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アニメ研究会より愛をこめて。  作者: 伊草
1章 入部編
18/95

(17) 白い砂のアクアリウム


 新幹線が京都に到着するのは、思ったよりもすぐだった。


 関東から京都へ、本州を貫くような大袈裟なイメージを抱いていた弘海は、まだお昼時にも達していないうちから到着したことに拍子抜けする。新幹線は速かった。


 京都駅は人で溢れかえっていた。リクルートスーツを着用したサラリーマンが何人も目の前を行き交い、子供連れの家族が迷わぬよう手を繋いで歩いていき、垢抜けた若者たちが慣れた様子で淀みなく進んでいく。


 アニメ研究会一行は駅に着くや、まず建物を出て観光に躍り出た。


 駅近くの京都タワーを上り、展望室から都の眺望を満喫したあとは、大きなショッピングモールで買い物、少し昼食を摂り、ついでにモール内を散策した。女子部員たちが目についた店にすぐ入ろうとするので、おのずと男子の弘海が手綱を握ることになり、女子たち、というより主に茜谷さんの暴走を諫めることに苦労しながらも、様々な店舗を見て回った。


「——さて」


 そして昼下がり、いくらか平静を取り戻した猪熊部長が、気を取り直すように場を取り仕切って言った。


「では行きましょう。京都水族館へ」


「おー‼」






 京都水族館はこれまた駅から近いところにある水族館で、国内最大級を誇る内陸型大規模水族館という触れ込みでも有名な、高校生の弘海にしてみるとつい肩が強張ってしまうくらいに大きな水族館だった。


 バスを利用すると十数分ほどで最寄りに到着し、そこから歩くとすぐ大きな白い外壁がお目見えした。さらに近づけばその建物の大きさに圧倒される。広い公園のなかにあって自然と一体化するような趣きの建物は青空の下で堂々と日光を反射させて白く眩く輝いていた。


 エントランスからは絶え間なく客が出入りしている。繁忙期だ。


「『オオ恋』第九話『女神の悪戯』では、藍原ちゃんと柊木くんの通う学校で修学旅行に行くことになります。そこで登場するのは大きな水族館でした」


 その舞台がここなのだと、猪熊部長が説明する。


「小鳥遊くんは水族館、行ったことあるかしら?」


「ないです。初めて来ました」


「そう。では驚いてくれると思うわ。色んな意味でね」


「はあ」


 それがどういう意味なのか、弘海はすぐに知ることになった。






「……あ」


 受付を終えてすぐ訪れたのは淡水コーナーだった。京都の川を再現したコーナー。同じタイミングで入ってくる客たちは気が逸るのか足取りも軽く進んでいくが、弘海はそこでおもわず立ち止まってしまった。


「ここって」


「わかるでしょう? 小鳥遊くんなら」


 わかる。わかってしまう。ここは。


「藍原たちが、最初に訪れた場所……」


 まるでアニメのなかへ入り込んだ気分、などと表すのは大袈裟だろうか。


 しかしそれくらい弘海には衝撃だった。衝撃で、立ち尽くすしかない。


「そう。藍原ちゃんは水族館が大好きな子で、一つ一つコーナーが変わるたび、長い間立ち止まってしまっていたわ」


「あったあった! アレ笑ったわ!」


「柊木くんが呆れた顔で藍原ちゃんを見ていたのが、とくに面白かったですね」


 入り口辺りから見渡す景色は記憶のなかの映像そのものだった。もしかしたら画角もどんぴしゃだったかもしれない。水族館自体が初めてな弘海は当然ここに来たことはない。なのにここを知っている気がする。一度来たことがある気すらするのだ。


「出たー! こいつ!」


 ガラス張りの奥でじっと動かない両生類を見つけ、茜谷さんが笑う。特別天然記念物のオオサンショウウオ。石のような見た目の鱗に大きすぎる身体、それに不釣り合いなくらい円らな瞳をしている巨大なトカゲのような生物の姿を見て、弘海もハッとした。


