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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
3章 恋と創作編
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(7) このテニス部には問題がある!


「さて……どーゆーことか説明してもらおうか?」


 ——後日の朝。


 いつも通りの時間に登校してきた弘海だったが、教室に入ってすぐ、ガシッと淡島くんに両肩を掴まれたかと思えば、学生鞄を下ろす暇もなく強制的に自席に座らされ、あれよあれよという間に取り調べが始まってしまった。


「えっと、なんのことでしょうか?」


「ほほぉぉ……この期に及んでしらばっくれる気たあ、大した胆力じゃねーか。肝据わってんなあ、兄ちゃん」


「コイツはなんでこんなけったいな喋り方なん?」


「水差すなよ、谷口。たぶん雰囲気だろ」


 向かいの席でふんぞり返っているのは淡島くん(本人の席ではない)で、その横では山吹くんと谷口さんのふたりが、容疑者が逃げられぬよう包囲網を組んで立っていた。ふたりとも一応協力しているようだが、淡島くんのテンションとはやや温度差がある。


「というか、なんで急に詰められてるの? おれ」


 まあ、それにもワケがあるのだが。


「んなもん、安藝先輩のことに決まってんだろ‼」


 ネタは上がってんだよ! とばかりに机が叩かれた。


「ああ、やっぱり……」


「たりめーだろッ! 今もうちの部はその話で持ち切りなんだよッ!」


 昨日、あの安藝朱鷺子がテニス部のマネージャーとして電撃入部した。


 そんな噂はすでに学校中に知れ渡っているらしい。昨日の今日でここまで話が伝播でんぱするなんて、つくづく先輩は人気者である。


「おれも知らなかったんだよ。安藝先輩がマネージャーになるなんて」


「へぇ、弘海くんにも教えてへんかったんや」


「う、うん」


「まあ本人はマネージャーに興味があるって言ってたけどな」


「だからってなんでテニス部なんだよ! サッカー部でもいいだろが!」


「本音出すぎやろあんた」


 若干癇癪かんしゃくを起こしている淡島くん。そんな彼を谷口さんはあきれたような表情で見下ろしていたけれど、その隣に立っている山吹くんはなんだか意味深な笑みを弘海に向けていた。


「小鳥遊は、どう思うんだ?」


「えっ?」


「安藝先輩がテニス部に来たこと。なんか特別な意味があるってんなら、それってなんだと思う?」


「……んん」


 眉間に皺を寄せて、弘海はじっと考え始める。


 ほかの三人は黙って回答を待った。


 そう……特別な意味。

 実際にあるのかはべつとして。どうして兼部までして急にマネージャーなんて始めたのか。そしてなぜわざわざテニス部を選んだのか。

 その意味とは、一体なんなのか。


「…………サプライズ、かな?」


「「「はぁ……?」」」


 三人の声が重なった。






 **






 放課後のテニスコートは、こころなしか浮かれたムードに包まれていた。


 原因は主にいくつか考えられる。

 一つは部の顧問たちがまだ来ていないことである。副顧問であるアンコちゃん先生はもちろん、いつも部員たちの一挙手一投足に目を光らせているあの厳格な顧問の到着が遅れていることは、直接の原因ではないにせよ、彼らの気を緩ませる一因たりえる。まだ本格的な活動が始まる前の待ち時間は、そのまま自由時間と同義であり、部員たちにとっては一番楽しい一時だ。


 しかしそれだけでハメを外すほど彼らも幼稚ではなく。

 最たる原因は当然、ほかにある。


「少し()みるけど、我慢してね」


「ハ、ハイ!」


 部員たちが今も自主練に励んでいるテニスコートより、少し離れたところ。設置されたベンチのそばで身を屈ませ、甲斐甲斐しくも負傷した部員の手当てをしているのは、我らが安藝先輩だ。


