(14) 週末なにしてますか?(二)
「いらっしゃーい。五百蔵ちゃん」
扉の向こうから現れたのは、驚くほど綺麗なご令嬢だった。
グレーのチェック柄ブラウスを着用し、腰回りがきゅっと締まったベルト付きのベージュのテーパードパンツを穿いている、スレンダーな身体つきの美女である。
「集合時間には少し遅れたけど、待たせた?」
「ぜんぜーん。もう一人がまだ遅れてるから五百蔵ちゃんはセーフ。残念なことにね」
「残念ってなにが?」
「だってビリだったら五百蔵ちゃんのこと思う存分いじってあげられたじゃない。『やーい、真面目ちゃんのくせに遅刻するんだあ』って。だからざんねーん」
「性悪女……」
滑らかな黒の長髪はうなじの辺りでくくり、綺麗な額を前髪の間から覗かせている、左目の下の泣きボクロが妙に色っぽい美女が、ちらりと弘海に柔和な目を向けた。
「で。そちらの人畜無害そうなフツメンはどなた?」
「え? ふ、フツメン……?」
気のせいか、今とんでもないことを言われたような。
「こっちは連れよ。今はあたしの運命共同体みたいなものだから、気にする必要はない」
「えー。意味不明なんですけどお」
「ちなみに今回の集会にも参加させるつもりだから。あ、脱いだ靴ってここでいい?」
「五百蔵ちゃん、説明義務って知ってるー?」
気づくと五百蔵さんはなんとも強引な感じで乗り切ろうとしていた。弘海としては頼むから先に説明しておいてくれよ、と言いたい。ついでにフツメンではないとも言いたい。イケメンではないけど、それなりにそれなりな顔立ちはしているつもりではある。
「五百蔵さん、やっぱちゃんと説明しておいたほうが」
「でもま、べつにいっか」
(いいんだ……⁉)
ほんわかとした喋り方で簡単に了承してしまう家主に、弘海は流石に口を挟む。
「おれが言うのも難ですけど。もっと警戒したほうがいいんじゃ」
「んー。でも五百蔵ちゃんが連れてきた人ならたぶん大丈夫でしょうし。まあなにかあったらこの子に責任取ってもらえばいいからー。うふふ……むしろ責任取ってもらって色々やらせるほうが楽しそうかもー」
家主の美女は満面の笑みで「とゆーわけだからどうぞー」とふたりを手招きした。この人、たぶん怖い人だ。弘海は直感した。素性も知らぬ相手をもてなすのも懐が深いわけじゃなく、単に弘海のことなんてどうでもいいからだろう。大物だ。
しかし弘海も名乗りもしないままは落ち着かないので、廊下を歩きながら慌ただしく自己紹介しておく。すると美女は微笑んだ。
「ご丁寧にどーも。わたしは持田とわ子といいます。持田さんって呼んでね」
「とわこ……って、どう書くんですか?」
「ひらがなの『とわ』に、子供の子よー。でも持田さんって呼んでね。呼びなさいね」
とわ子。名前としては珍しい印象だ。まあ思い返してみれば、弘海の周りには『まいる』ちゃんも『はる陽』ちゃんもいるので、今更と言えば今更かもしれないが。
「へぇ……持田さん」
「それペンネームだから。あんただまされてるわよ」
「へ?」
「あーん。五百蔵ちゃん言わないでよー」
ペンネーム。つまり作者の筆名だ。
どうやら持田とわ子は本名ではないらしい。
「じゃあ本名は……」
「聞いても教えてくれないわよ。この人、他人のことまったく信用してないから」
「ヤナ言い方しないでよー。わたしはただネットのお友達程度に本名を明かすなんてバカなことしないだーけ。ほら、わたしってほかのみんなとは立場も違うでしょ? 天下の岩瀬建設の一人娘にして、新進気鋭のホラー作家として、これから華々しくデビューしていかなくちゃだから。ネットリテラシーはちゃんと守らないとね」
などと得意げに話す持田さんを尻目に、五百蔵さんが顔を寄せてきて「ちなみに会社の名前は父親の苗字から取ってるらしいわ」とこっそり耳打ちしてくれた。じゃあ岩瀬さんじゃん……。
「うふふ……」
