていた。それは隣の安藝先輩もおなじはずだったが……、微笑む先輩には今にもふたりを押しのけて答えそうな気迫があった。
「先輩、もしかしてクイズとか好きなんですか?」
「さあ。じぶんで答えるのも、答えるのを見るのも、あまり経験はないけれど」
「その割にはやる気満々に見えますけど」
「当然よ。なにせわたしたちは誇り高きアニメ研究会なのだから。アニメの知識で劣っては名折れでしょう」
「う、うちにそんな高尚なプライドが」
あったなんて。初耳だ。
なんだか、様子が変な気がする。「あの、先輩」つい声をかけたくなった。
「差し出がましいかもですけど。こういうのって、みんなで楽しむのが一番の目的というか」
しっ、と先輩は人差し指を鼻先に立てて、
「始まるわよ」
梅木くんの横にもう一人、マイクを持った気だるそうな茶髪の女性が立っている。京都で再会したときも彼と一緒にいた、名前は皆瀬杏子さんだ。一つ年上の三年生で、ちょうど受験勉強も佳境の時期だろうけど、本人はさっきから余裕そうにしているのでなにかしら結果が出たのかもしれない。その皆瀬さんが問題を読み上げていく。
最初は文章題。問題は一律で早押し形式だった。
「じゃ、初めはイージー問題からねー。このアニメのタイトルをお答えください。——今月から放送が開始されました。月刊ちゅーずで連載されている大人気ファンタジー漫画が原作で、架空の異国ガオーシャの裏社会を舞台とする、」
「わかった!」
——ピンポンッ。
茜谷さんがテーブルのうえの解答ボタンを叩くや、そんな音が鳴った。テレビとかでよく聞く音だ。どうやらボタンだけは本格的なものらしい。
「『異世界マフィアじゃ生きれない!』」
「ブブー、それ前期だよー」
ぐあ、と変な声を上げる茜谷さん。
お手付きはチームでのペナルティなので一問休みとなる。落胆する茜谷さんを「き、気にしないでください」と猪熊部長が励ます。
(……なんか、ダメそうだな)
早くも暗雲立ち込めるのを感じる弘海。
そして悲しいことに、その予感は当たることとなる。
前半は難易度の低い問題ばかり。おのずと奪合いになるのは予想されるため早押しの腕が試されることになるのだが、後から思えばそれが罠だったのだ。なにせ本日の茜谷さんは無駄に肩に力が入っている。必然、気も逸る。
結果から言えば、お手付きを繰り返すことになった。誤答し、解答権を失っている間にほかチームが正解し、点差が開くにつれ余計に焦り、また問題をよく聞かず解答し、再び間違う。あとはそのループだった。部長は控えめながらも数度なんとか正解してくれたが、解答権がない間は答えようもなく。またそれが茜谷さんを焦らせる。
そんな悪循環が終わる頃には、ほかチームとは大差がついてしまっていた。
「あ、あたしが……負けた?」
「負けっていうか、ほとんど自滅だよ」
バトル漫画の主人公みたく茜谷さんは自らの弱さに打ちひしがれていた。ホントになにやってんだか。
「さて。弔い合戦ね。はる陽ちゃんの無念を晴らすわよ」
「べつに茜谷さんは死んでません」
というわけで交代だ。安藝先輩とともに解答席につく。
ほかのチームもふたりずつ交代していく。
ふと気がつくと、すぐ横のテーブルには一人だけしか座っていない。そういえばこのチームは応援も一人だけだった。三人チームなのか。それじゃ不利なんじゃ、と弘海が思ったとき、司会の梅木くんがマイクを置き、その空いた一席に満を持して腰を下ろした。
「え? 梅木くんも答えるの?」
「作問は皆瀬がやってる。俺は問題を知らねーから、解答ができるって寸法だ」
「でも司会は」
「最初から司会は皆瀬なんだなあ、これが」
(じゃあなんでずっと横に立ってたんだよ……)
弘海の困惑の表情に、梅木くんは「ふっ」と我が意を得たりとばかりに鼻高々だった。意図も意味もまったく不明だが、とにかくマウントが取れればそれでいいのだろう。
「俺が立ちはだかったからには、朱鷺子さん、一筋縄じゃ行きませんよ?」
「お手柔らかにお願いするわ」
けしかけられ、先輩は『女優の微笑み』で対応する。
そして、後半戦が始まった。
