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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
3章 恋と創作編
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(1) オタクに〇〇は難しい


 日曜のショッピングモールの喧騒はテーマパークのそれに近い。


 駅前のアクセスの良さと、リニューアルした人気店舗と、昼間の空きっ腹と。


 いろんな要素が手伝い、独特の騒がしさが形成される。


 賑やかだが忙しない。どこか急かすような空気。それらは客から客へと伝播し、おのずと彼ら彼女らの足取りを逸らせていた。そういう意味では屋外も屋内も変わらない。有限の時間をより効率的に過ごすため、むしろ余裕をかなぐり捨てて邁進する人々が、あちこちの店舗で難しい顔で品定めをし、冷やかしていく様は『休日』の二文字からは程遠い。


 本屋という場所は、だから異質だ。


 ショッピングモール一階の、端に追いやられたその店舗は、人でごった返す混沌とした世界のなかでポツンと人気ひとけのない、まるで閑散としたエアポケットだった。


 この本屋は弘海もよく利用する、ある意味穴場的な場所でもある。不思議なくらい人が寄り付かなくて、それなのに閉店する気配もなく、むしろ悠然とした余裕すら感じる。広大な建物の活発な雰囲気からおよそ隔絶された、ぽっかり空いた異空間はどこかパワースポットじみていて、弘海はこの店の前を通るとわけもなく立ち止まってしまう。


「なにしてんのよ。あんた」


 そんな彼に話しかけたのは、黒パーカー姿の少女だった。


 艶のあるボブカットは青と黒のツートンカラー、両目は碧眼のカラコンで、耳元のピアスもばっちり、休日の戦闘服は相変わらず派手すぎる。おなじ部活の五百蔵悠だ。


「五百蔵さん……奇遇だね。こんなところで」


「あたしはここの本屋、よく来るよ。なんか雰囲気いいし。それよかあんた一人?」


「うん。そうだけど」


「へぇ、珍しいじゃん。いつもはだれかと一緒にいんのにさ」


「おれだって一人で出歩くことぐらいあるよ」


 ふぅん、と少女は気のない返事。


「だからってこんな往来のまんなかで棒立ちしてたら、ほとんど不審者よ」


「……しょうがないだろ。癖なんだ」


「くせ?」


 弘海はぽりぽりと頭を掻きながらじぶんの悪癖を語る。


「本屋に入ろうとするとさ。毎度足がすくむんだよ。むかしはこうじゃなかったんだけどな」


「へぇ……」


 すぐそばの自動ドアが開き、また外から家族連れの客が入ってくる。十一月の冷たい外気がついでに忍び込んできて、足元を少しひんやりさせた。その涼しさまでもがここの静けさに一役買っているかのよう。


「まあ買い物のついでだったし、とくにこれといった目的もなかったから、やっぱり入るのはやめとくよ。五百蔵さんはなにか買うんだろ? 邪魔しちゃ悪いし、おれは帰るからこのへんで」


