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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
1章 入部編
20/95

(19) 神さまのいる日曜日


 一つ目の偶然が数奇な巡り合わせと絶妙な確率が産んだ再会だとするなら、こちらの偶然はもはや神の悪戯としか言いようがないほど出来過ぎた奇跡だった。


 聖地巡礼、『オオ恋』の舞台を巡る旅の最後の最後で、まさかその原作者とばったり出くわすことになるなんて誰が予想できようか。とてもじゃないがあり得ない出会いである。


 だがそのあり得ないは実際に目の前で起こってしまっている。


「すご! 本物すご!」


「テンション高いな、嬢ちゃん……」


 先ほどまで茜谷さんが座っていた位置に、御船アキオ先生は腰を下ろしていた。自然と猪熊部長とのツーショットが実現しているわけだが、部長は未だになにが起こっているのかわからない様子で目を白黒している。そういえばアドリブに弱いと言っていたような。


 席を譲った茜谷さんは今は安藝先輩の隣で鼻息を荒げている。三人で詰めて座るのは少し手狭だが仕方ない。


「店員さん、注文いい?」


 御船先生は慣れた所作で店員に注文すると、持っていたドリンクを飲む。


「いやあ、にしても驚いたな。ちょっと企画書考えようと思ってファミレス寄ったら、すぐ近くの席から俺の名前が聞こえるからさ。ほんと、まさかと思ったよ。……今さらだけど、お邪魔じゃかったかい?」


「ぜんっぜん! むしろ大歓迎だし! ね、ぶちょーさん!」


「ハ、ハイ、ハイ……」


 ロボットみたいな硬い動きで部長は首肯する。「ははは、そりゃよかった」と御船先生は気さくな気質なのか、とても落ち着いた態度だ。


「み、御船先生は、なんで京都に?」


 弘海は気になって訊ねた。


「里帰りってやつだよ。今書いてる作品が一段落したから、これを機にってね。実家もこの近くにあるんだ」


「そ、そうなんですね」


「君たちのほうは? 見た感じ学生さんだよね? どこから来たの?」


 その質問には弘海が答える。ええ、と先生は目を見開く。


「そんな遠くから? 若いのにすごいね……」


「そーそー! みんなで、新幹線で来たの!」


「マジ? じゃあ旅行中かぁ。青春だねぇ」


 茜谷さんの話を、御船先生はほおほおと頷きながら聞いている。


(って、そういえば)


 そのとき弘海は思い出す。


 来るとき安藝先輩が語っていたのだ。アニメ好きにとって原作者は神様なのだと。出会えたら嬉しくてどうなってしまうかわからないと。


「先輩、良かったですね? 憧れの作者に、こんなふうに会えて……」


 こっそり隣の安藝先輩に耳打ちする。


 ……が、反応が返ってこない。


「ん、先輩? 聞こえてます? あのー、先輩?」


「聞こえているわよ」


「うわ」


 より顔を寄せて声をかけると急に固まっていた先輩がぬるりと顔を動かす。


 その容貌には今まで見たことがない、お面のような『女優の微笑み』が張り付いていた。


「せ、先輩、なんかめちゃくちゃ顔怖いです」


「失礼ね。いつも通りよ」


「全然いつも通りじゃないですよ……そんなに緊張してるんですか? 大丈夫ですか?」


「ふふふ、安心しなさい。いつもわたしは冷静、そう、冷静パスタよ」


「えっ」


 由々しき事態だ。


 こんな状態の先輩をこのまま放っておくのは色んな意味で問題があるだろう。即刻なにか手を打たないといけない。


 だが御船先生はそんな先輩に目を向けた。


「安藝さん、でいいのかな? 俺のファンなんだよね?」


「安藝朱鷺子と申します。はい。大ファンです」


「嬉しいなあ。まだこんな若い子たちが好きでいてくれてるなんて」


「はい。これからもずっと好きでい続けます」


 先輩はなんとか平静を装って受け答えするが、テーブルの上でドリンクを持つ手がぷるぷると震えいて全くダメだった。


「先輩、こぼれてるこぼれてる!」


「表面張力って素敵よね」


「お願いだからおれの話聞いてください!」


 弘海はとりあえず安藝先輩の濡れた袖とテーブルを掃除する。ついでに助けを求めて猪熊部長に視線をやるが、部長は「こういうときはどうすれば……!」とメモ帳をすごい勢いで捲っていた。ダメだあれは。