「なかなか凄い傷ね。痛いでしょう?」


「い、いえ! そんなことは!」


「ふふ、頼もしいわね。でも無理は禁物よ。しっかり絆創膏をして、それでも痛むようだったら、保健室で診てもらいましょう」


「ウ、ウッス! アザス!」


 男子部員の負傷した膝を、安藝先輩が丁寧に消毒してやっている。義務的な所作でなく、なんとも思いやりのある手つきで処置を施し、コミュニケーションもおこたらない。不意に微笑みかけられた男子部員はもう顔を真っ赤にしてしまっていた。


「イイなあ。あれ」


「なんつー役得だよ。山岡」


 そんな光景を、ほかの部員たちはみな練習そっちのけで眺めていた。


「……俺も、ケガしてみるか」


「えっ? 山吹くん?」


 カチャッ、とスポーツメガネのブリッジを指で押し上げながら、山吹くんがクールにそんなことを呟く。弘海は戦慄した。


 安藝先輩がマネージャーとなったことでもたらされた影響は絶大だった。


 しかも主に悪い意味で。まったく部員たちが集中できていない。昨日の今日ではしかたないかもしれないが、ここまで練習に身が入らないのは由々しき事態だった。


「お姉さまがあんな近くに……」


「手とか振っちゃダメかな? どうかな?」


 お隣の女子テニス部も大概似たようなもので、一部の女子たちは練習を中断してまで安藝先輩の姿を眺めては黄色い悲鳴を上げている。先輩は女子にも人気があるらしい。


「安藝先輩恐るべしだな。みんなイッセーみたいになってやがる」


(それは淡島くんに失礼なんじゃ)


 ギリギリまで教室に残ってテニス部へ入部するか本気で迷っていたさっきまでの淡島くんの姿を思い出す。(……いやそこまで間違ってないかも)と、弘海は一瞬で思い直した。






 いまいち浮足立った空気が消えないまま、なんとも気の緩んだ練習がそれからも続いた。


「あっ。……ご、ごめん」


 例に漏れず、弘海も集中を欠いていたのか。適当に振るったラケットは見事に空を切り、ボールが防護ネットのほうへ転がっていく。


 慌ててそれを取りに行くと「……小鳥遊くん」その場でちょうどボール拾いをしていた長袖体操服姿の安藝先輩が待っていた。


「あ、安藝先輩」


「精が出るわね」


 ボールを手渡すと、安藝先輩は「ふふふ」と柔らかく微笑む。


「ほかの部活で頑張っている小鳥遊くんを見るのは、今日が初めてだわ」


「そ、そうですかね」


「ええ。なんだか不思議な気分よ」


(んん……機嫌、良いな?)


 いつもより三割増しくらいだろうか。今の先輩はどこか浮足立っている。


 おそらく現在このコート上にいる者のなかで、彼女のそんな微細な変化を察したのはきっと弘海だけだっただろう。おなじ部で関わってきた賜物か。とうの本人は気がついてもいないが。


「びっくりしましたよ。急に先輩がマネージャーなんて」


「何人か、教師の方々には止められたけれどね。でも昨日は小鳥遊くんの驚いた顔が見られたから、やっぱり我儘わがままを通して正解だったわ。ふふふ、なんでも言ってみるものね」


「おれの表情にそこまでの価値が?」


「あるわ。当然よ」


 きっぱりと言われた。


「じょ、冗談ばかり言ってると、変なふうに勘違いされますよ」


「冗談ではないのだけれど」


「じゃあどうしてうちの部に? マネージャーをやるなら、べつにほかの部でも問題ありませんよね?」


 つい捲し立ててしまう弘海。


 すると安藝先輩はじっと後輩の顔を凝視しながら、


「わからないかしら?」


「わ、わかんないです」


「そう。……なら、一度ちゃんと考えてみてくれないかしら? そのことについて」


 そんなことを、言われた。


「……考える、ですか?」


「ええ。しばらくの間でいいわ。そしてもしわたしがマネージャーを終えるときに、その答えを言い当てることができたら、そのときはあなたの勝ちにしましょう」


「か、勝ちって。一体なんの勝負なんですか」


 安藝先輩は真っすぐ目を合わせたまま、なにも答えてはくれなかった。


「当てられなかったら、そのときはあなたの負け。わたしの言うことを一つ聞いてもらうわ」


「なんか、明らかにおれの分が悪いような」


「その代わり、あなたが勝ったら、あなたの言うことをなんでも一つ聞きましょう」


「へっ……?」


 気のせいか?

