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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
2章 新入部員編
38/95

(10) 甘苦と稲妻


 日曜日はついにアニ研の活動日である。


 予定では昼頃に学校の部室に集まって、五人揃って活動を始めるはずだった。

 少なくとも昨日、みんなで秋葉原で遊んだ帰り道までは、そのつもりだった。


 しかし時刻は昼の一時。

 弘海は現在、学校ではなく駅前の喫茶店の前に立っていた。


「いらっしゃいませー!」


 弘海が入り口の扉を開けて入店すると、からんからんと鳴り響くベルとともに快活な女性店員の声が出迎えた。思わずびくり、と弘海は肩を驚かせる。


「一名様ですか?」


「ふたりなんですけど……ひとりがもう先に入ってるはずで」


「おーい! 坊主!」


 奥のほうから男の声。


 見やれば、店内の奥まったところにある四人掛けのソファー席で身を乗り出し、こちらに向けて大きく手を上げているベッカムヘアーのサングラス男の姿があった。喫茶店に響く大声にほかの客たちが驚いて視線を向けているのがわかる。


「御船先生……」






 **






 御船先生から連絡があったのは昨晩、弘海が帰宅してしばらくの頃だった。


 連絡先は交換していないので母親伝手にではあったが。仕事終わりに部屋から出てきた風香から「あいつから伝言」と言い出され、翌日の昼に予定を空けたから来いと一方的に呼び出されたのだ。


 そういえば学園祭の日。日を改めて話したいことがある、というようなことは言われていた。おそらくそのことだろう。


 御船先生は忙しい身の上だ。今日を逃せば次に話せる日はいつになるかわからない、とそんなことを言われては弘海も断れない(この前は忙しくなさそうに言っていたくせに)。というわけで泣く泣くアニ研での活動を欠席することにした弘海は、その日午前中のテニス部の活動を終えると、昼から御船先生との待ち合わせへと向かったのである。


 駅前の喫茶店はそれなりに繁盛している。店の両側で喫煙席と禁煙席に分かれていて御船先生が座っていたのは喫煙席側だ。なにやら気が立っている様子で高校生が目の前にいるというのに問答無用でぷかぷかと煙草を吹かしながら「はあ」とため息をつく。


「今日の俺はいつもより気が短い。なんでかわかるか、坊主?」


「さあ。なんでなんですか?」


 飲み物は奢ってやるということなので頼ませてもらったアイス宇治抹茶ラテにストローを刺し、ちゅうちゅうと甘苦い味を堪能しながら弘海は訊き返す。


「はあ……まあ知らねえか。昨日、連載が終わっちまったんだよ」


「え? そうだったんですか?」


「ああ、そうだ。だから今みてえに興味なさそうな反応されるとむしゃくしゃしてテーブルを引っくり返したくなっちまう。以後気を付けな」


「ええ……」


(面倒くさい人だな)


 確かに弘海は『オオ恋』以降の御船先生の作品についてはよく知らないが、今連載している作品くらいは知っている。タイトルは『金木犀のおれたち』。現代の売れないシンガーソングライターだった主人公のおじさんがある日、過去の高校生の自分にタイムリープしてしまい、数十年後の未来で人気となっている曲をオリジナルとして発表することで、昔の音楽会を一世風靡していくという、なかなかアレな内容の作品だ。


「先のネタはすでに考えてあんだ。ここからもう一人のヒロインを登場させて、ついに主人公の才能が開花していって、ってさ……ったく、こっからが本番だってーのに。もう一生描かせてもらえねえんだから、漫画家ってのはままならねえ職業だよ」


「新キャラ、出せなかったんですか?」


「ああ。やっとお膳立ても済ませたところだったんだがな」


 指の間で煙草の煙を燻らせながら、御船先生は無念そうに語る。


「……それって、なんか可哀想ですね」


「だろお。可哀想な職業だろ」


「せっかく生まれたキャラなのに……まだみんなにはその先があって、色んなことが待ってるはずなのに、それが途中で終わらせられるなんて」


「俺じゃねえのかよ」


 御船先生は「くくっ」となんだか意味深に笑った。


「おまえ。やっぱあの母親の息子だな」


「え?」


「あいつもそうだったんだ。『キャラクターはみんなあたしの子供』『だから最後まで書き切る義務がある』とかなんとか言って、途中で終わらせることを死ぬほど嫌ってやがった」


「母さんが……」


 なんとなくわかる気がする。あの人は確かにそういう中途半端は嫌いだろう。


 つい笑みを漏らした弘海だったが、御船先生は呆れたようにふっと鼻を鳴らした。


「きっと、空想のキャラにも魂が宿るとでも思ってんだろうな。あいつはよ」


「……? 御船先生は、違うんですか?」


「違うな。俺は自分の作品は『自分』だと思ってる。それ以上でもそれ以下でもねえよ。キャラクターは役割を持った記号、言っちまえばそう、俺の作品を動かすための、駒みてえなもんだな」