 跡を濁さず、スマートに別れを告げて踵をかえす弘海だったが……直後、ぐいっと服の裾を引っ張られた。


「な、なに?」


「なに、じゃないわよ。せっかくばったり会ったってのに、なんでそんなさっぱり爽やかに帰宅しようとしてんの」


 どんな神経してんだ、とカラコンによって青空色に染まった両目で非難を訴える五百蔵さん。「え? だって……」しかし意外に思ったのは弘海のほうだった。


「五百蔵さんなら、むしろばったり会ったぐらいで気安く付きまとってくんなってスタンスかと……」


「あ、あたしをなんだと思ってんのよ」


「違うの?」


 五百蔵さんは弘海の服を掴んでいた手を離して「む……」と二の句が継げないでいた。否定はできないらしい。


「と、とにかく。これもなんかの縁だし、ちょっと付き合いなさいよ」


 縁ときたか。

 これまた柄にもない。


 しかしこれ以上は藪蛇やぶへびな気がする。ここは素直に従っておくのが吉だろう。


「用事は本屋だけなの?」


「まあ。……あ。いや違うわ。この後はえっと、そう。映画を観に行く予定だったわね」


「いかにも今考えたみたいな間だったけど……」


「うっさい! いいから行くわよ」


 また服の裾を掴んで五百蔵さんは弘海を連行する。


「わ、わかったから。そこ引っ張るのやめて!」


 静かな本屋に少年の悲鳴が響き渡った。






 **






 時は立冬。

 暦にして十一月。それも中旬。あれから早一ヶ月以上が経った計算である。


 夏の気配はとうに過ぎ去り、肌寒い空気が近づいてきている。冷え性の弘海にとっては不得手な季節がやってきた。服装はもちろんカッターシャツではいられず、とっくにブレザーを上に着てなかには温かいニットまで着こんでいる。本音を言えばもう手袋をしてマフラーでも巻いて登校してやりたいぐらいだが、登校坂を上っていく生徒らのなか、ひとりだけ完璧な防寒装備で進むのは多感な高校生男子的にはどうしても気恥ずかしさが勝った。もう少し我慢しよう。


 そういえば吐く息も白い。手先はかじかむし、油断しているとぶるぶると予兆なく身体が震えるのだから、季節の変わり目というやつは厄介だ。ゆっくり移り変わっていくようで、突然大きな変化がやってくる。


 そして変化と言えば、弘海の周りでも小さくない変化があった。


「弘海くん弘海くんっ」


 下駄箱で靴を履き替えていると、後から追ってきたのか、健康的に日焼けした肌の少女が息を切らして話しかけてきた。おなじクラスでよく喋る谷口さんだ。本名は谷口真夏(たにぐちまなつ)というらしい。会ったときから下の名前で親しく呼んでくれているが、不思議と馴れ馴れしさのない、からっとした快活な女の子で、弘海もクラスで気安く話すことができる数少ない女生徒だ。


「おはよう、谷口さん」


 ちなみに弘海は未だ「さん」付けである。


「おはよ。……で。ブッキーはどうやった? 聞いてくれた?」


「もちろん。でもここじゃアレだから、ちょっと場所変えよう」


「うん、せやな!」


 ふたりはニヤッと笑うと、そそくさと下駄箱から遠ざかる。辺りを見回しつつ密談の場所を探し、やがて人気ひとけのない階段の踊り場へ忍び込んだ。そしてその陰で額をくっつけ合うようにしてひそひそ囁き合う。


「まず谷口さんに頼まれてたことだけど。ちゃんと答えてくれたよ」


「おお……!」


「それで返答的には、アリかナシかで言うと……」


「うんうん」


「アリよりのアリだった!」


「お、おお……! ほ、ほんまあ……⁉」


「うん。良かったね。谷口さん」


 じぶんの頬を両手で挟んで色めき立つ谷口さんと、それをにこやかに眺めている弘海の構図は、はたから見れば仲睦まじい学生カップルにも見えただろう。落ち合う場所が人の寄り付かない踊り場であるのがいっそう逢瀬を重ねる男女のようである。


 だがその実情は違い、弘海は谷口さんにとあることを頼まれていたのだ。


「おめーら。なにやってんだ」


「「うわっ……⁉」」


 ふたり同時に飛び退く。

 気づけば人気ひとけのなかった踊り版に、腕を組んで彼らを見下ろす青年が、忽然と立っていた。


「あ、淡島くん……」


「あ、あんたいつのまに⁉」


 ちょっと時代錯誤な茶髪の外ハネヘアー、人懐っこい笑みが似合う顔立ちの青年、これまた弘海がよく喋る数少ないクラスメイトである淡島くんだった。


「朝練が終わって戻ろうとしたら、妙にこそこそしてるおめーらが見えたんでな」


「跡つけてきたんか! キモッ!」


「おめーらこそ俺に黙ってこんな場所で逢引きたあ、いい度胸じゃねーか。いつからそんなただれた関係になりやがったんだ?」


「は、はあ⁉ なに言うてんねん! このキモイッセー!」


「俺はそんなにキモくねえ‼」


「少しはキモいんだ……」


 ちなみに谷口さんの呼ぶ「イッセー」とは淡島くんの下の名前だ。淡島一青(あわしまいっせい)、それが淡島くんの本名。上の名前でしか読んだことがない弘海は最近やっと友人の本名を覚えたなんて口が裂けても言えない。