物腰柔らかなお嬢様っぽい雰囲気のせいか、持田さんはどこか安藝先輩に似ている気がしたけど、冷たい微笑みはまったく目元が笑っていなかった。
そんな持田とわ子(本名:岩瀬)さんの案内の下、ふたりはやがて広々としたリビングに出た。「うわ……」思わず感嘆の息が漏れる。
部屋全体が光を放つような白のタイルがテラスまで続き、開かれた掃き出し窓からやや冷たい風が吹く。天井もかなり高く解放的だ。タイルのうえの高そうな毛皮のソファーやら洋風のローテーブルやらは庶民を地で行く弘海にとってあまりにも縁がなさすぎて、まるでドラマのセットのようにも見える。
「五百蔵さ~ん、ひさしぶり~」
リビングはダイニングとも繋がっていた。これまた高級そうな器具類が揃ったキッチンの前に優雅なアンティーク調のダイニングテーブルがあって、そこにふたりほど先客が座っている。そのうち一人、上背のある茶髪の天然パーマをした青年がひらひらと手を振っていた。
「今日も奇抜な服装でかわいいね~、いやあ目の保養になるよ」
「セクハラですよ。比良坂さん」
五百蔵さんに冷たくあしらわれ、あちゃー、と青年がぼさっとした茶髪に手をやる。
「あれ? そっちの子は~?」
「た、小鳥遊弘海です。五百蔵さんの、ええと……クラスメイト、です」
「お~、もしかしてサプライズゲスト? 僕聞いてないんだけど~、比良坂将平ですど~も」
なんともマイペースな雰囲気だった。柔和な顔立ちは温厚なカピバラのようで、柔らかく垂れ下がった目尻はもう開いているのか開いていないのか定かでない。全体的にほんわかしている青年で、着用している長袖のニットはワインレッドと焦げ茶色の格子模様をしていた。
(こんなアニメみたいな糸目の人いるんだ……‼)
弘海がこっそり衝撃を受けたのはまた別の話である。
「それで、こっちは毛利三成くんね~。毛利くん、ほら挨拶」
「……毛利です。どうも」
その隣に座っていた小柄な少年が、縁なし眼鏡のブリッジを押さえながら会釈する。こちらは白いパーカーにジーパンと無難な服装だった。ギリギリ聞き取れた声は戦国武将みたいな名前に似合わずぼそぼそとした声量で迫力がない。
「フツメンが多くて安心したー?」
「いやしてませんから」
いつのまにか近づいていた持田さんに耳元で囁かれた。あんまりフツメンフツメン言うんじゃない。
「てかべつにフツメンじゃないし」
「まあ、たしかに将平くんは中の上くらいはあってもいいわよねー」
(そっちじゃねえよ……!)
うふふ……、となんだか確信犯的な笑みを浮かべてみせる持田さんの周囲が妙に黒く輝いているように見えるのは気のせいだろうか。弘海はげんなりして肩を落とした。
そんな意気消沈する弘海の前で、五百蔵さんが「イヴは?」と持田さんに訊く。
「イヴちゃんならあそこー」
(ん……? イヴ……?)
気のせいだろうか。その名前には少し聞き覚えがあるような……。
ワンッ、とそこで犬の吠える声がした。弘海は思わず声のしたほうを見やる。偶然にもその方向は持田さんが指差した方向でもあった。
振り向き様、テラスのほうから黒い影が飛んでくる。大型犬だ。しかも熊のようにデカい。しかしそれは問題ではない。問題は、なぜかそれがこちらに突撃してきていることだ。
「ぐほっ……‼」
咄嗟にできることは弘海にはなかった。大型犬と一緒にソファーに倒れ込み、あっという間にもふもふの巨体に押し潰される。「なっ、なんだこの犬! あっ、ちょっと、やめて! 」そのままハフハフペロペロと顔面を舐め回された。
気づくと持田さんが愉快そうにスマホのカメラを向けていた。
「ニューファンドランドのベニーちゃんよ。珍しいわね。この子がこんなに懐くなんて」
「いやそんなのどうでもいいですから! 写真撮ってないで助けてください!」
「写真じゃなくて動画だもん」
「どっちでもいいし……‼」
ピューイ……!