「後半はイントロクイズだよー。もちろん全部アニソンね? 年代ごとに遡って出していくから、自分の好きな年代のときは特に注意して聞くことー。……あっ、曲名まで当てられたらボーナスポイントだから。で、一問ごとのポイントは——」
(にしても……クイズか)
皆瀬さんの解説を聞き流しながら、弘海はぼんやり考える。
クイズというジャンルに関して弘海は素人もいいところだ。けど、これが知識がものを言う勝負であることぐらいはわかる。出題もアニメに絞っている関係上、たぶん「広く浅く」視聴している者が勝ちやすいだろう。たとえば、弘海のような。
オタクなんて呼称でまとめられているが、一人ひとりの知識は大体偏っている。茜谷さんがグロいもの好きだったり、部長が下ネタ……もといコメディ好きだったり。きっとこの場にいるみんながそうだろう。だからこそ広い知識を問われる場では、雑食は有利なのだ。弘海は好き嫌いなく、満遍なく視聴しているのでそれなりに勝つ自信がある。これまた珍しいことに。
(まあ、でもいいや)
スポーツなら勝利が目的。けど今回は、楽しむのがメインの場だ。あまり張りすぎちゃいけない。
「では一問目の曲、流しまーす」
皆瀬さんが手元のスマホを操作し、曲を再生する。
繋がれたスピーカーから、サラサラ……、さざ波のような音が聞こえ、
——ピンポンッ。
「え?」
解答ボタンが鳴った。
一体だれが? と首を巡らせるまでもなかった。
なにせ赤く点滅していたのは弘海のチームのボタンだったのだから。言うまでもなく弘海は押していない。つまり、押したのは安藝先輩だ。
「え……? あっ。はい。安藝ちゃん。どうぞ」
「『浅瀬のナターシャ』、曲名は……『潮騒』だったかしら」
「せ、正解!」
ざわっ、と周囲がざわめく。当然だろう。こんな早業を見せられては。
例に漏れず弘海も(う、嘘だろ……)と驚愕の眼差し。
司会の皆瀬さんは一人、ぱちぱちと拍手していた。
「す、すごいねー! もしかして知ってた?」
「偶然です。古いアニメは好きなので」
安藝先輩はどこか気恥ずかしそうに答える。褒められるほどのことでは、とまるで謙遜するかのように。
……いやいやいや。
「ほ、ほとんど楽器の音も聞こえませんでしたけど? なんであんなに早く」
「少し波の音が聞こえたでしょう? あれがイントロよ。サビは有名でだれでも知ってる曲だし。こんなのは知識よ」
「ええ……」
弘海は声も出ない。
そんな弘海の反応に、安藝先輩はなぜだろう、「ふふふ」と嬉しそうに口元を緩めた。
そしてとなりのテーブルでは、
「相手にとって不足なし、だな」
冷や汗を流した梅木くんが、言い訳みたく言い放っていた。
その後も、安藝先輩は圧倒的だった。
——ピンポンッ。
「『ミサキ・オーバーキル』で、曲名は『バッドマナー』」
「せ、正解!」
——ピンポンッ。
「『美智さんとの遭遇』で、曲名は『さでぃすてぃっく!』」
「正解!」
——ピンポンッ。
「『楽園ガールズバンド』で、『絶対領域』。これはエンディングね」
「せいかーい!」
スピーカーから音が流れる。解答ボタンを押す。正答する。
安藝先輩はそれを驚異的なスピードでこなし続けた。
速さもさることながら、その知識量もすごい。古い年代からどんどん遡っていく形式の出題にもかかわらず、どの年代の歌が出題されてもわずか数秒で答えてしまう。オープニングだろうとエンディングだろうと関係ない。なんなら豆知識まで披露することもあった。
後半戦が始まる前、弘海は「広く浅く」の知識を持っている者が勝ちやすいと踏んだが、安藝先輩に至っては例外だった。「広く浅く」でもなければ「狭く深く」でもない。先輩は……「広く深く」だ。
「いいぞトキセーン! マジさいきょー‼」
やれやれー! と後ろでは茜谷さんが煽りに煽っている。さっきまであんなに落ち込んでいたのに。まあ前半戦はボロ負けだったし、ここで他を圧倒する快進撃を見せている安藝先輩は、うちのチームにとっては救世主なのだろう。
だが、
(マズいんじゃないか、これ……)
弘海は冷や汗を流す。
ちら、と横目で周囲を見やる。
テーブルに大人しく座っている他チームの者たち。彼ら彼女らは、やはり思った通り、目に見えてつまらなそうにしていた。