「藍原ちゃんが、しゃがんでずっと見つめ合ってた……」


「そうそれ!」


 茜谷さんが手を叩く。安藝先輩も笑う。


「原作でもアニメでも、あそこのシーンは一匹と一人が見つめ合っている、とてもコミカルな描き方をされていたわね。おもわずくすりと笑ってしまう、可愛らしいシーンだったわ」


 水槽の前で屈み、安藝先輩は何匹も重なり合って団子状態になっているオオサンショウウオたちを優しい眼差しで見つめた。その姿が、アニメで見たヒロインの姿と薄っすら重なる。


「けれど実際は目が合う気配すらないわね。ふふふ、可愛いわ」


「藍原ちゃんと見つめ合ってたヤツはどいつだー? こいつかー?」


「さすがにそこまでは決められてないんじゃないか……」


「この子じゃないですか? 目元が少し似ているような気がします」


「いやわかんねー! どいつも同じに見えるー!」


 銅像のような両生類を前にして、きゃっきゃっと楽しそうに話す女子たちの姿に、他の客たちの視線もなんだか微笑ましいものを見るようだった。弘海もそんな彼女たちと話しながら、他にも記憶と重なるところはないかと、いつのまにか辺りを見回すのに必死になっていた。






「ぶちょーさん、はいチーズ!」


 等身大のオオサンショウウオの模型の横に、その全長より背が低い猪熊部長が並び、恥ずかしそうに膝をもじもじとしながら茜谷さんの持つカメラへピースしていた。


 その姿はアニメの藍原にそっくりだ。藍原もこの模型より小柄なことを柊木に笑われて不満そうだった。藍原は猪熊部長と同じくらいの背丈なのかもしれない、とそう思うとなんだか訳もなくおもしろい気持ちになってくる。


 次に角を曲がれば、解放的な広さの場所に出た。客の数も多い。


 大きな水槽のなかではオットセイがすいすいと泳いでいて、それを見た子供たちが声を上げてはしゃいでいた。スマホを向けている若者たちも何人か散見される。そしてその奥の水槽まで歩くと、今度は丸い身体をしたアザラシがぷかぷかと水面に浮かんでいた。


「なんて愛らしいの……」


 安藝先輩はそのアザラシに胸を奪われたようだった。水面から鼻先を少し覗かせながらふにゃっと目を閉じて動かないアザラシを見て、先輩は、ほぅ、と艶のあるため息をつく。


「ここも見たことあります。少しだけアニメで出てきましたよね」


「はい。漫画のほうでは描かれていませんでしたが、アニメでは一瞬出てきますね。アザラシがなぜか柊木くんにばかり懐くので、藍原ちゃんが少し拗ねていたのが印象的です」


「可愛いよねー、アザラシ」


(あそこも、ああ、あそこも……)


 どこもかしこも記憶と一致する。それが弘海には新鮮だった。


 なんなのだろうか。ここを藍原たちが訪れたと思うだけで、言い表しがたい感動が胸を包む。


「聖地って、すごいんだな」


「お、ヒロミンもそう思うっ?」


「うん。来てよかったよ。本当に……」


「わかる、あたしも!」


 白い歯を覗かせて茜谷さんが笑う。弘海もなんだか楽しくなってくる。


「感動するのは、まだ早いわよ」


 気がつくと安藝先輩が近くに立っていた。もうアザラシを見るのは満足したのか、得意げな顔で腕を組む。


「あなたたちも『オオ恋』を視聴済みなら、わかるでしょう? アニメ作中でもっとも素晴らしいシーンについて」


「次がそのシーンの場所ですよ」


 先輩たちが意味深に笑う。


 弘海は茜谷さんと一度目を合わせると「もしかして……」と、とある名シーンを思い浮かべる。きっと茜谷さんも同じシーンを思い浮かべたはずだった。






 緊張と期待でドキドキと胸を弾ませながら、弘海は次の場所へと足を踏み入れた。


 明るかった場所からしだいに照明が減り、辺りは深海に沈むかのように暗く、そして静かになっていく。


 やがて暗闇のなかに――青い光。弘海の足取りはそこへ誘われていく。


「すごい……」


 視界を埋め尽くすは、大きな水槽と魚の群れ。


 大きなエイがひらひらと羽ばたくように泳ぎ、イワシたちの群れは巨大な一つの生物のようにうねり、水中を舞い踊る。美しい鱗を持つ魚が何匹も視界を横切れば、岩陰から姿を現したタイが、黄色い鰭を鮮やかに光らせるアジらとともに上へ上へと昇っていく。