と今度は高い音が鳴った。——口笛だ。
直後、大きな犬は即座に身を離した。熊のような巨体を揺らしながら、テラスへと戻っていく。
そして、そこに立っていたセーラー服を着た小柄な少女にすりすりと身体を寄せると「くーん」と甘えた声を出した。少女は「よしよしデス」と甘えてくる犬の頭を撫でている。
(ん……? あの子って……)
「なにしてんのよ、イヴ」
「おひさしぶりデス、ユーちゃん! 見てのとーり、ミスベニーとたわむれていまシタ!」
テラスに立つセーラー服の少女は輝くブロンド髪をした、だれがどう見ても異国の少女だ。その姿に強烈な既視感を覚えて弘海は記憶を探る。そして思い至った。
「きみは、たしか本屋で会った……」
「ムム……? オ、オォォーー! そのゴソンガンはマサカァ……⁉」
「ご、ご尊顔?」
華奢な腕を精一杯広げて異国の少女が衝撃を表現する。
「ゴシソクデハありませんカ‼」
太陽のような笑顔を咲かせ、タタタッ、とこちらへ歩いてきた。
そうだ。この子はたしか本屋で五百蔵さんと初めて会ったあの日、最初に本棚の前で出くわした、あのときの少女だ。
「こんなところでキグーデスネ! ゴシソク!」
「ああ、うん……ほんとに」
「そういえばあんたたち本屋で会ってたんだっけ? じゃあ紹介も今更?」
「いや。おれのほうは名前も知らないんだけど」
「ワタシの名前は、エヴェリン・マッカート、デス!」
エヴェリン・マッカート。
どうやらイヴとは愛称らしい。
さらに続けて、イヴが日本在住の両親ともにイギリス人の家庭に生まれた一人娘であることをこれまた独特なイントネーションで話してくれる。再びベニーちゃんにすり寄られて「アハハ! くすぐったいデス!」とじゃれ合いながら。
「もしかして……、この子も作家を目指してるのか?」
本人の代わりに頷いてくれたのは五百蔵さんだった。
そういえば……、と弘海は思い出す。初めてイヴと会ったとき、ネットで繋がった仲間がいると話していたことを。あれはこの集まりのことを言っていたのか。
「というか、なんか全体的に濃ゆいような……」
あらためて集まったメンツを見回し、弘海はごくりと唾を飲み込んだ。作家志望仲間というから勝手に物静かなイメージを抱いていたけれど、そんな印象に反して、全員が弘海にとって初めて見る部類の人種ばかり(一名、本当に違う人種の子もいる)でやや圧倒された。ちなみに持田さん、比良坂さんが高校二年生で、毛利くんとイヴが一年生らしい。
「つーかゴシソクってなに? あんたそんなふうに呼ばせてんの?」
「誤解だよ。この子が勝手にそう呼んでて」
「ゴシソクはゴシソクデスヨ! ナゼなら、ゴシソクはあの三鷹嵐子センセーの一人息子さんなんデスカラ!」
「「「えっ……!」」」
「ああ、そういうわけ」
イヴの発言に納得を示したのは五百蔵さんだけだった。
ほかの三人は目を見張って弘海の顔をじっと見つめる。
「あららー? まさかサラブレッドちゃんなの? 金の卵ちゃんなの?」
「三鷹先生ってラノベ作家の人だよね~。へ~、すごいな~」
「自分、古参です」
三者三様の反応。
しかし同時に彼らのなかで悪戯に自分のハードルが上がっていくのを、弘海は肌で感じ取った。——マズい。直感的に危機を察した弘海は「ち、違うから! おれは」とすぐさま弁明を試みる。
しかし折悪く、来客を知らせるチャイムがそこで鳴ってしまった。
「来たみたいねー」
持田さんはさっさと対応に出ていく。
「そろそろあたしらも準備するわよ」
「え? ちょっと、おれは」
「いいから。あんたもさっさと席着く」
ほら早く、と急かされて、おどおどと従う弘海。
結局、言い訳のタイミングは失われてしまったのだった。




