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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
3章 恋と創作編
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(9) ご愁傷様、小鳥遊くん。(二)

 

 ではあらためまして。


 と猪熊部長は取り直して、


『コホン……小鳥遊くんの問題に関しましては、少し込み入った事情がありまして。どうしても、本人以外の口からは語りづらい内容でした。わたしたちが知った経緯も、どちらかと言えば偶発的なものだったので』


「もしかして、むかし虐められたってやつ?」


『……ご存じだったんですね』


 この前の昼休み、五百蔵さんとはその話になった。


「でも、それはもう克服したって聞いたわよ」


『そうです。小鳥遊くんは一度トラウマを乗り越えました。なので正確に言えば、小鳥遊くんが今直面しているモノはそれとは関係がないでしょう』


「べつの理由があるってわけ?」


『はい。しかしその理由については小鳥遊くん本人にもまだわかっていなくて、現在進行形で困っているところなんです』


 そうですよね? と部長に同意を求められ、弘海は慌てて頷いた。


「これでも今は、けっこうマシになったほうで……。前までは、だれかとなにかを語ることすら怖くてできなかったし」


「あの頃のヒロミンヤバかったよねー。もう話そうとするたび、おぇぇぇ! って吐いてたし。マジカワウソ」


『……? それを言うなら可哀想では?』


「そのフォローは要らないです。部長」


 スマホのなかの部長が「す、すみません」とマスクの上から口元を手で覆っていた。


 対して五百蔵さんはと言えば、まだ怪訝そうにじっと弘海を凝視している。


「あんた、最近見たアニメで一番好きなのは?」


「えっ」


 唐突な、脈略のない質問。

 けれどそこに含まれる意図は察するに難くなかった、


「お……『オレの妹がことごとく運命をネジ曲げてくる件』、かな」


「ラブコメじゃーん」


『お目が高い』


「どんなところが良かったの? 話してみて」


(グイグイくるな……)


 ごくり、と弘海は唾を飲み込んでから語り始める。


「しゅ、主人公の鍵司(けんじ)が、ある日突然、羽の生えた美少女と出会うんだけど。その子が実は死神だったんだ。健司は今日中に事故で死ぬ運命だから、願い事を一つ叶えてやるためにやってきたっていう、まあ、導入はそんな感じで」


『死神ちゃんの衣装がすごくエッチでたまりませんよね!』


「部長は黙ってて」


『ハイ』


「えっと……それで健司は願い事の権利を使って、唯一の家族である御代香(みよか)に最後の別れを告げるんだ。御代香は兄を毛嫌いしていて口も利いてくれなかったから……でも、実は御代香は重度のブラコンだったことが判明して、兄の運命を変えるために御代香は全力で奔走するんだ。その回避方法が毎回ぶっ飛んでて、それが、すごく、その、おもしろくて」


『御代香ちゃんのヤンデレ具合がイカれてて、もう笑うしかないという!』


「部長」


 スピーカーから『……ハイ』とくぐもった声がした。


「そのうち妹の過去が明らかになって。それが最初に言った願い事と繋がってて……そこの伏線が回収されたときに、おれ、すごく鳥肌が……た、立ったんだ」


(ああ、やっぱり)


 だんだんと、うまく声が出なくなってくる。


「み、御代香の病的な愛情にも、ちゃんと……理由があって……れを、しぃ……ったとき、っが……ても、かわいくみ、ぇて…………ぁ……っっ」


 まるで音のない、真っ暗な宇宙に放り出されたかのよう。


(声が……出ない)


 言葉は音をともなわず、口からは、ひゅぅひゅぅ、とかすれた喘ぎだけが漏れる。

 無理やり喋ろうとしても、金魚のようにパクパクと口を動かすだけで、そのうち息を吸っているのか吐いているのか、わからなくなった。過呼吸に近い状態。額に脂汗がにじみ、やがて肌から血色が失われ、ドクドクと心臓が早鐘を打つ。