 まるで海の一部をそのまま切り取ったかのような景色。


 京都水族館でもとくに圧倒的と言われる、京都の海を再現したという大水槽。


 それはまさに圧巻の京の海、芸術の域に達したアクアリウムだった。これを見にわざわざここを訪れるマニアも少なくないらしい。それほど神秘的な美しさがあった。


 ——その上、弘海たちにとっては特別な意味がある。


「ヤバい……本当にあのシーンの場所と同じだよ」


 いつになく静かに感動を噛み締める茜谷さんの姿がおよそすべてを代弁している。

弘海もまた大きな感動で言葉を失っていた。


「第九話終盤、藍原ちゃんと柊木くんはここでふたりきり向かい合って、お互いの気持ちを再び確認し合う」


 感動に邪魔せぬよう静謐な声で安藝先輩は言う。


「そのときの作画表現は、作中屈指の名シーンだと言われているわ」


(……知ってる)


 弘海もそのシーンに魅せられた一人だった。


 海水を漂う魚の群れが、揺らめく青い光が、健気なほどにふたりの胸のうちを表現する。そこには祝福だけではない。心がすれ違う切なさと、お互いを思い合うがゆえの痛みと、それでも余りある果てしない優しさとが、巧みな映像演出とともに表現されていた。


 漫画では少ししか描かれていない一連の演出は、とりわけこよなく漫画を愛する原作ファンの胸を震わせたという。弘海はアニメしか知らないが、あのシーンを見たときの衝撃が格別であったことは言うまでもない。


「藍原たちも、これを見たのかな……」


 無意識に呟いていた。


「そうかもしれないわね」


 ガラスの向こう、広がる海の世界を弘海はただ目に焼き付ける。


「なんか、不思議な感じです……アニメは空想で、キャラクターは作り物で……そんなのわかってるつもりなんですけど……こうやって同じ場所に立って、同じ景色を見てると……なんでか、今もみんなが、どこかで生きてるような気がしてきます」