初めこそ最下位チームの奮闘にみんなは盛り上がってくれていたが、こうも圧倒的だと、もはや戦意喪失するのが道理だ。なかには解答ボタンから手を離してスマホをイジっている者すら。後ろの応援もどこか気まずそうだ。猪熊部長も気がついているようだが、なにもできず視線をさまよわせている。
——ピンポンッ。
「これは『やまいかのじょ』の挿入歌ね。曲名はたしか、『放課後病』」
「せ、せいかい」
先輩の猛進は止まらない。
……なぜだろう? 先輩にしては珍しく周りが見えていないようだ。他の追随を許さない勢いは、むしろだんだん速度が上がっている。マズい。
「つ、次の問題でーす……」
司会の皆瀬さんが困った顔つきでスマホを操作する。そしてみたびスピーカーから曲が流れだす。
(このままだと、先輩が悪役になる)
判断は、一瞬だった。
音が聞こえた直後、再び超速度で解答ボタンへ手を伸ばす安藝先輩。それを制するように、——ピンポンッ! 弘海は横合いからボタンを強打した。
「あっ、『あさぼらけ』……‼」
しばしの静寂。
のちに、
「……ぶっ、ぶぶー! お手つきで一回休みです!」
当然ごとく不正解が告げられた。
「……はぁぁ」
「小鳥遊、くん?」
驚いたようにそれを見つめるのは安藝先輩だった。けれど。
「おっ、やっと答えられる」
「ひさしぶりに来たよー」
「ついにチャンスが」
どこかしこから、安堵の息。テーブルにつく者、後ろで応援する者、みんなが胸を撫で下ろしている。
それらを認めた安藝先輩は、
「……ぁ」
と、かすかな喘ぎを漏らす。ようやく気がついたようだった。
後半戦はその後白熱した。
安藝先輩が口を閉ざしてしまったのが実のところ大きかっただろう。おかげで他のみんなもやる気を出し、それぞれチームの点差が拮抗したところで、今度は弘海が孤軍奮闘することになった。
最終的には梅木くんのチームとの一騎打ちになったが、これがなんとも良いところで彼がお手つきをしてくれたため、最後は弘海がごっつぁんゴールをして勝負は決まった。
「最後は得意な問題がきてよかったな。高橋くん」
「ああ、うん。小鳥遊だけど」
というわけで、クイズ大会はアニ研チームの勝利で終わったのだった。
多目的ホールを出て、みんなで会場を後にする。
「ねぇ見た⁉ 最後のウメキンの顔! ねぇ!」
「はい。見ましたよ」
「マージで悔しそうだったよねー! 最後の台詞なんてくっそ負け惜しみだし! ぐふふ、マジ最高なんですけど!」
「あ、あんまり走っては危ないですよ。茜谷さん」
昨今、興行収入が百億を突破したアニメ映画『日和見探偵エルル』のヒロイン、エルル・マドックのフィギュアが入った大きな箱を胸に抱いた茜谷さんが、足を弾ませ通りを駆けていく。一応いただいた優勝賞品だが、聞けばコンビニの一番くじのA賞らしく、さっき調べるとフリマでは二万円で取引されているとんでもない代物だった。部長が危ないといったのはそのフィギュアを案じてのことだろう。
「学生イベントの賞品じゃないですよね。あれ……」
フィギュアは部室に飾ることになった。が、これをだれかに知られたり盗まれたりしないか、今から心配だった。
「……そう、ね」
——と。
「ん……? 先輩、どうかしたんですか?」
駅へ向かう道中、安藝先輩の足取りはどこか重かった。そういえば会館からここまで、一度も言葉を発していない。
「もしかして、クイズのときのこと、気に病んでますか?」
「うっ……」
視線を逸らす。どうやら図星らしい。
「……ごめんなさい。ほんとうに」
「べつに謝らなくても。みんなで楽しく終わったんだからいいじゃないですか」
「それは小鳥遊くんのおかげでしょう」
恥じ入るように肩身を狭めて先輩は言う。
「あのまま小鳥遊くんが入ってくれなかったら、きっと最後まで退屈な空気にさせていたでしょうね。わたしのせいで」
「珍しいですよね。先輩が、あんなに周りが見えなくなるなんて」
「調子に乗ったわ。……はぁ。穴があったら入りたい」
「そんなに勝ちたかったんですか?」
たしかに後半戦が始まる前はうちのチームが最下位だったから、気合を入れるのはわかるけれど。
しかし安藝先輩は静かに首を横に振って、
「違うわ。ただ、良いところを見せられると思ったのよ」
「だれにですか?」
「小鳥遊くんに」
(……え?)