「ハイストップ!」


「んっ……!」


 知らぬ間に回り込んでいた茜谷さんが、背後から弘海の頬をぎゅむっと両手で包み込んだ。

 そのままもみもみと容赦なく揉みしだかれる。


「おりゃおりゃ」


「んっ、んん……」


『ゆっくり、息を吐いてください』


「……? ん…………ぁ、ぁ~……」


『お腹を膨らませて、今度は、ゆっくりと吸いながら』


「……ぅぅ…………すぅ……」


 部長の指示に従って弘海はそれを何度か繰り返す。


 ものの一分程度で、やがて身体は落ち着きを取り戻した。


「ぅ……ふぅぅ…………も、もう大丈夫です。すみません」


『いえ。良かったです』


 液晶画面越しに部長が胸を撫でおろす。茜谷さんはそうするのが気に入ったのか、なおも弘海の頬を玩具おもちゃのように触って遊んでいた。


『おわかりいただけましたか? 五百蔵さん』


「……はぁぁ~」


 五百蔵さんは頭を抱えながら深々と息をつく。事の成り行きを静かに見守っていたはずの彼女の額にも冷や汗のような(したた)りが光っていた。


「理解したわ。今のでじゅーぶんね」


「驚かせてごめん。五百蔵さん」


「べつに。けしかけたのはこっちだし……。つーか、アンタのソレはなんなの? 必要なの?」


「ふふん。こーしてあげるとすぐに落ち着くって、トキセンが言ってたんだー」


 もみもみと茜谷さんの指先が好き勝手に弘海の頬を揉むのを、五百蔵さんはジトっとした半眼で気に入らなそうに見ていた。


「あ、茜谷さん。もう大丈夫だから。は、離して」


「オッケー」


 茜谷さんはあっさり離れていった。





「——けれど、困ったわね。これは」


 一連の話が終わったあと、五百蔵さんはなぜか深刻そうにそう呟いた。


『……なにが困ったのでしょうか?』


「アニ研の課題よ。みんなで作品書いてるでしょ。今」


「あたしもーすぐ書き終わるよ」


「知ってる、さっき聞いたから。……で、現時点で作品を書き終えてるのは、あたしと部長と、安藝先輩。だからあとは小鳥遊くんのを待つだけだったんだけど」


 少女の真っすぐとした眼差しが、対面の青年へ。

 曇りのない瞳は、すべての見通すような確信に満ちていた。


「う……」


 おもわず弘海は視線を逸らす。


「あんた今。たぶん一文字も書けてないでしょ?」


「なぜわかった……」


「わかるわよ。今のあんたには書けないってことぐらい」


 いつかの帰り道とは違う、そっけない言い方だった。


「でも五百蔵さん。おれなら大丈夫だって、この前」


「そりゃね。あのときは夢にも思わなかったから。あんたがそんな、物を書く上で致命的な欠陥を抱えてるだなんて」


「欠陥って」


 少し大袈裟じゃないか。


「大袈裟だとか思った? でもそうじゃないの。じぶんの『好き』を表現できないのに、創作をしようだなんて、そんなのはっきり言って無理よ」


「ど、どうして、無理なの?」


「説明は今度するわ。今は時間が惜しいの。とにかく今のあんたは創作以前の問題、スタートラインにも立ててないから。それをちゃんと自覚して」


 そんなこと言われても。

 一体どうすればいいのか。わからない。


 道端に置き去りにされた幼子(おさなご)のように、弘海はとたんに途方を失ってしまう。「……ちょっと。言いスギじゃんそれ」そこへ茜谷さんが口を挟んだ。


「ヒロミンだってすごく頑張ってんのにさ。あんまイジメんなし」


「い、イジ……? あ、あたしそんなつもりじゃ」


「じゃもっと言い方考えろよ。ちょっと詳しいからってなんでも言っていいわけじゃねーし」


 茜谷さんにしては至極真っ当な、紛うことなき非難を受けて、五百蔵さんは「う……」と言葉を詰まらせていた。よく見ると耳元も赤くなっている。


 なんだかんだと、最近お叱りを受けることが多い五百蔵さんである。以前の昼休みといい、今回といい、昨今のアニ研部員たちは辛口な彼女に合わせるように、いい意味で遠慮がなくなってきていた。


「ごめんなさい。訂正するわ」


「ああ、いや。おれはべつに」


(すごい。急にしおらしくなった)


「とりあえず、あんたのソレは早急に解決するべき問題だから、今はそのことをみんなで考えましょう。……って、言いたかったの」


「そ、そう言ってもさ。……もうなにをどうすればいいのかわかんなくて」


『たしか、小鳥遊くんは、文化祭の紹介文はちゃんと書けていましたよね?』


「あれは、その。ただ説明しただけなので」


「あんたの文章、めちゃくちゃ薄っぺらかったもんね」


「う……」


「だから口悪いんだってアンタは!」


「ご、ごめんなさい!」


 このふたり。こんな母子のような関係だっただろうか? いつもの立ち位置的にも真逆になったようだ。


「……そ、そういえば。あんた、むかしのトラウマは解決したって話だったわよね? それはどうやって乗り越えたのよ?」


「あれは」


 夏休みにあった、御船先生との一件を思い出す。


「……ぜんぶ。みんなのおかげなんだ。部長や茜谷さんや、安藝先輩の『アニメが好き』っていう気持ちをそばで聞いて、力をもらえたから」


 部員のみんなに勇気をもらい、『好き』をもらった。

 だからできたことだった。


「要するに、あんたって他人から影響を受けやすいんだ」


「……うん。そうかも」


「だったら。とりあえずみんなの作品を読んでみるのはどう?」


 五百蔵さんはさっと席を立ち、「本当なら日取りを決めて、全員で一斉に読み合うつもりだったんだけど……」と呟きながら、学生鞄からUSBメモリと印刷された用紙の束を取り出した。


「このメモリに、あたしの作品のデータが入ってるわ。パソコンに繋げばすぐに読めるはずよ。それでこっちは今日職員室で印刷しておいた部長の作品。……これ。小鳥遊くんに渡してもいい?」


