(12) 茜谷はる陽の憂鬱
先述の通り二つのテーブルは通路で隔たれており、そのあたりの問題はどう解決するのかと思ったのだが、始まってみれば普通にそれぞれのグループで交流する形式になった。どこかのアニメでやっていた婚活パーティよろしく、あとから何人かが入れ替わったりしていくのだろうか? 流されるままついてきた弘海にとってはただただ目まぐるしく、ちょっとした異空間に迷い込んだかのようだった。
「やー、学校じゃ陽キャの振りしてっからさー、マジで今日は楽しみにしてたんだよ」
同じテーブルの梅木がへらへらと笑う。「わっかるわ~、それ」とすかさず年上女子(皆瀬さん、だったか)がそれに同意する。
「はる陽っちも見た目的に同じっぽいよな~!」
「えー! あたしなんかマジで陰キャだよ? ウメキンたちとは全然違うって!」
弘海のグループは彼ら同校の者たちが仕切っているおかげか、明るい雰囲気で交流が進んでいた。茜谷さんも気遣いする空気よりはノリのいいムードのほうが合うのか、余計な緊張も見えず、最初から気分よく笑っている。こちらのグループは大丈夫そうだ。
問題は——もう一つのグループだった。
弘海たちがファミレスに到着したのが最後だった(一人遅刻してくるらしいが)関係上、三人で同じテーブルに強引に押し入ることはできず、おのずと二つのグループに分かれることになった。……のだが。
ちら……、と弘海は隙を見て隣のテーブルを盗み見る。
「え、えっと……あ、安藝、さん? は、その、アニメとかご興味は……」
「……? それは一体どういう意図での質問なのかしら? 興味があるから、みなさんここに参加しているではないの?」
「ご、ごめんなさいっ、そうですよね、あはは……」
眼鏡をかけた女子(遠藤さん)が冷や汗を流しながら下手な作り笑いを浮かべる。
(気まずすぎる……‼)
当初に抱いた弘海の不安は、見事的中してしまっていた。
安藝先輩に対しての他の面々の対応はまるで腫れ物に触るかのようだった。仕方ないと言えば仕方ない。なにせ相手は深窓の令嬢も裸足で逃げるほどの別格のオーラをまとった美女なのだから。庶民が集うファミレスで安藝先輩の存在は完全に浮いていた。
「そこのあなたは、どんな作品が好きなのかしら?」
「お、俺すか⁉ な、なんすかね~、あ、安藝さんに、聞いてもらうほどのものでもないっていうか……」
「そう、なの……? では、あなたは?」
「わ、わたしっ? そ、そんな、わたしの好きなものなんか、あ、安藝さんが聞いても、きっとつまらないと思いますよ、あはは……」
「……?」
先輩も悪気はないのだろう。他の者たちのびくびくと怯えた反応に「これは一体なんなのかしら?」とでも言うかのようにおっとり首を傾げている。
もしや安藝先輩はいつもこんなふうに周りから気後れされて、遠巻きにされているのだろうか。家にお邪魔した際の、先輩のおばあさんが言っていた「友達もまともにいない」にはこういう事情があるのかもしれない。
「小鳥遊くんはガチで初めて喋るよねー? 今日はなんで来てくれたん?」
と、隣のグループに気を取られていると、梅木くんが水を向けてくれる。慌てて弘海はぎこちない笑顔を浮かべた。
「あ、ああ、おれは、茜谷さんに誘われて……」
「へー、なに? ふたりって仲良いの?」
「そ、そんなことないよ。教室でも、あんまり喋らないし」
「だよねー(笑)小鳥遊くんってはる陽ちゃんとは対照的っつーか、まさに陰キャと陽キャ? 的な感じだもんね(笑)」
梅木くんの言葉に「えー、なにそれ」と茜谷さんが笑う。
「なっ? みんなもそう思うよなっ?」
(……なんだろ、この感じ)
場を取り仕切る梅木くんはみんなに分け隔てなく接していて常に明るい。そういった面は好感を持たれやすいところなのだろう。
