(12) 平行線上のホライズン
というわけでそのまま風香に部屋から連れ出されたふたりは、強制的にリビングのソファーに座らされることになった。
「あんた、悠ちゃんのためにココア作ってあげなさい」
弘海はこき使われることになったが。
「いや、あたしは」
「遠慮しないでいいのよー。熱はもう引いたみたいだけど、まだ疲れが残ってるみたいだから。もう少しゆっくりしてって」
「は、はあ」
五百蔵さんは困惑しきった顔つきでソファーに腰を下ろしている。それを見て風香はやけにニヤニヤとした表情をしていた。
「いやあ。にしても噂に聞く新入部員ちゃんがこんなめんこいカワイ子ちゃんだったなんてねえ……うちの愚息はやっぱ一度馬に蹴られるべきかしら」
「なに言ってんだよ」
キッチンですでに十分沸かされていたポットから小さなカップにお湯を注ぎ、弘海はインスタントココアを作り終えると「熱いから気をつけてね」と言って五百蔵さんに渡した。
「あ、ありがとう……」
「んんー可愛いなぁー。五百蔵ちゃん。小さいのに気が強そうな感じがたまりませんわぁ。あ、もちろん部長ちゃんも好きだけどね」
「なんでそこで部長が出てくるんだよ」
この母親はいつ出ていくのだろうか……。早く五百蔵さんと話がしたいから、さっさと部屋に戻ってほしいのだが。
「よーし。あったかいもんで気を落ち着かせたところで、そろそろ話の続きをしましょうか!」
などと思っていると、風香がそんなことを言い出した。
「おい待て。あんたまさか話に混ざる気なのか?」
「え? ダメ?」
「ダメに決まってるだろ! なんで母親が出しゃばってくるんだよ!」
「だってぇ、あんたらの話湿っぽいんだもん。お互い平行線すぎて見てらんなーい。真面目な話すんならもっと自然体でやんなきゃ」
(やっぱり盗み聞きしてやがった……)
この邪魔すぎる母親をどうしてやろうかと思案を巡らせる弘海を尻目に、風香はにこっと朗らかな笑顔をソファーで所在なさげにしている五百蔵さんへと向けた。
「悠ちゃんもいいでしょお? あたしが混ざってもさ」
「え? あ、ええと……」
「あっ、ちなみにあたし、こういう者でございます」
申し遅れました、とやけに畏まった仕草でどこから取り出したのか、小さな名刺を両手で差し出した。「ど、どうも」と五百蔵さんもどこかつられながらそれを受け取る。そして名刺に書かれている文言を見て目を剥いた。
「……えっ、三鷹嵐子……しょ、小説家……⁉」
「どーもぉ。しがないラノベ作家です。とっても甘酸っぱい青春作品を書いているわ!」
「下ネタの魔術師が猫被んな」
ふわぁっと前髪を耳にかけて優雅な女性を演出する母親を、弘海はなんとも呆れた眼差しを向けた。「すっ、すごい!」しかし名刺を持った五百蔵さんは昂奮を露わに声を弾ませる。
「こんなところで本業の作家に会えるなんて……」
「だまされちゃダメだよ、五百蔵さん。凄いっていってもこの人が凄かったのは昔の話だから。今じゃ光を失ったただの日陰者だから」
「あんたあとで百回殴るわ」
必死に説得しようとする弘海だったが、五百蔵さんは静かにかぶりを振る。
「あたしにとって作家はみんな憧憬の対象よ。たとえどんな作品を書いていても、一つの作品を最後まで書き上げた人は、全員尊敬すべき」
「いい子ねえ。五百蔵さんは……。それで、話続けるけどいい?」
「はいっ、お願いします」
なんてことだ。まさかこんなことで五百蔵さんが絆されてしまうだなんて。ぐぬぬ、と弘海は唇を嚙みながら、口を挟むどころか話を仕切り始める風香を悔しげににらんだ。
「悠ちゃんは作家さんになりたいのよね?」
「はい。なります」
「いい心意気ねえ。それで? その夢のために悠ちゃんはアニ研に入ったんだけど、思っていたのとは違った、と? そんな感じであってる?」
五百蔵さんは「夢ってのも違うけど……」と不満そうに呟いてから、
「作家として研鑽を積めると思ったの。小野原先生にも『あそこに入れば、きっとあなたのためになる』って言われたから。だからあたしはなにも聞かなかった」