『はい。ぜひ』


「あたしもあたしも! ヒロミンに見てほしいんですけど!」


「アンタはまだできてないでしょーが」


『茜谷さんは完成したらわたしにデータを送ってください。すぐに小鳥遊くんにお渡しますから』


「ぶちょーさん! マジ有能!」


『ンンッ、クシュン……ッ‼ びえ、ぞれほどでも……』


「……ってわけだから。ほら」


 用紙の束はテーブルのうえへ、USBメモリは手で受け取って、弘海は「ありがとう、みんな……」と若干感動しながら全員の顔を見回した。


「ん、あれ? そういやトキセンのぶんはー?」


『そ、それが……まだ打ち込みが終わっていなくて。すみません。早く手を付けようと思っているのですが』


「ムリは禁物。今は体調の回復に努めるべきよ」


 体調不良につき、読む気力も打ち込む余裕もなかったらしい。これは責めれない。


『途中までは入力し終わっているので。朱鷺子ちゃんに許可を取ってからになりますが、よければお送りしましょうか?』


 なんて、殊勝なご厚意を見せてくれる、どこまでも優しい猪熊部長。けれど弘海は、


「そ、それはやめてください……!」


 拒否の言葉が、考えるより先に口をついて出た。


『そ、そうですか』


 まさかこうも乱暴に突き返されるとは思わなかったのだろう、猪熊部長は驚きを露わに『す、すみません』としなくていい謝罪までしてしまう。


 気づけば、その場は水を打ったように静まり返っていた。


「なによ。先輩の作品、そんなに読みたくないわけ?」


「あっ……ご、ごめん。今のは」


 ものの数秒で弘海は深く反省し、「ほ、本当にごめん。急に大声出して」と今の振る舞いを恥じた。


「でもほんとに。そうじゃなくて。その…………ただ安藝先輩には、知られたくないなって」


「はあ?」


 突然なにを言い出すのやら。

 みんなの反応は驚きよりもあきれに近かっただろう。


「なんでよ? あんたの事情のことは、安藝先輩も知ってるんでしょ?」


「そう、なんだけど。……それでも、先輩にだけは」


『作品を書いていることにしてほしい、ということでしょうか?』


「……はい」


 じぶんでもよくわからない衝動だった。


 けれど理に適わない感情は、ここにはいない彼女を強く意識して、特別弱みを隠したがっていた。これはきっとどうしようもない情動だと、理屈とはべつの部分が告げている。


『これは……もしかすると、もしかするかもしれませんね』


「なに言ってんのよ」


『いえ。——承知しましたよ。小鳥遊くん。今回のことは朱鷺子ちゃんには秘密にしましょう』


「あ、ありがとう、ございます」


 今までの振る舞いのなかでもトップクラスに頼もしさを発揮する我らがアニ研の部長。かっこいいが、なんだろう、なぜか口調が必要以上に活き活きしていた。


『おふたりも。今回は小鳥遊くんの思いを尊重してあげてください』


「イイよー。なんかオモロそーだし」


「んん……わ、わかったわよ」


 渋々ながら五百蔵さんも頷く。


 四人限定の緘口令がここに敷かれた瞬間だった。






 **






 みんなが帰ったあとも、そのテーブルには部長の作品が置きっぱなしになっていた。


 部員たちの帰りを見送った弘海がそれを思い出し、そそくさとリビングに戻ってくると、そこにはさっきまでいなかった人物が立っていた。


「……父さん」


「これは、弘海くんの作品かい?」


 用紙の束から一枚手に取っていた瑞彦が、息子のほうを見もせず訊ねる。

 わけもなく弘海はドキリとして冷や汗を掻いた。


「違うよ。それは部長の作品で」


「テニス部に作家の卵が」


「いや文芸部だから……って、これ前も言ったような」


「ああ、そういえば」


 果てしなくどうでもよさげな返事。

 血の繋がった子供にここまで興味がないのも凄いことだと、息子の弘海はつくづく思う。さっきも「友達とリビングを使いたい」と言っただけで「ああそうかい」とあっさり部屋に引っ込んでしまったし。


「弘海くんのは、ないのかい?」


「お、おれのは、まだで」


「なるほど。それで、みんなで書いて読み合おうと」


 この人はほんとうに。

 察しが良いのか。悪いのか。


 弘海が「……ま、まあ」とどっちつかずの表情で頷けば、瑞彦は「なるほど。なるほど」としきりに頷いてみせたのち、手に取った一枚を元の位置に戻した。


「ところで弘海くんは、カレーか和風か、どっちがいい?」


「は?」


 また脈略もなくなにを……。とやや混乱したあげく、弘海は(ああ……晩飯か)と献立を訊かれていることに遅れて気がついた。


「うどんなんだけどね。好きなほうを選びなさい」


「あ、ああ……それじゃあ」


 もういいや。

 なんでもいいからてきとーに答えてしまおう。


 と、さっさとその場を済まそうとした弘海だったが、


「…………」


「……」


「…………やっぱ、どっちでもいいよ」


「わかった。じゃあカレーにしよう」


 その不自然な返答の間も、やはり瑞彦はまったく意に介さず。


 さっさと息子に背を向けてしまって、キッチンのほうへ。


「そういえば風香の仕事がもうすぐ終わるらしいよ」


 弘海にとっては重要な情報を、おまけみたいに最後に添えるのだった。



 

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