だが、弘海には彼がとても軽薄な人物に思えた。
「んなことないって! あたしめっちゃオタクだからさ」
「いや見えねー!」
「はる陽ちゃんってどんなアニメが好きなん~?」
皆瀬さんが何気ないふうに訊ねると、茜谷さんは「待ってました」と言わんばかりに目を輝かせて答えた。
「やっぱ『コトノハ』かな‼ みんな知ってる⁉ 『言の葉、言ノ刃』ってやつなんだけど!」
「あー、あれね」
梅木くんが頷く。そのよく知っているような反応に、茜谷さんは同士を見つけたみたいに表情を明るくさせる。
「見たわー、ちょうど去年はめっちゃ見漁ってた時期だったからさあ」
「ウメキン見てんの! すごい! 同士じゃん!」
だが梅木くんは頬杖をつきながら、訳知り顔で言った。
「まあ、結局一話切りだったけどさ(笑)」
「え……」
「「一話切りかい!」」
数人の大袈裟なツッコミで、げらげらと笑いが起こった。
茜谷さんは……笑顔のまま固まっていた。
「だってさー、なんか話薄いじゃんアレ。あからさまに演出で誤魔化してるっつーかさあ……なんでもグロけりゃいいってわけじゃないってか、ふつーにつまんなかったわ(笑)」
「い、いやいや……最初はそう思うかもだけど、実は、後からすごい展開が待っててさ!」
「あー、わかるわかる。初めの伏線回収して驚きの展開ッ! みたいなヤツっしょ? なんかあざといんだよなあ、そういうの」
「うちもグロいの苦手~、普通に気持ち悪いし」
「そ、それはそうなんだけど! その描き方がすごいっていうか、単純にグロいだけじゃない作画に惹かれちゃうっていうか」
「グロさに惹かれるってなに(笑) 俺引くわー……、惹かれるだけに?」
「いや上手いこと言うなし~!」
ナイスツッコミッ、と梅木くんが親指を立てると、皆瀬さんや他のみんなも揃って笑い転げ始めた。
ぎゃはは……‼
耳障りな笑い声が店内に響く。
「で、でもほんと……最後までちゃんと見たら、すごくおもしろくて……」
「だいじょーぶだいじょーぶ。俺ってさー、こう見えて今までけっこう色んな作品見てきてんのよ。だから一話見ただけで大体わかっちゃうわけ。見る価値がある作品とそうじゃない作品って」
「でも、最後のシーンの盛り上がりはほんとに……」
「あー、切り抜きで見たわ、それ。たしかに作画はすげーってなったけど、俺に言わせれば『だからなに?』って感じ(笑) ネットじゃ割かし話題になってたから、ぜってーそういうのを狙った演出なんだろうな。最近ああいう目立ち狙いの派手なシーンが多くてヤになんだよなあ……」
「あ、あたしは……」
「つーかはる陽ちゃん『シラユキ・エデン』って見たことある? ガチ勢んなかじゃ有名な作品なんだけどさ、ないならマジで見るべきだよ? こういうのが本物の名作なんだなーってすぐわかっから。マジで。みんなもさー、一度は聞いたことあるっしょー? 『シラユキ現象』ってネットミーム、あれの元ネタにもなってんだけどさ、主人公がマジでかっこいいの。最初は真っ白な雪原の場面から始まるんだけどさ、そこがだんだん荒廃した日本だっていうのが分かってきてさ、そんで――」
梅木くんはその後も取り付く島もなく、ただ自分の好きな作品について熱弁していた。
「……」
いつのまにか、茜谷さんはまるで感情を失くしたようにコーラの注がれた手元のコップを見つめていた。
その表情を見ていると、こちらの心まで痛くなってくる。
あまりの居心地の悪さに弘海は一度離席しようと思い至る。
「ごめん、おれトイレ……」
しかしそのとき、折悪く遠くで来客のベルが鳴り、
「ごめん、遅刻したー!」
まもなく男子が姿を現した。
「おっ、来たな! みんなちゅーもく!」
梅木くんが立ち上がって、すかさず男子を紹介する。
「このグループの最後のメンバー、楠木誠人くんでーす! 気軽に『まこっちゃん』って呼んであげてね!」