 なんか今、すごいことを言われたような……。


「マズいぞ、小鳥遊」


 頭のなかが真っ白になっていた弘海をそのとき我に返らせたのは、いつのまにか近くに立っていた山吹くんの焦った声だった。


 なんだ? と振り返ってみれば、


(………………げっ!)


 次の瞬間、弘海は顔色を真っ青にした。


 なにがどうマズいのか。

 その答えはテニスコートの入り口を抜けて、どっしりと大股で歩いてきた。


 緑色と黒色を基調としたジャージを着た大柄な男性教師である。年齢のほどは四十代後半くらい。よしんば六十代だと紹介されても「ああ、そうですか」と疑いなく頷けてしまうくらいには身に備わった威厳がとんでもない。

 その証拠に彼が入ってきてから明らかにテニスコートの空気が張り詰めていた。怖い教師というものはいつの時代でも生徒らを怯えさせるものである。


「あら。岩崎先生ね」


 約一名、微塵も怯えていない人もいるが。


 岩崎篤郎いわさきあつろう先生(通称イワセン)は、「あざまあす!」部員たちの野太い挨拶に、片手を上げる動作のみで返すと、なぜか真っすぐ弘海たちのもとへ向かってきた。肩を怒らせているように見えるのはきっと彼の肩幅が広すぎるせいに違いない。きっと。たぶん。そうであってほしい。


 そんな弘海の望みも虚しく。ついに眼前に立ちふさがった岩崎先生の顔つきは、やっぱり険しかった。どれぐらい険しいかと言えばあの不動明王ぐらい。ちなみに生徒を叱るときは金剛力士象ぐらいになるので、どちらかというと優しいほうではある。


「おつかれさまです。岩崎先生」


「……安藝か。一応は真面目にやってるようだな」


「入部を申し出たのはわたしのほうなので。あらためて、この度は急な申し出にもかかわらず、寛大な対応をしていただき、ありがとうございます」


「ふっ」


 大和撫子のお手本のような所作で安藝先輩が頭を下げるが、岩崎先生は短く鼻を鳴らしただけだった。

 やがて厳めしい眼差しが——ジロリ、ともう一人の男子を捉える。いやどちらかというと、ギロリのほうが近いかもだが、そんなことはどうでもよくて。


「それで小鳥遊。どうしておまえがここにいる?」


「いや……お、おれも一応……テニス部員、なので」


「ああ。そうだったか」


「は、はい」


 あははは、と下手くそな愛想笑いをする弘海。

 そんな男子部員と親しげな距離にいる女子マネージャーの顔を、岩崎先生はにらむように交互に一瞥した。


「日々真摯に取り組む生徒を俺は支持している。軟弱な部員は覚えてられん」


(さっきおれの名前呼んでましたよね)