「いやぁ、ありがとね。……あ、そうだ。これもなにかの縁だし、サインでも書いてあげようか?」


 ぐらり、と先輩の身体が崩れる。「せ、先輩!」弘海は慌てて横から支えた。先輩は目を閉じたまま反応もない。あまりの嬉しさに気を失ったらしい。


「あの……大丈夫? その子」


「た、たぶん大丈夫だと思います。先生は気にしないでください」


「そ、そう?」


「と、というか、先生のほうこそ大丈夫なんですか? そんな簡単にサインとかしちゃって」


「ん? まあ……そうだね。あんまりいいことじゃないかもだけど」


 すると御船先生は憂いを帯びた表情で頭を掻いた。


「俺は今は三十九だけど、漫画家としてはもう二十年も経つからね。そこそこベテランになっちゃってからは、こんなふうにファンの子と直接話すことも減っちゃったんだ。だからついサービスしてあげたくなっちゃうというかね」


「えー、先生まだ若いじゃん。けっこうイケメンだし、絶対人気出るでしょっ」


「ははは……そう言われると悪い気はしないね。でも作品で評価してもらわないと意味ないのよ、うちの業界は」


 悟ったような御船先生の言葉からは、気のせいだろうか、諦めのようなものが見て取れた。


「けど、これでも長い間作家業してきたからね、今は色々と要領も良くなったから、けっこう好きなように書かせてもらってるよ。昔とは大違いさ」


「んん……」


 安藝先輩が目を覚ました。


 弘海は彼女の身体を支えて「先輩、一旦落ち着いてきたほうがいいですよ」と化粧直しを勧める。安藝先輩は「そ、そうね……」と、まだ心ここに有らずといった様子で頷くと席を立った。


「あの子、本当に大丈夫?」


「だ、大丈夫です。少し頭を冷やしてくるみたいです」


「トキセンがあんな緊張してるの初めて見たし」


「無理ないですよ。御船先生に会うのは夢だって、朱鷺子ちゃんずっと言ってましたから」


 少し落ち着きを取り戻した部長が言う。


「夢、か」


 御船先生は静かに呟く。


(なんか……)


 それが妙に冷たい表情に思えたのは、自分だけだろうか。






「先生どうかしたー?」


「いーや、なんでもないよ。それよりなにか聞きたい話とかないかい? 作家業の裏話でもなんでも、今なら話しちゃうよ」


「マジ⁉」


 出血大サービスだ、と御船先生は大らかな対応を見せる。これには女性陣も色めき立つ。猪熊部長が聞きたいことはなかったでしょうかと興奮してメモ帳をめくるスピードを上げている。