「じゃあなんでこそこそしてんだ? やましい事情があるんじゃねーのか?」


「ちゃ、ちゃうし……これは……」


 珍しく弱った顔つきで谷口さんが弘海を見る。助け船を求めるようなその眼差しを受けた弘海はしかし、ゆっくりと首を横に振った。


「べつに話してもいいんじゃないかな? 淡島くんは信用できる人だよ」


「……そういう問題ちゃうんやけどなぁ」


(んん……?)


 どういうことだろう。


 小首を傾げる弘海と、苦虫を噛み潰した顔の谷口さん。


 すると淡島くんが「ああ!」と合点がいったように声を上げた。


「まさか、柳之介(りゅうのすけ)のことか!」


「ギクッ!」


「ええっ? 知ってたの?」


 柳之介というのはおなじクラスの山吹柳之介(やまぶきりゅうのすけ)くんのことだ。淡島くんたちに彼を含めた三人はおなじ中学だった馴染みで仲が良く、今でもよく三人一緒にいることが多い。いつもの三人だった。


 けれどその実情は弘海の思っていたものとは少々違ったようで。


「こいつ、中学んときから柳之介に惚れてんだよ。そんで一度告って玉砕してやんの」


「え? そうなの?」


 初耳なんだけど。


「言うな言うな! 恥ずかしいやろ!」


「真夏。おまえもしつけー女だな。何度アタックしても意味ねーつってんのに、今度は小鳥遊くんまで巻き込みやがって」


「うっさいなあ! あんたがそんなん言うから弘海くんに頼んだんやろ!」


「なるほど。そういう……」


 つい先日、弘海は谷口さんに呼び出され、彼女の山吹くんへの秘めたる恋心を聞かされたのだ。それも長年の片思いであることを。それに心を動かされた弘海は「お願い弘海くん! あいつがどう思ってるか探ってくれへん?」という懇願を快く引き受けたのだ。


「おれもおなじテニス部だし、協力してあげたいと思ったんだよ。谷口さんには日頃からお世話になってるしさ」


「小鳥遊くん、優しすぎるぜーそれは。どーせなにしても無駄なんだから、さっさと残酷な現実を教えてやったほうがいいって」


「あんた喧嘩売ってんなら買うで!」


「おお! なんだ真夏、やる気か!」


 朝っぱらからハブとマングースのごとくにらみ合うふたりに、弘海は「あはは……」苦い笑みをこぼすのだった。






 **






 なんとなく、だが。


 弘海はここ最近、同学年の仲睦まじい男女カップルをよく見かけるようになった。


 新入生も学校生活に馴染む頃合い、二学期も後半に差しかかれば、やっと周囲に目を向ける余裕も出てくるだろう。校舎のあちこちで「あの子ってあんなに可愛かったか?」「あの人ってよく見るとカッコいいよね」なんて囁きが聞こえてくる。


 教室でもそれはおなじだ。今までそんな素振りもなかったふたりがいつのまにかくっ付いて話していたり、これから一世一代の告白へ挑む女子を周りが激励していたり、絶賛片想い中のだれかさんが恋愛相談をしてきたりと、クラスの空気はどこかピンク色に浮ついている。