「駒……」


「愛情なんて二の次だ。そうじゃねえと効率が失われる。作品は量産しねえとオマンマも食っていけねえしな。とにかく数出すにはあらゆる要素を構造的に捉える必要がある。物語は数学だってな」


 それが同世代の漫画家のなかで圧倒的な数の作品を発表している、今も現役で専業作家として活躍する、御船アキオという作家の作家性だった。


「関係ねえ話しちまったな。わりぃ。忘れてくれ」


「いや、おれは」


「頼むから御船アキオが愚痴ってたとかネットに書き込むんじゃねえぞ?」


「やりませんよそんなこと」


 どうして刺さなくていい釘を刺すのか、とあきれる弘海の前で、御船先生が「ふぅ……」と煙草の煙を吹かして妙に悟った顔を浮かべた。


「最近の若え奴はな、なにかとありゃあ、晒し上げんだ」


 怖ぇんだよ、とやけに重みのある声音で付け足す。


「先生って……もしかしてネットで嫌われてたりします?」


「藪蛇だぜ。坊主」


 訊かないほうが良さそうだった。






「ってなわけで本題だがな」


 御船先生が悪いのか弘海が悪いのか、いつのまにか話は脇道に逸れて逸れて、ようやく本命の話題になるまで時間を要してしまった。


「前にも話したが、坊主、おまえ昔のことがトラウマになってるんだったな?」


「はい。……でもおれは昔のことはもう乗り越えたつもりで。好きなことを語ってももう吐き気は来なくなったし、今じゃもっと語りたいって思うくらいで……ただ、その」


「今度は声が出なくなった、と?」


「……はい」


 学園祭の日、御船先生は弘海の悩みに関して、なにかしら気になっている口振りだった。今日弘海が呼ばれたのも、そのあたりの事情について話したいことがあるのだとか。


「そりゃ面倒なこったな。好きだけ言えねえとか、どんな呪いなんだか」


「呪い……」


「まあオカルトだったら手に負えねえが」


 そうではないと御船先生は確信しているようだった。


「実はな……俺に考えがあんだよ。坊主のそれを治すための」


「え? ほ、本当ですか」


「ああ。つってもただのアイデアだがな。坊主には色々と借りがあるし、ここは俺が人肌脱ぐところじゃねえかと思ったんだが、これが色々と」


「どうやって治すんですか⁉」


 先生の言葉を遮って弘海は身を乗り出す。


「落ち着け。ちゃんと話してやるからよ」


「す、すみません」


 御船先生は、カチャ、とサングラスのブリッジを中指で押し上げてから語った。


「そういう身体の異常ってのは大抵、すぐには治らねえもんだ。とにかくゆっくり時間をかけて、まずは身体のほうを慣れさせんのが定石だろうさ」


「身体を慣れさせる、ですか?」


「ああ。つまるところ、リハビリってやつだな」


 ——リハビリ。


 いよいよ本格的に病気じみてきた。まあ事実として身体に異常をきたしているのだから、初めから病気と呼ぶほかないのだが。


「坊主が今あの珍妙な部活でやってんのも、まあリハビリにはなってんだろうな。事実俺の前ではちゃんと言えたわけだしな。……ただ今の坊主は『好き』を語れねえ。語ることもできねえのに慣れろなんて無理な話だろ」


「……はい。だからおれは」


「なら『嫌い』を語っちまえばいい」


「え?」


 弘海がびっくりして顔を上げた瞬間、御船先生は突然、ダンッ、と勢いよくテーブルに身を乗り出して握り拳を掲げながら、吠えた。


「なにが好きかより、なにが嫌いかで自分を語れよ……ッッ‼」


「…………」


 喫茶店の一角が、しんと静まり返った。


「……」


「………」


「っつーわけだな」


「まったく意味がわかりません……」


 なんだろう今のは。よくわからないけれど、先生が今すごく多方面に喧嘩を売ったように聞こえたような……。


「逆転の発想ってやつさ。『好き』を語れないなら『嫌い』を語ればいい。そうやって作品を語ること自体に身体を慣れさせようって魂胆だ」


「え? そんなのダメですよ」


 この人はなにを言っているんだ。


「んあ? なんでだよ?」


「なんでって……そりゃ、ダメに決まってますから」


「『好き』を語んのも『嫌い』を語んのも大差ねえだろ」


「そんなわけないでしょ! そもそも作品を悪く言うなんてそんな酷いこと」


「それのなにが悪ぃんだ?」


「えっ……」


 訊き返されるとは思わず、弘海は言葉を詰まらせた。


 御船先生は煙草を灰皿に押し付けながら、


「俺はな、坊主。べつに作品に文句を言えって言ってるわけじゃねえんだ。好きな作品を語りてえなら、好きじゃねえ作品だって語ってやってもいいじゃねえか」


「好きじゃない作品なんて」


「ない……なんて言わねえよな?」


 サングラスの奥で御船先生の鋭い眼光が瞬く。


「嫌いな作品がないやつなんていねえぞ。坊主」


「っ……」


 ごくり、と弘海は音を鳴らして唾を呑んだ。その拍子に、直前まで飲んでいた宇治抹茶ラテの苦みが遅れてやってくる。濃厚な甘い風味のなかに、確かに存在する苦みはさっきまでのものとは違い、どこか舌を痺れさせるようだった。