「じゃ、じゃあじゃあ!」


 茜谷さんも興奮を抑えきれない様子だった。それはもう勢いよく、テーブルに身を乗り出すような恰好で言う。


「『オオ恋』のこと聞かせてよ!」


「え?」


 御船先生は、そのとき——なぜだろう。


 まるで呆気に取られた様子で、サングラスの奥の目を丸くした。


「ん? ええ? なんで、わざわざそんな昔の作品を……? ほかにもっと聞きたいのあるでしょ? 最近出した『アリアンネの渇き』とか……」


「えぇー? なにそれ知らない。てかさー、あたしたちアニメ研究会って言ってんじゃんかっ、聞くとしたら『オオ恋』しかないっしょ」


「…………みんなも、そうなの?」


 と言って、先生は他の部員たちの顔を見回す。


「は、はい。ぜひ聞かせてほしいです」


「お、おれも」


 御船先生はそこに座る全員の反応をゆっくり確認したのち、


「もしかしてさ……」


 サングラスを外しながら、じろり、とまるでビードロのような無機質な眼差しを、なぜか弘海へ向けた。


「君たちって、『オオ恋』以外の僕の作品、知らない?」


「え? あ、はい。そうです……」


「なんだ……ハハ、そういうこと」


 乾いた笑いを漏らして、御船先生は頬杖をつく。


「いや、ごめんね。勝手に勘違いしてたみたいだよ。もっと熱烈なファンなのかと思ったんだけど。そっかそっか」


「えっと、その……」


「あー、それでなに? アニメの話が聞きたいんだったっけ? まあ、アニ研だもんね、そりゃそうだ」


 くくっ、と喉を鳴らす。


「でも悪いね、アレについて語ってあげれることは一つもないよ」


「え? なんで……」


 人が変わったように素っ気ない態度を取る御船先生は、茜谷さんのその呟きに、だれが見てもわかるような作り笑いをつくって、言った。


「だって、覚えてないんだもん。あの作品のこと」


「え……」


 茜谷さんは呆然と言葉を失う。


 御船先生はまるで冷めた口調で語った。


「当時の俺はまだ経験の浅いド新人でさ、SFが好きだったんだけど、絵柄に合わないとか向いてないとか散々言われて、そういう忠告に馬鹿みたいに耳を貸してたんだ。好きな作風より気乗らない王道をまずは試すべきだってね。だからつまらない売れ線に沿ったボーイミーツなんか描いたんだ。なのにさ……なぜか世間にはそれがウケちゃって、すぐに終わらせるはずが長引かせる羽目になって、あの頃はただ機械みたいにペンを走らせてたよ」


 酷い時間だったよ、と先生は続ける。


「唯一救いだったのはそれでファンがついてくれたってことだけど、それも結局、二作目三作目って描いてくうちにすぐ離れてった。御船先生に求めてるのはこんな作品じゃない、ってね。どう? 薄情だと思わない?」


 弘海はなにも言えなかった。胸のどこかに、御船先生に似たような作品を求めている自分がいることに気づいていたからだ。


「で、でもさっ」


 茜谷さんが身を乗り出す。


「『オオ恋』だって、先生が産んだものじゃんっ? あたし『オオ恋』に出てくるみんな、大好きだよ? とくに藍原ちゃんとか、最初は無愛想な感じなのに、話が進むたびにどんどん可愛くなっていって、あたしあんな推せるキャラ初めて見たっていうか」


「あー、はる陽ちゃんって言ったっけ? キミさ、昔流行ってた『銀色の恋』って少女漫画知ってる?」


「え……」


「まあ知らないよね。若い子は。藍原はね、アレに出てくる主人公のキャラクター造形をそのまま拝借させてもらったの」


 茜谷さんの縋るような顔が凍り付く。


「だから、ね。キミは藍原のキャラに新鮮な驚きを感じたのかもしれないけど、残念ながら、それは勘違いなんだよ」


「で、でも、柊木くんとかは」


「柊木? あー、相手の男ね。そんな名前だったか。あれも最初はさ、もっと陰キャで友達もいない設定にしてたんだけど、編集に『それじゃあ女子ウケしない』とか言われてさ。仕方なくなんの面白味もないイケメンを描いたわけ。そうじゃなかったら、あんな法螺吹きの面倒な男、俺は描きたくなかったよ」


「う、嘘だよ、そんなの……」


「まあキミが信じたくないのはわかるけど、これが本当の話なんだ。だって他でもない作者の俺が言ってたんだよ?」


「うぅ」


「それは、おかしいです」


 震えた声は猪熊部長のものだった。毅然とした態度で御船先生を見上げる。


 だが睨むような顔の先生と目が合った瞬間、部長は怯んだように視線を逸らしてしまった。俯いたまま、部長はそれでも続ける。


「あ、あの作品はとても良くできた作品でした。素敵なキャラだけじゃなく、テンポのいい会話や、魅せるシーンで魅せる緩急のつけ方……アニメの演出は音楽も相まって印象的で、とても嫌々で描けるようなものでは」


