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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
2章 新入部員編
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(4) おれに天使が舞い降りない。


 放課後はテニス部で汗を流し、夕方頃ようやく帰路に着いた。


 いつもはバスで帰宅する弘海だが、その日は電車に乗って最寄りの駅で降りた。目的は駅前の大きなショッピングモール。その一階にある本屋である。


「なんか久しぶりだな」


 弘海は特に読書家なわけではない。むしろ難しい本は苦手なほうだ。

 いつも読むものと言えばもっぱらコミック類であり媒体も簡単にデジタルで済ましてしまうことが多い。だから基本的にあまり本屋には立ち寄らなかった。


「……」


 モールの一角に開かれた広々とした本屋を前に、弘海は少しの間立ち尽くす。


 これは昔からの通例だったりする。


 どうしてかはわからない。


 けれど弘海は本屋を訪れるといつも自然と足がすくんだ。


 沢山の書棚がずらりと並び、数多の書籍が隙間なく収められている光景を目にすると、どこかで圧倒されてしまう自分がいる。本の持つ特有の匂いや漂う独特の空気感に、否応なく肩が強張ってしまうのだ。まだ目が慣れていないからなのか。それとも他に原因があるのか。


 弘海が本屋を避ける一番の要因は、いつも必ず押し寄せる、この奇妙な感覚にあった。


(ほんと、なんなんだろうな……これ)


 ともあれこのままずっと立ち止まってもいられない。


 弘海はライトノベルの棚を探して本屋をしばし彷徨った。






『えっ、まだ読んでなかったんですか?』


 それは少し前、部室で猪熊部長と話したときの一幕。


『はい……アニメは観たんですけど、原作のほうはまだ』


『勿体ないです。三鷹嵐子先生は独特な文才の持ち主で、軽快なリズム感のある筆致も一目置かれているんですよ』


 話の内容は弘海の母親、小鳥遊風香(三鷹嵐子はペンネーム)が原作を務める『魔法つかいのベッド事情』の小説を、まだ弘海が読んでいないことについてだった。


『というか小鳥遊くん原作者と一緒に住んでいるんですから、原作も家にあるんじゃないですか?』


『それは、まあ仰る通りで……でも原作は母の書斎にありまして、だからまあ、なんというか、その……』


『その?』


『……』


 貸してほしいと頼むのが気恥ずかしいんです。


 なんて本音は言えない弘海だった。






 とは言え、猪熊部長が勧める気持ちが本物だろうことはわかる。


 弘海だって読みたくないわけではない。というか本心ではかなり気になっている。


 しかし本人に頼むのは気が進まなかった。というか気に入らない。なにが気に入らないかと言えばあの母親のニヤつく顔を見ることになりそうなのが気に入らない。


 というわけでファンとしての好奇心と息子のプライドを天秤に掛けて考えた結果、もう実際に自分用の原作を買ってやろう、というなんとも呆れた結論に至ったのだった。


「ここか」


 本屋を彷徨い歩くこと数秒、すぐにライトノベルのコーナーを見つける。


 本棚は勿論文庫レーベルによって整理されている。ラノベは特に文庫毎に色や背表紙がわかりやすく異なるので見つけやすい。今まで母親の仕事からは意地でも目を逸らしてきた弘海と言えど、流石に母親が筆を執っている主な出版社くらいは知っていた。


(あった)


 本棚の少し高い位置、青い背表紙に『魔法つかいのベッド事情』とタイトルが刻まれた文庫本があった。最新の七巻までしっかり揃っている。そのうち最初の一巻に弘海は手を伸ばす。


「「あっ……」」


 しかし偶然にももう一人、同じ本を取ろうとした者がいた。「す、すみません」奇しくも手同士が触れ合い、弘海は思わず腕を引っ込める。


 相手は弘海よりも一回り小柄な少女だった。


 おそらく必死に腕を伸ばしたのだろう、跳ねるように着地した少女は……なんと予想外にブロンドの髪をした外国人だった。それもセーラー服を着用した人形のように可憐なロシア系美少女だ。弘海は意表を突かれて硬直してしまう。


「あっ、ええと……」


 不肖、小鳥遊弘海。

 なにを隠そう、一番苦手な教科は英語である。つい一か月半前の期末テストでは見事に赤点すれすれを叩き出したところだ。自慢じゃないが満足な日常会話すらままならない。


 しかし子供のようにあわあわしてもいられないだろう。仕方ない。ここは奥の手を使うときだろう。


 今こそ、街なかで道に迷いし外国人たちを数えきれないほど救ってきた、自慢のボディランゲージを余すことなく発揮するとき——


「おにーサン、これ欲しいんデスカ?」


「へ?」


 と思っていたら、異国少女が喋ったのはなんと流暢な日本語だった。


 弘海が呆気に取られていると、こてり、と少女は小首を傾げて見上げてくる。


「う、うん、まあ」


「ではドーゾ! ワタシはいいのでおにーサンが買ってくだサイ‼」


 ささっ、と両手で持った小説を差し出された。


(き、気を遣われた……!)


