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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
2章 新入部員編
29/94

(2) 朱鷺子さんの足元には死体が埋まっている


 九月下旬。


 地球温暖化も著しく、茹だるような暑さの夏休みを乗り越えても、未だ変わらぬ猛暑の日々が続いていた。


 青空に浮かぶ太陽は今日も容赦なくかんかん照りで、アスファルトの照り返しは今朝から逸原高校の生徒たちのやる気を蝕む。登校坂もなかなかの勾配で生徒たちに追い打ちをかける。なんとかして校門をくぐれば、イツ高の大きな校舎が日光を受けて白く光っていた。令和の時代らしく冷房完備の学校は、灼熱の坂を登ってきた生徒たちにとっては桃源郷か天竺に見えるだろう。


 二学期はすでに始まっている。


 弘海としては色んなことがありすぎた一学期がついに終わって、新入生としても新入部員としてもやっと落ち着いてきた頃合いだ。学年にはまだ見慣れない顔ぶれも多く、そういった意味で気後れすることも多々あるが、入学時よりは色々と馴染んできた。


 校舎全体には来たる学園祭に向けて燃え上がる生徒たちの静かな熱気が広がっているが、クラスでも部活でもそこまで肝心な立場にはいない弘海は比較的気楽だ。


「なー、やっぱ変えれねーかなー。うちの出し物」


 半袖の制服から伸びる腕をだらんとさせて椅子にもたれかかりながらくだを巻くのは、今日も今日とて平成の大物アイドル顔負けの茶髪外ハネヘアーに髪を整えた青年、弘海の隣の席の淡島くんだった。


 そして彼を囲うように立っているのは彼の幼馴染たち。青縁眼鏡に柔和な顔立ちをした男子のなかでも一番背が高い山吹くんと、水泳部らしい健康的に日焼けした肌と、爽やかな短めの黒髪が綺麗な谷口さんのふたりだ。


「変える? また急だな。もう結構前にクラスのみんなで決めたばっかだろ?」


「なあに言っとんねん今更」


「いやー、やっぱたこ焼き屋は地味だろ。もっといいアイデアがあるはずだって」


「そのアイデアを出し合った結果、決まったことだけどな」


 三人は仲が良く、教室ではいつも三人で集まって話していた。


「あんたはなんの出し物ならええの?」


「そりゃ……やっぱメイド喫茶とか?」


「うわ」


「んだよその顔は。あのな? 言っとくけど、そういう可愛い女の子が見れる店のほうが客も喜ぶんだぞ?」


「たしかにそれは言えるな」


「変態どもが」


 一言でたこ焼きと言っても種類は多岐に渡り、なかでもうちのたこ焼き屋はデザート風のたこ焼きを提供するといった一風変わった店をやるらしい。料理番と給仕は持ち回りでシフトを決めるが、文芸部の店番をすることになっている弘海は免除されている。だから弘海が貢献できるのは精々教室の飾り付けぐらいだった。


「なぁー、小鳥遊くんはどう思うよ?」


「え? いや、べつにおれはなんでも」


「だよなぁ、メイド喫茶一択だよなぁ。わかってるわぁ、小鳥遊くん」


(聞いてないじゃん……)


「弘海くん、文芸部のほうはどないなん? たしかみんなで作品の紹介やるんやろ?」


「うん。大丈夫そうだよ」


「安藝先輩もやるのかぁー……うわぁ、あの人ってどんなのが好きなんだろ? めちゃめちゃ気になるわ」


「うちも気になるし一冊買わせてもらおかなぁ。弘海くん、ええ?」


「俺も俺も!」


「んじゃ俺もー」


「も、もちろん……買ってくれるなら、みんなも喜ぶよ」


 とりあえず一冊も売れない悲劇は回避できるようで弘海は一安心する。


「やっぱり安藝先輩は人気者だな」


 なんとなく呟く弘海だが、それを聞いた淡島くんはどうしてか呆れ顔を浮かべた。


「なあに言ってんだよ、小鳥遊くん……。俺たちが気になってんのはそれだけじゃねぇぞ」


「え?」


(それって……)