どうやら黒幕は小野原先生だったらしい。そういえば猪熊部長も『小野原先生から推薦があった』と言うだけで、詳しい説明がされたかは不明だった。まさかほとんど説明できていなかったなんて。
「あー、香苗が顧問だったのかー。道理でねえ」
「母さん、小野原先生のこと知ってるの?」
「高校時代の同級生よ。今でも時々連絡は取ってるわ」
あいつ基本手抜きなのよー、と風香は苦い顔でぼやく。
「でも決め手はあの学園祭の発表だった」
「それって……うちの部の作品紹介のこと?」
五百蔵さんは渋面をつくって頷く。
「どんな部員がいるのか見てやろうと思ったの。でも安藝先輩のページを読んだとき、すごく驚かされた。……文章が綺麗で、すごく細かい分析もできてて、なにより一つ作品に対してこんなに熱量を持って語れる人が同じ学校にいるんだって。アニ研にはこんな人たちが集まってるんだって」
入部当初から五百蔵さんが安藝先輩に好意を向けていたのは、つまりそういう理由があったからだったらしい。ひとつ疑問に答えが出て弘海は納得するが、五百蔵さんの声のトーンはそこで一段階低くなった。
「でも結局、気のせいだった」
「え?」
「蓋を開けたら、だれも彼も作品に対して不誠実な人たちだった。特に安藝先輩は期待外れ」
「っ……!」
聞きようによっては辛辣にも思えるような、それは冷たい言い方だった。そんなふうに言われて弘海は口を挟まずにはいられない。
「そんな人たちじゃないよ。みんな、ちゃんと作品と向き合って、作品の良い所を真っすぐ言葉にしようとしてるんだ。不誠実なんて言わせない」
「あんたの言いたいことはわかる。『好き』を語ることは思っているより難しいこと。その意味を分析することは建設的な動きよ。あなたたちの言う豊かさにも、ある程度は繋がるかもしれない。……けれど盲目的に『好き』を語るのは論外。そういう極端さは表現を狭める」
「やっぱりわからない……結局おれたちのなにが悪かったんだ?」
いよいよ縋るような声音で訊けば、五百蔵さんはやおらソファーから立ち上がって、
「あんたたちは『嫌い』と向き合ってない」
どこまでも射抜くような眼差しで、そう言ったのだった。
「っ……」
それは弘海の意表を突く言葉だった。
つい最近、どこかで似たような言葉を聞いた気がしたから。
「『嫌い』と向き合わないと次には進めない。なのにあんたたちにはその気がない」
「嫌いなものから、逃げて……」
「あの日、それがわかったの」
五百蔵さんの言葉はひたすら一直線に弘海の胸を刺す。
にらむようにこちらを鋭い眼差しで刺す五百蔵さんとの間に空いた距離が、まだうまく掴めていない言葉の認識の齟齬が、弘海の内心にどうしようもない寂しさを去来させた。
唖然として黙り込む少年と、悠然として立つ少女。ふたりはしばし見つめ合う。
「ハイストップゥゥーー‼」
そんな気まずい空気を場違いな声量で割って入ってきたのは風香だった。
「その辺でやめときな。これ以上は死人が出るわ」
「そんな物騒な話してねえよ……」
この母親がいると真面目な空気も台無しだ。はっきり言って邪魔すぎるが、弘海がどこかへ行けという眼差しを送っても、図太い母親はまるでどこ吹く風で深々とため息をついてみせた。
「はあ……あのさ。あんたらの会話っていつもそんな感じなわけ? もおおチョーゼツもどかしいんだけど。てかはっきり言って不毛、はたから聞いててもモヤモヤモヤモヤ……って感じでさ。なんでそんな尺取ってんのに一向に前進しないわけ? テンポ悪すぎでしょ。無駄が多すぎ」
「う、うるさい。外野は黙っててくれよ」
「イヤよ。イヤ。ぜえったいイヤ。もう聞いてるだけでムズムズするんだもん」
「こ、こいつ……」
いよいよ強引に部屋に押し込めてやろうかと考える弘海だったが、実行に移すより先に風香が、ぱん、と手を打った。
「よし! ならとりあえず、あんたら、今度一緒にデートしてきなさい」