「お、おれに、良いところを、ですか?」
知らず、声が裏返る。
その動揺をどう捉えられたか、先輩は余計にそっぽを向き、耳元を赤くさせた。
「言ったでしょう? あなたに好きになってもらえるよう、努力するって」
「っ……」
今から少し前、弘海は安藝先輩との交際を始めることになった。
大それたことに、あのイツ高でも一番の美女と名高い先輩とのお付き合いだ。今でも時おり、幻でも見ているんじゃないかと思うことがある。
だが肝心の恋愛感情に関しては、やや一方的なものであると言わざるを得ない。好きという感情は、依然として弘海のものにはなってくれていない。それを理解しているからこそ、先輩はあのとき「努力する」と言ってくれた。
「知識量には自信があったわ。だから絶好の機会だと思ったのだけれどね。それが逆に情けない姿を見せてしまうだなんて。これじゃあ小鳥遊くんの好感度メーターも下がるばかりだわ」
「おれはギャルゲーのヒロインですか」
(でも……そっか。そんなふうに、おれのこと)
心が温まるような、むず痒いような、変な気持ちになる。
想われるというのは、なんというか、落ち着かないものだ。
「次からはもっとスマートにこなすわ。小鳥遊くんも覚悟しなさい」
「ははは……お手柔らかに」
落ち込んでいたのも束の間、吹っ切れていつも通り微笑む安藝先輩はたくましかった。
「ヒロミン!」
気づくと茜谷さんが目の前に立っていた。フィギュアを胸に抱き、上目遣いに覗き込んでくる。
「茜谷さん。あんまりはしゃぐとコケるよ」
「子供扱いすんなし。それよりさっ、さっきのヒロミンマジですごかったよね!」
さっき、というのはクイズの後半戦、弘海が一人で接戦を演じたことを言っているのだろうか。あまり褒められるようなことをした覚えはないけれど、続いて猪熊部長と安藝先輩も加勢してくる。
「朱鷺子ちゃんも凄かったですが、小鳥遊くんの貢献が最終的には決め手になりましたね」
「ふふふ、そうね。あれは助かったわ」
「いや、おれはべつに。最後は梅木くんのミスに助けられただけだし」
「そこに行くまでも答えまくってたし! ちょーカッコよかったし!」
なんだか大袈裟に囃し立てられている気がするけれど、珍しく部の力になれたのは、たしかに嬉しいことかもしれない。
「トキセンもぶちょーさんも頑張ってくれたし、みんなでもぎ取った勝利だよね! これ!」
みんなのなかに茜谷さんは含まれているのかは、聞かないでおくが。
「あたし、アニ研入ってよかった! マジで!」
「あはは、なんだかこそばゆいですね」
「今年もさ! みんなでいろいろしようね!」
眩しい日差しにフィギュアの箱を掲げながら、茜谷さんは満面の笑みで「絶対だからね!」と言ったのだった。