「せやでー、うちら弘海くんの好きなもんも知りたいんやから」


「あの日は聞きそびれちまったしなー」


 ふたりの言葉に、弘海は驚きを露わにした。


 山吹くんの言う『あの日』とは、きっと一週間前、この教室でみんなで集まった日のことを指しているのだろう。


 弘海がアニメ研究会に入部して最初に行ったのは、『合評会』と呼ばれる好きな作品をテーマにみんなと語り合う活動だった。弘海はこれを機に自分のことを知ってもらえたらと思い、『合評会』に淡島くんたち三人を招待し、みんなの前で自分の好きな作品を発表したのだ。


「あの日は、その…………ごめん」


「ん? なんで謝んだよ?」


 中学生の頃に刻まれたトラウマのせいで、弘海は自分の『好き』を語ることが困難になっていた。——だがそれは以前までの話。夏休みの終わり頃に直面したとある問題を解決したことをきっかけに、そんな過去の自分を弘海はついに乗り越えた。だから当日は大丈夫だと思っていた。


 しかし現実はそう簡単にもいかなかったのだ。


「だって、せっかくみんなが来てくれたのに、おれ、うまくできなくて」


「弘海くんはわるないよ。あんなんことなるとか、ふつー予想できひんもん」


「そーそ」


 みんなは励ましてくれるが、弘海はまだ気落ちして顔が上がらない。


「小鳥遊くんの事情は知ってっからさ。あんま気にすんなよ」


「せやせや。弘海くんが誘ってくれただけでも、うちら嬉しかったしなぁ」


「俺も同感だ」


 優しい三人の言葉に弘海は危うく涙ぐみそうになる。「……みんなありがとう」弘海がそう言うと、淡島くんはにかっと白い歯を見せて笑ってくれた。


「あ、てかさ、そういや昨日俺も見てみたんだよ。アニメ」


「え? ほんと?」


「おう。なかなかおもろかったぜー! ああとータイトルがなんて言ったっけなぁ、今やってるやつらしいんだけどさー、あー、ええと」


「なんや覚えてへんのかあ?」


 がやがやと四人でアニメの話をして盛り上がる。


 それは以前までは決してあり得なかった光景だ。嫌われるのを避けるため、弘海はその手の話には知らぬふりをしていたのだから。しかし今は淡島くんたちのほうから話題を振ってくれる。そう思うと、やっぱり少しは変われているのかもしれない。


 弘海は、とても良い友達に恵まれたことを改めて実感した。


「ご歓談中、失礼します」


「え……? ぶ、部長⁉」


 と窓際の席で四人盛り上がっていると、いつのまにか弘海の後ろには見慣れた人物が立っていた。


「うお! まいるちゃんじゃん……! おはようございます!」


「はい。皆さんおはようございます」


 ぺこり、としっかり四十五度に腰を折って少女は頭を下げる。色素の薄めな黒髪がさらりと垂れた。縁なし眼鏡に円らな瞳、小柄な身体に不釣り合いなくらい丁寧な所作の少女は、やはり我らがアニメ研究会の長である猪熊まいるで間違いなかった。


「てか、なんであんたは先輩に『ちゃん』付けしとんねん」


「そんなもん可愛いからに決まってるだろ」


「いやふつーに失礼やがな……」


「わたしは大丈夫ですよ。よければみなさんも親しい呼び方でお願いします」


 と、そんなやり取りを聞いている間に、弘海ははっと我に返る。


「な、なんで部長がここに?」


「朱鷺子ちゃんからの言伝で参りました。なんでも昼休み、部室に集まるように、とのことです」


「昼休み、ですか?」


「はい。……絶対に、来てくださいね?」


「え? あ、はい。わかりました」


 妙な圧を掛けられた気がした。気のせいだろうか。


 猪熊部長はそれだけ伝えるともう一度会釈をして、そそくさと教室を去っていった。






 **






 そして例の昼休みになった。


 弘海は授業が終わるとすぐ教室を出た。部長に言われた通り部室へと向かうためだ(席を立つときに淡島くんからジトッとした視線を感じた気がしたけどたぶん気のせいだろう)。


「一体なんの用事なんだろ」


 文芸部室に集合ということは、やはりアニ研に関するなにか話し合いだろうか?