「「はあ……⁉」」
弘海と五百蔵さんの声が被る。
無理もなかった。急になにを言い出すのか。
「ど、どこからそんな提案が出てくるんだよ……!」
「だってそもそもあんたらってまだ出会って間もないんでしょ? そんなんで真面目な話しようとしても拗れちゃうだけよ。今みたいにさ」
「「うう……」」
「だからまずは同じ時間を一緒に過ごして、お互いのことをもっと知りなさい」
どんな暴論だ。と、内心では思いつつも、図星を突かれたことと謎の説得力のせいで反論できない。しかし五百蔵さんは違った。
「あ、あたしは嫌です。デートなんて……したことないし。そ、それに今週末は大事な予定だって……」
「あらそう? じゃあ悠ちゃんは好きに過ごしていいから、その時間にうちの愚息も付き合うってのはどーお? そう、題して『密着‼ 知られざる転校生の休日の過ごし方とは‼』よッ!」
「なんでそうなるんだ! ダメに決まってるだろ」
雑誌の見出しかよ、と母親のセンスにダメ出しする弘海だったが……、
「まあ、それならいいですけど……」
(いいのか……⁉)
なんと五百蔵さんの了承が取れてしまった。
あまりに早い流れに圧倒されることしかできない弘海の前で、風香がにやっと得意げな顔をしながら腕を組む。
「よーし。そうと決まれば今日はこのへんでお開きね! そして今週末は朝から悠ちゃんの家に直行よ‼ レッツゴー! ユーちゃんズホーム!」
「お、おれの意見も聞いてくれよ……」
本人の意向を置いて週末の予定が決まってしまい、弘海はがっくりと項垂れる。
「ぐふふ……これは良い流れになってきたわねえ。あの子にとって」
悪戯な笑みを浮かべながら風香が呟いた言葉は、だから聞こえなかった。
**
週末までの日々はあっという間、というわけにはいかなった。
とくに昼間に学校を抜け出したことに関しては翌日、担任教師からお咎めがあり、ほかの教師陣からも厳重注意をくらってしまった。唯一、小野原先生だけは事情を話していたので理解を示してくれたが、体育会系まっしぐらのテニス部顧問にはこっぴどく叱られてしまい、平日の部活では連日こってりしぼられてしまった。
土曜日は練習試合、弘海は勿論休むわけにはいかず、隣町のテニスコートで複数の高校と合同で試合をおこなった。身体を動かすことが大好きな山吹くんは自慢の体力で終始涼しい表情で楽しんでいたが、弘海はもう終わる頃にはヘトヘトだった。
そんなこんなで、週末の日曜。
今朝早くに起床した弘海は予定通りマンションを出て、最寄りのバスに乗った。
五百蔵さんの家はそれなりに遠い。本日は憎き母親の命によって同級生の一日にできるだけ早くから付き合うことになっており、そのぶん朝も早かった。実を言えば昨日の練習試合よりも早起きである。なにもここまでしなくてもいいだろうに。ちなみに荷物は背負ったバッグが一つ、なぜか持ってこいと言われた体操服が入っている。
弘海の乗ったバスはすぐに街の境目を越えて、人の多い住宅街へと進んでいく。途中のバス停で人を拾っていけば、たちまち車内は乗客でいっぱいになった。早めにシートに座っておいて良かった、と安心した弘海だったが、途中で乗ってきたお年寄りのお婆さんに席を譲ったので、後半はずっとつり革を掴んで立つことになった。
やっとの思いでバスを降りたのは、綺麗な一軒家やアパートが並び立つ住宅街の端っこ。
あらかじめ教えられた通りの道順で進み、ようやくそこへ到着する。
五百蔵さんが住んでいたのは三階建ての賃貸マンションだった。具体的にはその三階の一室が、五百蔵さんの根城である。
まだ青白い空気が漂う早朝、チャイムを鳴らすのもやや躊躇いながら弘海がそれを押すと、奥のほうで呼び鈴が鳴り響き、やがて扉がのっそりと開かれた。
「お、おはよう。五百蔵さん」
まだ寝間着も着替えていない完全にオフモードの五百蔵さんが、玄関に現れた弘海の姿を見てなんともげんなりした顔を浮かべる。
「……はあぁぁ……」
「溜め息やめて」