 なんてこと。言えるはずもなく。


「鬼の居ぬ間にと言って鍛錬に手を抜き、こともあろうに女子部員に(うつつ)を抜かして乳繰り合うような輩は、性根から叩き直してやる必要がある。違うか?」


「岩崎先生。違います。小鳥遊くんは——」


 毅然と反論しかける安藝先輩を、すかさず背に隠すようにして弘海は制した。


「ち、違いません! 先生の言う通りだと思います! ハイ!」


「なら小鳥遊。今から校庭十週だ。全力で走れ。歩けば一周追加だぞ?」


「承知しました!」


「安藝はルールを覚えているかテストする。勉強の成果を見せてもらおう」


「いえ、その」


 安藝先輩はまだ納得がいっていない顔だ。


 弘海は一度後ろを振り返ると、そんな彼女にぎこちなく笑って頷いてみせ、その足で走り出したのだった。






 **






「あんたってあれよね。将来はブラック企業に入社して、パワハラ上司に一生搾取されるタイプよね」


「えぇ……」


 翌日の昼休み、食堂にて五百蔵さんと昼食を摂っていた。


「あの……五百蔵さん? 今の話ちゃんと聞いてた?」


「聞いてたし。だから言ってんのよ」


 言い捨て、五百蔵さんは定食のエビフライをあむっと一口。


「おれは安藝先輩が入部した話をしたつもりだったんだけど。なぜそんな急に縁起でもないことを」


「知らんし。じぶんで考えて」


「横暴だ……!」


 暗すぎる近未来予想図に弘海は今にも身が震え上がりそうだった。

 なぜかこういうときの五百蔵さんの言には妙な説得力がある。しかもやけに内容が生々しいし。想像できちゃいそうだから勘弁してほしい。ほんとに。


「あたしさ。小鳥遊くんなら、テニス部でも楽しくやってるんだと思ってた。あんたって受け身だけどけっこう話しやすいし。でも話を聞くかぎり、意外とそうでもないのね。むしろ息苦しそう」


「そうでもないよ。頼りになる友達もいるし」


「それってクラスメイトの延長でしょ? テニス部のほうでできた友達は?」


「……それは」


 弘海はちらっと視線を逸らす。


 五百蔵さんはこれ見よがしに「ハァ」とため息をついた。


「女だらけのアニ研じゃうまくやってんのにね。男だらけの場所のほうが逆に遠慮しちゃって距離取ってる感じ。きっとそういうのが、ほかの部員にも伝わってるんでしょーね」


「返す言葉もございません」


 岩崎先生が言った『軟弱な部員』というのは、ただ単にチャラついたヤツだという意味ではなく、そういう臆病な部分も見透かしたうえでの指摘だったのだろう。


「違ってたら悪いんだけどさ」


 五百蔵さんは一度お茶を一口飲んでから、


「あんたって、むかし虐められてたりする?」


 むかしスポーツでもやってた? みたいなテンションで訊いてきた。


「…………」


(いや。きっとあえて軽い感じで言ってくれたんだろうな)


 弘海はそう直感した。


 まあそうでなくとも、そんな訊きづらいことを「悪い」と前振りしつつもあっさり訊いてしまえる遠慮のなさには、なんとも乾いた笑みがこぼれそうになるが。


 無言の時間は、なによりも雄弁だったらしい。「……図星ね」と呟き、五百蔵さんはそれはそれはつまんなそうに視線を落とすと、止まっていた箸を動かして食事を再開した。


「……一応、もう克服したつもりだから。あんま気にしないでいただけると」


「わかった。じゃ気にしない」


「あっ、でも少しは遠慮してほしいな? というか、お願いだから遠慮覚えて」


 願い出るも、返答は「フン」と鼻を鳴らされただけだった。


「つーかそれ。先輩たちは知ってんの?」


「うん。知ってるよ。そもそも克服できたのは、先輩たちのおかげなんだ」


「……? それって、どういう」


 と引っかかった様子の五百蔵さんだったけど、疑問は途中で遮られることになった。「——おっ。珍しい組み合わせじゃん」そう声をかけて、山吹くんが割って入ってきたためだ。


「山吹くん」


「おっす。小鳥遊。同席いい?」


「あ、うん。どうぞ」


 お盆をテーブルに置き、流れるように席に着く山吹くん。よりにもよってそこは五百蔵さんの隣席だった。


 少女の形のいい眉が、ぴくり、とかすかに動く。


「やっぱ文芸部って仲良いのなあ。五百蔵さんがだれかと話してんの初めて見たし」


「……だれ? コイツ」


「こっ…………や、山吹くんだよ! 山吹柳之介くん! おなじクラスメイトの!」


「マジかよ。俺けっこー席も近いんだけど」


「いや知らんし。喋ったことないヤツの名前なんかふつー覚えないでしょ」


「喋りかけても無視してるのは五百蔵さんじゃん……!」


 いまだに教室では一匹狼を貫いている五百蔵さん。その群れなさはあきれるほどで、もうすでにクラスメイトで彼女に話しかけようとする者は一人もいなかった。


「な、なんかごめんね。山吹くん」


「いや逆にスゲーよ。ここまで一貫してんのは。むしろ清々しいわ」


 なぜか山吹くんは愉快そうだ。この人はこの人でよくわからない。


 と、そこで弘海はあることに気づく。


「あれ? 淡島くんたちは? 一緒じゃないの?」


「よくぞ聞いてくれた。小鳥遊」


 打てば響くように山吹くんは答える。


「そうなんだよ。あいつら最近付き合い悪くてさー。今もふたりで逢引き中なわけ」


「えっ?」


(淡島くんと谷口さんが……? なんで……?)