「いやそれお前の台詞じゃないから!」
(くすのき、まこと……)
(って……まさか)
弘海は弾かれたように顔を上げる。
そして男子の姿を認め、顔を青ざめさせた。
「楠木です。みんなよろしく」
男子は挨拶をしながら全員の顔を見回していき、やがて――
「…………って、あれ、弘海?」
男子も弘海の存在に気づいた。
数秒、静寂がその場を支配する。動揺をあらわに硬直する弘海と、同じく動きを止めている男子の視線が交差し、どちらからともなく逸らす。
静寂を断ったのは、やはり梅木くんだった。
「え? なに? 知り合いなん?」
「そ、そーそー……中学が、同じでさ……」
弘海は、咄嗟に声を発することができなかった。
「じゃあまこっちゃんは小鳥遊くんの前だな!」
こんなときばかり気を利かせた梅木くんが、誠人に席を譲って隣のテーブルに移動する。自然と弘海は誠と対面することになってしまった。
「ひさしぶり、だな……弘海」
「う、うん……」
青みがかった頭髪はあの頃の坊主頭とは違って綺麗なツーブロック、整髪料で爽やかにアレンジされている。しかし縁なし眼鏡の奥ではあの頃と変わらない二重の眼差しが、どんな表情をするべきか迷っているかのように視線を泳がせている。
中学三年生の頃、楠木誠人とは同じクラスだった。
それはつまるところ、あの頃の弘海を知っている一人だというわけだ。
男子たちに寄ってたかって虐められていた、あの頃の、弘海を……。
「まさかこんなところで会うなんてな……お、驚きだな、はは」
「そう、だね」
「げ、元気してたか? その、転校、してからさ……」
「う、うん。まあ……」
ぎこちない会話を交わす。
その間も弘海の心臓はどくどくと早鐘を打ち、胸が詰まるような息苦しさが常に身体を蝕んでいた。自分でもどうしてこんなに苦しいのかすらわからない。
それでも気になったことが一つ。
か細い声でも、訊かずにはいられなかった。
「…………あ、アニメ」
「ん? なに?」
「そ、その……アニメ、好きだったんだね? 誠人くん……知らなかった」
「あー……」
誠人くんはぎこちなく視線をさまよわせた。だがすぐに観念したように頷く。
「……うん。中学のときは、隠してたんだ、その……みんなにバレるの、怖くてさ」
「そっか……、そうだよね」
弘海は浅く息をつく。
その反応に、何かを感じ取ったのか、誠人くんは焦った顔で「やっ、ち、違うんだ! あのときは、その……」とおどおどと取り繕い始める。
だが弘海の耳にはその声は薄っすらとしか聞こえていなかった。まるで深海に沈むように音も、視界も遠ざかっていく。水圧がかかったように、ぎゅぅ、と心臓が締め付けられていた。耐えられず、弘海は制服に皺ができるほど強く胸のあたりを掴む。
口のなかが……苦い。
「――ねぇ、あなた」
「え?」
突然近くから声をかけられ、視線を上げると……
「……せん、ぱい?」
いつからいたのだろうか、まるで忽然と現れるように、安藝先輩がそこに立っていた。
「えっと……はい、な、なんですか?」
「突然ごめんなさいね。わたしは小鳥遊くんの一応先輩のような者なのだけれど、あなたが同郷の者というのは事実なのかしら?」
「は、はい! 中学だけ、ですけど……」
「そう。では少しお話をしましょう。わたしと」
「え? ええ?」
素っ頓狂な声を上げて困惑する誠人くんには構わず、安藝先輩はいつもの『女優の微笑み』で弘海を見下ろし、「席を交代しましょう、小鳥遊くん」と強引に進める。
「先輩……おれ」
「もう、限界なのではなくて?」
弘海は大きく目を見開く。
もしかして、先輩は気づいて……。
「…………すみません」
下げた頭はそのまま、弘海は席を立ち、逃げるようにその場を離れた。