 気温が肌寒くなるにつれ、若者の心はむしろ熱く燃えたぎっていた。


「ケッ……イチャイチャしやがって」


 そんななか、心が冷え切った金髪ギャルがひとり。


「どこ見てもカップル、カップル、カップルとか……いつのまにこうなったわけ? 独り身は死ねってことじゃん? クッソうらやましいんですけどマジで」


「うらやましくはあるんだね」


 彼女の席の前で、弘海は苦笑い。


 有体に言えば、茜谷はる陽はクサっていた。ぐぬぬ、と唇を噛み切りそうな勢いで噛み締めている。こころなしかいつも滑らかな金髪もほつれが目立つ。


「あーあ。こうなんならまだ家で寝とけば良かったし。やっぱ早起きとかするもんじゃねー」 


「もうお昼休みだけどね」


 放課後登校という謎の所業を素面でやってみせる茜谷さんにとって、昼休みに登校してくるのは十分「早起き」のうちに入るらしい。このままだと進級も怪しいと思うのだが、当の本人はどう考えているのやら。


「もういーし。とりま一緒にご飯食べよーよ。ヒロミン」


「えっ? あー……」


「今日は珍しくおベントー作ってきたんだあ。けっこーウマく作れたし、よかったらヒロミンも食べてみてよー。その代わりヒロミンもなんかちょーだいね」


「えっと……ごめん茜谷さん。おれ先約があって」


「は?」


 ぴた、と弁当箱を開ける手が止まる。


 茜谷さんは笑顔を張り付けたまま、ギギギ、と壊れたロボットみたいに弘海を見上げた。


「せんやく……ってナニ? おクスリとか?」


(考えることを放棄してる……)


「ごめんね。茜谷さんには言ってなかったけど、実は最近、お昼はべつのクラスの人と食べてるんだ。だからもう行かなくちゃで」


「でもヒロミン、今なにも持ってないじゃん」


「お昼も……その人につくってもらってて」


「う、嘘じゃん! ヒロミンそんな人いたの……⁉」


 がびーん、と音が聞こえるほどショックを受ける茜谷さん。そんな手酷い裏切りに遭ったみたいなリアクションをされても。


「あたしとの関係は遊びだったってことなの……」


「いやそもそもただの部活仲間だよ」


「ひどい! ヒロミンの裏切者! 詐欺師! 色男!」


(最後のは誉め言葉なんじゃ)


 茜谷さんはほぼ泣きそうな顔だった。


「せっかく早起きできたのに! ぼっち飯なんてつまんないし! ヤだしヤだし!」


(面倒な人だな……)


 幼稚園児並みにダダをこねる金髪ギャル。それを見下ろす少年の眼差しは冷え切っていた。


 ともあれこれ以上大きな子供をあやしている暇はない。というわけで弘海はちょうどそのとき近くを通りがかった五百蔵さんの腕を捕まえると「代わりにこの人が一緒に食べてくれるからさ!」と差し出した。「ハ? なに?」五百蔵さんは顔をしかめている。


「え~、こいつ~?」


「まあ贅沢言わないで。五百蔵さんもお昼はぼっちだから、意外と気も合うって」


「あんたたち喧嘩売ってる?」


 面倒な役回りを手っ取り早く押し付け、弘海は三十六計逃げ出した。


「あとはよろしく! 五百蔵さん!」


「ちょ、おいこら!」






 本校舎と連絡通路一本で繋がった別棟は今日も静寂に包まれている。


 別称、美術棟。授業では主に一年次の副教科に利用され、ほか図書室や、もっぱら吹奏楽部の部室となっている音楽室がある三階建ての建物だ。


 文芸部室は二階のどん詰まりに位置する。ご丁寧に『文芸部室』とプレートがかかっているので迷いようがない。その実態はアニメ研究会という名の由緒正しい酔狂な部活なのだが、多くの学生には実情が秘され、基本的には入部希望もお断りの、外部から見れば正体不明な秘密組織だ。新入部員も勧誘形式であり、主に先人のお眼鏡にかなった者が選ばれるということで、現部員たちの彼ら彼女らは、そういう意味では名誉を持っている。