「なんか作戦会議がどうとか言ってたなあ。よくわかんねーけど。そんで俺はお呼びじゃないんだと」


 作戦会議。

 そして山吹くんが居てはいけない。

 となると答えはおのずと見えてくる。


「ああ、なるほど。そういう」


「なんだよ。その妙に生暖かい眼差しは」


 いやべつに、と弘海はにんまり笑顔で首を振る。せっかく谷口さんが頑張って、淡島くんもそれに協力しているのだから、水を差すわけにはいかない。


 していると、ダンッ、とやや大きめに食器を置く音がした。


「あのさ」


 五百蔵さんだ。

 話にも入らず、むっつりご飯を咀嚼(そしゃく)していた五百蔵さんが、なんとも忌々(いまいま)しそうに隣席の山吹くんをキッとにらんだ。


「悪いけど。あんたほかの席行ってくんない?」


「おお?」


「あたしは今、小鳥遊くんと話したいのよ。はっきり言って、ほかのヤツに同席されんのは迷惑なの。だからどっか行って」


「い、五百蔵さん」


(またこの子は。そんな歯に衣着せぬ物言いを……!)


「そもそも真剣な話してるところに軽々しく入ってくる神経が気に入らないし。教室であたしに無視されてんならここでも遠慮すべきじゃない? ふつー」


「ちょ、ちょっと」


(頼むからもう黙ってくれ……!)


「くっ、ふふ」


「や、山吹、くん?」


「くっ、くはははッ……」


 なんだ。

 なんだなんだ。


 散々こき下ろされたはずの山吹くんだったのに、なぜか堪え切れないといったふうにいきなり笑い始めた。それも普段クールな彼にしては我を忘れたような大笑いだ。必然、食堂内の生徒たちの注目も集まってくる。


「あー、ヤバい。笑った。マジ笑ったわ」


「なに……コイツ、けっこうヤバいヤツ?」


「い、いやいや」


「やー、悪い悪い。まさかこんな真っすぐ拒否られるとは思わなかったからさ。つい笑っちまったわ」


 からっと晴れ渡る笑顔で目尻の涙を拭う山吹くん。「……ドM?」と五百蔵さんはいっそう眉をひそめてユーマでも目撃したような表情になっている。


「全然嫌味がないところがまたスゲーわ。いつも取り付く島もないけど。マジでどうでもいいんだなあ。周りのこと」


「楽しそうに言うことじゃないよ。山吹くん」


「まあまあ」


 お盆を持って山吹くんは立ち上がった。「とりまりょーかい。ほかの友達んとこ行くわ」とまるで気負いもなく。なんだか気持ち悪いぐらい素直にしたがった。


「あ、そうだ」


「ん? なによ」


 踵をかえそうとしたところで再び振りかえった山吹くんを、五百蔵さんは鬱陶しい気持ちを隠そうともせずに見上げる。


「俺の名前、山吹柳之介だから。……さっき小鳥遊が言ってくれたけど。まあ一応さ」


「はぁ?」


「コイツ、じゃないから。——んじゃ」


 立つ鳥跡を濁さず。

 潔さ百パーセントの青年は涼やかにその場を去っていった。


「なんなのよ。アイツ」


「友達だよ。おれの大切な」


 あむっ、とこれ見よがしに粗雑な仕草で弘海は白米を口に含む。


「……? なにあんた? もしかして怒ってんの?」


「友達をあんなふうに扱われたら、だれでも怒るだろ」


 そんなこともわかんないのかよ、と少々語気を強めて静かな憤りをあらわにする弘海。その表情は、どちらかというと拗ねた子供のようであった。精一杯怒っているつもりでも、普段から怒り慣れていないせいでなんとなく感情を持て余す。いまいち様にならない男である。