「どうして『嫌い』を語ることを怖がる? なんか後ろめたいことでもあんのか?」


 御船先生の言葉に、弘海が自然と思い浮かべるのは——安藝先輩だった。


 長い黒髪を揺らし、穏やかな微笑みで楽しそうに作品について語る、美しい先輩の姿。


「と、とにかくっ」


 弘海は質問には答えず、無理やり話を断ち切る。


「たとえリハビリのためであっても、おれは作品のことを悪く言う気はないです」


(そんなことをしたってなんの得にもならないじゃないか)


 弘海はアニ研の一人だ。アニ研にとって作品を語ることは人生を豊かにする手段だ。それなのに、真逆のことをしてどうするというのか。


「……そうか。まあ、坊主がいいならそれでもいいが」


 ぽりぽりとベッカムヘアーの頭を掻きながら、御船先生は煙草の箱からまた一本を取り出す。


「だが、あんまし長くは続かねえと思うぜ。そういうのは」


「……なんの、話ですか」


「坊主の仲間たちのことだよ。あいつらがどう思うかは、わからねえってことだ」


「みんながどう思うかなんて。そんなの決まってると思いますけど」


「なんだ。坊主はあいつらのこと、全部わかってるつもりなのか?」


「んぐ……」


 そういうわけじゃない、けど。


「せ、先生だって、数えるほどしか会ってないじゃないですか」


「そうだな。だが、おまえらみたいなグループが、次になにを考えるかくらいはわかるぞ。あの冊子を読んじまえば、もう確信が持てる」


 冊子とは、学園祭でアニ研が発表した作品紹介のことだろう。


「坊主は見開き一ページしか書けていなかったが、ほかの三人はたんまり書いてやがったなあ。そりゃもう楽しそうに好きなもんをべらべらと。よくもまああんだけ書けるもんだ」


 くくっ、と御船先生は肩を揺らして笑う。


「それで、なにがわかるんですか?」


「坊主はまだ読んでなかったんだったな。なら帰って読んでみろ。それでわかる」


 最後まで意味深なまま、御船先生は決定的なことを言わなかった。






 弘海がマンションに帰宅したのは、それからすぐのことだった。


 自室に入ると、弘海は勉強机のうえに置いてあった冊子を手に取った。ずっと読もうと思っていたのに、なぜか今まで読むことなく放置していた。


 やや躊躇いつつも、ようやく最初のページを開き、それから自分のページは飛ばして読んでいく。


 茜谷さんの文、猪熊部長の文、そして安藝先輩の文を。


 ただ黙々と読み進めていく。


 そして最後のページまで読み終わった頃、弘海はやっと顔を上げた。


「……わかんねえよ」


 だが御船先生の予想は外れ、全部を読み終わっても弘海は依然としてなにもわからないままだった。


「読めばわかるって、言ってたくせに」


 さっきまで会っていた男がうらめしかった。もしかすると適当な方便でごまかされたのだろうか。もしくは弘海が先生の期待に沿えなかったのか。


 どちらにしても面白くなかった。


「みんなは、まだ学校かな」


 昼下がりの陽光が窓辺に注いでいる。


 ベランダの向こうに見える街の空はまだ青かった。きっとまだアニ研のみんなは学校で活動中だろう。弘海も今から行けば参加できるかもしれない。


(……やめといたほうがいいな)


 今日はただでさえ唐突なドタキャンをしてしまったのだ。なのに「間に合いました」と言って途中から無理やり入っても、迷惑を掛けてしまうだろう。


「今度でいいや」


 明日からまた学校だ。そのときに話を聞けばいい。


「そういえば」


 気がつけば、新入部員が入ってからまだ一度も全員揃って活動をしたことがなかった。歓迎会は猪熊部長が欠席だったし、今日は弘海が休んでしまったから。最近はアニメ研究会は色々とタイミングが悪いのだ。まるで何者かに仕組まれたかのように。


(次、また全員揃ったら、そのときはみんなで)


 ベランダから見える街の景色を眺めながら、弘海は遥か遠くの、学校にいるだろうみんなのことを思うのだった。






 **






 五百蔵さんがアニ研を退部したと聞いたのは、その翌日のことだった。



 

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