 それから弘海は気恥ずかしさに頭を掻く。


「ま、まあこんなの、錯覚でしょうけど。あはは……」


「わかりますよ。小鳥遊くんの言いたいこと」


 猪熊部長はこちらを覗き込むような上目遣いで笑ってくれた。


「ともすれば聖地巡礼とは、そんな錯覚を楽しむためのものなのかもしれませんね」


「良いこと言うわ。さすがまいるね」


「ハイハイ! あたしも今おんなじこと言おうとしてた!」


「いや絶対嘘だろ、それ……」


「はあ? なんでヒロミンにそんなのわかんのよ⁉」


「け、喧嘩はやめましょう。他のお客様もいるんですから……」


「ふふふ、賑やかでいいわね」


 そんなわけで聖地巡礼の意味を改めて嚙み締めた一行だった。






 しかし偶然とは末恐ろしいもので、時おり人の想像を超えては数奇な巡り合わせを運んでくるものである。

 まるで隙を窺うように、有り得ない出会いはいつも唐突に僕たち私たちの目の前に現れる。今回の場合、それが運命であったが否かは人に寄って変わるだろうが。


 そんな偶然の『一つ目』が向こうからやってきたのは、四人で記念写真を撮ろうと大水槽の前で茜谷さんがスマホを取り出した矢先のことだった。


「あれ~? もしかしてはる陽ちゃ~ん?」


 と、人混みのなかから突然出てきたのは、見覚えのある男女二人組。


「げっ……」


 途端、茜谷さんが変な声を上げた。


「あら? あなたたちはたしか……はる陽ちゃんが誘ってくれたグループの」


「え、マジじゃん⁉ てか朱鷺子さんまでいるし⁉」


「梅木くんと、皆瀬さんね」


 安藝先輩の言う通り、興奮した様子で近づいてくるのは、ファミレスでオフ会をしたときに出会ったアニメ好きグループの二人だった。


「え、なになに⁉ なんでこんなとこにいんの⁉」


「こ、こっちの台詞なんですけど……」


 茜谷さんが言う。


 ふたりは私服姿で他には誰も連れていなかった。


 話を聞くと、なんでも高校三年生で受験勉強中の皆瀬さんの息抜きにと、夏休みの旅行に出かけて遥々京都までやってきたのだとか。


 だからってなんでよりによってここなのよ……とは、彼らと因縁深い茜谷さんの複雑な笑みから読み取れた嘆きの声である。予想だがそんな感じの表情だった。


 ともかくとんでもない確率の偶然である。示し合わせたわけでもないのに、長い休暇のなかで旅行日に選んだたった一日が、そして訪れる場所までもが被ってしまうとは。


「おっ、小鳥遊くんもいんじゃん! うぃ、久しぶり!」


「あ、ああ、久しぶり……」


「んで? なんでここにいんの? ……あ、やっぱ待って、当てさせて! たしか三人って、アニメ研究会とかって変な部活入ってんだよねー? じゃあその活動の一環的な? どう? 合ってんでしょ?」


「え? は、はい。大体合っています」


 猪熊部長が梅木くんの勢いに圧倒されつつも答える。そういえば部長はオフ会には来れなかったから、彼らとは初対面だった。


「そうよ。ご明察ね、梅木くん」


 空気を読んで部長の代わりに前に出たのは安藝先輩だった。


「と、朱鷺子さんっ…………ま、まあ、ふつーっすよふつー! こんなの、ちょっと考えればすぐわかるっていうか、ハハハ……!」


「ん~? ウメキンなんか照れてな~い?」


「そ、そんなことねーし! やめろよ皆瀬!」


 照れている。そういえばオフ会で席を入れ替えたときに梅木くんは安藝先輩とも直接喋っていたのか。あのときは弘海もそれどころではなかったから、気がつかなかったが。


「ここへは、聖地巡礼に来たのよ」


 安藝先輩の言葉に、梅木くんはぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「ん、聖地……? いやここ水族館なんだけど、え? なんの聖地?」


「『オオカミくんに恋の首輪を』という作品よ。ご存じないかしら?」


「あー……」


 そのタイトルは梅木くんは知っていたんだろう、すぐ笑みをつくった。


「あれねー、ハイハイ(笑)」


(ま、まずい)


 しかしそれはいつぞやと同じような嘲りを含んだ笑みで、弘海は直感的に危機を悟る。が、時すでに遅しである。


「けっこう前の作品っすよね? 昔見たわー、途中まで。聖地なんかあったんだあの作品」


「ええ。その舞台がここなのよ」


「えー、でもあれってネットの評価も低かったような(笑) そうでなくても、こんなところまでわざわざ来ようとか思うほどオモろいアニメには見えなかったっていうか」


「あらそう? とっても素敵な話だったと思うけれど」


「いやいやー、あからさまに女子ウケ狙いに行ってるでしょあれ(笑) 暗い女の子とイケメン男子のボーイミーツガールとか、正直王道すぎてきょうび流行らないっていうか」


「たしかに昔の作品だし、流行からは外れているかもしれないわね」


「でしょでしょ? 大体さー、あんなザ・少女漫画みたいな話、朱鷺子さんみたいな人には全然似合わないっすよ(笑)」


「……ッ」


 梅木くんの言葉に拳を震わせたのは、茜谷さんだった。

 ともすれば以前の自分の姿が、今の彼に重なって見えたのかもしれない。指先の綺麗なネイルが肌に強く食い込む。猪熊部長が制するように自分の手を重ねてやっていた。


「ふふふ、やっぱりそうかしら? わたしも趣味が子供っぽいとは思うのだけれど、やっぱり好きは偽れないから、つい見てしまうのよ」


「意外と幼稚なんすねー(笑) あっ、ていうかさ、そんなのよりずっと朱鷺子さんが気に入りそうなアニメ俺知ってんすよ! どう、知りたいすか(笑)?」


「ええ、ぜひ教えてもらえるかしら」


 安藝先輩はいつも通り、優しく微笑んでいた。



 

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