 しかし同席する彼女にとっては予想外の一撃だったらしい。珍しくそっけない態度の弘海に、五百蔵さんはいつになく驚いて、やがて反省したようにうつむいた。


「……わ、悪かったわよ」


「おれに言っても意味ないから。あとでちゃんと山吹くんに直接謝るべきだよ」


「いや、でも」


「でもじゃないし。失礼なことしたら謝るのは当然だから。そんなこともできない人とは口も利きたくないな。おれは」


「うっ…………わ、わかったわよ」


「言っとくけど。悪かったじゃなくて、ごめんなさい。だからね?」


「……はい」


 しゅん、と珍しく縮こまる五百蔵さんだった。






「——で。なんでこうなったの?」


 その日の放課後。

 部活の最中、弘海は呆然と呟いた。


 コート上で立ち尽くす少年、その視線の先、隅っこに並んでいるのは我らがテニス部の女子マネージャー陣である。バインダーを片手になにか記録を付けている女子や、厚みのあるファイルを難しい顔でめくっている女子、そして今日も今日とて顔を出している安藝先輩にテニスのルールを教えている女子と、ここ最近ではお馴染みとなった光景がそこにはある。……のだが。




「へぇ……シングルスとダブルスでコートの広さが変わるってわけ?」


「ええ。審判をする場合はそこを見なければならないわ」


「ふぅん。なるほど」




 なぜかそこに、本日は五百蔵さんの姿が加わっていた。


 体操服を着た五百蔵さんと、おなじく体操服を着た安藝先輩が、マネージャーの子の説明を聞いてふむふむと頷いている。すごく真面目なムードだ。なんでだ。


「さあな。だれかになんか言われたんじゃねーか?」


「お、おれはなにも言ってないよ……」


 山吹くんがニヤついた笑みを向けてくるけど、弘海には心当たりも身に覚えもあったものじゃない。五百蔵さんとは昼休みに会ったきりだ。


「そもそもマネージャーってあんなに必要なの?」


「女子マネなんて増えれば増えるだけ嬉しいもんだ。それが五百蔵さんみたいな綺麗どころならなおさらな」


「たしかにみんな大歓喜だったけどさ……」


 五百蔵さんのマネージャー入りが知らされたときの、我らがテニス部員たちの盛り上がりようときたら、グラウンド中に歓声が響き渡ったほどだった。


「岩崎先生もどうして許可出すんだろ」


「それがさ。なんとびっくり出してねーんだと。今回はアンコちゃんの独断らしい。さっき本人から聞いた」


「そうなの?」


 弘海は遠いところで練習を眺めている副顧問を見やった。


 いつも柔らかい態度でみんなを見守ってくれているアンコちゃん先生(三柴先生)だが、今はガチガチに頬を引きつらせて肩身を狭そうにしている。

 原因は明白。その隣で厳めしい顔をしている岩崎先生だ。


「ありゃ、こってりしぼられたみたいだな。アンコちゃん」


 知らぬうちに新マネージャーが増えているのだ。顧問としては腹立たしいだろう。そのうち地面に大きな穴が空くんじゃないかという迫力で岩崎先生はコートを睥睨へいげいしていた。


 ……というか。


「き、気のせいかな。なんかおれ、にらまれてるような」


「安藝先輩も五百蔵さんも文芸部だからなあ。矛先が小鳥遊に向くのはしゃーねえよ」


「お、おれなんにもしてないじゃん……!」


「あきらめろ。骨は拾ってやるから」


「えぇぇ……」


 ひどい玉突き事故に巻き込まれた気分の弘海は、気が遠くなりそうになりながらも事の原因たる新入りマネージャーを見やる。


 するとあちらも、丁度こちらを見ていたらしい。

 五百蔵さんは安藝先輩と勉強しているかたわら、弘海とばっちり目が合うと、ぽっと頬を朱色に染めてぷいっと顔を逸らしてしまった。


(どういう反応だよ。それは……)


 波乱が、待っていそうだった。



 

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