 そんな紹介制の高級レストランよろしく謎に敷居の高い文芸部室を、弘海たちは特権的にお昼休みの集合場所として扱っている。今日も今日とて弘海は別棟を進み、その入り口の前に立つ。しかし取っ手に触れたところで、室内から話し声が聞こえ、ぴたりと止まった。


(……んん? あれって)


 扉に嵌め込まれたガラスから覗き込めば、なかには見知った顔ぶれがあった。一人はもちろん待ち合わせ相手である安藝先輩、そしてもう一人は猪熊部長である。


(なんか、元気付けてる?)


 両手をグーにした猪熊部長が安藝先輩にしきりに話しかけていた。どうやらなにか激励しているらしい。会話の内容はわからないが、ふたりの表情は真剣だ。なんとなく弘海は入りづらくなったが……。


「し、失礼します」


 やがて思い切って戸を開けた。すると、


「きゃあ!」


 なんと悲鳴を上げられてしまった。「え……?」弘海は困惑。猪熊部長はたった今悲鳴を上げた口を両手で押さえて停止している。なんだ、この空気は。


「……邪魔しちゃいましたか?」


「いいえ大丈夫よ。小鳥遊くん。さあ、そこに座って」


「あ、はい。すみません」


 うながされて室内に入った弘海と、入れ違うように今度は部長がバタバタとやけに慌てて出ていく。一度弘海の前でぺこりと会釈したのち、安藝先輩のほうを振りかえって「ファイトです! 朱鷺子ちゃん!」と激励を飛ばす。そうして華麗に去っていった。


「なんかやるんですか? 先輩たち」


「気にしないでちょうだい。少し作戦会議をしていただけよ」


(なんの作戦なんだ……)






「いただきます」


 手を合わせ、今日も今日とて安藝先輩の用意してくれたお弁当を有難くいただく。


 ちなみに先輩のほうもじぶんの食事は用意していた。とはいってもこの人は小食な人で、お弁当の残り物の寄せ集めを、いつも小さな弁当箱に入れて持ってくる。そして弘海の気づかぬ間にさっさと済ませてしまっているのが通例であった。


「そういえばもう一ヶ月経つわね。こうして小鳥遊くんと昼食を摂り始めて」


「ですね。なんか時間が早く感じます」


「わたしも毎朝欠かさずお弁当をつくったから。そろそろ味付けにも慣れてきたと思うのだけれど。どうかしら?」


「そう言われるとたしかに。最近はちょっとずつ食事のレベルになってきてる気がしますよ。流石ですね。先輩」


「ふふふ、褒められると悪い気はしないわね」


 その感想は果たして褒めているのだろうか。


 息が合ってきたというべきか、もしくはこの奇妙な時間に感覚が麻痺してきたか、余計な力が抜けたふたりの会話は最近、少々熟年夫婦じみてきている。


 そんなある意味マンネリ化した起伏のなさに、弘海と言えばどこか居心地の良さを覚えてしまっていた。ぬるま湯に浸かるような、まるで波乱も進歩もないこの時間が、このままずっと続けばいいのにと、そんな甘っちょろい考えをどこかで持っていたのだ。


 しかしそれが両者合意のものであるとは、かぎらないわけで。


「ときに小鳥遊くん」


「はい。なんでしょう」


「あなた今、意中の女性はいるのかしら」


「ぶふっ……!」


 ムセた。

 それはもう派手にムセた。


「コ、コホッコホッ……! な、なんですかいきなり」


「ただの質問よ。雑談の延長みたいなもので深い意味はないわ」


「雑談の延長でそんな話にはなりますかね……!」


「甘いわね。高校生の話題なんて九割が恋バナのようなものなのよ。むしろ色恋沙汰の話をせずに高校生を名乗るだなんて恥ずかしいわ」


(先輩が急に偏見まみれに)


「どこの国の常識ですか……ふつーに気恥ずかしいですよ」


「ということは、もしかして特定の想い人がいるのかしら?」


「い、いませんけど」


「もしくはすでにお付き合いしている人が?」


「それもいません」


(なんか、グイグイくるなあ……?)