「アニメは知らないよ。音楽だって漫画には関係ない。つーかさぁ、キミは作品のなにを知っているの? 作者でもないのに、どうしてそんなことがわかるの?」


「ち、ちが……わたしが言いたいのは……」


「産みの苦しみも知らないただの読者に、そんなわかったような口聞かれたくないな」


「っ……!」


 部長は肩を震わせ、溢れる涙を堪えるように唇を噛んだ。


 淀んだ空気が場に満ちる。暗い沈黙がテーブルに横たわる。


 茜谷さんも猪熊部長も、視線を落としたままなにも言えない。


「なんで」


「ん、なに?」


「どうして、急に……そんな冷たいことを、言うんですか」


 急に別人のように怖くなった御船先生が、弘海には理解できなかった。さっきまであんなに楽しそうにしていたのに。みんなが『オオ恋』のことを好きで、それを伝えていただけなのに。


 なんでその作者が、こんな酷いことを言うのか。


「ハハ、そんな、わかりきったこと」


 御船先生は弘海の言葉を一笑に付すと、不気味なほど唇を歪ませた。


「誰だって、自分が大嫌いな作品のことを目の前で絶賛されたら、良い気しないでしょ?」


「…………ぁ」


 声にならない小さな悲鳴が、弘海の唇から漏れる。


 それは御船先生の残酷な発言に対して……ではない。


 そうじゃない。


 気づいてしまったからだ。彼女の存在に。


 酷薄な笑みを浮かべる先生の後ろに——ああ、いつからいたんだろう。


 今は。今だけは。


 この場にいてほしくなかったのに。


「安藝、先輩……」


「ん? あ、朱鷺子ちゃん。大丈夫だったの? もう頭は冷えた?」


 すっ、と細い腕が伸びた。


 テーブルの上、まだ中身が少しも減っていないグラスを掴むと、まるで音もなく御船先生のベッカムヘアーの頭上へ持っていく


 ……そして。


 一切の躊躇もなく、グラスをひっくり返した。


「エ……?」


 大量の茶色い液体が、惜しげもなく御船先生の頭を濡らし、顔を濡らし、服を濡らす。溶けていなかった氷の欠片が、からんからんと退屈な音を立てて床に転がった。


「頭は冷えたかしら? 先生」


「ア、アレ……?」


 なにが起こったのか、御船先生は理解が追いつかない顔だった。


 でも安藝先輩は、ただ、いつもの微笑みを浮かべている。


「黙って聞いていれば、ずいぶん勝手なことを言ってくれるわね」


 いつもの、微笑みを。


「なにも知らないくせに、まるでなにもかも知ったような口ぶりで……一体、何様のつもりなのかしら? あなた」


「え? いや……だから、作者なんだけど、俺……」


「つまらないわ」


 静かに、とても静かに、先輩は持っていたグラスをテーブルに置く。もっと、怒りに任せて叩きつけるものだと思っていたのに。悲しいくらい、それは冷静な手つきだった。


「原作者で、産みの親で、それがなに? それだけで、読者のことまであなたはすべて理解しているつもりなの? 思い上がりもいいところね」


「あ、え……」


「ただ作品を産んだだけのくせに、まるで神様みたいな顔をしてそんな軽々しく、わたしたちの好きに、踏み込んでこないで」


 賑やかなファミレスは突然の騒ぎに静まり返っていた。弘海もほかの二人も、ただ唖然と固まっているだけだ。


 そんななか聞こえるのは、ただ安藝先輩の静謐で、落ち着いた綺麗な声だけ。


「わたしたちは今、『オオ恋』の話をしていたの。大好きな作品の話をして、楽しんでいたの」


「お、俺は……」


「だから、ね? 悪いけれど、なにも知らない人はお呼びじゃないのよ」


「……」


「早くどこかへ行って。お願いだから」


「……ハ、ハイ」


 御船先生は立ち上がると、呆けたような顔のまま、店を去っていった。


 店内はしばらく静かなまま、弘海たちの周りだけが時が止まったかのようだった。


 BGMがノリのいいジャズに変わっていたことに気づくのに、一体どれほどの時間を要しただろうか。


「騒ぎを起こしてしまって、申し訳ございません」


 弘海が我に返ると、安藝先輩は周囲の店員と客に向けて頭を下げていた。とても丁寧な所作で一人謝罪すると、近くを通りがかった女性店員に床を拭くものを頼んでいた。先輩はいつも通りだった。


 弘海は、なにもできなかった。



 

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