 弘海は慌てて首を横に振る。


「い、いやいや! 君こそ、今取ろうとしてたんでしょ? おれのことは気にしないでいいから、良かったら持ってってよ」


「え、デモデモ……」


「そ、それにさ。実を言うともうその小説はうちにあるんだよ。だから譲られなくても、俺はいつでも読めるんだ」


「ンン、そーなんデスカ……?」


「うん。そうそう」


「では……ナゼ、おにーサンは今買おうとしてたんでスカ?」


(えっ……)


「な、なぜって……?」


「だっていつでも読めるナラ……わざわざ買いに来なくてもいいハズデス。なのにドウシテ、おにーサンはこれを欲しがったんデスカ?」


「そ、そこはまあ、色々あるというか」


「イロイロとは、どういうイロイロなんデスカ?」


(なんか、すごいぐいぐい来る……⁉) 

 

「なにか隠してマスカ? だったら早いところハクジョーしてくだサイ!」


「な、なんで詰められてるの、おれ……?」


 思わぬところで詰め寄られ、どうしていいかわからない弘海だった。






 ……そして。


 結局、下手に誤魔化すこともできなかった弘海は、観念してすべてを白状したのだった。


「ナ、ナントッ⁉ ミタカセンセーのゴシソクだったトワ‼」


 話を聞き終わるとブロンド髪の少女は大袈裟なジェスチャーで驚きを表現した。


 海外の人はリアクションがすごいという話は本当だったらしい。原作者の息子だなんてまったくもって大した話ではないのだが、片言混じりの綺麗な日本語でそう言われると違和感もひとしおである。


 弘海がとても微妙な感情を持て余していると、少女はすちゃっと両手を差し出してきた。


「アクシュしてくだサイ‼」


「いやだからおれはただの息子で」


 と言っている間に強引に手を握られ、ぶんぶんと上下に振られる。


「スゴイ! スゴイデス!」


(まあ……喜んでるなら、いいか)


 宝石のような碧眼を輝かせて嬉しそうにする少女を見ていると、弘海もそれはそれで満更でもなかった。有名人とはこんな気分なのだろうか。


「こんな出会いがあるトワ、カンムリョーデス!」


「あはは……難しい言葉知ってるね。ライトノベル好きなの?」


「ハイ! 日本語いっぱいオベンキョーして読めるようになりマシタ! 日本のサブカルチャーはメをミハルものがありますネ!」


 ぎゅっぎゅ、と何度も力を入れて弘海の手を握りながら、少女は弾けるような笑顔を浮かべる。浮世離れした容姿も手伝って、まるで天使のような愛らしさだ。きっと自国を離れ、はるばる日本にホームステイでもしに来ているのだろう。そう思うくらい、この少女の全身から溢れ出る日本への愛が伝わってきた。


「これはナカマのみなさんにもジマンできマス!」


「仲間って、故郷の人たちとか?」


 そんな人に自慢してどうなるのか、と弘海は苦笑しそうになったが、


「イイエ! こっちのナカマデス! ネットで繋がりマシタ!」


「ネット……」


「ハイ! みんなでセッサタクマくんする関係デス!」


(だれだタクマくん……)


 切磋琢磨か。

 要するにネット友達となにか競い合っているらしい。こんな海外の少女が、一体どんな活動をやっているのか。不意に興味が湧いた。


「その仲間って、一体なんの」


「なにしてるのー、イヴ」


 と、奇妙なやり取りをしていると、突如名を呼ぶ声がした。


 異国少女の後方から現れたのは別の女の子だ。


 イヴ、と親しげに呼ばれたのが目の前の異国少女だと仮定するなら、こちらに歩いてくるあの女の子は近しい友人なのだろう。しかし浮世離れしたブロンド髪の少女に比べて、こちらは綺麗に切りそろえたボブカットの黒髪をした明らかに純日本人の少女だった。ふたりの雰囲気は勿論、着用している制服も違う。


 黒髪の少女はやがて……、自分の友人が見知らぬ男に手を掴まれていることに気づいたのだろう、「なっ……」呆気に取られたようにあんぐりと口を開けた。


「こいつ‼」


 少女は肩を怒らせてズンズン歩くと、弘海の思い切り手を振り払った。


「こんなところで発情してんじゃねえよ‼ 変態野郎‼」


「は、はつッ……⁉」


(急になに言い出すんだこの子は……⁉)


「ち、ちがッ……い、今のはただの握手で……‼」


「はあ? どこの世界に通りすがりに握手求める奴がいんだよ‼」


 あなたの友達です。

 なんて言い返す余裕はなかった。


「この子が外国人だからって簡単に言いくるめれるとか思ったんだろ。節操なく盛ってんじゃねえよこの色情魔が‼」


「は、話を聞いてくれよ!」


 黒髪の少女は聞く耳は持たないと言わんばかりに友人の手を引いて距離を取る。その姿はまるで子を守るライオンのようだ。弘海のことは完全に敵として認識されている。


「本当に誤解なんだ! き、君もなにか言ってあげてよ!」


 黒髪少女の背中に庇われたブロンド髪の少女に助けを求めると、少女は「ハイ! そうデスヨ!」と朗らかに頷いてくれた。


「ゴシソクはこの本を譲ってくれただけデス!」


「そ、そうそう!」


 呼び方が『ゴシソク』で決まってしまったことに関しては不本意極まりないが、少女が助言してくれたことに弘海は一筋の光明が差した気分になった。


「ふむ……」


 むんっ、と元気よく差し出された小説を、黒髪少女は怪訝そうに受け取る。


 そして……ジトっとした視線を本に落とすこと数秒、黒髪少女はそれをこれ見よがしに掲げた。


「あんたがこの子にこれ渡したの?」


 その表紙には……一糸纏わぬ姿の女性キャラたちが艶めかしく絡み合う、あられもないイラストが描かれていた。光明は雲間に隠れた。


「………………いや、ええと……」


「渡したのかって、聞いてるんだけど?」


「…………はい。そうです」


 弘海はミジンコのように縮こまるしかなかった。


 黒髪少女は弘海が頷いたのを見るや、ささっと懐からスマホを出す。淀みない所作で画面を操作すると、それを素早く耳に当てた。


「すみません警察ですか? 今目の前に変態がいるんですけど」


「ちょっ、マジでやめてッッ……‼」


 結局会話ではどうすることもできず。


 弘海はその場から脱兎のごとく逃げ出したのだった。


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