「そう…………ふむ」


 安藝先輩はそこで明後日あさってのほうを向いて思案顔になった。その頭のなかでは一体どんな思考が巡っているのか。


(あ……)


 と、その瞬間だった。


 突然視界がぼやけ、薄っすら意識が飛びそうになったのは。


「では小鳥遊くん、これはわたしからのお願いというか、提案なのだけれど」


「…………え、あ」


「もちろん嫌だったら断ってちょうだい。わたしとしてはあなたの意志で選んでほしいと思っているから。遠慮はしないでね」


「う……」


「それでなのだけれど…………ん? 小鳥遊くん?」


 まぶたが落ちる。視界が暗転する。


 ふらふらと頭が揺れて。

 そのまま糸が切れてしまったように……、


「小鳥遊くん!」


 ——ゴツン……‼


「ッッッ、痛ぁああああ‼」


 テーブルの角に思い切り額をぶつけ、弘海の意識は一瞬で覚醒した。


「だ、大丈夫かしら? 小鳥遊くん?」


「う、うおおおおお……」


 鈍い痛みが頭をつらぬく。

 額を押さえて悶絶する弘海に、さすがの安藝先輩も唖然としていた。


「救急車、呼びましょうか?」


「い、いえ。さすがにそこまでじゃないんで……大丈夫です」


「そう……」






 そうして痛みが引くまで十数分。


 見かねて席を立った安藝先輩は、涙で頬を濡らす弘海を心配そうに見つめながら、なでなでと額のぶつけた部分を撫でてやっていた。


「赤くなっているわね。ほんとうに大丈夫なの?」


「し、心配ご無用です。なんかすみません……」


 一つ年上の少女に子供のように介抱される自分が、弘海は情けなくてしかたなかった。


「で、なんでしたっけ? なにか言おうとしてましたよね? 先輩」


「……はぁ。いいわ。そのことはまた今度」


 安藝先輩はそれはもう深々とため息をつくと「……それより」と弘海の顔を覗き込んだ。


「さっきのは一体どうしたの? 急に倒れるなんて」


「それがなんか、突然意識が朦朧もうろうとしてしまって、ははは……」


「笑い事ではないわよ」


 はいすみません、と弘海は頭を下げた。


「もしかして、最近寝れていないの?」


「え? なんでわかるんですか?」


「目の下にクマさんができているわよ」


(く、くまさん……)


「先輩ってときどき変な言い方しますよね」


「いいから。とりあえず理由を教えなさい」


「それは……えっと……」


「なに? もしかして話しづらいことなの?」


 図星だ。

 とくにこの人に対しては、違う話しづらさもある。


「いいから話しなさい。ぐずぐずしていると、ほんとうに救急車を呼ぶわよ」


「か、勘弁してください」


 しかし相手はあの安藝先輩だ。下手な言い訳でごまかされてくれる人じゃない。

 すぐに弘海は観念した。


「父親が、来てるんです。家に……」


「……お父様?」


 思わぬ返答に先輩は目を瞬く。


「はい。母さんがちょっと原稿に追い詰められてて。出版社のほうで缶詰め状態になるから、その間息子のおれのことを頼んだみたいで」


「そう、なの……」


 少女の形のいい眉が、困惑にゆがむ。


 それもそうだろう。

 だって、


「それが……どうして寝れないことに繋がるの?」


 その通りだ。

 実の父親が家にいることと、夜眠れないことに、一体どんな繋がりがあるというのか。先輩の疑問は至極当然なものだろう。


 それが理解できるからこそ、弘海はバツが悪かった。なぜなら、


「……わからないんです」


「えっ?」


 気まずさに目を逸らす。そしてまたぽつりと。


「わかんなくて……困ってます」



  

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