 しかし今回は部員全員で集まるわけではないらしい。部長は欠席と言っていたし、茜谷さんに関してはまだ学校にも来ていない。今回安藝先輩に呼び出されたのは弘海だけである。だからこそ用向きがわからなかった。


 ともかく部室に行けばわかる話だろう。弘海はそう思って歩みを進める。


 が、


「……ねえねえ、さっきのって絶対安藝先輩だよね?」


 ぴた——、と足を止めた。


 廊下の端のほう、井戸端会議よろしく談笑し合っていた複数の女子たちから、弘海のよく知る人物の名前が聞こえた気がした。


「うん、わたしも見たよそれ!」


「男子とふたりだったよね? 体育館裏向かったのかな?」


「じゃあやっぱり……あれってそういうことだよね?」


 きゃああ、と黄色い声を上げて女子たちは色めき立つ。


(…………安藝先輩?)


 弘海は振り返る。部室がある場所とは違う方向を。


 やがて……ごくり、と唾を飲み込むと、弘海は踵を返してまた歩き出した。






 逸原高校の体育館は一般的な広い体育館だが、真隣に一回り小さな武道館(主に剣道部が使っている)が建てられていて、外の渡り廊下によって繋がっている。


 安藝先輩がいたのはその武道館の裏だった。


 武道館とフェンスの間にできた小さなスペースは校舎の隅のほうであることも手伝っていつも人の気配がない。フェンスの向こうは車道で、車も時々通過するくらいの頻度だ。だから基本的には静かだった。


 そんな静かな空間に今はふたり分の声が聞こえていた。


「ごめん、安藝さん。急に呼び止めちゃって」


「大丈夫よ。気にしないでいいわ」


 武道館の影に隠れた弘海が角から顔を出すと、そこには安藝先輩ともう一人、男子生徒の姿が見えた。


「ただ今は少し忙しいから、できるだけ手短にお願いね」


「あ、ああ。わかった」


 男子は後ろ姿しか見えないがすごく緊張しているのがわかった。背丈は安藝先輩より高いくらい。おそらく同級生だろう。握られた拳が微かに震えている。


「お、俺、ずっと安藝さんのこと見てました。良かったら、その……俺と、付き合ってくれませんか!」


(お、おお……)


 告白だ。


 青春だ。


 弘海も若さを持て余した一人の高校生。このお誂え向きのシチュエーションからすぐにそうではないかと察してはいたが……、まさか本当にそうだったなんて。アニメなどでは鉄板のシーンだが、実際に目撃するとなぜかこっちにまで緊張が伝わってくるかのようだ。


 眩しすぎる光景を盗み見しながら非常にドキドキする弘海だったが、(あ、安藝先輩は?)と思い至って、麗しき先輩女子の反応を見やる。


「ごめんなさい。あなたのことは友人としか思えないわ」


(な、なんか……普通だな?)


 ドキドキもトキメキも見受けられない、安藝先輩はいつも通りの『女優の微笑み』を浮かべて立っていた。


「そ、そうか。悪いな。急にこんなこと言って」


「構わないわ」


 男は肩を落として反対側に去っていく。


(まあ、慣れてるよな、そりゃ……)


 きっとこんなふうに数多くの男たちが安藝先輩を前に敗れていったのだろう。彼女の足元のあたりには負けていった数多の敗残兵の屍が見えるようだ。南無。と、鎮魂の想いを込めて合掌しようとした弘海だったが、


「……あ」


 気づけば、安藝先輩がじっとこちらを見ていた。


 それも、さっきより何倍も凄みのある『女優の微笑み』を浮かべて……。

 やがて、ちょいちょい、と弘海を手招きしてくる。


 弘海は頬を引き攣らせた。



 

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